松岡修造さんは元テニス選手で、現在では”熱いキャラ”でおなじみの存在です。私生活では1998年に元アナウンサーの女性と結婚し、3児の父親でもあります。
ここでは松岡修造さんの家族(嫁・子供)についてまとめています。
松岡修造さんのプロフィール
名前:松岡修造(まつおかしゅうぞう)
出身地:東京都
生年月日:1967年11月6日
身長:188cm
元プロテニスプレイヤーで、現在スポーツキャスター・日本テニス協会理事などを務めています。
現役時代の最高順位はシングルス46位/ダブルス95位で、1995年のウィンブルトン選手権におけるベスト8進出は日本勢62年ぶりの快挙でした。
現在では”熱いキャラ”でおなじみ。
松岡修造さんの熱さは、キャラクターだけではなく天候さえも左右しているのではないかと囁かれています。(近年、松岡修造さんがいるところが暖かくなり、かついないと寒くなる……そういった現象が何度かあったため)
直近では、2017年1月にも話題になっていました。
ただ松岡修造さん自身は否定しているようです。2016年7月のイベント出演時に猛暑だったことを受けて、「(気象は)僕のせいじゃない」と発言。
東京都内は36度を超える猛暑日となったが、インターネットで“太陽神”と呼ばれたこともある松岡さんは「今日は暑いんですけど、僕のせいじゃないんで」とジョークを飛ばして笑いを誘った。
松岡修造さんの曾祖父・両親・親族がすごい!!
松岡修造さんの曾祖父は、実業家・政治家の小林一三。
小林一三さんは、阪急電鉄・宝塚歌劇団・東宝・阪急百貨店などの阪急阪神東宝グループ(現)の創業者として知られています。
松岡修造さんは、小林一三さんの次男筋のひ孫になります。
松岡修造さんの父親は、東宝名誉会長等を務める松岡功さん。
若かりし頃はテニス選手として活動していたこともあるそうです。
松岡修造さんの母親は、元宝塚男役トップスター・千波静さん。
そのほか、松岡修造さんの親族には以下のような実業家・著名人が多数いる名家です。
- 高祖父 : 松岡修造 (実業家:松岡汽船[注 2]創業者)
- 曾祖父:松岡潤吉 (実業家/政治家:松岡汽船創業者社長, 元貴族院議員)
- 曾祖父:小林一三 (実業家/政治家:阪急東宝グループ創業者)
- 曾祖叔父:田邊七六 (政治家:元衆議院議員)
- 曾祖叔父:田邊宗英 (実業家:第4代後楽園スタヂアム社長)
- 祖父: 松岡辰郎 (実業家:元松岡汽船社長, 第9代東宝社長)
- 義祖父: 小林米三 (実業家:元阪急電鉄社長)
- 従祖叔父:田邊圀男 (政治家:第31代総理府総務長官, 第12代沖縄開発庁長官, 第3代山梨県知事)
- 父:松岡功 (テニス選手/実業家:元デビスカップ日本代表, 第11代東宝社長)
- 母:千波静 (元宝塚歌劇団星組男役:本名:松岡葆子(旧名:静子), 宝塚歌劇団44期生)
- 妻:田口恵美子 (アナウンサー)
- 姉:辻敏子 (旧姓:松岡)
- 兄:松岡宏泰 (実業家:東宝東和会長、東宝取締役)
- 義兄:辻芳樹 (辻調理師専門学校校長)
- 甥:辻雄康 (姉・敏子と義兄・辻芳樹の長男)
- 義伯父:三村庸平 (実業家:元三菱商事社長・会長)
- 義伯父:三村亮平(実業家:阪急不動産副社長)
- 義伯父:小林公平(実業家:元阪急電鉄社長・会長)
- 従叔父:鳥井信一郎(実業家:元サントリー社長・会長)
- 従兄:小林公一(実業家:阪急阪神ホールディングス取締役, 宝塚歌劇団理事長)
- いとこ:田中里衣(女優:宝塚歌劇団76期生/母の妹:千波薫 宝塚歌劇団48期生の子ども)
松岡修造さんはそんな資産家のお家の息子さんで幼少期から慶應に通われていたそうです。
ただのちの高校時代に松岡さんはテニスに専念するため慶応から強豪校:柳川高校に転校し、さらにアメリカ(学校は現地のハイスクール)に渡り、反対する母親を説得し1986年にプロテニス選手となりました。
松岡修造さんの家族〜嫁は、元アナウンサー〜
嫁の情報
松岡修造さんの嫁・田口惠美子さん。
出身地:東京都
生年月日:1966年2月2日
学歴:日本女子大学文学部英文学科卒業・ハーバード大学教育大学院メディア専攻修士課程修了
1991年にテレビ東京に記者として入社し、のちにアナウンサーとなりました。
結婚と馴れ初め
1998年に結婚。
松岡修造さんと田口惠美子さんの間には、子供が3人(1男2女)います。
松岡修造さんと田口惠美子さんの出会いは、松岡さんが日本勢64年ぶりの快挙を達成した1995年のウィンブルトン選手権あたりでした。
修造は27歳で世界4大大会の1つ、ウィンブルドンへの切符を手に入れた。
そして、その頃テレビ東京アナウンサーの田口惠美子さんと運命的な出会いを果たす。修造は海外の遠征先から日本の惠美子さんに毎日のように電話。しかし惠美子さんの対応は冷静。熱い修造に対して冷静な惠美子さんがピッタリだった。
惠美子さんに支えられウィンブルドンに立った修造は、次々に強豪を撃破。ベスト8をかけた試合に挑んだ。あと一球でゲームが決まるという時修造は、子供の頃心に火をつけたあの言葉を叫んだ。
「この一球は絶対無二の一球なり」。
そして、日本人男子62年ぶりのベスト8進出という偉業を成し遂げた。
続く準決勝で、当時の世界ランク1位の選手に敗れはしたが修造は力の全てを出し切っていた。ウィンブルドンの2年後。修造はプロとしての戦いに終止符を打ち新たな人生へと進みだした。修造は新たな人生のパートナーとしてここまで支えてくれた惠美子さんに結婚を申し込む。1998年の4月19日、2人は晴れて船出の時を迎えた。
ウィンブルトンの快挙の裏には、現在の奥様・惠美子さんの支えもあったからこそだったのかもしれませんね。そして1998年に二人は結婚しました。
結婚前後に嫁に関する不穏な噂も
結婚前後には、田口惠美子さんの男性遍歴を中傷する怪文書が流れましたが、松岡さんは田口さんを信じたそうです。。
『(夫人に)とにかく、俺を信じろ』これは結婚を控え、怪文書に悩む、当時テレビ東京のアナウンサーだった惠美子夫人(49)にかけたとされる言葉。「婚約発表直後、実名を挙げて夫人の男遍歴を誹謗する怪文書がバラ撒かれた。“犯人”はテレ東内部ともいわれたが、松岡は『信じない』と彼女を守り抜いた」(芸能関係者)
また松岡修造さんといえば、奥様の出産時のエピソードも有名ですね。
・出産日を前後させる。
長女の出産予定日を巡って、こんな逸話がある。「奥さんが修造さんに“絶対に立ちあってほしい”と言ったんですが、彼には海外出張の仕事が入っていたんです。そしたら修造さんは“じゃあ、予定日を動かそう”と提案したんです」(松岡家の知人)
当時のことを修造は、ある雑誌のインタビューでこう明かしている。
《1週間出産を早めるために、階段を毎日何時間も上り下りして、無事に立ちあえました。もちろん僕も妻を励ましながら、一緒に延々上ったり下りたり》
長男のときはさらに過酷な状況だったという。
「長男の出産予定日は長期海外出張と重なっていて、立ちあうためには予定日を2週間遅らせる必要があったんです。修造さんは“とにかくじ~っとして動かないように”と奥さんに安静な生活を厳命し成功。無事、立ちあえたと聞きました」(前出・知人)
・予定日をずらして立ち会った出産日、その分泌室では松岡修造さん節が炸裂。
「勝負だ、勝負。勝負に出ろー!」(陣痛に苦しむ妻・惠美子さんに向かって)
長女の出産直前、分娩室で叫んだのがこの言葉。もちろん、相当な痛みだが、出産を“勝負”って…。ちなみにこの言葉を発する2時間前から、修造は「他の妊婦さんが出産の痛みに耐える声が聞こえると、妻が怖がるから」と、その声をかき消すほどのボリュームで歌い続けていたという。
以上のように、松岡修造さんのご家族となると日々熱い言動が見れそうですが、奥様との仲はどんな感じなのでしょうか。
嫁との現在の仲
嫁との仲は?
松岡夫妻は現在も仲が良さそうです。
松岡修造さんは、2015年の出演イベント時に奥様との時間を大切にしたいとコメント。
松岡は「子どもの時間より妻との時間を大切にしたい」と愛妻家の面をみせたが「食事に誘っても、(妻は)嫌って言うんですよね…」といい「僕が話し聞くより食べることに夢中になっちゃうから、一緒に行ってもつまらないって言うんですよ」と肩を落とした。
また亭主関白な松岡さんと奥さんは、現在では程よくバランスがとれている夫婦のようです。
「修造さんは亭主関白なんですが、それは惠美子さんに甘えてるから。もういっつも惠美子さんに嫌みを言ってます。“その服似合わないよ”とか、ホームパーティーでも“まずい”とは言わないんですが、“こうしたほうがもっといい”と言った後に、“まあ、おいしいよ”って言うんですよ。以前は惠美子さんも言い返していましたが、最近は完全に受け流していますね(苦笑)。一度、修造さんに“ストレス発散をどうしてるか”って聞いたら、“この人”って惠美子さんを指したことがあったんです。その場にいるみんな、呆れかえっちゃいましたよ。惠美子さんは“はいはい”って笑ってましたけどね。修造さんは彼女の前では、好きな子をいじめる小学生なんですよ」(芸能関係者)
松岡修造さんの子供は3人
子供の名前は?
松岡修造・田口惠美子夫妻には子供が3人!
松岡修造さんの子供達の名前は以下の通りです。
めでたく長女・恵(めぐみ)ちゃんが誕生。4年後には修(しゅう)くん。さらに2年後には二女・笑美(えみ)ちゃんが誕生。父親、松岡修造は子育ても熱血。何事にも真剣に取り組むこと。それが修造流子育て方だという。
長女が1999年生まれですので、2003年頃に次男、2005年頃に次女誕生という流れですかね。
子供達は松岡修造さんのことをどう思っている?
では、熱いキャラで知られる父親について子供達はどう思っているのでしょうか。2015年の松岡さん出演番組で、子供達が父親についてのアンケートに答えていましたのでご紹介です。
16歳の長女は「父親に対して困っていること」として「普通に道を歩いていても、知らない子どもに話しかけたり、大声で歌い出したりして、私が代わりにいつも謝っています」、12歳長男は「自分の料理を注文する時に量が多すぎて恥ずかしいからって、僕を指さしながら注文するのをやめて欲しい」「いきなり中国語っぽい言葉?で話すのをやめて欲しい」とアンケートに回答。
さらに16歳長女は、「友達や友達のお母さんにお父さんの事を聞かれてこまったことはありますか?」との質問に、「よくポジティブなお父さんでいいねと言われますが、ポジティブすぎて、けがをしてもおめでとうと言ってきて、本当に痛くて助けて欲しい時はウザいです」と答え、12歳長男は「家にいるときはどんなお父さんですか?」との質問に「ちょっとクレイジー」とピシャリ、そして10歳次女は「これからはちゃんと周りのこと考えてください」とコメントするなど、身近な人たちは、熱すぎて、我が道を突き進む松岡に苦労することも多いようだ。
父親に対しなかなかハッキリという子供達ですが、家族仲もよさそうで良いですね。
また上記で紹介した通り宝塚歌劇団とは縁深い松岡修造さんですが、2017年1月に、なんと長女の恵さんが宝塚音楽学校を受験するようだと報じられています。
「修造さんが子供たちにも熱血指導でテニスを教えていると思っている人も多いのですが、長女はバレエを熱心にやっていて、宝塚を受験するそうなんです」(松岡家の知人)
「松岡さんの長女は昨年も受験していて、2次試験で落ちたようです。でも、宝塚の試験は2度、3度挑戦するのは当たり前で、君島十和子さんの娘さんも2度目の挑戦での合格だったんですよ」(前出・宝塚ファン)
松岡の曾祖父・小林一三は、宝塚歌劇団の機関誌『歌劇』(1934年5月号)にこんなコメントを寄せている。《宝塚の方針は、努めて公平に、試験の結果その優秀なるものから採用する(中略)阪急の社員の家族だとか在学生の姉妹関係や、密接の親類関係からその家庭を斟しん酌しやくして入学せしむることは、(中略)試験は厳重に審査しているのであるからこの点は十分に信頼してほしいのである》
ちなみに松岡修造さんの娘・恵さんは、両親譲りの美形で非常にかわいいそうです。
松岡修造さんの娘が宝塚合格!
長女の松岡恵さん
松岡恵さんは2017年3月30日宝塚に合格しました。
ネットでは親のコネを疑う声もありましたが、松岡恵さん自身は宝塚でも通用する美貌だったので、驚きの声が上がっています。
松岡恵さんは1度宝塚の試験に落ちて、2回目で合格したそうなのでコネではなさそうですね。
◆修造の娘が宝塚合格
自身の母親が元星組男役スターの千波静である松岡は「沢山の人たちに感謝!」というタイトルで公式サイトのコラムを更新。
「この度、長女、松岡恵が宝塚歌劇団に合格しました」と報告し、自身も幼いころから宝塚歌劇団を観劇していたという松岡は「父親として心から嬉しく思います。僕を含め沢山の人に元気と幸せを与えてくれる場所だと思っています」と綴り「宝塚歌劇団は、人を応援できる力がある。娘には、創始者である小林一三さんのお言葉、『清く、正しく、美しく、朗らかに』を心に日々邁進してほしいと願っています」とエールを送った。また、「父親としての一番の願いは、健康に、そして僕のように周りの人たちに迷惑をかけないで、感謝の思いを大切に自分の道を歩んでほしいです」と娘へ熱い思いを綴っている。
松岡修造の長女・恵さんもサクラサク!宝塚音楽学校に40人合格 : スポーツ報知 https://t.co/HKgP8hNVQ4
— みき (@North_Fomalhaut) 2017年3月30日
一回目は落ちて、二回目の挑戦で受かったことをちゃんと書いてやれよ…
これじゃ七光りで受かったみたいで気の毒だ(ノД`)
松岡修造の娘が宝塚音楽学校に合格してコネだと叩かれてるけど、これ見てもそう言える?
— えみちゃん (@__Emichan___) 2017年3月30日
ひいひいじぃちゃん『宝塚創設』
ひいじぃちゃん阪急電鉄社長
じじぃ東宝社長
ばぁば元宝塚スター
親戚に東宝東和会長や三菱商事会長や阪急電鉄会長やサントリー会長や『宝塚歌劇団理事長』
パパ熱血テニス pic.twitter.com/a2gKb4lVBT
今後の松岡家にも注目ですね。