山本昌さんと言えば、NPBでの実働29年という不滅の記録を打ち立てたレジェンド級の投手です。
今回は山本昌さんのプロフィールや経歴、成績や年俸、結婚した嫁や子供、ラジコンなどの多彩な趣味、現在の活動をまとめました。
この記事の目次
山本昌のプロフィール
山本昌
生年月日:1965年8月11日
出身:神奈川県茅ヶ崎市
身長:186cm
所属:元中日ドラゴンズ
投球・打席:左投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
活動:元プロ野球選手
山本昌さんは、元中日ドラゴンズのピッチャーです。
1983年のドラフトで中日ドラゴンズに入団してから、2015年に引退するまでNPB在籍年数は31年(実働29年)という不滅の記録を打ち立てています。
50歳で一軍登板したのは、山本昌さんだけです。40代になっても、ノーヒットノーランを達成し、200勝を達成しているなどの活躍をしているため、「中年の星」と呼ばれるようになりました。
本名は「山本昌広」ですが、登録名は「山本昌」であり、引退後も「山本昌」と名乗っています。
山本昌の経歴
プロ入り前
神奈川県茅ヶ崎市出身の山本昌さんは、体重4200gと誕生時から非常に大きな体をしていました。
1歳の頃、アパートから転落して死にかけますが、無事に回復して、それからは牛乳が大好きなこともあり、どんどん体が大きくなっていきます。
小学校3年生から野球を始め、スポーツ推薦で日大藤沢高校に進学しました。
高校時代は甲子園に出場することはできませんでしたが、「神奈川県ナンバーワン投手」としてプロのスカウトからも注目される存在になりました。
本人は日本大学に進学する予定でしたが、1983年のドラフト会議で中日ドラゴンズから5位指名を受け、プロ入りすることになります。
中日ドラゴンズ時代
入団当初、「大柄なだけで野球の才能に恵まれていない」と本人も自覚するほど、周りとのレベルの違いにショックを受けた山本昌さん。
ですが、二軍でコツコツ努力することで、プロ3年目のシーズン終盤に一軍に昇格し、初登板を果たしました。
しかし、その後もいまいち成績を残すことができず、1988年にはアメリカに野球留学します。
帰国後は中日のピッチャーが足りないこともあり、先発ローテーションに加わると、5連勝を記録し、リーグ優勝に貢献しました。
1989年からは先発ローテーションに加わり、今中慎二選手との左腕エース2枚看板として活躍します。
2006年には41歳でノーヒットノーランを達成し、その後も先発投手として着実に記録を作り上げていきます。
49歳で勝利をあげ、さらに50歳での登板を記録し、2015年シーズンをもって、長い現役生活にピリオドを打ちました。
現役引退後
現役引退後は、野球解説者として活動しています。
引退会見では、「投げることは32年間精いっぱい勉強したが、ほかは素人。またユニホームを着るチャンスをもらえるように勉強したい」と話しています。
ですので、まずは野球を外から見て、それから指導者として現場に戻るつもりのようです。
山本昌の成績や年俸の推移
山本昌の成績
山本昌さんの成績を見ていきましょう。
山本昌さんは中日ドラゴンズ所属は32年、実働は29年です。山本昌さんの通算成績はこちらです。
・通算登板数:581試合
・通算先発数:514先発
・通算勝利数:219勝
・通算敗戦数:165敗
・通算防御率:3.45
・通算完投数:79完投
・通算完封数:30完封
凄すぎですよね。次に、個人タイトルを見ていきます。
・最優秀防御率:1回
・最多奪三振:1回
・最高勝率:1回
・沢村栄治賞:1回
・ベストナイン:2回
・月間MVP:8回
・最優秀バッテリー賞:1回
・最優秀投手:2回
これを見るとわかりますが、山本昌さんは投手としての個人タイトルの獲得数はそれほど多くありません。
シーズン2桁勝利も9回と、飛び抜けて多いわけではないんです(9回でも十分に凄いですが)。
地味だけど、他の人には真似できないレベルで長く、とにかく長く活躍し続けたことが山本昌さんの凄いところなんです。
山本昌の年俸
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
山本昌さんの年俸の推移を見ていきましょう。
・1985年:360万円
・1986年:380万円
・1987年:400万円
・1988年:400万円
・1989年:1100万円
・1990年:2100万円
・1991年:2800万円
・1992年:2700万円
・1993年:5200万円
・1994年:1億円
・1995年:1億7500万円
・1996年:1億3500万円
・1997年:1億2500万円
・1998年:1億8340万円
・1999年:1億8340万円
・2000年:1億8000万円
・2001年:1億8000万円
・2002年:1億8000万円
・2003年:1億7000万円
・2004年:1億9000万円
・2005年:2億3000万円
・2006年:2億3000万円
・2007年:2億4000万円
・2008年:1億5000万円
・2009年:1億5000万円
・2010年:1億2000万円
・2011年:1億円
・2012年:4000万円
・2013年:6000万円
・2014年:4000万円
・2015年:4000万円
山本昌さんの生涯獲得年俸は33億5980万円です。中日ドラゴンズ入団時の契約金は2500万円ですから、プロ野球選手として稼いだ金額は33億8480万円となります。
最高年俸は2億4000万円とそこまでずば抜けて高くはありませんが、実働年数が長いですから、総獲得年俸はさすがに高いですね。
山本昌はNPB史上初の50歳プレーヤーとして歴史に名を刻んだ
山本昌さんは中年の星であり、NPB史上初の50歳プレーヤーです。50歳で一軍の試合に出場したのは、山本昌さん以外にいません。
山本昌さんのNPB史上最年長記録を見ておきましょう。
・先発出場:50歳57日
・登板:50歳57日
・先発登板:50歳57日
・勝利:49歳25日
・先発勝利:49歳25日
・打席:49歳43日
・完投勝利・完封勝利:45歳24日
・ホールドポイント:47歳1ヶ月
・ノーヒットノーラン:41歳1ヶ月5日
41歳でノーヒットノーラン、25歳で完封勝利、49歳で先発勝利、50歳で先発登板。これは、おそらく誰も破ることができない不滅の記録でしょう。
ドラフト1位で入団してすぐに肩を壊してしまう投手もいる中、プロ入りしてから30年以上も第一線で活躍できているのは、「凄い」などの言葉では言い表せないほどの偉業です。
山本昌さんがどのくらい凄いか?このツイートが表していると思います。
山本昌(18) Windows発表 プロ入り
— にのうらさとこ at homeヾ(○'∀'○)ノ (@ameayunon) September 25, 2015
山本昌(20) 1.0発売
山本昌(30) 95発売
山本昌(36) XP発売
山本昌(41) Vista発売
山本昌(44) 7発売
山本昌(46) 8発売
山本昌(49) 10発売
山本昌(50) Windowsの歴史と共に引退
ただ、現役生活を長く続けた影響で、利き腕は90度くらいまでしか肘が曲がらず、またまっすぐ伸ばすこともできなくなっているそうです。
山本昌さんが長く現役を続けられた理由は、本人は次のように答えています。
「決めた事をコツコツとやる。それだけですね」
32年間もの間、プロ野球で現役生活を続けられた秘訣は言葉だけを聞けばシンプルだ。
山本昌が結婚した嫁と子供
出典:asahi.com
山本昌さんは、2回結婚しています。
最初の結婚は1989年のこと。1989年に有美子さんと結婚していて、一男一女をもうけています。
山本昌さんはずっと中日ドラゴンズ所属でしたので、名古屋を本拠地にしていましたが、奥様の希望で、自宅は東京だったそうです。つまり、山本昌さんはずっと単身赴任だったんですね。
長く別居生活を続けたことが原因で、2011年に協議離婚をしています。
この時、2人の子供は20歳と18歳とのことですから、独り立ちするまでは夫婦でいて、その後に離婚することになったようですね。
離婚して2年後の2013年には、16歳年下の美智子さんと再婚します。2人はハワイで挙式しました。
2015年にはお子さんが生まれており、山本昌さんは50歳でパパになったんです。
・2回目の結婚:2013年
・子供は3人(前妻との間に2人、今の妻との間に1人)
最初の奥さんとの間の娘は、マラソンの瀬古俊彦さんの次男と2020年に結婚しています。
瀬古さんの息子さんと山本昌さんの娘さんがご結婚なされたそうで、お二人が親族関係に。
— ぷち (@petitpetit06) January 19, 2020
式のご挨拶とかで方や瀬古さん方や山本昌さんが並んでるってなんかすごいw pic.twitter.com/hzPxwRGVpe
山本昌のラジコンがプロレベルだと話題に
出典:rcmonkey.jp
山本昌さんは長く現役生活を続けていたので、野球一筋の「野球バカ」タイプかと思いきや、実は多趣味な人なんです。
しかも、その趣味1つ1つがかなりマニアックで、「オタク」レベルまで極めていると話題です。
・カブトムシ&クワガタ:オオクワガタ50匹を飼育していたこともある
・車:高級車を何台も所有
特に、ラジコンには造詣が深く、数々の大会で優勝し、全日本選手権のEPツーリングカースポーツクラスでは4位に入賞したこともあるほどです。
チームメイトだった山﨑武司選手と「山山杯」というラジコン大会も開いていて、世界チャンピオンが参戦するほどの大会にもなっています。
引退する時には、次のように語ってます。
「ラジコンはもちろん再開するよ。また世界と戦うためには練習しないとダメだけど、感覚を取り戻したら世界戦に行くから。今まで野球をたくさんやらせてもらったから、引退したらそれと同じくらいいろんなことに挑戦したいよね。
引用:山本昌50歳、ついに引退決断の時。「ラジコンはもちろん再開するよ」(4/4) – プロ野球 – Number Web – ナンバー
ラジコンがあったから、50歳まで現役を続けられたとも語っていますね。
野球でもラジコンでも、その他の趣味でも、とことん極めないと気が済まないタイプなのかもしれません。
山本昌の現在
山本昌さんは、現在でも野球解説者として活動しています。
ただ、2019年のシーズンオフから、2020年の2月まで阪神の臨時コーチを務めています。この阪神での臨時コーチは、以前にバッテリーを組んでいた阪神の矢野監督に誘われてのことです。
阪神のユニフォームを着ている山本昌さんは新鮮ですが、やっぱり指導者として現場に戻るなら、中日ドラゴンズでやってほしいですよね。
臨時とは言え、コーチをした山本昌さん。引退時は指導者を志していましたから、また山本昌さんのユニフォーム姿を見られるのは、そう遠くないことかもしれません。
まとめ
山本昌さんのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、結婚した嫁や子供の情報、ラジコンなどの趣味、現在の活動などをまとめましたが、いかがでしたか?
・50歳まで現役を続けていて、実働29年はNPB史上最長
・1度離婚していて、2013年に16歳年下の女性と再婚
・ラジコンや車など趣味が多彩でマニアック
・現在は解説者だが、将来は指導者を志す
山本昌さんはいつコーチ・監督になるのか、注目していきたいですね。