フェミニストの上野千鶴子さんは高級タワマンに住みながら「平等に貧しくなろう」と発言し炎上した事が話題です。
この記事では上野千鶴子さんの生い立ちや実家、家族、若い頃の画像、学歴、独身を貫いて結婚せず旦那や子供を持たない理由、自宅のタワマンや現在についてまとめました。
この記事の目次
- 上野千鶴子のプロフィールと経歴
- 上野千鶴子の生い立ち① 裕福な医者の家族で生まれ育つ
- 上野千鶴子の生い立ち② 中学・高校時代はずば抜けて成績優秀
- 上野千鶴子の実家は医者の家庭で金持ちだった
- 上野千鶴子の家族① 父親は開業医の上野良雄
- 上野千鶴子の家族② 母親は専業主婦
- 上野千鶴子の家族③ 兄と弟がいる3人きょうだい
- 上野千鶴子の若い頃の画像① 36歳か37歳頃
- 上野千鶴子の若い頃の画像② 1987年の「現代思想」の記事より
- 上野千鶴子の学歴① 出身中学は富山大学教育学部附属中学校
- 上野千鶴子の学歴② 出身高校は石川県立金沢二水高等学校
- 上野千鶴子の学歴③ 京都大学文学部哲学科
- 上野千鶴子は生涯独身を貫いている
- 上野千鶴子が結婚をせず旦那を作らない理由
- 上野千鶴子の子供を持つ事についての考え方
- 上野千鶴子の自宅は高級タワマン
- 上野千鶴子の現在
- まとめ
上野千鶴子のプロフィールと経歴
上野千鶴子のプロフィール
生年月日:1948年7月12日
出身地 :富山県中新川郡上市町
上野千鶴子さんは、国内を代表するフェミニスト、社会学者で、女性学、ジェンダー研究、介護研究のパイオニアとして知られています。
過去には東京大学名誉教授を務められ、現在は、NPO法人「ウィメンズ・アクション・ネットワーク(WAN)」の理事長を務められています。
また、2013年に設立された「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク(のりこえねっと)」の共同代表、日本学術会議の連携会員、シューレ大学アドバイザー、日本社会学会理事なども務められています。その他、「慰安婦問題の解決をめざす会」にも所属されています。
上野千鶴子の生い立ち① 裕福な医者の家族で生まれ育つ
上野千鶴子さんの生い立ちは、戦争が終わって3年後の1948年に富山県中新川郡上市町という田舎町で生まれています。
上野千鶴子さんは、内科の開業医の父親と、専業主婦の母親、兄と弟、父方の祖母の6人家族で育っています。
父親の出身地は富山市だったようですが、戦争でこの町に疎開していて、そのままそこに住んでいる時に上野千鶴子さんが生まれたという事のようです。
上野千鶴子さんは生まれてすぐに富山市の父親の実家へと家族で戻っています。当時の上野千鶴子さんは男兄弟に挟まれていた事も影響してか、チャンバラごっこや西部劇ごっこをするお転婆なタイプの女の子だったそうです。
ただ、父親が古風な人物だったため、自転車に乗る事も許可されず、自宅と学校以外に生活空間がないような、いわゆる箱入り娘として育てられたようです。また、当時は日本舞踊も習わされていたという事です。
上野千鶴子の生い立ち② 中学・高校時代はずば抜けて成績優秀
上野千鶴子さんはその後、中学から高校へ進学するタイミングで金沢市に引っ越されています。
学生時代の上野千鶴子さんはきょうだいの中でもずば抜けて成績が良く、体育と音楽以外はずっとオール5の成績だったそうです。
中学生の頃はずっと本ばかり読んでいて、そのせいで目が悪くなってしまったのだそうです。中学時代には考古学者になりたいという夢も持たれていたのだとか。
高校時代は新聞部に所属し、ずば抜けて頭がよく弁が立つとして、色々と伝説を残されたようです。
上野千鶴子さんの学歴については後述します。
上野千鶴子の実家は医者の家庭で金持ちだった
上野千鶴子さんは当時の女性としては珍しく大学へ進学して社会学を学ばれています。
しかしこれは、上野千鶴子さんの実家が先進的で女性の教育に理解があったというわけではなく、上野千鶴子さん本人のインタビューでの発言などによれば、ただ単に医者の家庭で実家に経済的に余裕があったため「金をドブに捨てる」ような感覚で大学への進学を許してくれたという事だったそうです。
上野千鶴子さんは生まれ育った実家については、最初に生まれたのは富山県の上市町という田舎町で、その後戻った実家が富山市の150坪の豪邸、その後中学を卒業後に金沢市の90坪の家に引っ越した事を明かされています。
生まれたのは、父が疎開していた上市町(富山県)、その後に戻った富山市の家はお庭がすごく広くて、塀の中でも十分遊べた。次の家も150坪、それから金沢の90坪。段々ちいちゃくなったけれど、塀の中だけで遊んでました。
上野千鶴子の家族① 父親は開業医の上野良雄
上野千鶴子さんがフェミニズム的な思想を持ったのには、生まれ育った家族も深く関係しているようです。
上野千鶴子さんの父親は戦前に満州国から帰国し、終戦後に富山県で開業医になった内科医の上野良雄という人物でした。
上野千鶴子さんはこの父親について、ワンマンの亭主関白で癇癪持ち、開業医でお山の大将、社会性ゼロと散々に批判されています。
うちの父親はワンマンの亭主関白でかんしゃく持ち。開業医だからお山の大将で、社会性ゼロの人間でした。
また、父について、母親と姑(上野千鶴子さんの祖母)が対立すると、姑に味方するマザコン夫ともこき下ろされています。
妻と姑がうまくいかないのはザラにあることで、対立があると夫は母につくという普通のマザコン夫。
この上野千鶴子さんの父親は2001年に亡くなられています。
上野千鶴子の家族② 母親は専業主婦
上野千鶴子さんの母親は専業主婦で、強権的な父親に従うという当時としては一般的なイメージの女性だったようです。
上野千鶴子さんの母親の名前は元々は久子さんだったそうなのですが、結婚した時に父親が「静子」に名前を変えさせたのだそうです。この事について、上野千鶴子さんは「彼(父親)の女に対するファンタジーを妻にも押し付けていた。」と批判的に話されていました。
強権的な父に従順に従っていたという母でしたが、夫婦仲はかなり悪かったそうで、離婚したいけれども子供がいるから離婚できないと上野千鶴子さんにこぼす事もあったのだそうです。
専業主婦だった母は休む暇もなく家事に追われていましたが、家では収入のある父が威張っている。母は「子どもがいるから離婚できない」と、いつもこぼしていました。
上野千鶴子さんは、そんな母親の生き方を否定的に見つめられていたようで「母のようにはなりたくない」と思いながら成長されたようです。
気の強い姑とわがままで癇癪持ちの夫に仕えて、夫婦喧嘩は日常茶飯事。そして、子どもに「あんたたちさえいなければ離婚できるのに」と愚痴る。日本の多くの母親と同じ。だから日本の普通の、最低の母でした。
ただその一方で、上野千鶴子さんの母親は先進的な一面も持ち合わせていたようで、編み物をして洋服を作ったり、クリスマスケーキを焼いたり、当時の日本の食卓には珍しかったサラダを作ったりもされていたそうです。
両親がクリスチャンでしたから。母は器用で何でもできる人で、編み物もできたし、洋服も作ってくれた。料理も上手でした。食卓にはサラダとか当時としてはハイカラなものが出てましたね。母はそうした暮らしを教会で覚えたんだと思う。私を送り込んだのも、富山のミッション系の名門幼稚園でしたから。
上野千鶴子さんの母親はそうした西欧的な感覚も持ち合わせていたため、古い時代の父権を振りかざす上の千鶴子さんの父親への反発を抱き、嫌々従いながらも不満を持っていたため夫婦仲が悪くなってしまったという部分もあったのかも知れません。
この母親は上野千鶴子さんが43歳の頃に亡くなられています。
上野千鶴子の家族③ 兄と弟がいる3人きょうだい
上野千鶴子さんは、5歳年上の兄と2歳年下の弟がいる3人きょうだいの真ん中です。
男尊女卑的な古い考え方を持つ父親は、男兄弟2人には厳しい態度で教育したそうですが、女子である上野千鶴子さんに対しては全く違う甘い態度で接したそうです。
当時の一般的な見方からすれば、ただ1人の女子である上野千鶴子さんを父親が溺愛していたという構図なのでしょうが、当時から上野千鶴子さんはそうした態度の違いに違和感を持たれていたようです。
10才ごろのお正月のこと。父が兄と弟の将来の仕事について教訓がましく指導することがありました。蚊帳の外に置かれた私が「チコちゃんは?」と尋ねると「かわいいお嫁さんになるんだよ」って。当時、女の人生は結婚して他家に嫁ぐことがすべて。父にとって娘はペットのような存在だったんです。
上野千鶴子さんは上で紹介した以外にも複数のメディアや著作などで、この家族エピソードを話されているので、子供時代に男きょうだい2人と差別的な扱いを受けた事がよほど引っかかっているのだと思います。
上野千鶴子の若い頃の画像① 36歳か37歳頃
出典:https://s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/
当時としてはかなり先鋭的なエピソードが多い上野千鶴子さんですが、そんな若い頃の画像にも注目が集まっているようです。
上の画像は、1985年に開催された国際シンポジウムに参加する若い頃の上野千鶴子さんです。1985年なので、36歳か37歳の頃のはずです。
上野千鶴子の若い頃の画像② 1987年の「現代思想」の記事より
上の画像は、1987年発売の現代思想の臨時増刊号のインタビュー記事の中に掲載された若い頃の上野千鶴子さんの画像です。38歳か39歳頃と思われます。
上野千鶴子の学歴① 出身中学は富山大学教育学部附属中学校
続けて、上野千鶴子さんの学歴についても見ていきます。
上野千鶴子さんの出身中学は国立の「富山大学教育学部附属中学校」で、現在は「富山大学人間発達科学部附属中学校」に改称されています。
富山県でもトップクラスの進学校として知られていますが、上野千鶴子さんは父親に言われるがままに受験してこの中学に入学されたそうで、当時から上野千鶴子さんの学力がかなり優秀だった事がうかがえます。
上野千鶴子の学歴② 出身高校は石川県立金沢二水高等学校
上野千鶴子さんは中学卒業後に家族で石川県金沢市へと引っ越しし、同市の「石川県立金沢二水高等学校」へと進学されています。この高校についても本人の意志ではなく父親の命令を受けて受験されたそうです。
石川県立金沢二水高等学校の最新の偏差値は「67」と、全国でも有数の学力レベルを誇ります。
上野千鶴子の学歴③ 京都大学文学部哲学科
上野千鶴子さんは高校を卒業後、「京都大学文学部哲学科」へと進学されています。京都大学文学部の偏差値は「67.5」です。
上野千鶴子さんは箱入りで育てたい父親のいる実家から逃げ出す目的で、関西に出ていた兄と同居するという条件で関西地方の大学を受験する事になり、京都大学へと進学されたそうです。
最初は兄の下宿で同居していたそうですが、上野千鶴子さんはすぐにそこを逃げ出して、大学近くの老夫婦が2階を貸している下宿に移って一人暮らしを始めています。
当時は学生運動の真っ只中で、上野千鶴子さんも大学時代を全共闘の活動家として過ごしています。一方で、大学時代はワンダーフォーゲル部にも所属して活動されていたそうです。
その後、上野千鶴子さんが大学院へと進まれ、この頃には同棲した恋人もいたそうです。当然家族からは猛反対されたようですが、上野千鶴子さんは仕送りを断り、家庭教師、塾の講師、売り子、ウェイトレスなどのアルバイトをしながら生活されていたそうです。
上野千鶴子は生涯独身を貫いている
フェミニストである上野千鶴子さんですが、これまでに1度も結婚されたことはなく独身です。
上野千鶴子さんはこれまでに何度かパートナーはいたという事ですが、主義として独身を貫かれているようです。独身を貫く理由は単純で、契約で相手を縛りたくないし自分も縛られたくないためだそうです。
ちなみに上野さんご自身は生涯独身を貫いている。
その理由は、「パートナーが居るときはありますが、法律婚という契約で相手を縛りたくないし自分も縛られたくない」だからだそう。
上野千鶴子が結婚をせず旦那を作らない理由
上野千鶴子さんが結婚をせずに旦那を作らない理由については、自分の性的な自由を手放さなければならないのが恐ろしいからといった内容を語られていました。
【上野千鶴子氏】逆に聞きたいですよ。人はなぜ不倫をしないんでしょうか、と(笑)。何度も言うように、結婚したら最後、自分の性的身体の自由を手放さなければいけないなんて恐ろしいことを、私はする気になれません。
上野千鶴子さんは、結婚をしたとしてもどうせ自分は別の男性と恋愛をするだろうから、守れない約束はしない方がいいという理由から結婚をせずに旦那を作らないという考え方のようです。
上野千鶴子の子供を持つ事についての考え方
上野千鶴子さんは生涯独身を貫いており、旦那さんがいないので、子供もいないという事ですが、こちらも主義として子供を作らないという考え方を選択されているという事です。
上野千鶴子さんは子供を持たない理由としては、「子供を持つ事に耐えられないから」と説明されていた事がありました。
上野:私は“許せない”なんて恐ろしいことは言えませんが、子供を持つことに“耐えられない”と表現した方がよいかもしれません(笑い)。
上野千鶴子さんは自分の母親との関係がよくなく、母親の生き方についても批判的に見ていました。そういった自分の生い立ちが背景にあって、「自分のような娘が目の前にいると想像するだけで耐えられない」と子供を持たない理由を説明されていました。
上野:考え方は似ていると思います。私は母親との関係がよくなかったから、母にとって苛烈な批判者である娘という自分の存在がどれほど嫌なものだったかがよくわかります。母のアキレス腱をいちばんよくわかっているのは娘だからこそ、無遠慮に批判する。自分が母の立場になって自分のような娘が目の前にいると想像するだけで耐えられませんね。
確かに、子供を作ってみたはいいものの、やはり自分には向いていないから育てるの止めるというわけにはいかないでしょうから、初めから子供を作らないという選択肢を選ばれるというのは上野千鶴子さんらしいと感じますね。
同様に結婚についても、離婚するくらいなら初めから結婚しない方が良いという考え方なのでしょう。
上野千鶴子の自宅は高級タワマン
出典:https://amd-pctr.c.yimg.jp/
上野千鶴子さんの自宅は東京郊外の高級タワマン(タワーマンション)だという事です。
インタビュー記事などによると、上野千鶴子さんは2011年頃、東京大学の教授職を退職された後にこのタワマンに引っ越されたそうです。それまでは東大近くの一戸建てが自宅だったとのことでした。このタワマンに引っ越す前の一戸建ての自宅も、160平米床暖房完備の高級な住宅だったようです。
上野千鶴子は自宅が高級タワマンなのに「平等に貧しくなろう」と主張し炎上
上野千鶴子さんは、自宅は高級タワマン、高級車のBMWを乗り回すという裕福な生活を送られていますが、2021年1月に、これ以上経済成長しなくても良いという意味合いで「平等に貧しくなろう」などと発言し、これが炎上騒動に発展しています。
逃げ切り世代、タワマン住まいの上野千鶴子が平等に貧しくなろうって言ってるのと同じぐらい空虚な主張だ。
— ゆきママ(モデルナ💰億り人JK) (@yukimamafx) November 7, 2021
昨晩、上野千鶴子さんが学者としての大変優れている点をご説明頂いたのだが。
— 新田士郎 (@sironitta) November 6, 2021
俺は「みんなで貧しくなろう」と耳障りの良い事を言いながらも自分はタワマンに住んで外車乗り回してる辺りに世渡りスキルも優れていると思ってます。
みんなもアイツを見習え!
上野千鶴子さんは、このタワマン騒動以前も過激な発言をして度々炎上している人なので、何をいまさらという感じもあります。
上野千鶴子の現在
出典:https://president.ismcdn.jp/
上野千鶴子さんは2021年11月の現在は73歳ですが、今も現役で活躍されています。
上野千鶴子さんは自宅が高級タワマンなのに平等に貧しくなろうなどと主張して批判を浴びましたが、現在も一定の支持層を抱えており、講演会などでは引っ張りだこのようです。
2021年11月6日には長野県教育研究集会にオンラインで講演。同年12月4日にはWebセミナー「みんなで異見交論」にゲスト出演されています。
また、上野千鶴子さんは朝日新聞系などリベラルな思想のメディアでは依然として高い人気があるようで、よくコラム記事や著作などが取り上げられています。
一部過激な発言などもあり、批判を集めがちな上野千鶴子さんですが、女性の権利を主張するという点では主張がぶれず一貫されているので、現在も高い支持を集めているのでしょう。
まとめ
今回は、フェミニストで社会学者の上野千鶴子さんについてまとめてみました。
上野千鶴子さんは、開業医の父親と専業主婦の母親、兄と弟の裕福な家族で育った生い立ちを持ちますが、幼い頃から旧来の父権制度や男女差別的な社会などに疑問を持たれていたようです。
上野千鶴子さんは、富山大学教育学部附属中学校を経て、石川県立金沢二水高等学校、京都大学文学部へと進んだ輝かしい学歴をもちますが、それでも当時の社会では男女の就職機会に著しい差があり、なかなか思うような職を得る事ができなかったようです。
上野千鶴子さんはそうした中でも大学教授の道に自身の生きる道を見出し、その立場からファミニズムの思想を主張され続けてきました。
上野千鶴子さんは主義として生涯独身を貫かれています。結婚せずに旦那を持たない理由としては、結婚しても恋愛をやめられないだろうと言う考え方から守れない約束はしない方が良いと言う考え方を持たれているためのようです。また、子供についても主義として持たれない選択をされたようです。
そんな上野千鶴子さんですが自宅は東京郊外の高級タワマンだと言う事ですが、自身は景気拡大機に成功を収めて高級タワマンに住みながら、これ以上の経済成長はしなくて良いという意味合いで「平等に貧しくなろう」などと主張している事が批判され炎上騒動になっています。
批判的意見も多い上野千鶴子さんですが、現在も一定層からの人気は非常に高く、講演会やリベラル系のメディアでは引っ張りだこの活躍をされています。