元アナウンサーで神奈川県知事の黒岩祐治さんの不倫や恥ずかしいメールを週刊文春が暴露し話題です。
この記事では黒岩祐治さんの若い頃の学歴や経歴、家族や嫁との結婚や2人の子供、週刊文春が報じた内容や恥ずかしい不倫メールなどについてまとめました。
この記事の目次
- 黒岩祐治のプロフィール
- 黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴① 出身小学校は芦屋市立精道小学校
- 黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴② 出身中学校は私立の名門・灘中学校
- 黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴③ 出身高校は灘高等学校
- 黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴④ 出身大学は早稲田大学政治経済学部
- 黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴⑤ フジテレビに入社し政治部や報道局社会部などで活躍
- 黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴⑥ 報道番組のアナウンサー(キャスター)として人気に
- 黒岩祐治の家族① 父親は鹿児島県出身でがんで他界
- 黒岩祐治の家族② 母親は教育熱心だった
- 黒岩祐治の家族③ 弟が1人おり姪っ子はロックバンドのドラム
- 黒岩祐治の結婚と嫁
- 黒岩祐治の子供① 長男・直輝さん
- 黒岩祐治の子供② 次男・和輝さん
- 黒岩祐治の11年間不倫を週刊文春がスクープ
- 黒岩祐治の不倫メールを週刊文春が暴露
- まとめ
黒岩祐治のプロフィール
黒岩祐治のプロフィール
生年月日:1954年9月26日
出身地 :兵庫県神戸市
血液型 :O型
黒岩祐治(くろいわ・ゆうじ)さんは、フジテレビの元ニュースキャスターで、2011年からは神奈川県知事を務める政治家です。
2023年4月には4期連続となる神奈川県知事当選が決まるなど、政治家として人気の高い人物ではあるのですが、ちょうどこの選挙期間中に週刊文春が、黒岩祐治さんの11年間にわたる不倫スキャンダルをスクープし、不倫相手に宛てたあまりにも恥ずかしいメールの内容も暴露するなどしたため大炎上しています。
ここではそんな黒岩祐治さんについて改めてまとめていきます。
黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴① 出身小学校は芦屋市立精道小学校
黒岩祐治さんの若い頃からの学歴や経歴について時系列順に紹介していきます。
黒岩祐治さんは兵庫県神戸市の生まれですが、その後引っ越しをしたのか出身小学校は「芦屋市立精道小学校」です。
小学生時代の黒岩祐治さんは優等生タイプだったそうで、両親のいう事もよく聞く子供だったという事です。
また、小学校低学年の頃には早くも政治家を志していたそうです。
私が政治家を志したのは、実は小学校の低学年の頃でした。
黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴② 出身中学校は私立の名門・灘中学校
黒岩祐治さんの出身中学校は、全国トップクラスの私立の名門男子校である「灘中学校」(偏差値73)です。
黒岩祐治さんは1度目の受験では落ちて公立の中学校に入学したものの、1年後に再挑戦して灘中学校に入学されたそうです。
黒岩 ええ、ただ灘中学を受験したのですが、落ちてしまったんです。
谷口 そうでしたか。ストレートではなくて。
黒岩 ええ、ここから人生が不思議な展開をしていくんですね 笑 。とてもショックでした。父がガックリとしょげていて、その姿を見て悪いことしたような気分になったんです。それで公立の中学校に入学したんですが、 1年後にもう1回受け直しました。それで合格して灘中学へ進学しました。
中学の途中に父親の転勤で家族が神奈川県藤沢市に転居したため、黒岩祐治さんは下宿で1人生活しながら灘中学に通っていたそうです。また、中学時代には演劇部も創部されています。
黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴③ 出身高校は灘高等学校
黒岩祐治さんは高校は内部進学で灘高等学校(偏差値79)へと進学されています。
黒岩祐治さんは高校時代は水泳部に所属し、生徒会長も務めるなど文武両道の模範的生徒でした。
高校2年生の時にはミュージカル映画「ウエスト・サイド・ストーリー」を観てミュージカルの世界に魅了されてしまったそうです。
黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴④ 出身大学は早稲田大学政治経済学部
黒岩祐治さんは東京大学を志望するも落ちてしまい、上京して1年間予備校に通って再度受験するもこれも落ちてしまいます。
最終的に黒岩祐治さんは東京大学進学を諦め、「早稲田大学」の政治経済学部の政治学科へと進まれています。早稲田大学入学後は神奈川県横浜市旭区二俣川で下宿されていたそうです。
黒岩祐治さんは早稲田大学ではミュージカル研究会に入って演劇に打ち込まれています。ミュージカル研究会の同期にはお笑いタレントで俳優のラサール石井さんがいました。
また、政治家になる夢も持っていたため雄弁会にも入っています。しかし、派閥や権力闘争に嫌気がさして、その派閥にも加わらずに1人で離れていたそうです。ある時に派閥抗争をやめようという話になり、それならばどこの派閥にも属さない黒岩祐治さんを幹事長にしようという声が持ち上がったのだそうです。
黒岩祐治さんはその声に応えて幹事長選に立候補したそうなのですが、圧勝が予想されていたにも関わらず落選してしまったそうです。黒岩祐治さんはこの雄弁会での幹事長選挙を通じて、権力争いの不可解さや政治の現実を知ったと語られています。
黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴⑤ フジテレビに入社し政治部や報道局社会部などで活躍
早稲田大学を卒業後の1980年4月に、黒岩祐治さんはフジテレビに入社しています。
「FNNスーパータイム」や「報道2001」などの報道番組のアナウンサー(正確にはキャスター)として知られている黒岩祐治さんですが、当初はアナウンサーではなくディレクターを志望しての入社でした。
黒岩祐治さんは大学時代の雄弁会での経験から、政治家になっても自分の思っている政治はできないが、テレビで伝える事で政治を変える事はできるかもしれないと考えてテレビ業界で働く事に決められたのだそうです。
黒岩 ええ、それでフジテレビの最終面接でこれまでの話をし、政治家になったら自分の思っている政治ができないけれども、テレビで伝えることによって変えることができると話したんです。
入社から3年間、営業部で営業を担当した後、1983年4月から報道局に配属され、報道局政治部記者として自由民主党への取材や選挙開票特番を担当されています。
1985年からは報道局社会部に異動になり、事件や事故などの取材も経験されています。
1987年からは1年間、ノンフィクション番組のディレクターも担当されています。(現在放送中の「ザ・ノンフィクション」とは別の番組)
黒岩祐治の若い頃の学歴や経歴⑥ 報道番組のアナウンサー(キャスター)として人気に
黒岩祐治さんは33歳だった1988年4月から、夕方の報道番組「FNNスーパータイム」の週末版のアナウンサー(正確にはキャスター、アンカーマン)を務められています。
同番組では、黒岩祐治さん自身が企画、取材、編集を担当した「救急医療にメス」が1989年1月から2年間にわたって特集され、これが、第16回放送文化基金賞、日本民間放送連盟賞を受賞しています。
出典:https://kamaenitachiyoru.com/
1991年4月からは安藤優子さんと組み「FNNスーパータイム」の平日版のメインキャスター、アンカーマンを務めています。
その後も主に報道番組のキャスターとして活躍。1992年4月から1997年3月にかけては「報道2001」、FNNワシントン支局の海外特派員と支局長を経て、1999年4月から「FNNスーパーニュース」平日版のメインキャスターを担当しました。
出典:https://anchan-nonbiri.com/
2008年10月に「新報道2001」にリニューアルされた後は、同番組のコメンテーターとしてニュース解説を主に担当し、2009年9月30日にフジテレビを退職。同年10月から国際医療福祉大学大学院教授に就任し、医療や福祉に関するメディア論や報道の検証を中心に研究されていました。
そして、2011年に神奈川県知事選挙に出馬して初当選を果たし、政治家としての道に進まれています。黒岩祐治さんはその後も当選を続け2023年4月現在も神奈川県知事を務められています。
黒岩祐治の家族① 父親は鹿児島県出身でがんで他界
続けて、黒岩祐治さんの家族についてもまとめていきます。
黒岩祐治さんの実家の家族構成は、両親と弟が1人の4人家族でした。
黒岩祐治さんの父親は鹿児島県出身で、明治維新で国を動かした薩摩隼人としての誇りがあり、常々「国を動かすこと、それが素晴らしい生き方だ」と黒岩祐治さんに語っていたそうです。
私の父は鹿児島県出身でしたので「薩摩隼人」であるということを大変誇りに思っていて、私に対しても「おまえは薩摩隼人だ」と、子どもの頃から毎晩聞かされていました。
黒岩祐治さんが灘中学校・灘高校を経て東京大学を目指したのも、父の教えに影響を受けてのものだったそうです。
そんな黒岩祐治さんの父親は80歳を超えて末期の肝臓がんが見つかり、1度は余命2ヶ月の宣告を受けるも、漢方や食事療法を取り入れた治療で元気を取り戻し、がん告知から2年半を元気に過ごされた後に亡くなられています。
黒岩祐治さんは父の命日である2020年3月11日に、末期がんからの復活を果たした在りし日の父親とステーキハウスに行った思い出の写真をツイートされていました。
今日は私の父親の命日。末期の肝臓がんながら、「未病」の発想で完全復活を果たした父の体験が「未病コンセプト」をアピールする今の私の原点。写真は余命2か月を宣告された後、完全に元気になり、一緒にステーキハウスに行った時のもの。こんな笑顔を一つでも増やしたい、それが私の願いです。 pic.twitter.com/8Z3nvRyJRX
— 黒岩祐治 (@kuroiwayuji) March 11, 2020
黒岩祐治の家族② 母親は教育熱心だった
黒岩祐治さんの母親はとても教育熱心な方だったそうで、黒岩祐治さんが勉強を頑張ったのは母親が喜んでくれるのが嬉しかったからだったそうです。
黒岩 母も教育熱心な人でした。私がなぜ勉強をがんばったかといいますと、とても単純な理由で、自分が良い成績を取ると母がとても喜んでくれたからです。
黒岩祐治さんの母親は2023年の現在は89歳と高齢ながら健在で、神戸の実家で元気に暮らしているとの情報が確認できますが、情報源が不明で真偽不明です。
黒岩祐治の家族③ 弟が1人おり姪っ子はロックバンドのドラム
黒岩祐治さんは弟が1人います。
黒岩祐治さんによると、弟はあまり両親のいう事を聞かないタイプだったので、長男である自分がしっかりしなければと思い優等生になった部分もあったのだそうです。
黒岩 私はどちらかというと優等生タイプでしたね。弟がひとりいるのですが、弟は親の言うことをまったく聞かなくて、長男の私がちゃんと親の言うことを聞かなければというタイプでした。
黒岩祐治さんの弟さんについては詳細な情報はないのですが、弟さんの長女が「MAHOROBA」というスリーピースのロックバンドでドラムを叩いている事が黒岩祐治さんのTwitterで明かされています。
マホロバというカッコいいバンドがデビューしました。なんと、ドラムをたたいているのは、私の弟の長女です。普段は大人しい物静かな子なんですが、ドラムの前では人格が変わります。弟も親バカを自認していますが、私も伯父バカで、ご紹介します。https://t.co/22a5rcaA62
— 黒岩祐治 (@kuroiwayuji) March 1, 2017
「MAHOROBA」というバンドのオフィシャルページを確認したところ、黒岩祐治さんの弟の長女のドラマーの方はRISAさんという名前で活動されているようです。ただ、このバンドは2019年のライブを最後に活動休止中のようです。
お前らの来場を心待ちにしてるぜ RISA pic.twitter.com/KmVEoTfGy4
— MAHOROBA (@MAHOROBA_JPN) February 25, 2017
黒岩祐治の結婚と嫁
出典:https://img.news.goo.ne.jp/
黒岩祐治さんは結婚していて嫁がいますが、結婚した時期や結婚の経緯、嫁がどのような女性かなどの詳しい内容は全く公開されておらず不明です。
ただ、黒岩祐治さんには息子が2人いて、長男の青年が1983年、次男の年齢が2023年で36歳である事がわかっているため、そこから推測して黒岩祐治さんが嫁と結婚した時期は遅くとも20代後半ではないかと思われます。黒岩祐治さんの子供2人については後述します。
黒岩祐治さんは嫁については、2015年に地元紙の取材に「休日には妻とミュージカルや映画などを楽しみエネルギーを充電する」と回答。
2019年にも知事選への出馬を決めた事に関して、「妻の納得を得られるかどうかも課題の1つだった」と回答されています。
他にも、黒岩祐治さんは、結婚記念日や嫁の誕生日などの記念日を欠かさず祝う事などを公表されていて、嫁や家族を大切にしている事をよくアピールされていました。
ただ、2023年4月に「週刊文春」が、黒岩祐治さんが嫁を裏切って11年にわたって別の女性と不倫関係を続けていた事を暴露し炎上に発展しています。
黒岩祐治の子供① 長男・直輝さん
出典:https://yamagata-dainigeka.jp/
黒岩祐治さんには嫁との間に子供が2人産まれています。
黒岩祐治さんの子供は2人とも息子さんで長男は直輝さんという名前である事がわかっています。
黒岩祐治さんの長男の直輝さんですが1983年生まれで、海城中学・高等学校を経て東京大学文学部を卒業した学歴を持つ優秀な方です。
大学卒業後はオリンピックマーケティングに関わり、日本オリンピック委員会(JOC)や東京オリンピック・パラリンピック競技団体組織委員会などで活躍。東京五輪では、国際オリンピック(IOC)との交渉などに従事されています。
黒岩祐治さんは、2017年の三浦国際市民マラソンに長男の直輝さんと、次男の和輝さん(後述)と一緒に出場した事など、子供2人とのエピソードをよくTwitterに投稿されていました。現在は一連のツイートは削除されていますが子供2人との関係は良好なようです。
また、黒岩祐治さんの過去のツイートによると、長男の直輝さんは結婚されていて男の子が誕生していて、黒岩祐治さんにとっての初孫だという事です。
黒岩祐治の子供② 次男・和輝さん
黒岩祐治さんの2人目の子供は次男の和輝さんという方で、一橋大学商学部1年生だった2006年9月にインターンで手塚仁雄衆議院議員の事務所で政治の勉強をされています。この事から2023年の現在は36歳前後と思われます。
黒岩祐治さんの次男の和輝さんの学歴は駒場東邦中学・高等学校を経て、一橋大学の商学部を卒業されています。
大学卒業後はアフラック生命保険株式会社を経て、2023年の現在は一般社団法人横浜青年会議所の常任理事を務められています。
黒岩祐治さんの次男の和輝さんもすでに結婚されていて、2018年7月に子供も生まれています。和輝さんの子供は女の子で、黒岩祐治さんにとっては2人目の孫になります。
黒岩祐治の11年間不倫を週刊文春がスクープ
神奈川県知事選の3日前の2023年4月6日に発売された「週刊文春」(4月13日号)が、黒岩祐治さんが過去に11年間にわたって嫁を裏切り、都内の企業で働くキャリアウーマンの年下の女性A子さんと不倫関係にあったとする衝撃的な記事を掲載しました。
週刊文春の記事は不倫相手のA子さんの告発によるものです。
週刊文春の記事によると黒岩祐治さんはフジテレビのキャスター時代の2000年7月にこの不倫相手のA子さんと知り合ったそうです。
黒岩祐治さんと不倫相手のA子さんとの馴れ初めは共通の友人が主催する会合で、黒岩祐治さんの方からA子さんに話しかけ、2次会で複数人でバーに行った後、帰り方向が一緒だったため黒岩祐治さんが赤いアルファロメオでA子さんを送って行く事に、その途中にいい雰囲気になりキスをしたのだそうです。
この時に黒岩祐治さんは「僕はバレなければ不倫してもいいと思う」とA子さんに伝えたのだそうです。
その翌日、黒岩祐治さんはA子さんに再開を楽しみにしているという内容のメールを送り、2ヶ月後に西麻布の焼肉屋デートで再会。この時にも黒岩祐治さんとA子さんは店の個室でキスをしたそうです。
黒岩祐治さんがA子さんが肉体関係を持ったのは2000年の秋頃で、黒岩祐治さんの方から「今度はホテルで会いましょう」とメールが来たそうです。しかも黒岩祐治さんはメールに「僕は絶対ラブホテルはダメ!ちゃんとしたシティホテルを予約してね」とも書いていたのだとか。
1度肉体関係を持った後は、週2回から月1回ほどの頻度で、密会を重ねていたとの事です。A子さんによると、黒岩祐治さんはどんなホテルに宿泊しても絶対に2万円しか出さず、足が出た分はA子さんが負担していたのだそうです。
その後も関係は続きましたが、2004年にA子さんが結婚すると一時的に関係は中断。
しかし、A子さんは結婚生活がうまくいかずにマンションで一人暮らしを始めると、再び不倫関係が始まり、黒岩祐治さんはA子さんのマンションを訪れるようになったそうです。
黒岩祐治さんはA子さんの自宅マンションを「クラブ」と呼び、「今日は食事いる。ビールもよろしく」といった内容のメールを送って訪れるようになったのだとか。
しかし、2008年に「報道2001」のリニューアルが決まり、黒岩祐治さんはメインキャスターからコメンテーターに配置換えされてしまいます。これを境にして、黒岩祐治さんとA子さんの関係には綻び始めたそうです。
週刊文春が報じた内容によると、黒岩祐治さんはA子さんに「いつでも辞めてやる」などとフジテレビへの不満を漏らすようになり、2009年にフジテレビを退社。
2011年3月に神奈川県知事選に出馬する事を決めると、A子さんに「四月の知事選に出馬するつもりだ。今後は忙しくなるから逢えなくなる」と一方的に告げてきたそうです。
そして、黒岩祐治さんは神奈川県知事に初当選を果たすと、A子さんに対する態度を豹変させ、電話をかけても「バカヤロウ」などと怒鳴り散らしてくる事もあったのだとか。それでも黒岩祐治さんはA子さんと肉体関係を続けていますが、事が終わるとさっさと帰ってしまったのだそうです。
そして、2011年8月26日に、黒岩祐治さんは電話で一方的にA子さんに別れを告げ、「遊びだったんだよ!」と言い放ったのだそうです。
A子さんは怒りを覚え、「関係を奥さんに伝える」と言い返したそうです。すると、黒岩祐治さんは慌て「会って話そう」と言い始め、六本木のカラオケボックスで話し合いをもったのだそうです。
ここで、黒岩祐治さんはA子さんに「関係を続けよう」と言ってきたそうなのですが、A子さんは「私を性のはけ口として弄んでいただけだった」と感じていたため、その申し出を拒否しています。
そしてA子さんはその数ヶ月後に、黒岩祐治さんから送られたメールの画面をプリントアウトし、黒岩祐治さんの自宅へと送りつけています。
その後、黒岩祐治さんから「家内が自殺してしまう」と電話があったそうで、これが黒岩祐治さんとA子さんの最後の会話となったのだそうです。
週刊文春の記事では、この時にA子さんが黒岩祐治さんの自宅に送りつけたメールが画像付きで公開されており、そのあまりにも下品な内容が世間に衝撃を与えています。
週刊文春が暴露した黒岩祐治さんの不倫メールの内容は次の見出しで紹介します。
黒岩祐治の不倫メールを週刊文春が暴露
「週刊文春」が掲載した黒岩祐治さんの不倫メールは以下のような内容です。
そんな黒岩氏の不倫関係にあったのは、都内在住のA子さん。「週刊文春」は不倫を裏付けるメールを入手した。
例えば、2002年10月5日、黒岩氏はA子さんにこんなメールを送っている。
〈A子の料理ってどんなかな?アワビにバナナをさしたやつとか、桃にキュウリをさしたやつとか・・・(とにかくなんでもさす!)そんなチョー下品なメニューしか想像できないよ~ん。まともな料理ができるんなら、一度、お試しコースを企画しなくちゃネ〉
黒岩氏は「報道2001」でも医療問題に注力していたが、2002年10月12日のメールでは、放射線技師の学会で講演してきたことに触れ、次のようなメールを送っていた。
〈レントゲンを撮る技師さんたちなんだけど、医療の世界じゃ日陰者扱い。だからこそ、「すごいエネルギーがたまってる」って「感じ」たよ。A子は日陰者じゃないけど、いつも「すごいエネルギーたまってる」し、「感じ」やすいよな~。エックス線でもあてたろか? なに~、セックス線だって!ばっかぁ~っ!また言っちゃった!なにまたイっちゃった!?
2003年10月20日には、番組に絡めたような内容のメールも送っている。
〈本番前のホンバン?バッカァ~!!生放送前のナマだよ~!!ニュルニュル~~~。ビチョォッ~~~~。ドキュ~~~~~~~ン!!〉
2009年頃からは黒岩祐治さんはA子さんにアダルトビデオの購入を求めるようになり、メールでもそれを要求していたそうです。
2009年頃になると、黒岩氏はA子さんに“新たなプレイ”を要求するようになる。A子さんに、アダルトビデオの購入を求めていたのだ。例えば、2009年7月15日、黒岩氏はこんなメールを送っている。
〈10時頃にはなるけど、メシとビールをよろしく! それと新作もネ〉
さらに、A子さんが母親の具合が悪かったためにアダルトビデオの購入できなかった事をメールで伝えた時にさえ、黒岩祐治さんは下のようなメールを返信してきたのだとか。
A子さんが「母親の具合が悪く、看病していて買い忘れた」旨の返信をすると、黒岩氏はこう返すのだった。
〈前から発注しとけ!言うてるやないか ママが具合悪いときに、エッチビデオは買えへんてか?エッチビデオは無理でもエッチはできるっちゅうんかい〉
見るだけで気分が悪くなるような品の無いメールの内容で、怒りを通り越してドン引きしている方が多いようです。特に神奈川県民からは批判的な意見が多く上がっています。
まとめ
今回は週刊文春に11年間にわたる不倫と、不倫相手に送った恥ずかしいメールを暴露されてしまった神奈川県知事の黒岩祐治さんについてまとめてみました。
黒岩祐治さんは若い頃は、両親と弟が1人の4人家族で育ち、名門私立の灘中学校から灘高校を経て、早稲田大学の政治経済学部政治学科を卒業した学歴を持ち、その後はフジテレビに入社して報道局政治部や報道局社会部で活躍。そして報道番組のニュースキャスターとして人気を得た輝かしい経歴を持ちます。
黒岩祐治さんは20代の後半頃に結婚しており、嫁との間には2人の子供が生まれています。黒岩祐治さんの子供は2人とも息子さんで、共に優秀な学歴を持ち卒業後も活躍されています。
こうした輝かしい経歴や家族を持つ黒岩祐治さんでしたが、2023年4月に週刊文春が11年にわたる過去の不倫と、不倫相手に送った恥ずかしいメールの内容を暴露して炎上しています。
黒岩祐治さんは神奈川県知事選に勝利して4期目を務めていますが、神奈川県民からは批判的な声も少なからず上がっているようです。