「太陽にほえろ!」のテキサス役で知られる俳優の勝野洋さんの現在や家族が話題です。
この記事では勝野洋さんの若い頃の活躍や画像、嫁のキャシー中島さんとの馴れ初めや結婚、長女と次女の娘2人、息子ら子供達、これまでの7軒の自宅、現在の活躍などについてまとめました。
この記事の目次
勝野洋のプロフィール
勝野洋のプロフィール
名前 :勝野洋(かつの・ひろし)
本名 :勝野六洋(かつの・むつひろ)
生年月日:1949年7月27日
出身地 :熊本県阿蘇郡
身長 :181cm
血液型 :A型
勝野洋(かつの・ひろし)さんは、「太陽にほえろ!」のテキサス刑事役や、「俺たちの朝」、「姿三四郎」などの数々の主演作「鬼平犯科帳」の酒井佑助役などの代表作で知られるベテラン俳優です。
若い頃から精悍なルックスを活かして青春ドラマや時代劇、大河ドラマなどを中心に幅広く活躍し、「ファイト一発」の掛け声でお馴染みの大正製薬「リポビタンD」のテレビCMでも人気を集めました。
また、2012年から2015年までは、ニッポン放送の人気番組「テレフォン人生相談」のパーソナリティを務め、安心感のある落ち着いた語り口でリスナーの支持を得ていました。
ここでは、そんな勝野洋さんの若い頃の経歴や画像、嫁のキャシー中島さんとの結婚や娘や息子などの子供達などを中心に紹介していきます。
勝野洋の若い頃① 青山学院大学在学中にモデルを経て俳優に
勝野洋さんは、九州の温泉町として知られる、熊本県阿蘇郡小国町の出身で、実家は旅館を営んでいました。
勝野洋さんは中学から親元を離れて下宿に入り、私立の「九州学院中学」を経て「九州学院高校」を卒業後、「青山学院大学」の経営学部へ進学して上京しています。青山学院大学では柔道部に所属されていたそうで、部のルールで丸坊主にされていたそうです。
勝野洋さんは、この青山学院大学在学中に、用心棒としてアルバイトをしていたゴーゴークラブの女性オーナーの紹介でモデル事務所に入り、モデルとして芸能活動を始めています。当時はチラシの広告モデルや、テレビCMのエキストラをされていたそうです。
その後、勝野洋さんはモデルとして出演したCMで共演した俳優の大橋一元さんに勧められて、劇作家の福田恆存主宰の「現代演劇協会」の付属劇団「雲」に養成員(見習い)として入り、俳優としての活動をスタートさせています。
勝野洋の若い頃② 「太陽にほえろ!」の新人刑事テキサス役でブレイク
大学在学中に劇団に入った時、実は勝野洋さんはあまり俳優の道には興味はなく、記念のような形で劇団に入っただけで1年だけ活動したら大学に戻って就職活動をしようと考えていたのだそうです。
そんな時に当時国民的人気があった刑事ドラマ「太陽にほえろ!」の出演オファーが舞い込み、勝野洋さんは、とりあえず主演の石原裕次郎さんに会ってみようという気持ちだけで出演を決められたそうです。
ところが、いざ出演してみると、勝野洋さんの演じた新人刑事の三上順(愛称・テキサス)は人気を博し、最初は1年の出演予定だったのが大幅に延び、これをきっかけにして勝野洋さんは俳優としてブレイクを果たしました。
勝野洋さんが演じたテキサス刑事が殉職した回は、「42.5パーセント」という驚異の高視聴率を記録しました。これは全718回にわたって放送された「太陽にほえろ!」の歴代最高視聴率です。
勝野洋さんは当時、俳優としてはほとんど素人だったということで、最初の頃は何十回もNGを出したり、疲れのあまり寝坊して現場に遅れて先輩を何時間も待たせてしまったりと色々と大変だったそうですが、素直でストイックな性格から、石原裕次郎さんをはじめとする当時の大物俳優の先輩達にかわいがられ、この時の経験がその後の俳優としての成功へとつながったようです。
勝野洋の若い頃③ 立て続けにドラマに主演し一流俳優に
「太陽にほえろ!」のテキサス刑事役でブレイクした若い頃の勝野洋さんは、一躍人気俳優の仲間入りを果たし、その後立て続けにテレビドラマの主演に抜擢されています。
1976年10月から1977年11月にわたって全48回が放送された青春ドラマ「俺たちの朝」では、勝野洋さんは、主人公の岩崎修治役を熱演されています。
「俺たちの朝」の放送が終了した後の1978年には、勝野洋さんは映画「夜が崩れた」でスクリーンデビューも果たし、同年10月から放送がスタートしたドラマ「姿三四郎」では、主人公の柔道家・姿三四郎役に抜擢されています。
その後も、勝野洋さんは映画「ブルークリスマス」で映画初主演を果たしたのをはじめ、時代劇「柳生あばれ旅」の柳生又十郎宗冬役、「鬼平犯科帳」の酒井祐助役など、レギュラークラスの役柄に次々と抜擢され、一流俳優の座を確かなものとしています。
勝野洋の嫁はタレントのキャシー中島
勝野洋の嫁(妻)・キャシー中島のプロフィール
本名 :勝野八千代(かつの・やちよ)
生年月日:1952年2月6日
出身地 :アメリカ・ハワイ・マウイ島
血液型 :B型
勝野洋さんの嫁(妻)は、タレントでキルト作家のキャシー中島さんです。
勝野洋さんの嫁のキャシー中島さんは、ハワイアンキルトの国内の第一人者として知られ、その色彩豊かな作品で人気を集めています。
全国の主要都市6ヶ所でのキルトスタジオ運営や、オンラインキルトショップも展開されています。
キルト作家としては、パッチワークキルトの本場アメリカでも高い評価を得ており、アメリカのキルトコンテストでも数々の受賞歴を持ちます。
勝野洋さんの嫁のキャシー中島さんは、アメリカ人の父親と日本人の母親を持つハーフで、若い頃にはそのエキゾチックな美貌を生かしてモデルとして芸能活動をされていました。1979年、27歳の時に勝野洋さんと結婚し、これを機に一時芸能活動から距離を置きましたが、1984年にタレントとして復帰し、現在も活躍されています。
勝野洋と嫁のキャシー中島の馴れ初め
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勝野洋さんと、嫁のキャシー中島さんの馴れ初めは、結婚する約半年前の1978年10月頃で、きっかけはキャシー中島さんが勝野洋さんに一目惚れした事だったそうです。
キャシー中島さんは19歳の時に1度結婚の経験がありましたが、うまくいかずにすぐに離婚になってしまったそうで、次は長く一緒にいられる人と結婚したいという気持ちが強かったそうです。
そんな時に、テレビで俳優としてストイックに活躍されている勝野洋さんを見て、「こういう真面目な人と結婚したい!」と感じられたのだそうです。
キャシー中島さんはすぐに行動に移し、面識がなかった勝野洋さんと知り合うために、当時の勝野洋さんの行きつけのお店で毎晩張り込み、すぐに2人は一緒にお酒を飲む関係になります。
そして、馴れ初めから2ヶ月後には、勝野洋さんの方から「うちに可愛い猫がいるから見にこない?」と誘われ、そのまま一緒に暮らすようになったそうです。
勝野洋と嫁のキャシー中島の結婚は馴れ初めから半年のスピード婚
勝野洋さんとキャシー中島さんは1978年10月頃の馴れ初めから、わずか2ヶ月後の12月4日に一緒に暮らしはじめています。そして、1979年1月11日に婚約を発表し、2月25日に入籍というスピード結婚でした。
当時の芸能界でも珍しい超スピード結婚だった事に加えて、結婚発表当時、キャシー中島さんは天真爛漫で華やかなイメージで、一方の勝野洋さんはストイックで朴訥なイメージがあり、あまりにも2人が真逆のタイプだった事から、一部の週刊誌は「すぐに離婚する」などと、この結婚に対して否定的な記事を掲載しています。
キャシー中島さんは、そうした否定的な記事を見て、「本当に離婚したらこの記事を書いた人を喜ばせるだけだから意地でも離婚するものか」と思ったのだそうです。
事実、勝野洋さんと嫁のキャシー中島さんは、幸せな結婚生活を送り、芸能界でも指折りのオシドリ夫婦として知られるようになりました。
勝野洋と嫁のキャシー中島の子供① 娘(長女)の勝野七奈美
勝野洋の娘(長女)・勝野七奈美のプロフィール
生年月日:1979年11月19日
没年月日:2009年7月7日(享年29歳)
出身地 :東京都
勝野洋さんには、嫁のキャシー中島さんとの間に娘2人と息子1人の合計で3人の子供が生まれています。
勝野洋さんと嫁のキャシー中島さんの最初の子供は、結婚発表からちょうど10ヶ月後の1979年11月19日に生まれた長女の勝野七奈美(かつの・ななみ)さんです。
勝野洋さんとキャシー中島さんの娘の勝野七奈美さんは、18歳だった1998年3月に妹(勝野洋さん次女)の勝野雅奈恵さんとのペア写真集「デュオ-勝野七奈美・雅奈恵写真集」を発表して芸能界に入っています。
その後は、「NANAMI」の名義でのモデル活動を中心に、歌手やジュエリーデザイナーとしても活躍されていました。
2008年11月には、ヒップホップダンサーの猪田武さんと結婚し、幸せな様子を見せていましたが、2009年2月に体調不良を訴えて病院で検査したところ進行した肺がんが見つかり、同年7月7日、29歳という若さで亡くなりました。
勝野洋の娘(長女)の勝野七奈美は29歳で早逝
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勝野洋さんとキャシー中島さんの長女の勝野七奈美さんは29歳という若さで亡くなりました。
最愛の娘のあまりにも早すぎる死去に、葬儀での勝野洋さんとキャシー中島さんは深い悲しみに襲われている様子を見せていました。
母キャシーは終始ハンカチで涙をぬぐい、勝野も目を真っ赤に腫らして憔悴し切った表情だった。キャシー手作りのハワイアンキルトに包まれた七奈美さんの棺は、正午過ぎに出棺。棺には、ウエディングドレスや弟で俳優の洋輔が贈った帽子、愛用の財布や香水、アクセサリーなどが納められたという。
勝野洋と嫁のキャシー中島の子供② 娘(次女)の勝野雅奈恵
勝野洋の娘(次女)・勝野雅奈恵のプロフィール
生年月日:1982年1月11日
出身地 :静岡県御殿場市
勝野洋さんと嫁のキャシー中島さんの2人目の子供は、次女の勝野雅奈恵(かつの・かなえ)さんです。
勝野洋さんとキャシー中島さんの娘の勝野雅奈恵さんは、上でも触れたように姉の勝野七奈美さんとの同時デビュー後、女優やフラダンサーとして活躍された後、2011年にパリの「料理・製菓学校「エコール・リッツ・エスコフィエ」に留学されました。
勝野洋さんはそんな娘さん2人に対してはかなりの心配性だったそうで、大学時代の娘さん2人が夜遅くまで自宅に帰ってこないと、「ルング棒」というマサイ族がライオンと戦う時に使う棍棒を腰に差して、渋谷中のクラブを探し回った事もあったのだそうです。
スイス人男性と結婚して2人の子供(勝野洋の孫)を出産
勝野洋さんとキャシー中島さんの次女の勝野雅奈恵さんは、2015年に7歳年下のスイス人の一般男性、リカルドさんと結婚されています。馴れ初めは、この男性が2013年2月に日本に旅行に来ていたときに知り合い、その翌月に勝野雅奈恵さんが留学先のパリに戻った時に再会した際に、プロポーズを受けて結婚する運びになったそうです。
そして、勝野雅奈恵さんは、2016年11月22日に娘さんを出産しています。勝野洋さんは初孫の誕生をとても喜ばれていたそうです。
勝野雅奈恵さんの娘さんの名前は「八瑠子(はるこ)」さんで、これはキャシー中島さんの本名の「八千代」からとったそうです。
実は、勝野雅奈恵さんはこの初めての娘さんが誕生する前に3度の流産を経験されていました。そうして生まれた待望の子供だった事もあって喜びもひとしおだったようです。
3度の流産を乗り越え、わが子を抱いた雅奈恵は「無事に元気な女の子が産まれました。安産でした」とコメント。名前は、キャシーの本名、八千代の一字をとり、「八瑠子(はるこ)です」と明かした。
その後、勝野雅奈恵さんは、2019年6月11日に2人目の子供となる息子さんを出産しています。
勝野雅奈恵さんの息子さんの名前は「陽月(ひづき)」くんと明かされています。
勝野洋さんは2人の孫をとても可愛がられているようで、2人目の孫誕生報道後に登場した出演作の発表会見の場でも、孫が可愛くて仕方がないという発言をされていました。
俳優の勝野洋(69)、妻のキャシー中島(67)が24日、都内で行われた舞台『ホテル モントブランク』制作発表会見に出席。娘の雅奈恵(37)が今月、第2子となる男児を出産したが、洋は「一緒にいますから、いやーもう最高ですよ。こんなかわいいとは」と顔をほころばせた。
キャシー中島さんの2019年のインタビュー記事によると、勝野洋さんキャシー中島さんと、勝野雅奈恵さん夫婦、その子供2人は三世帯同居されているそうで、とても幸せな日々を送られているようです。
キャシー中島さんは、雅奈恵さんの長女の八瑠子さんについて、29歳で亡くなった自身の長女の七奈美さんによく似ているとも話されていました。
今は次女・雅奈恵夫婦に子どもが2人生まれ、3世代同居に。孫育てにも追われています。初孫の八瑠子は七奈美によく似ていて、かわいいのに根性がありそうです。
勝野洋と嫁のキャシー中島の子供③ 息子は勝野洋輔
勝野洋の息子・勝野洋輔のプロフィール
生年月日:1983年10月19日
出身地 :静岡県御殿場市
勝野洋さんとキャシー中島さんの3人目の子供は、1983年10月19日に生まれた息子の勝野洋輔さんです。
勝野洋さんの息子さんの勝野洋輔さんは、高校在学中から俳優として芸能活動を始め、2008年頃までドラマや映画などで活躍されていました。
2004年には、大学を中退して、文化服装学院のファッション工芸科へと入学し、2010年4月にはパリに留学して刺繍と被服について本格的に学ばれています。2015年の帰国後からは手芸家やデザイナーとして活躍されています。
ちなみに、勝野洋輔さんがパリへと留学したのは、あまりにも厳しすぎる勝野洋さんの教育から逃げたいという気持ちも関係していたのだそうです。
勝野洋輔さんは、2017年に勝野洋さんの息子として、バラエティ番組「有吉ゼミ」に出演した際に、鬼軍曹のように厳しかったという勝野洋さんのしつけについて話されていました。
2017年2月20日放送の『有吉ゼミ』(日本テレビ系)にて、息子の洋輔は子供時代の躾をこう振り返っている。「鬼軍曹みたいに厳しかった。勝野家の家訓があって『父より先に箸に手をつけてはいけない』。とにかくスパルタ」さらに洋輔が食事中にテレビに夢中になってしまった際には鍋をひっくり返して激怒。「リアル星一徹みたいな感じ。生まれて初めて見ました。鍋ってこうやって飛ぶんだ」と明かしていた。
ただ一方で、息子の勝野洋輔さんが手芸家やデザイナーとして独立された後には、勝野洋さんとはまるで兄弟のように仲の良い関係が築かれているというエピソードも明かされています。
また、キャシー中島さんは、自分のキルト作家の後継者を息子の勝野洋輔さんに任せたいと思われているそうで、数年のうちには自分の会社を引き継ごうと考えられているようです。
勝野洋の自宅はこれまでに国内外に7軒
勝野洋さんとキャシー中島さんの夫婦は、結婚以来合計で7件の自宅を建てられています。
勝野洋さんはキャシー中島さんとの結婚後には、東京代々木にマンションを購入し、そこを自宅にされていたそうなのですが、長女と次女が生まれた後にはマンションが手狭になり、富士山の近くの御殿場に5LDKとトレーニングルーム、広い庭を備えたおしゃれな自宅を建てられています。
この御殿場の自宅はその後、カフェに改装されていて、庭には小さな黄色い家が建てられ、そこではお茶を飲みながらキルトを楽しめる話題のスポットとなっていましたが、2021年に取り壊されています。
勝野洋さんと嫁のキャシー中島さんは息子の勝野洋輔さんが誕生し、洋輔さんが小学校に上がった頃に、鎌倉の極楽寺の周辺に新しく小さな自宅も建てられています。こちらの自宅では、1階をパッチワークのアトリエ兼ショップを開き、2階を住居にして、週末だけ家族でこの自宅で過ごされていたそうです。
また、嫁のキャシー中島さんのルーツでもあるハワイにも勝野洋さん夫妻は自宅を持たれています。マウイ島にある小さな家で、ここには子供達が小さい頃に毎年の夏と冬1ヵ月間ずつ滞在されていたそうです。
このハワイの最初の自宅は2000年に売却し、新しく、オアフ島ホノルルアラモアナに新築のコンドミニアムを購入されたそうで、現在はハワイに滞在する時にはこちらの自宅で過ごされているそうです。
勝野洋さんとキャシー中島さんの現在の主な自宅は、東京都世田谷区三軒茶屋に建つ4階建て5LDK、大理石の床のリビングを持つ豪奢な住宅です。
勝野洋の現在…俳優として第一線で活躍を続けている
勝野洋さんは2022年の誕生日で73歳を迎えますが、現在も俳優として第一線での活躍を続けられています。
2021年には映画「太陽は動かない」に小田部教授役で出演。2022年には2時間サスペンスの人気シリーズ「さすらい署長 風間昭平」の第15作に、警察OBの倉持大役で出演されていました。
まとめ
今回は「太陽にほえろ!」のテキサス刑事役などで知られるベテラン俳優の勝野洋さんについてまとめてみました。
勝野洋さんは若い頃、青山学院大学在学中にモデルとして活動していたのをきっかけに「太陽にほえろ!」に出演する事になり、新人刑事テキサスの役で大ブレイクを果たし、一躍人気俳優となりました。
嫁はタレントでキルト作家のキャシー中島さんで、2人の馴れ初めはキャシー中島さんの一目惚れによる猛アタックだったそうです。勝野洋さんとキャシー中島さんは馴れ初めから約半年後の1979年2月にスピード結婚されています。
勝野洋さんとキャシー中島さんは娘2人と息子1人の計3人の子供に恵まれています。1人目の子供は長女の勝野七奈美さんで、モデルや歌手、ジュエリーデザイナーとして活躍されていましたが、肺がんを患い、29歳という若さで他界されています。
2人目の子供は次女の勝野雅奈恵さんで、女優やフラダンサーとして活躍後、スイス人男性と結婚し、2人の子供(勝野洋さんの孫)を出産されています。
勝野洋さんとキャシー中島さんの3人目の子供は息子さんの勝野洋輔さんで、俳優として活躍後、現在は手芸家、デザイナーとして活躍し、母のキャシー中島さんの後継者と目されています。
勝野洋さんとキャシー中島さんは、これまでに7件の自宅を建てられていて、それぞれの自宅の洒落たデザインがよく話題にされています。現在の主な自宅は世田谷区三軒茶屋の4階建ての豪邸のようです。
現在も勝野洋さんは俳優として活躍されていて、映画やドラマに数多く出演されています。