2022年11月6日にボートレース選手の中田達也さんがレース中の事故により死去されました。
この記事では中田達也さんの出身高校や大学、ボートレース選手としての経歴、兄弟や結婚などの家族、事故の内容や死因などについてまとめました。
この記事の目次
中田達也(ボートレース選手)のプロフィール
中田達也のプロフィール
生年月日:1993年8月30日
没年月日:2022年11月6日(享年29歳)
出身地 :福岡県
身長 :169cm
体重 :54kg
血液型 :A型
2022年11月6日にレース中の事故で亡くなった中田達也(なかた・たつや)さんは、2013年から活躍を続けていたプロの競艇選手(ボートレーサー)で、デビュー以来高い戦績を残し続け、有望な若手選手として注目されていた存在でした。
29歳という若さでの突然の死去にファンや関係者の間に悲しみが広がっています。ここではこの中田達也さんについて改めて紹介していきます。
中田達也(ボートレース選手)の出身高校は「福岡県立小倉商業高等学校」
中田達也さんの出身高校は地元福岡県の公立校「福岡県立小倉商業高等学校」です。
中田達也さんは、この高校在学中に校長先生と話したのをきっかけに、競艇界のレジェンドで「艇王」、「不死鳥」の異名を持つ植木通彦さんが同高校の先輩だった事を知り、ボートレーサーに憧れるようになったそうです。
レーサーになったきっかけは、福岡県立小倉商業高等学校に在学中。校長室の掃除を3年間続けていたご縁で校長先生とお話しする機会も多くなり、あの植木通彦さんが同校の大先輩だったということを耳にします。
高校時代途中まで、中田達也さんは銀行員を目指していたという事でしたが、校長先生から植木通彦さんの話を聞くうちにボーレーサーを目指すようになり、高校3年生の秋に「やまと競艇学校(現在のボートレーサー養成所)」を受験しています。
しかし、競艇学校の倍率は25倍〜50倍とかなりの狭き門で、最初の受験は不合格となりました。
「将来は銀行員になろうと思ってたんですけど、中学から野球もやってたんで、どこかプロのスポーツ選手にも憧れがあって…。校長先生からその話を聞いて、初めてボートレースを見に行ったら、やっぱ迫力があってかっこいいなと思ったんです。それで調べたら身長とか体重も合ってたんで、受けてみようって思いました」と、高校3年の秋に試験を受けますが、残念ながら不合格。
中田達也(ボートレース選手)は大学には進学せずスポーツ専門学校へ進学
出典:https://www.nishinippon.co.jp/
1度目の競艇学校受験は不合格となった中田達也さんでしたが、ボートレーサーになる夢を諦める事はなく、高校卒業後は大学へは進学せずにスポーツの専門学校に通いながら、再受験のためのトレーニングを積まれています。
そして2012年に2度目の受験に合格し19歳でやまと競艇学校に第113期生として入学されています。
「そこでなおさら“絶対(ボート)選手になりたい!”って気持ちが強くなって、スポーツの専門学校に通いながら、筋トレしながら2回目で受かりました」と、最初は少し反対していたご両親も、いつの間にか応援してくれての合格だったと話してくれました。
その後、中田達也さんは2013年9月に養成期間を終えて競艇学校を卒業されています。
中田達也さんはこのやまと競艇学校時代のリーグ戦では、8戦中4戦から8戦まで5連続優勝を決め、勝率7.69と同期中トップの成績を残しました。しかも事故率は0とすぐにでもプロで活躍できるとの高評価を得ての卒業となりました。
さらに、中田達也さんは卒業記念競走にも優勝し「やまとチャンプ」にも輝いています。
福岡県柳川市にあるモーターボート選手養成のやまと学校で20日、第113期選手養成訓練員の卒業記念競走、卒業式が行われ、九州・山口から7人の新人がプロとしてデビューする。その中で、リーグ戦全8戦中5勝をマークして最高勝率に輝いた中田達也(福岡)が、卒業記念競争優勝戦でもV。抜群の成績を自信に、“植木2世”を目指す。
中田達也(ボートレース選手)のボートレーサーとしての経歴
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
中田達也さんは、やまと競艇学校をトップ卒業後の2013年11月に芦屋ボートレース場で競艇選手としてプロデビューを果たし、いきなり予選を突破するなど期待に沿う活躍を見せました。
ただ、その後しばらくの間は成績が伸び悩み、2014年から2016年にかけては勝率も下降するなど苦しい時期が続きました。
その状況を打開しようと、有力選手である塩田北斗さんに弟子入りし、旋回に磨きをかけて再び勝率を上げると、2017年5月の若松GW戦で、篠崎元志さん、岡崎恭裕さん、峰竜太さんといった豪華メンバーの中から初優出を果たして再び注目の若手となりました。
同年6月には住之江一般戦でデビュー初優勝を飾り、2021年には、浜名湖競艇場での開設67周年記念競走とヤングダービーのGI級での2度の優勝戦出場も果たしています(いずれも結果は3着)。2020年後期からは4期連続A1級を維持するなど活躍を続け、2022年後期にはA2へと降級となりましたが、再び勝率を上げ、2023年1月からのA1級への復帰が決まっていました。
しかし、そんな矢先の2022年11月6日、レース中の落水事故により29歳という若さで他界されました。
中田達也さんのボートレース選手としての通算成績は1着回数496勝、優勝7回でした。
中田達也(ボートレース選手)の家族① 兄弟の有無は不明
出典:https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/
中田達也さんの家族は、両親については高校時代に中田達也さんがボートレーサーになると言い始めた当初は反対していたものの、高校卒業後にはその夢を応援してくれるようになった事などが明かされています。
ボートレースでは、兄弟揃ってボートレーサーとして活躍されている方も多く、中田達也さんの兄弟についても注目されているようです。
ただ、中田達也さんの兄弟にボートレーサーはおらず、本人もこれまで兄弟について明かされたことはありません。中田達也さんの兄弟についてはその有無を含めて不明です。
中田達也(ボートレース選手)の家族② 結婚していて幼い子供が2人
出典:https://www.boatrace-fukuoka.com/
中田達也さんは結婚されていて幼い子供が2人いる事がわかっています。
中田達也さんが結婚された時期は不明ですが、ボートレース福岡で無料で配布されている「ボートビートプレス」の2022年6月号で、中田達也さんが特集されており、その中で子供との時間について話されています。
それによると、中田達也さんは休みの日の18時から20時頃は子供と触れ合う時間にされているそうで、お医者さんごっこやおままごとなどをして遊んでいるという事です。
中田達也さんの子供さんについての詳しい情報はありませんが、おままごとをするという事で女の子のお子さんなのかも知れません。
また、このボートービートプレスの中では、いつも遅くても23時までには眠ってしまうので、奥さんに「早く寝過ぎ」と怒られている事なども明かされています。
こうしたエピソードから、中田達也さんは家族を大切にして幸せな結婚生活を送られていたように見受けられます。
(福岡市)
— ぱきらくん (@ir9NfTerZKqUPUr) November 6, 2022
福岡競艇場の広報誌
ボ一トビートプレス6月号で中田達也選手が紹介されていました
家族を大事にしている
優しい人柄がわかります pic.twitter.com/UrglIPrqTA
中田達也(ボートレース選手)の死因はレース中の事故
中田達也さんは、2022年11月6日に広島県廿日市市の宮島競艇場で開催の第10レースに1号艇で出走しましたが、3周目バックストレッチを航走中に他艇と接触して落水。その後、後続艇に接触して怪我を負いました。
中田達也さんは事故後、直ちにJA広島総合病院に緊急搬送されて集中治療室で治療を受けましたが、同日中に死亡が確認されたという事です。
6日、宮島ボートの初日10Rに1枠で出走した中田達也選手(29=福岡)が、3周バックストレッチを航走中、他艇と接触して落水。その後に後続艇と接触した。ただちに救急車でJA広島総合病院に搬送され、集中治療室で治療を行ったが、死亡が確認された。死因等は調査中。
中田達也さんの死因については「調査中」と報じられていましたが、その後死因は「外傷性脳損傷」と発表されています。
なお、中田達也さんの事故の動画もネット上で出回っていますが、「人が亡くなる瞬間の動画を拡散するのはどうか」といった批判が殺到し炎上しているようです。ここでの掲載は差し控えます。
また、中田達也さんの検索ワードで「血の海」が表示されていますが、事故後の水面に血のようなものが見えたことからそのようなワードが広まっているようです。
中田達也の告別式と献花台の設置
この事故後の2022年11月11日、北九州市にて中田達也さんの葬儀と告別式が営まれています。家族のほか、選手仲間らが参列されたという事です。
6日の宮島ボートのレースで落水して他艇と接触し、外傷性脳損傷のため29歳で亡くなった中田達也さんの葬儀・告別式が11日、北九州市で営まれ、家族や選手仲間たちが早過ぎる別れを惜しんだ。
また、ボートレース福岡では、2022年11月13日から18日にかけて、本場入場口付近に献花台が設置されています。
ボートレース福岡では13日から18日まで行われるG1福岡ダイヤモンドカップの開催中、本場入場口付近に中田達也選手を追悼して献花台が設置される。
ボートレース福岡だけなく、ボートレース宮島などでも献花台が設置されているようです。
ネットでも中田達也の死を悼む声が多数
ネット上でも中田達也さんのあまりにも早すぎる死を悼む声が多く上がっています。
中田達也選手
— セイル (@sailBesaidE0605) November 13, 2022
心よりご冥福をお祈りします pic.twitter.com/KAtbMduAtI
少々遅くはなりましたが、いちボートレースファンとして中田達也選手の献花に行かせていただきました。
— Tom【お船応援隊】 (@BoaTom335) November 12, 2022
たくさんの見応えある楽しいレースをありがとうございました。
改めまして、ご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/QUBOm4CL1q
今日,この時だけは,お許しを、中田達也くん,いつも,綺麗なレース、綺麗な,モンキーターンで、113期NO1のナイスガイ、早すぎます,志半ば,悔しいでしょう、アトは仲間に、たくして、どうか,安らかに。ご冥福をお祈りします。
— ユウミク (@jpzgwfcQGW3LfZA) November 6, 2022
君の華麗なる,モンキーターン、決して忘れません。
悔しいです。
まとめ
今回は2022年11月6日にレース中の事故により29歳という若さで亡くなったボートレース選手の中田達也さんについてまとめてみました。
中田達也さんは福岡県立小倉商業高校に在学中に同高校の先輩に競艇界のレジェンド・植木通彦さんがいた事を知り、ボートレース選手を目指すようになりました。高校卒業後は大学に進学せずにスポーツ系の専門学校に通い、19歳の時にやまと競艇学校に合格しました。
やまと競艇学校をトップの成績で卒業後、期待の若手選手として活躍し、G1級の2度の優勝戦出場や4期連続でのA1級で活躍した経歴を持ち、2023年1月にはA1級への復帰を決めていました。
家族については、兄弟の有無は不明ですが両親は健在のようです。また、結婚されていて幼い子供が2人いる事も明かされています。
レース中の落水事故により死去された中田達也さんですが、死因は「外傷性脳損傷」と発表されています。