長年活躍されていた人気タレントの笑福亭笑瓶さんが66歳という若さで急逝され悲しみが広がっています。
この記事では笑福亭笑瓶さんの若い頃の経歴や画像、結婚した嫁や子供や息子など家族、豪邸の自宅や死因の、ワクチンとの関連の噂などについてまとめました。
この記事の目次
- 笑福亭笑瓶のプロフィール
- 笑福亭笑瓶の若い頃① 高校時代に俳優を志し「スクールメイツ」に入団
- 笑福亭笑瓶の若い頃② 笑福亭鶴瓶に弟子入りし「突然ガバチョ!」に出演
- 笑福亭笑瓶の若い頃③ 東京進出後「ものまね王座決定戦」のモノマネ芸で全国区に
- 笑福亭笑瓶の若い頃④ 数々の人気バラエティに出演し絶大な人気を獲得
- 笑福亭笑瓶の家族① 父親は銀行マンで母親は生命保険の外交員
- 笑福亭笑瓶の家族② 兄と姉がいる3人きょうだいの末っ子だった
- 笑福亭笑瓶の家族③ 嫁は10年交際して結婚した一般女性の渡士智子さん
- 笑福亭笑瓶の家族④ 子供や息子がいるという情報はなし
- 笑福亭笑瓶の自宅は東京都目黒区の高級住宅街に建つ豪邸
- 笑福亭笑瓶の死因は「急性大動脈解離」
- 笑福亭笑瓶の死因とコロナワクチンの関連を疑う声も
- まとめ
笑福亭笑瓶のプロフィール
笑福亭笑瓶のプロフィール
本名 :渡士洋(とし・ひろし)
生年月日:1956年11月7日
没年月日:2023年2月22日(66歳没)
出身地 :大阪府大阪市住吉区
身長 :168cm
血液型 :O型
笑福亭笑瓶(しょうふくてい・しょうへい)さんは、1980年代から2023年に亡くなられるまで活躍を続けていた人気タレントです。
笑福亭笑瓶さんは、大阪芸術大学芸術学部文芸学科を卒業後、落語家でタレントの笑福亭鶴瓶さんに弟子入りし、付き人としてタレント活動を開始。
若い頃は、毎日放送「突然ガバチョ!」、「ヤングタウン土曜日」など関西のローカルテレビ番組やラジオ番組に出演し、明るいキャラクターでお茶の間の人気者になりました。
1987年に本格的に東京へと進出して全国区の人気を獲得。複数のバラエティ番組へのレギュラー出演や20年以上務めた風邪薬「コンタック」をはじめとするテレビCMへの出演、俳優としてのテレビドラマ出演など活躍の幅を広げました。
TBS系列の「噂の!東京マガジン」や、読売テレビの「大阪ほんわかテレビ」などに長年レギュラー出演を続け、2021年のNHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」にも出演するなど近年も元気に活躍されていましたが、2023年2月22日に66歳という若さで急死した事が発表され、その死を悼む声が多く上がっています。
ここでは、笑福亭笑瓶さんの若い頃の画像や経歴、家族や結婚や嫁、子供、死因やワクチンとの関連の噂などを中心に改めて紹介していきます。
笑福亭笑瓶の若い頃① 高校時代に俳優を志し「スクールメイツ」に入団
笑福亭笑瓶さんは、大阪府大阪市住吉区の出身で、小学校時代はアイドル歌手や俳優を夢見ていたそうです。その頃から人を笑わせる事が好きで、授業中でもいつも周りと喋っていたため勉強の成績はオール1に近かったのだとか。
小学校卒業後は、大阪市立我孫子中学校を経て、天王寺区の私立校「興國高等学校」へと進学しています。中・高校時代はサッカー部に所属し、喫茶店でのアルバイトも経験されています。
そして、高校1年生だった1972年には、芸能界を目指して、渡辺プロダクションのタレント養成所の選抜メンバーで構成されたグループ「スクールメイツ」に入団。
当時は俳優デビューを目指し、積極的に芸能プロダクションに自分を使ってほしいというアピールを綴ったハガキを出していたそうです。
その中でも、人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」への憧れから、笑福亭笑瓶さんはドラマ制作現場宛に、自分を新たな刑事役に推す「企画書」を書いて送った事も後に明かされています。
自分で考えた大阪弁を話すやり手の麻薬捜査官役を演じたいという、熱意ある内容でしたが、残念ながら番組側からの返信はなく、太陽にほえろ!での俳優デビューは叶わなかったそうです。
高校時代の笑福亭笑瓶さんは、放課後によく映画を観ていて、松田優作さんに憧れて長髪にしてピチピチのジーパンを履いていた事なども話されています。その頃はヤンチャな一面もあったようで、タバコを吸ったり、原付を無免許で運転して警察のお世話になった事もあったのだとか。
笑福亭笑瓶の若い頃② 笑福亭鶴瓶に弟子入りし「突然ガバチョ!」に出演
笑福亭笑瓶さんは高校3年生の時には、日本大学芸術学部を目指して猛勉強をしたそうなのですが受験に失敗。1浪して大阪芸術大学芸術学部文芸学科に進学されています。
大学時代の笑福亭笑瓶さんは、ミュージシャンを目指してレゲエバンドを組むなど、変わらず芸能界を夢見て活動を続けられていました。
大学時代はアルバイトにも明け暮れていたそうで、JR大阪環状線の天満駅近くの扇町公園へ行って手配師のおじさんから日雇いの仕事をもらって働いていたそうです。
当時は、花火大会の警備や廃品回収、干し椎茸の袋詰め作業などのアルバイトをして、日給で6000円から1万円ほどを稼ぎながら生活されていたのだとか。アルバイトに明け暮れながらも、笑福亭笑瓶さんは大学はしっかり卒業されています。
笑福亭笑瓶さんは大学卒業後も就職はせず、アルバイトをしながら生活されています。そんな頃にMBSラジオの番組「MBSヤングタウン」やラジオ大阪の「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」での笑福亭笑瓶さんの抜群にうまいトークに魅せられ、「弟子になるんなら、あの人やな」と心に決め、ラジオ大阪の入り口で出待ちをして、笑福亭笑瓶さんに弟子入りを志願されたそうです。
ただ、この時は笑福亭鶴瓶さんに「どこかで働いて社会勉強して、それでどうしてもというなら、もういっぺん来い」と言われ、弟子入りは叶わなかったそうです。
その後、笑福亭笑瓶さんは1年半ほど生花問屋のトラック配送のアルバイトをされています。しかし、ある日、なんの理由の説明もされないまま突然給料を下げられてしまい、笑福亭笑瓶さんは「当てにならんこと、いつまでしててもしゃあない」と思い、もう1度初心に帰って芸能界を目指そうと心に決められたそうです。
そんな時にちょうど、笑福亭鶴瓶さんから「今、何してんの?」と電話があり、そのまま弟子にしてもらったのだとか。これが1981年で笑福亭笑瓶さんが24歳の頃でした。
当時、笑福亭鶴瓶さんは大阪でタレントとして絶大な人気を誇り、落語家を名乗りながらも落語はほとんどしていませんでした。そのため、笑福亭笑瓶さんは弟子を取る事には消極的だったそうなのですが、落語の大師匠である笑福亭松鶴さんから「弟子になりたいと来た奴はとれお前!とにかく取れ!」と言われ、渋々笑福亭笑瓶さんを弟子にする事にしたそうです。
この時、笑福亭鶴瓶さんは「俺、ほとんど落語やれへんで」と笑福亭笑瓶さんに伝えたそうなのですが、これに笑瓶さんは「いえ、僕も落語する気ないですから」と返したのだとか。
笑福亭鶴瓶さんはそこで、「うちの嫁と大師匠の笑福亭松鶴に気に入られれば弟子入りを認める」と条件を出します。
鶴瓶さんの嫁にはすぐに気に入られ、次に笑福亭松鶴さんに対面した際に「君は人を笑わせるのが好きか」と問われた笑福亭笑瓶さんは「好きです!」と即答。それをみた松鶴さんは「この子も落語家や。この子に笑福亭の名前とお前の字をあげなさい」と鶴瓶さんに伝え、正式に笑福亭笑瓶さんの弟子入りが認められました。
さらに松鶴さんは、笑福亭笑瓶さんに「こいつ(鶴瓶さん)の生き様を見習え」とも伝えています。
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その後、笑福亭笑瓶さんは鶴瓶さんの付き人をしながら芸能活動をはじめ、鶴瓶さんが司会を務めていた毎日放送の公開バラエティ番組「突然ガバチョ!」にレギュラーに抜擢され、パントマイムを使ったコントを披露する「ショーヘイ・ショータイム」のコーナーで人気を急上昇させブレイクを果たしました。
笑福亭笑瓶の若い頃③ 東京進出後「ものまね王座決定戦」のモノマネ芸で全国区に
「突然ガバチョ!」の「ショーヘイ・ショータイム」コーナーで人気を上げた笑福亭笑瓶さんは、東京のテレビ番組への出演も増やし、当時から国民的な人気のあったフジテレビのモノマネバラエティ特番「ものまね王座決定戦」や、片岡鶴太郎さんの冠番組「鶴ちゃんのプッツン5」に出演し全国的な知名度を得ます。
笑福亭笑瓶さんと言えば
— mamoru-guard-J.Boy🇯🇵 (@lahaina_moon) February 22, 2023
「鶴ちゃんのプッツン5」で演じられてたWickyさんのワンポイント英会話が忘れられない
すげー笑わせていただきました
ご冥福をお祈りします pic.twitter.com/PyuZ41CrXo
この頃の共演者であった山田邦子さんや片岡鶴太郎さんに東京に拠点を置く「太田プロダクション」への移籍を誘われます。
当時は大阪で活躍するタレントが東京へ進出するのはとても珍しく、最初は笑福亭笑瓶さんも乗り気ではなかったそうなのですが、師匠の笑福亭鶴瓶さんが、笑福亭笑瓶さんを全国区で売れさせたいとの親心から「松竹に居てたってアカンで、向こうへ行け」と背中を押し、東京進出が実現したのだそうです。
現在では、大阪で活動する芸人が東京進出するのは当たり前になっているが、当時はまだ珍しかった。 これについて鶴瓶は「松竹では売れへんからよ」と説明する。「お前、絶対(松竹に)居てても売れへんよって。オレもやっぱり売れさせたいから、だから東京のところに頼もうとしたわけですよ。『松竹に絶対、居てたってアカンで』ってオレが言うたんです。向こうへ行けって」
30歳だった1987年に東京へ進出した笑福亭笑瓶さんは、さらに全国放送のテレビ番組への出演を増やし、「ものまね王座決定戦」での人気「魔法使いサリー」の主人公・サリーちゃんの友達のよしこちゃんや、「鶴ちゃんのプッツン5」でのアントン・ウィッキーさんのモノマネなどの定番ネタで本格的にブレイク。
笑福亭笑瓶さんはモノマネ芸で一世を風靡し、俳優で名司会者でもあった柳生博さんのモノマネ芸でも絶大な人気を集めました。特に当時の中・高校生からは圧倒的な支持を得ていました。
笑福亭笑瓶さんの急逝が報じられた時には、ネット上でも往年のモノマネでの活躍を絶賛し懐かしむ声が溢れていました。
ものまね王座決定戦における笑福亭笑瓶は、優勝には届かないものの手堅く楽しめるネタで番組を支える名脇役でした。柳生博「野球拳」の「柳生になるなら 一九分けにしやしゃんせ 奥さん ちょっと待って ハンターチャンス」は、番組の長い歴史の中でもトップレベルの名作替え歌だと思います。 pic.twitter.com/LrZAFIErk4
— ものまね研究会 (@monomane1105) February 22, 2023
笑福亭笑瓶さんの訃報ニュース
— アラクレ (@arakure555) February 22, 2023
柳生博さん・よしこちゃんのモノマネ、ガキ使のショウヘイヘイ、噂の東京マガジン等ひょうひょうとしたキャラが好きでした。お悔やみ申し上げます pic.twitter.com/lpaRhVPmNz
笑福亭笑瓶の若い頃④ 数々の人気バラエティに出演し絶大な人気を獲得
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東京進出で本格的なブレイクを果たした笑福亭笑瓶さんは、その後は数々の人気バラエティ番組に引っ張りだこの売れっ子タレントとなっています。
若い頃の笑福亭笑瓶さんがレギュラー出演していた代表番組としては、フジテレビ「夕やけニャンニャン」、TBS「MOGITATE!バナナ大使」、「オールスター感謝祭」(歴代最多出場者)、日本テレビ「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」、読売テレビ「ダウンタウンDX」、NHK「ためしてガッテン」、読売テレビ「HAMASHO」などがあります。
特に、ダウンタウンの浜田雅功さんとのコントでのコンビは人気でした。
笑福亭笑瓶さんといえば浜ちゃんとの「HAMASHO」での「風俗刑事」が好きでした。特に第1シリーズのトシさんとハンサムの頃が好きでした… pic.twitter.com/ZBQgqLLPb1
— キネコ (@kinekoV) February 22, 2023
笑福亭笑瓶さんの急逝を受けて「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」、「噂の東京マガジン」、「アメトーーク!」など、現在も放送されている縁のある番組で追悼特番が組まれ、往年の名場面が数多く紹介されていました。
笑福亭笑瓶さん追悼のガキ使を観ました。ショウヘイヘーイも観れた。
— 山下メロ | 平成レトロ・スケルトン・ファンシー絵みやげ (@inchorin) March 5, 2023
噂の東京マガジンに、先日のアメトーーク!、そしてダウンタウンのガキの使いやあらへんで。ここまで偲ばれるのは、お人柄なんだなと思いました… pic.twitter.com/lI53AiCLNj
いかに笑福亭笑瓶さんが周囲から愛されていたのかが伝わってきます。
笑福亭笑瓶の家族① 父親は銀行マンで母親は生命保険の外交員
続けて、笑福亭笑瓶さんの家族についてもまとめていきます。
笑福亭笑瓶さん本人が「日刊ゲンダイ」で語ったところによると、笑福亭笑瓶さんの父親は銀行マン、母親は生命保険の外交員として働かれていたそうです。
オトンは銀行マンやったんです。そやけど仕事は庶務係に所属する小使いさんやったんで、一般入社の社員さんと違うて給料はえらい安かったみたいでね。それでオカンは家計を助けるために生命保険の外交員してました。
笑福亭笑瓶さんの少年時代の家族の暮らしは貧しかったそうで、ご飯のおかずはいつも1品、おかずがなくてきな粉ご飯だけの日もあったそうです。
おやつには、大麦の粉で作る「はったい粉」が定番で、笑福亭笑瓶さんはお腹が空くといつもそれを自分で作って食べていたのだそうです。
また、両親が共働きで末っ子だったことから、鍵っ子で、学校から帰るといつも1人で遊んでいたそうです。
笑福亭笑瓶さんの父親は80歳で他界され、母親は2016年の時点で94歳ながら元気にされていると話されていた事がありましたが、現在もご存命であるかまでは情報がなく不明です。ちなみに、笑福亭笑瓶さんは自分の顔が母親の若い頃によく似ていると話されていた事もありました。
なお、笑福亭笑瓶さんの父親が梱包資材を扱う商店を経営しながら画家を目指していたとの情報が一部サイトに書かれていますが、こちらは師匠の笑福亭鶴瓶さんの父親のエピソードが混同されたもので事実ではありません。
笑福亭笑瓶の家族② 兄と姉がいる3人きょうだいの末っ子だった
笑福亭笑瓶さんは兄と姉が1人ずついる3人きょうだいの末っ子です。
兄と姉がいて、ボクは末っ子です。
笑福亭笑瓶さんの兄や姉については具体的な情報がなくどのような方かは不明です。
ただ、笑福亭笑瓶さんには、兄の子供か姉の子供は不明ながら甥っ子が1人おり、この甥っ子は東京大学大学院で複雑系物理学を修了されている極めて優秀な方だという事です。この甥っ子についてもこれ以上は情報がなく現在何をされているのかは分かりません。
また、笑福亭笑瓶さんの姉が新潟県魚沼市に住んでおり、名前が美知子さんだという情報が出回っていますが、こちらも師匠である笑福亭鶴瓶さんのお姉さんの情報が混同されたもので誤情報です。
笑福亭笑瓶の家族③ 嫁は10年交際して結婚した一般女性の渡士智子さん
笑福亭笑瓶さんは、1984年、27歳の時に結婚されています。
笑福亭笑瓶さんの嫁は、大学生時代に喫茶店でナンパして知り合ったという一般女性の渡士智子さんという方で約10年の交際を経て結婚されています。
笑福亭笑瓶さんはこの嫁の渡士智子さんが初体験の相手で、一途に交際を続けて結婚した事を明かされた事もありました。また、結婚後に最初の誕生日を嫁に忘れられて、その事を今でも根に持っている事などを冗談まじりに話されていた事もあります。
他にも笑福亭笑瓶さんは売れてからもずっと小遣い制で、金銭面は全て嫁の渡士智子さんに管理を任せている事なども明かしており、信頼し合う仲の良い夫婦関係だった事が窺えます。
ただ、笑福亭笑瓶さんの嫁の渡士智子さんは一般の女性という事で、顔画像や年齢、どこの出身の方なのかなどの具体的な情報は明かされていませんが、笑福亭笑瓶さんの葬儀の際に喪主を務めた事がメディアで報じられて名前が智子さんである事がわかっています。
祭壇はトレードマークの黄色い眼鏡姿の笑瓶さんがほほ笑む遺影が飾られ、黄色の花をメインに彩られたという。出棺では喪主の妻、渡士智子(とし・さとこ)さんが位牌を持ち、故人の弟弟子らが霊柩車に棺を運んだ。
笑福亭笑瓶の家族④ 子供や息子がいるという情報はなし
笑福亭笑瓶さんには嫁の智子さんとの間に子供がいて、その子供は息子で孫もいるといった情報があるようですが、この情報の出所は不明で、信頼性の高いメディアで笑福亭笑瓶さんに息子や孫がいるといった情報は一切見つからないため、実際には子供がいない可能性が高いようです。
また、笑福亭笑瓶さんの葬儀に関する報道でも、笑福亭笑瓶さんの子供が参列したといった内容は1つも確認できません。
こうした事からも笑福亭笑瓶さんには子供はおらず、息子が孫もいるという情報は誤情報の可能性が高いようです。
笑福亭笑瓶さんは2匹の犬を飼っていて、とても大切に育てられている事を明かされているので、この犬達が子供代わりのような存在になっているのかもしれません。
笑福亭笑瓶の自宅は東京都目黒区の高級住宅街に建つ豪邸
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笑福亭笑瓶さんの自宅は、東京都目黒区の高級住宅街に建つ豪邸である事が知られています。
笑福亭笑瓶さんの自宅ですが2007年放送の日本テレビ系列の情報バラエティ番組「今田ハウジング」で少しだけ紹介されていました。
番組での紹介では、笑福亭笑瓶さんの自宅の書斎はコンクリート打ちっぱなしの壁、アンティーク調のシックな木製の机、革張りの木製チェア、メタリックなデザインのデスクライトやオイルヒーター、大型スクリーンが置かれたかなりおしゃれでインテリアにこだわった部屋でした。
また、ゴルフパットセットが置かれ、窓からは愛車のベンツがライトアップされているガレージが見下ろせるなど、その贅沢な暮らしぶりが窺えるような内容でした。
笑福亭笑瓶さんの自宅の値段や坪数、全体の間取りなどは公開されていないのですが、ネット上ではその外観の豪邸ぶりから3億円はくだらないのではと予想されています。
笑福亭笑瓶の死因は「急性大動脈解離」
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笑福亭笑瓶さんは、2023年2月22日に66歳という若さで亡くなられています。
死因は「急性大動脈解離」と発表されています。
落語家の笑福亭笑瓶(しょうふくてい・しょうへい)さん(本名・渡士洋=とし・ひろし)が急性大動脈解離のため、22日午前に急死したことが分かった。所属事務所が認めた。66歳。
報道によれば、亡くなる1週間前の2月16日の番組収録には元気な様子で参加されていたそうで、あまりにも突然の急死だったという事です。
関係者からの情報として、笑福亭笑瓶さんは2月21日に自宅で倒れ、翌日の午前中に亡くなったという事も報じられています。
関係者によると、21日に自宅で倒れ、家族による懸命な看病が続いたが、この日午前、亡くなった。32年間にわたりレギュラー出演していた「噂の!東京マガジン」を放送するBS―TBSの伊佐野英樹社長はこの日の定例会見で「さきほど聞いて、スタッフ一同、びっくりしている」と驚きを隠さなかった。16日の番組収録にも参加しており、元気な様子だったという。
また、亡くなったのは自宅ではなく、緊急搬送された病院で家族に見守られながら亡くなられたということです。
笑福亭笑瓶さんは2015年12月29日に、プライベートでの千葉県でのゴルフ中に体調不良を訴えてドクターヘリで千葉県内の病院に救急搬送された事がありました。この時には約2週間の入院の後に2016年1月14日に無事退院されていましたが、この時も今回発表された死因と同じ「急性大動脈解離」だった事を公表していました。
昨年末、ゴルフ中に不調を訴えドクターヘリで緊急搬送され、一命を取りとめた落語家でタレントの笑福亭笑瓶さんが、25日放送のバラエティー番組「ダウンタウンDX」(読売テレビ・日本テレビ系)に出演。収録で緊急搬送された理由が「急性大動脈解離だった」ことと当時の状況を明かす。
笑福亭笑瓶さんは2015年に急性大動脈解離で倒れた後は生活習慣を見直し、1日3~4箱吸っていたというタバコをやめて、炭水化物も控える生活を送られていたそうです。
笑福亭笑瓶さんは1度命の危険を感じた事から、一瞬一瞬を大切に生きるようになったとも話されていて、健康寿命を延ばして元気で長生きしたいと思いますとも話されていたので、今回の事はとても悔しかったのではないかと想像されます。
笑福亭笑瓶の死因とコロナワクチンの関連を疑う声も
笑福亭笑瓶さんの死因は「急性大動脈解離」と発表されていますが、例のごとく、この死因と新型コロナワクチンとの関連を疑う声がネット上で見られます。
これは、笑福亭笑瓶さんの死因である急性大動脈解離が、コロナワクチンの接種後に起きたという事例が報告されている事が根拠とされているようです。
しかし、厚生労働省のウェブサイトでは、ワクチン接種後に急性大動脈解離が起きたという事例は報告されているものの、ワクチンを接種していない人にもある程度の頻度で起きているため、ワクチンとの接種後に大動脈解離が起きたとしても、それだけでワクチンが原因で起きたとはいえないと説明しています。
ワクチン接種後に、くも膜下出血や急性大動脈解離が起きたという事例が報告されていますが、これらの病気はワクチンを接種しない人にもある程度の頻度で常に起こっています。多くの人がワクチンを接種しているので、偶然こうした病気がワクチン接種後に生じることもありえます。ワクチン接種後に起きた好ましくない出来事は、ワクチンと時間的に前後関係があっても、必ずしもワクチン接種のために起こった(因果関係のある)「副反応」というわけではありません。
コロナワクチンについては様々な情報が飛び交っていますが、自分自身でよく調べた上で判断し、接種するかどうかを決めるのが良いかと思います。
まとめ
今回は、2023年2月22日に66歳という若さで亡くなられた人気タレントの笑福亭笑瓶さんについてまとめてみました。
笑福亭笑瓶さんは、学生時代から芸能界を夢見て、大学卒業後に笑福亭鶴瓶さんに弟子入りして本格的な芸能活動を開始しました。
若い頃は、「ものまね王座決定戦」でのモノマネ芸などで人気を集めてブレイクし、地元大阪から東京へ進出した後は、数々の人気バラエティ番組にレギュラ出演する超売れっ子のタレントとして活躍しました。
笑福亭笑瓶さんの家族については、父親が銀行マン、母親が生命保険の外交員、兄と姉がいる3人きょうだいの末っ子である事などが明かされています。
笑福亭笑瓶さんは27歳だった1984年に一般の女性・智子さんと結婚されています。嫁の智子さんとの馴れ初めは、笑福亭笑瓶さんが大学生の頃に喫茶店でナンパした事だったそうです。その後、約10年の交際を経て結婚されています。
笑福亭笑瓶さんと嫁の間には子供がいて、その子供は息子で孫もいるという情報が出ていますが、これは事実ではない可能性が高いようです。笑福亭笑瓶さんは犬を飼っていて子供のように可愛がられているようです。
笑福亭笑瓶さんの自宅については、東京都目黒区の高級住宅街に建つ豪邸である事がわかっています。自宅は3億円とも言われる一軒家で、内装やアンティークにもこだわっているようです。
笑福亭笑瓶さんの死因は「急性大動脈解離」で、急死だったようです。
笑福亭笑瓶さんの死因とコロナワクチンを関連づけるような噂が出ていますが、明確な根拠が示されているわけではないので無闇に信じる事は避け、自分自身で納得のいくまでしっかりと調べてからワクチン接種の是非を決定するのが良いかと思います。