銀座の高級クラブ「ルジャルダン」のママである望月明美さんですが、父親が大学教授というインテリ家庭育ちだったのにも関わらず、お水の世界に入ってきた変わり種だったそうですね。
この記事では、望月明美さんの本名と年齢・学歴と経歴などのプロフィール、年収、旦那と娘、そして現在などをまとめました。
この記事の目次
望月明美とは…銀座「ルジャルダン」のママで経営者としても成功していた
望月明美さんといえば、銀座の高級クラブ「ルジャルダン」のオーナーママとして有名な人物です。
元々は銀座で働くホステスだったという望月さんは、31歳の時に「ルジャルダン」を居抜きで購入し、オーナーママとしてのキャリアを歩み始めました。
その後は、様々な裏切りを経験しながらも実業家としての才能を発揮していった望月さんは、現在は「ルジャルダンⅡ」や「酒処 月の庭」といった店舗まで経営しています。
新型コロナウイルス騒動以前には、計4店舗で年商10億円を売り上げるやり手オーナーママだった望月さんは、「お水大学」というホスト・ホステス教育機関で講師を務めたことまでありました。
この記事では、銀座の生きる伝説となっている望月さんのこれまでの生い立ちや経歴の他、気になる年収情報について紹介させて頂きます。
望月明美の本名と年齢・経歴や学歴…父親は大学教授で母親は早死にしていた
望月明美、年齢は本名は?
望月明美(もちづき あけみ)
生年月日:1965年3月8日
出身地:東京都
望月明美さんに関しては、1965年3月8日生まれとなっており、2021年で56歳になるそうですね。
本人のフェイスブックの投稿記事によると、「望月明美」との源氏名も実は本名だったそうで、夜の街の住民には珍しく個人情報をかなりオープンにしています。
そんな望月さんの生い立ちについては、実は教育者の家系だったらしく、父・Aさんは都内の私立大学を8年かけ卒業した後、高校教師を務めていたこともありました。
ちなみに、Aさんが母・Bさんと知り合ったのも高校教師時代だったそうで、下宿先の娘だったBさんと親しくなり結婚に至ったそうですね。
Bさんは、実家は金物屋であり貸家なども複数所有していたため、元々はかなり裕福だったと言われております。
しかしながら、戦災により貸家が全焼してしまったり、一家の大黒柱だった祖父・Cさんが病死してしまったため、戦後は働きながら定時制高校に通うような経済状況でした。
また、戦中戦後の物資不足時代に成長期を過ごしたせいか病弱だったというBさんは、仕事と学業の両立に体が耐え切れずに高校を中退してもいたようですね。
Bさんに関しては、生来の虚弱体質が祟ったのか、望月さんが23歳の頃に脳溢血で急死してしまうことにもなりました。
望月明美、夜の街のデビューは17歳の頃だった
まるでメロドラマのような出会いを果たして結婚した望月明美さんの両親でしたが、望月さんが生まれた頃には父・Aさんは転職しており、大学講師となっていました。
その後は順調に出世を続け、1979年に北海道にある室蘭工業大学の教授へ昇進しているAさんですが、東京に家族を残して単身赴任で働くことになりました。
そんな父親の配慮とは裏腹に、思春期の望月さんは反抗期真っ盛りの少女となってしまったそうで、Aさんと顔を合わせる度に喧嘩ばかりしていたとか。
それでもAさんの望む大学進学を果たすために、高校在学中から代々木ゼミナールに通っていた望月さんでしたが、17歳の頃に大田区大森にあるスナックでアルバイトを開始しています。
この辺の事情については、本格的にグレて家出少女化してしまったわけではなく、洋服を買うお金が欲しかったため、友達がアルバイトをしている店で一緒に働き始めたというたわいもない理由だったそうですね。
望月明美、大学受験を断念して本格的に夜の街へデビューした
望月明美さんの学歴に関しては、勉強が苦手だったこともあり結局は大学進学を断念してしまい、高校を卒業後はそのまま夜の街の住人となっています。出身高校は公表されていません。
娘が水商売の世界に進むことに対して両親たちは特に反対をしなかったらしく、父・Aさんなどは娘の職場に時たま顔を出してくれたとか。
そんな望月さんが銀座デビューを飾ったのは20歳の頃だったそうで、ステップアップを試みてアルバイト求人情報誌を覗き込んでいたところ、「ジャンティユー」という店を見つけて採用されることになりました。
とはいえ、当初は日経新聞の内容が理解出来ずに夕刊フジを読むのが精いっぱいだったこともあり、いきなり売れっ子ホステスとなれたわけでもなかったそうですね。
望月さんが夜の街で花開いたのは、28歳の時に「ヴェルサイユ」という店で働き始めた頃だったそうで、この頃にようやく月の売上が1000万円を超える人気ホステスの仲間入りを果たしております。
望月明美、31歳で「ルジャルダン」のママになるも不幸続きだった
人気ホテス時代の望月明美さんの年収については、最盛期には6000万円もの収入があったと言われております。
そんな望月さんが独立を意識したのは、30歳の頃に妊娠したことがきっかけでした。
その後、31歳の時に当時開店2年目だった「ル・ジャルダン」をスタッフごと居抜き購入した望月さんですが、翌年の1月になると愛娘が急死するといった不幸に襲われます。
望月さんの不幸はさらに続き、娘の葬式を終えて仕事に復帰してみると、今度は「ル・ジャルダン」の幹部スタッフとホステスたちが示し合わせて、他の店に移籍するといった騒動まで勃発したそうですね。
この騒動に関しては、「ル・ジャルダン」のホステス40人中31人が移籍してしまうといった深刻な出来事だったとか。
以降も「ホステス時代の所得を誤魔化していた」と国税より摘発を受けて追徴されてしまった他、新しく雇い入れた幹部スタッフがトラブルを起こして逮捕されてしまったりと、望月さんに逆風が吹き荒れた時期もありました。
心が折れて「ル・ジャルダン」を閉めてしまってもおかしくない逆境の中で、それでも望月さんが経営を続けられた理由については、9歳年下で教師志望だった妹が店の経理を手伝ってくれたりと、身内の支えが大きかったようですね。
望月明美の年収は?…実はホステス時代の方が儲かっていた?
逆境を乗り越えて銀座の名物オーナーママとなった望月明美さんですが、年収の方はホステス時代よりも少ないとの話も存在します。
望月さんの年収に関しては、2009年に発売された著作「100年に1度の不況に負けない 銀座ママの経済学」では、毎年4000万円との具体的な額がカミングアウトされていました。
その後もさらに経営者として成功して経営する店舗も増えている望月さんでしたが、その分かかる経費なども増大しており、傘下店舗全体で月に8000万円売り上げてようやく利益が出るレベルだとか。
そのため、年収の方も2009年頃より特に増えていないのかもしれませんね。
望月明美の結婚・家族情報…旦那は不明で娘が2人いた
望月明美さんの子供情報に関しては、前述のように1996年に第一子となる長女が誕生していたものの、1997年には急死してしまったそうですね。
とはいえ、それきり子供を授からなかったわけではないようで、その後も娘が2人生まれて健やかに育っています。
そのため、パートナーとなる男性はいるように思われる望月さんですが、夫となる人物については特に情報を公開していないため詳細は不明となります。
望月明美の現在…コロナ騒動が直撃して窮地に陥っていた
様々なピンチを乗り越えて、銀座の名物ママとして活躍していた望月明美さんでしたが、2020年以降は新型コロナウイルス騒動に巻き込まれてしまい、かつてない苦境下にあります。
新型コロナウイルス騒動で夜の街が受けた被害は大きく、2020年4~5月間は、緊急事態宣言の余波を受けて経営する4店舗の売上が0になるといった惨状まで経験しています。
この時期は、家賃と従業員への給料だけで月に1200万円もの赤字を垂れ流し状態になってしまったそうですね。
とはいえ、最初の緊急事態宣言下では補償も厚く、何とか倒産危機を乗り越えることが出来たとか。
昨年の緊急事態宣言の時は、300万円の協力金もあったし、120人いる女の子たちの雇用調整助成金、持続化給付金などで、合わせて1億円以上の支援がありました。
しかしながら、その後もコロナ禍が収まる気配もなかったことから、在籍していたホステスたちの中にも看護師やプログラマーに転職したり田舎へ帰郷したりと、夜の商売に見切りをつける人間が続出してしまうことになりました。
その結果、経営する4店舗の従業員数も半減してしまったという望月さんでしたが、2020年11月頃より第二波が到来したことでさらなるピンチに陥ってしまっているそうですね。
特に、2021年1月より始まった2度目の緊急事態宣言下では、1店舗あたり1日6万円の協力金しか補償されないため、時短要請に応じられない苦境が続いているとか。
「20時から店が始まるのに、20時に閉めてどうしろと言うのでしょうか。本当は休みたいけれど、休めないんです。前回はある程度の補償金がおりたので、120人いた女の子全員の生活を守ることができた。でも、今回の1店舗6万円の協力金だけでは、家賃にもなりません。
望月明美についてまとめてみると…
一代で年商10億円の実業家にもなった望月明美さんですが、新型コロナウイルスを相手には打つ手なしの泣き面に蜂状態のようです。
一刻も早く新型コロナウイルス騒動が収束し、夜の街へ平穏が戻ることを祈りつつ、この記事のまとめを終了させて頂きます。