2015年に芸能界復帰をした元猿岩石の森脇和成さんですが、元々一発屋芸人だったこともあり、復帰後の仕事は順調ではない模様です。
この記事では、森脇さんの2004年の芸能界引退から現在までの道程についてまとめてみました。
この記事の目次
森脇和成のプロフィール
本名:森脇和成(もりわき かずなり)
出身地:広島県安芸郡熊野町
生年月日:1974年8月1日
身長:168cm
デビュー時期:1994年
最終学歴:広島県立熊野高等学校中退
コンビ名:猿岩石(2004年に解散)
元相方:有吉弘行
1996年4月から10月にかけて放映された、「進め!電波少年」のユーラシア大陸横断ヒッチハイクという企画に参加した猿岩石は、企画自体が社会現象化するという追い風を受けて、一躍アイドル的な人気を獲得します。
しかし、所詮はテレビの企画が受けただけであり、本人たちの実力によるブレイクでもなかったため、ブームは短期間で終わり、猿岩石は長い低迷期を迎えることになりました。話題作りのために2001年4月に「手裏剣トリオ」と改名したりと、再ブレイクの道を模索したりもした猿岩石ですが、コンビとして再浮上することもなく2004年3月に解散しました。
猿岩石解散と共に芸能界も引退した森脇さんですが、「あの人は今!」的な企画に「成功した実業家」として顔を出すなどしていたものの、実際のところは順調なセカンドキャリアを送っていたわけでもなかったようで、最終的にはサラリーマンとして働いていたようですね。
2015年7月に出演したバラエティ番組「しくじり先生 俺みたいになるな!!」をきっかけに芸能界復帰を果たした森脇さんですが、元々が「一発屋芸人として消えた」程度の実力だったこともあり、テレビの世界で活躍とは行かずに苦戦が続いています。
森脇和成がいた「猿岩石」の全盛期の勢いは凄かった?
画像は、猿岩石の代表作である「進め!電波少年」のユーラシア大陸横断ヒッチハイク企画中の一コマです。
森脇和成さんの全盛期に該当する、1996年から1997年にかけての猿岩石人気は、現在の芸能界では比較の対象がいないほどの国民的なモノでした。
「猿岩石日記」シリーズは、現在までに累計250万部を売り上げていると言われており、麒麟・田村裕さんの「ホームレス中学生」の225万部すらも凌ぐ売上を記録しています。
その他にも、猿岩石は歌手活動なども展開しており、1996年12月に発売されたデビューシングル「白い雲のように」がミリオンヒットを記録するなど、全盛期の猿岩石には、芸能界の天下を取ったと言える勢いがあったことは確かです。
猿岩石が消えた理由!トークがまるで駄目だったから?
1990年代はCDバブル時代だった背景もあり、猿岩石の歌手活動は、累計で200万枚前後のシングル売上を記録するなど、一発屋で終わらずに、ヒット曲が何曲が続くことになりました。
歌や本が売れた猿岩石ですが、肝心のお笑いの実力はどうだったのかと言うと、ブーム時から「アドリブがまったく効かない」という声が聞こえて来るほどの実力不足でした。このトーク力のなさこそが、猿岩石が短期間で全国ネットから消える直接的な原因となったと言えます。
現在、MCとして活躍している有吉弘行さんの姿を見ていると、にわかには信じられない話でもありますが、下積み時代が3年にも満たないという、当時の猿岩石の経験不足が影響したせいだと思われます。
あっという間のブームが去った後は、広島ローカルでの仕事は細々と続いたものの、全国的にはまったく見かけない存在となってしまった猿岩石は、2004年3月に解散しています。
猿岩石解散は実業家に転身したかった森脇和成の都合?
猿岩石の解散理由に関しては、色々な証言を総合すると、売れない芸人生活に見切りを付けたかった森脇和成さんの都合によるところが大きかったようですね。
広島ローカルの仕事しかなくなっていた落ち目コンビだったとはいえ、一世は風靡した猿岩石の名前はあった方が仕事には繋がりやすいですから、有吉弘行さん側はこのままコンビを続けたい気持ちはあったようです。
一方で森脇さんは、猿岩石を正式に解散をして、実業家に転身したい意向があったという報道が当時されていましたね。2015年に芸能界復帰をした森脇さんが、かつての所属事務所だった太田プロダクションに復帰出来なかった理由も、その辺にあるのかもしれませんね。
芸能界を引退した森脇和成はサパークラブ経営者として成功した?
女性を連れて来店する男性客をヨイショするのが、店のスタッフの基本的な仕事となります。
実業家としての森脇和成さんですが、いきなりサパークラブを経営したというわけではなく、サパークラブの現場で下積みをやっていた時期もあったようですね。その後、共同経営という形でサパークラブを開店していますが、最初の店舗経営は失敗してしまったようです。
はい。芸能界を引退してしばらくはサパークラブを経営してまして、1軒目は潰しちゃいましたけど、2軒目はそこそこ良かったですよ。
実業家としてスタート早々に躓いてしまった森脇さんですが、利益も分配なら損失も分担という共同経営のシステムが功を奏したのか、2度目のサパークラブ経営にもトライすることが出来たため、そちらの店舗では成功を収められたようですね。
かなり成り上がっていた時期もあった森脇和成
芸能界引退後の森脇和成さんに関しては、セカンドキャリアでの成功具合がマスメディアに取り上げられる機会も少なくありませんでした。2006年10月に放映された「アメトーーク!」の元コンビ芸人特集では、有吉弘行さんと共に当時絶頂期だった森脇さんもゲスト出演しています。
一方で有吉さんは、再ブレイク前の「一発屋芸人枠」でしかなかった時期なので、元相方のセカンドキャリアでの活躍ぶりを紹介するVTRを、複雑な面持ちで眺めていたりもしました。
この評価が現在ではまったく逆転していることを考えると、人の人生において、一寸先は本当に分からないものだと実感します。
その後の「株式会社スクラッチ」は、東京大学医科学研究所との共同研究開発を機に、「ESPバイオテック・ラボ株式会社」に社名を変更するなど躍進を遂げたようですが、森脇さんは2008年11月に会社の方を退職しています。
人生の教訓?転落はちょっとしたことから起こる?
森脇和成さんの第2の絶頂期だったと言える2000年代中盤から後半にかけて、森脇さんには3つの大きな変化がありました。
1つ目の変化は、2007年2月に一般女性・Aさんと結婚をしていることです。そして、2つ目の変化は長女が誕生したことであり、3つ目の変化は長女の誕生をきっかけに、サパークラブ経営から足を洗ったことです。
夜の商売の世界に自ら飛び込んだ森脇さんでしたが、やはり子供(しかも長女)が生まれたとなると、水商売よりも堅気の商売についた方が良いだろうという判断が働いたのだと、後に本人が語っています。結果的に言うと、この3つ目の変化が森脇さんの転落人生のきっかけとなりました。
輸入貿易会社の営業マン時代には離婚も経験!
画像は、「株式会社アイム」が経営する「コリオリ青山」の店舗内となります。
サパークラブの経営から手を引いた後の森脇和成さんは、サラリーマンとして地道な人生を歩んでいたようですが、その中で最も長く働いた会社が「株式会社アイム」となります。海外の有名ブランド品の輸入から販売までを取り扱う会社であり、「コリオリ青山」という高級ブランドショップなども経営している会社です。
森脇さんは「株式会社アイム」では、営業社員扱いだったようですが、「コリオリ青山」の店舗で接客をする機会もあるなど、雑多に渡る業務を担当していたと言えますね。
夜の商売などでは成功していた森脇さんですが、「株式会社アイム」での営業成績の方は振るわずに、入社から退職までの4年間は、かなり苦しい日々が続いたという本人談が残っています。
しかも悪いことは続くもので、2013年に森脇さんとAさんの間で離婚が成立します。森脇さんには、前述の長女の他にも子供が誕生していたようですが、2人の子供の親権ごとAさんが持つという離婚調停結果に終わってしまったようですね。
さらには、後にAさんが再婚し、新しい家庭を持ってしまったため、森脇さんは自分の子供たちに会いにも行けない状況となります。子供のために、サパークラブ経営を辞めて堅気の仕事についた森脇さんだけに、まさに本末転倒な結果となりました。
とはいえ、森脇さんも「株式会社アイム」に落ち着く2011年以前は、職を転々とする日々が続いていたようですから、その時期に夫婦仲がこじれてしまい、修復が出来なかったパターンなのかもしれませんね。
しくじり先生がきっかけとなり芸能界復帰をした森脇和成
森脇和成さんの芸能界復帰のきっかけとなったのは、2015年7月に放映された「しくじり先生 俺みたいになるな!!&Qさま!! 合体3時間SP」です。
番組中では、猿岩石ブーム時代の話や芸能界引退後の苦労話などを面白しろおかしく語っていた森脇さんですが、収録前日に「株式会社アイム」に辞表を提出していたというサプライズまで用意していました。
当初は芸能界復帰の意思は濁していた森脇さんですが、結果的には「しくじり先生」出演がきっかけとなり、芸能界復帰を果たすことになります。元々、サラリーマン生活を続けていたのは家族のためだったと語っている森脇さんにとっては、離婚後は堅実なサラリーマン人生から離れる機会を伺ってはいたようですね。
約2年前に離婚をして、身軽になったのもあります。元々サラリーマンになったのは、結婚して子供ができて、真面目にずっとできる、かたい仕事をしようと思ったことですから。
復帰後の森脇和成は有吉弘行にシカトされている?
森脇和成さんの芸能界復帰で気になることは、猿岩石の復活があるかどうかという話です。例えば、極楽とんぼなどのケースでは、既に司会者として盤石の地位を固めている加藤浩次さんが、不祥事による芸能界引退から復帰した山本圭壱さんのために、コンビを再稼働させている例もあります。
けれども、猿岩石のケースでは、森脇さんが芸能界復帰の挨拶をしても有吉弘行さんが完全に無視を貫いているという状況のようなので、猿岩石復活は絶望的な状況だと言えます。
森脇:やめるときに話して。復帰するときには連絡はしましたよ。
電話したけど出なくて、メールしたけど返事がかえってこない。でもまあ、言うことは言ったと。いつかどこかで会うと思うんです。
森脇さんの都合でのコンビ解散後、芸能界で1人奮闘して来た有吉さんの心情を考えると、森脇さんが芸能界復帰したからといって、元相方を手助けしたいという気持ちになれないのは、当然のことなのかもしれません。
森脇和成の現在は?仕事がなくてYouTuberに転身?
芸能界復帰後の森脇和成さんですが、復帰当初こそ話題性も手伝いバラエティ番組出演の機会なども少なくなかったようですが、そういった時期も長くは続かず、週刊誌に下記のように書かれてしまう状況が続いていたようです。
そんな森脇は2015年、芸能界復帰を果たすも有吉を含め他の芸人たちからもガン無視されたためテレビ局からのオファーは少なく、現在は舞台出演で細々と食いつないでいるようだ。
そんな森脇さんが、2017年5月から始めた新たな活動がYouTuberとなります。今や、芸能人よりも若者人気が高いと言われている職業ですが、HIKAKINさんやはじめしゃちょーさんといった人気者がいる一方で、多くのYouTuberは再生数が稼げないという弱肉強食の世界でもあります。
「人気ユーチューバーのラファエルが、街行く人に声を掛けて芸能人を見つけようとする企画にたまたま遭遇。彼と話をしてみたら、すごい儲けているみたいで。ほんと引くくらい儲けてて、それで興味が湧いて…」
2017年5月23日に投稿した、YouTuberデビューとなる動画「森脇和成、YouTube始めました。」が、2017年6月12日現在までに再生数60万回を突破するなど、昔取った杵柄のおかげでそれなりの注目度を集めていると言える森脇さんですが、デビュー3週間近く経っても投稿した動画が5つという投稿頻度の低さを見る限りでは、尻すぼみの活動で終わってしまう可能性が高いのではないかと思われます。
森脇和成に逮捕の噂?いつの話なのか?
余談となりますが、森脇和成さんには逮捕の噂もあります。もちろん、芸能界引退していた時期の話ではないですし、芸能界デビュー前の話でもありません。それどころか、日本国内の話でもないという、ちょっとした豆知識ネタです。
森脇さんが警察官に逮捕されてしまったのは、猿岩石として参加した「進め!電波少年」のユーラシア大陸横断ヒッチハイク企画のロケ中の出来事でした。タイで野宿をしていた猿岩石に、現地の警察官が職務質問をした際に、言葉が分からない森脇さんが適当に「YES」と返答していたところ、何か問題のある質問にまで「YES」と答えてしまっていたようで、そのまま警察官に現行犯逮捕され、警察署まで連行されてしまったことがありました。
撮影スタッフがすぐさま事情説明に奔走したため、前科などがつくこともなく森脇さんが無事釈放されため、笑い話で済んだ話でもあります。
まとめ
元相方・有吉弘行さんなど、疎遠にしていたかつての芸人仲間が出世した今となっては、芸人としての再起は難しい雰囲気な森脇和成さんですが、かつての栄光のすがりつくことはなく、役者などの新たな道で芸能界での再起を目指しているようですね。
一度は実業家として成功している身である森脇さんだけに、バイタリティの高さは保証済みと言えるため、いつの日にか人生3度目の絶頂期がやって来る日もあるのかもしれませんね。