2022年12月25日に埼玉県飯能市で発生した3人殺人事件の容疑者の斎藤淳が注目されています。
この記事では斎藤淳の生い立ちや家族、結婚、出身高校や大学、映画監督を目指していた経歴、飯能の殺人事件を起こした動機や現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
- 斎藤淳は埼玉県飯能市の殺人事件の容疑者
- 斎藤淳の生い立ち① 子供時代はごく普通の活発な少年
- 斎藤淳の生い立ち② 小・中学校時代はアイドル的存在でモテていた
- 斎藤淳の生い立ち③ 私立の全寮制中学に進学するも2年で公立へ転校
- 斎藤淳の家族① 両親と2歳年上の姉に祖父母がいたとの情報も
- 斎藤淳の家族② 父親は離婚して家を出て以来斎藤淳には会っていない
- 斎藤淳の家族③ 母親と姉は斎藤淳からの暴力で家を出ている
- 斎藤淳の家族④ 両親との関係がうまくいっていなかったとの証言も
- 斎藤淳の結婚はしておらず独身
- 斎藤淳の高校の地元の私立校
- 斎藤淳の大学は「大阪芸術大学」
- 斎藤淳の経歴① 高校時代にモデルとして雑誌に載ったとの情報も
- 斎藤淳の経歴② 映画監督を目指し活動しコンテストでの受賞歴も
- 斎藤淳の経歴③ 大学卒業後は就職はせずにアルバイトをしていた
- 斎藤淳の飯能市3人殺人事件の動機
- 斎藤淳の現在…容疑自体を否認し始めたとの報道
- まとめ
斎藤淳は埼玉県飯能市の殺人事件の容疑者
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
2022年12月25日午前7時頃に埼玉県飯能市美杉台4丁目(美杉台ニュータウンの一角)の住宅で発生した家族3人殺人事件の容疑者として、現場近く(直線距離で50〜60m)の住宅で一人暮らしをしていた斎藤淳という40歳無職の男が逮捕されました。
斎藤淳が容疑者として逮捕された事件は、現場となった住宅に住んでいたアメリカ国籍のビショップ・ウィリアム・ロス・ジュニアさん(当時69歳)と、妻の森田泉さん(当時68歳)、娘の森田ソフィアナ恵(めぐみ)さん(当時32歳)の3人が頭や首などをハンマーのような鈍器で殴られて殺害されたものです。3人の遺体は身元の特定に時間がかかるほど損壊されていたとの報道も出ています。
斎藤淳はこの事件前の2022年1月にビショップ・ウィリアム・ロス・ジュニアさん宅の車を傷つけた器物損壊の容疑で現行犯逮捕されていました。また、それ以前にも2回、被害者宅の車が何者かに傷つけられる事件が発生しており、これも斎藤淳の犯行だったとの疑いが強まっています。
こうした経緯から、斎藤淳は被害者家族に何らかの理由で恨みを抱いて何年にもわたって執拗に粘着していた可能性があり、強い異常性を感じる犯行内容からも斎藤淳の生い立ちや経歴、家族などにも注目が集まっているようです。
今回はこの飯能市の3人殺人事件の容疑者・斎藤淳について現在までに判明している内容をまとめていきます。
斎藤淳の生い立ち① 子供時代はごく普通の活発な少年
埼玉県飯能市3人殺人事件で容疑者として逮捕された斎藤淳の生い立ちについて、現在までにわかっている内容を見ていきます。
斎藤淳の出身地は明らかにされていませんが、小学生の頃に事件のあった埼玉県飯能市の美杉台ニュータウンに家族で引っ越してきたという事です。
斎藤淳の幼少期については、斎藤淳の父親がメディアのインタビューに答えています。それによれば、子供時代の斎藤淳は、父親と公園や山で遊び、祖母と湘南の海へ行ったり、家族旅行に行ったりと活発だったという事です。
幼少期は父親と公園や山で遊んだという斎藤容疑者。父方の祖母に連れられて湘南の海に行ったり、定期的に家族旅行に行ったりと活発な子供だったという。
引用:「暴力をふるわれた母と姉は家を出て、淳はひとりになった」「弁護士からは昨年『家から出ていってほしい』と言われ…」“飯能殺人事件”容疑者の父が激白! “ぼっち息子”の半生
また、父親は子供時代の斎藤淳については、トランスフォーマーのようなロボットのおもちゃが好きなごく普通の子供で、学校の成績も悪くなかったといった内容も話しています。
特別おとなしいということもなく、本当にごくごく普通の子どもでした。成績面も特別できないとかもありませんし、私も勉強しろとうるさく言ったことはありません。思い出すのはこういうおもちゃが欲しいとか、そんな他愛のない話ばかりです。トランスフォーマーのようなロボットものが好きでした
引用:「暴力をふるわれた母と姉は家を出て、淳はひとりになった」「弁護士からは昨年『家から出ていってほしい』と言われ…」“飯能殺人事件”容疑者の父が激白! “ぼっち息子”の半生
斎藤淳の生い立ち② 小・中学校時代はアイドル的存在でモテていた
埼玉県飯能市の3人殺人事件の容疑者の斎藤淳の小学校・中学校時代については、近隣住民が「小学校時代はサッカーが得意な活発なタイプで、長髪で学校でもモテるタイプだった」といった証言をしています。
「小学校ではサッカーをやっていたことを覚えています。活発でかっこよく、運動もできるからアイドル的な存在でしたよ。ただ、小学生のころからこだわりが強い男の子という印象です。
引用:「警察の捜索に応じず、10分ほど抵抗…」“埼玉・飯能3人殺害事件”斎藤淳容疑者(40)が同級生に見せた「異様なこだわり」【今年初めに現行犯逮捕の過去】
本人も小中学校時代は、明るく友人と登下校するなど活発な男の子って感じでした。
引用:「昔はサッカーがうまくてモテていたのに」ハンマーで顔面を殴打! 死因は頸椎損傷。“飯能殺害事件”逮捕された男(40)は一家離散、“ぼっち”のひきこもり〈家族を襲ったクリスマスの惨劇〉
小中学生のころはサッカーが得意で、長髪で、学校でもモテる方だったみたいです。
引用:「昔はサッカーがうまくてモテていたのに」ハンマーで顔面を殴打! 死因は頸椎損傷。“飯能殺害事件”逮捕された男(40)は一家離散、“ぼっち”のひきこもり〈家族を襲ったクリスマスの惨劇〉
斎藤淳の生い立ち③ 私立の全寮制中学に進学するも2年で公立へ転校
埼玉県飯能市の3人殺人事件の容疑者の斎藤淳は、中学校は全寮制の私立の学校に通っていたと父親が証言しています。
父親によれば、母親がいくつか見つけてきた私立の中学校の中から斎藤淳本人が選んで進学したという事です。
しかし、斎藤淳は2年生の時にこの中学校から公立の中学校に転校しています。一部いじめが原因で転校したとの証言があるようですが、父親によれば、斎藤淳本人は寮生活が嫌で転校したと説明していたようです。
中学校は全寮制の私立に通っていました。前妻がいくつか見つけてきた学校の中から本人が選んだという感じでした。そこは中学から高校へそのまま上がれる学校でしたが、入学して2年目に公立の中学校に転校しました。転校の原因はイジメだと言ってる方もいるみたいですが、私が本人から聞いていたのは、『寮が嫌だ』というものでした。
引用:「暴力をふるわれた母と姉は家を出て、淳はひとりになった」「弁護士からは昨年『家から出ていってほしい』と言われ…」“飯能殺人事件”容疑者の父が激白! “ぼっち息子”の半生
また、斎藤淳の小学生時代の同級生の母親の証言では、斎藤淳の進学した私立中学は県内にある学校だという事と、転校した公立中学校にはほとんど登校していなかった事などが明かされています。
中学は県内の私立に入学したはずですが、中退して中3の数カ月だけ地元の公立中で過ごしています。でも、ほとんど登校していなかったそうです。
引用:「警察の捜索に応じず、10分ほど抵抗…」“埼玉・飯能3人殺害事件”斎藤淳容疑者(40)が同級生に見せた「異様なこだわり」【今年初めに現行犯逮捕の過去】
斎藤淳の進学した私立中学校がどこかは現在のところは特定されていません。ネット上では、「全寮制」、「中高一貫校」といった条件から斎藤淳が通っていたのは埼玉県川越市にある「秀明中学」ではないかと推測されていますが確定情報ではありません。
また、斎藤淳が転校した公立中学校については「飯能市立加治中学校」との推測が出ていますが、こちらも確定情報ではありません。
斎藤淳の家族① 両親と2歳年上の姉に祖父母がいたとの情報も
続けて、埼玉県飯能市の3人殺人事件の容疑者の斎藤淳の家族について現在までにわかっている内容を見ていきます。
斎藤淳の家族構成については、両親と2歳上の姉の4人家族だったとの情報が多く確認できます。
このニュータウンは平成元年(1989年)に一斉に建ち始めたので、その頃に引っ越しされてきているはずです。昔はご両親と、2歳年上のお姉さんと住んでました。
さらに、朝日新聞や一部テレビのニュース番組では、埼玉県飯能市の美杉台ニュータウンに家族で引っ越してきた頃には祖父母も一緒だったとの情報も報じられています。
近所の人:「おじいちゃん、おばあちゃんと引っ越してきた時、お母さん、お父さんもいらして。仲良く暮らしていて…」
住民らによると、斎藤容疑者は開発直後に転居してきた。当時は小学生くらいで、共働きの両親と姉、祖父母と一緒だったという。
斎藤淳容疑者の家族の様子については、近隣住民からはごく普通の幸せそうな家庭に見えたという事でした。
斎藤容疑者は逮捕場所となった自宅で、かつて父親、母親、姉とともに暮しており、ごく普通の幸せそうな家族だったという。
引用:「暴力をふるわれた母と姉は家を出て、淳はひとりになった」「弁護士からは昨年『家から出ていってほしい』と言われ…」“飯能殺人事件”容疑者の父が激白! “ぼっち息子”の半生
斎藤淳の家族② 父親は離婚して家を出て以来斎藤淳には会っていない
幸せな家族に見えていたという斎藤淳容疑者の家族でしたが、事件から見て23年前(1999年頃か)に両親が離婚しています。
この離婚後に父親の方が家族で住んでいた家を出ており、それからは斎藤淳とは1度も会っていないという事でした。
両親が離婚したのは斎藤淳が高校を卒業する直前の頃で、斎藤淳は両親から離婚を告げられた時も黙って聞いていたという事です。
私が前妻と離婚したのは23年前です。離婚してからは淳には会っていません。離婚したのは淳が高校を卒業する年のことで、原因は何か子供たちに問題があるとかではなく、あくまで私と前妻との間の問題でした。離婚すると決まった際、私がそのことを告げると、淳は黙って聞いていました。
引用:「暴力をふるわれた母と姉は家を出て、淳はひとりになった」「弁護士からは昨年『家から出ていってほしい』と言われ…」“飯能殺人事件”容疑者の父が激白! “ぼっち息子”の半生
斎藤淳の父親は現在は埼玉県外で暮らしているようです。
また、斎藤淳の自宅近くに住む60代女性の証言として、この父親が家を出た時に祖母も一緒に出たとの情報も明かされています。
斎藤さんのお宅は住み始めのころは、両親と姉と本人、父方の祖母と5人で暮らしてました。その後ご両親が離婚して、父と祖母が田舎に転居したようです。
引用:「昔はサッカーがうまくてモテていたのに」ハンマーで顔面を殴打! 死因は頸椎損傷。“飯能殺害事件”逮捕された男(40)は一家離散、“ぼっち”のひきこもり〈家族を襲ったクリスマスの惨劇〉
斎藤淳の家族③ 母親と姉は斎藤淳からの暴力で家を出ている
離婚をして父親が家を出た後、しばらくの間は斎藤淳は母親と2歳上の姉と3人で暮らしていたようです。
しかしその後、母親と姉も相次いで家を出ています。その後は斎藤淳はこの自宅で一人暮らしをしていたという事です。近隣住民の証言によると、1人になってからの斎藤淳はほとんど外出をせず、深夜でも部屋の明かりをつけたまま引きこもりのような生活を送っていたようです。
その後、お母さんもどこか別のところで暮らすようになり、姉弟の2人で住んでいました。そのうち、今度はお姉さんが出て行き、斎藤さんは一人暮らしでした。あまり出歩くこともなく、深夜でも部屋の明かりが煌々と灯っていましたね
引用:「警察の捜索に応じず、10分ほど抵抗…」“埼玉・飯能3人殺害事件”斎藤淳容疑者(40)が同級生に見せた「異様なこだわり」【今年初めに現行犯逮捕の過去】
また、父親の証言によれば、母親と姉が家を出た原因は斎藤淳からの暴力だったようです。
10年近く前に、姉と母親に対する暴力があったと聞いています。理由は聞いていませんし詳細もわかりません。ただ、暴力が原因で前妻と姉は家を出て、淳はひとりになったと聞いています。
引用:「暴力をふるわれた母と姉は家を出て、淳はひとりになった」「弁護士からは昨年『家から出ていってほしい』と言われ…」“飯能殺人事件”容疑者の父が激白! “ぼっち息子”の半生
父親によると、姉は定期的に斎藤淳と連絡を取り、自宅に様子を見にいっていたそうです。しかし、事件から見て1年ほど前から、姉も斎藤淳とも連絡が取れなくなり音信不通になっていたようです。
斎藤淳の家族④ 両親との関係がうまくいっていなかったとの証言も
斎藤淳の小学生・中学生時代の同級生の母親が、斎藤淳の両親は「勉強だけ一生懸命していればいい」というようなタイプで、親子の仲はうまくいっていなかったのではと証言しています。
親子ではうまくいってなかったのか、勉強だけ一生懸命していればいいというような、ご両親だったらしい
斎藤淳の結婚はしておらず独身
現在までに出ている情報によると、斎藤淳容疑者はこれまでに結婚歴はなく独身だったと見られます。
後述しますが、斎藤淳は高校卒業後に映画関係の勉強ができる大学に進学し、卒業後も監督として映画制作をしていましたが、就職はしておらずずっとアルバイト生活だったと見られています。
また、その後は無職になり引きこもりのように生活していたとの証言も出ている事から、まず間違いなく結婚はしていなかったと思われます。
斎藤淳の高校の地元の私立校
斎藤淳は中学を卒業後は地元の私立高校へと進学しています。これは斎藤淳の父親が証言しているため間違いないでしょう。
高校は地元の私立の高校に行きました。
引用:「暴力をふるわれた母と姉は家を出て、淳はひとりになった」「弁護士からは昨年『家から出ていってほしい』と言われ…」“飯能殺人事件”容疑者の父が激白! “ぼっち息子”の半生
斎藤淳の通っていた地元の私立高校がどこかについては、飯能市内の私立高校という条件から「聖望学園高校」、「自由の森学園高校」、「大川学園高校」などの名前が候補として上がっていますが特定はされていません。
斎藤淳の大学は「大阪芸術大学」
斎藤淳は高校卒業後は関西の大学へと進学しています。
その後は関西の大学に入るまで自宅で暮らした。
斎藤淳の出身大学は「大阪芸術大学」のようです。
これは過去に斎藤淳が監督として制作していた「ギフト」というタイトルの自主制作映画のブログに監督の経歴として「大阪芸術大学卒」と記載されているためです。
■監督:斉藤淳 大阪芸術大学卒
斎藤淳の卒業大学が「大阪芸術大学」と記載されているこのブログは「NEWSポストセブン」の関係者への取材で特定されたものです。
斉藤容疑者が当時製作していたという『ギフト(仮)』は、家具屋で働く青年がHIV陽性の告知を受けるところから始まる社会派映画だった。製作日誌的なブログがネット上にまだ残っており、そこには企画意図が以下のように説明されている。
こうした事から、斎藤淳の出身大学は「大阪芸術大学」で確定と見て良さそうです。
斎藤淳の経歴① 高校時代にモデルとして雑誌に載ったとの情報も
続けて、埼玉県飯能市の3人殺人事件の容疑者の斎藤淳の経歴についても現在までにわかっている内容を見ていきます。
斎藤淳は中学卒業後に地元の私立高校へと進学していますが、この頃にモデルとして雑誌に掲載されたとの情報が同級生の母親から出ています。
同級生の母親:「中学を卒業してからモデルをして雑誌に出ていたという話を聞いた。息子は斎藤容疑者が『雑誌に出てるよ』と言われて見たら、『かっこよかったよ』とか言っていた」
斎藤淳の経歴② 映画監督を目指し活動しコンテストでの受賞歴も
斎藤淳は高校卒業後は映画監督を志し「大阪芸術大学」へと進学して映画制作について学んでいます。
そして大学卒業後、斎藤淳はかなり本格的に映画制作に取り組んでいたようです。斎藤淳が23歳頃の2005年には短編映画祭で作品が上演されています。
以前交流があった映画監督の男性によると、斎藤容疑者は大学卒業後に本格的に映画を撮り、2005年には国内の短編映画祭で作品が上映された。22年に「ドライブ・マイ・カー」で米アカデミー賞の国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督らの作品も上映された映画祭だった。
この映画祭ですが「仙台短編映画祭2005」で、斎藤淳の「手紙」というタイトルの16分の作品が「新しい才能プログラム」の中で上演されたようです。
斎藤淳はこの「手紙」にて、「TIROL Short Film Contest」の審査員特別賞と、「第3回シネアスト・オーガニゼーション ・大阪エキシビジョンオープン」のコンペ部門で最優秀賞を受賞しています。
斎藤淳は映画監督としての才能を評価されており、2007年には新人映画監督育成を目的とする助成の対象にも選ばれています。
短編映画のコンテストなどで受賞歴もあったという。
07年ごろには、新人育成を目的とする国内の映画祭で作品案が助成対象になった。若い男性がHIVへの感染を友人に打ち明ける筋書きで、企画理由を「断絶の間から何かを見いだしたい、拾い上げたい、という思いがあった」と説明していたという。
しかし、斎藤淳は「ギフト」というタイトルの作品を制作中に突然、スタッフと音信不通になり、そのまま映画の世界から姿を消してしまったようです。
斉藤くんは15年ほど前に映画製作をしており、その繋がりで知り合いました。彼は大阪芸術大学卒で、ある映画祭の助成対象に選ばれた監督でした。しかし、作品がクランクアップした後、編集中に思い詰めてしまったようで、未完のままスタッフとも音信不通になってしまいました。
斎藤淳の経歴③ 大学卒業後は就職はせずにアルバイトをしていた
父親によると、斎藤淳は大学卒業も就職した様子はなく、アルバイトをしながら生活をしていたという事です。
私の知る限り、淳が就職した様子はなく、アルバイトをしては辞めてを繰り返していたようです。いつかはわかりませんが、映画館で働いていたこともあったみたいです
引用:「暴力をふるわれた母と姉は家を出て、淳はひとりになった」「弁護士からは昨年『家から出ていってほしい』と言われ…」“飯能殺人事件”容疑者の父が激白! “ぼっち息子”の半生
飯能市の3人殺人事件での逮捕時には無職と報じられているため、ここ数年はほとんどまともに働いてもいなかった可能性が高いようです。
斎藤淳の飯能市3人殺人事件の動機
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
斎藤淳は埼玉県飯能市の3人殺人事件の容疑者として逮捕されましたが、警察の取り調べに対して犯行動機については「言いたくありません」と供述を拒否していると報じられています。
県警の調べに対し「言いたくありません」と動機についての供述を拒否している斎藤容疑者。
引用:「昔はサッカーがうまくてモテていたのに」ハンマーで顔面を殴打! 死因は頸椎損傷。“飯能殺害事件”逮捕された男(40)は一家離散、“ぼっち”のひきこもり〈家族を襲ったクリスマスの惨劇〉
斎藤淳は事件の11ヶ月前の2022年1月に、被害者の車を傷つけた器物損壊の容疑で現行犯逮捕されていますが、理由は不明ながら不起訴処分になっています。
これ以前にも、被害者宅の車が2度傷をつけられる事件が発生しており、そのうちの1度はボンネットから前後のドア、トランクまでが硬い棒状のもので深く傷つけられており修理費に100万円以上かかるかなりの損傷が与えられていたようです。
この前2件の損傷事件でも斎藤淳は3件目の逮捕時に再逮捕されていますが、証拠が見つからなかったのかいずれも不起訴となっています。しかし、経緯から見て3件とも斎藤淳による犯行の可能性が極めて高いと見られています。
また、被害者宅に対しては門を傷つけられるなどの嫌がらせもあったようで、被害者家族が警察に被害届を提出しています。これも斎藤淳の犯行の可能性が高いと見られています。
車や自宅の門を傷付けられるトラブルが去年8月以降、6件相次ぎ、ビショップさん夫婦は、警察に被害届を提出していました。
警察は、いずれも斎藤容疑者による犯行とみて捜査していたといいます。
こうした事から、斎藤淳は被害者家族に対して強い恨みを持っており、それが動機に関係している可能性が高いと見られています。
ただ、斎藤淳と被害者家族にどのような接点があったのかも含めて現在のところ情報が一切なく、犯行の動機については謎に包まれている状況です。
犯罪者の心理分析を専門とする心理学者の出口保行さんは、斎藤淳は犯行内容に対して動機があまりにも小さすぎるために動機を黙秘しているのではないかと分析されています。
刑務所や少年鑑別所などで1万人以上の犯罪者を心理分析してきた専門家は、行動の大きさに対して、動機があまりにも小さいことが黙秘の理由ではないかと分析します。
犯罪心理学者・出口保行氏:「自分が動機の部分を話すことによって、何でそんなことをしたんだという非難であったりとか、自分に対する悪評というのを、さらに生むのではないかと思って、今のところは黙秘を続けている」
斎藤淳の現在…容疑自体を否認し始めたとの報道
出典:https://news.tv-asahi.co.jp/
斎藤淳は現在も警察の取り調べを受けているようです。
そして、新たな情報として「私はやっていない」などと、犯行自体を否認する供述をし始めているとの報道が出ています。
斎藤容疑者が、警察に対し「私はやっていません。身に覚えのない話です」などと話していることが新たに分かった。
斎藤淳の今後についてですが、証拠が固まり次第送検されて起訴される流れになると思われます。今後の展開も注目されています。
まとめ
今回は、2022年12月25日の午前7時頃に発生した埼玉県飯能市の家族3人殺人事件で容疑者として逮捕された斎藤淳について現在までにわかっている内容をまとめてみました。
斎藤淳の生い立ちについては、小学生の頃に事件のあった飯能市の美杉台ニュータウンに家族で引っ越してきた事がわかっています。小学校時代にはサッカーチームに所属し、活発で学校でもモテるタイプだったようです。中学は県内の全寮制の私立校へと進学しましたが、2年ほどで公立校へと転校しています。
中学卒業後は地元の私立高校へと進学しており、この頃にはモデルとして雑誌に掲載された事があったとの証言も出ています。
高校卒業後は映画監督を志して「大阪芸術大学」へと進学しています。大学卒業後には映画制作をしており、2005年には映画祭でも上映された「手紙」という作品で映画賞も受賞した経歴を持っています。しかし、2007年頃に「ギフト」という作品を制作中に突然スタッフとも連絡を断ち、映画の世界から姿を消してしまったようです。
飯能市の3人殺人事件の動機については、斎藤淳は「言いたくありません」などと供述を拒否しており、現在は「私はやっていません。身に覚えのない話です。」などと、犯行自体を否定する供述を始めているとの報道が出ています。