「10男7女19人大家族三好さんちが大変ダぁ」というタイトルで放送され、17人兄弟というシリーズでもとりわけ大所帯だった大家族・三好家。
この記事では、三好家の父親・母親・子供など家系図や、現在までの様子について詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
大家族・三好家とは
大家族・三好家は30年前にテレビ放送された19人の元祖大家族
破天荒な19人家族・三好家
住まい: 神奈川県横浜市神奈川区(当時)
現在から30年前に、大家族シリーズの初回として放送が開始した時に元祖として出演したのが当時神奈川県横浜市神奈川区に住まいを構えていた三好家でした。
戦前戦後には大所帯は珍しいものではありませんでしたが、1990年の『追跡』という番組で放送開始されるまで”大家族”という存在を知らなかった人も多く、”貧乏子だくさん”を絵に描いた三好家は人気を博していました。
三好家は何と言ってもシリーズの中でも最も家族人数が多い10男7女という19人家族であり、子供たちの学歴は義務教育まで、不良っぽい風貌をした子供も多い破天荒な家庭でした。
結果的には夫婦喧嘩のすえに離婚という結末を迎え、追跡ができなくなり放送は終了しましたが、現在までに分かっている情報について詳しくまとめましたのでご紹介しましょう。
大家族・三好家のプロフィールと家系図…10男7女の子供が17人
大家族・三好家の父親・高弘と母親・かほるは離婚
三好家の大黒柱である三好高弘さんは、放送当時60代で、現在はすでに80歳を超えており、大家族シリーズの中でも最高齢の父親でした。
大家族・三好家を作った両親の三好高弘さんとかほるさんは17歳差の夫婦でしたが、最終話にて夫婦喧嘩の末に離婚してしまいました。
大家族になったのは戦争を体験したことが影響していたのかもしれませんね。
大家族・三好家の家系図と家族構成
大家族三好家(10男7女17人)
三好家の家系図は以下の通りになります。
母:かほる(かほる) 昭和27年7月26日
長男:弘二(こうじ) 昭和46年4月2日
二男:弘勇(ひろゆき) 昭和47年11月2日
長女:美穂(みほ) 昭和48年12月7日
三男:信弘(のぶひろ) 昭和50年7月1日
二女:美香(みか) 昭和51年7月5日
三女:瑠美(るみ) 昭和52年11月15日
四男:基弘(もとひろ) 昭和54年5月23日
五男:良弘(よしひろ) 昭和55年8月1日
六男:輝隆(てるたか) 昭和56年9月27日
七男:隆司(りゅうじ) 昭和57年11月24日
八男:正貴(まさたか) 昭和59年2月28日
四女:明美(あけみ) 昭和60年6月24日
五女:恵美(めぐみ) 昭和61年9月17日
九男:光貴(みつたか) 昭和63年11月11日
十男:和貴(かずき) 平成2年6月25日
六女:美鈴(みすず) 平成4年9月18日
七女:美春(みはる) 平成6年4月27日
この19人家族に加えて、長女の息子・簾(れん・平成8年3月)くんがおり、現在では24歳くらいになっていることになります。
大家族・三好家の生活の様子…“貧乏子だくさん”の破天荒家族だった
大家族・三好家、貧乏で子供達はグレていた
初代大家族の詳細は残っていない
大家族は基本的に”貧乏子だくさん”が多いですが、その中でも三好家は経済的貧困にあえぎながら両親は喧嘩が絶えず、子供たちはグレてヤンチャという、殺伐とした家庭環境は元祖なだけあってシリーズを象徴づけるような大家族でした。
後に放送された大家族シリーズで、埼玉県越谷市で美容室「HiDE&SEEK OF HAiR(ハイドゥンシーク)」を経営していた漆山家は対照的に裕福でオシャレ、子供たちも美形揃いという三好家と比較するといわゆる”勝ち組大家族”でした。
三好家の自宅は荒れ果てた精神を現すように散らかり放題であり、放送中に夫婦喧嘩、兄弟喧嘩が頻発し、それが視聴者を楽しませていました。
お金が無いため子供たちは中学校を卒業するまでの最低限の義務教育しか受けさせてもらえず、息子たちは中学卒業と同時に父親の板金業を手伝う職人に、娘たちは家事手伝いに入るという、まるで戦前戦後のような家庭環境でした。
大家族として最も有名なのはドキュメンタリー番組『痛快!ビッグダディ』で注目を集めた”ビッグダディ”こと林下清志さんの家族ですが、夫婦喧嘩が絶えず離婚という結果になった点が似ていると言えるでしょう。
なお、ネット上で三好家の兄弟らが近所のお店で万引きを繰り返し出禁になっているという情報があったようですが、確かに貧困から空腹であることが多かったと思いますのであり得ないことではありませんが、真偽のほどは定かではありません。
大家族・三好家に対するネットの反応
大家族で衝突し合いながらも全員が健康だった大家族・三好家
60 :病弱名無しさん:2001/02/06(火) 22:29
離婚した理由、、やっぱ一番下の女の子だけ、顔が違うと思ったんだよなー
かわいいもん。
浮気がばれたんだね。
69 :ななしえもん:2001/02/06(火) 23:56
この家の子供って、
通知表がオール1とか当たり前だったよな~。
さぼってる風でもないのに、よくオール1なんてとれるもんだと
感心したぐらいだ。
71 :名無しさん:2001/02/06(火) 23:59
三好は近所で嫌われ者?
72 :名無しさん:2001/02/07(水) 00:07
>>69
子供は余り学校へは行っていなかった様だ。
>>71
子供がうるさいので嫌われてる。
三好家は大家族シリーズの中でも経済的、精神的に最底辺でしたが、その非日常的な光景が高い視聴率を稼いでいました。
しかし、三好家は放送終了後にも火事という最悪の事態を招いて再注目を集めることになってしまいました。
大家族・三好家の現在…2001年に火事で自宅が全焼していた
大家族・三好家、隣接住宅7軒を巻き込む大火事で自宅が全焼
三好家の自宅が火事で全焼した
両親の離婚で追跡が出来なくなり放送終了した三好家ですが、現在までに子供たちは自立して結婚し新たな家族をそれぞれ築いているようです。
17人も兄弟がいたことから、現在は孫まで合わせるとゆうに30人は超えていることでしょう。
なお、三好家の追跡が終了した直後の2001年頃に、tvk(テレビ神奈川)において「木造二階建て住宅一棟約118平方メートルが全焼」というニュースが流れ、出火元は三好家だったことが分かり衝撃を与えました。
神奈川区で民家全焼
5日午後1時半頃、横浜市神奈川区西神奈川三丁目、
板金業三好高弘さん(64)型から出火、木造二階建て
住宅一棟約118平方㍍が全焼、隣接する住宅7軒の壁
などの一部が焼けた。この火事で三好さんが顔に
軽いやけどをした。
なお、幸いにも死者は出しておらず、三好高弘さんが軽い火傷を負った模様です。
以下、三好家の全焼火事についてのネット上の反応です。
52 :名無しさん:2001/02/06(火) 19:12
あの家じゃ火のまわりもよかったんだろうね・・・きっと。
木造建築で中はごちゃごちゃいろんな物が置いてあるだろうし
なまじ親父が建築関係だったから変な風に部屋とか増設しちゃってる
みたいだったから・・・あの家だけだったら救いようもあるけど
まわりを巻き込んじゃってるのがつらいとこだね。67 :ななしさん:2001/02/06(火) 23:48
>>53
火元になった家の住人に賠償請求出来ないってTVで言ってたけど、本当?
そのTVでは「火事を起こした家には賠償請求出来ないので、火災保険や家財保険に入って自衛するしか方法はない」と言ってたけど…。
これが本当なら燃え移った家の人が可哀相すぎる。
ただでさえ貧困に喘いでいたところに自宅を全焼する火事というのは不幸の上塗りですが、木造の古い家の中で散らり放題だと出火してもおかしくないでしょう。
この火事の後に三好家がどうなったかは不明です。
大家族・三好家は1995年に本を出版していた
1995年に出版された『大家族!』
『追跡』での放送当時の三好家の様子をまとめた本『大家族!』が1995年に出版されています。
すでに絶版になっていますのでオークションなど中古でしか手に入りませんが、三好家の壮絶な様子を知るには良い資料となるでしょう。
幼なじみの旦那が“大家族三好家”の人間だった!!検索するとめっちゃ出てくる(^-^)すげーww
— kkkonomi (@kkkonomi) August 21, 2010
大家族っていうと三好家思い出すな〜…一家離散で終って絶句したよ。
— かんのさゆり (@nyancyuu) December 31, 2009
大家族・三好家についてまとめると…
・大家族・三好家は喧嘩が絶えない壮絶な家庭で、両親は離婚している
・大家族・三好家は2001年に自宅を火事で全焼、その後の消息は不明である
自宅が火事で全焼した後の三好家の動向はほとんど不明のままとなっていますが、家族全員がサバイバーだと言えるしたたかさがあれば、現在もどこかで元気に生活しているでしょう。
現在も一部の大家族シリーズファンに、三好家の子供たちの様子など放送が望まれていますが、番組『追跡』に関する何かしらの企画が無ければ再取材することは無いでしょう。