「キャンディーズ」の元メンバーで、名女優として人気を集めた田中好子さんが話題です。
この記事では、田中好子さんのキャンディーズ時代などの若い頃、結婚した旦那の小達一雄さんや子供、夏目雅子さんとの関係や死因の乳がんやステージ、最後のメッセージの全文などをまとめました。
この記事の目次
- 田中好子のプロフィール
- 田中好子の若い頃① キャンディーズを結成する前の活躍
- 田中好子の若い頃② キャンディーズとしてアシスタントやバックダンサー
- 田中好子の若い頃③ キャンディーズのセンターになるもヒットに恵まれず
- 田中好子の若い頃④ 伊藤蘭にセンターを譲り「年下の男の子」でブレイク
- 田中好子の若い頃⑤ ヒット曲を連発しバラエティ番組でも人気者に
- 田中好子の若い頃⑥ キャンディーズ解散後も女優として芸能界で活躍
- 田中好子の結婚相手は夏目雅子の実兄で実業家の小達一雄
- 田中好子と旦那の小達一雄の間には子供はいない
- 田中好子と夏目雅子は元々は親友関係で伊集院静との三角関係はデマ
- 田中好子の死因は乳がん
- 田中好子はがんやステージ(進行度)を隠して芸能活動を続けていた
- 田中好子は肉声での最後のメッセージを残していた
- まとめ
田中好子のプロフィール
田中好子のプロフィール
生年月日:1956年4月8日
没年月日:2011年4月21日(享年55歳)
出身地 :東京都足立区梅田
身長 :155cm
血液型 :A型
田中好子さんは若い頃は、国民的人気アイドル歌手グループだった「キャンディーズ」で活躍し、キャンディーズ解散後に、一時は「普通の女の子」に戻ったものの、2年後に女優として復帰し演技派の名女優として活躍されました。
愛情に溢れた母親役を多く演じ、「家なき子」、「神様もう少しだけ」、「鉄道員(ぽっぽや)」、「ちゅらさん」など、数々の人気作、名作に出演されました。
多くの人々に愛された田中好子さんでしたが、2011年4月21日に55歳という若さで亡くなられています。
今回はこの田中好子さんについてまとめていきます。
田中好子の若い頃① キャンディーズを結成する前の活躍
「突撃!ヒューマン!!」出演時の若い頃の田中好子
田中好子さんの若い頃の経歴を見ていきます。
田中好子さんは東京都足立区の出身で、子供の頃は男の子をいじめるようなガキ大将のようなタイプだったのだとか。
小学4年生の頃から町内の民謡研究会に通って歌を学び、伸びのある高音はメンバーの中で随一と言われるなど、当時から歌の才能を示していたそうです。
ただ、田中好子さん本人は本当はkラシックバレエを学びたかったそうなのですが、おばあちゃんに「日本人は足などあげるものじゃない」と反対されて仕方がなく民謡同好会に入ったのだとか。
小学校卒業後は、足立区立第四中学校へと進学し、1年生の時に大手芸能事務所・渡辺プロダクションが経営するタレント育成学校「東京音楽学院」に入学し、優秀な生徒を集めて結成された「スクールメイツ」のメンバーの1人に選ばれています。
スクールメイツの同期生にはのちに一緒にキャンディーズとして活躍する伊藤蘭さんや、シンガーソングライターの太田裕美さんがいました。
中学卒業後は東京成徳高校へと進学、高校1年生だった1972年10月から12月にかけて、日本テレビ系のヒーロドラマ「突撃! ヒューマン!!」にヒロイン役の新聞記者・星山ルミ子役として出演しドラマ初出演を果たしています。
田中好子の若い頃② キャンディーズとしてアシスタントやバックダンサー
田中好子さんは、ドラマ「突撃! ヒューマン!!」出演と同時期の1972年に、NHKの歌番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールオーディションに合格。同時に合格した伊藤蘭さんや藤村美樹さんと「キャンディーズ」を結成しています。
キャンディーズでの田中好子さんの愛称は「スーちゃん」でした。
当初、「キャンディーズ」はマスコットガールとして、テレビ番組やイベントでの椅子やマイク運び・代理音合わせなどのアシスタントの仕事などを務めた他、1972年の紅白歌合戦では、出場歌手の橋幸夫さんのバックコーラス、南沙織さんのバックダンサーなどを務めるなどしています。
田中好子の若い頃③ キャンディーズのセンターになるもヒットに恵まれず
1973年9月1日、田中好子さんは「キャンディーズ」としてデビューシングル「あなたに夢中」を発表してレコードデビューを果たしています。田中好子さんは当初、持ち前の高い歌唱力を評価されキャンディーズのセンターとしてリード歌手を務めました。
田中好子さんは2nd「そよ風のくちづけ」、3rd「危ない土曜日」、4th「なみだの季節」までセンターを務めましたが、残念ながらヒット曲には恵まれませんでした。
田中好子の若い頃④ 伊藤蘭にセンターを譲り「年下の男の子」でブレイク
出典:https://image.middle-edge.jp/
1975年2月21日にリリースした5thシングル「年下の男の子」から、田中好子さんはキャンディーズのセンターの座を伊藤蘭さんに譲っています。
この「年下の男の子」が大ヒットし、キャンディーズ初のオリコンチャート10位以内も記録した事でそれ以降のほとんどの曲のセンターとリードボーカルは伊藤蘭さんが務めました。
田中好子の若い頃⑤ ヒット曲を連発しバラエティ番組でも人気者に
キャンディーズでのセンターの座を伊藤蘭さんに譲ってからは、田中好子さんは主に向かって右側のポジションでコーラスを担当しました。以降、キャンディーズは1976年3月の9thシングル「春一番」、1977年3月リリースの13thシングル「やさしい悪魔」、1977年6月リリースの14thシングル「暑中お見舞い申し上げます」、1977年12月リリースの16thシングル「わな」などのヒット曲を連発し、国民的人気アイドル歌手となりました。
キャンディーズのブレイクに伴って田中好子さんも人気を上げ、キャンディーズのメンバーとしてバラエティ番組にも多数出演、当時の人気コント番組「8時だヨ!全員集合」、「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」などにも出演されていました。
田中好子の若い頃⑥ キャンディーズ解散後も女優として芸能界で活躍
人気絶頂だった1977年7月17日、「キャンディーズ」はその日行われたコンサートの最後に突然の解散発表をしました。この解散発表時に伊藤蘭さんがいった「普通の女の子に戻りたい」という言葉はその年の流行語大賞に選ばれています。
この電撃的な解散発表により、キャンディーズの人気はさらに盛り上がり、1978年2月にリリースしたラストシングル「微笑みがえし」は、キャンディーズ初となるオリコン1位を獲得しています。
キャンディーズは1978年4月4日、後楽園球場に5万5千人を集めた解散コンサートを最後に解散し、同時に田中好子さんも一時は芸能界を引退しています。
その後、田中好子さんは実家の釣具屋を手伝いながら、一般人として生活していましたが、1980年に芸能界復帰を発表します。
田中好子さんはキャンディーズ解散時に芸能界に未練はないとコメントしていましたが、6歳下の弟の一夫さんが骨肉腫を患い、その一夫さんが田中好子さんの芸能界復帰を強く望んでいた事から芸能界復帰を決意されています。
この弟の一夫さんは田中好子さんの芸能界復帰を誰よりも喜びましたが、その1年後に19歳の若さでこの世を去っています。
芸能界復帰後の田中好子さんは主に女優として活躍し、NHK大河ドラマ「女太閤記」や、NHK朝ドラ「おしん」、1982年公開の映画「ひめゆりの塔」など、主要キャストとして話題作に次々と出演し若手女優として人気を博しました。
1989年には原爆の悲劇をテーマにした映画「黒い雨」の主演に抜擢され、この作品で田中好子さんは、日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝き、演技派女優としての地位を確立しました。
その後、田中好子さんは美貌と演技力を兼ね備えた大物女優として活躍。1994年と1995年に放送され大ヒットしたドラマ「家なき子」、1998年のドラマ「神様もう少しだけ」、1999年公開の「鉄道員(ぽっぽや)」、2001年のNHK朝ドラ「ちゅらさん」など、母性あふれる愛情深いキャラクターを多く演じて人気を博しました。
田中好子の結婚相手は夏目雅子の実兄で実業家の小達一雄
田中好子さんは、芸能界復帰後に親友の関係になったという女優・夏目雅子さんの実兄の小達一雄さんと1991年5月21日に結婚されています。
夏目雅子さんは1985年に急性骨髄性白血病で亡くなられましたが、大切な人を亡くしたという共通の悲しみを持った事から、田中好子さんと旦那の小達一雄さんは距離を縮め恋人関係になったという事だったようです。
田中好子と旦那の小達一雄は不倫の末の結婚だった
ただ、田中好子さんの旦那の小達一雄さんは、当時既に結婚しており妻と子供がいました。そのため、田中好子さんからみて、小達一雄さんとの結婚は、不倫関係を経ての略奪結婚でした。
また、旦那の小達一雄さんは、それ以前にも1度離婚しており、田中好子さんとの結婚は3度目の結婚でした。そのため、田中好子さんと小達一雄さんの結婚式は身内のみ20人だけを招いての極秘挙式でした。
旦那の小達一雄の前妻との子供・楯真由子と田中好子の関係
田中好子さんの旦那さんの小達一雄さんは、前妻との間に子供がいました。
小達一雄さんの前妻との子供は、現在も女優や歌手、声優として芸能界で活躍する楯真由子さんです。楯真由子さんは1988年の生まれで、既に他界していた叔母の夏目雅子さんへの憧れから芸能界を志し、9歳の頃から子役として活躍されていました。
しかし、その楯真由子さんの幼い頃は波乱に満ちたもので、父の小達一雄さんと叔母の親友だった田中好子さんとの不倫関係がまだ1歳だった1989年に発覚し報道が加熱。父親の小達一雄さんに殺到する報道陣から逃れるために母の実家の北海道に母と共に避難して育っています。
また、その後、田中好子さんがドラマ「家なき子」に出演した事から、小学生時代の楯真由子さんは同級生から「父親に捨てられた『家なき子』」などとからかわれるイジメにあったそうです。
そうした経緯から、楯真由子さんは田中好子さんに複雑な感情を持って成長されたそうですが、20歳の時に祖母(小達一雄さんの母親)の葬儀の場で初めて田中好子さんと面会されています。
この時、楯真由子さんは田中好子さんから分厚いファイルを手渡されたそうです。そのファイルには、楯真由子さんのプリクラや、雑誌の切り抜きなどがきれいに祖母によって整理されていたのだそうで、田中好子さんは「おばあちゃんは、いつもあなたのことを考えていたのよ」と教えてくれたのだそうです。
これをきっかけに、楯真由子さんと田中好子さんはメールなどで連絡を取り合う関係になったそうです。
田中好子さんも楯真由子さんから父親を奪うことになってしまった事への罪滅ぼしの思いもあったのか、「楯真由子さんにとっての芸能界での母親になりたい」と、その芸能活動を応援したいという気持ちを常々口にされていたのだとか。
田中好子の死後に旦那・小達一雄には愛人や隠し子疑惑が報じられた
田中好子さんとの不倫の末に結婚した旦那の小達一雄さんについては、実はあまり良い噂はありません。
田中好子さんは2011年4月21日に55歳という若さで亡くなられていますが、なんと旦那の小達一雄さんは、田中好子さんが亡くなる約10年も前からある女性と不倫関係にあり、隠し子もいるとの黒い噂が複数のメディアによって報じられています。
彼女の葬儀では、死ぬ間際に吹き込んだ肉声が流され、気丈にふるまう夫・小達氏の姿が2000人を超える参会者の涙を誘った。そこへ「週刊女性」が爆弾を放った。小達氏には10年前ぐらいから続いている、現在40歳前後の愛人がいて、その彼女との間には「小学校高学年」くらいの女の子がいるというのだ。週刊女性によれば、「田中好子さんも勘づいていた」という。
田中好子さんの旦那の小達一雄さんに愛人や隠し子がいるというスキャンダルを最初に報じたのは「週刊女性」でした。
「週刊女性」の記事によれば、小達一雄さんは、田中好子さんが闘病生活を送っていた2010年7月14日に、成田空港のハワイ・ホノルル行きのゲート前で、「パパ!」と言って駆け寄る女の子に「どれがいい?」と優しく声をかけていたのが目撃されているのだそうです。
また、関係者からは、過去に小達一雄さんは自分の母親に「俺の子供に会いたくないか、孫を抱いてみないか」と話しかけていたとの証言も出ているのだとか。
さらに、旦那の小達一雄さんに愛人がいることを田中好子さんも勘づいていて、探偵を雇ったり、自分自身で張り込んだりして調査をしていたとの内容も書かれていました。
目撃されたのは昨年の7月14日、成田空港のハワイ・ホノルル行きのゲート前。「パパ」と駆け寄る女の子に、「どれがいい」と小達氏は優しく声を掛けていた。二人のことをよく知る関係者は、「田中さん、探偵をつけたり、自ら張り込んだりもしたそうです」と話している。また、小達氏は母親に「オレの子供に会いたくないか、孫を抱いてみないか」といっていたそうだ。
出典:https://www.sponichi.co.jp/
田中好子さんの葬儀では、旦那の小達一雄さんは最愛の妻を亡くして憔悴した様子を見せており、テレビ報道などでその映像を見た視聴者の同情を誘っていました。
ところが、「女性セブン」(2013年5月2日号)の記事によれば、旦那の小達一雄さんは、田中好子さんの死去後約1年後の2012年4月に「田中好子“いつもいっしょだよ”基金」を設立したのと同時期に、田中好子さんと2人で暮らしていたマンションを解約し、都内に別の高級マンションを購入して、愛人と子供と3人での”新生活”をスタートさせたのだそうです。
亡き妻への断ち切れぬ思いを強調した小達氏。しかし、その設立と同じ時期に、彼は田中さんとふたりきりで暮らしていたマンションを解約し、都内に億ションを購入、“新生活”をスタートさせていた。「小達さんは、ハワイ旅行を報じられた女性と女の子の3人で、そのマンションで一緒に暮らし始めたんです。籍こそ入れていませんけど、完全に“家族”となったんです」(小達氏の知人)
一連の報道が全て事実かはわかりませんが、旦那の小達一雄さんが田中好子さんとは不倫関係を経ての3度目の結婚だったという過去もあって、愛人や隠し子がいたとしてもおかしくはないという見方が有力になっているようです。
田中好子と旦那の小達一雄の間には子供はいない
田中好子さんと旦那の小達一雄さんの間には子供は生まれませんでした。
関係上は小達一雄さんの前妻との子供である楯真由子さんは義理の子供という事になりますが、田中好子さんに血の繋がった実の子供はいません。
田中好子と夏目雅子は元々は親友関係で伊集院静との三角関係はデマ
田中好子さんと夏目雅子さんが、作家の伊集院静を巡って三角関係だったとの噂が出ていますが、こちらはデマ情報です。
伊集院静をめぐって夏目雅子さんと三角関係だったのは、女優の桃井かおりさんで、これに田中好子さんが混同されて三角関係の噂が出たようです。
田中好子さんと夏目雅子さんの関係は元親友関係で、田中好子さんと小達一雄さんが結婚した後には、義理の姉妹の関係という事になります。
田中好子の死因は乳がん
田中好子さんは、2011年4月21日に55歳という若さで亡くなられました。死因は「乳がん」と発表されています。
人気アイドルグループ、キャンディーズの元メンバーで女優の田中好子(たなか・よしこ、本名=小達好子=おだて・よしこ)さんが21日午後7時4分、乳がんのため東京都港区の病院で死去した。55歳だった。
田中好子はがんやステージ(進行度)を隠して芸能活動を続けていた
死因は乳がんと発表されている田中好子さんですが、最初に乳がんが見つかったのは旦那の小達一雄さんとの結婚翌年の1992年、36歳の頃だったそうです。
しかし、田中好子さんはステージも含めてがんを患っていることを、親族を除いて一切明かしていませんでした。
田中好子さんは自身ががんである事を隠し、約19年にわたって逃亡生活を続けながら芸能活動を続けていたという事でした。
死去後の報道などによると、田中好子さんは最初に左胸に乳がんが見つかった時はまだ早期のステージだったようで、すぐに治療して克服したようです。その後、右胸にも乳がんが見つかるなどしたそうですが、こちらも早期に発見して治療されていたようです。
しかし、2010年10月に十二指腸潰瘍を患い、その治療のために絶食期間をおいた事がきっかけで免疫力が低下し、乳がんが再発。2011年2月に急激にステージが進行して亡くなられたとの事でした。
田中好子は肉声での最後のメッセージを残していた
田中好子さんの葬儀会場では、田中好子さんが生前に残していたという「最後のメッセージ」が流され、その内容が大きく報じられました。
この田中好子さんの最後のメッセージは亡くなる約3週間前の2011年3月29日の昼頃に録音されたもので、「私は大勢の人に支えられて生きてきたので、皆さんにお礼が言いたい」との田中好子さん本人の意向によって録音されたものだったそうです。
田中好子の最後のメッセージの動画(全音声を公開したニュース番組の動画)
以下は、田中好子さんの最後のメッセージの音声を報じたニュース番組の動画です。
自身も闘病で苦しんでいる中で、まず最初に2週間前に発生した東日本大震災の被災者を気遣う言葉から話し出したところに田中好子さんの愛情深い人柄が現れているように感じられます。
この田中好子さんの最後のメッセージに、勇気づけられた東日本大震災の被災者の方も大勢いたのではないでしょうか。
田中好子の最後のメッセージ書き起こし
田中好子さんの最後のメッセージの書き起こし文も紹介しておきます。
「こんにちは、田中好子です。今日は3月29日。東日本大震災から2週間経ちました。被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような…破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。私も、一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると、負けてしまうかもしれません。でもその時は、必ず、天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと、思っています。今日お集まりいただいている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間、お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝してます。特に、蘭さん、美樹さん、ありがとう。2人が大好きでした。映画にもっと出たかった。テレビで、もっと演じたかった。もっともっと、女優を続けたかった。お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。いつの日か義妹・夏目雅子のように、支えてくださった皆様に、社会に少しでも恩返しができるように、復活したいと思ってます。カズさん(旦那の小達一雄さん)、よろしくね。その日までさよなら。」
まとめ
今回は、国民的アイドルグループ「キャンディーズ」の元メンバーで、キャンディーズ解散後は演技派の名女優として数々の名作品に出演した田中好子さんについてまとめてみました。
田中好子さんは若い頃から歌手としての才能を示し、高校時代から芸能活動をスタートさせ、キャンディーズで国民的人気を獲得しました。
キャンディーズは人気絶頂期に解散し、一時は田中好子さんも一般人に戻りましたが、難病を患う弟が姉の芸能活動復帰を望んでいる事を受けて芸能界に復帰し、その後は主に女優として活躍されました。
そんな田中好子さんは人気絶頂期の1991年に、親友関係だった女優の夏目雅子さんの実兄の小達一雄さんと結婚されました。旦那の小達一雄さんには嫁と子供がおり、不倫関係を経ての結婚でした。
田中好子さんと旦那の小達一雄さんの間には子供はいません。
田中好子さんの死因は「乳がん」と発表されていますが、最初にがんが発見されたのは結婚翌年の1992年で、田中好子さんはステージなど自身ががんである事を親族以外の誰にも公開せずに、闘病を続けながら芸能活動を続けられていたそうです。
田中好子さんの葬儀では、その死の約3週間前に録音されたという「最後のメッセージ」が公開され、その愛情に溢れた内容は大きな注目を集めました。