俳優やラーメン屋の経営者としてマルチに活躍しているデビット伊東さんですが、コロナ禍で大ダメージを受けてしまったそうですね。
この記事では、デビット伊東さんの経歴やラーメン屋への転身秘話、足の切断の真相、結婚した嫁と子供、そして年収や現在の様子についてまとめてみました。
この記事の目次
デビット伊東のプロフィール
デビット伊東(でびっと いとう)
本名:伊東努(いとう つとむ)
生年月日:1966年8月12日
出身地:埼玉県入間市(東京生まれ)
身長:180㎝
デビット伊東、俳優やラーメン屋として活躍していた
お笑いトリオ「B21スペシャル」のメンバーとして芸能界デビューを飾ったデビット伊東さんですが、1980年代末からの「お笑い第三世代ブーム」に上手く乗れた結果、一時期は「ダウンタウン」や「ウッチャンナンチャン」に並ぶ人気芸人だったそうですね。
「B21スペシャル」の活動休止後は俳優に転身したデビット伊東さんは、ドラマやVシネマの世界を中心に活動しており、代表作には「花より男子」シリーズの西田役や「素敵な選TAXI」の犯罪刑事役などが挙げられます。
芸能界でマルチな才能を発揮しているデビット伊東さんでしたが、2000年頃よりラーメン店「でびっと」の経営にも乗り出しています。
「でびっと」の経営は思いの外好調だったらしく、コロナ禍直前の2019年には国内外で6店舗(国内3店舗海外3店舗)のラーメン店を経営する経営者でもありました。
デビット伊東の経歴…ラーメン業界進出のきっかけはバラエティ番組だった
デビット伊東、元々は体育教師志望だった
デビット伊東さんは、元々はスポーツ少年だったそうで、中学時代は野球に打ち込んでいた他、高校時代はラグビー部に所属してキャプテンまで務めたことがあったそうですね。
そのため、一時期は体育教師を目指していたこともあったデビット伊東さんですが、結局は大学には進学しなかったそうで、埼玉県立狭山高校を卒業後は地元で水泳のインストラクターをしていました。
とはいえ、そんな日々に満足できなかったデビット伊東さんは、アイドルを目指して上京することを選び、ホストクラブでアルバイトに明け暮れることになりました。
そんな時期に知り合い、デビット伊東さんをスカウトして「B21スペシャル」を結成した人物が、後にタレントとして大成功を収めることになるヒロミさんでした。
ちなみに、ヒロミさんはお笑い芸人志望だったものの燻る日々が続いていたため、ルックスの良かったデビット伊東さんと抱き合わせでの芸能デビューを狙っていたそうですね。
デビット伊東、TVデビューのきっかけは「ザ・テレビ演芸」だった
「B21スペシャル」結成後のデビット伊東さんは、ショーパブのステージに立ちながら下積み生活を送っていたそうですね。
当時としては芸人の王道の修業先だったショーパブでしたが、「B21スペシャル」にとっても大御所お笑いコンビ「星セント・ルイス」の星セントさんに弟子入りするきっかけになるなど、実りの多い場所となりました。
その後、アルバイト先の新宿のショーパブの客から、ビートたけしと星セントを紹介された。あえて尊敬するビートたけしではなく星セントを選んで師事。その理由は「3人で勝負したかったから」だという。
引用:B21スペシャル
また、「B21スペシャル」自体の人気もすぐに盛り上がることになり、ショーパブ側がグッズ製作まで引き受けるほどの特別待遇だったとか。
「B21スペシャル」が人気者になった理由については、他の若手芸人との差別化のために、「DCブランド」を衣装にしてオシャレ感を出したことが功を奏したようですね。
そんな「B21スペシャル」がテレビ界へ進出したきっかけが「ザ・テレビ演芸」だったそうで、抜群のお笑いセンスを発揮して10週勝ち抜きのチャンピオンとなっております。
その後、テレビ界へ進出すべく、横山やすしが司会を担当していた番組『ザ・テレビ演芸』に出演。「飛び出せ笑いのニュースター10週勝ち抜きシリーズ」にて10週勝ち抜き、第4代目チャンピオンを獲得した。最終週で披露したネタ「六本木ステーション」は、審査員を担当していた糸井重里をして「ネタだけなら今売れている芸人の誰にも負けない」と言わしめる。
引用:B21スペシャル
デビット伊東、「B21スペシャル」活動休止の原因とは?
テレビ界進出後の「B21スペシャル」に関しては、時代を象徴するお笑いトリオの1つとして、数々のレギュラー番組を獲得することになりました。
・アッコのおかしな仲間(1988~1990年)
・オールナイトフジ(1989~1991年)
・KURA・KURA(1990~1991年)
・1or8(1991年)
・B☆QTV(1991~1992年)
この頃の「B21スペシャル」の勢いは凄まじいものがあったそうで、当時の所属先だった「人力舎」から独立して個人事務所「ビィーカンパニー」まで設立しています。
しかしながら、事務所経営のために、ヒロミさんが「人力舎」時代は断っていたピン仕事を引き受けるようになったせいで、グループの活動は減少の一途となってしまいました。
その結果、「B21スペシャル」は1990年代前半頃よりなし崩し的に活動休止状態に陥ってしまったそうですね。
デビット伊東、ラーメン業界に進出したきっかけは?
「B21スペシャル」の活動休止後のデビット伊東さんに関しては、当初はタレント業をメインに活動していたそうですね。
当時のデビットさんは、元相方のヒロミさんほどの売れっ子ではなかったものの、レギュラー番組などもありそれなりに順調なキャリアを送っていました。
そんなデビット伊東さんがラーメン業界に進出したきっかけが、当時レギュラー出演していたバラエティ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」の企画でした。
2000年に行われたこちらの企画では、デビット伊東さんは福岡の「一風堂」に3か月間のラーメン修業に行くことになりました。
デビット伊東さんがこの企画を引き受けた背景には、体調不良のため弱気になっており、転機を欲しがっていた事情がありました。
ラーメン自体は好きでしたが、お店を出すなんて考えたこともありませんでした。ただちょうどその頃、体を酷使しすぎたせいか左膝から下が麻痺した状態になり、装具を付けた状態でテレビや舞台に出ていたんです。が、それだとどうしても感覚的に最初の一歩が遅れたりして思うように動けず、色々なことに対して違和感を覚えていた時期でもありました。そんなときにラーメン修業の話を頂き、それに食い付いたというのが最初ですね。
引用:巻頭規格 天馬空を行く
その後、2000年7月に東京都渋谷区にラーメン店「でびっと」を開業することとなったデビット伊東さんですが、開店当初はお客が殺到した一方でブームが去ると閑古鳥が鳴く逆境も味わうことになったそうですね。
しかしながら、スタッフと綿密なミーティングを繰り返し味やサービス面を改良するなど、経営者として真っ当な努力を続けた結果、盛り返して再び繁盛店の地位を手に入れることに成功しました。
デビット伊東、俳優転身の理由はいかりや長介だった
ラーメン業界進出後のデビット伊東さんは、芸能活動を休業してラーメン店経営に専念していた時期もありました。
そんなデビット伊東さんが芸能活動を再開した理由については、当時俳優として活動していた元「ドリフターズ」のいかりや長介さんが店に訪ねて来た際に、復帰を促されたとのエピソードがあったようですね。
一時はラーメン店経営に徹していたが、TBSのテレビドラマ『聖者の行進』で共演経験があったいかりや長介が予告なく店を訪ねてきて、少ない言葉ながらも「芸能界に恩返ししてみたらどうだ」と情熱を持った強い誘いを受けたことをきっかけに芸能界復帰を決断した。
引用:デビット伊東
芸能界復帰後のデビット伊東さんは、以前とは違った俳優業メインの活動を展開しており、バイプレイヤーとしての地位を確立することになりました。
ちなみに、芸能界復帰後のデビット伊東さんが俳優業メインになった背景には、復帰を促した手前、いかりや長介さんが知り合いの業界人にかけあって仕事を紹介してくれていたからだとの噂も存在します。
デビット伊東はハーフ?…芸名の由来はデビット・ボウイだった
デビット伊東さんは、その濃い顔立ちだからハーフに間違われることもあるそうですね。
とはいえ、デビット伊東さんは両親共に日本人であり、本名は伊東努と言います。
ちなみに、「デビット伊東」との芸名の由来に関しては、ショーパブ時代のお客さんが「歌手のデビット・ボウイに似ている」と命名してくれたとか。
デビット伊東の現在① 足を切断した?…実際に大怪我を経験していた
デビット伊東さんには、「足 切断」との物騒な検索関連ワードが浮上していた時期もありました。
デビット伊東さんに物騒すぎる検索関連ワードが浮上した理由については、2007年にレギュラー出演したドラマ「こどもの事情」の登場人物が「骨肉腫で足を切断した」ことが原因だったのではないかと言われております。
とはいえ、デビット伊東さんは本当に左足を怪我していた時期もあったそうですね。
デビット伊東さんが怪我をした原因については、レギュラー出演していた「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」の企画でエアロビクスの特訓をしていたところ、左足のアキレス腱を断裂することになりました。
後日に手術までする羽目になったデビット伊東さんは、その後もしばらくの間は後遺症で足の具合が悪かったらしく、ラーメン業界に進出するきっかけとなった体調不良もこの時の怪我が原因でした。
デビット伊東の現在② 年収は?コロナ禍前は年商数億円の敏腕経営者だった
実業家としても成功しているデビット伊東さんだけに、年収の方も気になる話と言えます。
実業家としてのデビット伊東さんに関しては、2015年に国内外で7店舗のラーメン店を経営していた頃の年商が2億円程度でした。
とはいえ、従業員に儲けを還元することを心掛けているホワイト経営者であるデビット伊東さんは、「でびっと」からは給料をほとんど受け取っておらず、芸能活動の収入がメインだそうですね。
デビット伊東さんの芸能活動については、近年は年に何本ものドラマに出演している他、ローカル番組のMCなども務めている状況となります。
また、デビット伊東さんは「エースコック」から「でびっと監修 鶏とん塩ラーメン」や「でびっと監修 煮干し醤油ラーメン」といったプロデュース作品も発売しているため、コロナ禍前は年収が数千万円くらいはあったのかもしれませんね。
デビット伊東の現在③ 結婚情報…嫁は元エステシャンで子供も2人生まれていた
デビット伊東、嫁は「でびっと」社長で娘が2人いた
デビット伊東さんは、静岡県焼津市出身の元エステシャン・能子さんと結婚しています。
2人の馴れ初めについては、1994年頃にデビット伊東さんが静岡ローカルで「ウーミン」という番組のMCをしていた縁で知り合ったそうですね。
結婚後の能子さんは、「でびっと」の社長(デビット伊東さんが会長)を務め、長年店に立ち続けるなど糟糠の妻的な存在でした。
また、デビット伊東さん・能子さん夫妻の間には、娘も2人生まれているとか。
デビット伊東の現在④ コロナ禍と「あっぱれKANAGAWA大行進」卒業で泣き面に蜂だった
デビット伊東さんの現在については、仕事とプライベイトで逆風が吹き荒れている状況となっています。
デビット伊東さんの第一の逆風は芸能活動面になっており、2005年よりMCを務めていた神奈川ローカルの情報番組「あっぱれKANAGAWA大行進」を2021年3月いっぱいで降板しております。
録画が溜まってた
— ゆうゾー (@yum_mz2Z) April 19, 2021
あっぱれkanagawa大行進
観てたら
デビット伊東さん
3月末で降板になったこと
すごいショック
泣きました。
また、コロナ禍は「でびっと」の経営面にも多大な影響を与えていたそうで、2020年は売上が前年比60%ダウンの壊滅的状態に陥ってしまったそうですね。
そのせいで海外店舗を全部閉店する羽目になったデビット伊東さんですが、不幸はさらに続き、妻・能子さんがコロナ鬱に似た症状を発症してしまいました。
そのため、都会での生活を断念して神奈川県真鶴町に移住することを決意したデビット伊東さん一家は、「でびっと」の国内店舗3店も手放すことになりました。
そんなデビット伊東さんは、真鶴町で「人生最後のラーメン店!」と明言する「伊藤商店」を2021年3月にオープンしています。
デビット伊東についてまとめてみると…
デビット伊東さんに関しては、ラーメン業界に進出して大きな成功を掴んでいたものの、コロナ禍で大打撃を受けてしまったことになります。
デビット伊東さんの再起を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。