パパ活など女性問題で衆議院議員を辞職した宮沢博行(宮沢ひろゆき)さんが話題です。
この記事では宮沢博行さんの高校や大学などハイレベルな学歴、若い頃の経歴、父親や母親、結婚した嫁、子供など家族情報、都内の自宅、週刊文春が報じたパパ活など女性問題の内容についてまとめました。
この記事の目次
- 宮沢博行のプロフィール
- 宮沢博行の出身高校は「静岡県立磐田南高等学校」
- 宮沢博行の出身大学は「東京大学法学部」
- 宮沢博行の若い頃① 幼少期〜中学生時代
- 宮沢博行の若い頃② 磐田南高校では剣道部に所属し生徒会長も
- 宮沢博行の若い頃③ 東京大学法学部
- 宮沢博行の若い頃④ 東京大学卒業後バイトや派遣社員をしながら政治家を志す
- 宮沢博行の若い頃⑤ 磐田市議会議員を経て衆議院議員へ
- 宮沢博行の家族① 父親は元土木の作業員で既に他界
- 宮沢博行の家族② 母親は元農協職員
- 宮沢博行の家族③ 結婚と嫁のたかこさん
- 宮沢博行の家族④ 子供は長男、長女、次女の3人
- 宮沢博行の自宅は都内のマンションだが登録上は静岡県磐田市
- 宮沢博行は週刊文春によるパパ活などの女性問題報道により議員辞職
- まとめ
宮沢博行のプロフィール
宮沢博行のプロフィール
生年月日:1975年1月10日
出身地 :静岡県磐田郡龍山村(現在の浜松市天竜区)
身長 :172cm
血液型 :B型
宮沢博行さんは、2012年12月から2024年4月まで4期にわたって衆議院議員を務めた人物で自民党に所属していました。
2023年9月に発足した第2次岸田第2次改造内閣では防衛副大臣兼内閣府副大臣に任命されるなど力を付けてきていた政治家でしたが、その年の11月に表面化した自民党5派閥の政治資金パーティーをめぐる裏金問題で、3年間で140万円のキックバックを受けていた事が判明し、同年12月14日に防衛副大臣兼内閣府副大臣を辞任し事実上の更迭となりました。
さらに、2024年4月に「週刊文春」にパパ活など女性問題のスキャンダルを報じられ、その責任を取る形で2024年4月25日に衆議院議員を辞職し、自民党からも離党しています。
ここではそんな宮沢博行元衆議院議員について改めて紹介していきます。
宮沢博行の出身高校は「静岡県立磐田南高等学校」
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宮沢博行さんの出身高校は静岡県磐田市見付の公立校「静岡県立磐田南高等学校」です。
政治家になるといっても、道筋はよくわからない。とにかく東京大学に行こう。そこに行ける高校に進学しよう。ということで、地元の磐田南高校に進んだ。
宮沢博行さんの出身高校の「磐田南高校」は静岡県内でもトップクラスの学力レベルを誇る進学校で最新の偏差値は「66〜68」となっています。
宮沢博行さんの高校時代のエピソードについては後述します。
宮沢博行さんは磐田南高校同窓会でも精力的に活動されていました。
磐田南高校同窓会北遠支部です。支部の再興にご尽力下さった桜井先輩のご冥福をお祈り申し上げます。そのお陰で今回はなんと50名弱の同窓生が集まりました。過疎とか僻地とか言われますが人材は豊富です!これからも、磐南を中心に遠州を静岡を盛り上げて行くぞ!#磐田南 #宮沢ひろゆき #宮澤博行 pic.twitter.com/I9AqRhMkH2
— 宮澤博行 (@miyazawa0110) October 23, 2022
宮沢博行の出身大学は「東京大学法学部」
宮沢博行さんの出身大学は「東京大学法学部」です。宮沢博行さんは1997年3月に東京大学法学部を現役で卒業されています。
平成 9年 3月東京大学法学部卒業
宮沢博行さんの出身大学である「東京大学法学部」は、文科一類が該当するため最新の偏差値は「70」です。
出身高校、出身大学から見ても宮沢博行さんが抜群の学力を持っていた事は間違いありません。
宮沢博行さんの東京大学時代のエピソードなどは後述します。
宮沢博行の若い頃① 幼少期〜中学生時代
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宮沢博行さんは静岡県の竜頭山の近くの静岡県磐田郡龍山村瀬尻の尾曲という集落に生まれています。
集落は眼下に天竜川を見下ろす小高い場所にあり、幼い頃の宮沢博行さんは豊な自然に囲まれて成長されたそうです。
宮沢博行さんの出身小学校は「龍山村立龍山北小学校」(現在の浜松市立横山小学校)で、秋葉ダムにのダム湖の湖畔にあり、往復で1時間半かけて通っていたそうです。
その後、宮沢博行さんは「龍山村立龍山中学校」(現在の浜松市立光が丘中学校)へと進学。
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中学校は自宅からかなり遠く、宮沢博行さんはバスで通学されていたそうです。
中学1年生の頃、宮沢博行さんは祖母に戦争で戦死した親族の遺品を見せてもらい「ご先祖さまが国のために命を捧げたのなら、僕も国のために頑張ろう。」と思うようになり、自衛隊に入る事を考えるようになったそうです。
当時の宮沢博行さんは防衛大学へ進学するために体を鍛え勉強も頑張る日々を送っていたという事でした。
しかし、中学3年生の夏に父親に「事が起こってから国を守るのではなく、その事自体を防ぐ人間になりなさい」と諭され、自衛隊ではなく政治家になって国を守ろうと考えるようになり、そのために東京大学を目指すようになったそうです。
宮沢博行の若い頃② 磐田南高校では剣道部に所属し生徒会長も
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宮沢博行さんは政治家になるために東京大学への進学を目指し、そのためにはレベルの高い高校へ進学しなくてはならないと考えて、静岡県内でも屈指の学力レベルを誇る「磐田南高校」を受験し見事合格されています。
レベルの高い高校だけあり、周囲も勉学でも運動でも努力を惜しまない生徒ばかりだったそうで、宮沢博行さんもそれに切磋琢磨して努力を重ねられたそうです。
宮沢博行さんは高校時代には剣道部に所属し、必死に鍛錬したもののついに正規の選手にはなれなかったそうです。その悔しさもあってか宮沢博行さんは現在も剣道を続けているのだそうです。
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宮沢博行さんは高校3年生の時には生徒会長にも選ばれ、磐田南高校の創立70周年記念式典では壇上で挨拶されています。
宮沢博行さんは高校時代は、生徒会長や剣道部の活動と並行して勉強に励むのは正直に言って苦しく休みも娯楽もなかったと振り返られています。
宮沢博行の若い頃③ 東京大学法学部
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宮沢博行さんは1993年4月に東京大学の文科一類(法学部を選択)に現役で合格し入学されています。
宮沢博行さんは東京大学時代は応援団の副団長や剣道部に所属されていたそうですが、大学在学中に父親が体調を崩して働けなくなったため、退部してアルバイトをして生活費を稼ぐ日々になったそうです。
また、宮沢博行さんは大学3年生の時には学生自治会の「緑会」にも所属して活動されていました。
宮沢博行の若い頃④ 東京大学卒業後バイトや派遣社員をしながら政治家を志す
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宮沢博行さんは1997年3月に東京大学法学部を現役で卒業されています。
東京大学卒業後、宮沢博行さんは就職を目指すも、就職氷河期と重なった事もあって失敗し、1年間就職浪人をしています。この当時はファミリーレストランでコックのアルバイトをして生活されていたのだそうです。
就職活動もままならず、就職氷河期にも重なり、全敗。普通は留年するのであるが、学費を親に出してもらうわけにもいかず、あえなく就職浪人という結末。ファミリーレストランでコックのアルバイトをして食いつないだ。
1年の就職浪人を経て、1998年に宮沢博行さんは商品先物取引の会社「ミリオン貿易(現在のKOYO証券)」に入社して働き始めています。
この会社に入って2年目、磐田南高校の同窓会に出席した際に、磐田市議会議員をしていたかなり上の先輩に「帰ってくる気になったのか?」と声をかけられ、政治家になるという当初の志を思い出したそうです。
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宮沢博行さんは改めて政治家を目指すため、会社を辞めて地元へと戻り、塾講師、工場請負の管理担当者(作業員を派遣する仕事)、オートバイ製造控工場などの様々な仕事をして食い繋ぎながら、磐田市議選出馬に向けての準備を進められています。
大学卒業後、さまざまな職種を経験。
レストランの厨房、貿易会社の営業、塾講師、工場の派遣社員等。
宮沢博行さんは当時は地域の祭り行事や消防団、青年団の活動にも積極的に参加されていたそうです。
塾講師、派遣管理者、派遣社員として働く一方で、地域において、祭り青年、消防団、青年団の活動にも参加した。
宮沢博行の若い頃⑤ 磐田市議会議員を経て衆議院議員へ
宮沢博行さんは2003年4月の磐田市議会議員選挙に立候補し、見事初当選を果たしています。
宮沢博行さんは3期にわたって磐田市議会議員を務め、2008年度には磐田市議会総務委員長、2008年度と2009年度の自民党静岡県連青年部長などを務め、2012年2月に国政に進出するために磐田市議会議員を辞職されています。
そして、宮沢博行さんは2012年12月の第46回衆議院議員総選挙に静岡県第3区から自民党候補として出馬し初当選を果たしています。
宮沢博行の家族① 父親は元土木の作業員で既に他界
宮沢博行さんの家族についても見ていきます。
宮沢博行さんの家族まったく政治家の家系ではなく父親は土木関係の仕事をされていたという事です。
父は土木の作業員
宮沢博行さんの父親は、隣町から宮沢家に婿入りされた方だそうです。子供時代の宮沢博行さんは、土木関係の仕事をしていつも泥と汗にまみれて帰ってくる父親の姿を見て、「働く人の姿はかくあるもの」と感じられていたという事で、父親の事を尊敬されていたようです。
父は、隣の佐久間町から婿に入って宮澤を名乗ってくれていた。毎夕、泥と汗にまみれて帰ってくる父の姿から、「働く人の姿はかくあるもの」と思うようになっていた。
宮沢博行さんの母親によると、宮沢博行さんの父親は政治に興味がある方だったそうで、宮沢博行さんともよく政治談義をし、宮沢博行さんが磐田市議選に出馬した時にも選挙活動を手伝われていたそうです。
本音を言えば、私は地元に戻って県庁に勤めてほしかった。それが政治の道に進むなんて…。ただ、亡くなった旦那は喜んでいました。旦那は政治が好きで、息子ともよく政治談議をしていました。息子が初めて市議選に出たときも、一生懸命選挙活動を手伝っていましたね
時期は不明ですが、宮沢博行さんの父親は既に亡くなられているようです。
なお、ネット上には宮沢博行さんの父親が元内閣総理大臣の宮澤喜一さんではないかという噂があったようですが、宮沢博行さんと宮澤喜一さんの間には縁もゆかりもなく事実ではありません。
これは、宮澤喜一さんの甥で参議院議員の宮澤洋一さんと宮沢博行さんが混同されているのだと思われます。
宮沢博行の家族② 母親は元農協職員
宮沢博行さんの母親は元農協の職員である事が宮沢博行さんのオフィシャルサイトで明かされています。
この母親の両親、宮沢博行さんの祖父と祖母についても明かされており、祖父は静岡県の道路作業員を経て神職になり、祖母は熱心な仏教徒だったそうです。
母は農協の職員、祖父は県の道路作業員を退職して神職となり、祖母は熱心な仏教徒であった。
宮沢博行さんの母親は「週刊現代」の取材を受けており、今回の宮沢博行さんのパパ活などの女性問題に対して語られていますが、その内容がかっこいいなどとネットで話題になっています。
宮沢博行さんの母親は、宮沢博行さんのパパ活などの女性問題を報じた「週刊文春」の記事を読んで、即座に「馬鹿野郎!」と叱るメールを宮沢博行さんに送信したそうです。
また、宮沢博行さんの母親は、宮沢博行さんがデリヘル(派遣型風俗)の常連だったといった報道に対しても、「下半身はここぞというときだけ使えばいいのに。そうじゃないときに使うからおかしい事になるのよ」とユニークな発言をしています。
議員としてはやってはいけないことをしたのは事実です。下半身はここぞというときだけ使えばいいのに。そうじゃないときに使うからおかしいことになるのよ
他にも、宮沢博行さんと直接顔を合わせたどうするか?という問いに対しては「迷わず引っ叩く、もしきはグーでぶん殴る」と回答。
顔を合わせたら? 亡くなった旦那も私も曲がったことが大嫌い。迷わず引っぱたきます。あるいはグーでぶん殴るか
宮沢博行さんの母親のあまりにもストレートな物言いに、ネット上では「かっこいい母親」、「母親の名言」などと称賛する声が見られるようです。
一方で、宮沢博行さんの母親は、宮沢博行さんの嫁や子供らを気遣うコメントもされていました。
静岡では奥さんが3人の子どもを抱えて一生懸命やってくれていた。それを頭に入れて常に行動すべきだった。本当にバカ野郎です
息子はどうでもいいけど、お嫁さんと孫が心配です。お嫁さんは私と違って、強いタイプではないから。いますぐ自宅に駆けつけたいけど、なかなか連絡が取れなくて。孫は学校もある。今回のことで孫たちが傷つくのが何よりも心配です
一連の発言から宮沢博行さんの母親が正義感が強く信頼できる人物である事や、思いやりのある人柄が伝わるためか、宮沢博行さんの後継者はこの母親がいいのではといった声まで出ているようです。
なお、この宮沢博行さんの母親の発言から、宮沢博行さんには妹がいる事もわかっています。
政治家を出すような家ではありません。私自身も勉強が大嫌いでしたし、あの子の妹も勉強が好きではなかった。言ってみれば、息子は突然変異です
宮沢博行の家族③ 結婚と嫁のたかこさん
「週刊文春」に当時28歳の女性と金銭援助をともなる同居を報じられた宮沢博行さんですが、結婚していて嫁がいます。
宮沢博行さんの結婚した時期は不明ですが、嫁は「たかこ」さんという一般女性である事がわかっています。
ネット上には、宮沢博行さんの嫁が日本航空社長を務めた柳田誠二郎の孫娘という情報が出ていますがこれは完全なデマ情報で、参議院議員の宮澤洋一さん(宮澤喜一の甥)と混同されているようです。
宮沢博行さんの嫁は一般の女性ですが、名前が「たかこ」さんである事は、宮沢博行さんがFacebookに投稿した嫁の誕生日を祝うケーキの画像に「おたんじょうびおめでとう たかこさん」と書かれたプレートが確認できたため判明しています。
この投稿は2015年2月12日のもので、コメントから嫁のたかこさんの誕生日は「2月7日」である事もわかっています。
2/7が妻の誕生日でしたが、多忙でなにもできなかったので、昨日2/11にささやかなパーティー!
いつもありがとう♪
宮沢博行の家族④ 子供は長男、長女、次女の3人
宮沢博行さんには、嫁のたかこさんとの間に3人の子供が生まれています。宮沢博行さんの子供は上から長男、長女、次女です。
静岡県出身の宮沢氏は東京大学法学部を卒業後、磐田市議(3期)を経て、2012年の衆院選で国政初当選を果たした。現在4期目(比例復活)。プライベートでは妻、長男、長女、次女の5人家族。以前はSNSで子煩悩ぶりも見せていた。
引用:《議員辞職の真相》宮沢博行前防衛副大臣が緊急事態宣言下で28歳パパ活女子と同棲していた 「寂しかったんです。出来心です」
宮沢博行さんは過去にはFacebookなどのSNSに子供や嫁についての投稿を多くされていました。
宮沢博行さんの過去のSNSへの投稿内容から、長男は名前が「朝光(ともみつ)」さんで、2009年3月31日生まれである事がわかっています。2024年5月の現在は15歳になっているはずです。
宮沢博行さんの長男は2024年4月に、宮沢博行さんの母校でもある「磐田南高校」に入学されたようです。
いい天気になりました。御前崎では、新茶フェアでピクニックと茶摘み体験!親子連れでいっぱいです。午後は磐田南高校同窓会で校舎の見学。同級生と記念撮影。長男も入学しました。なんだか嬉しいです。感謝!#宮沢ひろゆき#宮沢博行 #宮澤博行 pic.twitter.com/vYLUYow5cQ
— 宮澤博行 (@miyazawa0110) April 13, 2024
また、長女は名前は不明ながら「2012年12月23日生まれ」で現在は11歳、次女も名前は不明ながら「2014年8月生まれ」で現在は9歳でともに小学生である事がわかっています。
私の長男は市議三期目の選挙直前に生まれ、長女は衆院選初当選の五日後に生まれました。だから次女が授かった時は、「え、来年は選挙?」と思ってしまったのです。
次女が八月に生まれ、「この子だけは、選挙と関係なく生まれたなあ。」と思いましたが、結局その四ヶ月後の十二月に二期目の衆院選でした。
宮沢博行の自宅は都内のマンションだが登録上は静岡県磐田市
宮沢博行さんの自宅は、東京都内にあるマンションである事がわかっています。
自宅とはいっても家族は同居しておらず、嫁や子供ら家族は静岡県に居住しているという事です。自民党の収支報告所などに記載されている宮沢博行さんの自宅住所は「静岡県磐田市見付3800-120」となっているので、登録上の自宅住所はこちらのようです。宮沢博行さんの家族もこちらの自宅に住まわれているのかも知れません。
また、宮沢博行さんは赤坂の議員宿舎は利用しておらず、都内での自宅はこのマンションのみのようです。
宮沢博行さんのパパ活などの女性問題を報じた「週刊文春」の記事によれば、宮沢博行さんの都内の自宅マンションにデリヘル嬢が連日出入りしていたという事でした。
今月は都内の自宅マンションに2夜連続でデリヘルの女性とみられる人物が出入りしていた。
週刊文春の記事がこれだけ大きな騒ぎとなり、議員も辞職して自民党も離党しているため東京にとどまる理由もないため、宮沢博行さんはこちらの自宅マンションは既に引き払って静岡県磐田市の自宅へと戻っている事も考えられそうです。
宮沢博行は週刊文春によるパパ活などの女性問題報道により議員辞職
宮沢博行さんが「週刊文春」にパパ活などの女性問題を報じられた件についても改めて振り返っていきます。
宮沢博行がみちょぱ似の28歳女性とパパ活同棲している事を週刊文春が暴露
宮沢博行さんのパパ活などの女性問題を報じたのは、2024年4月25日発売の「週刊文春」(2024年5月2日・9日号)でした。
週刊文春の記事によると、宮沢博行さんは新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が発令されていた2021年2月、出会い系カフェで知り合ったという当時28歳の女性と、家賃15万円前後の台東区内のマンションで同棲生活をしていたという事です。
その宮沢氏は緊急事態宣言が発令されていた2021年2月から、出会い系カフェで知り合ったという当時28歳の女性A子さんと同棲生活をスタートさせていた。台東区内のマンションで、家賃は15万円前後だったという。
引用:《議員辞職の真相》宮沢博行前防衛副大臣が緊急事態宣言下で28歳パパ活女子と同棲していた 「寂しかったんです。出来心です」
既に書いているように、宮沢博行さんは結婚していて嫁も子供もいましたが、家族は東京都内にはおらず地元の静岡県の自宅に住んでいたため、東京では浮気し放題の状態だったようです。
宮沢博行さんが同棲していたという当時28歳の女性は、タレントのみちょぱさんに似た茶髪ギャル形の美人で、宮沢博行さんの事を「パパ」と呼んでいたとの事で、不倫関係というよりは、いわゆる「パパ活」の関係にあったようです。
週刊文春によると、みちょぱ似の28歳女性と同棲を始めた宮沢博行さんでしたが、同時期に自民党の同僚が銀座のクラブ通いをしていた事が発覚して離島に追い込まれた事に恐れをなし、わずか1ヶ月ほどで同棲関係の解消をみちょぱ似28歳女性に求めたそうです。
みちょぱ似の28歳女性は約束が違うとして抗議したようで、宮沢博行さんは謝罪して、新居が決まるまでこのマンションに女性が住む事を了承し、家賃の支払いや初期費用も負担したという事でした。
宮沢博行さんの女性問題が発覚したのは、このパパ活相手のみちょぱ似28歳の女性が週刊文春にリークした事が原因だったようなので、明らかになっていない何らかのトラブルがあったか、自民党裏金問題でいらん事を喋りすぎたために他の自民党議員から目をつけられてハメられたのかのどちらかではないかとも言われています。
パパ活相手との同棲解消後、出会い系サイトに登録し処女を探していた
「週刊文春」はさらに、宮沢博行さんがパパ活関係だったみちょぱ似の28歳美女との同棲関係を解消した後、大手の出会い系サイト「P(Pairsか)」に、「♂ひろゆき 49歳 東京都 自営業」のプロフィールで登録し、自己PR欄には「若い女性とお会いして一緒に元気になりたいと思って登録しました。卒業のお手伝いもします」などと記載していた事も暴露しました。
この「卒業」とは、男性との肉体関係のない女性の初体験の相手をする事を指しており、宮沢博行さんは出会い系で処女を探していたのではないかと見られています。
また、週刊文春の記事では、この出会い系サイトでも宮沢博行さんは相手女性に1回あたり3万円〜5万円で交渉していたとも書かれており、これもパパ活相手を探していたのだろうと見られています。
他にも宮沢博行さんが「紐パン」を履いて女性を相手にしていた事やら、デリヘル嬢を自宅に頻繁に呼んでいた事やらが暴露されており、週刊文春の記事の内容がどこまで本当かはわからないものの内容があまりにも下衆いために国民からの批判の声が多数上がりました。
宮沢博行は週刊文春が報じたパパ活など女性問題を「概ね事実」と認めた
宮沢博行さんは週刊文春によるパパ活など女性問題スキャンダル報道について、「概ね事実」と認めており、このような行動の理由を「欲を抑えきれなかった。」と説明しました。
妻ではない20歳代の女性と金銭援助を伴う同居をしていたことなどを報じた週刊誌報道について「おおむね事実」と認め、「欲を抑えきれなかった。そこに負けてしまった結果だと思う」と述べた。
認めているという事は、週刊文春で報じられたパパ活や出会い系への登録、頻繁なデリヘルの利用などの女性問題は事実という事なのでしょう。
まとめ
今回は、2024年4月に「週刊文春」によってパパ活などの女性問題スキャンダルを報じられて衆議院議員を辞職し自民党からも離党した宮沢博行さんについてまとめてみました。
宮沢博行さんは、静岡屈指の進学校「静岡県立磐田南高校」を経て「東京大学法学部」を卒業したという素晴らしい学歴の持ち主で、若い頃には東大卒業後にアルバイトや派遣社員も含め様々な職業を経験し磐田県議会議員を経て衆議院議員になったという経歴を持つ叩き上げの議員でした。
宮沢博行さんの家族は政治の世界には全く関係なく、父親は土木関係の仕事、母親は農協職員でした。
宮沢博行さんは結婚しており、嫁は「たかこ」さんという一般の女性である事がわかっていて、子供は長男、長女、次女の3人です。
宮沢博行さんの自宅は東京都内のマンションだという事ですが、家族は静岡県磐田市に居住しており、東京の自宅には宮沢博行さんが1人で住んでいました。
そして、宮沢博行さんは家族を静岡に残し、都内のマンションを借りてパパ活相手の28歳の女性と同棲していた事を「週刊文春」が暴露しました。
週刊文春の記事では宮沢博行さんはこの同棲だけでなく、出会い系サイトで処女のパパ活相手を探したり、デリヘルを連日利用したりとやりたい放題していた事なども暴露されています。
この女性問題により、宮沢博行さんは衆議院議員を辞職し自民党からも離党する事となりました。