2021年12月に大阪市北区で発生したビル火災で放火をした疑いが持たれる谷本盛雄が注目されています。
この記事では谷本盛雄の実家、親などの家族、学歴や経歴、顔写真、結婚した嫁や離婚の過去、息子を刺した殺人未遂の前科、事件時の自宅やビル火災の現場、犯行動機、死亡した現在などについてまとめました。
この記事の目次
- 谷本盛雄は大阪市北区ビル火災で放火をしたとみられる容疑者
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の生い立ち…実家は大阪市此花区の板金工場
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の家族① 両親は既に他界
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の家族② きょうだいは4人
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の学歴は高校卒業
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の経歴は板金工の職人をしていた
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の顔画像も公開されている
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)は過去に看護師の嫁と結婚し息子2人を儲けるも08年に離婚
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)は離婚1年後に嫁に復縁を求めるも拒否されている
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)には息子の頭を刺した殺人未遂の前科も
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の自宅は西淀川区の住宅
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の事件の犯行現場は心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の犯行動機
- 谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の現在は死亡…死因は一酸化炭素中毒による「蘇生後脳症」
- まとめ
谷本盛雄は大阪市北区ビル火災で放火をしたとみられる容疑者
出典:https://cf-images.ap-northeast-1.prod.boltdns.net/
谷本盛雄(事件当時61歳)は、2021年12月17日に大阪市北区曽根崎新地の雑居ビルで発生した放火殺人事件で容疑者として名前が公開された男です。
大阪府警察の発表によると、谷本盛雄は自身が通院していた同ビル4階の心療内科の入り口付近で紙袋に入れたガソリンとみられる液体を撒き、何らかの方法で火をつけたとみられるという事です。
この大阪ビル放火殺人事件では、2021年12月21日現在の時点で25人の死亡が確認されています。
大阪市北区の雑居ビル内のクリニックで17日に起きた放火殺人事件で、大阪府警は21日、新たに20代とみられる女性1人が死亡したと発表した。事件当日に24人が死亡しており、事件の犠牲者は25人となった。
犯人と見られる谷本盛雄はこの火災によって一時心肺停止の状態に陥り、搬送先の病院で蘇生したものの、重篤な状態で治療が続けられていました。しかし、その後に死亡しています。
谷本容疑者は現場から心肺停止状態で搬送され、その後蘇生したが、重篤な状態という。
今回はこの谷本盛雄について現在までにわかっている内容をまとめていきます。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の生い立ち…実家は大阪市此花区の板金工場
谷本盛雄の実家は大阪市此花区にあったようです。この実家は板金工場を経営しており、谷本盛雄も中学生の頃から板金職人の父親の元で修行し、高校卒業後は板金工の道へ進んだようです。
谷本容疑者は1960年、大阪市此花区で板金工場を営む家庭に4人きょうだいの次男として生まれた。
谷本盛雄の実家の板金工場がどこかは特定されておらず、現在もこの工場が存続しているのかも不明です。
なお、谷本盛雄は中学から板金職人をしていたものの、会社員として実家を出ていた兄が戻ってきてこの実家の板金工場を継いだ事に不満を持ち、実家を飛び出したとの情報が報じられています。
容疑者は高校卒業後、父の下で職人の道へ進んだ。職人ではなく、会社員だった兄が工場を継いだ。その後、父が亡くなり、数年、兄とともに工場で働いていたが「何度か衝突して飛び出したようだ」。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の家族① 両親は既に他界
大阪市此花区で板金工場を営んでいたという谷本盛雄の家族ですが、両親は既に他界しています。
母親は谷本盛雄が18歳か19歳の頃に亡くなったという事です。
転機は18~19歳ごろ。最愛の母を亡くした後、反りの合わない父を避けるようになり、きょうだいとも疎遠になったという。
また、板金の職人であった父親も事件から見て約30年前に亡くなっているという事です。
「盛雄とは、もう30年以上会っていない」。大阪市内に住む実の兄は話す。過去には互いの自宅を行き来していたこともあったが、約30年前、父親が他界した頃から疎遠になった。
谷本盛雄の父親を知る板金工場の社長はこの父親を「すごく厳しい人やった」と証言しています。
市内で板金工場を経営し谷本容疑者の父をよく知る社長は「(父は)すごく厳しい人やった」。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の家族② きょうだいは4人
谷本盛雄はきょうだい4人と両親の6人家族で育っています。
谷本盛雄はきょうだいの次男で、上から3番目だという事なので、上に兄と姉が1人ずつおり、下に妹か弟かのどちらかが1人いるようです。
兄によると、谷本容疑者は4人きょうだいの次男で、上から3番目だった。
実家の板金工場を継いだという谷本盛雄の兄は、今回、弟の谷本盛雄の起こした放火事件についてメディアの取材に応じています。
「言葉にならない」。大阪市北区のビル火災で、殺人と現住建造物等放火の疑いが持たれている谷本盛雄容疑者(61)の兄が、取材に応じた。兄は事件のショックを隠せない様子で、重度の気道熱傷などで入院している同容疑者に対し、「回復し、罪を償ってほしい」と涙を浮かべた。
この兄によれば、谷本盛雄とは事件から見て30年以上前から疎遠な関係で、現在何をしているのかも知らなかったという事です。
別の関係者によると、実家の板金工場の跡取りをめぐって対立した後、谷本盛雄はしばらくは兄の経営する実家の板金工場に勤めていたものの、何度か衝突して家を出たという事なので、それ以来兄弟の関係は疎遠になっていたということかも知れません。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の学歴は高校卒業
ここまででも触れていますが、谷本盛雄は高校を卒業後に父親の経営する板金工場で板金職人として正式に働き始めたという事なので、最終学歴は高校卒業です。
谷本盛雄の詳細な学歴については、出身中学校や出身高校名などは現在のところ特定されていません。また、学生時代のエピソードなどもほとんど報じられていませんが、唯一、中学時代の同級生からの以下の証言が出ています。
谷本容疑者の中学時代の同学年の男性: 信じられないね。そんなに悪い子じゃなかったし、怖い印象はなかったですね。そんなに目立つ子でもなかったし、おとなしそうな印象しかないんだ。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の経歴は板金工の職人をしていた
谷本盛雄の経歴については、これまで見た通り、高校卒業後に父親の経営する実家の板金工場で働き始めたものの、その後、兄が工場を継いだため衝突するようになり、実家を出ています。
その後の経歴については、2002年から2010年頃まで8年間、大阪市淀川区の板金工場で働いていた事がわかっています。この工場の社長によると、谷本盛雄は板金職人として腕は職場で高く評価されていたようです。
2002年から約8年間勤務していた同市淀川区の板金工場で社長だった男性(78)は振り返る。「責任感が強く、任せた仕事は完璧に仕上げる。職場内で一番腕が良く、助けられていた」と話す。
この社長によると、谷本盛雄は2010年頃に突然出社しなくなり、連絡も取れなくなってそのまま辞めてしまったのだそうです。
一方、谷本盛雄の兄の証言によれば、実家の工場を出てからは仕事を転々としていたとの情報もあります。ただ、この兄は谷本盛雄とは30年以上前から疎遠な関係で現在何をしているのかも知れなかったとも証言しているので、この兄の証言が事実かは微妙なところです。
さらにその後の経歴についてですが、後述しますが、谷本盛雄は2011年に息子に対する殺人未遂容疑で逮捕され服役しています。出所後は定職に就くことができず、精神のバランスも崩して、後に放火事件を起こす心療内科に通院していたようです。
刑期を終え出所した谷本容疑者は、出所者であることから就業困難で定職には就いておらず、火元となった心療内科・精神科のクリニックに通院していたと見られている。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の顔画像も公開されている
出典:https://www.nishinippon.co.jp/
谷本盛雄の顔写真も複数のメディアが公開しています。
上の画像が谷本盛雄の顔写真ですが、おそらく2002年から2010年頃まで勤めていたという大阪市淀川区の板金工場での写真ではないかと推測され、おそらく40代から50代当時の顔写真でしょう。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)は過去に看護師の嫁と結婚し息子2人を儲けるも08年に離婚
正確な時期は不明ですが、谷本盛雄は過去に結婚していた事もわかっています。
谷本盛雄の結婚した嫁は看護師で、この嫁との間に2人の息子も儲けています。ところが、どういった理由かは不明ながら谷本盛雄は2008年9月に嫁と離婚しています。
谷本容疑者は看護師の女性と結婚。息子2人をもうけ、同市西淀川区のマンションで家族4人で暮らしていたという。しかし08年9月に離婚。家を出て一人暮らしを始めた。
谷本盛雄の関係者によれば、放火事件から見て約20年ほど前に、大阪市西淀川区の姫島という土地の住宅に嫁や息子と引っ越してきたそうです。
知人らによると、谷本容疑者は約20年前、大阪市西淀川区姫島の住宅に妻や息子らとともに引っ越してきた。
20年前というと、2001年前後なので、この時期には既に谷本盛雄は嫁と結婚しており、息子2人も誕生していた事になります。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)は離婚1年後に嫁に復縁を求めるも拒否されている
谷本盛雄は看護師の嫁と2008年9月に離婚していますが、離婚から約1年後に嫁に復縁を申し込んだ事があったようです。
ところが、これを嫁に拒否され、これをきっかけに谷本盛雄の生活は乱れ始めたという事です。過去に谷本盛雄が勤めていた板金工場の社長によると、競馬に金を注ぎ込むなどしていたようです。
また、そのすぐ後の2010年に突然無断で出社しなくなって連絡が取れなくなったとのことなので、谷本盛雄が実家を出た後に勤めていた板金工場を辞めたのは、この嫁との離婚が関係していたと推測できそうです。
約1年後に復縁を申し込んだが、拒否されると、競馬に金をつぎ込むなど、生活は乱れていった。10年には勤務先の工場を無断欠勤するようになり、連絡も取れなくなったという。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)には息子の頭を刺した殺人未遂の前科も
嫁との離婚を境におかしくなった様子が見える谷本盛雄ですが、離婚からみて約1年半後の2011年4月に、息子の頭部を包丁で刺すなどして殺人未遂容疑で逮捕された前科があります。
息子さんは大怪我を負ったものの幸いなことに命に別状はなかったということです。
そして平成23年4月に事件が起きた。当時25歳だった長男の頭を刺したとして府警西淀川署が谷本容疑者を殺人未遂容疑で逮捕。西淀川区内の長男宅のマンション一室で、飲酒をしていたところで口論となり、かばんに入れていた包丁で刺したという。長男は頭や肩にけがをしたが、命に別条はなかった。
その後、谷本盛雄はこの殺人未遂で大阪地裁で懲役4年の実刑判決を受けています。この裁判の判決文によれば、谷本盛雄は嫁に復縁の申し出を断られたことから自殺を考えたものの死ぬ事ができず、誰かを殺害すれば死ねるのではなどと考えた結果、嫁と息子を道連れにしようとしたようです。
2011年4月には元妻の家で長男を包丁で刺し逮捕。大阪地裁で懲役4年の実刑判決を受けました。判決文によりますと、元妻に復縁を申し込み断られ、自殺を考えたものの踏み切れず。“誰かを殺せば死ねるのではないか”と考え、元妻や長男、次男を道連れにしようと犯行に及んだとされています。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の自宅は西淀川区の住宅
報道によれば、谷本盛雄の現在の自宅は、大阪市西淀川市の3階建の一軒家だったようです。この自宅には今回の放火事件から見て1〜2ヶ月前に1人で引っ越してきたという事です。
この自宅の場所は、放火事件のあった雑居ビルから約3.5キロほど離れた場所です。
谷本容疑者は約1~2か月前、西淀川区の住宅に引っ越してきたとみられる。
この谷本盛雄の住宅は長年空き家のまま放置されており、谷本盛雄は電気やガスが止まった状態で事件を起こすまで1人で居住していたという事です。
最近になって、以前暮らしていたことがあり、電気もガスも止まった一軒家に1人で住んでいたとみられる。
警察発表や報道などによると、大阪北区のビル火災が起こる約30分前に、この谷本盛雄の自宅でもボヤが発生しており、ガソリンが燃えた成分が検出された事などから、谷本盛雄がこの自宅にも火を放った疑いが持たれています。
また、警察発表によれば、谷本盛雄の自宅からは、青葉真司による京アニの放火事件についての新聞記事や、2021年3月に徳島県のご当地アイドルグループのライブ会場が狙われた放火事件に関する新聞記事などが見つかったという事です。
谷本容疑者が住んでいたとみられる3階建て住宅(同市西淀川区)では、ビル火災の30分前にぼやが発生し、ガソリンが燃えた成分が検出された。火元の近くから京アニ事件の発生から2年を報じる今年7月の新聞記事や、3月に徳島市でアイドルグループのライブ会場が狙われた放火事件などの記事が見つかった。
この事から、谷本盛雄が過去の複数の放火事件を模倣した今回の事件を起こした疑いも持たれています。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の事件の犯行現場は心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」
出典:https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/
谷本盛雄が放火を行ったの現場は、大阪市北区雑居ビル4階に居住していた心療内科「西梅田こころとからだのクリニック」です。
大阪市北区で起きた放火殺人事件で、火元とされる心療内科の医院「西梅田こころとからだのクリニック」が入る雑居ビル4階の窓は、一部が焼け落ち、黒く焦げた痕が広がっていた。
この「西梅田こころとからだのクリニック」が入っていた雑居ビルは、大阪市北区曽根崎新地1-3-17に所在する堂島北ビルです。
現場ビル前には献花台が設けられており、多くの人々が献花に訪れているということも報じられています。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の犯行動機
谷本盛雄が大阪北区のビル火災事件で放火を行った動機については、この火災で怪我を負った谷本盛雄が重篤な状態に陥り、その後に死亡してしまったという事もあって明らかにされていません。
ただ、谷本盛雄は息子を殺害しようとした殺人未遂の前科があり、この時の動機は自殺しようとしたが死にきれずに、誰かを殺害すれば死ねると思ったという身勝手なものでした。
こうした前科を考えれば、今回の放火の動機も、自分が自殺したいがために関係のない人を道連れにしようとしたという極めて身勝手なものである可能性が高いように思えます。
谷本盛雄はクリニック入り口に火を放った後、自ら火に飛び込もうとしていたとの証言も出ている事から、動機は無関係の人多数を巻き込んで無理心中をしようとしたという可能性が高いのではないかと考えられます。
家族にも相手にしてもらえず、ひとり暮らしの寂しさから絶望感を抱くようになったみたいやで。それで長男を道連れに無理心中しようとしたらしいんや。職人かたぎで人付き合いはとにかくヘタ。酒を飲むと人が変わったように感情を抑えきれんようになり、わめいたり暴れたりするんやが、一方で『誰も相手にしてくれへん』『皆に縁を切られてもうた』とコボすこともあった」(知人)
専門家は、自分以外の人に責任があるという他責的な傾向が強まり引き起こした「拡大自殺」の可能性を指摘。孤独感などが事件の背景にあったとの見方を示している。
ともあれ、自宅から犯行声明文や遺書などが見つかっていない以上、本当の動機については、谷本盛雄本人の口から聞き出すほかありませんが、本人の死亡によりそれもできなくなってしまいました。
谷本盛雄(大阪北区ビル火災放火犯)の現在は死亡…死因は一酸化炭素中毒による「蘇生後脳症」
谷本盛雄はその後も治療を続けていましたが、脳に深刻な障害を負い、会話もできない状態となっていました。
意識不明の重体となっている谷本盛雄容疑者(61)は、一酸化炭素(CO)中毒による蘇生後脳症(低酸素脳症)の状態にあることが、捜査関係者への取材でわかった。
脳に深刻な障害を負い、事情聴取ができるような回復は難しいという。刑事責任を問うことは極めて困難な見通しとなった。
そして、2021年12月30日、大阪市内の病院で谷本盛雄は死亡しています。
谷本容疑者も重度のやけどと重い一酸化炭素中毒などで病院に搬送され、治療を受けていたが、30日午後7時すぎ、大阪市内の病院で死亡が確認されたという。
これで事件の死亡者はあわせて26人になった。
その後、12月31日に司法解剖が行われ、死因が一酸化炭素中毒による「蘇生後脳症」と公表されています。
司法解剖の結果、死因は一酸化炭素中毒による「蘇生後脳症」だったことがわかりました。
まとめ
今回は、2021年12月17日に大阪市北区の雑居ビル内の心療内科で発生した放火殺人事件の容疑者・谷本盛雄についてまとめてみました。
谷本盛雄は、自らも通院していた心療内科にガソリンと思しき液体を撒いて火をつけ火災を引き起こしました。12月21日の時点で死亡者は25名にも上っており、決して許されない犯行です。
谷本盛雄の実家は大阪市此花区の板金工場だという事ですが、正確場所は不明で現在もこの工場が存続しているのかも不明です。家族については両親と兄と姉、後1人下にきょうだいがいるようですが、両親は既に他界しており、きょうだい3人とは疎遠になっていたようです。
最終学歴は高校卒業であることがわかっていますが、出身高校や中学などの詳細な学歴は不明です。経歴については、高校を卒業後に父親の経営する板金工場で職人として働き始め、その後は実家を出て大阪市淀川区の板金工場に2002年から2010年まで8年間勤務していたようです。
時期は不明ですが谷本盛雄は看護師の嫁と結婚しており、2人の息子を儲けています。しかし、この嫁とは2008年9月に理由は不明ながら離婚しています。
谷本盛雄は離婚から約1年後に嫁に復縁を求めたものの拒否され、それをきっかけに様子がおかしくなり、直後に職場を無断欠勤しそのまま退職しています。
さらにその後の2011年4月には、息子の頭を包丁で刺すなどして殺人未遂で逮捕され、懲役4年の実刑判決を受け服役しています。
出所後は前科持ちという事から定職に就けなくなり、精神のバランスをさらに崩して放火事件の現場となった心療内科に通院していたと見られています。
谷本盛雄は自らの起こした火災で怪我を負い、重篤な状態が続いていましたが、2022年12月30日に大阪市内の病院で死亡しており、事件の全容解明は困難となっています。
今後の展開にも注目していきたいと思います。