2004年に起こった「津山小3女児・筒塩侑子さん殺害事件」の犯人として逮捕された勝田州彦ですが、一旦は罪を認めて自白をしたものの、その後否認に転じ無罪を主張し続けていました。
この記事では、勝田州彦のプロフィール、生い立ちや実家の親など家族、加古川小2女児殺害事件など余罪の噂、そして事件の判決と現在をまとめました。
この記事の目次
勝田州彦が起こした「津山小3女児殺害事件」とは
津山小3女児殺害事件、2004年に筒塩侑子さんが殺害されていた
「津山小3女児殺害事件」とは、2004年9月3日に岡山県津山市にて、当時小学3年生だった筒塩侑子さんが殺害された事件となります。
警察の捜査により、犯行時間は帰宅直後の15時15分から約20分と見られている。遺体の傷は、すべて正面からの刺し傷で、抵抗の跡はなかった。手や腕、背後に傷はなかった。刺し傷は深いもので数センチあり、内臓に達しているものもあった。2004年9月4日の司法解剖で死因が「窒息・失血」の疑いであると判明。
引用:津山小3女児殺害事件
筒塩さんが殺害された現場は自宅となっており、事件時母親はパートに出かけて不在だったらしく、学校から帰宅した姉が妹の遺体を発見することになりました。
岡山県警が1350人体制で必死の捜索に当たった「津山小3女児殺害事件」でしたが、「現場付近で怪しい若い男を見た」との目撃情報があったものの、犯人逮捕に繋がる手がかりは見つからない状況が続きました。
津山小3女児殺害事件、2018年に容疑者が逮捕された
このまま未解決事件入りかと思われていた「津山小3女児殺害事件」ですが、警察の執念の捜査が実を結び、2018年5月に容疑者として勝田州彦が逮捕されるという急転直下の展開を迎えました。
勝田州彦は当時別件で服役中の犯罪者だったそうで、警察側が「津山小3女児殺害事件」と類似した事件の犯人を洗い直している最中に浮上して来た疑惑の人物だったとか。
本人の自供によると、事件当日の勝田州彦は、自宅のある兵庫県加古川市から鳥取砂丘にドライブへ行く途中に津山市で小休止を入れたところ、1人で下校中の筒塩侑子さんの姿を発見したそうです。
その後、いたずら目的のために筒塩さんの後をつけて声をかけたという勝田州彦ですが、騒がれたために黙らそうとしている内に殺害してしまったといいます。
勝田容疑者の説明では、帰宅した筒塩さんに、時間を尋ねるふりをして玄関で声をかけた。筒塩さんが部屋に戻って時間を確認しようとしたところを一緒に中に入ったという。「騒がれたので首を絞めた。顔色が悪くなったので怖くなって逃げた」と話している。
勝田州彦の逮捕の一報に対しては、ネット上でも厳しい意見が飛び交うことになりました。
勝田州彦とかいう異常性癖者が何回も事件起こしてんのに、野放しにしてる警察然り法律は一体どーなってんの?被害者の為の法律ではなく、加害者を守る法律とかホントにキモい。こんなクズに人権なんて与えるな。さっさとお望み通り腹掻っ捌いて56せ。
— 多愚痴 (@TaguchiNoGuchi) May 31, 2018
勝田州彦の生い立ちとプロフィール…家族が警察関係者だった
勝田州彦、父親が警察官で母親は警察職員の公務員一家だった
勝田州彦(かつだ くにひこ)
生年月日:1978年12月31日
出身地:兵庫県加古川市
身長:170cm
1978年に兵庫県加古川市に生まれた勝田州彦ですが、父親が兵庫県警の警察官、母親は兵庫県警の職員という公務員一家の出でした。
両親共に警察関係者ということもあり、厳しいしつけを受けて育ったという勝田州彦に関しては、水泳が得意だったため推薦で私立市川高校に進学するなど、体育会系の一面もありました。
高校時代も周囲とトラブルを起こすことなく過ごした勝田州彦は、卒業後は海上自衛隊に入隊したものの、集団行動に馴染めずに数ヶ月で退職してしまうことになります。
とはいえ、経済的に恵まれた家庭環境にあった勝田州彦は、自衛隊を退職後は大阪外語専門学校キャビンアテンダント・エアライン科に入学し、エアポートスタッフになるべく勉強をしていたようです。
専門学校を卒業後はアメリカに留学するなど、勝田州彦には挫折を取り戻すチャンスがいくらでもあったと言えます。
勝田州彦、帰国後は職を転々としていた
アメリカから帰国後の勝田州彦に関しては、空港関連の企業に就職することはなかったようで、郵便局や運送会社で働いていたと言われております。
とはいえ、人間関係のストレスに人一倍弱かった勝田州彦は、仕事が長続きせずに職を転々としていました。
そのため、一部では実家に引き籠りがちだったとの報道もあった勝田州彦でしたが、本人のFBを確認すると、大阪外語専門学校時代に取った各種資格が生きたのか、製造業関連の企業で働いていたようですね。
・中型免許
・フォークリフト免許
・床上操作式クレーン
・乙類4種危険物取扱者
・甲種防火管理者
・英検準2級
勝田州彦の異常な性癖とは?…アニメとイジメのせいで目覚めた
勝田州彦は、人間関係に悩むと自身の腹部を刃物で刺してストレスを解消するといった悪癖の持ち主でした。
勝田州彦が自傷行為に目覚めた原因については、中学時代に受けたイジメがきっかけだったようです。
その後高校に進学すると、アニメオタクに変貌することとなった勝田州彦は、倒錯した性癖にも目覚めるようになったとか。
美少女キャラが登場するアニメに熱中するようになり、女の子が苦しむ様子を見たいという衝動が強まったのだ。シャツを着たまま自分の腹部を刺したとき、流れ出る血がシャツを染めていくのを見て女の子が腹部から血を流して苦しんでいる姿を想像し、〝性的興奮〟を得るようになった。
この時目覚めてしまった性癖が、勝田州彦を犯罪者に育て上げてしまったことは言うまでもありません。
勝田州彦の犯罪歴…過去に3度の逮捕歴があった
勝田州彦の逮捕歴① 暴行罪と強制わいせつ罪で執行猶予判決
勝田州彦の犯罪歴は、2000年にスタートしており、女児6名の腹部を殴ったり下腹部をなでまわした容疑で逮捕されています。
被害者家族たちとの間で示談でも成立したのか、この時は執行猶予判決で済んだ勝田州彦ですが、両親より病院の精神科に通わされる羽目になりました。
そのまま治療を受け続けていれば、犯行がエスカレートすることもなかったように思われる勝田州彦でしたが、途中から通院を辞めてしまったとか。
ちなみに、藤田州彦の逮捕を受けて、母親は兵庫県警を退職する羽目になってしまったそうです。
勝田州彦の逮捕歴② 傷害罪で懲役4年判決
勝田州彦は、2010年1月に2度目の逮捕の憂き目となっています。
この時の勝田州彦には、2009年に兵庫県姫路市などで6歳から18歳の少女5名を襲撃し、腹部を殴打したりドライバーでつついたりした容疑がかかっており、懲役4年の有罪判決を受けることになりました。
服役中は「性犯罪者処遇プログラム」を受けることとなった勝田州彦でしたが、出所後まもなく新たな犯罪に手を染めていることを踏まえると効果は薄かったのでしょうね。
ちなみに、勝田州彦の父親も2018年以前に警察を退職しているとの話なため、息子が実刑判決を受けた2度目の逮捕騒動時にケジメをつけたのかもしれませんね。
勝田州彦の逮捕歴③ 殺人未遂罪で懲役10年判決
勝田州彦の3度目の逮捕騒動は、2015年5月となります。
この時の勝田州彦は、実家から兵庫県姫路市内のショッピングセンターまで車で移動すると、事前に用意していた自転車に乗り換え、2時間ほど周囲を物色していました。
その結果、1人で下校中だった中学3年の女子生徒を発見した勝田州彦は、声をかけるふりをして隠し持っていたナイフで襲撃したといいます。
次の瞬間、勝田被告は女子生徒の右腕をつかみ、持っていたナイフで両腕や胸、腹などを数回突き刺した。女子生徒が大声で助けを求めたため、勝田被告は近所の住民に目撃されることを恐れ、自転車に乗って逃走した。女子生徒は病院に運ばれ命に別条はなかったものの、全治1カ月の重傷を負った。
防犯カメラの映像などから足が付き事件の8日後に逮捕された勝田州彦は、精神鑑定を受けることとなったようですが、責任能力には問題なく、今度は懲役10年の実刑判決が下ることになりました。
ちなみに勝田州彦は、この事件での服役中に「津山小3女児殺害事件」の犯人であることを自供したことになります。
勝田州彦の余罪の噂…「加古川小2女児殺害事件」など2つの未解決事件への関与が疑われていた
勝田州彦の余罪の噂① 「加古川小2女児殺害事件」
勝田州彦には、近隣で「津山小3女児殺害事件」と類似した未解決事件があることから、その真犯人ではないかと疑われてもいるようですね。
2015年に女子中学生ナイフで刺した犯人が実は津山や加古川の事件の犯人だって説は噂されてたけど
— ノヨミDX (@Tokei0024) May 29, 2018
まさか半分あたりとは。
未解決事件の犯人はだいたい刑務所にいる説にまた例がひとつ
勝田州彦の余罪ではないかと疑われている事件には、2007年10月に、兵庫県加古川市で起こった「加古川小2女児殺害事件」があります。
「加古川小2女児殺害事件」に関しては、事件当日の夕方に、自転車で帰宅中だった生鵜瀬柚希さんが、自宅前の路上にて何者かの襲撃を受けて胸と腹部を刺された事件となります。
悲鳴を聞きつけて家族が駆け付けた時には犯人は逃走した後だったそうで、病院に搬送された後に死亡した瀬柚希さんの「大人の男にやられた」との証言が残るのみでした。
その後、犯人に繋がる手がかりもなく迷宮入り状態の「加古川小2女児殺害事件」だけに、警察側も「勝田州彦犯行説」を念頭に入れて事情聴取をする意向があるとの記事もあり、遺族にとっては進展が待ち遠しい案件と言えます。
勝田州彦の余罪の噂② たつの市小4女児殺人未遂事件
勝田州彦には、2006年9月に起こった「たつの市小4女児殺人未遂事件」の真犯人ではないかとの疑惑も存在します。
こちらの事件に関しては、事件当日の夕方に、兵庫県たつの市内の学習塾前の路上で、小学4年生の女児が刃物で襲撃された事件となります。
左胸と左腕に負傷を負った女児の証言によると、犯人は身長170cm程度の男だったようで、女児の背負ったリュックサックを勝手に触ろうとしたので拒んだところ、態度を豹変させて襲ってきたそうです。
「たつの市小4女児殺人未遂事件」では、現場近くの防犯カメラに犯人らしき不審者が映っていたという幸運があったものの、捜査は進展しないまま迷宮入り状態となっています。
そのため、「たつの市小4女児殺人未遂事件」についても、警察側は勝田州彦の関与を疑っているとの記事も存在する状況です。
勝田州彦の現在①「津山小3女児殺害事件」にて起訴されるも無罪を主張
勝田州彦については、再逮捕後の2018年6月に、一転して「津山小3女児殺害事件」への関与を否認し始めたようです。
勝田州彦の主張によると、「否認したまま起訴されて有罪になった場合、最悪死刑もあり得る」との弁護士のアドバイスに怖気ついてしまい、虚偽の自白をしてしまったとか。
意見陳述で弁護人から「刃物で刺した」とする供述について問われた勝田容疑者は、「弁護士に死刑になる可能性を知らされて怖くなり、認めれば(情状酌量で)死刑にならないと考え、うその供述をした」と述べた。刃物の種類や捨てた場所などについては「適当に答えた」という。
とはいえ、検察側は勝田州彦が犯人であることへの確信が強かったようで、4ケ月半にも及ぶ精神鑑定の結果責任能力が問えることを再確認すると、2018年11月に「殺人と強制わいせつ致死などの容疑」にて勝田州彦を起訴しています。
2021年10月に開かれた裁判員裁判の初公判で、勝田州彦は「私は絶対にそのようなことはやっていません。事件の日は、現場にも津山市にも行っていません」と述べています。
勝田州彦の弁護側も、取り調べでの自白は信用できないこと、また、現場にDNA型など事件と勝田州彦を結びつける証拠がないことなどを理由に無罪を主張し争う状況が続いていました。
勝田州彦の現在②「津山小3女児殺害事件」にて無期懲役の判決が確定
出典:https://ameblo.jp/
勝田州彦は無罪を主張していましたが、岡山地裁は遺体の傷の数や形状といった客観的事実と、自白した殺害状況が一致することを根拠に勝田州彦を犯人と認定。2022年1月に無期懲役を言い渡しています。
岡山女児殺害事件で無期懲役とされた勝田州彦(くにひこ)被告(43)の弁護人を務めた賀川進太郎弁護士は6日の判決後、岡山地裁近くで記者会見し、「結論ありきの判決だ。無罪が出ると考えていたので甚だ遺憾」と険しい表情で判決を批判し、「被告は犯人ではない」と訴えた。
勝田州彦の弁護側は即日控訴しましたが、広島高裁での2022年9月の控訴審判決でも、「自白の信用性に関する判断は変わらない」として無期懲役とした1審の判決が支持され控訴は棄却されています。
この判決を不服として、勝田州彦の弁護側は上告。しかし、最高裁は2023年9月に上告を退け、これに対し勝田州彦側は異議申し立てを行っています。
その後、最高裁は2023年9月20日付で異議申し立ての棄却も決定し、勝田州彦の無期懲役の判決が確定しました。
岡山県津山市で2004年に小学3年の女児=当時(9)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われ、上告を棄却された無職勝田州彦(くにひこ)被告(44)側の異議申し立てを棄却する決定がなされていたことが25日、最高裁への取材で分かった。決定は20日付。無期懲役の一、二審判決が確定する。下校直後の自宅で襲われ、地域に衝撃を与えた事件の発生から19年余り。
勝田州彦についてまとめると…
勝田州彦に関しては、過去に少女を狙った犯罪を繰り返し3度の逮捕歴があり、「津山小3女児殺害事件」でも逮捕された人物となります。勝田州彦は「津山小3女児殺害事件」について自供したものの、一転関与を否認。しかし、自白は信用できると判断され無期懲役の判決が確定しています。
筒塩侑子さんのご冥福を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。