JRAを代表するベテラン騎手の1人である吉田豊さんは「木刀事件」の被害者としても話題です。
この記事では吉田豊さんの騎手としての経歴や先輩騎手の後藤浩輝さんに木刀で殴られた事件の概要や真相、結婚や彼女の噂や現在の活躍などについてまとめました。
この記事の目次
吉田豊(競馬騎手)のプロフィール
吉田豊のプロフィール
生年月日:1975年4月19日
出身地 :茨城県
身長 :159cm
体重 :48kg
血液型 :A型
吉田豊さんはJRA(日本中央競馬会)に所属(美浦)する騎手です。1990年代に活躍した名馬メジロドーベルの主戦騎手として知られ、同馬に騎乗してG1レース5勝をあげました。また、通算でも中央G1レース9勝の実績を誇ります。
2013年にはJRA史上26人目となる通算1000勝を達成。2021年5月時点での通算勝利数は1254勝となっています。
吉田豊騎手の経歴
吉田豊さんは茨城県の出身で、実家の近くにはJRAの美浦トレーニングセンターがありましたが、実は子供時代の吉田豊さんはその存在すら知らず、特に競馬に興味を持つ事もなく成長したのだそうです。
中学時代も器械体操に打ち込むなど、特に競馬には興味を持つ事なく過ごしますが、高校受験の前に両親から競馬騎手という職業がある事を教えられ、身体が小柄だった事もあって競馬学校騎手課程を受験し、全く乗馬の経験が無かったにもかかわらず見事合格しています。
入学当初は乗馬未経験者向けのカリキュラムを受けますが、すぐに天性の才能を示し、入学半年後には同期トップの成績を残すようになり、特に反応の鈍い馬を走らせる事にかけては抜群のセンスを見せたようです。
競馬学校を卒業後は、美浦トレーニングセンターの大久保洋吉厩舎(2015年2月に解散)に所属してプロ騎手としての第一歩を踏み出しました。
同厩舎の大久保洋吉調教師は、競馬学校時代から吉田豊さんの才能に注目していたのだとか。デビュー以来、吉田豊さんとこの大久保洋吉調教師は固い師弟関係で結ばれる事になり、同厩舎が解散した2015年までの21年間、吉田豊さんはずっとフリーにならずにこの厩舎の所属騎手として活躍されました。
吉田豊さんは1994年3月にデビューし、初年度は6勝に終わったものの、2年目には28勝をあげる活躍を見せて注目されるようになります。
1996年からはその年にデビューした牝馬メジロドーベルに騎乗してG1レース「阪神3歳牝馬ステークス(現在の名称は阪神ジュベナイルフィリーズ)」を制して、3年目にして自身初のG1レース勝利を飾っています(重賞勝利もこのレースが初)。
翌1997年にはこのメジロドーベルに騎乗して牝馬三冠レースのうち「牝馬優駿(オークス)」と「秋華賞」を制覇しています。この年は通算で83勝を挙げてリーディング6位の成績を残し、当時関西のスター騎手だった武豊さんと並び称される形で「東のユタカ」と呼ばれるほどの活躍を見せました。
翌1998年もメジロドーベルの主戦騎手としてG1「エリザベス女王杯」を制した他、マイネルラヴに騎乗してG1「スプリンターズステークス」でも勝利を飾っています。
翌1999年にもメジロドーベルと共に「エリザベス女王杯」を連覇し、メジロドーベルはその年にG1通算5勝という圧倒的な成績と共に引退しています。
吉田豊さんはメジロドーベル引退後も活躍を続け、2002年にはスマイルトゥモローに騎乗して自身2度目となる「オークス」制覇。2004年にはショウナンパントルに騎乗して「阪神ジュベナイルフィリーズ」、2008年にブルーメンブラットで「マイルチャンピオンシップ」を制するなど、何度もG1レースで勝利を飾っています。
2021年5月の現在も吉田豊さんはJRAの騎手として活躍を続けられています。
吉田豊(競馬騎手)は後藤浩輝に木刀で殴打された事件で有名
出典:https://lh3.googleusercontent.com/
競馬史に残る名馬メジロドーベルに騎乗して1997年に「牝馬優駿(オークス)」と「秋華賞」、1998年に「エリザベス女王杯」を制するなど、若手ながら輝かしい成績を残してた古田豊さんでしたが、そんな矢先の1999年の8月19日午後4時頃、2年先輩の騎手の後藤浩輝さんから木刀でボコボコに殴られるという被害に遭いました。
当時の報道によると、当時古田豊さんが住んでいた美浦トレーニングセンター内の独身寮「若駒寮」に、後藤浩輝さんが古田豊さんの態度が気にくわないとして木刀を持って殴り込み、古田豊さんを探し出して腹部や左太腿部分などをボコボコに殴ったという事です。
この時、古田豊さんは土下座して謝罪したという事でしたが、後藤浩輝さんは土下座した状態の古田豊さんを足蹴にして執拗に暴行を加え続けたとも言われています。周囲にいた人々も、この時の後藤浩輝さんのあまりの迫力に止めることができなかったのだそうです。
この事件は日本の競馬の歴史始まって以来の前代未聞の不祥事事件として各メディアで大きく報道され、後藤浩輝さんには4ヶ月の騎乗停止と謹慎の重い処分が下されました。
美浦トレーニングセンター内にある独身寮内で、後藤騎手が後輩である吉田騎手の態度が気に食わないという理由で、木刀で殴打。前代未聞の不祥事として各メディアで大きく取り扱われ、後藤騎手は謹慎と、約4カ月に及ぶ異例の長期騎乗停止処分を受けた。
古田豊さんは現在でもこの「木刀事件」の被害者の騎手として度々話題にされています。
吉田豊(競馬騎手)と後藤浩輝の木刀事件の真相は?
吉田豊さんを木刀でボコボコに殴るという前代未聞の事件を起こした後藤浩輝さんでしたが、本来は優しい性格でファンサービスも丁寧な騎手として知られていたため、この木刀事件に驚いたファンや関係者も多かったようです。
実は、後藤浩輝さんがこのような暴挙に及んだ原因は、この事件の前の同年8月15日に開催されたレース前に2人の間に起こったトラブルにありました。
このレースのゲートに入る前に吉田豊さんと後藤浩輝さんはそれぞれの騎乗馬を輪乗り(馬を円を描くようにグルグルと歩かせ待機する状態)にしていたのですが、その際に接触しそうになったのか吉田豊さんが後藤浩輝さんの騎乗馬を足で蹴るようにし、それに怒った後藤浩樹さんと口論になるという事件が起こりました。
このレース自体は無事に終わったものの、レース後の検量室で怒りの収まらない後藤浩輝さんが吉田豊さんに掴みかかって止められるという事件が起こってしまいます。
数日経っても怒りの収まらない後藤浩輝さんはついに木刀を手に若駒寮に古田豊さんを襲撃にしに行ったというのがこの事件の顛末でした。
こうした事件の顛末が明らかになった事で、後藤浩輝さんの味方をする意見も結構多く出ていました。当時の古田豊さんは武豊さんと並び称される形で「東のユタカ」と呼ばれるほど、若手騎手として持て囃されていたため、当時を知るファンの間では少し調子に乗っているところがあり、真面目な性格の後藤浩輝さんと衝突したのではないかといった見方も出ています。
吉田豊(競馬騎手)はまだ結婚しておらず独身
吉田豊さんは2021年5月の現在46歳ですが、これまでに1度も結婚をされた事はなく独身を貫かれているようです。
吉田豊さんは紛れもない超1流の騎手であり、年収もこれまでを平均して数千万円レベルなのは間違いないため、結婚したくてもできないという事は考えづらくあえて結婚されていないという事なのでしょう。
吉田豊さんの実弟で同じくJRAの騎手として活躍されている吉田隼人さんによれば「兄は女心がわからない」という事なので、交際はしても結婚には至らないという事なのかも知れません。
吉田豊さんは2016年9月にテレビ東京で放送された「ウイニング競馬」に出演し、元所属厩舎の大久保洋吉元調教師とインタビュー取材を受けましたが、その時に「結婚はしたいなと考えますよ」と話し、30代の頃から大久保洋吉さんに「まだ結婚はしないのか」と突かれていた事なども明かしていたので、少なくとも結婚願望は持たれているようです。
ただ、騎手は命の危険もある仕事なので、結婚は引退してからと考えられているのかも知れません。
吉田豊(競馬騎手)の彼女はタレントの中村愛との噂が浮上した事も
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吉田豊さんは結婚をされていないという事で彼女の存在にも注目が集まっていますが、熱愛報道や目撃情報などは出ていません。
ただ、過去にはタレントの中村愛さんが彼女ではという噂が出たことありました。
中村愛は2017年に一般男性との結婚を発表している
吉田豊さんの彼女と噂された中村愛さんでしたが、2017年7月6日に一般の会社員の男性と結婚した事を発表しており、吉田豊さんの彼女だという噂は否定されています。
吉田豊さんに現在彼女がいるのかについては不明です。
吉田豊(競馬騎手)は落馬事故による頸椎損傷で2017年から長期休養
デビュー以来トップ騎手の1人として活躍を続けてきた吉田豊さんでしたが、2017年12月19日に開催された中山競馬場の第5レースに騎乗中に落馬事故を起こし、第2頸椎骨折の重傷を負いました。事故の原因は騎乗していた2歳馬ビクトリーモーンが突然興奮して暴れ出した事でした。
吉田豊さんはこの落馬事故によって長期間の休養を余儀なくされました。第2頸椎骨折は死亡する恐れもある大怪我で、一部からは再起不能の噂なども浮上し、ファンからは心配の声が多数あがりました。
その後、吉田豊さんは早期の復活を目指してリハビリに励まれていました。そのリハビリの最中の2018年7月に函館で開かれたメジロドーベルのお披露目会には、現役時代に同馬の主戦騎手を務めた吉田豊さんが出席し元気な姿を見せていました。
2019年に1年3ヶ月ぶりの実戦復帰
そして、吉田豊さんは2019年3月2日に開催された中山競馬場の第6レースで約1年3か月ぶりに実戦復帰して見事復活を果たされています。この復帰レースの結果は13着でしたが、元気な姿に客席のファンからは大きな歓声と拍手が贈られていました。
1年3カ月ぶりに実戦復帰を果たした同騎手は「前日は全く緊張しなかったけれど、当日になったらレースが始まるまでド緊張。今までに味わったことのない変な気分でした。レースに行ってしまえば問題はなかったけれど、終わった後の疲労感は調教と違う。これに慣れていかないと。やっぱり競馬はいいですね」と久々に“仕事場”の雰囲気を感じ、爽やかな笑みを浮かべた。
吉田豊(競馬騎手)の現在
2019年に頸椎骨折からの復活を果たした吉田豊さんは、現在もJRAの騎手として第一線で活躍を続けられています。
2020年1月のG3「京成杯」で復帰後初となる重賞での勝利も飾り、この年は通算で24勝を挙げています。
46歳になった2021年の現在も現役で活躍を続けられており、競馬メディアでのインタビューでは「少しでも長くジョッキーを続けたい」と今後への気持ちも語られていました。
まとめ
今回は、JRAを代表するベテラン騎手の1人である吉田豊さんについてまとめみました。
吉田豊さんは1994年にデビューすると3年目の1996年には名馬メジロドーベルの主戦騎手を任され、「阪神3歳牝馬ステークス」、「牝馬優駿(オークス)」、「秋華賞」、「エリザベス女王杯」(2回優勝)でG1レース5勝を挙げ、若くしてトップ騎手の仲間入りを果たしました。
しかし、絶頂だった1999年8月に、先輩騎手の後藤浩輝さんから木刀で暴行を受けるという事件の被害者になります。これは事件の少し前、レース前の輪乗り中に吉田豊さんが後藤浩輝さんの騎乗馬を足で蹴ったのをきっかけにトラブルが起きたのが原因だったようです。
吉田豊さんはその後も騎手として活躍を続けましたが、2017年12月に不運な落馬事故に見舞われて頸椎を骨折し、長期の休養を余儀なくされました。2019年に復活を果たし現在も騎手として活躍を続けられています。