作詞家で直木賞作家のなかにし礼さんは、兄に6億もの借金を押しつけられた仰天の過去があります。
今回はなかにし礼さんの経歴や家族、兄や森田童子さんとの関係、結婚歴や嫁の石田ゆりさんとの馴れ初め、子供、現在や死因を紹介します。
この記事の目次
なかにし礼は直木賞作家&作詞家
なかにし礼
本名:中西禮三(なかにしれいぞう)
生年月日:1938年9月2日
没年月日:2020年12月23日
出身:満州国(小学校は日本)
職業:作詞家、作家
なかにし礼さんは、昭和時代にたくさんのヒット曲を作詞した作詞家です。また、小説家としても数多くの名作を残しました。
生い立ち
なかにし礼さんは1937年に満州国で生まれます。当時は満州で1、2を争うレベルの裕福な生活を送っていたそうですが、満州へのソ連侵攻で事態は一変したようです。
裕福だった中西家は財産をすべて失い、なんとかハルビン行きの列車に家族で乗り込みますが、空襲に遭い、なかにし礼さんの隣の乗客は頭を撃ち抜かれて死亡するなど壮絶な体験をします。
その後も収容所へ押し込まれるなどの命の危機に瀕しますが、8歳の時になんとか日本に戻ることができました。
日本では兄が事業を起こしますが失敗し、東京→青森→東京と転々して、中学生になってようやく東京に落ち着くことができました。
高校は東京都立九段高校に進学し、一浪して1958年に立教大学文学部に入学します。
その後は、大学中退・再入学・転科などをして、1965年になって立教大学を卒業しました。
作詞家・小説家としての経歴
なかにし礼さんは学生の頃からシャンソンの詞の和訳をしていましたが、1963年にひょんなことから昭和の大スター石原裕次郎と出会い、日本語の歌詞を書くように勧められます。
それから、なかにし礼さんは作詞をするようになり、1年後には自分が作詞・作曲した作品を石原プロに持ち込みました。
その作品は石原プロがプロデュースして「涙と雨にぬれて」というタイトルになり、大ヒットしました。
その後も、次々と作詞家としてヒットを飛ばします。
・「今日でお別れ」:菅原洋一(1969年)
・「わが人生に悔いなし」:石原裕次郎(1987年)
・「恋の奴隷」:奥村チヨ(1969年)
・「さくらの唄」:美空ひばり(1967年)
・「恋のフーガ」:ザ・ピーナッツ(1967年)
・「石狩挽歌」:北原ミレイ(1975年)
・「時には娼婦のように」:黒沢年男/なかにし礼(1978年)
・「北酒場」:細川たかし(1982年)
・「まつり」:北島三郎(1984年)
・「AMBITIOUS JAPAN!」:TOKIO(2003年)
・「櫻」:氷川きよし(2012年)
上記の作詞曲はごく一部です。これ以外にもたくさんの有名な曲を作詞していて、数えきれないほどです。
また、小説家としても実績があります。
・『長崎ぶらぶら節』
・『赤い月』
・『てるてる坊主の照子さん』
・『夜の歌』
『長崎ぶらぶら節』では、直木賞を受賞しています。また、『てるてる坊主の照子さん』は、NHKの朝の連続テレビ小説の「てるてる家族」の原作になりました。
なかにし礼の家族構成
出典:asahi.com
なかにし礼さんは5人家族で育ちました。家族構成はこちらです。
・母:よき
・兄:正一
・姉:宏子
・なかにし礼
父親の経歴
なかにし礼さんの父親はもともとは小樽にいましたが、満州に渡り、酒造やガラス業を営み大成功を収めます。
しかし、ロシア軍の侵攻で父親は財産を失います。さらに、父親はロシア軍に捕まり、強制労働を命じられました。
父親は過酷な強制労働が原因で亡くなっていますので、日本の土を踏むことなく亡くなったようです。
母親の経歴
なかにし礼さんの母親は、父親が亡くなった後になかにし礼さんを守り、なんとか日本への引き揚げ船に乗って日本に帰ってました。
そんな母親は、機転の利く強い女性だったようです。
11日夜、軍人やその家族を避難させる軍用列車に乗りました。避難列車がなかなか来なくて駅が大混乱する中、母がかけ合って特別扱いを受けたのです。
なかにし礼さんは母親のことを「わが人生最大のヒロイン」と話しています。
しかし、母親はなかにしさんが人気作詞家になった頃には、病気の後遺症で半身不随になり、なかにし礼さんの兄嫁に介護される生活を送った末に亡くなっています。
兄や姉の経歴
なかにし礼さんには、14歳年上の兄と7歳年上の姉がいました。
姉は終戦時もずっと一緒にいましたが、兄は終戦時は学徒出陣していて、特別操縦見習士官として特攻隊に所属していました。ただ、特攻隊として出陣する前に終戦を迎えています。
兄は終戦後は亡くなった父親の代わりに、一家の大黒柱として事業を起こすのですが、次第になかにしさんを困らせるようになるのです。
なかにし礼の兄は借金まみれだった
生き残りで事業を起こす
なかにし礼さんの兄は特攻隊の生き残りであり、戦後は一家の大黒柱として事業を起こします。
ニシン漁などの事業でしたが、この事業は失敗しています。
しかし、特攻隊で命を投げ出す覚悟をしていたからか、一獲千金の夢に取りつかれてしまったようで、その後も事業を起こしては失敗を繰り返していました。
「兄貴は、押出しのある雰囲気でしたから、金のありそうな人のところに行って『一緒に仕事をやろう』と持ちかけると、相手は信用する。それで、兄貴は社長になって、相手が工面した金を使ってしまい、会社が潰れる。その繰り返しですよ」
そして、兄は借金を膨らませていきました。
借金をかぶせて失踪
出典:nikkei.com
そして、兄はなかにし礼さんが作詞家として成功すると、なかにし礼さんにお金の無心をし始めて、豪遊するようになります。
さらに、なかにし礼さんの印税を自分の口座に振り込ませたり、なかにし礼さんに生命保険をかけて、自分を受け取り人にしていました。
兄と縁を切ろうと考えたこともありましたが、兄嫁が献身的に母親の介護をしてくれていたため、なかなか縁を切ることができませんでした。
そんな時、兄は自分が経営に失敗して作った4億円の負債と個人的な2億円の借金をなかにし礼さんに全部かぶせて、行方をくらませたんです。
なかにし礼さんは兄の借金、総額6億円を背負うことになりました。
最終的には縁を切る
兄の借金返済のために必死に働いていたなかにし礼さんでしたが、兄がひょっこり戻ってきます。
しかし、兄はクラブの女性に入れあげて2000万円もの借金を作っていたことが発覚します。
以前なら母親もいましたし、母親の介護を兄嫁に任せていたこともあって兄と縁を切れませんでしたが、この時は母親はすでに他界しており、なかにし礼さんはすっぱりと兄と絶縁しました。
なかにし礼は兄と一緒に「風吹ジュン誘拐事件」を起こしていた
なかにし礼さんは兄と一緒に、1974年に風吹ジュンさんを誘拐したことがあるんです。
風吹ジュンさんはアド・プロモーションと仮契約を結んでいました。しかし、レコードがヒットしても月給23万円しかもらえなかったので、ガル企画という事務所に移籍しました。
このアド・プロモーションは、兄の娘婿(森田童子の夫)が社長を務め、役員をなかにし礼さんと兄が務めていました。
風吹ジュンさんの移籍を阻止したかったなかにし礼さんたちは、テレビ収録を終えた風吹ジュンさんとマネージャーを拉致し、ホテルに軟禁して事務所移籍を考え直すように迫ります。
同時に、兄はガル企画の社長を暴力団事務所に連れ去り、風吹ジュンさんとの契約を考え直すように迫っていたのです。
結局は、社長・風吹ジュンさんらは警察に保護され、なかにし礼さんは刑事告訴されました。
まるでドラマのような展開ですが、あの名作詞家であるなかにし礼さんが誘拐事件に関わっていたとは驚きですよね。
なかにし礼の姪は森田童子
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シンガーソングライターの森田童子さんをご存じですか?
男性的なファッションにロングのカーリーヘア、サングラスが特徴的で、1973年からライブハウスで活動し、1975年にメジャーデビュー、1984年に活動を休止しました。
50代以下の人には、ドラマ「高校教師」の主題歌「ぼくたちの失敗」の歌手というと、わかりいやすいと思います。
実は、この森田童子さんはなかにし礼さんの姪(兄の次女)だったことが、なかにし礼さんの遺作である『血の歌』の中で明かされました。
森田童子さんの夫はアド・プロモーションの社長の前田亜土さんで、1974年に風吹ジュン誘拐事件を起こし、翌年には森田童子さんがデビューしています。
前田亜土さんは森田童子さんのマネージャーをすることになり、森田童子さんが活動を休止した後に2人は結婚しました。
そのアド・プロモーションの役員がなかにし礼さんと兄の中西正一さん、森田童子さんがなかにし礼さんの姪で中西正一の娘、事件後にアド・プロモーションの社長と森田童子さんが結婚。
これらを考えると、なかなか濃密な人間関係ですよね。
なお、森田童子さんは2018年4月24日に自宅で孤独死し、変死体で発見されました。遺体が発見される1週間前の4月16日に心不全で死亡したと見られています。
なかにし礼の結婚歴① 初婚は学生結婚
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なかにし礼さんは1963年に結婚してます。この時、なかにしさんは25歳でした。
一浪+中退・再入学などをしていたため、この時点ではまだ立教大学の学生で、学生結婚だったのです。
奥様は一般女性で女の子が誕生しています。
なかにし礼さんは結婚生活中に作詞家として人気になり、お金には困らない生活になりましたが、妻は作詞家になることに反対したため、1966年に別居、1968年に離婚しています。
なかにし礼の結婚歴② 現在の嫁は石田ゆり
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なかにし礼さんは、1971年に石田ゆりさんと再婚しました。石田ゆりさんは、いしだあゆみさんの妹です。
石田ゆりさんは高校2年生になる1968年に宝塚音楽学校に入学し、1970年に卒業しています。
同期には小柳ルミ子さんや麻実れいさんがいて、「名月ゆり」という芸名も決まっていましたが、宝塚歌劇団には入らずに芸映プロダクションに所属しました。
そして1970年9月に歌手デビューし、シングル4枚・アルバム2枚を発表しています。
結婚後は1978~1979年にドラマに少し出演しましたが、それ以降は表舞台にはほとんど出ず、家庭に入っています。
なかにし礼と嫁・石田ゆりの馴れ初め
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なかにし礼さんと石田ゆりさんの馴れ初めは、新人オーディションです。
1970年春、すでに売れっ子作詞家だったなかにし礼さんは、芸能事務所の新人オーディションに審査員という立ち位置で呼ばれました。
そこに、新人タレントだった石田ゆりさんが現れたのです。
当時、石田ゆりさんは18歳で、「ショートカットで目がくりくりしたかわいい女の子だった」となかにし礼さんは語っています。
石田ゆりさんの4枚のシングル全部をなかにし礼さんが作詞していますが、なかにし礼さんは石田ゆりさんに「あなた歌はダメだから、僕の嫁さんになりなさい」とプロポーズ。
ゆりさんは「はい、なります」と即答したそうです。
結婚した1971年、なかにし礼さんは33歳で石田ゆりさんは19歳でした。33歳と19歳の結婚。
現在だったら、「ロリコンか!」と炎上しそうな結婚でしたが、当時はそれほど変なことではなかったようです。
作詩家とは思えないプロポーズの言葉には驚きですよね。
なかにし礼の子供は3人
なかにし礼さんには子供が3人います。
・長男:康夫さん(石田ゆりさんとの子供)
・長女:夏奈子さん(石田ゆりさんとの子供)
長男の康夫さんは日本大学藝術学部演劇学科を卒業後、東宝演劇部にて演出助手・舞台監督などを務めていて、現在は株式会社日音で働いています。
長女の夏奈子さんは、現在はフランス人男性と結婚していて、お嬢さんが1人いらっしゃいます。
ただ、最初の奥様との間に生まれた女の子の情報は一切出ていません。
なかにし礼さんは結婚後も兄の借金を背負っていたため、借金取りが家に来るような状態でした。
そのため、子供たちは石田ゆりさんの実家に預けられていて、なかにし礼さんと子供たちが一緒に住むようになったのは、長男の康夫さんが小学3年生になってからのことでした。
なかにし礼の現在 【2020年に死去・死因は心筋梗塞】
なかにし礼さんは現在、既に亡くなっています。
2020年に死去
出典:j-cast.com
なかにし礼さんは2020年12月23日午前4時23分に、東京都内の病院で亡くなりました。死因は心筋梗塞です。
2020年11月14日、体調が悪かったなかにし礼さんを長男の康夫さんが病院に送っていき、そのまま入院となりました。そして、退院することなく亡くなったそうです。
最後の入院中も、お見舞いに行けませんでした。母だけ許可が出て、週に1回、5分だけ面会できた。家族と満足に会話もできず、本人も寂しかったと思います。
コロナ禍だったこともあり、面会は奥様の石田ゆりさんだけで、子供たちはコロナ前のように面会することはできませんでした。
亡くなる前日に意識がなくなった状態で、「そろそろ危ないから」と呼び出されて、ようやく面会できたとのことです。
もともと心臓の持病があった
出典:president.jp
なかにし礼さんはもともと心臓の持病がありました。
27歳の時に心臓疾患を発症し、心臓病と付き合いながら生活をしてきたとのことです。
2016年には、植え込み型除細動器(ICD)と心臓ペースメーカーを体内に植え込む手術を受けています。
それ以降も入退院を繰り返していて、2020年夏にも入院し、この時は1か月程度で退院していました。
がんの闘病もしていた
出典:jnpc.or.jp
なかにし礼さんは2012年に食道がんであることが発覚し、療養生活に入ります。
医師から手術・抗がん剤・放射線治療を提案されますが、なかにし礼さんは若い時から心臓疾患を患っていたため、自分で治療法を探し、体に負担が少ない陽子線治療を選んでいます。
一度はがんが消えたものの、2015年に再発した時は、すでに余命2週間という大変な状況でした。
12年に患ったがんが15年に再発したとき、余命2週間と言われたのに、そこから小説『夜の歌』を書き始めた。「書きたい」という意欲が病気を遠ざけたと思っていたのでしょう。
この時は、背中を25cm切る大手術を行い、半年で仕事に復帰しています。なかにし礼さんは、晩年は病気との闘いの日々だったようです。
なかにし礼のまとめ
なかにし礼さんの生い立ちや経歴、家族や兄の借金、森田童子さんとの関係、結婚歴や嫁の石田ゆりさんとの馴れ初め、子供の情報、現在と死因などをまとめました。
なかにし礼さんの兄が借金まみれの人物だったなんで驚きです。
6億円の借金を全部弟にかぶせるって、どこか感覚がおかしくなってしたのかもしれませんね。