銀座の超高級クラブのママとして有名になった唐沢菜々江さん(ななえママ)ですが、そのプライベートも話題です。
今回は唐沢菜々江さん(ななえママ)の若い頃の学歴や経歴、旦那との結婚や子供(息子)、鼻の整形疑惑、年収や自宅を紹介します。
この記事の目次
唐沢菜々江(ななえママ)は銀座でクラブ「Nanae」などを営む実業家
唐沢菜々江さん(ななえママ)とは、東京都中央区銀座でクラブ「Nanae」などを営む実業家です。
若い頃は高級クラブを渡り歩き、自分の店までオープンするなど銀座界隈では伝説的存在でしたが、2019年1月放送「マツコの知らない世界」への出演をきっかけに全国的に有名に。
マツコの知らない世界の再放送でやってた銀座ママの話が凄すぎて面白すぎた。そういう世界は、社長に祇園連れていってもらって2回くらい垣間見せてもらったけど、本当に凄いよね。世界の質感が違うなぁって思う。
— みにょん (@mg_sparrow) December 8, 2019
また、最近ではYouTubeチャンネル「銀座ななえチャンネル」を開設し、人気ユーチューバーのてんちむさんとコラボもするなど、情報発信にも積極的です。
唐沢菜々江さんの公式YouTubeチャンネルはこちら→銀座ななえチャンネル
この記事では、そんな唐沢さんのこれまでの経歴や家族情報、セレブエピソードなどについて紹介していきます。
唐沢菜々江(ななえママ)の若い頃の経歴や学歴① 学生時代はアルバイト漬け
両親が不仲で離婚していた
唐沢菜々江さんは、生まれは東京都大田区大森でしたが、すぐに目黒区碑文谷に引っ越して小学生時代の途中まで碑文谷で育ったようです。
唐沢さんの両親は不仲で、夫婦喧嘩で警察や救急車が来るほど、家庭が荒れていたといいます。
そんな両親は唐沢菜々江さんが小学4年の時に離婚。そのため、唐沢菜々江さんは母親に引き取られて埼玉県春日部市に引っ越します。
当時予定していた中学受験も断念せざるを得なくなったそうです。
中学生でアルバイトをスタート
両親が離婚後、経済的に厳しい状況が続いたため、母親からは「お前を育てるのも楽じゃない」と八つ当たりされる日々でした。
そのため、唐沢菜々江さんは中学生でアルバイトを開始し、中学卒業後は進学をせずに就職するつもりでいたといいます。
しかし、勉強ができる優等生だったこともあり、担任の教師から猛反対された結果、唐沢菜々江さんは県立大宮光陵高等学校に進学することになりました。
ただ、相変わらずアルバイト漬けの生活だったため、高校2年生のときに大宮光陵高校を中退し、春日部高校の定時制に編入しています。
唐沢菜々江(ななえママ)の若い頃の経歴や学歴② 20歳で結婚、旦那の浮気が原因で離婚
10代でスナック勤務を経験
大宮光陵高校を中退後の唐沢菜々江さんは、移動パン屋や生命保険の営業の仕事をしながら家計を支えていました。
そんな唐沢菜々江さんが夜の商売を始めたのは、友人の勤務先だった地元のスナック「ペルシャ」に遊びに行ったことがきっかけでした。
唐沢菜々江さんの容姿の華やかさを店のママに見初められて、スカウトされたのです。
その結果、昼間の仕事の傍らに週1~2回ほどの頻度でスナックに出勤することになりました。
ただ、まだ10代半ばの少女にとってスナックの仕事は厳しかったらしく、1年程度で辞めてしまったといいます。
20歳の頃に結婚するも借金が原因で夜の商売を再開
唐沢菜々江さんは、スナック「ペルシャ」時代に知り合った男性と20歳の時に結婚します。
しかし、当時の唐沢菜々江さんは相変わらず不幸な境遇にありました。
父親の借金を肩代わりしてしまった他、夫が「ココ山岡のダイヤモンド詐欺」に引っかかるなど多額の負債を抱えてしまったそうです。
そのため、借金を返済のため、友人の伝手で六本木のクラブで働き始めました。
六本木のクラブ時代の唐沢菜々江さんは、お金のためになりふり構わずに働いていたことが功を奏したのか、売れっ子嬢となって多くの顧客がついていたといいます。
その後、反社系だとは気づかず、お客から「うちの会社で働かないか?」と誘われて転職。闇金会社に3か月ほど勤めたそうです。
旦那の浮気問題が原因で離婚した
闇金会社を退職後、唐沢菜々江さんは地元春日部市内のキャバクラでリスタートを切ることになりました。
六本木時代の経験もあり、すぐに店で上位の売れっ子になった唐沢さんですが、夫が結核で入院した上に、消費者金融に借金までしていたため、稼ぎの良い上野のショーキャバクラに転職。
ショーキャバクラですぐに売れっ子になった唐沢菜々江さんは、常連客の紹介で銀座のクラブへの転職に成功するなど、仕事面では絶好調でした。
一方、私生活では夫の浮気問題が浮上するなど散々だったようです。
浮気発覚後も夫婦関係を修復するために努力したものの、結局、夫を許すことができず、別居期間を経て25歳の頃に離婚することになりました。
唐沢菜々江(ななえママ)の若い頃の経歴や学歴③ 35歳で自分の店をオープン
離婚後の唐沢菜々江さんは、男性と交際することはあったようですが、再婚はせずに夜の街で立身出世を続けています。
渡り鳥気質なのか、銀座では7店舗を渡り歩き、29歳の頃にはママを任されることになりました。
ママになって以降の唐沢菜々江さんは、店の売上を少しでも伸ばすために8000人の顧客リストを作成し、営業に精を出します。
その後、35歳の頃に独立、カラオケワインバー「SWEET MEMORIES」を開業。以降も意欲的な事業展開を続け、ワインダイニングやミニクラブなどをオープンしました。
そんな唐沢菜々江さんにとって、夜の街人生の集大成となったのが、44歳の時にオープンした会員制クラブ「Nanae」でした。
3階建てビルを丸ごと借り上げ、5億円の総工事費をかけてオープンした「Nanae」は、席に座るだけで4~5万円必要な高級店だったといいます。
マツコの知らない世界の銀座のママの世界で紹介された。銀座高級クラブの〔Nanae〕に場所と写真撮影に行きました(笑)マジ次元が違う。高級車ばっかりベンツ、セルシオ、アルファード、ちょうどママさんがお見送りで出来ました。唐沢菜々江ママです。 pic.twitter.com/5ZHdnIhUbp
— 神々し銀色の輝き (@yoshihitomaster) January 11, 2019
銀座の伝説、唐沢菜々江ママさんのクラブ「Nanae」が1周年らしく、お店がお花で埋め尽くされて凄いことになっていました。胡蝶蘭のナイアガラ!
— ふじこ@スパイス越境 (@fujiko121) July 3, 2019
ああ20年前に弟子入りしたかった…。 pic.twitter.com/A0xVOag9Ls
唐沢菜々江(ななえママ)の年齢は?若い頃が美人すぎると話題に
波乱万丈すぎる人生を歩んできている唐沢菜々江さんですが、年齢は意外と若く、1974年4月9日生まれの48歳です。
そんな唐沢菜々江さんの若い頃の写真を見てみると、夜の街で成功するのも納得、色気がある美女ですよね。
唐沢菜々江(ななえママ)の子供は息子が1人
唐沢菜々江さんは、21歳の時に長男・和斗さんを出産しています。
唐沢菜々江さんが本格的に夜の街で働き始めたのは、和斗さんの出産直後からで、借金返済のために働きづめで、幼い我が子を可愛がる時間すらなかったそうです。
離婚時には親権を巡って夫と争い、殴られて病院送りにされたこともあったそう。ですが、何とか親権を取ることができたといいます。
ただ、仕事が忙しすぎたせいで、子供の世話は住み込みの家政婦に任せる日々が続き、母親として心残りなことが多かったそうです。
そんな母親の苦労を見て育った和斗さんは、寂しさからグレたりすることもなく、現在は大学を卒業して就職しているとのことです。
唐沢菜々江(ななえママ)の年収や自宅は?
夜の街で大成功を収めた唐沢菜々江さんだけに、その年収や自宅も気になるところですよね。
雇われママ時代の年収は1億円プレイヤーだった時期もあるそうですが、お店で着るドレスや着物は自腹だった他、美容関連にもお金をかけていたため、持ち出しも多かったそうです。
自分で店を持つようになって以降の年収は不明ですが、コロナ禍前は「Nanae」の月商が1.5~2億円ほどだと言われています。
もちろん、諸経費、さらには開業時の借金返済もあるかもしれませんので、唐沢菜々江さんのお財布に入るのは全部ではないにしても、かなり羽振りの良い状況だったことがうかがえます。
そんな唐沢菜々江さんの自宅については、東京都港区赤坂にある家賃40万円の高級マンションとのことです。
唐沢菜々江(ななえママ)の鼻は整形?疑惑を検証
ネット上では「ななえママは鼻を整形しているのでは?」との疑惑も浮上しています。
実際の唐沢さんは、俗に言う団子鼻であり、すっきり通った鼻筋というわけではありません。
そのため、あえて団子鼻にするはずはなく、整形の可能性は低いように思われます。
お水の世界の美人ママということで、あらぬ噂が立ってしまったのかもしれませんね。
唐沢菜々江(ななえママ)の現在:コロナ禍で事業が大ダメージ・自宅も売却
唐沢菜々江さんが経営するお店は現在、コロナ禍の影響で苦境に立たされているようです。
ダメージは大きく、2020年3~5月期間の「Nanae」の売上は80%以上も減少。
当初は短期間の休業を想定していたが、同年4月7日の緊急事態宣言を受け、菜々江はGWまでの休業を決断。銀座の街からは人が消え、クラブNanaeの20年3~5月の売り上げは前年同期比で8割以上減、金額にして2.2億円のマイナスという非常に厳しい状況となる。融資や助成金を借りてなんとかしのぐも、店を開けられず厳しい状況は続き、ホステス、黒服スタッフの離職も相次ぐ。
引用:『ザ・ノンフィクション』緊急事態宣言下でも「外で飲酒したい人」への疑問「銀座の夜は いま…2 ~菜々江ママとコロナの1年~」
超高級クラブだけあり、固定費だけでも月2500万円以上かかる「Nanae」にとっては、まさに生死の境ギリギリの状態のようです。
その他、2020年4月に開業予定だった総合美容サロンのオープンも延期されたといい、家賃と共益費だけで月額80万円もの赤字を垂れ流すこととなりました。
また、客足が戻ってこず、金策のために東京都港区赤坂にあった自宅を手放しています。
20年6月19日、ナイトクラブの休業要請が解除に。当初客足は復活するものの、徐々にそれも遠のいてしまう。8月時点で店を訪ねると客はおらず、スタッフが「掃除するしかない」と話すありさまだった。菜々江も赤坂の自宅を手放すなど金策に励む。
引用:『ザ・ノンフィクション』緊急事態宣言下でも「外で飲酒したい人」への疑問「銀座の夜は いま…2 ~菜々江ママとコロナの1年~」
さらに、これまで高級焼き肉店で行っていた忘年会を、東京都港区新橋のガ-ド下で行うなど、唐沢菜々江さんにとって2020年は最後まで悪夢でした。
ただ、廃業せずに粘り強く営業を続けた甲斐もあり、2021年11月には「Nanae」の月間売上が1億円にまで回復するなど、明るい兆しも見え始めているようですね。
唐沢菜々江(ななえママ)のまとめ
唐沢菜々江さん(ななえママ)は、不幸な生い立ちや結婚・離婚を乗り越えて、銀座で成功した女傑です。
日本中に蔓延するコロナ禍の影響で、唐沢菜々江さんのお店も一時は危機的状態だったようですが、唐沢菜々江さんはニューノーマルに対応した新しい銀座の街を作っていくことでしょう。