野田聖子さんは、自由民主党に所属する政治家です。これまでに内閣府特命担当大臣や総務大臣などの要職を歴任しました。
ここでは野田聖子さんの結婚・離婚歴と子供のこと、そして2017年9月に週刊文春で報じられた現在の夫の過去についてまとめています。
野田聖子さんのプロフィール
名前:野田聖子(のだせいこ)
旧姓:島
出身地:福岡県北九州市
生年月日:1960年9月3日
最終学歴:上智大学外国語学部比較文化学科
前職:帝国ホテル従業員
現在:衆議院議員(2014年から8期目)
野田聖子さんは大臣経験もある自由民主党所属の政治家です。
なお彼女はもともと島という苗字でしたが、祖父であり同じく政治家であった野田卯一さんの野田姓を継ぐため、1984年に養子に入って「野田聖子」となっています。
野田聖子さんの政治家人生の始まりは、岐阜県議会議員選挙にて自民党公認で立候補し当選した1987年。国政には1990年の衆議院議員総選挙に立候補しましたが、自民党から公認が得られず選挙も落選、その後の1993年時の総選挙にて初当選を果たしました。
途中、2005年に郵政民営化反対派として一時期自民党を離党していたことがありますが、自民党政権時には郵政大臣(1998年当時の閣僚史上最年少の37歳10ヶ月での抜擢)や内閣府特命担当大臣、自民党総務会長、総務大臣などさまざまな要職を歴任しています。
”女性初の首相候補”と言われるなど、女性議員の中でひときわ大きな存在感を放ちます。
野田聖子さんが結婚・離婚した元夫・鶴保庸介さんとは?
元夫も政治家
名前:鶴保庸介(つるほ ようすけ)
出身地:大阪府大阪市
生年月日:1967年2月5日
最終学歴:東京大学法学部
所属政党:自由民主党
現参議院議員で、2016年8月には第3次安倍第2次改造内閣で内閣府特命担当大臣として初入閣を果たしました。野田聖子さんより7歳年下。
野田聖子さんと鶴保庸介さんは結婚しておらず、2001年から2006年頃まで事実婚関係でした。入籍しなかった野田聖子さんは選択的夫婦別姓を主張し、かつ跡取りとして野田姓存続のためという目的もあったそうです。
二人は入籍こそしなかったものの2002年には帝国ホテルで結婚パーティーを開き、また国会議員同士ということで注目を集めました。そして2006年には「ベスト・カップル賞」まで受賞した二人が別れた理由とは何だったのでしょうか。
離婚原因は不妊治療に関する考えの相違?
さて野田聖子さんと鶴保庸介さんの離別原因の一つには、不妊治療に関する考え方の違いがあったようです。のちほどご紹介しますが、野田聖子さんは鶴保さんと別れたあとの2011年1月に第一子男児を出産しています。この際に野田聖子さんはアメリカで卵子提供を受け、当時50歳という高齢出産でした。
もちろん二人が事実婚状態だった時にも子供を望み不妊治療を重ねていたといいますが、野田さんが卵子提供に関して前向きだったのに対し、鶴保さんは反対。
そのため、やがて二人の間にすれ違う部分が出てきてしまったようです。
鶴保議員も野田議員とともに不妊治療に取り組んでいたが、卵子提供には反対だったという。「私としては、自分と彼女の子供が欲しかったんです。彼女の卵子を使った代理母の選択肢もあったかもしれません。しかし当時は、代理母をめぐる法的な問題が議論されているさなかで、慎重にならざるを得ませんでした」(鶴保議員)
不妊治療に対するふたりの考え方の違いも、パートナー解消に至る原因のひとつだったという。「彼女には“自分が子供を産みたい”というのがまず先にあって、“あなたのDNAを残したい”はその後でした。夫婦である以上、“あなたと私の子供をつくりたい”といってほしかった。正直、“おれは子づくりの道具じゃない”といってしまったことさえあります」(鶴保議員)
”子供ができなかった”ということ自体も大きな要因だったようですが、それ以外に離婚原因には、当時の鶴保さん側の女性問題や不祥事(※詳細はwiki)が重なったことで、二人の関係に変化をもたらしたのではという見方もあります。
なお余談ですが、鶴保庸介さんは野田聖子さんとの離縁後に18歳年下の一般女性と再婚し子供も設けています。現在この再婚した女性ともすでに離婚していますが、その別れ方がゲスかったと2016年8月に週刊誌で報じられています。
少し内容をまとめてみると…
・2013年夏頃に妊娠発覚するも結婚を渋り、かつ婚姻届を書くならと離婚届記入も強要。
・結局2014年2月末に子供が生まれる直前に入籍
・入籍の2ヶ月後に鶴保側が離婚届を勝手に提出しようと試みる(→失敗)。
・2014年10月に協議離婚し養育費などが取り決められたが、2015年秋頃に養育費ストップ。
野田聖子さんの子供・真輝くん
鶴保庸介さんと事実婚関係を解消した野田聖子さんは、その後、一般男性と再婚する直前に子供を出産しています。すでに軽くご紹介していますが、野田聖子さんはアメリカにて卵子提供を受け、2011年1月6日に第一子男児である真輝(まさき)くんを出産しました。
(日本では法整備がされていないため卵子提供は一般的ではありません。)
子供の父親は2011年1月18日に結婚した現在の夫・野田文信さん(もともとお付き合いしていた男性)、卵子提供したのはアイルランド系メキシコ人、そして出産したのは野田聖子さんです。
野田真輝くん
生まれる前から臍帯ヘルニアや心臓疾患が、誕生後も食道閉鎖症という障害を持っていることが判明。
妊娠初期の段階ですでに重い障害を持つ可能性が指摘されていました。
野田聖子さんの出産やその後のメディア露出には賛否両論わかれますが、彼女が出産を決意したのは”育てられる環境”にあったことと話します。
障害のある子を育てていけるかどうかという環境にかかっているから。この国の空気はまだ冷たい。私がおなかの子に障害があるってわかって産むことを決めたのは、育てていける環境にあったから。でも環境がない人もいる。
真輝くんは、生まれてからずっと病院にいて退院したのは2013年4月。またこれまでに10回以上の手術を受け、脳梗塞併発や人工呼吸器・胃ろうの装着、手足の麻痺などがあります。
成長した真輝くん
2016年の画像より。
真輝くんは2017年4月に小学校入学。
野田聖子さんのブログではよく子供の話題が出ていますが、入院することもあるものの、笑顔で暮らしている様子が伺えます。
真輝くんのケアは再婚した旦那さんの支えがあってこそというのが、野田聖子さんのブログからわかりますが、実際に旦那さんはそれまでしていた事業を辞めていたということが報じられています。
野田夫妻は、もうひとつ重大な決断をする。それが野田氏の夫であるAさん(45才)がオーナーを務める韓国料理店の閉店だ。
「野田さんが家族の心配をせずに、国のために思いっきり働けるようにと、Aさんが提案して、自分がふたりの面倒をみることにしたそうです。閉店を決めたときは、スタッフひとりひとりに“申し訳ない”と頭を下げてまわったと聞きました。
実は、この店はもともと大阪でやってたんです。3年前に野田さんが妊娠したのをきっかけに、Aさんが東京に移店させた。“妻のことを第一に考えている。だから、移店も閉店も惜しくない”って言っていて、本当に奥さん思いの旦那さんなんです」(前出・野田氏の知人)
上記引用記事によると、真輝くんだけではなく野田聖子さんの実母介護もあったようです。真輝くんのことはもちろん色々とサポートしてくれる現在の旦那さんに対する野田聖子さんの信頼・感謝は想像に難くありません。
そして息子さんについて語る野田聖子さん。
以下、2017年3月の真輝くんの卒園式に関するブログより。
6年前生まれてから、私達は毎日、ムスコさんの死との戦いを、見守るしかなかった。彼は一生懸命でした。生きていてさえくれれば、恩の字。親孝行をたくさんしてくれました。まさかこんな日を迎えることが出来るとは。彼の命に寄り添ってくれた全ての人に心から感謝申し上げます。今日は主治医前田先生のはからいで、ムスコさんの仲間、医療的ケア児の保護者の方々との出会い。ここでは多くを語りませんが、この国の弱者に対する不寛容をあらためて、痛感。問題山積。ひとつずつ解決してみせる。それが近未来の日本の新たな価値になるはずだから。
野田聖子さんの再婚した相手とは?!週刊文春が報じた衝撃内容
野田聖子さんは2011年1月に息子・真輝くんを出産した直後に、現在の旦那さんと再婚しています。息子のため、奥さんのためにいろいろとサポートする旦那さんのようですが、2017年9月の週刊文春が”その正体”について報じています。
野田聖子さんの旦那は、元暴力団員!?
(画像左端が、現在の夫・野田文信さん)
暴力団とのつながりに厳しい目が向けられる昨今、野田聖子さんの再婚した夫が前科ありの元暴力団員だという報道です。
週刊文春2017年9月21日発売号(28日号)によると、文信氏はかつて、京都の指定暴力団「会津小鉄会」傘下の「昌山組」に幹事として所属していた。昌山組は、組長が2000年2月に殺害事件で実刑判決を受け、同年3月に解散。文信氏は事件以前に組を抜けていたが、99年と05年に逮捕歴があり、それぞれ刑罰を受けたという。
野田氏と結婚したのは11年。文信氏は「野田氏に対し、家庭内だけなく、政治的にも極めて大きな影響を与えている」との記述もある。
不正に取得したドメイン名で大量の出会い系サイトの広告メールを送ったとして、有線電気通信法違反や私文書偽造罪での逮捕歴もあるという。
この報道に対し野田聖子さんは、出会う前のことだと話します。
文春記事によると、文信氏が野田氏と出会ったのは暴力団を抜けてしばらく経った07年。文信氏がオーナーの飲食店に野田氏が訪れた時だという。2人は11年、長男出産と同時に結婚し、文信氏が野田姓にかわった。
「すべて処分を受けて、きちんと解決、済んだことなので」「(逮捕されたのは)出会う前の話ですし」。野田氏は入閣直後の17年8月5日、文春にそう語ったという。
また以前から囁かれるのは、野田聖子さんの旦那さん在日説。現在のお名前は”野田文信”、結婚前が”木村文信”、さらに木村姓は通り名で本名が”金文信”というものです。
ネットでそう言われる元を確認してみると、2009年の週刊誌記事からというサイトがいくつか見受けられました。当時報じられた週刊誌内容は逮捕歴のこと、また韓国料理屋のオーナーだけではなく、出会い系まがいのサイト経営を続けているというものです。
野田聖子さんはこの夫の影響を強く受けているといった見方も…。
野田大臣は現在、日韓議員連盟、日華議員懇親会、パチンコチェーンストア協会、国際観光産業振興議員連盟などの連盟や団体に所属しています。その関係性からも、野田大臣が夫の文信氏からかなり強く影響を受けているのは間違いないと見る向きもあります。
また少し話題が変わりますが、野田聖子さんが総務大臣になってからの資産は全閣僚中トップ。それには旦那さんが所有するハワイの億ションが影響したとされます。
家族分を含めた総資産は野田聖子総務相が1億9192万円で最多だった。
野田氏は、夫が米ハワイ州ホノルル市に所有する1億5878万円の住宅が総資産額を押し上げた。本人は総務省が所管する日本郵政の株式1万1300株を保有していた。