「月はどっちに出ている」「みにくいアヒルの子」などで知られる名俳優・岸谷五朗さんが話題です。
この記事では岸谷五朗さんの身長や国籍、若い頃の活躍、嫁の奥居香さんとの結婚、息子さんと娘さんの2人の子供さんについてや、自宅の豪邸、現在の活躍などについてまとめました。
この記事の目次
- 岸谷五朗のプロフィール
- 岸谷五朗の身長は175cm
- 岸谷五朗の国籍は日本だが在日コリアン役で話題に
- 岸谷五朗の若い頃① 不良少年だったが小学生時代から俳優を意識していた
- 岸谷五朗の若い頃② 劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団
- 岸谷五朗の若い頃③ 寺脇康文さんらと「SET隊」を結成しテレビやラジオに出演
- 岸谷五朗の若い頃④ 岸谷五朗の東京RADIO CLUBのDJで若者から人気に
- 岸谷五朗の若い頃⑤ 「月はどっちに出ている」「みにくいアヒルの子」でブレイク
- 岸谷五朗の結婚した嫁はプリンセス プリンセスの奥居香
- 岸谷五朗の嫁・奥居香のプロフィール
- 岸谷五朗と嫁・奥居香の子供① 息子
- 岸谷五朗と嫁・奥居香の子供② 娘
- 岸谷五朗の自宅
- 岸谷五朗の現在…俳優のほか演出家・脚本家としても活躍中
- まとめ
岸谷五朗のプロフィール
岸谷五朗のプロフィール
生年月日:1964年9月27日
出身地 :東京都武蔵野市
身長 :175cm
血液型 :O型
岸谷五朗さんは、1993年の映画「月はどっちに出ている」での主演や、テレビドラマ「みにくいアヒルの子」シリーズの平泉玩助役などで知られる実力派俳優です。
舞台、映画、ドラマと幅広く活躍しており、若手時代以来の親友である寺脇康文さんとの演劇ユニット「地球ゴージャス」は1994年の結成以来現在まで20年以上活動を続けており、その時代時代の話題の役者達との共演で話題を呼んでいます。
この「地球ゴージャス」にて、2004年に初めて上演され、延べ12万人モノ観客を動員して話題を呼んだ音楽劇「クラウディア」が、2022年7月に18年ぶりに復活した事が大きく報じられており、その脚本と演出、振り付けを手がける岸谷五朗さんにも改めて注目が集まっています。
ここでは、そんな岸谷五朗さんについて紹介していきます。
岸谷五朗の身長は175cm
出典:https://livedoor.blogimg.jp/
岸谷五朗さんの公称身長は「175cm」です。
上の画像は、岸谷五朗さんと三浦春馬さん、寺脇康文さんが並んでいる画像です。
三浦春馬さんの公称身長は「178cm」、寺脇康文さんの公称身長は「180cm」です。2人と比較した感じでも、岸谷五朗さんの身長は175cmで間違いないと思われます。
岸谷五朗の国籍は日本だが在日コリアン役で話題に
岸谷五朗さんの国籍が気になって、ネットで検索されている方が多いようです。
これについては、岸谷五朗さんが、1993年に公開された映画「月はどっちに出ている」で、主人公の在日2世の韓国籍のタクシードライバー・姜忠男を演じている事が関係しているようです。
この映画「月はどっちに出ている」は、岸谷五朗さんの出世作で、この作品で岸谷五朗さんは、日本アカデミー賞の新人俳優賞、毎日映画コンクールの男優主演賞、高崎映画祭の最優秀新人男優賞、日本映画プロフェッショナル大賞の最優秀主演男優賞など、数々の俳優賞を受賞されています。
この作品での演技が素晴らしく、インパクトも強かったため、岸谷五朗さんは本当に在日コリアンなのではないかと感じる方がいて韓国籍の噂につながったようです。
実際には、岸谷五朗さんは日本国籍であり、韓国籍という事はありません。
岸谷五朗の若い頃① 不良少年だったが小学生時代から俳優を意識していた
出典:https://i0.wp.com/i-article01.com/
岸谷五朗さんの若い頃からの経歴を少年時代から見ていきます。
岸谷五朗さんは、東京都武蔵野市の生まれで兄弟は姉が1人います。地元の公立小学校・中学校(武蔵野市立第四中学校)を卒業されています。家族は裕福ではなかったそうで、公団住宅に住んでいたそうです。
そんな貧しい生活の中でも、小学生時代の岸谷五朗さんと中学生だった姉は、母親に劇場に連れて行ってもらっていたそうです。そんな時、母親は岸谷五朗さんと姉だけを劇場に入れて、自分はお金を節約するために外で待っていたのだとか。
少年時は裕福な暮らしではなかったらしく「母が小学校の俺と中学の姉を劇場に連れて行って、自分は外で待っていた。後から聞いた話ですが、実はお金がなくて観られなくて、と」。
岸谷五朗さんは、そうして小学校3年生か4年生の頃に見た、ミュージカル「冒険者たち」に衝撃を受け、それをきっかけに俳優の仕事を意識するようになったのだそうです。
小学3〜4年生の時に初めて観たミュージカル「冒険者たち」に
強い衝撃を受け、その後も名作の舞台を数多く観ていく中で
一生を賭けてできる仕事は何かと自問自答した時に降ってきたのが
舞台俳優だったそう。
ただ、小学生時代の岸谷五朗さんはいわゆるガキ大将で、かなりヤンチャな少年だったそうです。東京都立小平高校に進学した後は、当時の地元の暴走族集団だった「小平愚連隊」の番長格となり、多摩地区一円の暴走族の集会にも参加していたそうです。
元不良という点では、俳優の岸谷五朗もそうだ。
「高校時代はリーゼントで外見はとにかくおっかない。顔がデカイから相手もビビる。東京・多摩地区の『小平愚連隊』の番格で、暴走族の集会にも参加していた。正義感が強くて、周囲からは一目置かれていましたよ」(岸谷を知る地元住民)
当時の岸谷五朗さんは喧嘩は強かったようですが、正義感が強く後輩には優しい不良として、周囲からは慕われていたそうです。また、授業をサボるような事はなかったそうで、教師のウケはよく、周囲の不良仲間たちから「なんで不良をしているのか?」と不思議がられる事もあったのだとか。
なお、高校時代はサッカー部にも所属し、リレーの選手にも選ばれるなど、不良をする一方で普通に学生生活も謳歌されていたようです。
岸谷五朗の若い頃② 劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団
出典:https://yumeijinhensachi.com/
高校を卒業した岸谷五朗さんは、東京都八王子市の私立大学「中央大学」の商学部へと進学されています。
岸谷五朗さんは中央大学1年生だった1983年に、三宅裕司さんが主宰する「劇団スーパー・エキセントリック・シアター(略称・SET)」のオーディションを受けて合格し役者の世界へと入りました。
このオーディションで、岸谷五朗さんは、土下座して謝る相手をボコボコに暴行して死刑にするという過激な演技を、音楽に合わせて暴れ回りながら行って三宅裕司さんを驚かせたそうです。
岸谷五朗さんは劇団スーパー・エキセントリック・シアターのオーディションに合格したため、大学を中退しています。
しかし、入団してからしばらくの間は、まったく役を貰えずに、裏方として大道具をやったり、衣装を作ったりされていたそうです。
当時の劇団からの給料は月に3万円だったそうで、当然ながら生活ができずにアルバイトをしながら役者活動をされていたそうです。
当時、岸谷五朗さんは、中華料理屋(小平市にある「太平楽」)、解体屋、道路工事、皿洗い、焼き鳥屋、コンビニ、カラオケスナック、ホストクラブ、ヒーローショー、駐車場の整理、警備員など、様々なアルバイトを経験されています。
これは、舞台の稽古が始まるたびにアルバイト先を辞め、舞台が終わるたびに新しいアルバイト先を探すという生活を続けられていたためだったそうです。
当時の岸谷五朗さんは、家賃15000円、4畳半、風呂なし共同トイレの安アパートで暮らされていたそうで、27歳の時にようやくユニットバス付きのアパートへ引っ越す事ができたのだとか。
岸谷五朗の若い頃③ 寺脇康文さんらと「SET隊」を結成しテレビやラジオに出演
岸谷五朗さんは、1年遅れの1984年に劇団スーパー・エキセントリック・シアターに入団してきた、寺脇康文さんと歓迎の飲み会の席で意気投合し、それ以来の盟友として共に活躍されています。
1987年、岸谷五朗さんは、寺脇康文さんと、同じくSETの仲間であった俳優の山田幸伸さんと3人で、コントユニット「SET隊(せったい)」を結成しています。
このユニットは、劇団スーパー・エキセントリック・シアターの略称であるSETと、接待をかけたもので、オリジナルラジオドラマやコントなどを演じ、テレビのバラエティやラジオ番組などに出演しました。
このSET隊での活動を通じて、岸谷五朗さんや寺脇康文さんらは少しずつ知名度を上げ、その後の俳優としての成功へとつなげていきました。
岸谷五朗の若い頃④ 岸谷五朗の東京RADIO CLUBのDJで若者から人気に
出典:https://prcdn.freetls.fastly.net/
岸谷五朗さんは、1990年からTBSラジオにて、自身の冠番組「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」のDJ(ラジオパーソナリティ)を担当されています。
この番組は「レディクラ」の通称で呼ばれ、平日の22時から翌1時(1991年4月からは0時まで)まで毎日放送され、当時の若者層からの人気を集めました。この番組を通じて、岸谷五朗さんは当時の若者たちの兄貴的ポジションを獲得しています。
とても人気の高い番組でしたが、岸谷五朗さんが俳優としてブレイクすると、多忙のために月曜から金曜まで出演する事は事実上不可能になり、1994年9月をもって放送を終了しています。
岸谷五朗の若い頃⑤ 「月はどっちに出ている」「みにくいアヒルの子」でブレイク
出典:https://finedoga.s3-ap-northeast-1.amazonaws.com/
SET隊での活動や、「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」などで若者層からの人気と知名度を掴んだ岸谷五朗さんは、1993年に公開された映画「月はどっちに出ている」の主演に抜擢されました。
岸谷五朗さんは在日韓国人2世のタクシードライバー・姜忠男の役で、これまで社会的弱者として描かれる事の多かった在日韓国人を、バイタリティがあり、女好きで自由気ままに生きる男といった新しいイメージで演じました。
岸谷五朗さんはこの作品で日本アカデミー賞の新人俳優賞をはじめとする数々の俳優賞を獲得しています。
これをきっかけにして、岸谷五朗さんは、テレビドラマや映画に引っ張りだこの人気俳優となり、1994年の月9ドラマ「妹よ」、1995年のドラマ「恋人よ」、1995年公開映画「バースデイプレゼント」など、数々のヒット作に主演や重要なキャストとして出演します。
特に、主演した1996年放送のドラマ「みにくいアヒルの子」は、連続ドラマ終了後も3作のスペシャルドラマが制作される大ヒットを記録し、若い頃の岸谷五朗さんの代表作となっています。
岸谷五朗の結婚した嫁はプリンセス プリンセスの奥居香
出典:https://www.sponichi.co.jp/
「みにくいアヒルの子」の主演で人気絶頂となった岸谷五朗さんは、その放送終了直後(最終回の3日後)の1996年6月28日にロックバンド「プリンセス プリンセス(PRINCESS PRINCESS)」の、ボーカルギター・奥居香さんと結婚されています。
岸谷五朗さんと嫁の奥居香さんの馴れ初めになったのは、岸谷五朗さんのラジオ番組「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」の放送開始直前に放送された帯番組「レディオクラブ発射寸前」に、奥居香さんがゲスト出演された事でした。
この時、岸谷五朗さんと奥居香さんは初対面で、会話の中で年齢の話題になります。その日岸谷五朗さんは舞台メイクをしたまま出演していたため年齢が分からないと思い、「いくつに見えますか?」と尋ねたところ、奥居香さんが「全く分からない」と返答。これに対して、突然、岸谷五朗さんは「このアマ!」と暴言を吐き、周囲がヒヤヒヤするという流れになります。
ただ、奥居香さんは特に気にした様子もなく、そのまま会話を続けられています。(壮絶な喧嘩をしたというのはデマ)
しかし当時、奥居香さんはプリンセス プリンセスのボーカリストとして絶大な人気があり、一方の岸谷五朗さんはまだ無名の俳優であったため、番組関係者や所属事務所からは「何様のつもりだ!」とかなり怒られたのだそうです。
とはいえ、岸谷五朗さんと奥居恵さんは空気があったのか、この出来事をきっかけにすぐに打ち解け、奥居香さんはその後、レディクラのゲストの常連となっていました。
岸谷五朗さんと奥居香さんはプライベートでも仲の良い友人関係になり、7年間にわたって友人の関係として交際されています。
そして、岸谷五朗さんが結婚の数日前に、自宅で一緒に飲んでいる時に、奥居香さんに「ぼくと一緒に記者会見を開きませんか?」とプロポーズ、これに奥居香さんが「そうしますかー」と応じ、かなり自然体な感じで結婚を決められたそうです。
結婚から30年近くなる現在も岸谷五朗さんと嫁の奥居香さんの夫婦仲はとても良い様子で、岸谷五朗さんはテレビ出演時などに「めちゃめちゃ料理うまい」と発言するなど、嫁の奥居香さんとの幸せな結婚生活についてよく話されています。
岸谷五朗の嫁・奥居香のプロフィール
岸谷五朗の嫁・奥居香のプロフィール
本名 :岸谷香
生年月日:1967年2月17日
出生地 :広島県広島市
出身地 :東京都
身長 :157cm
血液型 :O型
岸谷五朗さんの嫁の奥居恵さんは、1983年にデビューし、1989年にガールズバンドとして初の日本武道館公演を果たした伝説のバンド「プリンセス プリンセス」のボーカルギターです。
1996年のバンド解散後は、ソロとしても活動を開始し精力的に楽曲を発表されています。2012年には東日本大震災復興支援を目的に「プリンセス プリンセス」を期間限定で復活させた事でも話題になりました。
2018年からはガールズバンド「Unlock the girls」を結成して、音楽活動を続け、現在も高い人気を集めています。
岸谷五朗と嫁・奥居香の子供① 息子
岸谷五朗さんと嫁の奥居香さんとの間には2人の子供が生まれています。
1人目の子供は、2001年7月7日に誕生した息子さんで、奥居香さんのオフィシャルブログには「チビゴ」の愛称で頻繁に登場していてファンの間ではお馴染みの存在となっています。
奥居香さんは子供達の教育にかなり熱心な様子で、息子さんは幼稚園から受験して、名門私立である「和光幼稚園」に通っていたようです。
その後、岸谷五朗さんの息子さんは小学校も受験し、私立校の「トキワ松学園小学校」に合格。中学進学時も受験して、「早稲田実業学校初等部」に入学されています。
その後、息子さんは内部進学にて、「早稲田実業学校高等部」に進学されましたが、2年生の時に中退されたようです。
ただし、岸谷五朗さんの息子さんの高校中退の理由は非行などのネガティブな理由ではなく、語学を学ぶためにアメリカに留学するためでした。その後、息子さんは念願叶ってアメリカに留学されたようです。
ちなみに、岸谷五朗さんは教育にはあまり口を出さずに、嫁の奥居香さんの方針に任せていたという事です。
そんな岸谷五朗さんの息子さんですが、2022年7月7日の誕生日で21歳を迎えられています。
岸谷五朗と嫁・奥居香の子供② 娘
岸谷五朗さんと嫁の奥居香さんの2人目の子供は、2003年6月4日に誕生した娘さんです。
娘さんは奥居香さんのブログでは「チビカ」の愛称で呼ばれています。
岸谷五朗さんの娘さんも、幼少時から家庭教師をつけて幼稚園受験に挑み、兄(岸谷五朗さんの息子さん)と同じく「和光幼稚園」に合格されたようです。
さらに、娘さんもその後、私立の名門校「成蹊小学校」を受験して合格し、その後は内部進学で「成蹊中学校」、「成蹊高校」と進んだと言われています。
また、奥居香さんのブログによると、この娘さんも海外に留学されているようです。
娘さんは2022年の誕生日で19歳になられています。
岸谷五朗の自宅
出典:https://presidenthouse.net/
岸谷五朗さんと嫁の奥居恵さんの自宅は、東京都大田区の高級住宅街・山王地区に建つ、洋風の豪邸です。
岸谷五朗さん自宅を来訪されたファンの方によると正面玄関の表札は「KISHITANI」、勝手口には「奥居」という表札が付けられているそうです。
出典:https://blog-imgs-139.fc2.com/
出典:https://blog-imgs-139.fc2.com/
ちなみに、岸谷五朗さんの嫁の奥居香さんは、言わずと知れたプロのミュージシャンですが、この自宅には音楽スタジオも完備されているようです。
奥居香さんのYouTubeチャンネル「岸谷 香 Official YouTube Channel」では、この自宅スタジオで撮影された動画も多数投稿されています。
岸谷五朗の現在…俳優のほか演出家・脚本家としても活躍中
岸谷五朗さんは現在も俳優として第一線で活躍されている他、演出家や脚本家としても活躍されています。
俳優としての最新の出演情報としては、2023年の公開が予定されている映画「まくをおろすな!」に、吉良上野介義央という役で出演する事が発表されています。
また、自らが主宰する「地球ゴージャス」では、2022年7月に公演の最新作「クラウディア」(過去の人気作を新たにリバイバル上演)の、脚本と演出を手がけています。
その他にも、ブロードウェイミュージカル「Kinky Boots」の日本版の演出協力と上演台本を担当されるなど、演劇界で幅広い活躍をされています。
まとめ
今回は、「みにくいアヒルの子」、「月はどっちに出ている」などで知られる名俳優・岸谷五朗さんについてまとめてみました。
岸谷五朗さんの公称身長は175cmで、これが実際の身長で間違いないようです。
国籍については、過去に在日韓国人2世の役を演じて高く評価された事から、韓国籍の噂もありますが、実際には「日本国籍」です。
若い頃の活躍としては、大学在学中に、三宅裕司さん主催の「劇団スーパー・エキセントリック・シアター」に入団し、そこで出会った俳優・寺脇康文さんらと、コントユニット「SET隊」を結成し精力的に活動。それを足掛かりに人気を上げ、1993年に映画「月はどっちに出ている」の主役に抜擢されたのをきっかけにブレイクを果たしました。
そんな岸谷五朗さんの結婚は1996年で、嫁は、伝説的ガールズバンド「プリンセス プリンセス」のボーカルギター・奥居香さんです。
岸谷五朗さんは嫁の奥居香さんとの間に2人の子供に恵まれています。子供は息子さんと娘さんで、2人とも名門私立校を受験して合格し、共に海外留学もされているようです。
自宅については、東京都大田区の高級住宅街・山王地区の豪邸に住われています。
岸谷五朗さんは現在も俳優として第一線での活躍を続けており、演出家・脚本家としても高い評価を得ています。