西武ライオンズの中継ぎ・勝利の方程式として活躍し、現役引退後は西武ライオンズの投手コーチをしていた森慎二さんは、42歳という若さで突然この世を去りました。
なぜ、元プロ野球選手で健康体だった森慎二さんは急死したのでしょうか?その死因は人食いバクテリアだったという噂がありますが、どういううことでしょうか?
森慎二さんのプロフィールや経歴、成績・年俸、重婚騒動、嫁や子供の情報、森慎二さんの死因は溶連菌・人食いバクテリアなのかについてまとめました。
この記事の目次
森慎二のプロフィール
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森慎二
生年月日:1974年9月12日
出身:山口県岩国市
身長:189cm
所属:西武ライオンズ
投球・打席:右投げ左打ち
ポジション:ピッチャー
活動:元プロ野球選手、野球指導者
森慎二さんは、西武ライオンズで活躍したプロ野球選手です。主に中継ぎとして活躍し、2002年~2003年は2年連続で最優秀中継ぎ投手賞を獲得しています。
その後、メジャーに挑戦するものの、オープン戦で右肩脱臼という大けがを負い、メジャーデビューしないまま、日本に戻ることになったという悲劇のピッチャーでもあります。
現役引退後は西武ライオンズで投手コーチをしていて、西武ライオンズの中継ぎ陣を整備し建て直している最中だった2017年6月28日に急死しています。
森慎二の経歴
プロ入り前
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山口県出身の森慎二さんは、岩国工業高校を卒業後は、社会人野球チームの新日鐵光に入ります。その後、新日鐵君津に移って、1996年の都市対抗野球では優秀選手賞を受賞しました。
そして、1996年のドラフト会議で、西武ライオンズから2位指名を受けて、プロ入りすることになりました。
西武ライオンズ時代
ドラフト2位で西武ライオンズに入団後は、ルーキーの1997年から中継ぎとして活躍し、シーズン後半からはルーキーながら抑えに抜擢され、日本シリーズでも登板しています。
1998年も最初はストッパーでしたが、思うような成績が残せず、先発に配置転換されます。先発の谷間と中継ぎとしてフル稼働しました。
2000年はストッパーに戻り活躍しますが、2001年はストッパーの座を豊田清に譲り、セットアッパーになります。2002年・2003年は最優秀中継ぎ投手賞を受賞するほどの活躍を見せています。
2004年・2005年はセットアッパーとして投げたものの、安定感を欠いていたため、2002~2003年ほどの成績を残すことはできませんでした。
そして、2005年オフにメジャーリーグ挑戦を表明し、ポスティングでデビルレイズと2年契約を結んでいます。
メジャーリーグ挑戦~現役引退
森慎二さんは、2006年シーズンからアメリカのメジャーリーグで活躍するはずでした。しかし、右肩痛で調整が遅れ、ようやく登板したオープン戦では、わずか3球を投げたところで右肩を押さえながら、うずくまってしまいます。
当然、それ以上投げることはできず、その日は途中降板となりました。そして、診断の結果、右肩脱臼という大けがであることがわかり、全治1年と診断されます。
2007年1月にはメジャー登板がないまま、メジャー契約を解除され、マイナー契約になりました。しかし、同年6月にはマイナー契約も解除され、日本に戻ることになります。
日本に戻ってからも、メジャー復帰を目指してリハビリを続けますが、メジャー行きは断念し、2009年にBCリーグの石川ミリオンスターズに選手兼コーチとして入団しました。
その後、一度は監督に専念するものの、2013年・2014年シーズンは現役に復帰し、2年間で23試合に登板して、現役を引退しています。
現役引退後
2014年で現役を引退した後は、2015年からは西武ライオンズの二軍投手コーチに就任します。そして、2016年からは一軍投手コーチ(主にブルペン担当)として活躍していました。
自分がリリーフピッチャーだった経験を活かし、中継ぎ陣を整備しています。西武ライオンズのブルペン投手陣の兄貴的な存在として選手から慕われていました。
しかし、2017年6月28日に森慎二さんは急死しました。
森慎二の成績や年俸の推移
森慎二の成績
森慎二さんのNPBでの成績を見ていきましょう。まずは年度別の成績からです。
登板数 | 勝 | 負 | セーブ | ホールド | 防御率 | |
1997年 | 38 | 6 | 2 | 9 | - | 3.28 |
1998年 | 52 | 8 | 8 | 5 | - | 3.81 |
1999年 | 41 | 5 | 8 | 0 | - | 4.61 |
2000年 | 58 | 5 | 6 | 23 | - | 1.83 |
2001年 | 28 | 5 | 4 | 1 | - | 3.91 |
2002年 | 71 | 6 | 7 | 1 | - | 2.07 |
2003年 | 61 | 7 | 3 | 2 | - | 2.31 |
2004年 | 34 | 0 | 4 | 4 | - | 4.59 |
2005年 | 48 | 2 | 2 | 5 | 17 | 4.22 |
次に、通算成績を見てみましょう。
・通算勝利数:44勝
・通算敗戦数:44敗
・通算セーブ数:50セーブ
・通算ホールド数:17ホールド
・通算防御率:3.39
NPBでホールドができたのは2005年シーズンからのことなので、森慎二さんは通算ホールド数が2005年シーズンの17しかありませんが、もしもっと前からホールドがあれば、さらに素晴らしい記録になっていたことは間違いないでしょう。
最後に、森慎二さんの個人タイトルをご紹介します。
・オールスターゲーム:5回出場
2005年以降はメジャーに挑戦し、そして大けがをしたので、NPBでの実働は9年間という短いものでしたが、個人タイトルを2回獲得し、オールスターには9年間で5回も出場していることを考えると、「レジェンド」とまではいかなくても、一流選手だったことは間違いないでしょう。
森慎二の年俸
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森慎二さんの年俸の推移を見ていきましょう。
・1998年:3000万円
・1999年:4000万円
・2000年:3500万円
・2001年:7200万円
・2002年:6200万円
・2003年:1億1000万円
・2004年:1億6000万円
・2005年:1億2500万円
メジャー移籍の際には、2年150万ドルの契約を結んでいますが、途中で契約が解除されています。
NPBでの総年俸は6億4600万円です。
森慎二さんの時代は、今ほど中継ぎ投手の地位は高くありませんでした。ホールドができる前でしたので、評価の数字が少なかったんです。だから、中継ぎ投手はどうしても、先発や抑えに比べて年俸は安めに抑えられていました。
そのような中でも、森慎二さんは中継ぎ投手として9年間で総年俸が6億4600万円をかせいでいますので、森慎二さんがどれだけ凄かったのかわかりますよね。
森慎二は重婚寸前だった?事実婚状態だった女性がいた
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森慎二さんは、西武ライオンズの現役時代に事実婚状態だった女性がいました。その女性とは、A子さん。このA子さんは、1988年にロッテの選手だった伊藤史生さんと結婚して、4人の子供をもうけています。
そして、その後伊藤史生さんとA子さんは夫婦仲が悪くなり、A子さんは森慎二さんに接近。そして、1999年に森慎二さんとA子さんは事実上の結婚生活を始め、子供を一人作りました。
しかし、A子さんはいろいろと誤魔化して、森慎二さんと入籍はしなかったそうです。なぜなら、伊藤史生さんと離婚していなかったから。なかなか入籍しない森慎二さんのことが心配になり、球団がA子さんを調査したところ、離婚しておらず、重婚状態だったことが判明しました。
当然、森慎二さんはA子さんと別れ、子供はA子さんが引き取ることになりました。森慎二さんは何も悪くないとはいえ、危うく重婚するところだったということですね。
ちなみに、そのA子さんは、森慎二さんと別れた後、経歴・年齢を隠して水戸泉関に近づき婚約しますが、A子さんの素性(2人のプロ野球選手との関係・重婚疑惑など)が報道されたことで、婚約破棄となります。
さらに、A子さんは追風海関と結婚し、離婚しました。
プロスポーツ選手ばかり4人と婚約・結婚したA子さん。恐るべしです。間違いなくキレイな方なのだと思いますが、まさに「魔性の女」ですよね。
「どんな恋愛テクニックを持っていたのか?」を知りたい女性は私だけでではないはずです。
森慎二の嫁や子供の情報
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2010年に結婚!
森慎二さんは、危うく重婚するところでしたが、A子さんと別れてからは、長く独身を貫いていました。
そして、2010年に金沢市内在住の一般女性と結婚しています。このとき、森慎二さんは35歳、奥様は29歳でした。
森慎二さんは2010年はもうメジャーから帰ってきていて、BCリーグの石川ミリオンスターズで監督をしていた時です。つまり、華々しいプロ野球選手ではありませんでした。
そんな時に出会い、結婚するというのは、嫁になった女性は森慎二さんのお金ではなく、人柄などに惹かれたのだと思います。
子供は3人・・・
2010年に結婚した森慎二さんは、3人のお子さんがいました。2017年に亡くなった時には、一番上の子でも、小学校に上がったばかりだったとのこと。
小さなお子さん3人を残して亡くなるのは、本当に心残りで悔しかったと思います。
森慎二の死因は溶連菌?死亡までの経緯
2017年6月28日に突然の死亡
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森慎二さんは、西武ライオンズの一軍投手コーチをしていた2017年6月28日に死亡しています。死亡前日に球団から、病気療養のためにしばらく休養するということが発表されていましたが、あまりにも突然の死でした。
通夜は7月3日、葬儀は7月4日にとり行われています。お通夜は西武ライオンズの一軍メンバーは試合があったために参列できませんでしたが、西武ライオンズOBや西武から他球団に移籍した選手などは多数参列していて、球界関係者351人が参列しています。
シーズン中ながらもこれだけの人が参列するということだけで、森慎二さんがチームはもちろん、球界関係者から愛されていた存在だったことがよく分かりますね。
森慎二さんの死後、西武ライオンズのベンチには森慎二さんの背番号89のユニフォームが飾られ、2018年シーズンにリーグ優勝した時には、辻監督の胴上げの時に、西武ライオンズ投手陣が、森慎二さんのユニフォームを一緒に掲げていました。
森慎二の死亡の経緯
森慎二さんの死はあまりにも突然であり、球界関係者はもちろん、日本全国に衝撃を与えました。ここで、森慎二さんの死の経緯を時系列でまとめておきましょう。
■6月22日
福岡市内でソフトバンクOBで社会人野球時代の先輩である松中信彦さんと会食。この時は焼酎のボトルを注文して飲むなど、普段通りで、健康状態は変わりなかった。
■6月24日
6月23日~25日はソフトバンクとの3連戦。24日まではブルペンに入り、普段通りにコーチとして仕事をしていた。
■6月25日
3連戦の最終日。宿舎のホテルから歩いて球場入りしたものの、顔色が悪く、周囲から病院に行くように勧められ、試合前に球場を後にして、病院に向かう。そのまま入院となるが、球団からは「数日の検査入院」という報告があった。
■6月27日
西武ライオンズから、病気による休養が発表される。渡辺久信シニアディレクターからは、「まだ病状は不明であり、復帰の見通しは分からない」と発表された。あまりにもぼんやりとした曖昧な発表なので、マスコミやインターネット上ではいろいろな憶測が飛び交った。
■6月28日
森慎二さんが逝去したことが発表された。
この時系列を見るだけで、あまりにも突然の死だったことがわかりますよね。6月24日までは普段通りに仕事ができていた。そして、6月25日は体調は悪いものの、職場(球場)に来ることはできていた。
そして、その2日後には病気療養が発表され、翌日には死亡した。あまりのスピードに、西武ライオンズファンは、森慎二コーチが亡くなったなんて信じられない人が続出しました。
森慎二さんと最後に話すことができた家族は、山口県にいた森慎二さんのお父様だけだったそうです。嫁とお母様は東京にいたために、病院に来た時にはもう意識はない状況だったようです。
本当にすごいスピードで、森慎二さんの病気は進行していったんですね。
死因は溶連菌による敗血症
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森慎二さんの死因は、溶連菌による敗血症で、そこから多臓器不全を起こしたことによるものです。
森慎二さんはこの時、まだ42歳。そして、特別な持病もない健康体でした。しかも、元プロ野球選手ですから、同年代の男性よりも体力はあったはずです。
それなのに、溶連菌に感染し、そこから敗血症を起こして、多臓器不全になってしまったとのこと。
いったい森慎二さんの体の中で何が起こっていたのでしょうか?
森慎二の死因の溶連菌は人食いバクテリアとも呼ばれる
森慎二さんが急死した死因は溶連菌による敗血症からの多臓器不全です。溶連菌とは、主に喉に感染を起こして、咽頭炎や扁桃炎などを引き起こす細菌です。特別に珍しい細菌ではありません。
でも、この溶連菌に感染した場合、壊死性筋膜炎を起こすことがあります。指先や足先などから感染し、1時間に数センチもの速さで壊死が進行していく病気です。あまりのスピードで壊死が進行していくため、「人食いバクテリア」とも呼ばれています。
森慎二さんは、この溶連菌(人食いバクテリア)による壊死性筋膜炎を起こしていたと考えられます。森慎二さんのお父様の話によると、手術前に森さんの手がむくんでいたとのことです。これは、溶連菌(人食いバクテリア)で壊死が進行し、手が腫れていたのでしょう。
そして、溶連菌(人食いバクテリア)による壊死性筋膜炎を起こすと、高熱や全身状態が悪くなり、敗血症を起こして、多臓器不全になる死に至るということになります。死亡率は30%以上と非常に高いのです。
森慎二さんは、福岡で3連戦があり、投手コーチという重要な仕事があったために、具合が悪くても、病院に行かずに無理をしていたのかもしれません。だから、手遅れになってしまった可能性があります。
そうでないと、体が丈夫で健康体の42歳の元プロスポーツ選手が溶連菌で急逝するというのは、なかなか考えにくいですよね。
森慎二のまとめ
森慎二さんのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、重婚騒動、嫁・子供の情報、急逝や死因の溶連菌(人食いバクテリア)等についてまとめましたが、いかがでしたか?
・メジャーに挑戦するも、オープン戦で肩を脱臼
・投手コーチとして厚い信頼を得ていた
・女性に騙されて重婚しそうになった
・2010年に一般女性と結婚し、子供は3人
・2017年に急逝
・死因は溶連菌(人食いバクテリア)による敗血症からの多臓器不全
森慎二さんの功績は今でも、西武ライオンズのピッチャー陣に引き継がれています。そして、誰でも溶連菌(人食いバクテリア)に感染する可能性はありますから、注意したいですね。