グルメ通としても有名なダチョウ倶楽部の寺門ジモンさんですが、食へのこだわり伝説が話題です。
今回は寺門ジモンさんの本名や出身・実家の家族、若い頃の経歴、自宅のぬか床などグルメ伝説、年収や結婚しない理由や結婚観を紹介します。
この記事の目次
寺門ジモンは「ダチョウ俱楽部」のメンバーでグルメ通タレント
寺門ジモン(てらかど じもん)
生年月日:1962年11月25日
出身地:兵庫県川西市
身長:166㎝
寺門ジモンさんは、お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」のメンバーとしてお馴染みな芸能人です。
ダチョウ倶楽部はリアクション芸やモノマネ芸で人気を博しているお笑いトリオで、3人それぞれピンでも活動しています。
寺門ジモンさんは「スポーツマンNo.1決定戦」の常連となり、筋肉芸人として活躍していた時期もありました。
近年は、グルメ芸人としての地位も確立している寺門ジモンさんは、グルメ書籍を多数発売しているほか、グルメ漫画「ネイチャージモン」の原作にも挑戦しています。
・寺門ジモンのこれを食わずに死ねるか!!(2006年)
・寺門ジモン えっ、これを食わずに生きてたの? (2007年)
・寺門ジモン 降臨! 肉の神様(自称) 疑う前に食べなさい (2008年)
・寺門ジモンの「取材拒否の店」 (2010年)
・常連めし! 奇跡の裏メニュー (2014年)
また、YouTubeチャンネル「寺門ジモンのウザちゃんねる」を開設しており、グルメ動画を配信しているそうですね。
寺門ジモンさんのYouTubeチャンネルはこちら→寺門ジモンのウザちゃんねる
この記事では、そんな寺門ジモンさんのこれまでの経歴や結婚観、様々なグルメ伝説を紹介します。
寺門ジモンの出身や本名・実家の家族とは
寺門ジモンさんは、本名は「寺門義人」といいます。
父親は都市銀行の職員で転勤族だったらしく、寺門ジモンさんの出身地は兵庫県川西市であるものの、少年時代の大半を大阪や東京で過ごしていたそうです。
そのため、友達作りにはかなり苦労したといいます。
少年時代の寺門ジモンさんには早くもグルメな兆候が出ていたらしく、母親が手につけているハンドクリームの匂いにすら敏感でした。
きっかけみたいなのはなくて、小学校の頃から変わってないんです。焼きそばのつくり方一つとっても、こだわりがありましたから。匂いにも敏感で、お母さんがハンドクリームをつけてると、しゃもじでよそうだけで炊き立てのご飯に香りが残るの。手で直接お米に触れてるわけじゃないから、お母さんは首傾げてたけどね。
また、お金を貯めて、1人でラーメンやとんかつを食べ歩くという一風変わった少年でもありました。
寺門ジモンさんの食べ歩き癖はかなり本格的で、お年玉を貯めて、母方の実家の三重県松坂市で松坂牛を食べたり、東京・銀座でお寿司を食べたことまであったとか。
そのため、父親に万博などに連れて行ってもらった際にも、パビリオンよりも現地で売っている食べ物ばかりに関心があったそうです。
寺門ジモンの経歴 【もともとは俳優志望だった】
中学時代には黒澤明監督の映画のオーディションに挑戦
寺門ジモンさんは、兵庫県川西市の実家が山の上にあったため、幼少期より昆虫採集が趣味のアクティブな少年でした。
また、小学時代に友達が8ミリカメラを持っていたため、仲間内で撮影ごっこをするなど、のちの映画に趣味につながる遊びもしていました。
中学時代には、巨匠・黒澤明監督の時代劇映画のオーディションを受けたものの、この時は落選してしまったとか。
将来の不安から芸人に
寺門ジモンさんは都立鷲宮高校を卒業後、テアトル・エコーの附属養成所に所属し、役者を目指していた時期もありました。
ただし、テアトル・エコー時代はあまり順調ではなかったようで、将来に不安を感じ、同期だった上島竜兵さんを誘って、コント赤信号が主催する劇団に移籍します。
劇団に移籍した当初の寺門ジモンさんは、「お前らとは違うよ」といった雰囲気を出していたようで、周囲から浮いた存在だったそうです。
その後、多人数コントグループ「キムチ倶楽部」に合流した寺門ジモンさんは、色々な偶然が重なった結果、現在の「ダチョウ倶楽部」に近い体制になりました。
キムチ倶楽部には20~30人のメンバーがおり俳優の近藤芳正なども在籍していた。当時渡辺正行が立ち上げた第1回のラ・ママ新人コント大会に出場する事になっていたがすっかり忘れており、直前に連絡のついた現メンバー3人と南部虎弾で参加する事になった。それが成功した事でそのメンバーでの活動が増え、改めて4人で「ダチョウ倶楽部」(諸事情によりキムチ俱楽部から改称)を結成した。
引用:ダチョウ倶楽部
初期は尖った芸風だった
偶然から発足した「ダチョウ倶楽部」ですが、南部虎弾さんと寺門ジモンさんら3人のお笑い観が真逆という問題が発生します。
寺門ジモンさんら3人は「一言ボソっと言って笑わせるタイプ」のクールなお笑いを目指していた一方、南部虎弾さんは毒舌芸でした。
両者のお笑い観の違いは埋まらず、1987年に南部虎弾さんが「ダチョウ倶楽部」を脱退。
その後の「ダチョウ倶楽部」はお笑い第三世代ブームに乗り、当時の人気番組であった「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」に出演を果たすなど若手有望株に成長します。
ただ、そんなチャンスをもらいながらも、当時の「ダチョウ倶楽部」はクールな芸風を貫いていたため、テレビ局側の評価もイマイチでクレームまで来ていたとか。
そのため、悩みに悩んだ「ダチョウ倶楽部」は、共演者だった井手らっきょさんの裸芸を真似てみたところ、現場での評価も一転。
以降は、生き残りのために「バカを前面に押し出したお笑い」に方向転換し、厳しい芸能界の生存競争を生き残っている数少ないトリオになりました。
寺門ジモンのグルメキャラ誕生のきっかけは秋元康
「ダチョウ倶楽部」として成功をつかんだ寺門ジモンさんが、グルメキャラでも知られるようになったきっかけは秋元康さんです。
秋元康さんが寺門ジモンさんのラジオ番組にゲスト出演した際、クリスマスのデートプランをプレゼンし合うコーナーに参加し、寺門ジモンさんのプランが勝利しました。
思わぬ勝利に、寺門ジモンさんは一流文化人である秋元康さんに恥をかかせたと心配したそう。
しかし、この件で秋元康さんは寺門ジモンさんのグルメ方面の知識に感心し、本を書くように勧めてくれたのです。
寺門ジモンのグルメ伝説① 米にこだわり、田んぼの土まで舐める・自宅にぬか床も
グルメな芸能人である寺門ジモンさんには、数々の食へのこだわり伝説があるんです。
・美味しいお菓子を食べると工場を直接訪ねて作り方を聞く
・マグロの知識を得るためにマグロ漁船に乗った
・稲作研究のために中国・雲南省に足を運んだ
・本場の白トリュフを食べるために毎年11月はイタリアに3週間滞在
特にすごいのが米へのこだわりで、高級料亭が使っているようなお米を普段から食していると言われています。
また米にもこだわりがあり、オオクワガタ採集などで新潟県や東北地方の山村に行くと棚田を観察し、美味しそうなお米を生産している田んぼだとわかると、その生産者を出待ちしてお米を売ってくれるよう交渉することもあるという。棚田は山間部にあるため昼夜での寒暖差が激しく、平地で生産される米よりも美味しくなると言われる。その際に、まだ実っていないお米の味を判別するために稲穂の様子を観察し、日光や水路の位置を確認するだけではなく、土を実際に舐めてみるのだという。
引用:寺門ジモン
また、男性には珍しく、自宅にぬか床まで持っており、自分でぬか漬けを漬けているそうです。
寺門ジモンのグルメ伝説② 焼肉好きが高じて家畜商の資格を取得
寺門ジモンさんは特に焼肉の知識には自信があるらしく、芸能界一の肉通を自認しています。
鶏・牛・豚だけではなく、ジビエ方面にも精通しているそうで、年間150万円も焼肉料理に使っているとか。
そんな寺門ジモンさんは、焼肉好きが高じて家畜商の資格を取得し、実際にセリに参加して松坂牛の雌牛1頭を195万円で落札したこともあります。
寺門ジモンのグルメ伝説③ プロの料理人並に舌が敏感
食通な寺門ジモンさんは、ただ知識があるだけではなく、舌もプロ顔負けの鋭敏さなんです。
寺門ジモンさんの舌の鋭敏さを示すエピソードとして、食レポの仕事で京都の和菓子店でよもぎ団子を食べた際、よもぎの葉ではなくよもぎの粉を使っていることを見抜いたそうです。
そんな寺門ジモンさんの舌に対して、プロの料理人ですら一目置いているそうで、寿司職人などは、寿司を出す際に手がプルプル震えてしまうほど緊張していると言われています。
寺門ジモンのグルメ伝説④ 芸能人特権はあえて使わない
寺門ジモンさんには40年以上通っている飲食店が20軒以上あるなど、日本中の名店情報に精通しています。
そんな名店情報は、仲間内では絶大な信頼を寄せられているそうで、知り合いの会社経営者たちと食事会をする際は、寺門ジモンさんが主催を任されるといいます。
当然のことながら、寺門ジモンさんの行きつけの店の中には行列店も少なくありません。
しかし、寺門ジモンさんは芸能人の特権を使わず、一般客と一緒に1時間でも2時間でも行列に並ぶことを厭わないとか。
しかしながら、食通ぶりが日本中に知れ渡っていることもあって、寺門ジモンさんの来店に怯えている飲食店から、利用する前なのに出禁扱いされたことも過去にあったそうです。
寺門ジモンの年収は? 【実家から仕送りをもらっている噂も】
数々の食へのこだわりエピソードのある寺門ジモンさんだけに、さぞや高収入のリッチな芸能人だと思われがちです。
しかし実際の寺門ジモンさんは、グルメ生活を優先するあまり、月に数回程度しか仕事を引き受けないそう。
当然働かない分、年収は低く、さらに収入の大半が食費に消えてしまうというエンゲル係数が高い状況のようです。
また、50代にして実家の両親から仕送りをもらっているようなので、グルメ生活は親頼みなのかもしれませんね。
寺門ジモンが結婚しない理由・結婚観とは
出典:https://pixabay.com/
アラ還となる寺門ジモンさんは、現在も独身を貫いています。
寺門ジモンさんが独身の理由は、グルメ以外も趣味が多く、婚活する時間がないことが大きいようです。
・カブトムシやクワガタの採集や飼育
・グッズコレクター(G-SHOCKやエアマックス、スニーカーなど)
・ファッション(アメカジやジーンズマニア)
・ウエスタン好きでモデルガンの早打ちが特技
・肉体鍛錬や自然探訪(山籠もりやサバイバルごっこなど)
また、毎朝2時間ほどストレッチや有酸素運動、筋トレをするルーティーンがあるらしく、独自の生活スタイルを作り過ぎて、他人と生活し辛い状況でもあるとか。
そんな寺門ジモンさんの結婚観ですが、特にこだわりはないそうです。
食事に関しても、「愛する妻が作ってくれたものならみんな美味しいはずだ」という信念があるそうです。
結婚したくないわけではないようですので、今後、突然おめでたいニュースが飛び込んでくる可能性はゼロではないでしょう。
寺門ジモンのまとめ
寺門ジモンさんは「ダチョウ俱楽部」のメンバーであり、少年時代よりグルメで、現在は料理人すら恐れる食通の芸能人です。
寺門ジモンさんの今後より一層の活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。