自民党参議院議員の猪口邦子さんの自宅が火事に遭い旦那と娘さんが亡くなりました。
この記事では猪口邦子さんの若い頃や家族、旦那の猪口孝さんとの結婚と双子の子供、長女が自閉症の噂、火事の原因と屋上のペットボトルを持った人影、現在どうしているのかなどについてまとめました。
この記事の目次
- 猪口邦子のプロフィール
- 猪口邦子の若い頃の経歴と画像① 家族の都合で小4〜中2まで海外で生活
- 猪口邦子の若い頃の経歴と画像② 上智大学卒業後イェール大学大学院へ
- 猪口邦子の若い頃の経歴と画像③ 上智大学助教授とハーバード大学研究員
- 猪口邦子の若い頃の経歴と画像④ 上智大学法学部教授
- 猪口邦子の家族① 父親の横田偉一は元東京海上火災保険サンパウロ支店長
- 猪口邦子の家族② 祖父の横田昇一は日本の著作権制度の整備に貢献
- 猪口邦子の家族③ 祖母の横田葉子は大多喜町出身の女流歌人
- 猪口邦子の家族④ 旦那は東京大学名誉教授の猪口孝で1976年に結婚
- 猪口邦子の家族⑤ 子供は2人で双子の娘
- 猪口邦子の双子の娘のうち長女は自閉症だったという情報も
- 猪口邦子の自宅が火事になり旦那の猪口孝と長女が死亡
- 猪口邦子の自宅火事ではペットボトルを手にした屋上の女性の人影が物議
- 猪口邦子の自宅の火事の原因
- 猪口邦子の現在
- まとめ
猪口邦子のプロフィール
猪口邦子のプロフィール
生年月日:1952年5月3日
出身地 :千葉県市川市東菅野
猪口邦子さんは自民党に所属する政治家で、2005年から2009年にかけて衆議院議員、2010年から2024年12月現在まで参議院議員を務められています。
「小泉チルドレン」を自認しており、2005年から2006年にかけての第3次小泉改造内閣では、内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画)を務めました。
猪口邦子の若い頃の経歴と画像① 家族の都合で小4〜中2まで海外で生活
猪口邦子さんの若い頃の経歴や「かわいい」、「美人」などと一部で話題になっている若い頃の画像を紹介していきます。
猪口邦子さんは1952年5月3日生まれの千葉県市川市東菅野の出身で、地元の市川市立八幡小学校に入学後、小学4年生の時に父親の仕事の都合で家族でブラジルのサンパウロに移住し、現地のブラジル・サンパウロ日本人学校と名門のアメリカンスクールに通いました。中学2年生の修了と同時に帰国し、東京都文京区の名門私立「桜蔭中学校」の編入試験に合格し入学。その後は「桜蔭高校」に内部進学し卒業されています。
猪口さんは帰国子女の先駆け。そんな言葉もまだない1960年代半ば、東京海上火災に勤務する父がサンパウロ支店長となったのを機に現地に渡り、名門のアメリカンスクールに通った。そこで英語のシャワーを浴び、時には差別的な待遇も受けたのだとか。
「小学4年から中2までの5年間、一番多感な時期をブラジルで過ごしました。
猪口邦子の若い頃の経歴と画像② 上智大学卒業後イェール大学大学院へ
猪口邦子さんは桜蔭高等学校からアメリカ・マサチューセッツ州のコンコードアカデミー高校へ進学し現地で高校を卒業して帰国し、1971年に上智大学外国語学部へ進学しています。
上智大学在学中の1972年にはNHKの「青年の主張」(第18回大会)に出場し全国最優秀賞に輝いています。
猪口邦子さんは1975年に上智大学外国語学部を卒業し、アメリカの名門「イェール大学大学院」に留学し同大学院政治学研究科で学び1977年に政治学の修士号を取得されています。
猪口邦子の若い頃の経歴と画像③ 上智大学助教授とハーバード大学研究員
猪口邦子さんはイェール大学で政治学の修士号を取得して帰国後、1980年より母校である上智大学の外国語学部と法学部で教員となり、翌1981年から1990年にかけては同大学法学部の助教授を務めました。
一方で、1982年には再びイェール大学大学院で学び政治学の博士号(Ph.D. in Political Science)を取得し、1983年から1984年にかけてアメリカ・ハーバード大学で国際問題研究所客員研究員を務め、1986年にはオーストラリア国立大学で政治学部客員研究員を務めました。
猪口邦子の若い頃の経歴と画像④ 上智大学法学部教授
猪口邦子さんは1989年に著作「戦争と平和」を上梓し、読売・吉野作造賞を受賞。1990年からは上智大学法学部の教授に就任し、国際政治学を教えていました。
その後、2002年から2004年にかけてはジュネーブの軍縮会議日本政府代表部特命全権大使を務めました。
そして2005年9月の第44回衆議院議員総選挙に自民党公認候補として出馬し、比例東京ブロック単独1位で出馬し初当選しています。
猪口邦子の家族① 父親の横田偉一は元東京海上火災保険サンパウロ支店長
猪口邦子さんの家族についてもみていきます。
猪口邦子さんの父親は横田偉一さんという方で、1924年8月の生まれで、一橋大学を卒業後に東京海上火災保険(現在の東京海上日動火災)に入社し、1962年から1966年までブラジルのサンパウロ支店長を務めました。
この時に猪口邦子さんは家族でブラジルサンパウロに移住していますが、名門のアメリカンスクールに転入しようとした際に、「日本人は入学させない方針」だとして拒否されたそうです。しかしここで父親の横田偉一さんが「米国は人を平等に扱うと聞いている」と訴え、試験を受ける事を許されたのだそうです。
私は最初は小さな英国系の小学校に入りましたが、転校しようとしたら、そこは日本人は入学させない方針だったんですね。そこで父は米国は人を平等に扱うと聞いている、と校長先生に訴え、私は試験を受けることが許されました。
猪口邦子さんは思春期にこうした父親の国を背負う高潔な姿勢を見た事も、政治の道を志す原点となったと語られています。
猪口邦子さんの父親の横田偉一さんはその後、日本損害保険代理業協会の専務理事も務められています。
【父、卒寿】今年8月、父は90歳に。1960年代、東京海上火災保険の社員として初期のサンパウロ支店長を5年も務めました。熱心な企業人で、退職後も損保業界に残りました。女性も学者に。そう私を育てました。元旦午後、父母は、娘3人と各々の家族全員を椿山荘に招き、全員揃いました。猪口邦子
— 猪口邦子 KunikoINOGUCHI.Ph.D (@kunikoinoguchi) January 1, 2014
猪口邦子の家族② 祖父の横田昇一は日本の著作権制度の整備に貢献
猪口邦子さんの祖父は横田昇一さんという方で実業家として活躍されました。
猪口邦子さんの祖父の横田昇一さんは雑誌「蓄音器世界」を発刊し、当時世界で遅れていた日本の著作権制度の整備を政府に訴え、その法整備に大きく貢献されました。
猪口邦子の家族③ 祖母の横田葉子は大多喜町出身の女流歌人
猪口邦子さんの祖母は横田葉子さんという方で、1889年に千葉県大多喜町に生まれ、女流歌人として著名な人物でした。
横田葉子さんの出生名は高橋満んさんで後に歌人として葉子と号しました。1923年に生まれ板谷尋常小学校、西畑尋常高等小学校を卒業し、夷隅女子教員養成所を修了して千葉県女子師範学校に入学した当時の女性としては抜きん出たエリートでした。しかし、視力の低下により千葉県女子師範学校は中退を余儀なくされています。
その後は地元の帰郷し、老川、西畑小学校の代用教員となり、この頃に「西畑短歌会」を作って歌の研究に励み、尾上柴舟や若山牧水に師事して「異色ある女流歌人」との称賛を受けました。
1923年に猪口邦子さんの祖父である横田昇一さんと結婚し、1924年8月に猪口邦子さんの父親である横田偉一さんを出産しています。
その後も歌人として歌誌「草の実」の創刊、「声の文庫の会」の創設など、当時の詩歌人の活動を後世に伝えるべく力を尽くされましたが1936年に交通事故により46歳で亡くなりました。
猪口邦子の家族④ 旦那は東京大学名誉教授の猪口孝で1976年に結婚
猪口邦子の旦那・猪口孝のプロフィール
生年月日:1944年1月17日
没年月日:2024年11月27日(80歳没)
出身地 :新潟県新潟市
猪口邦子さんの旦那さんは国際政治学者で東京大学名誉教授の猪口孝さんで、1976年に結婚されています。結婚当時、猪口邦子さんは24歳、旦那さんの猪口孝さんは32歳でした。
猪口邦子さんの旦那である猪口孝さんは1944年1月17日生まれの新潟県新潟市出身で、東京大学教養学部、同大学院修士課程修了後の1969年に上智大学外国語学部助手に就任。
その後、アメリカのマサチューセッツ工科大学大学院へ留学し1974年に博士号を取得。
帰国後に上智大学外国語学部助教授に就任して、この頃に同大学院生だった猪口邦子さんと知り合い、1976年8月に結婚。
その後は、1977年に東京大学東洋文化研究所の助教授に就任し、同年から1978年にかけてはジュネーヴ大学国際問題高等研究所客員教授も務めました。
1982年には、著作「国際政治経済の構図」にてサントリー学芸賞を受賞。その他にも「国際関係の政治経済学」、「実証政治学構築への道」など数々の名著を残されました。
1983年〜1984年にかけてはハーバード大学国際問題研究所客員研究員、1986年、オーストラリア国立大学豪日研究センター上級研究員を務め。1988年より東京大学東洋文化研究所教授に就任しました。
2000年から2002年までは日本国際政治学会理事長を務め、2004年に東京大学を定年退官し名誉教授となった後は、2005年より中央大学法学部教授、同大学公共政策大学院教授、2009年から2017年にかけて新潟県立大学学長兼理事長、2017年より桜美林大学アジア文化研究所所長兼特別招聘教授などを歴任しました。
2023年にはこれらの功績により瑞宝中綬章を授与されています。
その後、猪口孝さんは2024年11月27日、東京都文京区小石川の自宅マンション(猪口邦子さん自宅)の火事により80歳で亡くなりました。
猪口邦子と旦那・猪口孝の馴れ初めと結婚経緯
猪口邦子さんと旦那さんの猪口孝さんの馴れ初めは、猪口邦子さんが上智大学大学院生、猪口孝さんが上智大学外国語学部助教授であった1976年頃で、上智大学のある教授からの紹介がきっかけでした。
孝さんはある教授から邦子さんを紹介され、すぐにプロポーズしたそうです。邦子さんのほうも運命を感じて、即座にOKしたといいます。
引用:「双子の娘さんの食事を作り奥様を支えた」 火災で亡くなった猪口邦子議員の夫・孝さんの心優しき素顔 「仲むつまじい夫婦として有名」
知り合ったすぐに旦那さんの猪口孝さんの方から結婚を申し込み、猪口邦子さんも猪口孝さんの率直な人柄に魅力を感じてそれを受け、出会って数ヶ月でスピード結婚されています。
私生活では、上智大学の大学院生時代に助教授だった孝さんと知り合った。出会って間もないタイミングで「結婚してほしい」とプロポーズされた猪口氏は、率直な人柄に魅せられて「はい」と即答。1976年に24才でスピード結婚した。
引用:猪口邦子議員、自宅マンション火災で夫と長女が死亡 「政界はジャングルですが、家庭は温かい草原なんです…」幸せな日常を一瞬にして奪った猛火
当時は結婚すると女性は家庭に入るという考え方が根強くありましたが、旦那さんの猪口孝さんは先進的で、留学を希望する猪口邦子さんを後押しし、猪口邦子さんは結婚1ヶ月後にアメリカ・イェール大学に単身留学しています。
周囲からは色々な声あったのでしょうが、猪口孝さんも猪口邦子さんも学者としての信念を貫かれたのでしょう。
こうして築かれた信頼関係もあってか、猪口邦子さんと旦那さんの猪口孝さんは業界でもおしどり夫婦と呼ばれていました。
猪口邦子さんが2005年に衆議院議員選挙で初当選した時には、旦那さんの猪口孝さんが初登院に付き添った事も知られています。
上智大教授だった時代もある猪口氏とは「おしどり学者夫婦」といわれた。結婚したのは、孝さんの助教授時代。当時猪口氏は上智大大学院の学生で、結婚直後に米国に留学した。
猪口氏が2005年9月の衆院選で初当選した際、初登院時には孝さんも付き添い、夫婦そろってメディアの取材に応じたこともある。
猪口邦子の家族⑤ 子供は2人で双子の娘
猪口邦子さんと旦那さんの猪口孝さんの間には子供が2人生まれています。
猪口邦子さんと旦那さんの猪口孝さんの子供は双子の娘さんで1991年11月に生まれています。
子供出産当時、猪口邦子さんは39歳、旦那さんの猪口孝さんは47歳といわゆる高齢出産で、当時はその点でも注目されました。
猪口邦子さんの知人によると、猪口邦子さんは若い頃より子供が欲しいという考えを持っていたそうなのですが、学者としての道を優先して子供を作る事を30代後半まで自重されていたそうです。そして、キャリアを積み心理的に余裕が生まれたタイミングで子供を作り産む事を選択されたという事でした。
猪口邦子さんと旦那さんの猪口孝さんの双子の娘さんについては、一般の方ということで具体的な情報は公開されていません。
猪口邦子さんと旦那さんの猪口孝さんの双子の娘さんのうち長女は、2024年11月27日の東京都文京区小石川の自宅マンションの火事で33歳で亡くなっています。
猪口邦子の双子の娘のうち長女は自閉症だったという情報も
猪口邦子さんと旦那さんの猪口孝さんの子供は1991年に生まれた双子の娘さんですが、2人のうち火事で亡くなった長女が自閉症だったとする情報があるようです。
猪口邦子参議院議員、娘二人は双子で、そのうちの一人に
— ごみ (@dokokanosabuaka) November 30, 2024
自閉症の障害があるんじゃないかって噂があるのか
火事の動画で、ペットボトルの水を撒いてるのは謎だよな
猪口邦子さんの双子の子供のうち長女が自閉症だったという噂が浮上したのは、2006年に国会で蓮舫議員が、当時、内閣府特命担当大臣(少子化・男女共同参画担当)を務めていた猪口邦子さんに対して「障害児をもつ親の気持ちを知らないだろう」と発言したが、猪口邦子さんが自閉症の娘さんを育てているというのが一部関係者の間で知られていたため蓮舫さんへの批判が起きたというのがきっかけでした。
この件について2010年に放送された報道番組に出演した与謝野馨さん(大臣職を歴任した自民党の大物政治家、2017年に死去)が、蓮舫さんを批判した際に触れており、猪口邦子さんの娘さんが自閉症、あるいは何らかの障害を持っているという噂の信憑性が高まりました。
猪口邦子さんの双子の娘のうち長女が自閉症であるというのは真偽不明の噂ですが、猪口邦子さんの自宅マンションの火事で、旦那さんの猪口孝さんと長女が亡くなるという事件が起き、それについての「アサ芸プラス」の記事で「猪口議員が障害を抱えたお嬢さんを育てていることは、永田町では公然の秘密だった」との内容が全国紙政治部デスクの証言だとして紹介されています。
「猪口邸から出火し、逃げ遅れた人がいるようだと聞いて、政治部と社会部の内勤記者はざわつきました。猪口議員が障害を抱えたお嬢さんを育てていることは、永田町では公然の秘密だったからです。どうかお嬢さんが無事であってほしいと、祈るように中継映像を見ていました」
猪口邦子の自宅が火事になり旦那の猪口孝と長女が死亡
ここまででも触れていますが、2024年11月27日に猪口邦子さんの自宅マンション(東京都文京区)で火事があり、猪口邦子さんの旦那さんの猪口孝さんと双子の娘さんのうち長女が巻き込まれて亡くなるという悲惨な事件が起きました。
東京都文京区の猪口邦子参院議員(72)の自宅マンションが全焼し、2人が死亡した火災で、警視庁捜査1課は1日、死亡したのが猪口さんの夫であり、東大名誉教授の孝さん=当時(80)と長女=当時(33)だったと発表した。死因はいずれも焼死。
当局の発表によると、火事は11月27日の19時半頃に発生し、火元は猪口邦子さんの自宅であるマンション6階の応接室で、約150平米が全焼したという事です。火事発生当時、自宅には猪口邦子さんの旦那さんの猪口孝さんと長女がおり、猪口邦子さんと次女はそれぞれ外出中だったという事です。
猪口邦子の自宅火事ではペットボトルを手にした屋上の女性の人影が物議
猪口邦子さんの自宅での火事ですが、炎が燃え盛る屋上でペットボトルのようなものを持った女性らしき人影を撮影した動画がネット上に拡散され、この映像を一部テレビメディアも放送して物議を醸しています。
問題の猪口邦子さん自宅の火事で屋上でペットボトルを持った女性らしき人影の映像ですが、Xや一部の動画共有サイトなどで現在も視聴できます。
放火も疑われている、自民党・猪口邦子議員の自宅マンションで起きた火災事件。出火時の撮影映像に、屋上(バルコニーorベランダ?)で女性らしい人影が映し出された。一部メディアは逃げ遅れた人が助けを求めている姿と報道したが、ペットボトルのpic.twitter.com/Bef2SVSXQJ
— bindu (@bindu9649) December 5, 2024
猪口邦子さんの自宅火事の時に屋上で撮影されたというこのペットボトルを持った女性らしき人影の映像ですが、この人影が誰なのかどのような状況なのか、実際に撮影された本物の映像なのかフェイク映像なのかも含めてはっきりした事はわかっていません。
ただ、一部ではこのペットボトルを持った女性らしき人影は、火事で亡くなった猪口邦子さんの長女ではないかとの推測が出ています。
複数の局が燃え盛る炎の中、ペットボトルを持った女性らしき人物が、火災現場となった屋上付近を歩く映像を放送したのです。映像は一般人が撮影したものでした。その人影が一体誰かはわかりません。ただ、仮に猪口議員の長女だったとしても、今回は警察が事件性なしと発表しているので、この映像を流す必要があったのか
引用:猪口邦子議員、自宅マンション火災で夫と長女が死亡 「政界はジャングルですが、家庭は温かい草原なんです…」幸せな日常を一瞬にして奪った猛火
また、人影が持っているように見えるペットボトルについては、「火事の熱さに耐えかねて中の水(あるいは何らかの飲料)を頭からかぶっているように見える」、「ペットボトルの中身は可燃性の液体で放火なのではないか」などの憶測が飛んでいます。
専門家によれば、このペットボトルを持った女性らしき人影が撮影された状況は火事の最盛期で、この場所の温度は推定で800度〜1200度にまで達していて、とても動画の人影のように動き回れるような状況ではないという事で、AIなどを使った合成映像、フェイク映像ではないかとの見方も出ています。
何らかの機関により意図的に流された合成映像ではないかと疑う声もあるようですが、この人影の映像にについて既成の大手メディアは一斉に口をつぐんでおり、真相はこのまま闇に葬られそうです。
猪口邦子の自宅の火事の原因
猪口邦子さんの自宅マンションの火事の原因ですが、警視庁の発表によれば、外部からの第三者の侵入や可燃性の液体が撒かれた形跡はないという事です。
警視庁が実況見分した結果、台所に近い応接室の燃え方が激しく、火元とみられる。第三者が外部から侵入したり、油などがまかれたりした形跡はなく、警視庁が出火原因を調べている。
出火元は猪口邦子さんの自宅内の応接室と見られ、出火した原因は失火の可能性が高いと発表されています。
警視庁によると、孝氏以外のもう1人は同氏の長女(33)と確認された。死因は焼死だった。
同庁によると、出火元は部屋の応接室とみられる。現場の状況から第三者が介在した可能性は低い。現場の焼損が激しく原因は不明だが、失火の可能性が高いという。
猪口邦子さんの自宅マンションの火事の火元は応接室と発表されていますが、この応接室にはストーブや着火物は置かれておらず、火事の原因は電気火災の可能性があるとの見方も発表されています。
これまでの捜査で事件性はなく、現場にライターなどの着火物やストーブもないことから、電気火災の可能性もあるとみられています。
猪口邦子さんの自宅の火事の原因はネット上でも様々な意見が出てますが、警視庁が「事件性はない」と発表した以上は今後何か新しい情報が出てくる事はまず無いと思われます。
猪口邦子の現在
自宅マンションが火事になり、旦那さんの猪口孝さんと娘さんを亡くした猪口邦子さんが現在どうしているのかが気になるという声も見られます。
猪口邦子先生って、今なにしてるんだろ
— St Mark’s Basilica (@Tumasaki_M) December 10, 2024
国会開会中だけど出席してるの?
令和10年の参院選まで任期あるのね
猪口邦子さんは現在は現職の参議院議員ですが、現在開会中の国会に出席しているのかどうかは情報が出ておらず不明です。
猪口邦子さんはfacebookでリアルタイムに情報を発信されていましたが、火事のあった2024年11月27日の火事発生前の時刻の投稿を最後に更新が止まっていて、2024年12月11日現在まで更新がありません。
まとめ
今回は、自民党所属の参議院議員で、2024年11月27日に自宅の火事により旦那さんと娘さんを亡くした事でも注目されている猪口邦子さんについてまとめてみました。
猪口邦子さんは若い頃は上智大学やイェール大学で学んだ後、政治学者として活躍し上智大学法学部教授などを務めました。
猪口邦子さんの家族は、父親が東京海上火災保険に勤めていた横田偉一さん、祖父は著作権制度の法整備に貢献した実業家の横田昇一さん、祖母は著名な女流歌人であった横田葉子さんでした。
旦那さんは東大名誉教授の猪口孝さんで1976年に結婚し、1991年11月に双子の子供が産まれています。
猪口邦子さんの子供2人は共に娘さんで、長女が自閉症という噂がありますがこれは真偽不明です。
2024年11月27日に猪口邦子さんの東京都文京区の自宅マンションで火事があり、旦那さんの猪口孝さんと長女が亡くなりました。この火事では燃え盛る炎の中、屋上でペットボトルを手に持った女性のような人影が動く動画がネット上に拡散され、一部のテレビメディアがこの映像をニュース番組で放送して物議を醸しています。
猪口邦子さんの自宅の火事の原因ははっきりわかっていませんが、警視庁は事件性はなく失火の可能性が高いと発表しています。
猪口邦子さんは現在も現職の参議院議員ですが、自宅の火事の後はSNSの更新が停止しており、現在開催中の国会に出席しているのかどうかも情報がなくわかっていません。