元おニャン子クラブの高井麻巳子さんですが、音楽プロデューサーである秋元康さんと結婚したことでも有名な人物となります。
この記事では、高井さんの若い頃や家族情報についてまとめてみました。
この記事の目次
高井麻巳子のプロフィール
名前:高井麻巳子(たかい まみこ)
本名:秋元麻巳子(あきもと まみこ)
生年月日:1966年12月28日
出身地:福井県小浜市
身長:157.5cm
最終学歴:女子美術短期大学中退
高井麻巳子、美大受験のために高校卒業後に上京
元おニャン子クラブのメンバーとして知られている高井麻巳子さんですが、出身校である福井県立若狭高校は、小浜藩の藩校の流れを汲む名門校となります。
若狭高校は幅広い分野に人材送り込んでおり、伊藤忠商事の元社長・小林栄三さんや龍谷大学の元学長・羽溪了諦さんといった大物OBもいます。
高井さんが高校卒業後に上京した理由に関しても、美大進学を目指し予備校に通うためであり、本人的には、その後自分が芸能人になるとは夢にも思っていない状況だったようですね。
高井麻巳子の若い頃…おニャン子クラブを代表する人気メンバーだった
高井麻巳子、スカウトされおニャン子クラブメンバーとしてデビュー
美大進学を夢みる文化系女子だった高井麻巳子さんでしたが、上京直後となる1985年4月に東京・原宿にて路上スカウトを受け、人気アイドルグループ「おニャン子クラブ」のメンバーとして芸能界デビューを果たしております。
1985年4月、『夕やけニャンニャン』内のコーナー「アイドルを探せ」の出場者をスカウトをする企画で、原宿を歩いているときに伊藤克信にスカウトされる。同コーナーで「青い珊瑚礁」を歌い、117点を獲得して合格しおニャン子クラブ会員番号16番としてデビュー。
引用:高井麻巳子
1985年7月にシングル「セーラー服を脱がさないで」にてレコードデビューを飾ることとなったおニャン子クラブは、人気バラエティ番組内企画ユニットということもあり、若者を中心にすぐさま人気を博すことになりました。
特に人気の絶頂期となった1986年の旋風ぶりは凄まじく、オリコン週間ランキングにて、おニャン子クラブ関連の楽曲が年間30曲(36週)も1位を獲得するという伝説を残しました。
誰しもいつかは大人になり、今ある現実に気づくけど…いや…そんな事はとっくの昔に気づいてて…それからもずい分と、時が流れてしまったけど…
— 1989年もおニャン子クラブ (@1986onyanko) 2016年12月20日
でも…あぁ…
最後にひとつだけお願いを聞いてくれますか?
30年前の今日「約束」が発売された日。 #おニャン子クラブ #高井麻巳子 pic.twitter.com/iL00RwVsCU
いいね、リツイートありがとうございます。
— 秋元康 集 (@akimoto_yass) 2017年12月5日
このアカウント作って1ヶ月経たないと思いますが、130個くらいBOTに保存されていました。
このペースだと500はいきそうです。
画像は秋元さんの奥さん、元おニャン子クラブの高井麻巳子さんの昔の写真です。 pic.twitter.com/y0awONXnVu
高井麻巳子、“おニャン子クラブ”ではフロントメンバーとして大活躍
高井麻巳子さんは、本体の活動以外にも「うしろゆびさされ組」のメンバーに抜擢されるなど、おニャン子クラブ内でも高い人気を誇ったアイドルでした。
うしろゆびさされ組は、アニメ「ハイスクール!奇面組」関連のタイアップを任される機会が多かったため、1985年10月のレコードデビュー以来、全6枚のシングル中5曲でオリコン週間ランキング1位を獲得するなど大成功を納めています。
特に、1986年に発売された2ndシングル「バナナの涙」は、31万枚ものセールスを記録しており、おニャン子クラブ本体の最大のヒット曲となる「じゃあね」の28万枚を上回る結果となりました。
高井さんは、1986年6月になるとシングル「シンデレラたちへの伝言」にてソロデビューも飾っており、発売したシングル7枚中4曲がオリコン週間ランキング1位に輝くなど、3刀流にすら成功してしまったアイドルと言えます。
中学生の頃、高井麻巳子の大ファンだった。
— とおます (@lgted) 2017年3月30日
当時僕は14歳で高井麻巳子は20歳。
今じゃ20代のアイドルはザラだけど、昔は“20歳を過ぎたらもうおばさん”みたいな雰囲気があって、こんな自分よりも6歳も年上の人を好きになっていいのかどうかマジで悩みましたね……#高井麻巳子 pic.twitter.com/PdbFU1gd4x
MP3整理中に昔作ったおニャン子のファイル発見。高井麻巳子の「メロディ」聴いて、秋元さんと高井が電撃入籍した直後のとんねるずのオールナイトで高井ファンからの”秋元bっころす!”的投書の数々に貴さんが火消し対応してた事思い出す pic.twitter.com/HyIStG6HFH
— たばきよし (@tarban66) 2016年7月5日
高井麻巳子、1987年4月におニャン子クラブを卒業
高井麻巳子さんに関しては、デビュー3年目となる1987年4月におニャン子クラブから卒業しており、うしろゆびさされ組も解散となりました。
卒業後の高井さんは、ソロでの歌手活動の他にも女優業もこなしており、「アナウンサーぷっつん物語」や「熱くなるまで待って!」といった連ドラに出演しています。
高井さんは、後に女性誌「婦人公論」にて、本格的な女優になりたくて芸能界入りをしたことをカミングアウトしているため、早期のアイドル卒業は既定路線だったのかもしれませんね。
高井麻巳子、アイドル時代は実家にファンが殺到していた
おニャン子クラブ時代はわずか2年足らずだった高井麻巳子さんでしたが、グループを代表する人気アイドルだったこともあり、福井県小浜市にある実家「高井サイクルセンター」に聖地巡礼にやって来るファンたちは少なくなかったようですね。
夏の想い出と言えばマリン列車を撮りに小浜線に出向いた事やけど、当時流行っていたおニャン子クラブの高井麻巳子が好きで、出身地である小浜市で実家の両親と記念写真を撮ったのも現在となっては恥ずい想い出ちなみに今はゆきりんがカイマミとイメージが重なって気になるんやなぁ歳は関係ないな
— 緑釜 (@towagama) 2017年7月27日
東浩紀(@hazuma)の懐古談でいちばん笑ったのは、高井麻巳子の実家巡礼のため国鉄小浜駅で降りてコインロッカーをさがしたらおニャン子クラブメンバーのめぼしい会員番号がすべて埋まっていて衝撃を受けた話
— Chiaki (@chiaki25) 2011年3月8日
高井サイクルセンター側もそんなファンたちを相手に、自転車を購入すると貰える特製ステッカーを用意するなど、商売人らしい強かな対応をした武勇伝が残っています。
高井麻巳子、メンバーの岩井由紀子と不仲説があった
高井麻巳子さんには、うしろゆびさされ組の相方であったゆうゆこと岩井由紀子さんとの不仲説も存在しました。
当初は仲良しだったという2人が不仲になった理由は、高井さんと秋元さんの交際が原因だったという説もあります。
おニャン子クラブは「恋愛禁止」を筆頭に守るべき規則がいくつかあり、週刊誌に未成年喫煙をスクープされて解雇されたメンバーもいれば、高校を自主退学したことが原因で脱退に追い込まれたメンバーもいました。
そのため、恋愛禁止ルールを堂々と破りながらも、交際相手がプロデューサーだからとお目こぼしを受けていた高井さんに対して、岩井さんが理不尽さを感じて不仲になってしまったのではないかという憶測が飛んでいたようですね。
とはいえこちらの憶測は、高井さんがおニャン子クラブ卒業前から秋元さんと交際していた前提の話のため、2人の結婚に対して裏切られた想いの強いファンたちの私怨が混じっている説であることは否定出来ません。
また、岩井さんの性格に問題があったのではないかという噂も存在します。
55 :なんてったって名無しさん:2006/04/20(木) 09:29:53 ID:JH8HeQRa
岩井はよく他人の悪口言うって斉藤満喜子が岩井との明星の対談で言ってたね、昔。
岩井はよく新人いびりやっててカメラが来るとまたパッと態度変わって・・なんてよく
あったみたいだし。顔にも出てる。
あんなに誰にでも優しかった高井が離れてくくらいだからな。
引用:高井麻巳子VS岩井由紀子
こちらの説も岩井さんのアンチが流した噂の可能性があるため、容易には信用出来ない憶測の1つと言えます。
ちなみに、岩井さん本人がバラエティ番組で語っていた話によると、「属していた仲良しグループが別だったことにより、高井さんと疎遠になっていった」というのが不仲説の真相となりますが、いかにも年頃の女子らしい話題ではあります。
高井麻巳子、おニャン子クラブのプロデューサー・秋元康と電撃結婚
高井麻巳子、1988年5月に秋元康と結婚
高井麻巳子さんは、1988年5月におニャン子クラブのプロデューサーであった秋元康さんと電撃結婚しています。
高井さんの結婚は、所属事務所であった「田辺エージェンシー」関係者にとっても予期せぬサプライズだったようで、結婚のわずか3週間前に個人ファンクラブが設立されたばかりでした。
そのため、高井さんのファンクラブに関しては、会報の第一号がファンクラブの解散を知らせる内容だったという伝説を残すことになりました。
当時の高井さんは、おニャン子クラブを卒業してから1年以上が経過していましたが、アイドル視していたファンたちはまだまだ多かったらしく、結婚の一報を聞きアイドル不信になってしまった少年たちも少なくなかったようですね。
AKB総選挙メンバーの結婚発表でざわついていますが、小生が小学生の頃おニャン子クラブの高井麻巳子ファンでしたが、ある日Pの秋元康と結婚でショックを受けアイドルファンを辞めたこと思い出す。
— ハジメ(沖縄電子少女彩P) (@TincyHajime) 2017年6月17日
以降Tincy作るまで芸能に携わってもアイドルには全く無縁だったので人生は不思議ですな。
高井麻巳子が結婚し、しかもその相手が秋元だと聞いたとき話は、今も覚えているなあ・・・世の中とはこんなものか、と感じた中学生。後藤次利も河合その子を嫁にするわけで、おニャン子のお嬢様系担当2名が揃ってそんな収まり方をしたことに、改めて「そういうふうにできているんだ」と無常を感じる。
— ひろ (@hiro_hrkz) 2012年6月16日
ちなみに、当時の関係者の話を総合すると、高井さん側が秋元さんにぞっこんであり、結婚を迫っていたという証言があります。
その上で2人のエピソードとして「聞いた話」と断って語った。「まみちゃんが秋元さんに『先生、あたし、秋元さんがいないと生きていけないから一緒にニューヨークに連れてって』と言ったと。それで結婚されたんです」と明かした。
高井麻巳子、結婚を機に芸能界を引退しNYに移住
結婚発表後の高井麻巳子さんは芸能界を引退し、秋元康さんと共にアメリカ・NYに移住しています。
高井さんが結婚後即日本を離れた理由に関しては、ファンたちの怒りが冷めるまでの冷却期間を置きたかったのではないかと思われます。
交際開始から4ケ月程度での電撃婚との情報が流れていた2人でしたが、ファンの間では、おニャン子クラブ時代から交際が始まっていたのではないかと疑う声が強い状況でした。
秋元康と高井麻巳子の結婚が発表された直後の『とんねるずのANN』で読まれたリスナーからの葉書での言葉「秋元殺して俺も死ぬ」ってのが当時アイドルヲタの間で流行ったもんだけど、こんなのが公共の電波で言えるなんて、おおらかな時代だった。
— トレンディ俳優 (@nisegaku) 2012年6月16日
過激なファンの中には、秋元さんの愛車のベンツに落書きを実行した人物までいたらしく、万が一のことを恐れた2人が、日本を離れるだけの背景はあったと言えます。
秋元康、NY滞在中に名曲「川の流れのように」が誕生
高井麻巳子さん・秋元康さん夫妻のアメリカ・NY時代については、わずか1年半という短い期間でした。
しかしながら秋元さんは、NY滞在中に「川の流れのように」の歌詞を書き上げており、秋元さんのキャリアにとってはターニングポイントとなった期間と言えます。
この曲の『川』とは、ニューヨークのイースト川のことである。当時の秋元はニューヨークに在住しており、現地のカフェ「カフェ・ランターナ」で作詞した。秋元は、いつも作詞を終えてからタイトルを付けているが、その時は不思議と何も考えずに「川の流れのように」というタイトルから書き始めた唯一の作品だという。後に本人は、「多分それはずっとイーストリバーを見ていたからなんでしょう」と回想している。
引用:川の流れのように
イースト川を眺めながら秋元さんが書き上げた「川の流れのように」は、昭和の歌姫・美空ひばりさんの生前最後のシングルに抜擢されており、美空さんのキャリアを代表するヒット曲になりました。
「川の流れのように」のヒットにより、秋元さんは若者向けの人気作詞家というポジションから、正真正銘の大物作詞家へと成り上がることが出来ました。
高井麻巳子に子供は1人…2001年3月に娘・せりが誕生
高井麻巳子さん・秋元康さん夫妻には、2001年3月に長女・せりさんが誕生しています。
せりさんに関しては小学受験に無事成功し、慶應義塾幼稚舎からエスカレーターで慶応義塾大学系列の学校に通っていると言われております。
ネット上では、父親が携わっているAKB関連のグル-プからのデビューも期待されていたせりさんでしたが、本人はアイドル活動に興味がないのか、学業優先の日々を送っている模様です。
とはいえ、慶応義塾大学といえば、メディア関連にも一大派閥のある名門なため、将来的には女子アナとして活躍するせりさんの姿が見られる可能性もあります。
高井麻巳子の豪邸が凄い…旦那・秋元康は年収50億円以上との噂
高井麻巳子、建設費30億円のAKB御殿に住んでいた
結婚後の高井麻巳子さんですが、夫である秋元康さんは、アイドルグループ「AKB48」をブレイクさせて以降は桁違いの収入を誇るようになったと言われており、その年収は50億円以上だという噂も流れています。
そんな秋元さんは、2016年になると神奈川県横須賀市に通称「AKB御殿」と呼ばれるマイホームを建設したことでも話題になりました。
秋元さんが建てたAKB御殿の詳細については、箱根山や富士山を一望出来る海岸の高台にあるらしく、敷地面積が1200坪もある地上3階地下1階建ての大豪邸だそうですね。
高井さん・秋元さん夫婦の住むAKB御殿の建設費に関しては、30億円との説もあります。
高井麻巳子、自宅では芸能関係者を招きホームパーティーをしていた
高井麻巳子さんに関しては、夫・秋元康さんの仕事の都合上、芸能関係者を招いたホームパーティにて、手料理を振るう機会が多いようですね。
人気お笑いコンビ「ナインティナイン」の岡村隆史さんも、秋元さんよりホームパーティに招かれた経験があり、少年時代の憧れの存在であった高井さんに会えて感動した芸能人の1人でした。
秋元氏の自宅で「高井麻巳子や!」と、秋元氏よりも先に麻巳子さんに気付いたという岡村。はじめは遠巻きに見るだけだったが、秋元氏から言われたのか、途中、麻巳子さんが自ら寄ってきて会話をすることが出来たという。「あの時の、なんていうのかな…青春時代がパァッって舞い上がって…。おニャン子クラブって僕の中でスーパーアイドルやったから、高井麻巳子さん見れただけで…(当時と)全然変わらず、お綺麗でしたよ」と興奮気味に語った。
麻巳子さんと一緒に写真が撮りたく、ケータイをポケットに忍ばせていたという岡村だが、周りの空気を読んで撮らなかったのだそう。「でも、今思えば、撮ればよかった…たとえ周りに、うしろ指さされても!」と、麻巳子さんと岩井由紀子(ゆうゆ)の2人ユニット「うしろゆびさされ組」に掛けて悔しがった。
秋元さんは、元サッカ-日本代表の中田英寿さんや作曲家の久石譲さんなども自宅に招くことがあるらしく、 芸能界を引退して久しい高井さんですが、色々な分野の有名人と顔見知りになれる刺激的な環境にいると言えます。
高井麻巳子の現在の画像…相変わらずの美貌を保っていた
芸能界引退後の高井麻巳子さんについては、夫である秋元康さんが音楽プロデューサーや放送作家として成功を続けていることや夫婦仲が良好なせいか、現在までに表舞台へ姿を現したことはありません。
結婚後の高井さんの数少ない表立った行動には、2004年に秋元さんが「ぞうネコ」という絵本を出版した際に、その挿絵を担当したことがありました。
2013年になると、友人である作家・林真理子さんのブログに登場し、往年の美貌を保っていることが確認された高井さんでしたが、この時は林さんと一緒に歌舞伎を見に行っていたそうですね。
高井麻巳子さんの現在・・・ http://t.co/xpq9sfJQO4 顔が長い・・・ pic.twitter.com/BuPqkGbJR3
— アルファルファモザイク (@alfalfafafa) 2015年9月25日
高井麻巳子についてまとめると…
・高井麻巳子は2001年3月にひとり娘・せりさんをを出産、慶應義塾に幼稚舎から通っている
・高井麻巳子は建設費30億円といわれる神奈川横須賀市の通称「AKB御殿」で暮らしている
・高井麻巳子は現在もアイドル時代同様の美しさを保ち、専業主婦をしている
1980年代後半のアイドルファンたちにとっては、衝撃的な結婚・引退劇を演じたことで記憶に残っている高井麻巳子さんですが、現在は主婦として幸せな日々を送っているようですね。
高井さんの幸せな夫婦生活が今後も続くことを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。