元衆議院議員の辻元清美さんが2022年の参議院銀選挙に出馬して話題です。
この記事では辻元清美さんの出身地や生い立ち、父親や母親などの家族、出身大学などの学歴や政治家としての経歴、結婚や子供、過去の犯罪歴や関西生コン事件との関係、若い頃から現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
- 辻元清美のプロフィール
- 辻元清美の出身地は大阪府(出生地は奈良県)で朝鮮半島出身はデマ情報
- 辻元清美の生い立ち
- 辻元清美の家族① 父親は洋服店やうどん屋などを経営していた
- 辻元清美の家族② 母親は美容師免許を取って生活を支えた
- 辻元清美の家族③ 祖父は太平洋戦争で戦死
- 辻元清美の家族④ 兄弟は弟が1人
- 辻元清美の学歴① 転校で3校を経て「大阪市立愛日小学校」を卒業
- 辻元清美の学歴② 出身中学は国立の「奈良教育大学附属中学校」
- 辻元清美の学歴③ 出身高校は国立の「名古屋大学教育学部附属高校」
- 辻元清美の学歴④ 出身大学は「早稲田大学」の教育学部(若い頃)
- 辻元清美の経歴① NGOピースボートで活動(若い頃)
- 辻元清美の経歴② 社民党から衆議院議員選挙に出馬し初当選
- 辻元清美の経歴③ 2002年に衆議院議員を辞職した後に詐欺で有罪判決
- 辻元清美の経歴④ 2005年に再び社民党から衆議院議員選挙に出馬し当選
- 辻元清美の経歴⑤ 鳩山由紀夫内閣で国土交通副大臣に就任
- 辻元清美の経歴⑥ 社民党を離党して民主党に入党
- 辻元清美の経歴⑦ 民進党を経て立憲民主党に所属
- 辻元清美の経歴⑧ 2021年10月の衆議院議員選挙で落選し参院選出馬
- 辻元清美の結婚や子供
- 辻元清美の犯罪歴について
- 辻元清美と関西生コン事件との関係について
- 辻元清美の現在① 参議院議員選挙に出馬
- 辻元清美の現在② 事務所ベランダに生卵を投げ込まれたとツイート
- まとめ
辻元清美のプロフィール
辻元清美のプロフィール
生年月日:1960年4月28日
出生地 :奈良県吉野郡大淀町
出身地 :大阪府高槻市など
血液型 :B型
辻元清美さんは立憲民主党に所属する政治家で、2021年まで衆議院議員を務めていました。リベラルな政治思想でも知られ、2010年までは左派政党の社民党を代表する政治家の1人でした。
これまでに7度衆議院議員に当選し、長期にわたって国会議員を務めてきた辻元清美さんですが、2021年の衆議院議員選挙で落選して議席を失い、2022年7月の参議院議員選挙出馬を表明して注目されています。
この記事ではこの辻元清美さんについてまとめていきます。
辻元清美の出身地は大阪府(出生地は奈良県)で朝鮮半島出身はデマ情報
辻元清美さんの出生地は奈良県吉野郡大淀町下渕ですが、家族の仕事の関係で幼い頃に大阪府へと移住し、その後は大阪府高槻市を中心に奈良県を含む関西で育っています。
トータルで見ると、辻元清美さんの出身地は「大阪府」だと言えます。
なお、ネット上では辻元清美さんの出身地を朝鮮半島だとするような噂が流れていますが、辻元清美さんはこれはデマ情報であるとしており、辻元清美さんの公式ウェブサイトにも、そうした噂に対しての削除要求をしていくとの旨が記されています。
「帰化日本人である」とのレッテルを、侮蔑的な意味で相手に貼り、貶めようとする行為は、「民族」を理由とする差別的言動です。インターネット上においても、多くのプロバイダが禁止している行為です。辻元清美は、差別的なデマと応酬すること自体が、マイノリティに対する差別的イメージの意図せぬ拡大につながる懸念があると考え、この種のデマに今まで一度も反応してきませんでした。
辻元清美の生い立ち
辻元清美さんの幼い頃の生い立ちを見ていきます。
辻元清美さんは、1960年4月28日に奈良県の吉野郡大淀町下渕という場所で生まれていますが、当時は父親が大阪府大阪市中央区の船場というところで洋服店を営んでいたため、そこで育ったようです。
辻元清美さんの幼い頃、家族はかなり貧しかったそうで、店舗2階の実家は六畳一間風呂なしだったそうです。
辻元清美さんはメディアのインタビューなどでも生い立ちについて語っていて、当時は闇市のような繊維街で、在日韓国・朝鮮人や、当時はまだアメリカの占領下にあった沖縄出身の方達と助け合いながら生活されていたそうです。
また、当時は父の商売があまりうまくいっておらず、その影響で奈良県の親戚宅へと預けられたり、大阪府内での引っ越しを繰り返したり(大阪府内の小学校を4度転校)するなど、色々と苦労をされたようです。
闇市のような繊維街で暮らしてた頃は、在日の人や復帰前の沖縄の人たちと助け合って生きてた。博打で身を持ち崩す人、不渡りを摑まされ夜逃げする人もいた。私の父も商売に失敗、引っ越しばかりしてたから、吉野の山奥の親戚に長く預けられた。
辻元清美の家族① 父親は洋服店やうどん屋などを経営していた
生い立ちのところでも触れていますが、辻元清美さんが生まれた当時、辻元清美さんの父親は小さな洋服店を経営されていたそうです。
辻元清美さんの父親は、父(辻元清美さんの祖父)が太平洋戦争に出征して南方で戦死し、生きていくために15歳の時に丁稚奉公に出されたそうです。
詳しい時系列は不明ですが、父親が25歳の時に辻元清美さんが誕生し、それに前後して家族は大阪府船場で洋服店を営んでいたようです。
食うや食わずの父は15歳で丁稚奉公に出され、25歳の時に私が生まれた。父は船場(せんば)でちっぽけな洋服屋を営み、2階の六畳一間には風呂がなく、家族4人でずっと貧乏でした。
ただ、繊維不況の影響を受けて、父親の洋服店は立ち行かなくなり、その後はクリーニング店の取り次や、小さなうどん屋(立ち食いうどん屋さん)などを経営しながら、どうにか家族で生活されてきたそうです。
私自身、実家は小さな商売をしておりました。私が生まれたときは洋服屋だったんですが、大阪の船場などでやっていました。事業がうまくいかなくなって、その後、クリーニングの取り次ぎをやったり、そして、小さなうどん屋さんなど飲食店もやってまいりました。
辻元清美の家族② 母親は美容師免許を取って生活を支えた
辻元清美さんの幼い頃は、家族で貧しい生活を送られたという事でしたが、母親はたくましく前向きな方だったそうで、自ら美容師の免許を取って働き、家族の生活を支えられたそうです。
母が美容師免許を取って、私と弟を育ててくれました。
辻元清美さんの政治思想には、この母親が「女も自立せないかん、世の中を変えなきゃいかん」と常々話していた事も大きく影響しているという事です。
美容師だった母が、「女も自立せないかん、世の中を変えなきゃいかん」と言っていたこと。
辻元清美の家族③ 祖父は太平洋戦争で戦死
辻元清美さんの父方の祖父は、太平洋戦争に徴兵され、南方のブーゲンビル島で戦死されています。
商売人だった祖父はブーゲンビル島で戦死。
辻元清美さんの政治思想には、祖父が戦争で亡くなっている事も影響しているようです。
辻元清美の家族④ 兄弟は弟が1人
辻元清美さんには弟が1人います。
辻元清美さんの弟さんの年齢や名前などは不明ですが、幼い頃、家族の家計が厳しくなると、辻元清美さんと一緒によく奈良県の親戚の家に預けられていたそうで、苦労されていたようです。
2001年の東京新聞の「家族のこと話そう」のコーナーに掲載された辻元清美さんのインタビュー記事によると、この弟さんは勤めていた会社を辞めて辻元清美さんの選挙活動(2000年6月の第42回衆議院議員総選挙)を手伝っていたようです。
現在については不明ですが、2012年頃の週刊誌記事でも、弟さんが辻元清美さんの選挙活動を手伝っていたとの内容が見られるため、ずっと辻元清美さんのスタッフとして働かれている可能性も考えられます。
辻元清美の学歴① 転校で3校を経て「大阪市立愛日小学校」を卒業
辻元清美さんの学歴についても見てきます。
生い立ちのところや家族のところでも触れているように、辻元清美さんは幼い頃、かなり貧しい生活を送り、その影響を受ける形で、大阪府内の小学校の転校をくりかえしています。
辻元清美さんは1967年4月に、堺市立東三国ヶ丘小学校に入学していますが、その後、大淀町立桜ヶ丘小学校を経て、高槻市立如是小学校へと転校。さらに、大阪市立愛日小学校(現在の大阪市立開平小学校)へと転校して1973年3月に転校されています。
こうした境遇もあり、小学校時代の辻元清美さんは最初、不登校気味だったそうなのですが、高槻市立如是小学校の3年生だった時に良い先生に巡り会い、それをきっかけに積極的な性格になって、勉強にも一生懸命取り組むようになったそうです。
辻元清美の学歴② 出身中学は国立の「奈良教育大学附属中学校」
辻元清美さんは小学校時代の後半に勉強をかなり頑張られたようで、中学は受験をして国立の「奈良教育大学附属中学校」へと進学されています。
辻元清美さんが通っていた当時の同中学はかなり学力レベルが高かったようです。
また、この頃には家族の生活の方も、父親の立ち食いうどん屋の経営が軌道に乗ってきた事で、ずいぶんと豊かになってきたという事です。
中学時代の辻元清美さんについては、明るくて活発な性格で、後輩の恋愛相談にも乗ってくれるような優しい一面もあったそうです。
辻元清美の学歴③ 出身高校は国立の「名古屋大学教育学部附属高校」
辻元清美さんは中学卒業後は、愛知県名古屋市の国立高校「名古屋大学教育学部附属高校」へと進学されています。同高校の最新の偏差値は「62」です。辻元清美さんが入学した当時もかなり学力レベルは高かったようです。
辻元清美さんは高校3年生の時に、代々木ゼミナール名古屋校の英語講師だった小田実さんの講演を聴いて小田さんと知り合い、それをきっかけに市民活動に加わるようになっています。
辻元清美さんは高校を卒業後は、家族の経済的な理由からすぐには大学へは進学せずに、2年間デパートで働いて、大学進学のための資金を貯められています。
ちょうどその頃の1980年のはじめ頃に、小田実さんの市民運動を手伝い始め、この頃に同じく市民活動をされていた土井たか子さん(元衆議院議員で社民党党首)と知り合われています。
辻元清美の学歴④ 出身大学は「早稲田大学」の教育学部(若い頃)
辻元清美さんは高校卒業後に2年間一般企業で働いて、大学進学資金を貯められた後、1981年4月に早稲田大学教育学部へと進学されています。早稲田大学教育学部の最新の偏差値は「65」です。
辻元清美さんは早稲田大学在学中の1983年に、大学の仲間4人とアジア諸国と日本との交流の活性化目的とするNGO団体「ピースボート」を設立されています。
辻元清美さんは早稲田大学には6年間在籍し、1987年3月に卒業されています。
辻元清美の経歴① NGOピースボートで活動(若い頃)
辻元清美さんは早稲田大学を卒業後も、大学時代に設立したNGO団体「ピースボート」の中心人物として活動を続けていました。
1992年6月のブラジル、リオ・デ・ジャネイロで開催された地球サミットにもNGOの代表の1人として参加し、その後も様々な市民運動に精力的に参加し1993年には、エイボン女性大賞教育賞を受賞されています。
辻元清美の経歴② 社民党から衆議院議員選挙に出馬し初当選
辻元清美さんは当時、衆議院議員を務めていた土井たか子の支援団体でも活躍していました。
そして、1996年に、土井たか子さんが党首に復帰した社民党に擁立される形で衆議院議員選挙(第41回)に初めて出馬しています。
辻元清美さんは比例近畿ブロックから比例1位で出馬して初当選しています。
その後、辻元清美さんは1998年1月に社民党幹事長代理に就任し、同年3月には、特定非営利活動促進法(NPO法)を成立させています。同年9月には社民党広報委員長に就任しています。
2000年6月の第42回衆議院議員総選挙には、大阪10区から出馬し再選を果たしています。同年7月には、社民党政策審議会長に就任されています。
辻元清美の経歴③ 2002年に衆議院議員を辞職した後に詐欺で有罪判決
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辻元清美さんは、2002年3月20日発売の「週刊新潮」が報じた、秘書給与流用疑惑(後に詐欺罪で立件され有罪判決)がきっかけとなって批判を受け、2002年3月28日に衆議院議員を辞職しています。
その後、辻元清美さんは秘書給与詐欺容疑で警視庁に逮捕され、2004年2月に秘書給与1840万円を騙し取ったとする詐欺の罪で懲役2年執行猶予5年の有罪判決を東京地裁に下されています。
この辻元清美さんの犯罪歴については後述します。
辻元清美の経歴④ 2005年に再び社民党から衆議院議員選挙に出馬し当選
辻元清美さんは詐欺罪での有罪判決確定を受けて、2004年6月に社民党を離党しています。
翌7月の第20回参議院議員通常選挙に、大阪府選挙区から無所属で出馬していますが落選。
2005年7月末に、当時、社民党の党首だった参議院議員の福島瑞穂さんや、土井たか子さんからの誘いを受ける形で、再び社民党公認での衆議院議員選挙出馬を決意し、同年9月の第44回衆議院議員総選挙に大阪10区から出馬し、比例復活での当選を果たしています。
2006年2月には、社民党女性青年委員長に就任。
辻元清美さんは、2009年8月の第45回衆議院議員総選挙にも大阪10区で出馬して連続当選を果たしています。同年9月には党国会対策委員長に就任。
辻元清美の経歴⑤ 鳩山由紀夫内閣で国土交通副大臣に就任
2009年9月には、衆議院選挙で大敗した自民党に代わって、民社国連立政権の鳩山由紀夫内閣が発足しました。辻元清美さんはこの内閣で国土交通副大臣に任命されています。
2010年1月には社民党国対委員長を退任し、新たに設置された社民党特命常任幹事に就任しています。
2010年5月、沖縄の普天間基地移設問題において、日米政府間合意の閣議決定での署名を拒否した社民党党首の福島瑞穂内閣特命担当大臣(当時)が、鳩山由紀夫首相(当時)に閣僚を罷免されたました。
これを受けて社民党は連立政権を離脱する事を決め、それに伴って辻元清美さんも国土交通副大臣を辞任しています。
辻元清美の経歴⑥ 社民党を離党して民主党に入党
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2010年7月27日、辻元清美さんは社民党に離党届を提出し、同8月19日に受理されています。
社民党を離党した辻元清美さんは、同年9月28日に衆議院内会派「民主党・無所属クラブ」に入会し、国土交通委員会与党筆頭理事に就任しています。
2011年3月には、東日本大震災の発生を受けて設置された災害ボランティア担当内閣総理大臣補佐官に就任しています。
同年9月5日には、辻元清美さんは、野田内閣発足に伴って首相補佐官を退任し、9月27日に正式に民主党に入党し、10月20日には民主党政調副会長に就任されています。
2012年12月の第46回衆議院議員総選挙には、大阪10区から出馬し、得票数では敗れたものの比例近畿ブロックで復活当選しています。この選挙では民主党が歴史的な大敗を喫して政権を失い、再び自民党が第1党となっています。
民主党の下野後の2013年9月に辻元清美さんは民主党幹事長代理に就任。
2014年12月14日の第47回衆議院議員総選挙では大阪10区より出馬して当選し、2015年12月に民主党役員室長に就任されています。
辻元清美の経歴⑦ 民進党を経て立憲民主党に所属
辻元清美さんは、2016年3月27日に民主党と維新の党が合流して民進党が結成されると同党にそのまま加わり民進党執行部発足後も役員室長に留任しています。
2017年9月に希望の党が結党され、民進党は同党への事実上の合流方針を決めますが、政策の違いから辻元清美さんを含む一部の有力議員が、同党の公認を得るのは難しい状況(当時の代表の小池百合子さんが、同党への参加条件について、憲法改正と安保法制への姿勢を重視すると発言)となりました。
これを受けて、枝野幸男さんが新党「立憲民主党」を同年10月に設立。辻元清美さんも民進党を離党して立憲民主党に参加しています。同10月6日には、立憲民主党政務調査会長に就任されています。
その後の同年10月22日の第48回衆議院議員総選挙に、辻元清美さんは大阪10区より出馬し7度目の当選を果たしています。選挙後には立憲民主党国会対策委員長にも就任されています。
2019年9月19日、国会対策委員長を退任して幹事長代行に就任されています。
辻元清美の経歴⑧ 2021年10月の衆議院議員選挙で落選し参院選出馬
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辻元清美さんは、2021年10月31日の第49回衆議院議員総選挙に大阪10区から出馬しましたが、日本維新の会の新人池下卓さんに敗れて落選しています。比例復活もできず、2005年以来の議席を失いました。
辻元清美さんはその後、国会議員への復帰を目指して、2022年7月の参議院議員選挙に比例代表で出馬されています。
辻元清美の結婚や子供
辻元清美さんはこれまでに1度も結婚はされておらず、子供もいません。
辻元清美さんの結婚に関する噂話として、元赤軍派で出版社第三書館代表の北川明さんと内縁の関係にあるというものがありました。
辻元清美さんと北川明さんの関係については、週刊誌「週刊新潮」が報じた事があります。その記事によれば、辻元清美さんと北川明さんは学生時代から交際をはじめ、NGOピースボートでの活動から衆議院議員になってからの発言まで、ほとんどがこの北川明さんの知恵と力を借りていたのだそうです。
こうした週刊誌報道が出た事で、以前から日本の不利益になるような不可解な行動や発言が多いとして批判も多かった辻元清美さんに対しては、北朝鮮のスパイなのではないかといった疑惑の声も上がりました。
これについては、辻元清美さんのオフィシャルサイトで、秘書の長谷川哲也さんが事実無根のデマだと否定されています。
私は国会事務所で、10年間辻元清美のスケジュール管理をしております。朝、早いときは6時台から、深夜までです。少なくともこの10年間、巷で言われる内縁の夫という、存在は一度も見たことがありませんし、そもそも、毎日のように、困ったとか問題があるという陳情があり、そんな時間が彼女にあるとも思えません。
引用:辻元清美公式ウェブサイト News 内縁の夫のデマについて(辻元清美秘書 長谷川 と 辻元清美 母からのメッセージ)
辻元清美の犯罪歴について
経歴のところでも触れていますが、辻元清美さんには詐欺罪での犯罪歴(逮捕歴)があります。
辻元清美さんは、勤務実態のない秘書2人分の給与合計で約1880万円を詐取した容疑で逮捕され、懲役2年執行猶予5年の有罪判決を受けています。
辻元清美の犯罪歴(辻元清美秘書給与流用事件)の内容
2003年7月18日、警視庁捜査二課が、辻元清美さんと初代政策秘書と元公設秘書、土井たか子さんの元政策秘書の4人を、秘書給与詐欺容疑で逮捕しました。
辻元清美さんらは、逮捕された元秘書のうち1人を政策秘書として採用するつもりがないのに、採用したように見せかける虚偽の書類を作成して1996年11月に衆議院事務所に提出し、この月の下旬から1997年3月中旬まで、国からこの元秘書に支払われた約457万円を詐取しました。この間、この元秘書に勤務実態はありませんでした。
さらに、辻元清美さんは同様の方法で、後任の政策秘書も採用したように見せかけ、1997年4月頃から1998年12月上旬までの間に国から給与として支払われた約1425万円を詐取しました。この間、この元政策秘書にも勤務実態はありませんでした。
当時の報道によると、辻元清美さんは勤務実態のないこの元秘書2人に、国から支払われた給与のうちから「報酬」という名目で月に5万円から7万7000円を渡し、残りを辻元清美さんの事務所に寄付させるという形で流用したという事です。
なお、辻元清美さんは、逮捕前の2002年8月に元政策秘書2人に支払われた給与のうち詐取した分にあたる総額約1882万円に金利分を加えた約2331万円を返納しています。
辻元清美と関西生コン事件との関係について
2018年8月28日に、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部の執行委員長(当時)で、生コン業界のドンとも称される武建一という人物が恐喝未遂容疑で逮捕されました。
この武健一という人物の逮捕容疑は、滋賀県内の倉庫建設工事でその現場に生コンクリートを納入していた商社の支店長に対して、自身の傘下にある湖東生コン協同組合の加盟業者と契約するようにと恐喝して圧力をかけたというものでした。
その後、この武健一という人物は、2017年12月に大阪市港区や西成区で、運送業者のセメント運送用車両の前に立ち塞がって出荷を妨害した事件で主導的な立場にあったとして、2018年11月21日に威力業務妨害でも再逮捕されています。
さらにその後、2019年7月17日にも、京都生コン協同組合の理事から、傘下の生コンクリート運送会社の解散をめぐる解決金などと称して6千万円を脅し取った容疑や、同じ生コン運送会社の組合員7名に退職金を支払う必要があるなどと因縁をつけて、解決金と称して1億5千万円を脅し取った容疑などで逮捕されて、2021年7月13日に大阪地裁で懲役3年執行猶予5年の有罪判決が言い渡されています。
また、2005年にもこの武健一という人物は、強要未遂、威力業務妨害などで大阪府警に逮捕されて起訴されています。
このように、この武健一という人物が執行委員長を務めていた全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部という組織は、実質的に暴力団組織のようにみなされていて、この逮捕時にも暴力団組織を主に取り締まる組織犯罪対策課が動いています。
そして、暴力団まがいとの疑惑を持たれている武健一という人物と、辻元清美さんが親密な関係にあって多額の政治献金を受け取っていた事などを一部のメディアが報じています。辻元清美さんがこの武健一という人物のことを「大阪のお父ちゃん」などと呼んで慕っている事なども一部のメディアは報じています。
このような法を逸脱した暴力団紛いの労働組合から、非常に親密な関係を結んで政治献金を受け取っていた国会議員がいることです。その最右翼にいるとされているのが立憲民主党の辻元清美さんです。彼女は確認できた段階でも昨年の旗開き、つまり新年の仕事始めに行き、満面の笑みで挨拶して、捕まった武建一被告については「大阪のお父ちゃん」と呼んでいる、親しい状況です。
最初にこの疑惑を報じた「週刊朝日」が、辻元清美さんの事務所に、この武井健一という人物と全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部との関係についての取材を申し込んだところ、「ご指定の人物、団体から献金を受け取った事実はありません」との回答があったという事で、報道の内容は事実ではないと主張されているようです。
辻元清美事務所に武容疑者とのつきあい、連帯から献金を受けたことについて、取材を申し込むと、こう回答があった。「(武氏の逮捕について)見解はありません。ご指定の人物、団体から献金を受け取った事実はありません。(武氏との)会食が何を指すか、わからないのでお答えできません」(本誌取材班)
辻元清美の現在① 参議院議員選挙に出馬
出典:https://static.tokyo-np.co.jp/
辻元清美さんは2021年10月に衆議院議員選挙で落選して国会議員の地位を失いましたが、再び国会議員になるべく、2022年7月の参議院議員選挙に出馬しています。
6月22日の公示前から全国を回り街頭演説を行われており、7月6日からは地元の大阪で街頭演説を行われていました。
辻元清美の現在② 事務所ベランダに生卵を投げ込まれたとツイート
参院選に向けて選挙活動をされている辻元清美さんですが、2022年7月6日には自身のTwitterで、東京の事務所のベランダに生卵が投げ込まれる嫌がらせを受けた事をツイートされています。
連日の嫌がらせや暴力とも書かれているので、選挙運動の妨害活動などを受けているという事なのかも知れません。
今朝、東京事務所のベランダに生卵が投げつけられ、警察に通報しました。こんなことして何になるのでしょうか。連日の嫌がらせや暴力、とても悲しいです。 pic.twitter.com/wA5bbgLTjh
— つじもと清美 (全国比例) (@tsujimotokiyomi) July 6, 2022
なお、この辻元清美さんに対する生卵事件については、卵の割れ方や投げ込まれた位置が不自然に見える事などを根拠として自作自演なのではという疑惑の声も上がっていて、Twitterでは一時「自作自演」がトレンド入りしていました。
自作自演という証拠はないけど、場所はここでしょ?あまりに不自然過ぎない?地上から投げ入れるには生卵はコントロールが難しいし、物理的に考えれば出来るだけ壁に近づいて、真上に上げるように投げ込まないと、こんなベランダ柵の近くに着弾しない。よっぽど窓に当たるように投げ込む方が楽だよ。 pic.twitter.com/InVhainMRs
— akoustam (@akoustam) July 7, 2022
誰の仕業にしても、食べ物は大切にして欲しいものです。
まとめ
今回は、2022年7月の参院選出馬を表明し話題になっている立憲民主党所属の元衆議院議員の辻元清美さんについてまとめてみました。
辻元清美さんの出身地は、朝鮮半島などのデマが飛び交っていますが、奈良県生まれの大阪府育ちです。生い立ちについては、大阪の船場で小さな洋服店を経営する家族に生まれ、子供時代は貧乏な生活を送り、大阪府内の小学校を転々とするなど苦労されたようです。
学歴については、中学から受験して国立の「奈良教育大学附属中学校」を経て、国立の「名古屋大学教育学部附属高校」へと進み、高校卒業後は進学資金を貯めるために2年ほど働いた後に、「早稲田大学」の教育学部へと進学されています。
その後は、大学在学中にNGO団体「ピースボート」を設立し、この頃に市民活動にも精力的に参加するようになり、社民党の有力議員だった土井たか子さんと知り合ったのがきっかけとなって衆議院議員選挙に出馬して当選した経歴を持ちます。
そんな辻元清美さんですが、社民党時代には、秘書給与を詐取した罪で逮捕した犯罪歴があり、一時は衆議院議員を辞職しています。また、結婚に関しては過激派左翼と内縁関係にあるという噂や、2018年に幹部が逮捕された全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部との親密な関係なども噂されていますが、辻元清美さんはいずれもデマだとして否定されています。
色々とお騒がせな辻元清美さんですが、詐欺での有罪判決後には再び社民党から出馬して当選して衆議院議員に復帰し一時は国土交通副大臣の座にまで上り詰めています。その後は、紆余曲折を経て社民党を離党して民主党に加わり、民進党所属を経て現在は立憲民主党に所属されています。
そんな辻元清美さんは2021年の衆議院議員選挙では惨敗して議席を失いましたが、国会議員復帰を目指して2022年の参議院議員選挙に出馬して話題を呼んでいます。