世間的には”カルト団体”として知られる「幸福会ヤマギシ会」は、農業・牧畜業を基盤に”全ての人が幸せ”となる世界の構築を目指す活動団体です。
この記事では、ヤマギシ会がカルトと言われる理由や事件、社会実顕地(村)の場所、そして関わった有名人や芸能人について詳しくまとめましたのでご紹介します。
この記事の目次
「幸福会ヤマギシ会」とは
幸福会ヤマギシ会は人類のユートピアを目指していた
「幸福会ヤマギシ会(こうふくかいヤマギシかい)」は農事組合法人として、農業・牧畜業・林業などを基盤とした生活集合体を形成し”人類のユートピア”を目指す活動体です。
発起人となったのは昭和時代の農業従事者・山岸巳代蔵(やまぎし みよぞう)さんで、1953年(昭和28年)に独自の理念を掲げて「山岸式養鶏会」を立ち上げ、約10日後に「山岸会」に改名、1995年(平成7年)に最終的な名前として「幸福会ヤマギシ会」に変更しました。
理想社会を目指す実践コミュニティー
ヤマギシズム社会実顕地は、ヤマギシズム理念を実生活の全生活面で顕現していこうとしているところの生活体です。
このヤマギシズム理念は、故山岸巳代蔵氏によって提案され、これまで多くの人々が同調共鳴したもので、実顕地生活は、この理念に基づいて編み出された生活様式の一つです。
引用:ヤマギシズム社会実顕地
幸福会ヤマギシ会の入会方法
ヤマギシ会は資本主義社会の脱出を目指した
ヤマギシズム社会実顕地に入って共同生活をするには”参画”する必要がありますが、これにはヤマギシ会にそれまで築いた全ての財産を”無条件譲渡”する必要があります。
これはヤマギシ会員は平等に全ての財産を共同所有するという理念からくるためで、私的財産の所有が根幹にある資本主義社会への未練を完全に断ち切るという意味合いもあります。
この私的財産には物件、有形、無形財、及び権益の一切が含まれ、ヤマギシ会に参画する際に運営部であるヤマギシズム生活調整機関に”無条件委任”する誓約書に署名・捺印が求められます。
また、この財産には「身」と「命」も含まれているため、参画することによって身体・精神的にいかなる損害が生じてもヤマギシ会が責任を負うものではないということであり、それは死亡した場合にも当てはまります。
この誓約書を交わす前には、「ヤマギシズム特別講習研鑽会」に参加する必要があり、ヤマギシズムに同意した人だけが参画を許されるようです。
Q.どうすればヤマギシの村で暮らせますか?
引用:ヤマギシズム社会実顕地
幸福会ヤマギシ会、一度入会したら脱会は困難に
事実上、ヤマギシ会に参画すると脱会が難しくなる
ヤマギシズム実顕地での生活が嫌になったり、資本主義社会である一般社会で生活をしたくなった場合、脱会するには主に2つの手段があるようです。
一つ目は、ヤマギシズム実顕地で生まれ育った人が独立する方法で、元々財産を持たない子供においては自然な脱会が可能なようです。
しかし、問題は社会人がヤマギシズム実顕地に参画した場合であり、参画時に全ての私的財産を譲渡しているため、脱会時にももちろん”無財産”で一般社会に戻ることになります。
しかも、ヤマギシズム実顕地内での労働には賃金が支払われることは無いものの、帳簿上では賃金を支払ったことになっているため、脱会後に一般社会に戻った時には帳簿上の収入に基づいた税金を支払う必要があります。
そのため、外部に支援者が無ければ基本的にヤマギシ会の脱会は難しいということになります。
脱会する方法はヤマギシズム生活調正機関本庁宛てに、「今後一切返還請求や、金銭請求をしないことは勿論、何等の異議も申し立てません」という旨を誓約し署名・捺印した脱会届を提出しするだけで可能なようです。
幸福会ヤマギシ会、旅行も嗜好品も禁止されていない
ヤマギシ会の公式ホームページでは、会員は旅行することも可能であり、テレビや新聞、インターネットなど外部の世界と接触ができる媒体も制限されていないと答えています。
Q.外出や旅行はできますか?テレビ・新聞・インターネットは観れますか?
引用:ヤマギシズム社会実顕地
この公式HPでは、酒・たばこなどの嗜好品も会員個人の判断に委ねられていると答えており、世間で知られる”無所有”や”無自我”などカルト宗教的な世界では無いようです。
しかし、これらは一般社会の人々が参画しやすくさせるための”ポーズ”である可能性があり、後述するヤマギシ会出身の漫画家・高田さやさんによれば「テレビや漫画は禁止されていた」と明かしています。
また、ヤマギシ会は発足直後に「山岸会事件」という事件を起こして会長の山岸巳代蔵さんと山岸会幹部9名が逮捕されており、当時から怪しい集団という認識が持たれていました。
「幸福会ヤマギシ会」の運営目的と社会実顕地の場所
幸福会ヤマギシ会、実顕地は世界に33ヶ所もあった
ヤマギシズム実顕地は世界に33ヶ所
山岸巳代蔵さんが考える人類の幸福の形である”ヤマギシズム社会”を実践する場所として、全国に「ヤマギシズム社会実顕地(通称「ヤマギシの村」)」が26カ所設けられており、そこでは約1500人が共同生活を営んでいます。
また、アメリカ合衆国やブラジル、スイス、韓国、オーストラリア、タイなど海外にも7カ所の社会実顕地を設けており、社会実顕地に未参画の会員を含め5万人以上の会員がいると言われています。
幸福会ヤマギシ会の目的
「全人幸福社会の実顕」がヤマギシ会の目的
ヤマギシ会の活動目的は、すべての人が幸福である社会として「全人幸福社会の実顕」を掲げており、ヤマギシズムと呼ばれる「無所有・共用・共活」の理念に基づいた活動をしています。
ジャーナリストの米本和広さんによれば、ヤマギシ会の目的は「<無所有一体>の理想社会に塗り替え、世界中の人を幸福にしたい」ということであり、潜入体験ルポ『ヤマギシ会見聞録』を執筆した近藤衛さんによればヤマギシ会の目的は「あと200年後には世界中が地上の楽園〈ヤマギシズム社会〉に革命される」であり「急進Z革命」と呼んでいることを伝えています。
Q.ヤマギシズム実顕地は宗教団体ですか?それともイデオロギー団体ですか?
引用:ヤマギシズム社会実顕地
幸福会ヤマギシ会の運営体制
ヤマギシ会には建前上運営本部は無い
ヤマギシ会は会員について全員が自発的、自由意志により活動している団体としており、全体を統率する個人や集団などは存在しないとしています。
ヤマギシ会内部にある研鑽会やヤマギシズム生活調正機関なども会員が自発的に作った組織であり、それらは意思決定機関ではなくあくまで伝達機関、補助機関だとしています。
ヤマギシ会では何かの意思決定が必要になった際、会員同士で話し合って方向性を決定する「研鑽会」という話し合いの場があります。
この研鑽会での話し合いの組織の中にも命令や服従などの上下関係は存在せず、有志の会員の進行により成り立っているものの立場は全員が平等だとしています。
なお、この研鑽会にはそれ自体の進行を研鑽する「準備研鑽会」があり、さらにこれの進行を研鑽する研鑽会が存在するなどマトリョーシカのような状態になっており、建前では序列は無いと公表していても実際には階層・序列が存在していると言われています。
また、こうした研鑽会を運営する”力のある会員”らにより作為的に開かれた「テーマそのものが結論」である研鑽会や、「命令ではないが実質的には命令と同じ」研鑽会が開かれており、ヤマギシ会にも”完全な平等”は存在しないという社会主義の破綻が見えています。
皮肉にも「人間である以上、”平等はあり得ない”」という答えをヤマギシ会は実顕していると言えます。
Q.リーダーはいますか?意思決定構造はどうなっていますか?
引用:ヤマギシズム社会実顕地
「幸福会ヤマギシ会」が起こした事件
幸福会ヤマギシ会が起こした事件① 山岸会事件
創始者・山岸巳代蔵は危険人物だった?
ヤマギシ会が発足して約5年が経過した1958年(昭和33年)に、三重県に設立した共同体「山岸式百万羽科学工業養鶏株式会社」が百万羽の鶏の飼育を目的に開拓を目指したものの難航していました。
事業を成功させるためにさらなる人員が必要だと考えた山岸巳代蔵さんは、「ヨウアリ、スグコイ」という電報を送ってヤマギシ会員の知人らを大勢呼び寄せ、監禁して強制的に1959年7月の特別講習研鑽会に参加させました。
これにより山岸会幹部9名が三重県警に逮捕されましたが、山岸巳代蔵さんは9か月の逃亡生活ののちに逮捕されました。
最終的に逮捕されたこれら14名に対して、1961年に禁固1年から10カ月、執行猶予2年の判決が言い渡されています。
この「山岸会事件」により、世間では”怪しい集団”だという認識が持たれ始めました。
幸福会ヤマギシ会が起こした事件② ヤマギシズム学園体罰事件
ヤマギシ会の全盛期は日本のバブル期だった頃です。ヤマギシ会は1985年にヤマギシズム学園という幼年部(5歳児が対象)、初等部(小学生が対象)、中等部(中学生が対象)、高等部、大学部からなる私塾を設立。
1994年になるとヤマギシ会の元参画者の子供がヤマギシズム学園で体罰を受けていたことを明かし、これを受けて日本テレビ系列のニュース番組が暴力問題を追及。
体罰が横行していたことが明るみとなりました。
「幸福会ヤマギシ会」はカルト宗教?…出身者が語るカルト村の実態
幸福会ヤマギシ会がよくわかる漫画「カルト村で生まれました。」
ヤマギシ会出身の高田かやさんが描いた漫画
ヤマギシ会は宗教団体ではありませんが、前述の「山岸会事件」に加えて、1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件が起きて以来、世間では同種のカルト集団だと疑われるようになりました。
「幸福会ヤマギシ会」という名前からしてすでにカルト宗教的だという声も少なくないですが、参画時にヤマギシ会への全財産の譲渡、まるでカルト教団を彷彿とさせる会員募集が目的の参加イベント、建前だけの”人類平等”理念など、ヤマギシ会にはカルト教団だと思われても仕方がない情報で溢れているようです。
そして、ヤマギシズム社会実顕地で生まれ育ち、19歳で村を飛び出した高田さやさんが自身の半生を描いた漫画『カルト村で生まれました。』が2003年1月に発売されて話題を呼び、第二作となる『さよなら、カルト村。』が約14年ぶりとなる2017年1月に発売されました。
これらの漫画を読んだWEBメディアライターの感想では、「世話役」と呼ばれる会員による強権的な生活が営まれていたことが分かっています。
体罰や食事抜きは当たり前、親戚や友人からの手紙は検閲されて届き、テレビやマンガは禁止――単行本の帯にある通り「平成とは思えない」生活に驚きます。
引用:BuzzFeedNews – 「カルト村」で生まれた私は、19歳で村を出た。清水富美加さんに今、思うこと
幸福会ヤマギシ会と一般社会どちらがカルト?
一般社会も十分”カルト的”である?
”カルト”という意味は、ウィキペディアでは「特定の対象を熱狂的に崇拝したり礼賛したりすること」と定義されていますが、資本主義社会も”お金や物を崇拝”している社会だとすれば十分にカルト的でしょう。
高田かやさんはヤマギシ会内部の人と、一般社会の人が相互に思っていることは”平行線”だと感じていたようで、「カルト村」という呼び方はヤマギシ会と一般社会を同時に皮肉る言葉だと表しています。
村にいたとき、一般社会からは「カルト」と思われていたのは知っていて、「農業法人だから、カルト宗教じゃないのに……」と思っていました。村を出て一般社会で暮らし始めてからは、「確かに宗教法人ではないけれど、外から見るとカルトと言える部分もあるよなぁ」と思うようにもなりました。
これまでも「村」と「一般社会」は、「お互いに思っていることが平行線だな」と感じることがあったのですが、「カルト村」という呼び方は、村と一般社会の両方を皮肉る意味合いがあるようにも感じられるので、「このタイトルで出版したら、両方から反感を買うんだろうなぁ」とは想像していました。実際に出版してから、村の人から怒られたり、攻撃されたりなんてことはなかったのですが。
なお、高田かやさんは漫画タイトルにある「カルト村」という文言は編集者が名付け親だと明かしており、ビジネスライクなキャッチ―さを求めて付けられたようです。
更にミニマリストはカルト宗教ヤマギシ会ことヤマギシズムの考え方とも同じ
— change_h (@changeheart3) May 9, 2019
ヤマギシズムは子供に労働をさせた。https://t.co/MfvdVO7krz
ヤマギシ会は赤ちゃんからお年寄りまで、自分自身も共有物。
下着さえも共有物。
カルトですね。 pic.twitter.com/Sdcu922hwg
幸福会ヤマギシ会と一般社会どちらが幸せ?
ヤマギシ会と一般社会の幸せ度は人による
高田かやさんはインタビューにおいて、ヤマギシズム社会実顕地で育ってよかったことや得たもの、逆に後悔や取り戻したいことについて聞かれ、以下のように答えています。
人生が並行して2つあって、村と一般の両方での子供時代を経験できたら「村のここが良かった、反対にここは良くなかった」と言えると思うのですが、どちらか片方しか経験していない状態で、いったい何を基準に判断を下せばよいのだろうかというのが正直な気持ちです。
同じ理由で、もし村にいなかったら「後悔すること」もなかったか……というと断定はできません。
この高田かやさんの言葉から感じ取れるのは、ヤマギシズム社会実顕地での生活は必ずしも”非人道的”なものではなく、一般社会に無い独特の支配体制があったとしても普通の生活が営まれていたということでしょう。
このことから、ヤマギシ会はいわゆるオウム真理教に代表されるような狂信的なカルト教団とは全く違うものであり、ヤマギシ会が良いか一般社会が良いかは判別が難しいようです。
幸福会ヤマギシ会出身者の負い目
一般社会の人にとってヤマギシ会出身者はひとくくり
高田かやさんはインタビューの中で、ヤマギシ会から脱出して一般社会に出てきた際に、社会から受けた偏見などに聞かれて以下のように答えています。
ある程度は想像していたので、「村にいた」とバレた時に、自分を見る人の目が変わるのは、「そんなもんだろう」と思っていましたが、何をやってもどんなに仲良くなっても、いざ村にいたことがバレた場合、相手の態度が一見何も変わらなくても、それ以降は「村にいた」という薄紙を通して見られている気がしてしまい、私のほうが落ち着かなくなりました。
それから、仕事の面接で、「村の子ならよく働くだろう」と何箇所かで言われましたが、いったいどんな報道がされてたんですかね?(笑)
そう言われたことで、自分がここで適当な働き方をしたら、今度は「村にいた子はみんな真面目に働かない」とレッテルを貼られるんだろうなぁと妙なプレッシャーを感じていました。「私個人」でなく「村の子」として、一括りのイメージで見られる感覚が印象的でした。
ヤマギシ会に潜入ルポをしたジャーナリストなどの言葉では、「会員は一様に没個性的」という印象で北朝鮮や中国の田舎などの人々を彷彿とさせるようですが、ヤマギシ会出身者が一般社会に出てきても個人として見られない場合が多々あるようです。
幸福会ヤマギシ会は自己実現に興味が無ければ楽園
没個性的な人にとってはヤマギシ会は生きやすい?
高田かやさんはヤマギシ会を飛び出した理由として、「村は学ぶことも学ぶ環境も全て用意してくれて、この年まで生活上のお金の心配をしたこともなく、何も考えず言われたことをしていれば良いだけの楽な場所だったけど、自分の一番の希望は永遠に叶わない場所だった」だと漫画の中で紹介していますが、脱出するひとつのきっかけは親友の不在だったようです。
私の場合は、仲の良い子が一人もいなかったことが大きかったと思います。大勢での暮らしですので、便宜上まんべんなく仲良くはしていましたが、何でも話せる心を許せる相手がたまたまいなかったのです。
ちょっとした不安や心配事も、相談したり意見を聴いたりしようと思う相手がおらず、その結果、同調や共感もできず、自分一人で考えたことを実行するしかありませんでした。
高田かやさんは漫画を出版するほど感受性が高く個性的な性格をしていたことが、ヤマギシ会での没個性的な生き方が苦痛だったようです。
逆に言えば、自己実現に興味がなく、考えることが苦手で他人に従順に生きることしかできない人にとっては、ヤマギシズム社会実顕地での生活は楽であり、文字通り”楽園”となるでしょう。
「幸福会ヤマギシ会」短期合宿体験者が語るカルト村の内情
幸福会ヤマギシ会の子供向けイベント「夏の楽園村」
作家・山田ノジルさんの体験談
コラムニスト、作家の山田ノジルさんが1980年代前半の小学生時代にヤマギシ会の合宿に参加したことを紹介しています。
きっかけはヤマギシ会の農産物が主婦の間で話題となり、母親が「自然と触れ合える楽しい夏合宿!」という触れ込みを目にして幼馴染と一緒に放り込まれたためでした。
このヤマギシ会の合宿はレクリエーション、鶏、豚などの家畜の世話をして1週間過ごすもので、山田ノジルさんはその際の体験談を幼馴染ベースで語っています。
子供心にもどこか非日常的だった
山田ノジルさんの幼馴染はヤマギシ会の合宿について詳細に覚えていたようで、家畜小屋での仕事について以下のように述懐していました。
幼馴染「豚小屋牛小屋は、熱気と臭さで頭がボーっとしちゃうんだよね。小屋の端の方で、丸々と太った黒ブタが、柵の中で身動きとれない状態になってたの。その豚の背中に巨大なフォークみたいなので刺された傷あとが点々と。うっすら生えた短い毛の間から血がも浸み出してて……あまりの気持ち悪さと暑さで、外に出て吐いてしまった。別の日に見学させられた牛の出産も、子ども目線では虐待されているみたいに見えちゃって。そのうえかなり時間がかかったから、とにかく暑くて暑くて。熱中症でクラクラして、最後は意識がなくなるくらいの状況だったなあ。ノジルと引き離されちゃうしあまりに非日常の世界で、コレって怪しい? 誘拐される? とかまで考えちゃって本当に怖かった……。夏休みが終わって新学期が始まっても、その後何年も、くり返し夢にみたくらい」
合宿中に「ビューティフルサンデー」の替え歌などよくヤマギシ会ならではのテーマソングを歌う機会があり、合宿最後のキャンプファイヤーでは古いフォークソングを歌って踊ったと紹介しています。
幸福会ヤマギシ会のが祝に参加した一般体験者のツイッター投稿
知らずに洗脳されてしまう可能性もある?
とある短期合宿参加者が、ヤマギシ会の合宿体験談について詳しくツイートしていましたので、その中の一部を以下に抜粋します。
母親が、ママ友に誘われて子供を、一週間大自然の中でキャンプを!親と離れることで自立心も養えます、みたいなのに騙せれて行ったことがあります。たしか小学校3、4年だったと思う。
みんなでバスにゆられて某県にある合宿施設へ。迎えてくれるのは中学生くらいのお姉さんとお兄さんが数名ずつ、あとは大人がやはり数名。彼らのことは全員、お父さん、お母さん、お姉さん、お兄さん、と呼ばなければいけない。
そして、ホールみたいなところに集められてみんなからの大声による「おかえりなさい」で迎えられるのである。
「おかえりなさい」と言われたら、「ただいま」と返事をしてしまうのが日本人だよね。彼らはこの「おかえりなさい」「ただいま」を通じて、ここがほんとうの家なんだよ、ということを洗脳する手段として使用していたんだと今となっては思う。
初めて訪れた見知らぬ場所で「おかえりなさい」という迎え方にはやはり宗教的な恐ろしさを秘めていますが、純真無垢な子供の中にはいつしか”ホーム”だと錯覚してしまう子もいるかもしれません。
カルト教団「ヤマギシ会」で一週間合宿をした話。 – Togetter https://t.co/0pCs0rUJd1 @togetter_jpさんから
— 堀 成美 (@narumita) January 12, 2019
「幸福会ヤマギシ会」に関わった有名人・芸能人
幸福会ヤマギシ会に関わった有名人① 宗教学者・島田裕巳
元ヤマギシ会員の島田裕巳
島田裕巳(しまだ ひろみ)さんは過去にヤマギシ会の会員をしていたことがあり、日本を代表する宗教学者として知られています。
島田裕巳さんは巷でカルト団体と言われるヤマギシ会に潜入しましたが、実態を調査する内にヤマギシ会に感化されて会員として過ごしていました。
しかし、次第にヤマギシ会での生活に居心地の悪さを感じるようになり脱会しました。
こちらの動画では島田裕巳さんがヤマギシ会について詳しく説明しています。
幸福会ヤマギシ会に関わった有名人② 新島淳良
一度脱会するもヤマギシ会に戻り生涯を終えた
新島淳良(にいじま あつよし)さんは昭和時代にヤマギシ会の会員として活動していました。
新島淳良さんは中国文学者、コミュニティー活動家として、ヤマギシ会のコミューン運動を理想だと感じて入会しましたが、その後一度脱会しました。
しかし、再びヤマギシ会に戻ると、同会の広告塔の役割を果たすようになり、ヤマギシズム学園の設立を提唱、設立に貢献し、生涯をヤマギシズム社会実顕地で終えました。
幸福会ヤマギシ会に関わった芸能人はいない?
ヤマギシ会出身や入会した芸能人はいない
ヤマギシ会に関わったことがある芸能人として、ネット上ではプロレスラーの大仁田厚さん、歌手の松任谷由美さん、錦野旦さんなどが挙げられていますが事実ではありません。
大仁田厚さんは宗教団体「三穂の会」の会員、松任谷由実さんは「天河大弁財天社」の信者、錦野旦さんは「日蓮正宗」の信者だと言われていますので、こうした情報から派生したことが考えられます。
なお、前述のようにヤマギシ会は全国で野菜やお肉などオーガニックの商品を販売しているため、芸能界にもヤマギシ会産地のこうした商品のファンは多いかもしれません。
「幸福会ヤマギシ会」の現在…農産物加工品のネット販売や直売所が人気
幸福会ヤマギシ会、農産物加工品販売で約70億円の売上
全国に点在するヤマギシズム社会実顕地では、野菜や果物、牛・豚・鶏などの家畜が育てられており、これらの農産物加工品を三重県津市の「豊里ファーム」など全国にて販売しています。
日本の農業全体が急速に衰退し続けている中で、ヤマギシ会は反比例するように成長しており、年間の売上高が約70億円で農事組合法人のトップに君臨しています。
これらの売り上げはヤマギシズム社会実顕地の運営などに充てられており、事実上ヤマギシ会は毛嫌いしている資本主義社会により成り立っていることが分かります。
とはいえ、ヤマギシ会は無農薬で化学肥料の不使用など「エコビレッジ」の先駆者として注目されてきた側面もあり、ヤマギシ会会員が無報酬で作っていることから全ての商品を安価で提供できるため、一般社会に生きる一部の人々にとっても有難い存在となっています。
なお、現在ではヤマギシの生産物直売サイトやスーパーも運営しており、ネット通販で購入することも可能になっています。
「幸福会ヤマギシ会」についてまとめると…
・幸福会ヤマギシ会は入会するのも脱会するのも容易ではない
・幸福会ヤマギシ会は人によっては楽園であり、カルト教になり得る
・幸福会ヤマギシ会の販売する農産物加工品は手ごろな価格で人気がある
・幸福会ヤマギシ会に参画した芸能人はいない
資本主義社会が完全に破綻に向かっていることは現在のネット社会では漠然と知られていますが、将来資本主義の破綻が目前となってくるとヤマギシ会のような社会主義的なコミューンが見直される時代が来る可能性はあるでしょう。
しかし、ヤマギシ会が理念に掲げる”人類平等”は建前の域を出ることはできないため、資本主義と社会主義がミックスされた資本社会主義に移行していくのかもしれません。