元ボクシング日本フライ級王者で、鬼塚勝也さん、辰吉丈一郎さんと共に「平成の三羽烏」と呼ばれた伝説のボクサー・ピューマ渡久地さん。
この記事では、ピューマ渡久地さんが結婚した嫁や子供(娘・息子)、そして記憶障害の病気について現在の様子を詳しくまとめました。
この記事の目次
ピューマ渡久地のプロフィール
1990年代に活躍した人気プロボクサー・ピューマ渡久地
本名: 渡久地 隆人(とぐち たかと)
階級: フライ級
誕生日: 1969年11月20日
出身地: 沖縄県石川市(現・うるま市)
スタイル: 右ファイター
プロボクシング戦績
総試合数: 27
勝ち: 23
KO勝ち: 19
敗け: 4
引用:Wikipedia – ピューマ渡久地
ピューマ渡久地、「平成の三羽烏」と呼ばれた人気ボクサーだった
1990年代に入るとボクシング業界は過去に無いほどのブームを迎え、それを牽引していたボクサーが元WBA世界スーパーフライ級王者の鬼塚勝也さんと、元WBC世界バンタム級王者の辰吉丈一郎さんでした。
結果的に世界チャンピオンに輝くことはできませんでしたが、上記ふたりと並んで「平成の三羽烏」と呼ばれ人気を集めていたボクサーが元日本フライ級王者のピューマ渡久地さんでした。
ピューマ渡久地さんは当時WBC世界フライ級王者だったロシアのボクサー、ユーリ・アルバチャコフに挑戦しましたが敗北を喫し世界ランク8位で終わっていますが、ユーリに挑んだ理由について以下のように語っています。
話をしたことがないので人間的にはどうか知らないけれど、まずあのユーリの冷たそうな目つきが嫌だったんですよ。理屈とかそういうのではなく、本能的に好きにはなれなかったですね。それは16年たった今も変わりません。
(中略)
ボクはユーリをぶっ飛ばしたくてしかたなかったんだから。もちろん勝つ自信もあったし、だから逃げるわけがないでしょう。
引用:アサ芸プラス – 死んでも「アイツ」に勝ちたかった⑦ ピューマ渡久地 世界王者・ユーリに壮絶TKO負けの悔根(1)
1度目のユーリからの挑戦では骨折と足の捻挫など故障によりジムとトラブルを起こして無期限の試合出場停止を受け、その後復帰して世界タイトルマッチで王者のユーリに挑んだピューマ渡久地さんでしたが敗北を喫してしまいました。
その後、ピューマ渡久地さんはユーリとのタイトルマッチから約3年後の1999年10月に現役を引退し、結婚後に港区東麻布に開設した「ピューマ渡久地ボクシングジム」の運営や、2007年度東日本ボクシング協会理事などを務めるなどボクシング界に寄与してきました。
ピューマ渡久地の結婚・離婚歴…嫁・聡美さんは離婚後も支え続けていた
ピューマ渡久地、1993年に生田聡美さんと結婚
「餃子ダイエット」を考案した「ピューマ渡久地ボクシングジム」会長の渡久地聡美
ピューマ渡久地さんがプロボクサーになって間もない頃に渡久地聡美(旧姓・生田)さんと知り合い、ユーリからの挑戦に対し怪我を理由に音信不通になったことで無期限出場停止を言い渡された頃から交際を始めました。
ピューマ渡久地さんと聡美さんは1993年8月5日に結婚しましたが、渡久地聡美さんが1歳年上の姉さん女房のようです。
ピューマ渡久地の嫁・渡久地聡美が「餃子ダイエット」を考案
「餃子ダイエット」を考案した渡久地聡美
渡久地聡美さんはピューマ渡久地さんの現役時代やジムのボクサーの減量などに実践していた「餃子ダイエット」を、知り合いの作家・百田尚樹さんの勧めで2013年6月12日に書籍化し出版しています。
渡久地:夜の食事を1週間、餃子のみにするダイエットです。食べると太ると思われがちですが、食べないダイエットを続けると、人間の命を守る防衛本能が働き、食べたときに何でも吸収する体になってしまいます。ところが、餃子ダイエットは栄養バランスがよく、エネルギーにも変わりやすい。消化がいいので排泄にもつながる。つまり、人間の体の機能をきちんと使うことができる健康的なダイエット法なのです。
「餃子ダイエット」のメカニズムを簡単に説明すると、餃子1個あたり約18gで、皮と具材からたんぱく質、脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラルの5大栄養素をバランスよく摂取できるため、体調を崩さずに健康的にダイエットをすることが可能なようです。
朝はバナナ1本と100%オレンジジュース、昼は総量500g程度の炭水化物を中心とした定食のような食事を摂るようです。
ピューマ渡久地、2006年に渡久地聡美さんと離婚
渡久地聡美さんはピューマ渡久地さんの影響でボクシングに強い興味を抱くようになって徹底研究し、トレーニングメニューや減量法などをコーチして現役生活をトレーナーとして支え、夫婦二人三脚で華々しい戦績を築き上げました。
ピューマ渡久地さんは「ピューマ渡久地ボクシングジム」の経営でストレスを溜め込み、夫婦関係が悪化したことから2006年に渡久地聡美さんと離婚しました。
しかし、ピューマ渡久地さんがその後パンチドランカーの症状が悪化して沖縄にある実家に帰郷することになったため、渡久地聡美さんが代わりにジムの会長として生徒の育成に当たっています。
ピューマ渡久地に子供は3人…娘2人が美人過ぎると話題に
ピューマ渡久地の子供達
左から長男の琉雄さん、次女の旺羅さん、長女の梨以さん
ピューマ渡久地さんと渡久地聡美さんは二女一男に恵まれましたが、一番上の長女と次女が4歳、次女と長男が2歳年が離れているようです。
娘2人が美人と評判で、長男の琉雄さん、長女の梨以さん、次女の旺羅さん、と言うそうです。
ピューマ渡久地の病気…現在はパンチドランカーで記憶障害になっていた
ピューマ渡久地、記憶障害で娘が誰だかわからないほどに
娘と対面して誰なのか分からなかったピューマ渡久地
2019年4月12日に放送された番組『爆報!THEフライデー(TBS系)』で、パンチドランカーの症状に苦しみ、実家の沖縄で闘病を続けるピューマ渡久地さんの姿が紹介されました。
てんかん発作を何度も起こしたため、記憶障害が重くなったという。病は深刻で、スタッフに年齢を聞かれると「40、41…いくつですかね?」と逆質問。近所に散歩に出かけると「ごめんなさい。家が…」と自宅の場所を忘れてしまっていた。
(中略)
渡久地氏の元を訪ねた長女。だが、渡久地氏は実家の玄関で再会するも「どちら様ですか?」と質問。娘が誰だか理解することができなかった。「パパ、パパ…」と何度も呼び掛けられると、ようやく「梨以(りい)だね。分からなかった。ごめんね」と反応した。
居間で向かい合って座っても、状況が理解できない様子の渡久地氏。長女が「さっき会った時に分からなかったのは辛いけど、パパとまた思い出をつくりたいと思っている」と声を掛けると、渡久地氏は「ごめんね…ありがとう…」と涙を流して謝り続けた。
ピューマ渡久地さんの次女や長男も沖縄に駆けつけていましたが、収録が終わり子供たちが帰った後に子供たちが来ていたことも忘れた様子だったようです。
長女はピューマ渡久地さんが記憶が続かないのは責められないため、これからも新しい思い出をたくさん作っていきたいと父親への愛情を語っていましたが、親としてピューマ渡久地さんの無念さは計り知れないでしょう。
ピューマ渡久地、かつてのファンがエールを送る
現在も病気と闘い続けているピューマ渡久地
『爆報!THEフライデー』で見せたピューマ渡久地さんの記憶障害と闘う姿を観たかつてのファンはショックを受け、ツイッターやブログなどで思い思いにエールを送っているようです。
引退後にピューマ渡久地ジムを興して元気に頑張ってると思ってたんですが、記憶障害の話をちょこちょこ聞くようになっていつの間にか沖縄に帰っていたのでした。神奈川渥美ジムでトレーナーをしていた時にボクシングカメラマンの福田直樹さんの誕生会に誘われて行ったときに現在のピューマ渡久地ジムの会長の元奥様、渡久地聡美会長にお会いしましたが、さすがに聞けませんでした。聡美会長は本当に素敵な方でしたが、昨日のテレビを見て色々な苦労をされてる姿を知りました。離婚はしていても現在でも渡久地の苗字を名乗り元夫のジムを守り続ける姿に感動しました。渡久地さんの現在の姿と聡美会長の頑張りを見てると本当に自然と涙がこぼれてしまいました。本当に渡久地さんと聡美会長には幸せな日々が来ることを願ってます。
ピューマ渡久地さんはジムとのトラブルによる日本王者剥奪と無期限試合停止、そしてその後の脳梗塞の疑いによる長期の療養と復帰戦敗北による現役引退、経営のストレスからの渡久地聡美さんとの離婚など記憶障害の病気以外にも多くの苦難を乗り越えてきました。
現在もパンチドランカーの症状は悪化を続けていて半身の麻痺が進行しているようなので、ピューマ渡久地さんは今後も苦難と戦っていかなくてはならないようです。
しかし、実家の両親や介護のために仕事を辞めて沖縄に帰ってきた長女、東京でジムを支え続けている元妻の渡久地聡美さんなど、家族の支えがあるからこそ前を向いて乗り越えていけるのでしょう。
たまたま見たテレビでピューマ渡久地の近況を放送してて見入ってしまった。記憶障害など要介護3級とのこと。因果関係は分からないけど、辰ちゃんといい、やはりボクシングは恐いなあ。現役だと八重樫なんかは、かなりの蓄積があるだろうから心配。先日破れた田口もしかり。辞めどきが肝心、
— sugaryou (@sugaryou1210a) 2019年4月12日
ピューマ渡久地についてまとめると…
・ピューマ渡久地は1993年に聡美さんと結婚、2006年に離婚するも聡美さんがピューマ渡久地の代わりとなりジムの運営をしている
・ピューマ渡久地には子供が3人おり、娘2人が美人と評判である
1990年代に「平成の三羽烏」として名を馳せたボクサー・ピューマ渡久地さんの現在の記憶障害の病気について総まとめしてきました。
かつてのスターボクサーがパンチドランカーによる記憶障害という人生の逆境に立たされていたことが分かりかつてのファンに衝撃を与えましたが、多くの支援が「ピューマ渡久地ボクシングジム」などを通じて届いているかもしれません。