加山雄三さんは、父親は上原謙さん・母親は小桜葉子さん・妹は池端亮子さんの芸能一家に生まれています。
この記事では、加山雄三さんの家系図と家族、結婚した嫁の松本めぐみさん、息子と娘の情報、そして若い頃から現在までの活躍について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
加山雄三のプロフィール
「若大将」と呼ばれてきたカリスマ俳優・加山雄三
加山雄三さんについて詳しいプロフィールはこちら。
本名: 池端 直亮(いけはた なおあき)
別名義: 弾厚作
生年月日: 1937年4月11日
出生地: 神奈川県横浜市(茅ヶ崎市育ち)
身長: 180cm
体重: 不明
血液型: A型
ジャンル: 俳優、シンガーソングライター、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレプレイヤー、画家
活動期間: 1960年 –
配偶者: 松本めぐみ
著名な家族
上原謙(父)
小桜葉子(母)
池端亮子(妹)
池端信宏(長男)
山下徹大(次男)
梓真悠子(長女)
池端えみ(次女)
引用:Wikipedia – 加山雄三
加山雄三さんは昭和のスター歌手、俳優であり、「若大将」の愛称で音楽界、映画界、テレビ界のカリスマとして活躍してきました。
加山雄三さんはシンガーソングライター、俳優という顔の他に、高い造船知識を有する一級航海士であり、画家としても一流の才能を持った破格の人です。
ゲーマーとしても知られており、加山雄三さんは新しいもの好きだと言われています。
そして加山雄三さんは誰よりも船、海を愛していることで知られていましたが、2018年4月1日午後9時に愛船「光進丸」が出火し、全焼してしまいました。
事件についての真相や、加山雄三さんの現在までの活躍について生い立ちから詳しく総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
加山雄三の家系図と家族① 父親は上原謙・母親は小桜葉子・妹は池端亮子の芸能一家に生まれる
加山雄三は芸能一家に生まれた
加山雄三さんの父親は俳優の上原謙(池端清亮)さんで、母親は女優の小桜葉子(池端具子)さんです。母方の高祖父は明治の政治家で「維新の十傑」と呼ばれた岩倉具視です。
加山雄三さんは長男で妹は池端亮子さんと言いますが、元夫のマイケル・ルノーが加山雄三さんのゴーストライターだったという噂があるようですがあくまで噂のようです。
加山雄三さんは幼い頃に大腸カタルという病気を患っていたため体が弱く、そのため父親は病弱な息子のためにそれまで住んでいた田園調布から自然に囲まれて空気が良い神奈川県茅ヶ崎へ引越しました。
加山雄三さんは茅ヶ崎市にある実家に結婚した31歳の頃まで一緒に家族と過ごしていました。
加山雄三さんは4歳の冬にスキーを始めたようで、この経験が後にスポーツ好きになるきっかけだったのでしょう。
父親はとても厳しい人だったようで、加山雄三さんはいたずら好きでとてもおばあちゃん子だったと言われています。
すぐに殴るような厳しい父親でしたが、16ミリフィルムカメラでよく家族を撮影していたようで、2013年3月10日放送の『誰だって波瀾爆笑(日本テレビ系)』や2016年3月4日放送の『徹子の部屋(テレビ朝日系)』で父親が撮影したビデオが流されたようです。
加山雄三さんが音楽に目覚めたきっかけは父親で、書斎にあったクラシックレコードを片っ端から擦り切れるまで聞いていたようです。
加山雄三の若い頃① 学歴は慶應義塾大学出身
茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校に進学した加山雄三
加山雄三さんは地元の茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校に入学しました。
加山雄三さんの小学校時代は2年生の頃に2歳年上のピアノが上手な”エミ”という名前の女の子に初恋したそうで、後々に次女に「絵美子」と初恋の子にあやかった名前をつけています。
男らしくガキ大将のイメージがある加山雄三さんですが、小学校時代はいじめられっ子だったそうです。
茅ヶ崎市立第一中学校に進学した加山雄三
小学校ではいじめられていた加山雄三さんですが、中学校時代から逞しくなっていったようです。
加山雄三さんは中学校に上がると自宅にあったサンドバッグでトレーニングを積んで父親に勝負を挑んでいたそうです。
そして、加山雄三さんは後に「波乗り日本第一号 加山雄三」と呼ばれますが、中学校時代に初めてサーフボードを自作してサーフィンを始めました。
さらに、自分で設計して3メートル級のカヌーを制作しています。
慶應義塾高等学校に進学した加山雄三
加山雄三さんは勉強ができたようで慶應義塾高等学校に進学しました。
加山雄三さんは高校時代に大きな弁当箱だったことから「ドカベン」というあだ名を付けられていたそうです。
天邪鬼な性格をしていた加山雄三さんは、家庭教師から「女の子にモテて大変だね」と言われたことから高校3年間をモテない五厘刈りにして過ごしていたそうです。
慶應義塾大学法学部政治学科に進学した加山雄三
加山雄三さんは順調に慶應義塾大学法学部政治学科に進学しました。
加山雄三さんは大学時代から勉強への興味を失って放蕩三昧になっていたようで、授業にはほとんど出席せず、雀荘に入り浸っていた他、寿司屋や蕎麦屋にもよく行っていたようです。
毎年冬になると20人あまりの仲間と山篭りをするのが慣例になっていたようで、昼はスキーを楽しみ、夜はギターやウクレレを弾き演奏会をしていたそうです。
山篭りは4ヶ月ほどだったようで、食料が少なくなってくるとスルメを噛むなどして飢えをしのいでいたというので、加山雄三さんの豪放ぶりがわかりますね。
4歳の頃から始めたスキーの腕前は相当なもので、加山雄三さんは1959年、60年と年連続でスキーの神奈川県代表として国体に出場しているそうです。
加山雄三さんは大学2年生の頃に「カントリー・クロップス」というバンドを結成して本格的な音楽活動を始めました。
血の気の多かった加山雄三さんは大学3年生の頃に近所の魚屋と喧嘩になり、店主が氷を切るためのノコギリを持ち出したため、加山雄三さんは家から日本刀を持ってきて睨み合ったそうですが、そうする内に警察官が来て事なきを得たようです。
加山雄三さんは将来は造船技師になりたいと考えていましたが、友人から「父親ののれんで役者になって稼いだ金で船を作ればいい」とアドバイスをされて、俳優として芸能界入りすることを決意したそうです。
加山雄三さんは大学卒業後の1960年春に東宝へ入社しました。
加山雄三の若い頃② 1960年に芸能界デビューした
1960年、映画『男対男』で俳優デビューした加山雄三
加山雄三さんは俳優デビューの翌1961年に『夜の太陽』で歌手デビューを果たします。シンガーソングライターとしての芸名は「弾厚作(だん こうさく=ドン・コサック)」であり、その由来は加山雄三さんが尊敬している團伊玖磨さんと山田耕筰さんを足して2で割ったものでした。
加山雄三さんは歌手として長年に渡って高い評価を受け続けており、NHK『NHK紅白歌合戦』への出場回数は17回、日本のフォークソングやニューミュージック全盛時代において先駆けの存在で、多重録音を日本で初めて行ったミュージシャンでもありました。
”先駆け”は音楽界だけではなく、先述の通り1964年6月10日には「波乗り日本第一号 加山雄三 サーフボード作る」と日刊スポーツに掲載されたように、日本で初めてサーフィンを始めた人でした。
1965年12月に公開された映画『エレキの若大将』では主演を務め、主題歌『君といつまでも』は350万枚のトリプルミリオンヒットという異例の大ヒットを飛ばしました。
以降、『若大将』シリーズが大ヒットを続け、加山雄三さんの代表作となったことから現在までに「若大将」の愛称で呼ばれるようになりました。
東宝の看板スターとして活躍してきた加山雄三さんは、2014年には秋の叙勲で国から「旭日小綬章」を受章しています。
加山雄三の夢は80歳からエコシップで7つを航海
80歳で愛船で世界を回ると決めていた加山雄三
加山雄三さんは80歳になったら自ら設計した世界初の全天候型、エコエネルギー船で世界の七つの海を航海すると語っていました。
加山雄三さんは自身が設計したエコシップについて以下のように語っています。
自然エネルギーには地熱、風力、波力、太陽光といろいろありますが、今はどれも普及促進のためのはっきりとした政策がない。これは法律から考えなければならないということで、小沢さん(元環境大臣)とお話ししたいと思ったのです。
そして、私がここで初めて公表するのが、自分で設計した「エコシップ」です。自然エネルギーだけで動きます。まずは、初めて世の中に出すこのイラストを見てください。
加山雄三さんが設計したエコシップの姿が以下の画像になります。
加山雄三が設計した世界初・全天候型エコシップ
加山雄三さんはこれまでに20台以上の船を設計してきた一級航海士で、その集大成としてこのエコシップを生み出したようです。
詳しくは後述しますが、加山雄三さんの80歳からエコシップを開発して世界を回る夢は、2018年4月1日に発生した愛船「光進丸」の火災により水を差されてしましました。
光進丸=加山雄三というイメージあったから、これで老け込んだりしないで欲しいな。エコシップ計画も頓挫してる気がするんだが。
— gugugu (@gugugu001) 2018年4月2日
なんとか形にしてあれをスポンサー名(光進丸)みたいにすればいい。
加山雄三の家系図と家族② 結婚した嫁は松本めぐみ
加山雄三の嫁は松本めぐみ~1970年にアメリカで結婚式を挙げた
加山雄三が結婚を決めたのも船が関係していた
女性は男性に比べて船酔いしやすいため加山雄三さんは介抱するのが大変なため船に女性は乗せない主義でしたが、松本めぐみさんは全く船酔いする様子もなく編み物をしていたため惚れたそうです。
加山雄三さんは船でのクルージングをともにできる松本めぐみさんが現れて感激したのでしょう。
松本めぐみさんとは映画『エレキの若大将』で共演して以来の仲で、1970年9月4日に加山雄三さんはロサンゼルスで結婚式を挙げ、松本めぐみさんはそれを機に芸能界を引退しました。
実は順風満帆な結婚生活ではなく、加山雄三さんが1965年に地元の神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業したものの結婚する半年前の1970年3月に23億円もの負債を抱えて倒産しており、ホテルを18億円で売却したものの加山雄三さんと父親には5億円もの借金が残ってしまいました。
そんな背景がありながら結婚を選んだ松本めぐみさんの愛は本物だと思いますが、生活は苦しく加山雄三さんはたまご1個を夫婦で分け合って卵かけご飯をするなど切り詰め生活を続けながら借金返済を続けました。
「当時、僕は家も、ヨットも、貯金も、車も、ギターも全てを失っていたんだ。(借金返済の為)そんな時、妻はこっそり貯めた金でピアノを買ってくれた。嬉しかったね。これでまた作曲が出来る・・・」
松本めぐみさんの愛の深さは海よりも深かったのかもしれません。
しかし、加山雄三さんは芸能界で活躍を続け借金を10年で返済したそうです。
加山雄三は親族の会社の倒産で文無しに。楽器も全部なくなる。作った歌が「海 その愛」 知名度や才能があったから復活できたのはもちろんだが、そんなに困窮していたとは。最近の脱原発発言やエコシップ計画も、そういう経験をくぐったからころこそ、つかんだ価値観なのだろう。SONGSを見て。
— 「こんな人」で悪かったな (@FFMatudo) 2014年10月18日
2014年に、加山雄三さんは松本めぐみさんと卒婚状態であることを明かしています。
松本めぐみさんはニューヨークで生活し、加山雄三さんが“通い夫”していると語っていました。
しかし、2019年頃から再び一緒に暮らし始めたようで、現在は都内のケアハウスに夫婦で移り住み生活しているようです。
「実はいま、加山さんとめぐみさんは再び一緒に暮らしているんです」と語るのは、加山の知人だ。近年の体調の変化は、加山の生活を大きく変えていた。昨年の暮れ、加山は長年住み慣れた豪邸から自立型ケアハウスに引っ越していたのだ。
自立型ケアハウスとは、食事、掃除、洗濯などの生活支援サービスがついた高齢者向け住宅のこと。「ひとりで住むには不安があるが、介護が必要なほどではない」という人にとって、生活の支援を受けながら自立した暮らしが送れるというメリットがある。
加山雄三の家系図と家族③ 子供は息子2人と娘2人
加山雄三さんの4人の子供は、長男の池端信宏さん、次男の山下徹大さん、長女の梓真悠子さん、次女の池端えみさんがいます。
加山雄三の長男・池端信宏さん
1972年生まれの池端信宏さんは有名な花火師・画家・映像作家などで活躍。リオデジャネイロ五輪の閉会式の花火の演出なども担当しました。
加山雄三の次男・山下徹大さん
1975年生まれの次男・山下徹大さんは俳優として活躍してい
ます。脇役中心ですが地道に活動しています。
加山雄三の長女・梓真悠子
生年月日:1976年7月26日
加山雄三の長女・梓真悠子さんは大学時代にスカウトされ、タレントとしてデビュー。現在は料理研究家として活躍中で、バツイチで2人の子供のママさんです。
加山雄三の次女・池端えみ
生年月日:1978年3月28日
加山雄三の次女・池端えみさんは現在、ニューヨークで女優として活動しています。現地ではいろいろなオーディションを受け、女優として頑張っているようです。
加山雄三の現在① 船「光進丸」が炎上!その真相とは
加山雄三の分身でもある愛船「光進丸」が炎上・沈没
加山雄三さんは「光進丸」の火災があった2018年4月1日の翌2日夜に東京・羽田空港で記者会見開き、消化に当たってくれた地元の人に申し訳ないと声を詰まらせ涙ながらに謝罪しました。
加山雄三さんの愛船「光進丸」は、4月1日午後1時頃に同船を所有している造船会社の社員がエアコンの状態を確認するために船内に入っていました。
そして、同日午後9時頃に「光進丸」から出火し、火は2日近く燃え続け3日午後3時半にようやく鎮火が確認されました。
現場に当たった下田海上保安部によれば、船内にいた男性作業員は出火時に火から逃れるために海に飛び込んでおり、付近を航行していた作業船に救出されたということでした。
加山雄三さんは愛船「光進丸」の火災について、以下のようにコメントしています。
海保、警察、あと消防の皆さん。24時間、徹して消火をして下さっています。心から感謝申し上げます。夜寝ないで交代でやっていただいたと、夜寝るのも道路でしか寝られない。そういう状況だったと聞いています。本当に残念ですし、いろんなご心配をおかけしたこと、大変申し訳ございません。これほど悲しいことはない。これが私の本心です。
「光進丸」は4月18日にクレーン船上に引き揚げられましたが、実況見分が行われるも船内部の焼損が激しく、出火原因の特定には至りませんでした。
ちなみに放火の線も考えられており、放火犯についてネット上で論議されていましたが、放火ではなく、電気系統から出火した事故の可能性が高いようです。
加山雄三さんの光進丸が炎上沈没しました。その悲嘆や幾莫かと推察します。ましてそのご年齢から尚更心配です。
— ミントパパ (@MuddyFox1130) 2018年4月5日
だけど、立派な方ですから、同情なんてして欲しくもないし不要でしょう。
出家の身のように全てを捨て去る境地もまた愉しからず(^ー^)
人ごとですけど🙇 pic.twitter.com/HggmH7Ia4C
加山雄三の現在② 脳梗塞や小脳出血からの復活
出典:https://www.nikkan-gendai.com/
2019年と2020年に病気に
年齢よりも若く見え、健康体を維持しているように見える加山雄三さんですが、近年2度の病に見舞われています。
2019年に軽い脳梗塞を発症
加山雄三さんは2019年11月、妻と食事中に「自然に左手が動き出した」ことで自ら異変に気付き病院を受診。
軽い脳梗塞と診断され、10日余りの入院生活を余儀なくされました。
加山は今月8日に自宅で体の不調を訴え、病院で検査を受けたところ、右の脳に軽い脳梗塞を発症していることが分かったという。現在は点滴加療を目的に入院しているが、順調に回復に向かっているという。しかし、大事を取って、16日の大宮公演は来年1月15日に、28日の札幌公演は3月24日に振り替える。また、12月14日の東京・渋谷のオーチャードホールのコンサートは予定通り行うという。
キャンセルをした仕事もありましたが、退院の翌日には公式サイトで芸能活動の再開を発表しています。
後遺症も一切なく、脳梗塞発症の翌月には公演を開催するなど精力的に活動していました。
2020年に小脳出血を発症
しかし、加山雄三さんは2020年8月には小脳出血を発症し、約2ヶ月間の入院生活を送ることとなりました。
事務所からの発表によると、自宅でトレーニング後に水を大量に飲んだところ、誤嚥(ごえん)を起こし都内の病院に救急搬送されたとのこと。
検査の結果、激しくせき込んだことで小脳出血を起こしていたことも明らかになりました。
加山雄三さんは治療に専念するために活動を自粛することを発表し、2020年11月に退院してからもリハビリを続けていたようです。
その後、2021年3月に無事に活動を再開させた加山雄三さんですが、小脳出血によってろれつが回らない言語障害が出ていたことを告白しました。
加山は水分補給をした際に誤嚥(ごえん)を起こし、せき込んだことにより小脳内が出血した。当初は左手の感覚異常があったが徐々に回復し「まひもないし、思考回路も全然変わらない」とした。
だが、滑舌が悪化。これまでと比べると「最初は30~40%」しかスムーズに話せず、「ちょっとヤバいなという気持ちはあった」と振り返った。発声の教科書通りに音読するリハビリを続け良化。会話に支障ないところまで回復した。
復帰当時、リハビリを経て70%ほど回復したと語っていた加山雄三さん。
その後、自身の84歳の誕生日である2021年4月11日にデジタルシングル「紅いバラの花」をリリース、同年12月にはライブを開催するまでに順調に回復しているようです。
加山雄三の昔の若い頃の画像特集
加山雄三の昔の若い頃の画像①
加山雄三さんが20代前後くらいの若い頃の画像だと思いますがイケメンですね。
加山雄三の昔の若い頃の画像②
加山雄三さんの場合イケメンという言葉よりも男前と言った方がしっくりきますね。
加山雄三の昔の若い頃の画像③
加山雄三さんの写真の多くは大好きな海が舞台のものが多いようです。
加山雄三の昔の若い頃の画像④
この頃加山雄三さんは早く自分の船を作りたいと思っていたのでしょうか。
加山雄三の昔の若い頃の画像⑤
加山雄三さんはサーファーの先駆けだけあってさすがに逞しい身体をしています。
加山雄三の昔の若い頃の画像⑥
加山雄三さんは往年のハリウッドスターのようなオーラがありますね。
加山雄三の昔の若い頃の画像⑦
加山雄三さんの若い頃は沢村一樹さんと似てるようです。
加山雄三の昔の若い頃の画像⑧
加山雄三さんはまさに海の男といった感じですね。
船炎上の件で初めて加山雄三を知った子、金持ちで慶大卒で歌が上手くて自分で歌も作って俳優もやって優しそうでイケメンで何なのこのおじさんは!?!?って驚いてるさま面白い😂😄
— れんちっち🌾 (@9924007) 2018年4月3日
加山雄三の私生活エピソードから分かる性格
加山雄三の私生活エピソードから分かる性格を探る
ネット上で公開されている加山雄三さんの私生活エピソードから性格の傾向を探ってみましたのでご紹介しましょう。
加山雄三の好きな食べ物は米と肉
加山雄三さんは白米と肉が大好物のようで、朝から300グラムのステーキを食べることもよくあるようです。また、魚とロールケーキも好きなようです。嫌いな食べ物はエビやカニでアレルギーがあるようで、すっぱいものや辛いものも嫌いなようです。
加山雄三は料理を作れる
加山雄三さんは和洋中合わせて数百種類の料理が作れるプロ級の料理人で、メニューを表を作っていて来客にはそれを見せて希望の料理を作ってあげるそうです。
加山雄三は酒を飲まずタバコも吸わない
酒豪のイメージがある加山雄三さんですが、実は健康のために酒を飲まず、1991年に禁煙して以来タバコも吸っていないそうです。
加山雄三の健康法は食事
加山雄三さんはトマトとニンジンの特製ジュースをミキサーにかけず手絞りで作るようです。また玄米フレークが朝食のようで、朝晩水をかぶる他、ルームランナーを朝ニュースを見ながら走るなど朝に健康習慣が集中しているようです。
加山雄三は虫歯に気をつけている
加山雄三さんは虫歯にならないために5種類の歯磨きグッズを使い分けているそうです。
加山雄三はゲーマー
加山雄三さんは大のテレビゲーム好きで、朝まで徹夜してやる事も少なくないようです。最高連続19時間プレイした事があるそうです。娘と「ギターフリークス」の対戦をしたり、携帯ゲームはどこにでも持参しているようです。特に好きなゲームは「バイオハザード」シリーズと「鬼武者」シリーズでカプコンのアクションゲームが好きなようですね。
加山雄三は新しいもの好き
加山雄三さんはゲーマーであるように新しいモノが大好きで、最新のJポップを好んで聴くようです。
加山雄三さんの私生活エピソードからわかる性格を一言で表すなら「凝り性」ということに尽きるかもしれません。
加山雄三さんは興味のある分野ではとことん追求するのが好きな性格をしているようですね。
加山雄三って、朗らかで能天気な人だと思っていたけど、たいへんな人なんだなあ!まあ、そうじゃなきゃゆうゆう散歩がたんな面白いわけないか。そんなたいへんなことがあったのにそれを感じさせない。カッコいいなあ!
— DY (@AKBGSHINKI) 2014年10月18日
SONGS 加山雄三 MY WAY すごく感動した。
— いうさり (@balle110) 2014年10月18日
歌詞の和訳も良かったし、
おじいさんと言われる年齢の加山雄三さんがカッコいい。
歌の意味が伝わりさらに感動した。
若大将さすがです。
まとめ
・加山雄三は女優の松本めぐみと1970年に結婚した。
・加山雄三に子供は4人。長男は有名な花火師・池端信宏、次男は俳優の山下徹大、長女は料理研究家の梓真悠子、次女は女優の池端えみである。
・加山雄三の愛船の「光進丸」が2018年4月1日に出火し全焼。原因は電気系統からの出火が原因といわれている。
・加山雄三は脳梗塞や小脳出血を患っていたが、現在は精力的に活動を行っている。
昭和の時代から「若大将」と親しまれ、俳優やシンガーソングライターとして活躍を続けてきた加山雄三さんについて総まとめしてきました。
加山雄三さんの人生は船が中心に回っており、芸能界に入ったのも船のためで、嫁の松本めぐみさんも船酔いをしないことが結婚の決め手だというのは凄いですね。
「光進丸」の炎上や2度の病を乗り越えて復活を遂げた加山雄三さん。今後も身体に気をつけながら活躍を続けていただきたいですね。