女優のような美貌と、モデルのような8頭身の抜群のスタイルで人気のテニスプレーヤー、マリア・シャラポワ。
しばらく世界ランキング1位だったのが2016年のドーピング問題で積み上げたものを失ってしまいました。
マリア・シャラポワの彼氏や結婚と合わせてドーピング問題の真相を総まとめしましたのでご紹介します。
マリア・シャラポワのプロフィール&生い立ち
マリア・シャラポワのドーピング問題には同情の余地がある?
マリア・シャラポワは2016年までは世界的スター選手として高い注目を集めてきましたが、ドーピング問題で出場停止処分を受けてからは心象は最悪となってしまいました。
現在は復帰して再び返り咲こうとしているマリア・シャラポワですが、ドーピング問題の影には彼氏との破局の影響があった可能性もあるようです。
マリア・シャラポワについてのプロフィールはこちら。
フルネーム: Marija Jurjevna Sharapova(マリア・ユーリエヴナ・シャラポワ)
国籍: ロシア
出身地: 同・チュメニ州ハンティ・マンシ自治管区ニャガン
居住地: アメリカ合衆国・フロリダ州
生年月日: 1987年4月19日
身長: 188cm
体重: 59kg
利き手: 右
バックハンド: 両手打ちツアー経歴
デビュー年: 2001年
ツアー通算: 39勝
シングルス: 36勝
ダブルス: 3勝
生涯獲得賞金: 36,574,188 アメリカ合衆国ドル
引用:Wikipedia – マリア・シャラポワ
マリア・シャラポワは日本好きとしても知られていますが、好きな日本食がしゃぶしゃぶと抹茶アイスということで、ツアーで来日した時に料亭などで食べたのかもしれません。
マリア・シャラポワはキャリアで初優勝を飾ったのが日本の草津国際女子オープンテニス大会だったこともあり、「キャリアの原点」だと語っているそうです。
日本とも馴染み深いマリア・シャラポワですが、ドーピング問題や彼氏との結婚について総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
マリア・シャラポワの生い立ち&経歴
マリア・シャラポワのテニスの才能は6歳で開花した
マリア・シャラポワは女性としては188センチと非常に高身長ですが、体格を合わせてスポーツ選手としての才能は抜群だったのでしょう。
マリア・シャラポワの両親はロシア人ではなくベラルーシ人ですが、マリア・シャラポワはロシアで生まれたためロシア人という扱いになっているそうです。
その経緯はマリア・シャラポワがまだ母親のお腹の中にいた1986年にチェルノブイリ原発事故が起きてしまい、影響を受けるホメリに住んでいた両親はロシアの西シベリアにあるニャガンという地域に移り住んだためのようです。
マリア・シャラポワは4歳の頃からテニスを始め、6歳の頃にプロテニスプレーヤーのマルチナ・ナブラチロワにそのセンスを見出されて、フロリダ州にあるニック・ボロテリー・テニスアカデミーへの入学を勧められました。
マリア・シャラポワは父親とともに7歳の頃に渡米したようですが、同校の入学資格が8歳だったことから入学できず、父親は入学するための費用を稼ぐためにアメリカで2年間働いたそうです。
マリア・シャラポワは個人コーチをつけて練習を続け、9歳の頃に同校の入学テストを受けたところ、あまりの才能の高さに特別奨学生として入学させてくれたようです。
マリア・シャラポワ、プロテニスプレーヤーとしての主な戦績
歴史に残る戦績を残し続けるマリア・シャラポワ
マリア・シャラポワはその圧倒的な強さから数々の大会で優勝をさらい、瞬く間に世界ランキング1位を獲得しています。
マリア・シャラポワは若干14歳にして2001年4月19日に女子テニス協会のツアーに参戦しました。
初のツアーは日本の草津国際女子オープンテニス大会で、中村藍子さんにストレート勝ちと圧倒的な実力差で下し初優勝をしています。
マリア・シャラポワは「キャリアの原点」だと語っていますが、日本好きの原点にもなったのかもしれませんね。
デビューから2年で世界的プレーヤーになったマリア・シャラポワ
マリア・シャラポワは2003年のウィンブルドンで4回戦進出したことからその才能に世界が気づくことになったようです。
マリア・シャラポワは注目を集めた2003年大会の翌2004年にウィンブルドンで4大大会初優勝を果たしてその存在感を不動のものにしました。
マリア・シャラポワはウィンブルドン女子シングルス優勝を17歳2ヶ月という若さで達成しており、これは1997年に16歳9ヶ月で達成したマルチナ・ヒンギスに次いで2番目となる快挙でした。
マリア・シャラポワはロシア女子テニス界の初の快挙を達成
マリア・シャラポワはロシアの女子プロテニス界では初となる世界ランキング1位を2005年に達成しています。
世界ナンバーワンプレーヤーとなったマリア・シャラポワの快進撃は止まらず、2006年には全米オープンで優勝しています。
しかし、マリア・シャラポワは2007年からは肩の怪我に泣くことになり、同年の全米オープンは連覇はならず、全豪オープンも準優勝に終わっています。
2008年では全豪オープンで優勝を果たすもののやはり肩の怪我に泣き、全仏オープンとウィンブルドンでは結果を残せずに終わっています。
さらに北京五輪への出場も断念せざるを得なかったことから、マリア・シャラポワは2009年から肩の手術を受けています。
肩の不調を乗り越えたマリア・シャラポワは2012年に史上10人目となるキャリアグランドスラムを達成し、4年ぶりに世界ランキング1位に返り咲きました。
マリア・シャラポワ、ドーピング問題の真相とは?
マリア・シャラポワのドーピング問題の真相は?
マリア・シャラポワは2016年にドーピングをして1年3ヶ月の出場停止命令を受けていますが、ロシアのスポーツ選手の習慣が招いたことだったようです。
マリア・シャラポワは2016年1月に開催された全豪オープンでの検査でドーピングが発覚しました。
世界アンチ・ドーピング機構(WADA)が禁止薬物に指定していたメルドニウムの陽性反応が出たことから、マリア・シャラポワは3月7日に記者会見を開いて事実を話し、自分の非を認めた上で国際テニス連盟(ITF)から長期間の出場停止命令が下る可能性を語りました。
国際テニス連盟から2年間の出場停止処分を受けるも、マリア・シャラポワ側の弁護団から処分の緩和を求めて裁判が開かれ、1年3ヶ月に処分が軽くなっています。
マリア・シャラポワ、特別待遇に不満続出?
ポルシェ・テニス・グランプリでワイルドカードで復帰したマリア・シャラポワ
マリア・シャラポワは出場停止期間の1年3ヶ月を終えて、ポルシェ・テニス・グランプリでワイルドカード(主催者招待枠)で復帰を果たしましたが、この特別待遇にトッププレーヤーを含む選手から不満の声が上がっているそうです。
マリア・シャラポワは出場停止期間中にそれまで稼いでいた世界ランキングポイントが全て消失していたため、全米、全豪、全仏、ウィンブルドンのグランドスラムへの出場権は無い状態でした。
これらの大会に出場するためには予選会の大会で結果を残さないといけないようですが、主催者招待枠であるワイルドカードがあればこれらの条件を無視して大会へ出場できるようです。
マリア・シャラポワはドーピング問題明けにいきなりポルシェ・テニス・グランプリでワイルドカードによる出場で復帰したことに不満を唱える選手は少なくなかったようです。
グランドスラム5度制覇の30歳はモデル並みの8頭身美女で絶大な人気を誇り、復帰がチケット販売の増加に結び付くと大会主催者は歓迎する。その一方で、ライバルたちはワイルドカード(主催者推薦)でいきなり大会に出場することに「選手に無礼」「嫌な存在になる」などと反感を抱いている。
しかし、ポルシェ・テニス・グランプリの主催者側からすれば集客力の高いスター選手であるマリア・シャラポワを出場させることで大きな経済効果を期待できるためビジネスのために招待したようです。
マリア・シャラポワはドーピング問題で出場機会を失いながらも2016年のフォーブス誌が発表した女子スポーツ選手の長者番付で2位に陥落したものの、それまで11年連続で1位だったそうです。
ポルシェ・グランプリの主催者はチケット販売の増加につながると期待する。実際、26日の初戦のチケットは完売し、約4500人の観客を集めた。シャラポワのインスタグラムには240万人のフォロワーがいる。米経済誌フォーブスがまとめた16年の女子スポーツ選手の長者番付ではシャラポワは2190万ドルでセリーナ・ウィリアムズの2位だったが、11年連続で1位を記録するほど高い経済的価値を誇る選手なのだ。
マリア・シャラポワがここまでのスター選手なら特別扱いも仕方無いのかもしれませんが、露骨な待遇はほかの選手への心象はやはり悪いでしょう。
シャラポワがフルセットの末敗退😢
— バモス!わたなべ (@watanabepreary) 2017年9月3日
ワイルドカードで4回戦まで進出。
WCがあっても無くても、シャラポワが戻って来るのは時間の問題!
試合を観て思ったのが「みんな待っていた」という事。未だ批判してるのは端の方の少数派。
映る客席も声援も、笑顔のガッツポーズマリアに送ってた。
マリア・シャラポワ、ドーピングをした理由と真相
メルドニウムはロシア選手の間ではサプリメント?
ロシアの薬局ではマリア・シャラポワがドーピング問題で問われたメルドニウムが簡単に手に入るようで、パフォーマンス向上のためにサプリ感覚で飲まれていたそうです。
マリア・シャラポワが使用してドーピング問題に問われたメルドニウムは抗虚血薬として使用されるもので、薬局でも一般的に手に入るものだということです。
元々、旧ソ連兵が持久力向上のために使用していた薬で、その後もロシアのスポーツ選手を中心にパフォーマンス向上の薬としてサプリ感覚で使用されてきたそうです。
2016年からこのメルドニウムが世界アンチ・ドーピング機構によって禁止薬物に指定されましたが、その事実を知らずに使用し続けドーピングの違反を受ける選手もおり、確信犯の選手を含めて99件あったようです。
マリア・シャラポワもそれまでずっと使用してきたようで、2016年から突然使用禁止になったことに戸惑いがあったことでしょう。
特にマリア・シャラポワは2015年に成績が振るわなかったことから焦りもあったと思いますが、彼氏とも別れた時期でもあったため精神的な不安定さもあったのかもしれません。
シャラポワの2年間の出場停止は妥当だと思う。フィギュアスケートのイタリアの選手だって彼氏のドーピング隠しで処分されたし。ロシアのドーピング隠し?に対するスケープゴートにされた的な見方もあるんだろうけど、ちゃんと確認しなかったシャラポワ側に非がある。
— fhgxx@のーみゅーじっくのーらいふ (@fhgxx) 2016年6月10日
マリア・シャラポワ、元彼氏と婚約解消で結婚が遠のく?
マリア・シャラポワ、婚約者と2012年に破局
マリア・シャラポワはNBAのロサンゼルス・レイカーズに所属するバスケットボール選手のサーシャ・ブヤチッチと婚約していましたが2012年8月に解消しています。
マリア・シャラポワとサーシャ・ブヤチッチは2010年10月に婚約していましたが、2012年にサーシャ・ブヤチッチがツイッターで破局したことを発表して発覚しました。
マリア・シャラポワも婚約解消の事実を認めて「今春に別れた」とコメントしています。
婚約解消後に発覚したことについては、マリア・シャラポワは「自分から物事を発表するタイプではないし、誰も質問してくれなかった」と語っています。
マリア・シャラポワ、元彼氏サーシャ・ブヤチッチとの破局理由
トッププレーヤー同士のすれ違いから破局した
マリア・シャラポワもサーシャ・ブヤチッチもともに世界トッププレーヤーであり、サーシャ・ブヤチッチがトルコに移ったことで溝が生まれて破局につながったようです。
マリア・シャラポワは婚約解消した理由について、自身がツアーで多忙なことに加えて、元彼氏のサーシャ・ブヤチッチがプレーの場をトルコに移したことで会いづらくなりすれ違いが生じたと語っています。
サーシャ・ブヤチッチは2010~2011年はNBAでプレーしていましたが、その後トルコに移りロサンゼルスにある自宅にも1度も帰らなかったそうです。
そのため、マリア・シャラポワはトルコ・イスタンブールで11月10日に挙式をすることも予定にあったようですが、関係を継続することに将来が見えなかったようですね。
しかし、マリア・シャラポワは共に最高のパートナーだったことを伝え、現在も友人として関係を続けていることを語っています。
「まだ結婚のチャンスはある」と語っていることから今後マリア・シャラポワとサーシャ・ブヤチッチは復縁する可能性もあるかもしれませんね。
シャラポワの元彼のブヤチッチってレイカーズのプレイヤーだっけ。急がしそうやしスケジュール合わなくて別れたとかなのかね。
— 樹生 (@tatsunikomi) 2014年9月9日
マリア・シャラポワ、現在彼氏はいる?
マリア・シャラポワ、2013年頃から2015年まで新彼氏がいた
マリア・シャラポワは2013年頃にブルガリア出身のテニスプレーヤー、グリゴール・ディミトロフと交際していることが明らかになりました。
マリア・シャラポワはサーシャ・ブヤチッチと破局した翌2013年頃にブルガリア出身のテニス選手であるグリゴール・ディミトロフと熱愛していることが分かりました。
しかし関係は続かずに2015年に破局しているようで、2016年にマリア・シャラポワがドーピング問題を起こしていることからも、この失恋の影響もあった可能性が勘ぐられてしまうようです。
ディミはシャラポワの彼氏だったという夢のような過去があるからもう一生勝てなくてもお釣りが来るな
— umi (@ariaiyum) 2015年8月21日
マリア・シャラポワについてまとめると・・・
女子プロテニス界で世界ランキング1位であり、11年連続長者番付1位を記録してきたマリア・シャラポワについて総まとめしてきました。
マリア・シャラポワのドーピング問題は悪質なものだと判断できなかったことから処分期間が短くなり、ワイルドカードでの復帰も認められたのでしょう。
マリア・シャラポワは現在彼氏がおらずフリーの状態のようですが、またすぐに新しい彼氏ができると思いますので注目が集まるところです。