鈴木泰徳は2004年12月から2005年1月にかけて、通りすがりの女性3人を強盗と強姦目的で殺害した凶悪犯です。
この記事では鈴木泰徳の事件の概要、生い立ちや実家、母親などの家族、理不尽に殺害された被害者について、犯行の動機や死刑の執行、最後の言葉、現在などについてまとめました。
この記事の目次
- 鈴木泰徳は「福岡3女性連続強盗殺人事件」の犯人
- 鈴木泰徳の起こした「福岡3女性連続強盗殺人事件」の概要
- 鈴木泰徳の生い立ち① 実家は直方市で自動車整備工場を経営
- 鈴木泰徳の生い立ち② 中学時代は下着窃盗の常習、高校時代は突然キレる
- 鈴木泰徳の生い立ち③ 自動車関係の専門学校を出て実家の整備工場で働く
- 鈴木泰徳の生い立ち④ 犯行時は運送会社、逮捕時は土木作業員として勤務
- 鈴木泰徳の家族① 母親
- 鈴木泰徳の家族② 父親
- 鈴木泰徳の家族③ 犯行当時看護師の嫁と結婚していて幼い子供がいた
- 鈴木泰徳の被害者(福岡3女性連続強盗殺人事件の被害者)
- 鈴木泰徳の動機は強盗と強姦
- 鈴木泰徳の裁判の判決は「死刑」
- 鈴木泰徳の現在…2019年8月2日に死刑執行・最後の言葉とは
- まとめ
鈴木泰徳は「福岡3女性連続強盗殺人事件」の犯人
鈴木泰徳は、2004年12月から2005年1月の間に福岡県内で発生した「福岡3女性連続強盗殺人事件」の犯人です。
鈴木泰徳は、強盗と強姦を目的で無差別に女性を物色し、わずか約1ヶ月の間に通りすがりの女性3人を相次いで襲撃し、躊躇する事なく全員を殺害してその所持品を奪いました。
今回はこの残虐極まりない犯行を重ねた鈴木泰徳についてまとめていきます。
鈴木泰徳の起こした「福岡3女性連続強盗殺人事件」の概要
最初に、鈴木泰徳が起こした「福岡3女性連続強盗殺人事件」の概要を簡単にみていきます。
第1の被害者・久保田奈々さんが強姦され殺害される
2004年12月12日の23時40分頃、歯科技工士の専門学校に通っていた久保田奈々さん(当時18歳)が、強盗・強姦目的に無差別に女性を物色していた鈴木泰徳に背後から口を塞がれ、福岡県飯塚市の公園に無理矢理連れ込まれて、つけていたマフラーの両端を引っ張って気絶させられた後、強姦されました。
鈴木泰徳は、久保田奈々さんに顔を見られたため、証拠隠滅のために殺害しようと考え、再びマフラーを引っ張って首を絞めて久保田さんを殺害しています。
鈴木泰徳は久保田奈々さんの所持品を奪おうと考えましたが、その時に道路の方にトラックが停まり、運転手が降りてくる気配があったため、何も取らずに逃走しています。
第2の被害者・大中敏子さんが刺殺され所持品を奪われる
最初の犯行から19日後の2004年12月31日の大晦日、その前夜から強姦と強盗のターゲットを物色していた鈴木泰徳は午前7時頃、北九州市小倉南区内の駐車場に車を停めて周囲を伺っていました。
そこへ、仕事先に向かうパート従業員・大中敏子さん(当時62歳)が通りかかりました。大中さんは若々しいコートを着てフードをかぶっていたため、鈴木泰徳は若い女性だと誤認して襲う事を決め、用意していた刺身包丁を持って背後から大中さんに近づきました。
近づいてみると、大中さんが「50歳以上の女性だとわかった(裁判記録より)」ため、鈴木泰徳は強姦を諦め、大中さんのバッグを奪うだけに方針を変えました。
この直後、鈴木泰徳はいきなり背中から大中さんを刺身包丁で刺しています。被害者の大中さんは、約60メートルほども逃げ、「命だけは助けて」と命乞いをしていますが、鈴木泰徳は執拗に追いかけ、大中さんに馬乗りになるようにして背部や胸部を何度も刺し、最後は心臓を深くさして大中さんを殺害しています。
鈴木泰徳さんは、約6000円の入った財布と携帯電話が入った大中さんのバッグを盗んで逃走しています。
第3の被害者・福島啓子さんが刺殺され所持品を奪われる
さらに、18日後、年が明けた2005年1月18日5時30分頃、鈴木泰徳は仕事で配送車(保冷車)で福岡市博多区を走行中に、仕事先の福岡空港へと歩いて向かう、大手航空会社子会社の社員の福島啓子さん(当時23歳)を見つけ、強姦と強盗のターゲットに定めています。
鈴木泰徳は、配送車を駐車場に停めると、刺身包丁を持って降りて福島啓子さんを尾行し、公園の前に差し掛かったところで後ろから口を塞いで刃物を突きつけるとそのまま公園内へと福島さんを引きずり込みました。
鈴木泰徳は福島さんを強姦しようと激しい暴行を加えていますが、公園前の路上をバイクが通るなどしたため、強姦を断念し、顔を見られたからという理由で、福島さんの背中や腹部などを複数回刺し、財布と携帯電話、ポータブルCDプレイヤーなどが入ったバッグ(総額約45000円相当)を盗んで逃亡しました。
鈴木泰徳はこの犯行後も何食わぬ顔で仕事を続け、仕事後の午前6時半に再度公園へと戻り、福島さんが瀕死の状態である事を確認。「まもなく死亡するだろう」と考えて、そのまま放置して立ち去っています。
最後の事件から1ヶ月半後に鈴木泰徳を逮捕
鈴木泰徳は、3件の犯行後も何食わぬ顔で生活を続けていました。
鈴木泰徳は、被害者達から盗んだ携帯電話を使用して出会い系サイトなどを利用してたため、その電波から位置情報が特定され、2005年3月8日の午前1時頃、直方市内の自宅近くに停めた自家用車の中で福島啓子さんから奪った携帯電話でアダルトサイトにアクセスしているところを発見され、占有離脱物横領で現行犯逮捕されました。
その後、鈴木泰徳は犯行を自供し、3月10日に強盗殺人容疑で逮捕されています。
鈴木泰徳の生い立ち① 実家は直方市で自動車整備工場を経営
続けて、鈴木泰徳の生い立ちについて、現在までにわかっている内容を順番にまとめていきます。
ノンフィクションライターの小野一光さんの書籍によれば、鈴木泰徳の実家は福岡県直方市の南部にある町で、実家は自動車整備工場を営んでいたという事です。
鈴木は直方市の南に位置する町で、自動車整備工場を経営する家に生まれた。
引用:3人の女性を殺害した元死刑囚・鈴木泰徳の素顔「奪った携帯でアダルトサイトにアクセス」「パチンコやスナック遊びで夫婦生活を拒絶され…」
直方市内には自動車整備会社が非常に多数あり、経営者が鈴木さんという方もかなり多いので、鈴木泰徳の実家がどこかを特定するのは難しいようです。また、現在もこの実家が自動車整備工場を経営しているのかも不明です。
鈴木泰徳の生い立ち② 中学時代は下着窃盗の常習、高校時代は突然キレる
鈴木泰徳は直方市内の公立中学校を出ています。裁判記録によると、鈴木泰徳は中学生の頃に女性の下着の窃盗を繰り返していたようです。
鈴木泰徳は中学卒業後、鞍手郡宮田町(現在の宮若市)の農業高校へと進学しています。
おそらく、鈴木泰徳の出身高校は「県立鞍手農業高校」ではないかと見られています。この高校は2003年に別の3つ高校と統合され現在h「福岡県立鞍手竜徳高等学校」となっています。
鈴木泰徳の高校時代の同級生によると、「あまり目立つタイプではなかった」という印象だったようですが、その一方で「どうでもないことで急にキレるタイプ」だったという事です。
また、この同級生によれば、鈴木泰徳は高校時代は少しだけ柔道部に入っていた時期があったそうですが、ふざけて少し足技をかけたりすると、突然キレて本気で投げ飛ばしたりしていたという事です。
鈴木泰徳の生い立ち③ 自動車関係の専門学校を出て実家の整備工場で働く
鈴木泰徳は公立の農業高校を卒業後、自動車関係の専門学校へと進学し、卒業後は実家の自動車整備工場で働いていました。
鈴木泰徳はこの実家の自動車整備工場で、福岡3女性連続強盗殺人事件を起こす約半年前の2004年5月まで働いていました。
しかし、鈴木泰徳は実家がしっかりした自動車整備工場を営んでいる事を担保にして、消費者金融から借金を繰り返していました。その金はキャバクラで豪遊したりパチンコをしたりするために使っていたようです。
鈴木泰徳の借金は一時1000万円まで膨れ上がり、これを父親が肩代わりして返すことが何度もあったようです。
そのため、ついに鈴木泰徳は愛想を尽かされて実家から勘当され、その時に実家の自動車整備工場も解雇されています。
鈴木泰徳の生い立ち④ 犯行時は運送会社、逮捕時は土木作業員として勤務
実家の整備工場を解雇された鈴木泰徳は、2004年10月に福岡県内の運送会社に就職し、生鮮食品の配送業務などを行なっていました。
しかし、鈴木泰徳はこの運送会社に就職してからわずか3ヶ月の間に3度もの交通事故を起こし、2005年1月22日に退職しています。
なお、鈴木泰徳の3度目の事故は、2005年1月18日に3人目の被害者の福島啓子さんを殺害した翌日の19日未明の事でした。
そして、この3度目の事故の3日後の22日に鈴木泰徳はこの運送会社を退職しています。
その後、鈴木泰徳は行きつけのスナックのママが直方市内で経営していた土木建築会社に作業員として入っています。そしてそれからすぐの2005年3月に鈴木泰徳は強盗殺人容疑で逮捕されています。
鈴木泰徳の家族① 母親
鈴木泰徳の家族についても現在までにわかっている内容をまとめていきます。
既に触れたように、鈴木泰徳の実家は直方市の南部の町で、自動車整備工場を家族経営していました。この自動車整備会社を社長として経営していた父親の他、母親の存在が明らかになっています。
ノンフィクション作家の小野一光さんの「殺人犯との対話」には、鈴木泰徳の母親への電話取材を行った模様が書かれています。
それによると、鈴木泰徳の母親は小野一光さんの「被害者の遺族に伝えたい言葉はありませんか?」との問いに「ご遺族の方には申し訳ないという思いはあるが、それをあなたに伝えてもらわなくても結構です」と回答したようです。
また、「(当時死刑が確定して獄中にいた)鈴木泰徳から手紙が来る事はありますか?」との質問に対して、鈴木泰徳の母親は「手紙は来るには来るが、何か送ってくれとかそうした内容しか書かれていない」と答えています。
さらに、「鈴木泰徳に面会に行った事はありますか?」との問いに面会にはたまに行くと答え「私らには迷惑かけて申し訳ないとの言葉はあるが、被害者に対する謝罪の言葉はない」と示唆するよな内容を明かしていたようです。
鈴木泰徳の家族② 父親
鈴木泰徳の父親は、直方市南部の町で自動車整備会社を営んでいたという事ですが、この会社の経営はしっかりしていたようで、鈴木泰徳が作った1000万円の借金もこの父親が弁済しています。
ただ、この父親は何度も鈴木泰徳の多額の借金を肩代わりしていたという事で、かなり息子を甘やかしていたように感じられます。
鈴木泰徳の家族③ 犯行当時看護師の嫁と結婚していて幼い子供がいた
出典:https://cldx.friday.kodansha.co.jp/
鈴木泰徳は結婚しており、嫁は看護師をしていたようです。
関係者への取材によると、鈴木泰徳は1999年にこの嫁と結婚し、2人の子供も生まれています。
結婚当初、鈴木泰徳は知人に「嫁は看護師をしている」とよく自慢していたそうですが、この嫁に黙って自宅を抵当に入れて多額の借金を繰り返したため、犯行当時には夫婦関係は破綻していたようです。
鈴木泰徳は裁判では、「嫁からの言葉が辛かった」、「嫁に小遣いを止められて金に困っていた」、「嫁に性行為を拒否されていた」など、連続強盗強姦殺人に及んだのは嫁のせいだと言わんばかりの言い訳を繰り返していました。
鈴木泰徳の被害者(福岡3女性連続強盗殺人事件の被害者)
鈴木泰徳が殺害した被害者の3名についても簡単にですが触れておきます。
1人目の被害者の久保田奈々さんは事件当時18歳の専門学校生で、歯科技工士の学校へと通っていました。実家は長崎県の離島で、2004年4月に一人暮らしを始めたばかりでした。
事件当日はたまたま友人と会い、夜遅くに自宅へと帰っていましたが、非常に真面目で素朴な性格で、周囲からの評判はとても良い女性だったようです。高校生の頃に膠原病を患い養護学校に入り直すなどの苦労を乗り越え懸命に人生を歩んでいる最中の悲劇だったという事です。
2人目の被害者の大中敏子さんについては、パート従業員だったという事以外は特に情報がありません。ただ、普段は通勤に自転車を使っていたのですが、当日は雪が降っていたため、たまたま徒歩でいつもとは違う道を歩いて通勤していたところを鈴木泰徳に襲撃されたという事でした。
3人目の被害者は、福岡市東区原田に住んでいた当時23歳の福島啓子さんで、大手航空会社の子会社に勤務する会社員でした。大学時代には並行して航空専門学校にも通い、CAを目指していたそうです。大学時代にはCAになる夢は叶わなかったものの、卒業後もその夢を諦めずに、航空関連会社に契約社員として勤めながら、再び航空専門学校へ入学するための資金を貯めていたそうです。
この福島さんも、純朴で素直で真面目と、周囲からの評判がとても良い女性だったようです。
鈴木泰徳の動機は強盗と強姦
鈴木泰徳は何の罪もないゆきずりの女性3名を、理不尽に殺害しましたが、その動機は全て自分の欲望を目指すためだけの身勝手なものでした。
鈴木泰徳の裁判では、事件の動機となったのは、当時鈴木が800万円もの借金を抱えて金に困っており、それが発覚して嫁に夫婦生活を拒絶されていたため、強盗をして金品を強奪し、ついてに強姦をして性欲を満たそうとしたためだったと指摘されました。
後にパチンコやスナック遊びなどの遊興費で、妻に隠れて約800万円の借金を抱えた鈴木は、そのことが発覚すると妻から小遣いを止められ、夫婦生活を拒絶される生活を余儀なくされた。
そこで04年12月の初旬から、1人歩きの女性を襲って、金品を強奪して生活費などを得たうえ、強姦で性欲を満たそうと考え、車で女性を物色するようになったのである。
引用:気絶させ、姦淫した元死刑囚・鈴木泰徳の性的異常行動「中学生のころから女性の下着に執着して窃盗」「20代の半ばから強姦モノのビデオを…」
鈴木泰徳の裁判の判決は「死刑」
鈴木泰徳の裁判は既に結審しており、第一審で死刑判決、控訴審でも死刑判決、最高裁は第一審と第二審を支持して上告を棄却し、死刑判決が確定しています。
死刑判決が確定した時の鈴木泰徳の様子などは伝えられていません。
鈴木泰徳の現在…2019年8月2日に死刑執行・最後の言葉とは
鈴木泰徳の死刑は現在既に執行済みです。
鈴木泰徳の死刑執行は2019年8月2日でした。没年は50歳で、これは令和改元後の初の死刑執行となりました。
鈴木泰徳の最後の言葉については報道されていませんが、以下のような言葉を語っています。
「蚊も人も俺にとっては変わりない」
「私の裁判はね、司法の暴走ですよ。魔女裁判です」
「命の大切さを伝える為にも死刑にはなりたくない」
鈴木泰徳は死刑判決については不服に感じており、死刑にはなりたくないと語っていました。
まとめ
今回は、2004年12月かた2005年1月までのわずかな期間に、相次いで通りすがりの3人の女性を強盗と強姦を目的に殺害した凶悪犯・鈴木泰徳についてまとめてみました。
鈴木泰徳は、福岡県直方市の出身で、自動車整備工場を営む実家で生まれた生い立ちを持ちます。中学時代から女性の下着窃盗を繰り返すなど異常な性欲を持っていたようです。
家族は父親と母親、看護師の嫁と2人の子供の存在が明らかになっていますが、詳しい情報は不明です。
当時、鈴木泰徳は800万円もの借金をしており、それが嫁にばれて夫婦生活は破綻していました。犯行の動機は生活費や遊興費を得るためと、嫁に夫婦生活を拒否されていたため性欲を満たすためという極めて身勝手なものだった事が裁判で明らかにされています。
鈴木泰徳の裁判は既に結審しており、死刑判決が確定しています。そして、2019年8月に死刑が執行されています。没年は50歳でした。