プロ野球選手にもいろいろなキャラクターの人がいますが、トラブルメーカーと言われているのが波留敏夫さんです。
波留敏夫さんのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、結婚や嫁・子供の有無、円陣激怒で炎上したエピソードやトラブルメーカーのエピソード、現在をまとめました。
この記事の目次
波留敏夫は元プロ野球選手
波留敏夫
生年月日:1970年5月25日
出身:京都府京都市東山区
身長:174cm
体重:75kg
所属:オリックス・バファローズ
投打:右投右打
ポジション:外野手・内野手
波留敏夫さんは主に横浜ベイスターズで活躍した元プロ野球選手です。闘志むき出しのプレーが特徴で、「ハマの核弾頭」や「突貫小僧」などの愛称で人気となり、1998年の横浜ベイスターズのリーグ優勝・日本一に貢献しました。
その一方で球界のトラブルメーカーとして知られていて、その行動がニュースとなることも少なくありません。
波留敏夫の経歴
波留敏夫さんは京都府京都市で生まれた波留敏夫さんは、京都市内にある大谷高校に進学し、そこから社会人野球の熊谷組に入部し、1992年の都市対抗野球で準優勝、1993年にも出場して優秀選手賞を獲得しました。その活躍を認められて、1993年度のドラフト会議では、横浜ベイスターズから逆指名で2位指名を受けて、プロ野球入りが決まります。
1994年のルーキーイヤーはシーズン中盤から一軍に定着し、ショートやサードなどを守ります。1995年からはセンターとして出場し、規定座席に到達・打率3割を記録しました。石井琢朗とコンビを組んで、1、2番を入れ替わりで努めます。その後も横浜で活躍しましたが、2001年のシーズン序盤にトレードで中日ドラゴンズに移籍しました。
このトレードは横浜ベイスターズの森監督が中日の星野仙一監督に直談判して成立したトレードです。波留敏夫さんはこの2001年にチームの顔とも言える背番号1に変更したばかりでしたし、年俸1億円以上選手のシーズン途中のトレードは過去に例がなく、異例のトレードでした。
中日ドラゴンズに移籍した波留敏夫さんでしたが、故障の影響があり、さらに山田久志監督ともソリが合わず、成績は低迷しました。そんな波留敏夫さんに手を差し伸べたのがロッテです。2002年オフにトレードで千葉ロッテマリーンズに移籍しました。
それでも、成績は低迷し続け、2004年オフに戦力外通告を受け、現役を引退しています。
現役引退後は1年間解説者として活動し、その後は横浜・DeNAのコーチを2006年から8年間、2014年からは中日のコーチを9年間務めています。
波留敏夫の成績推移
出典:bunshun.jp
波留敏夫さんの成績の推移を見ていきましょう。
球団 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | OPS | |
1994年 | 横浜 | 53 | .298 | 3 | 10 | .812 |
1995年 | 100 | .310 | 5 | 29 | .781 | |
1996年 | 114 | .265 | 2 | 21 | .661 | |
1997年 | 127 | .295 | 8 | 41 | .753 | |
1998年 | 106 | .273 | 2 | 39 | .684 | |
1999年 | 130 | .298 | 15 | 70 | .777 | |
2000年 | 60 | .301 | 8 | 17 | .822 | |
2001年 | 横浜・中日 | 105 | .233 | 1 | 20 | .544 |
2002年 | 中日 | 39 | .218 | 0 | 7 | .520 |
2003年 | ロッテ | 50 | .198 | 0 | 5 | .555 |
2004年 | 29 | .143 | 0 | 7 | .442 | |
通算 | 913 | .278 | 44 | 266 | .712 |
個人タイトルはありませんが、波留敏夫さんはキャリアハイは1999年です。
・打率:.298
・本塁打:15本
・打点:70
この成績はプロ野球選手としてトップクラスであり、誇れる成績と言えるでしょう。
波留敏夫の年俸推移
出典:hochi.news
波留敏夫さんの年俸の推移を見ていきましょう。
・1995年:1800万円
・1996年:3800万円
・1997年:3500万円
・1998年:6500万円
・1999年:8800万円
・2000年:1億2000万円
・2001年:1億円
・2002年:9000万円
・2003年:7000万円
・2004年:4000万円
合計で6億7400万円です。横浜ベイスターズ入団時の契約金は1億円でしたので、プロ野球選手として稼いだお金は7億7400万円となります。
波留敏夫は独身?既婚?結婚情報
出典:ameblo.jp
波留敏夫さんは2022年で52歳になりますが、現時点では結婚していないようです。離婚歴があるわけでもないようなので、未婚で独身を貫いていると思われます。
そのため、嫁も子供もいません。
プロ野球選手の多くは若くして結婚し、嫁のサポートを受けながら現役生活を続けることが多いですが、波留敏夫さんは結婚していません。別にプロ野球選手は結婚しなければいけないというわけではありませんので、何の問題もありません。
ただ、波留敏夫さんには子供のような存在のペットの「モコ」がいます。波留敏夫さんのブログを見ていると、モコを溺愛している様子がうかがえます。
波留敏夫は円陣で激怒して炎上
出典:nicovideo.jp
波留敏夫さんは2022年シーズンは中日ドラゴンズの一軍打撃コーチをしていました。交流戦途中の6月12日、北海道日本ハムファイターズ戦で波留敏夫さんは選手に激怒し、それが原因で炎上しました。
6月12日の日ハム戦。前日まで中日は5連敗を喫していました。そして、前日も無失点、6月12日にも5回まで無失点が続いていました。そんな中日ナインに不甲斐なさを感じたのか、波留敏夫さんは5回表に中日の攻撃前にベンチ前で選手に円陣を組ませます。
そして、大きな声で激怒しながら選手に檄を飛ばしました。
しかも、この波留コーチの檄は名古屋テレビのカメラがしっかり押さえていて、音声も含め生中継放送に載ってしまったんです。
中日ドラゴンズ波瑠コーチ
— シュシュっとドラゴンズ_kei (@Dragons_shu___) June 12, 2022
「目覚ませもっとお前らボケ
いつまで甘えてやってんねん野球」 pic.twitter.com/w18kQBUwnL
この時の波留敏夫さんの檄を見ると、不甲斐ない中日ナインに檄を飛ばしているようにも思えますが、激怒しながら怒鳴りつけて恫喝しているようにも思えます。
この激怒動画で関係者は波留敏夫を擁護
6月12日の波留敏夫さんの円陣での激怒は、生放送でしっかり映ってしまったために、大炎上しました。
メ〜テレカメラは波留コーチが「お前らいつまで甘えてやってんねん!!目を覚ませボケ!!」とベンチで檄を飛ばす場面を放送、アナは円陣を組んで…と言ってましたがとても円陣ではありませんでしたね。#dragons pic.twitter.com/BTZdZORrX7
— ウエヤマナギサ (@ueyamanagisa) June 12, 2022
ただ、中日OBは波留敏夫さんを擁護しています。
「勘違いしてほしくないのは、波留さんは激怒してるわけじゃないです。みんなに元気を出してほしいとわかりやすく表現したんだと思うんですよ」
引用:波留コーチの"アホウ発言"物議も「勘違いしないで」 中日OBが続々擁護するワケ | Full-Count
また、立浪監督も波留敏夫さんを擁護しました。
この円陣を見守っていた立浪和義監督(52)は「投手が頑張っていてここ最近、投手を見殺しにしている試合が多い。打てる打てないはあるけど、もっと目の色を変えて打席に立てと。今のドラゴンズに、そこの部分が一番大事なこと。波留が円陣でそうやって気合いを入れてくれた。そこも大事」と擁護した。
中日の空気の悪さは波留敏夫が原因と言われるようになった
波留敏夫さんの円陣激怒動画は、ツイッターを中心に出回り、炎上しています。
昨日の波留コーチの円陣、あれぐらい別にいいでしょって人が多いんですが、僕はあれぐらいとかよりも、ドラゴンズ怖いってなる方が嫌だなと思ったけどなぁ。
— レインボー牧場ꤶ⃝ダビマスꤶ⃝ (@rainbow_dbms) June 13, 2022
年俸安い、チームの雰囲気悪いだと、ドラフト候補でもそんなチーム行くの嫌じゃない?
「目を覚ませもっとお前!!いつまで甘えてやってんねん野球!!その気でやらんかいアホウ!!」
— 人修羅 (@outlawstar4) June 12, 2022
えぇ…なにこれぇ・・・。
中日の円陣?での波留コーチの檄?みたいだけど…。
ノリさん戻ってきて…。
いやー日ハムと真逆すぎるわ。こえーよ。なんなんだよこのチーム。 pic.twitter.com/96IXtkzpLY
中村紀洋コーチと入れ替わりで波留コーチが一軍に上がってきてやったこと
— DAI (@ID6lo) September 11, 2022
・円陣でブチ切れ、全国に中日ドラゴンズがどういうチームかを喧伝する
・敗戦後にファンサをした土田にブチギレる
以上
これはノリさんにはできないな…
意味のある配置転換だったよ
さっきの波留コーチの恫喝的な円陣は今の時代に公共放送に流していいものなのだろうか
— ゆうどら (@yuudragons) June 12, 2022
中日ドラゴンズは5連敗中ということもあり、かなりチームの雰囲気は悪く、ファンも心配していました。特に、当時は日本ハムファイターズのきつねダンスが流行していて、交流戦では各チームの選手も楽しそうに踊っている様子が話題になっていました。
しかし、中日だけはきつねダンスをファイターズガールが披露している時も、ベンチはお通夜のような状態だったんです。
ネット上では「きつねダンスの時、中日ベンチ冷え切ってて草」「中日ベンチが静まり返ってて笑った」「きつねダンスなんてやってたら、明日から登録抹消やろ」「きつねのむれがふしぎなおどりをおどった しかしなにもおこらなかった」と、沈黙ぶりが話題となった。
引用:魔性のきつねダンス、中日には効かず ベンチの沈黙ぶりがネット話題に「なにもおこらなかった」/野球/デイリースポーツ online
あのような波留敏夫さんの円陣激怒の動画を見たら、きつねダンスでお通夜状態になるのも納得という声が多かったです。確かに、あんなふうに激怒されるようなチーム状態で、きつねダンスは踊れないですよね。
波留敏夫はトラブルメーカー①:脱税問題
波留敏夫さんは激怒して炎上しただけでなく、以前からトラブルメーカーとして知られていました。
1997年11月にはNPBを大きく揺るがせたプロ野球脱税事件が勃発しました。このプロ野球脱税事件とは、現役選手10名が脱税をしたとして在宅起訴された事件です。この事件で波留敏夫さんは1704万円を脱税していたとして、懲役10ヶ月執行猶予2年、罰金450万円の判決が下っています。さらに、波留敏夫さんはNPBから6週間の出場停止・制裁金200万円の処分を受けています。
また、波留敏夫さんは裁判の中で、ほかの選手に経営コンサルタントを紹介したことで、200万円の仲介料を受け取っていたことも判明しています。
波留敏夫さんは、この脱税事件の中でも中心的な存在だったとされています。
波留敏夫はトラブルメーカー②:応援歌に激怒
波留敏夫さんは2003年に千葉ロッテマリーンズに移籍しています。ロッテに移籍した後、ロッテの応援団は波留さんの応援歌を作っていますが、その応援歌にケチをつけたんです。
横浜からロッテに移籍した波留敏夫は、応援団が『春が来た』を応援歌にしたところ激怒し、こちらも即変更になりました。
ロッテの応援団が作った波留敏夫さんの応援歌は、童謡の「春が来た」の替え歌です。歌詞を見てみましょう。
波留が来た
どこに来た
千葉に来た
ロッテに来た
マリーンズに来た
トレードで千葉ロッテマリーンズに来た波留さんのことを、うまく表している応援歌だと思います。何より覚えやすいですよね。
しかし、波留敏夫さんはこの応援歌を気に入らず、この応援歌にされたことに対して激怒しました。そのため、せっかく作った応援歌はオープン戦で数試合しか使われずに、その後はお蔵入りになってしまったんです。
なぜ、この春が来たの替え歌の応援歌が気に入らなかったのかは不明です。ただ、ファンの間では「替え歌でメロディーはそのまま。歌詞も少し変えただけだったから、手抜きに感じたのでは?」という説が主流でした。
当時のファンの間では「メロディーは流用、歌詞も少し変えただけだったため手抜きに感じたのでは」という説が主流だったという。
引用:中日・波留コーチに球団首脳が激怒「勝つ気あるのか!」 謹慎招いた不祥事も、現役時代からトラブル多発 | リアルライブ
もしかしたら、童謡の「春が来た」は穏やかでゆったりとした曲なので、これから打席に入ってヒット・ホームランを打つという気持ちの時に、その応援歌を流されたら、気が抜けてしまうという理由だったのかもしれません。
それでも、別に激怒する必要はないと思うのですが・・・。「違う応援歌にしてほしい」という要望を伝えるだけではだめだったのでしょうか。
波留敏夫はトラブルメーカー③:球団社長と大喧嘩
波留敏夫さんがトラブルメーカーというエピソードはまだあります。波留敏夫さんは横浜DeNAベイスターズのコーチだった2013年7月に、池田純球団社長と口論になったことがありました。
池田社長が「今日の試合はどうでしょうか」などと波留コーチに問い掛けたところ、同コーチは「相手があることですから」といった返答をした。これを気のない返答と受け取った池田社長が感情的になり「勝つ気はあるのか」と語気を荒らげたという。これに対し、波留コーチも「勝つためにやっている」などと激高し、口論に発展した。激しく罵倒し合う声は、ベンチ裏に響き渡り、多くの選手やコーチの耳にも届いていた。
ただ単に口喧嘩になっただけではなく、波留敏夫さんが球団社長に対して激高して口論になったというところが相当ヤバいですよね。また、罵倒しあって、ほかの人にも聞こえていたというのもヤバい感じがします。
さらに、2人の口喧嘩はこれだけで終わることなく、試合後に池田社長が波留敏夫さんのところに行き、口論の責任を追及しました。少し時間をおいても、社長の怒りが収まらず、責任問題になるということは、よほど波留さんはひどいことを言ったのかもしれません。
池田社長は波留さんに辞表を求めるなどエスカレートし、結局はこの年のシーズンオフに8年間コーチを務めた古巣の横浜DeNAベイスターズを退団することになりました。
退団の理由が球団社長との口論だったのかは明らかにされていませんが、無関係ではないと思われます。
波留敏夫の現在
出典:hochi.news
波留敏夫さんは、2013年オフに横浜DeNAベイスターズを退団後、2014年からは中日ドラゴンズのコーチに就任しました。そして、2022年シーズンで中日ドラゴンズを退団することを発表しています。
その後、2023年シーズンからはオリックス・バファローズのコーチに就任することが発表されました。肩書は育成チーフコーチです。
オリックスは7日、来季の新コーチングスタッフを発表した。前中日の波留敏夫コーチ(52)が育成チーフコーチとして新たに入団することが決まった。背番号は「90」。
波留敏夫さんは現役引退が2004年です。その後1年だけ解説者として活動し、2006年からはすぐにコーチとして招聘され、2022年までずっとNPBの球団のコーチをしています。そして、2023年も、すぐにオリックス・バファローズのコーチになることが決まりました。
この経歴を見ると、波留敏夫さんは優秀なコーチなのかと思いますが、球団の順位だけ見るとそういうわけでもないようです。
6位→4位→6位→6位→6位→6位→6位→5位
<中日コーチ時代>
4位→5位→6位→5位→5位→5位→3位→5位→6位
17年間でAクラス1回のみ。Bクラスは16回、さらに最下位は8回・・・。もちろん、コーチ1人の力でペナントレースの順位を上げることはできません。ただ、これを見ると、育成力などはどうなのかなぁ?などと感じてしまいます。しかも、前述のように、波留さんはトラブルメーカーです。
それでも、コーチの誘いが途切れないということは、波留敏夫さんにはコーチとして大きな才能・力量があることは間違いないと思います。
波留敏夫のまとめ
波留敏夫さんのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、結婚の有無や嫁・子供、円陣での激怒事件、トラブルメーカーのエピソード、現在などをまとめました。
波留敏夫さんは選手としては超一流というわけではなく、トラブルメーカーで、コーチとして目に見えるような実績もありません。それでも、コーチのオファー途切れないのは一体なぜなのか?疑問はありますが、目に見えない部分での優れたコーチスキルがあるのだと思います。