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大塚久美子の若い頃が可愛い!結婚や独身の真相&経歴や家族情報も総まとめ

大塚久美子さんは「大塚家具」の創業者一族であり、父との対立が話題にもなりました。

 

大塚久美子さんの経歴やプロフィール、若い頃のかわいい画像、独身で結婚できない理由、父との対立、社長退任後の現在などを総まとめしました。

大塚久美子のプロフィール&経歴

 

大塚久美子(おおつかくみこ)

生年月日:1968年2月26日
出身:埼玉県春日部市
最終学歴:一橋大学経済学部卒業

 

 

大塚久美子、父は「大塚家具」創業者・大塚勝久

 

 

大塚久美子さんの父親といえば、「大塚家具」の創業者である大塚勝久さんとなります。

 

1943年4月に、埼玉県春日部市に住む箪笥職人・大塚千代三さんの元に誕生した勝久さんは、1953年になると、父親が自身の作った箪笥を専門に取り扱う「大塚箪笥店」を起業するなど、商売が身近にある家庭で育ちました。

 

中学時代から親の手伝いで「大塚箪笥店」の経理や財務を担当することになっていた勝久さんは、1963年3月に、埼玉の名門進学校である県立春日部高校(偏差値71)の定時制を卒業した後も、そのまま「大塚箪笥店」で働くことになりました。

 

勝久さんが「大塚箪笥店」から独立をしたのは1969年のことであり、千代三さんの工房を利用して、「大塚家具」の前身に当たる「株式会社大塚家具センター」を起業しております。

 

 

その後の勝久さんですが、1993年に取り入れた会員制の販売形態やマンツーマン接客のアイデアが功を奏し、「大塚家具」を一代で日本を代表する有名企業へと成長させることとなり、2003年12月期には730億円もの売上を記録しました。

 

大塚家具は1993年に会員制の販売形態をとることで成長した。これは入店の際に顧客ファイルを作成し、そのファイルを持った店員が顧客と一緒に店内を回るという売り方だ。このやり方が新婚夫婦の「まとめ買い需要」を取り込み、大塚家具は高級家具店として台頭していった。

 

引用:富裕層に見放された大塚家具のたどる末路

 

 

大塚久美子は5人兄妹の長女~お家騒動で家族はバラバラに…

 

 

実業家の大塚勝久さんの長女(5人兄妹の第一子)として生まれてくることになった大塚久美子さんですが、幼少期は父親が事業拡大に燃えていた時期ということもあり、お嬢様めいた生活もしたことがなかったとか。

 

夏休みや冬休みといっても、なかなか店を留守にはできません。「旅行に行きたい」といえば地方にある取引先の工場へ連れて行かれたり、「初詣に行こう」といわれてついて行ったらお店の初売りだったり。家業をお持ちであれば、みなさん、同じような経験をされているかと思いますが、私の子供時代もそんな感じでした。

 

引用:ドジな銀行員だった「家具や姫」大塚家具の久美子社長

 

 

 

ちなみにお家騒動では、長男で専務の勝之さんが父側につき、長女の久美子さん側には、次女・舞子さん、三女・智子さん、次男で執行役員の雅之さんがついています。

 

父親側に付いた勝之氏を除けば、他の兄弟姉妹は長女陣営に入っている。理由は、「共働きの両親に代わり、次女以下の面倒を見てきたのが久美子さん。姉を“育ての親”だと感じている」(親交のあった知人)からとされる。

 

引用:大塚家具内紛 長男は父側に他兄弟は長女側についた内情とは

 

また、母親の千代子さんは、長男の勝之さんに会社を継がせたいと思っていたようです。

 

 

大塚久美子の若い頃~学生時代がかわいいと話題に【セーラー服姿画像あり】

大塚久美子、お嬢様学校で有名な白百合学園に入学

 

 

小学6年時に、家業である「大塚家具」の本社移転に伴い、生地である埼玉県春日部市から東京都千代田区に引っ越すことになった久美子さんは、中学受験をして名門・白百合学園中学校(偏差値71)に入学しました。

 

中高一貫教育のお嬢様学校で学ぶこととなった久美子さんでしたが、高校時代になると三角関数で躓くこととなり、数学が赤点を取ることもあるほど苦手になってしまったとか。

 

そんな裏事情もあり、大学は文系学部に進むこととなった久美子さんですが、一橋大学経済学部に合格をしているため、一般的な教科はむしろ優秀な学生だったということになります。

 

 

 

久美子さんに関しては、白百合学園の制服を身にまとった可憐な写真も残っており、特に高校時代の久美子さんに対しては、「可愛すぎる」とネット上でも美少女扱いする声が多かったりしました。

 

 

 

大塚久美子、銀行員から家業の大塚家具に入社

大塚久美子、一橋大学卒業後に旧富士銀行に就職

 

 

大塚久美子さんが進学した当時の一橋大学経済学部は、女子学生の割合が1割程度の男社会であり、女子校出身の久美子さんはカルチャーショックを受けることも多かったそうです。

 

中でも久美子さんにとって1番ショッキングだったことは、大学の校舎の汚さだったとか。

 

中学・高校は私立の女子校だったものですから、校舎はとてもきれいでした。教育の一環で、生徒自らすみずみまでお掃除をしていましたので、塵(ちり)一つない環境。それがガラリと変わったのは大学に入った時でした。

 

一橋大学の経済学部に進学し、最初は今はなき小平キャンパスへ通ったのですが、建物は古いし、床は埃(ほこり)だらけ。モノを落としたら、拾い上げるのを躊躇(ちゅうちょ)するくらい綿ぼこりが(笑)。そのような環境で、だいぶ鍛えられました。

 

引用:ドジな銀行員だった「家具や姫」大塚家具の久美子社長

 

 

一橋大学卒業後の久美子さんは、1991年に「旧富士銀行(現みずほ銀行)」に総合職として入社するエリートぶりを発揮しますが、融資用の書類に誤記入をしてしまうことも少なくなかったようで、「上司に結構迷惑をかけてしまった」と振り返る苦い思い出などもあったようですね。

 

大塚久美子、父親の要請で「大塚家具」に入社

 

 

銀行員としては、バブル崩壊の余波をまざまざと受けることになった大塚久美子さんでしたが、実家である「大塚家具」は飛躍のチャンスを迎えていました。

 

 

具体的には、バブル期に建てた建物が過剰供給となり、商業ビルの家賃相場が暴落していたことに加え、大規模小売店舗法の改正により、大型のショールームを全国展開することが可能となった追い風があったようですね。

 

そのため、関東に次ぐ商業地域である大阪への進出も計画していた「大塚家具」は、新規事業成功のために、社長の大塚勝久さんがしばらくの間東京を離れて、大阪で前線指揮を取る予定だったとか。

 

 

久美子さんが、実家から「大塚家具」の経営に加わるようにと要請を受けたのは、ちょうどそんな時期だったようで、勝久さん的には、自分が大阪に出向いている間の東京本社を娘に任せるつもりだったと言われております。

 

実家からの要請に対して久美子さんは、親子が同じ会社で働く難しさなども感じていたものの、1994年に「旧富士銀行」を退社し、「大塚家具」に入社する道を選びました。

 

 

大塚久美子、入社から10年で「大塚家具」の売上が3倍に成長

 

 

「大塚家具」入社後の大塚久美子さんですが、経営幹部の1人として、辣腕を振るうことになりました。

 

大塚家具に入社してからは、組織として成長していけるような仕組みづくりや人材育成、教育などの整備に取り組みました。経営企画の仕事を中心に、営業管理や経理、広報の責任者を兼務しながら、会社の弱い部分を次々と強化していきました。幸いにして銀行というモデルは頭にありました。何万人も社員がいる組織と数百人から1000人という規模の組織ではおのずと違ってきますので、その違いも意識しながら、改革を進めていきました。

 

引用:「人生って思うようにはいかないけど」大塚久美子社長

 

 

久美子さんが入社してからしばらくの間、「大塚家具」の業績は右肩上がりが続くことになり、1994年からの10年間で売上も社員数も3倍程度になるという急成長を遂げました。

 

大塚久美子、独立起業するもインサイダー取引騒動で「大塚家具」に出戻り

「大塚家具」の成長に達成感を抱いた大塚久美子さんは、2004年に取締役を退任して実家を離れ、IRと広報を専門とするコンサルティング会社「(株)クオリア・コンサルティング」を立ち上げ、第二の人生を歩むことになります。

 

 

この時期の久美子さんは、アラフォーの年齢ながらも2006年より筑波大学法科大学院に通うなど、ビジネスウーマンとしてのさらなる成長のために、積極的に座学に取り込んでおりました。

 

弁護士さんは法律には詳しいのですが、会社経営の実態を知っていただくまでには時間がかかります。いざという時にはそのすり合わせに時間がかかるのを感じていましたから、自分が両者の間に入る”通訳”みたいになれればいいなという気持ちで勉強していました。

 

引用:「人生って思うようにはいかないけど」大塚久美子社長

 

 

こうして新たな人生を歩んでいた久美子さんでしたが、2007年に「大塚家具」が、証券取引等監視委員会よりインサイダー取引で摘発されてしまったため、再度「大塚家具」に戻り、社内改革に乗り出すことになりました。

 

証券取引等監視委員会は8日、大塚家具8186.Qが実施した自社株買いに関して、インサイダー取引の法令違反が認められたとして、同社に対し3044万円の課徴金納付命令を出すよう金融庁に勧告したと発表した。


大塚家具は2006年2月1日から23日までの間、自社株買いを実施。同期間に15万7300株の自社株を7億0944万円で買い付けた。ただ、証券監視委は、同月10日から22日の間に買い付けた7万9000株(3億3295万5000円)については、同社の執行役員が配当予想の修正を行う事実を知りながら実施したものとして、インサイダー取引に該当すると認めた。大塚家具が配当予想の上方修正を発表したのは同月23日だった。

引用:大塚家具の自社株買いにインサイダー取引=証券監視委

 

 

大塚久美子は独身熟女~結婚できない理由は性格の悪さが原因?

大塚久美子、見た目とは裏腹に横暴な性格を元社員が証言!

 

現在50代となっている大塚久美子さんですが、意外なことに結婚歴はなく現在も独身を貫いています。

 

久美子さんは、26歳の時に実家である「大塚家具」に入社し、以降は経営幹部として10年ほど辣腕を振るうことになった経緯から、仕事が忙しすぎて結婚どころではなかったという裏事情などもあるのかもしれませんね。

 

また、横暴ともいえる性格が災いしているとの声もあります。

 

元社員の証言では、「1週間かけて社長の指示通りに売り場を直した社員に向かって「あんた、ほんとにバカなの?」などと言い、さらに1週間かけて直す事もザラ。「バカじゃないの?」は普通に口にする発言で日常茶飯事」と見た目からは想像できない暴言を吐くともいわれています。

 

 

とはいえ、結婚をしなかった自身の選択に対して、久美子さんが後悔しているというような情報もなく、東京都・千代田区のタワーマンション暮らしというセレブ生活を送っているようですね。

 

大塚久美子、お家騒動は既婚であれば起こらなかった?

 

 

「たられば」の話になりますが、もしも久美子さんが婿養子を貰っていれば、「お家騒動」が起こらなかったのではともいわれてます。

 

もし、久美子氏が結婚していた(する)とすれば、今はありえない別の歴史が動いたことだろう。それは、娘婿(久美子氏の夫)が社長になっていたかもしれないという仮説である。

久美子氏と結婚した夫が妻よりも経営者としてはるかに優秀な資質を持ち、佐野氏と違い、勝久氏とうまく渡り合える人物であれば、今回の騒動に至らず、別の解を見いだせたかもしれない。久美子氏は夫の意見を聞き、心変わりしていたという「ストーリー」も想像できる。あくまでも、これは仮定の話にすぎないが、日本企業では娘婿がお家騒動に火をつけるのではなく、あくまで、創業家との融和を保ちながら、より発展に導いた事例が少なくない。

 

引用:大塚家具騒動、娘社長が既婚であれば起こらなかったのか 世襲企業における「娘婿」の効用

 

事実、典型的な娘婿企業・スズキの鈴木修会長(現・相談役)は、「娘婿がこの会社をだめにした、と後ろ指をさされたくない一心で、これまでがんばってきた」とも語っています。

 

その言葉通り、同社を軽自動車大手から、急成長中のインド四輪自動車市場でトップシェアを占め、欧州でも躍進する世界的な小型車メーカーへ脱皮させた。1920年に創業されたスズキでは、二代目以降、現在の会長兼社長の鈴木修氏に至るまで、歴代、優れた娘婿がトップを務めてきた。

 

引用:大塚家具騒動、娘社長が既婚であれば起こらなかったのか 世襲企業における「娘婿」の効用

 

 

大塚久美子のストレス解消方法は海外ドラマ鑑賞だった

大塚久美子、推理モノの海外ドラマがお気に入り

キャリアウーマンとして生きる大塚久美子さんのストレス解消方法に関しては、海外ドラマを視聴することだそうですね。

 

 

久美子さんが好きな海外ドラマは推理モノのジャンルらしく、中でも1話完結型のドラマが好ましいとか。

 

 

長年「大塚家具」の経営に携わってきた立場である久美子さんは、海外ドラマを見ている時でもついインテリアに目を向けてしまい、その演出方法に感心をしたりしています。

 

それと、海外ドラマを見ていて思うのは、インテリアがそれを使う人物をよく表現しているということです。とても勉強になりますし、おもしろい部分です。

 

引用:「人生って思うようにはいかないけど」大塚久美子社長

 

 

大塚家具にお家騒動勃発!~経営方針で父と対立した大塚久美子

大塚久美子、突然のカジュアル路線への舵取りに父親大激怒!

IKEAやニトリの真似をはじめた久美子社長

 

 

2007年に「大塚家具」に戻り社内改革に邁進していた大塚久美子さんは、2009年より、父・大塚勝久さんに代わり社長に就任しております。

 

久美子さんが社長に抜擢された背景には、「大塚家具」の経営不振がありました。

 

 

2003年12月期には、売上730億円を記録するなど大企業に成長した「大塚家具」でしたが、2000年代以降は、イケアやニトリの台頭により業績も悪化しておりました。

 

そのため、社長に就任した久美子さんは、勝久さんのアイデアである会員制販売やマンツーマン接客の見直しを図り、ニトリやイケアを参考に、「大塚家具」のショールームを高級路線からカジュアル路線へと変更させます。

 

2009年に社長に就任した久美子氏は、父親が築いた「会員制」という接客スタイルが時代に合わなくなってきたと考え、「(一人でも)入りやすく、見やすい、気楽に入れる店作り」を打ち出した。

 

引用:富裕層に見放された大塚家具のたどる末路

 

しかしながら、そんな経営方針を不満に思った勝久さんは、2014年7月に久美子さんを解任して自ら社長に復帰し、カジュアル路線の廃止を決定しました。

 

 

父・大塚勝久が従来の会員制販売にこだわった理由とは?

 

 

「大塚家具」が大企業へと成長するきっかけとなった会員制販売のアイデアですが、元々は消費者により安く高品質の商品を届けたいと考えていた大塚勝久さんが生み出した、苦肉の策でもありました。

 

 

昔の家具販売の商習慣は実売価格が不明であり、店頭で設定してある割高な表示価格をたたき台にして、その場その場でのお客と店員の交渉により販売価格が変動する不便なものでした。

 

そんな商習慣を打破して、お客に常に一定の実売価格を表示したいと考えていた勝久さんでしたが、買い替えの機会が少ない家具という特殊な商材を扱っているメーカー側は、とにかく値崩れを恐れており、店頭での実売価格表示には反対の方針でした。

 

「大塚家具」の店頭で家具に実売価格を表示しただけでも、メーカー側から出荷停止通告が来てしまう中、勝久さんがメーカー側への言い訳として思いついた秘策が、「特定の会員だけが相手の実売価格表示」という建前が成立する会員制販売だったとか。

 

そんな事情もあり、勝久さんにとって会員制販売は並ならぬ思い入れのあるビジネスモデルであり、それを安易に変えようとする娘・大塚久美子さんに対しては、反発や不信感が大きかったということになります。

 

 

また、勝久さんからすると中間価格帯の家具マーケットで盤石な地位を築いている「大塚家具」が、自らの強みを崩してまでイケアやニトリに追随する必要性はないという経営判断もあったようですね。

 

どういうことかというと、大塚家具は競争を切り抜けて、他社が真似できないビジネスモデルを確立したのです。家具業界は、一部の高級ブランドとニトリさんやイケアさんの普及価格帯製品に二極化しているように言われていますが、中間価格帯で、品質の良い家具マーケットはきちんとあるのです。そこに盤石な基盤を築いていたのがかつての大塚家具です。

大塚家具はほとんど競争相手がいなかったのに、どうして競争の激しい方向に行ってしまったんだろう、と思います。

引用:「ニトリ、イケアには行ったことがない」匠大塚会長が描く家具市場の再興

 

 

大塚久美子、父に社長解任にされ反旗~プロキシ―ファイト泥沼抗争へ

大塚久美子、2015年に父親を相手にクーデーターを起こす

 

 

父・大塚勝久さんにより、一旦は社長の座から追われることとなった大塚久美子さんでしたが、すぐさま反撃に出ます。

 

当時の「大塚家具」は経営面で完全に行き詰まっており、社長復帰後の勝久さんも業績の下方修正を余儀なくされ、「大塚家具」の2014年12月期は4億円の営業赤字に陥っていました。

 

そのため、久美子さんのカジュアル路線への改革に賛同する「大塚家具」の幹部社員も多く、社長復帰を模索する久美子さんの追い風になりました。

 

 

久美子さん一派によるクーデターは2015年1月に起こり、取締役会にて「久美子さんの社長復帰と勝久さんの会長専任」を求める議題が提出され、4対3の評決で久美子さんの社長復帰が決まりました。

 

大塚久美子、父とのプロキシーファイトに勝利し社長に復帰へ

 

大塚久美子さんのクーデターに対しては、大塚勝久さんは2015年3月の株主総会にて、筆頭株主(当時「大塚家具」の株式の18%を所有)の立場から反撃に出ることになり、「勝久さん一派を中心とした取締役の選任を求める株主提案」を提出し、復権を狙いました。

 

 

一方で久美子さん側も次男や次女、三女といった兄妹たちが味方についてくれた結果、大塚家の資産管理会社である「ききょう企画(大塚家具の10%の株式を所有)」の後ろ盾を得ることとなり、株主総会にて父親との真っ向勝負に出ております。

 

久美子さん側は、勝久さんに対抗するために、「勝久さん一派を取り除いた取締役を選任する会社提案」を株主総会に提出することになりました。

 

 

ここまで来ると、「大塚家具」のお家騒動もマスコミ沙汰となり、連日のワイドショーネタ化し、株主総会で父と娘のどちらが勝つのかと大衆の注目が集まります。

 

そして迎えた2015年3月の株主総会では、久美子さん側の会社提案に61%の賛成票が集まり、「大塚家具」は改革派が主導権を握ることが決定しました。

 

結局のところは、直近の決算の営業赤字の印象などもあり、従来の「大塚家具」の路線ではジリ貧と考え、プロキシ―ファイト(委任状争奪戦)の軍配は娘の久美子さんにあがりました。

 

 

子供たちや株主たちからNOを突きつけられる形となった勝久さんは、2015年3月の株主総会を機に所有していた「大塚家具」の株式を全部売却して、自身が創業した会社から離れています。

 

現在は、自分を最後まで支持してくれた長男の大塚勝之さんと共に、従来の「大塚家具」の経営方針を模範した「匠大塚」を起業している勝久さんですが、久美子さんとは絶縁状態だとか。

 

 

大塚久美子の現在~大塚家具の業績悪化により社長を辞任

大塚久美子、業績が下り坂!富裕層に見放された家具屋の末路

 

マスコミネタにもなったお家騒動を経て、2代目体制となった「大塚家具」ですが、業績は絶不調となっておりました。

 

業績不振が続く大塚家具は7日、平成30年12月期の業績予想を下方修正し、最終損益を13億円の黒字から34億円の赤字(前期は72億円の赤字)に引き下げると発表した。3年連続で最終赤字となる。

引用:大塚家具、3年連続赤字へ 業績予想を下方修正、損失34億円

 

○大塚家具の年度別決算一覧
2014年12月期:売上555億円 営業損益4億円 当期純利益4.7億円
2015年12月期:売上580億円 営業利益4.4億円 当期純利益3.6億円
2016年12月期:売上463.1億円 営業損益46億円 当基純損失45.7億円
2017年12月期:売上410.8億円 営業損益51.4億円 当期純損失72.6億円 
2018年12月期:売上373.9億円 営業損益51.7億円 当期純損失86.3億円 
2019年12月期:売上348.5億円 営業損益76.1億円 当期純損失77.2億円 

 

 

「大塚家具」の業績が下り坂を転げ落ちていた原因に関しては、高級路線からカジュアル路線に変更したことが裏目、顧客の主軸だった富裕層が離れてしまったことが大きかったようですね。

 

経営権を奪取後、大塚社長はすぐに会員制を取りやめ、セールを打つなどして一時期業績を回復させたが、それも長くは続かなかった。会員制を撤廃したことで店舗への入りやすさは格段に増したが、半面、それまでメインターゲットとしていた富裕層の顧客が徐々に離れていってしまったと指摘されている。

 

引用:大塚家具、日曜なのに店内ガラガラで末期状態…隣接のニトリは客が溢れ返り熱気充満

 

 

お家騒動に決着を付けた2015年3月時点では2488円あった「大塚家具」の株価も、2018年8月下旬には300円台半ばまで暴落、2020年には200円近くまで暴落してしまいました。

 

大塚久美子、ド素人社長に現場社員の不満は限界に…

 

 

業績が悪化の一途をたどっていた「大塚家具」ですが、社長である大塚久美子さんの言動がさらに現場の士気を下げているという証言もありました。

 

「一橋大学から銀行に就職した彼女はエリート意識が強い。ある幹部社員はミスを責められ“東京湾に沈めるわよ”と罵倒されていました。特におじさん社員が嫌いで、店長にねぎらいの言葉もかけません。現場の士気は下がるばかりで、“あの人はド素人だ”とこき下ろす社員もいましたね」(大塚家具関係者)

 

引用:支援企業が呆れる「大塚家具」かぐや姫 久美子社長の無理難題

 

 

その他にも「大塚家具」では、ヘッドハンティングして来た幹部社員までも逃げ出しているとの話まで出てきており、久美子さんの求心力が急激に失われていたことが伺えます。

 

その一方――、病気療養のため2018年4月末日付けで大塚家具を去った、元取締役常務執行役員総務部・財務部管掌兼財務部長の杉谷仁司氏(60歳)は、早くも再就職を決めたようだ。
「5月にはエー・ピーカンパニーという会社の顧問に納まっています。6月28日の株主総会の取締役候補者として発表されていますから、最初から役員含みで入社したんでしょうね。いやあ、御元気そうでなによりですよ」

 

エー・ピーカンパニーとは居酒屋「塚田牧場」などを展開する会社である。

引用: 大塚家具の大塚久美子社長が会議で号泣?幹部社員もビックリ仰天

 

大塚久美子、大塚家具がヤマダ電機の子会社となるも社長は続投

 

出典:https://uaring.com/

 

経営難により窮地に立たされた「大塚家具」は2019年12月、業務提携関係にあった「ヤマダ電機(現・ヤマダホールディングス)」の子会社となり再建を目指すこととなりました。

 

「ヤマダ電機」は「大塚家具」に約43億円を出資することで株式の51%を取得し、「大塚家具」を子会社化することを発表しています。

 

会見で大塚久美子さんは「引き続き全力を尽くす」と、社長職を続投する意向であることを示しました。

 

家電と家具のセット提案を強化し経営の多角化を進める「ヤマダ電機」には、「大塚家具」を傘下に収めることでさらなる販路拡大を図る目的があったようです。

 

ヤマダ電機は大塚家具が実施する第三者割当増資を引き受け、発行済み株式総数の51.34%を取得する。12月30日の払い込み完了を予定している。大塚家具の株式数はほぼ倍増する。

 

引用:大塚家具、ヤマダ電機のもとで再建へ 43億円で子会社に

 

 

大塚久美子、「大塚家具」の社長を辞任

出典:https://friday.kodansha.co.jp/

 

 

しかし状況が大きく改善することはなく、「大塚家具」は2020年第一四半期(5〜7月期)の純利益は約10億2000万円の赤字と、4期連続の営業赤字となりました。

 

そして2020年10月、大塚久美子さんは同年12月1日付で社長を辞任することを発表しました。

 

久美子さんの辞任の理由について、会社側は「過去の業績の責任を明確にするため、本人から申し出があった」と説明しています。

 

しかしヤマダ側が久美子さんに最後通牒を突きつけて、辞任を申し出るよう促したのではないかとの意見も聞かれており、事実上のクビとも言われています。

 

実際に、久美子さんの経営手腕や求心力のなさは以前から指摘されていることでもありました。

 

複数の元社員は「チラシや投資家向けのリリースには事前に細かく目を通すのに、売り場の状況や問題点をまるで理解できていない。掲げる戦略は机上の空論に聞こえ、現場との温度差は大きかった」と話す。銀行や取引先から招いた経営幹部とも意見の対立が絶えず、その多くが数年で会社を辞めていった。

 

引用:大塚家具、久美子社長が辞任 根強かった「求心力ない」の声 

 

自らのお家騒動でブランドのイメージを傷つけ、社長在任中の4期で約230億円の純損失を計上した大塚久美子さんには、「経営者失格」「辞任が遅すぎる」といった辛辣な声もあがっていました。

 

大塚久美子さんの後任は、親会社のヤマダホールディングスの三嶋恒夫社長が兼務することとなりました。

 

ちなみに、久美子さんが去った後の「大塚家具」は収益が改善し黒字に転換しているとのことです。

 

 

大塚久美子、コンサルティング会社の社長として活動

 

出典:https://pinky-media.jp/

 

 

「大塚家具」の社長を退任した大塚久美子さんは現在、「クオリア・コンサルティング」というコンサルティング会社の代表取締役を務めています。

 

「クオリア・コンサルティング」は2005年に久美子さんが設立していた会社で、「ライフスタイル全般について提案・情報発信」するとともに、「暮らしに関わる新しいサービスや商品を提供する人や企業のサポート」をするといったサービス内容となっています。

 

現在も社長であることに変わりなはない大塚久美子さんですが、「大塚家具」時代の重圧から解放され、自分のペースで思いのままに仕事ができているのではないでしょうか。

 

 

 

大塚久美子について総まとめをすると…

・大塚久美子は「大塚家具」を創業した大塚勝久氏の5人兄妹の長女として生まれた。

・大塚久美子の家族は、今回のお家騒動でバラバラになり、長男が父側に、久美子氏側には次女、三女、次男がついた。

・大塚久美子の学生時代のセーラー服姿がかわいいとネット上で話題となった。

・大塚久美子は現在も独身を貫き、結婚歴は一度もない。

・大塚久美子は、今まで富裕層の会員向けに販売していた路線をカジュアル路線に変更。これに激怒した父親と対立しプロキシ―ファイト抗争に発展した。

・大塚久美子が打ち出したカジュアル路線は軌道に乗らず、「大塚家具」は赤字続きとなりとなり「ヤマダ電機」の子会社となった。

・大塚久美子は2020年に「大塚家具の」社長を辞任し、現在はコンサルティング会社の社長を務めている。

 

 

変革期の経営判断というものは難しいもので、「シャープ」や「東芝」といったグローバル企業でも選択に失敗して、窮地に陥っていたりもします。

 

そのため、「大塚家具」の舵取りに失敗した大塚久美子さんが、必ずしも経営者としての資質に欠けているという話ではなく、時運に恵まれなかった部分も大きいと思われます。

 

今後の「大塚家具」の発展と大塚久美子さんの活躍を祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。

 

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