BreakingDownの公式レフェリーを務められていた鬼木貴典さんが2024年5月に末期がんを告白し、その翌月に亡くなられました。
この記事では鬼木貴典さんの昔や若い頃の経歴や画像、現役時代の戦績、結婚や嫁、4人の子供ら家族、何癌だったのかや死去した現在についてまとめました。
この記事の目次
鬼木貴典のプロフィール
鬼木貴典のプロフィール
生年月日:1973年3月9日
出身地 :福岡県北九州市
身長 :168cm
体重 :100kg(現役時代データ)
鬼木貴典(おにき・よしのり)さんは、若い頃は総合格闘技やプロレスの選手として活躍し、引退後は大学レスリングのサポートや1分間最強を決める格闘技イベント「BreakingDown」の公式レフェリーなどを務めていた人物です。
鬼木貴典さんはの現役時代は2011年頃までで、GLADIATORライトヘビー級のタイトルを獲得して引退されました。
現役引退後はレフェリーとして活躍し、特にBreakingDownの公式レフェリーを務めたことで大きな注目を集めました。
そんな鬼木貴典さんが、2024年5月18日にXを更新し、6月に予定(当時)されていた「BreakingDown12」のレフェリーの仕事を辞退すると発表しました。
辞退の理由として、鬼木貴典さんは、ステージ4のがんを患って余命2ヶ月と宣告されており、病状の悪化により足腰が弱り、サイドステップやバックステップなどのレフェリーに必要な動きが難しくなったためだと説明されました。
私、鬼木貴典はこれまでメインレフェリーとしてお手伝いさせて頂いていた、次回大会のブレイキングダウンのお仕事を辞退させて頂くことになりました。
— 鬼木貴典 (@onikiyoshinori) May 18, 2024
私事で、大好きなブレイキングダウン関係者の皆様をはじめ、格闘技関係者の皆様、選手、お客様に大変ご迷惑をお掛けし申し訳ございません。…
人気コンテンツであるBreakingDownでお馴染みの存在だった鬼木貴典さんの突然の告白にBreakingDownファンや関係者の間に衝撃が走りました。
鬼木貴典の昔や若い頃の経歴…総合格闘家として活躍
鬼木貴典さんの昔や若い頃の経歴にも関心が集まっています。
BreakingDown以外にも、様々な大会、イベントで格闘技のレフェリーを務めていた鬼木貴典さんですが、昔や若い頃は自身も総合格闘家として活躍された経歴を持ちます。
鬼木貴典さんは元々はプロレス団体「キングダム」を前身とする格闘技団体「キングダム・エルガイツ」の出身です。
鬼木貴典さんは2001年春にキングダムエルガイツが地元福岡県で開催した公開オーディションに参加するも、入江秀忠さん(現在のキングダムエルガイツ代表)に一方的な敗戦を喫しました。
この敗戦後、鬼木貴典さんは一念発起して28歳ながら上京し、キングダムエルガイツの聖蹟桜ヶ丘道場に入門して猛特訓を積んで総合格闘家としてデビューし、その年にはキングダムの大会でクルーザー級(−85kg級)優勝を果たし、2002年に武人杯格闘技選手権大会でベスト4、2003年にアブダビコンバット日本予選ベスト8などの戦績を残しました。
鬼木貴典さんは、今成正和さんの「チームローケン(Team-ROKEN)」に加わり総合格闘技大会「DEEP」などに参戦し、2011年に総合格闘技大会「GLADIATOR 18」で韓国のユク・ジンスを2ラウンドTKOで破りGLADIATORライトヘビー級王者を獲得。そしてその年に現役を引退されています。
鬼木貴典の現役時代の戦績
鬼木貴典さんの現役時代の総合格闘技とプロレス、レスリングでの主な戦績は以下の通りです。
日付 | 大会名 | 対戦相手 | 勝敗 | 開催場所 |
2002年7月6日 | TRIAL -空手の逆襲!- | 長谷川秀彦 | 10分1R 引き分け | ディファ有明 |
2002年10月20日 | THE BEST Vol.3 | 宮本優太朗 | 5分1R 判定負け | ディファ有明 |
2003年2月9日 | DEMOLITION | 井上克也 | 5分2R 1R1:09反則負 | 横浜赤レンガ倉庫 |
2003年6月25日 | DEEP 10th IMPACT | MAX宮沢 | 5分3R 判定負け | 後楽園ホール |
2003年12月28日 | SAEKI祭り(グラップリング、タッグ戦、パートナーは石井淳) | 橋本友彦 池本誠知 | 10分31秒 片エビ固めで勝利 | ディファ有明 |
2004年1月22日 | DEEP 13th IMPACT | 佐々木恭介 | 5分3R 2R3:04 腕ひしぎ十字形めで一本負け | 後楽園ホール |
2004年7月3日 | DEEP 15th IMPACT | ホスバヤル(モンゴル) | 5分2R 判定負け | ディファ有明 |
2004年9月18日 | STYLE-E E-1クライマックス(グラップリング、タッグ戦、パートナーは栗原強) | 佐々木恭介 板垣雄吾 | 7分58秒 ギロチンドロップからの体固めで勝利 | 西調布格闘技アリーナ |
2004年12月18日 | DEEP 17th IMPACT | 森谷俊之 | 5分2R 1R0:45 バックマウントパンチでKO勝ち | ディファ有明 |
2005年4月10日 | club DEEP | 毛利昭彦 | 5分2R 時間切れ引き分け | 紫水会館イベントホール |
2006年5月24日 | CMAフェスティバル 日本対韓国 全面対抗戦 | ジョン・ムンソク | 1R3分40秒TKO勝利 | 後楽園ホール |
2006年7月8日 | club DEEP 東京 (グラップリング、タッグでのエキジビションマッチ、パートナーはお宮の松) | 入江秀忠 RYOTA | 10分1R エキジビションのため勝敗なし | 新宿FACE |
2007年4月15日 | アブダビコンバット・サブミッションレスリング世界選手権 日本予選 | 永田尚道 | 8分 膝十字固めで敗戦 | 北沢タウンホール |
2007年9月23日 | ROCK UP presents club DEEP 山口 | 廣瀬悠 | 判定負け | 新南陽体育館 |
上記の通算戦績はタッグ戦を除くと「9戦3勝3敗3分」ですが、青木貴典さんは上記の戦績以外にも、プロレスや柔術の大会にも多数出場されています。
鬼木貴典の現役時代や若い頃の画像
鬼木貴典さんの若い頃、昔の現役時代の画像を紹介していきます。
出典:https://www.boutreview.com/
上の画像は、2001年11月21日開催の「キングダム・エルガイツ」後楽園ホール大会でクルーザー級に出場し安藤雅生さんに勝利した際の若い頃の鬼木貴典さんです。当時の年齢は28歳でした。
上の画像は、2003年2月9日開催の総合格闘技イベント「DEMOLITION」で井上克也さんに勝利した際の、現役時代、若い頃の鬼木貴典さんです。当時の年齢は29歳でした。
出典:https://ep-eshop03.up.seesaa.net/
上の画像は2005年12月に、俳優の金子賢さんが「PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-」に挑戦した際の公開スパーリングです。当時、現役バリバリだった鬼木貴典さんが金子賢さんのスパーリングの相手を務めました。画像左側が若い頃(年齢は32歳)の鬼木貴典さんです。
鬼木貴典の結婚は2010年で嫁は夏美さん
鬼木貴典さんは結婚されていて嫁は夏美さんという一般の女性です。
2010年に結婚式を挙げられていますが、鬼木貴典さんには2003年頃に生まれた子供(長男)がいるため、結婚の前に子供がいた事になります。このあたりの詳しい事情は不明ですが、以前にも結婚歴があるか、もしくは夏美さんと内縁の関係にあったが、2人目の子供妊娠を機に正式に結婚を決められたのかではないかと推測されます。
鬼木貴典さんの嫁の夏美さんは、鬼木貴典さんが癌で余命2ヶ月との告知を受けた際に衝撃のあまり号泣されたそうです。
2024年5月25日には、鬼木貴典さんのXで、嫁の夏美さんがメッセージを投稿されています。
これは、後述するように鬼木貴典さんがクラウドファンディングで集めた資金で自由診療によるがん治療を続ける事にしたのに対して賛否両論が巻き起こり、事実と異なる情報が拡散されて炎上した事に対する回答です。
妻 夏美からの投稿です。
— 鬼木貴典 (@onikiyoshinori) May 25, 2024
心配させる様な投稿をしてしまい申し訳ありませんでした。…
鬼木貴典の子供は4人で息子3人と娘が1人
鬼木貴典さんは子供が4人いる事を明かされています。
鬼木貴典さんは自身が末期のがんだとXで発表された際に、21歳の長男、13歳の次男、11歳の三男、8歳の長女がいる事を明かし、自分が余命2ヶ月の宣告を受けている事をまだ伝えられないでいる事も明かされました。
私には、21歳の長男、13歳の次男、11歳の三男、8歳の長女がいます。病気のことを、治療を断念したことを直接子ども達に伝える勇気を持てず、また4人の子ども達の目を見てこの話をすると、「死を受け入れる」という自分の覚悟が薄れてしまう気がしていて。
鬼木貴典さんが自身の末期がんを発表した事を受けて、BreakingDown COOの溝口勇児さんと朝倉未来さんの弟で総合格闘家の朝倉海さんが鬼木貴典さんの自宅を訪問し、朝倉海さんのYouTubeチャンネルでその時の様子が公開されています。
鬼木貴典さんは溝口勇児さんと朝倉海さんに、次男はこの前中学生になったばかり、三男は小学6年生、長女は小学3年生で、「まだまだ小さいんでどう伝えていいかわからないし」と話し、とても辛そうな様子を見せていました。
鬼木貴典さんはこの動画の中で、4人の子供達に自分ががんで余命宣告を受けている事を伝える事を決意し、4人の子供達をベッドの傍に呼んで、自分がもうすぐ死んでしまうかも知れない事を伝えられています。
鬼木貴典さんの言葉を聞いた子供らは大泣きし、鬼木貴典さんは「今まで伝えられなくてごめん」と子供達に謝られていました。
鬼木貴典さんは保険の効かない高額な医療を受け続けて貯金を切り崩すくらいならば、子供達の将来のために少しでも財産を残したいとの気持ちから治療を受ける事を断念したと説明されていました。
鬼木貴典が何癌かも話題に
鬼木貴典さんは自身がステージ4の末期がんで余命2ヶ月の宣告を受けている事を明かされていましたが、投稿では何癌かは公表されていません。
ただ、各メディアで「肝臓がん」であることが報じられており、鬼木貴典さんが何癌かは「肝臓がん」である可能性が高いようです。
2023年6月、BreakingDown開催の裏で、鬼木氏はステージ4の肝臓がんを発症していたそう。それから懸命に治療を続けていたものの、医師から「これ以上手立てがありません」と言い渡され、治療が取りやめに。余命は、2カ月を切っているといいます。
引用:BreakingDown公式レフェリー、がんステージ4で余命2カ月宣告 クラファン実施で4000万円の支援金集まる
鬼木貴典の現在~2024年6月、闘病の末に死去
自由診療でのがん治療を受け闘病生活を送っていた
1度は嫁や子供達ために少しでも財産を残したいという思いから治療を受ける事を断念した鬼木貴典さんですが、自由診療でのがん治療を再開されました。
これは、BreakingDown COOの溝口勇児さんらの提案と熱心な説得により、鬼木貴典さんがクラウドファンディングで資金を募り、治療を再開する事を決められたためです。
鬼木貴典さんの治療費を募るクラウドファンディングでは、開始からわずか4時間で目標額1000万円を大きく上まる約4500万円が集まり早期終了になりました。
鬼木貴典さんは2024年6月1日に、数日前に体調を崩して緊急搬送されたものの、貧血を起こしているとわかり輸血をしてもらい体調が回復したという事です。その後、6月2日に開催された「BreakingDown12」の会場にも少しだけ顔を出されていたようです。
BreakingDown12に、ほんの少しですが顔を出したら、未来選手や海選手、溝口さんをはじめ、運営の方や選手に直接会えてお話しできて嬉しかったです。
— 鬼木貴典 (@onikiyoshinori) June 3, 2024
試合前から熱気と活気に溢れてて気持ち良かった!!… pic.twitter.com/7S5vwfOIrK
2024年6月に51歳で死去
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
余命2ヶ月の宣告を受けていたという鬼木貴典さんですが、癌公表から約一か月後の2024年6月14日に亡くなられました。まだ51歳という若さでした。
鬼木貴典さんの訃報は、嫁の夏美さんが鬼木貴典さんのXにて報告しています。鬼木貴典さんは闘病中は入院はせずに自宅で過ごし、家族に見守られながら、苦しむことなく安らかに旅立ったとの事です。
生きていこうとする力がとても強く一日一日を大切に過ごしてきて最後の最後まで存在感や、大切な事を心に伝えてくれ笑顔で力強く手を握り続けてくれました。やんちゃな時代を過ごし年齢を重ねる毎に魅力が増し、家族、仲間を大事にしてくれる人でした。 闘病を始めた頃は、誰にも伝えずにひっそりと終わらせたいを私に話していました。先が見えなくなり夫婦で話し合い皆さまに報告したら、たくさんの応援をいただく事ができました。応援メッセージを読むこと。自身に関する動画を見ること。毎日嬉しそうにベッドで過ごしていました。治療に対しても前向きになり、本当に最後まで信じて闘っていました。 心より感謝申し上げます
引用:ブレイキングダウン公式レフェリー、鬼木貴典さんが死去 妻が報告 5月ステージ4の癌で余命2カ月告白 格闘技界追悼 朝倉海「
鬼木貴典さんの訃報を受けて、関係者らから多くの追悼コメントが寄せられました。
朝倉海は「鬼木さん、最後まで戦う姿に僕らが勇気をもらいました。いつも優しい笑顔でBreakingDownの会場を明るくしてくれてありがとうございました。ご冥福をお祈りします」とつづり、瓜田純士も「鬼木さん 長い間レフェリーと父親をご苦労様でした。会場まで風前の灯火で僕達に会いに来てくださったんですね 最後まで諦めない姿と全国から集まる支援の数がその人望を物語っていて子供達や奥様からすれば自慢の父親であり誇らしいことと思います。世間がBDをバッシングし始めた頃『大好きだよブレイキングダウンが』と声を出してくれてました きっとあの世でも『お前達バカだなぁ』と笑ってることと思います。人生最後のレフェリーはご自身でくだしたんですね。もう休んでいいぞと。安らかに眠ってください」と悼んだ。引用:ブレイキングダウン公式レフェリー、鬼木貴典さんが死去 妻が報告 5月ステージ4の癌で余命2カ月告白 格闘技界追悼 朝倉海「僕らが勇気もらいました」
嫁の夏美さんは2024年6月19日に葬儀を終えたことを報告し、「家族が揃った時に手を握りながら最後までニコニコ眠りについた姿は忘れません」などと鬼木貴典さの亡くなった日の様子を振り返りました。
また、クラウドファンディングで集まった支援金については「全額寄付していただける事になりました」と報告しており、支援者への感謝の言葉を述べられていました。
まとめ
今回は、「BreakingDown」の公式レフェリーを務めていた元総合格闘家で、2024年5月に末期癌である事を公表し翌月に亡くなられた鬼木貴典さんについてまとめてみました。
鬼木貴典さんは若い頃には総合格闘家として活躍し「キングダム・エルガイツ」や「チームローケン」に所属し、「DEEP」をはじめ、数々の大会で活躍した経歴を持ちます。
現役時代の戦績はずば抜けたものではありませんが、GLADIATORライトヘビー級王者などのタイトルを獲得されています。
鬼木貴典さんは結婚されていて、嫁は夏美さんという一般の女性です。子供は2024年の時点で21歳の長男、13歳の次男、11歳の三男、8歳の長女の4人です。
鬼木貴典さんは「肝臓がん」を患っていたようで、2024年5月にステージ4の末期がんで余命2ヶ月と宣告されている事を明かしました。
クラウドファンディングで支援を受け、自由診療にてがん治療を続けられていましたが、2024年6月に51歳の若さで亡くなられました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。