話題のショークラブ「バーレスク東京」のオーナー兼プロデューサーの内藤良太さんが風営法違反容疑で逮捕され話題です。
この記事では内藤良太さんの生い立ちや親や結婚などの家族、波乱の経歴や弘道会との関係や事故逮捕などの闇が深いとの噂、かつらの噂や現在についてまとめました。
この記事の目次
- 内藤良太はショークラブ「バーレスク東京」の創設者でプロデューサー
- 内藤良太の生い立ち
- 内藤良太の家族① 父親はオシャレな人だったが数回しか会った事がない
- 内藤良太の家族② 母親は女手一つで喫茶店を経営していた
- 内藤良太の家族③ 結婚や嫁
- 内藤良太の経歴① 高校を1ヶ月で中退し15歳でショーダンサーの道へ
- 内藤良太の経歴② 21歳で独立し30歳で東京進出も果たす
- 内藤良太の経歴③ 2011年にバーレスク東京をオープンし大成功を収める
- 内藤良太には弘道会との関係が噂されるなど闇が深いという声も存在
- 内藤良太はかつらという噂も
- 内藤良太は事故や逮捕で闇が深いという噂も
- 内藤良太の現在…逮捕されるも釈放されバーレスク東京も営業再開
- まとめ
内藤良太はショークラブ「バーレスク東京」の創設者でプロデューサー
内藤良太のプロフィール
生年月日:1972年9月9日
出身地 :大阪府大阪市生野区新今里
内藤良太さんは、東京都港区六本木の有名ショークラブ「バーレスク東京(BURLESQUE TOKYO)」の創設者で、現在も同店のオーナー兼プロデューサーとして活躍されている実業家、演出家、空間プロデューサーです。
内藤良太さんは大阪のスラムの街で生まれ貧しい母子家庭で育った生い立ちを持ち、何も持たない状態からショーダンサーとして身を立て、独立して自分のお店を持って成功させた立志伝のような経歴でも注目されています。
ネットの投げ銭文化もない時代に日本初のチップシステムを確立しバーレスク東京を全国的有名店に成長させた事から、ショービス界のパイオニア、革命児などとも称される存在です。
そんな内藤良太さんですが、2024年1月と2月21日に風営適正化法違反容疑で愛知県警および三重県警に逮捕され話題になっています。
内藤良太の生い立ち
出典:https://trend-entertainment-station.com/
内藤良太さんは、大阪府大阪市生野区新今里のいわゆるコリアンタウンで生まれ育っています。
内藤良太さん自身は日本国籍ですが、地域がら学校のクラスの3分1が在日コリアンという環境だったそうです。内藤良太さんは日本と韓国の文化が入り混じった環境でクリエイティブな感性が磨かれたと話されています。
内藤良太さんは幼い頃(物心つく前)に両親が離婚して母親に女手1つで育てられたそうで、生活は貧しく、学生時代は相当でヤンチャで悪い事もたくさんしたそうです。
大阪市立東中川小学校と大阪市立東生野中学校の出身だそうで、当時は喧嘩に明け暮れつつ、ドラマ「スクール☆ウォーズ」の影響でラグビーにも打ち込まれていたそうです。ラグビー部ではポジションはフランカーで、中学3年生の時には関西大会優勝も成し遂げています。
中学卒業後は、地元生野区の大阪府立勝山高校(現在の大阪府立大阪わかば高校)に進学するも、当時は地域の中学の不良が集まっている学校だったため“リアル「クローズZERO」”のような状態で喧嘩に明け暮れ、入学1ヶ月で2度の停学処分になってそのまま自主退学されたそうです。
内藤良太の家族① 父親はオシャレな人だったが数回しか会った事がない
内藤良太さんは自身の家族については父親と母親について明かしています。
内藤良太さんの父親は雄二さんという方で上下白のスーツにハット帽を被ったオシャレな人物だったそうです。ただ、内藤良太さんが幼い頃に両親が離婚しているため、父親とは7回〜8回ほどしか会った事がなくうっすらとした記憶しかないそうです。
内藤良太さんはYouTube「街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜」に出演された際にも父親について語られていて、そこでは「お父さんは仕事してない人で毎日パチンコしてて」と話されていました。
内藤良太の家族② 母親は女手一つで喫茶店を経営していた
内藤良太さんは母親に女手一つで育てられたそうです。
内藤良太さんの母親は和(かず)さんという方で、東大阪市八戸ノ里で「サンモリツ」という喫茶店を経営し、1人で切り盛りして内藤良太さんを育てたという事です。
内藤良太さんは学生の頃は悪い事ばかりしていたため母親には苦労をかけたと語られています。内藤良太さんが中学3年生の時、警察の世話ばかりになっているのを悲しんだ母親は「もう死にたい」とマンションから飛び降りて死のうとしたそうです。内藤良太さんはこの時ばかりは反省し、少しだけ改心されたのだそうです。
内藤良太さんはYouTube「街録ch〜あなたの人生、教えて下さい〜」でも母親について語っていて、母親は父親との離婚後、幼い内藤良太さんを育てるために内職など仕事を転々として苦労をしたと話されています。
そんな内藤良太さんの母親の和さんは61歳で亡くなられたという事です。
内藤良太の家族③ 結婚や嫁
内藤良太さんが家族について明かされているのは母親と父親についてのみで、自身の結婚や子供について話された事はありません。
内藤良太さんのFacebookアカウントのプロフィール欄には「独身」と記載されているため、少なくとも現在は結婚はされておらず独身の可能性が高いとみられています。
内藤良太の経歴① 高校を1ヶ月で中退し15歳でショーダンサーの道へ
生い立ちのところでも触れたように、内藤良太さんは大阪府立勝山高校を入学1ヶ月で自主退学しています。
今後の身の振り方を考えていたところ、東大阪市布施にあった水商売のお店(内藤良太さんが街録chで語ったところによれば、ショーパブではなく“ただのパブ”)のオーナーさんから誘いを受けて、そのお店でダンサーとして働く事になります。
当時15歳だった内藤良太さんはこのお店で、当時人気だった田原俊彦さんや少年隊の振り付けを覚えて、お客さんの前で踊るパフォーマンスをされていたそうです。
その後、内藤良太さんはショーダンサーの道を本格的に志し、大阪ミナミに進出してマハラジャ系列の「トッツィー」やA-Project「大阪ギャルソン」などの有名店にショーパブダンサーとして在籍して経験を積まれています。また、幼馴染の小田吉男さんらのサパークラブ「KEMUSHI」の立ち上げにも関わり、この頃からショープロデューサーとしても活躍されています。
内藤良太の経歴② 21歳で独立し30歳で東京進出も果たす
ショーパブダンサーとして経験を積んだ内藤良太さんは1993年、21歳の時に独立し、スナックの営業時間終了後(午前1時)から店舗を借りてショーパブ店を開業されています。
内藤良太さんはこの頃はなかなか売り上げが伸びずに苦労されたという事ですが、努力の末に月に150万円から200万円ほど稼げるようになり、そこで仲間らと東京進出を決意されています。
内藤良太さんは2002年、30歳の時に東京へと進出し、六本木で50坪の規模で富裕層向けのアフター店としてショーパブをオープンさせています。内藤良太さんの店舗は、富裕層にとことん気を遣うというそれまでの富裕層向け店の常識を覆して、見方によっては失礼になるようなかなり過激な演出を売りにし、男性スタッフが全裸になってパフォーマンスをしたり、過激な内容のショータイムを設けたりした事で話題になり1年目から経営を軌道に乗せています。
内藤良太さんはその後も順調に経営規模を拡大し、最盛期には全国主要都市に「ドラゴン」というサパークラブ8店舗を構え、全裸でダンスパフォーマンスができる男性ショーダンサー200人を抱えるまでにグループを成長させています。
内藤良太の経歴③ 2011年にバーレスク東京をオープンし大成功を収める
内藤良太さんは、2011年に東京都港区六本木にショークラブ「バーレスク東京」を新たにオープンさせています。
それまで、内藤良太さんが手掛けてきたサパークラブは男性のダンサーが尖ったパフォーマンスをする事で話題を呼んでいましたが、バーレスク東京ではそのスタイルを転換して、女性のショーダンサーによるパフォーマンスをコンセプトとしています。
また、内藤良太さんはバーレスク東京で、日本初の試みとして1枚あたり100円のチップチケットをお客さんに販売し、お客さんはそれを気に入ったショーダンサーの衣装に挟んであげられるシステムを確立しました。
当時はクラウドファンディングもネット配信の投げ銭文化もない時代だったため、この試みは画期的で、内藤良太さんは革命児、パイオニアと称されています。
内藤良太さんはバーレスク東京には当初からかなり力を入れ、1着15万円の衣装を用意し、映像や音楽製作などにも力を入れて1つのショーで200万円ものお金をかけています。また、内装設備にも1億5000万円もの資金を投じられています。
内藤良太さんがかなり力を入れたバーレスク東京は成功し、美人揃いのダンサー集団による迫力のあるパフォーマンスショーは話題沸騰となり多くのメディアで取り上げられました。
その後、内藤良太さんは事業を拡大し、2017年に六本木にボックスディスコ「Party on tokyo」を新たにオープンさせプロデューサーに就任。さらに2024年春には東京都新宿に新感覚エンターテイメント空間としてメンズショークラブ「A-MEN’S TOKYO」をオープンさせる事を発表しています。
内藤良太には弘道会との関係が噂されるなど闇が深いという声も存在
ショービス界の革命児、パイオニアとも称され、明るく前向きなキャラクターで人望も厚い内藤良太さんですが、一部では闇が深いといった暗い噂もあるようです。
内藤良太さんの闇が深いとされる噂としては、特定抗争指定暴力団である六代目山口組の二次団体である「弘道会」と関係しているという内容が囁かれています。
これは、愛知県名古屋市中区錦にあるショークラブ「バーレスク名古屋」を実質的に運営しているのが弘道会だと噂されているためのようです。
詳しい背景はわかっていないのですが、バーレスク名古屋は、バーレスク東京とは関係がなく、弘道会が名前を利用しているだけといった情報もネットの匿名掲示板などに書き込まれています。
ただ、暴力団に詳しい一部ウェブメディアではバーレスク東京とバーレスク名古屋は運営者が違うだけでれっきとした系列店で、共に芸能界の黒幕と言われる闇社会の大物である松浦大助さんという人物がバックにいるといった情報も確認できます。
ただし、いずれの情報も証拠が示されているわけではなく、内藤良太さんと弘道会が関係しているというのは現在の時点では単なる噂です。
とはいえ、2024年1月にバーレスク東京の名古屋店である「BURLESQUE TS」(弘道会との関係が噂されるバーレスク名古屋とは別の店舗)が愛知県警に摘発され、内藤良太さんら5人の幹部が風営法違反容疑で逮捕された際のCBCテレビの報道で「警察がバーレスクTSの売り上げの一部が暴力団の資金源になっているとみて調べている」と報じられたため、内藤良太さんが弘道会などの暴力団と関係していて闇が深いという噂に信憑性が増してしまっている状況です。
警察は店から現金370万円を押収するとともに、売り上げの一部が暴力団の資金源になっているとみて調べています。
引用:無許可で女性従業員に接待をさせたとして経営者の男ら5人逮捕 額に応じて接待の内容変わる独自の通貨“リオン”も 名古屋・錦三のショークラブ
こうした報道に対して、内藤良太さんは自身のXにて「反社にお金が流れている事は絶対にございません」と説明されています。
ありがとうございます
— りょうた バーレスク東京 (@dragontokyo1972) March 14, 2024
反社お金が流れてる様な事は絶対にございません
内藤良太はかつらという噂も
内藤良太さんがかつらではないかという噂もあるようです。
内藤良太さんは派手な金髪姿でメディアに出演されていますが、2024年2月に風営法違反容疑で愛知県警に逮捕された際に公開された送検される時の映像では黒髪姿だった事からかつらの噂が出たようです。
送検される際にかつらを着用するとは考えづらいため、この映像での内藤良太さんは地毛だと思われます。普段かつらを着用されているのかは分かりませんが、禿げているといった事ははないようです。
内藤良太は事故や逮捕で闇が深いという噂も
六代目山口組系の暴力団「弘道会」との関係が噂されるなど、闇が深いなどとも言われている内藤良太さんですが、2024年1月にバーレスク東京の名古屋店「BURLESQUE TS」の風営法違反(無許可営業)容疑で、同年2月21日に「バーレスク東京」の風営法違反(無許可営業)で愛知県警と三重県警に逮捕された事でこうした噂の信憑性が増してしまっています。
愛知、三重両県警は21日、有名ショークラブ「バーレスク トーキョー」(東京都港区)のプロデューサーを務める会社役員の男(51)(同区)を風営法違反(無許可営業)容疑で再逮捕した。両県警は今年1月、名古屋市中区にある系列店の「バーレスク ティーエス」で無許可営業を行っていたとして、男ら店の経営陣5人を同法違反容疑で逮捕していた。
警察の発表によると、「BURLESQUE TS」および「バーレスク東京」は、ショーの後にダンサー達が客席で酒を飲ませるなどの接待をしていたという事です。
また、「BURLESQUE TS」および「バーレスク東京」では、「リオン」という店独自のチップを販売し、客がダンサーに渡したチップの額に応じて接客の内容が変わっていたという事で、これがショーではなくキャバクラ店のような接客にあたるとされて風俗営業許可を取らずに風俗営業を行なっていたと判断された事で逮捕となったようです。
内藤良太さんは逮捕送検はされたものの起訴はされず釈放されており、Xで関係者への謝罪をし、逮捕された原因についても説明されています。
沢山の方にご心配とご迷惑をお掛けしまして申し訳ございません
— りょうた バーレスク東京 (@dragontokyo1972) March 14, 2024
この度は立ち話やステージからの談笑が接待行為とみなされ風営法違反になりました
自分の考えが甘かったせいで社会に大きくご迷惑をお掛けした事を深く反省しております
今後は風俗営業の許可をしっかり取ってやっていきます…
また、ネット上では内藤良太さんが事故で闇が深いという声があるようですが、内藤良太さんが何か事故を起こしたという過去はなく、バーレスク東京で事故があったという事実も存在しません。
したがって内藤良太さんの事故というのは、出所不明で事故の内容すらも不明というよくわからない噂です。
2016年には脱税で告発された事も
内藤良太さんは2024年に風営法違反容疑で逮捕される前の2016年には約9100万円の脱税を高税局に指摘されて法人税法違反で告発されています。
店の売り上げを申告しないなどの手口で法人税約9100万円を脱税したとして、東京国税局が法人税法違反容疑で、東京・六本木で人気のショークラブを運営する2社=いずれも東京都港区=と、うち1社の代表を務める内藤良太氏(43)を東京地検に告発したことが22日、分かった。 クラブはダンスショーなどを披露する「バーレスクTOKYO」と「ドラゴン東京」。
この時は内藤良太さんは逮捕はされていないものの脱税法違反で在宅起訴されて執行猶予判決となり、追徴課税分と罰金合わせて約3億8000万円を納めています。
逮捕されず執行猶予とはいえ有罪判決は出ているため、こうした過去がある事も内藤良太さんの闇が深いという噂につながっている面もあると思われます。
内藤良太の現在…逮捕されるも釈放されバーレスク東京も営業再開
すでに触れたように内藤良太さんは2024年1月にバーレスク東京の名古屋店である「BURLESQUE TS」の風営法違反容疑で、同年2月21日に「バーレスク東京」の風営法違反容疑で逮捕送検されました。
しかしその後、名古屋地検は内藤良太さんを同年3月12日付で不起訴処分としています。
名古屋市中区の繁華街で、ビキニ姿の女性従業員に接客させるなど、無許可で風俗店を営業したとして逮捕された、会社役員の男性について、名古屋地検は、12日付けで不起訴処分としました。 東京都に住む、会社役員の51歳の男性は、去年11月、中区錦にあるショークラブ店で、女性従業員にビキニ姿で踊らせるなどの接客をさせ、無許可で風俗店を営業した疑いで逮捕されていました。
名古屋地検は内藤良太さんを不起訴処分とした理由は発表していませんが、疑われていた弘道会など暴力団組織への資金の流れが確認できなかったという事だと思われます。
内藤良太さんは現在はすでに釈放されており、XなどのSNS投稿も再開されています。また、内藤良太さんが逮捕された2024年2月21日には「バーレスク東京」は臨時休業になっていましたが、翌22日から営業再開しており現在も平常通り営業しています。
バーレスク東京公式は、「特定遊興飲食店営業」の範囲で営業していくと発表しました。
改めまして。
— バーレスク東京(公式) (@burlesque_rpg) February 22, 2024
検討の結果、本日より営業を再開いたします。関係行政機関や専門家に相談のもと「特定遊興飲食店営業」の範囲での営業を遵守して参ります。
ご理解のほど、よろしくお願い申し上げます。 pic.twitter.com/HEEOqhL3vF
その後、内藤良太さんがXにて「今後は風俗営業の許可をしっかり取ってやっていきます」と発言されているので、風俗営業許可が下りた上で以前のような営業スタイルに戻すという計画だと思われます。
まとめ
今回は、東京六本木の人気ショークラブ「バーレスク東京」の創設者でオーナー兼プロデューサーである内藤良太さんについてまとめてみました。
内藤良太さんは、大阪府大阪市生野区新今里のコリアンタウンで生まれ、幼い頃に両親が離婚し貧しい母子家庭で育った生い立ちを持ちます。
内藤良太さんは家族については、幼い頃に7回ほどしか会った事がない父親と、喫茶店経営などで女手一つで自分を育ててくれた母親の存在を明かしていますが、自身の結婚や嫁、子供などについては明かされていません。本人のFacebookのプロフィールでは「独身」と記載しているため、結婚はしておらず独身の可能性が高いとみられています。
内藤良太さんの経歴は、高校を入学1ヶ月で自主退学してショーダンサーとして働き始め、大阪ミナミの有名店でショーダンサーとして経験を積んだ後、21歳で独立して自分の店を持っています。
その後、30歳の時に東京へ進出して成功し、2011年に「バーレスク東京」をオープンさせました。
明るいキャラクターで人望もある内藤良太さんですが、一部では暴力団「弘道会」との関係を噂されるなど闇が深いという噂があります。これに事故や逮捕などが関連づけられているようです。
内藤良太さんは2024年1月と2月にバーレスク東京などの無許可営業による風営法違反容疑で逮捕され、闇が深いという噂に拍車がかかっている状況です。
ただ、内藤良太さんはその後不起訴処分になっており、現在は釈放されています。内藤良太さん本人は「反社にお金が流れているという事は絶対にない」と明言されています。