「サユリスト」という熱狂的なファンを持つ、戦後最大の清純派スターで大女優の吉永小百合さん。70歳を超えた現在も尚その美しさは衰えず、映画界の第一線で活躍し続けています。
吉永小百合さんの結婚した夫の岡田太郎さんや子供がいない理由、また若い頃の写真から現在までの活躍について詳しく総まとめしましたのでご紹介します。
この記事の目次
吉永小百合のプロフィール
熱狂的なファンを持つスター・吉永小百合
映画『伊豆の踊子』や『ふしぎな岬の物語』などに出演し、代表曲『いつでも夢を』などで歌手としても成功してきた大女優の吉永小百合さん。その類まれな美貌から「サユリスト」と呼ばれるファンに熱烈な支持を受けてきました。
現在はドラマ出演はしておらずテレビはCMだけで映画を中心に活動していますが、バラエティ番組には時折出演しており、70代となっても衰えない美しさが常に注目の的となっています。
吉永小百合さんについての詳しいプロフィールはこちら。
本名: 岡田 小百合(おかだ さゆり)
生年月日: 1945年3月13日
出身地: 東京都渋谷区
身長: 157cm
体重: 非公開
血液型: O型
職業: 女優、歌手
ジャンル: 映画、テレビドラマ、CM
活動期間: 1957年 –
配偶者: 岡田太郎
引用:Wikipedia – 吉永小百合
現代ではアンチエイジングの技術が進み、4、50代でも瑞々しい美しさを保っている”美魔女”と呼ばれる女性が増えていますが、昭和の激動を生きてきた吉永小百合さんの美しさは今もなお全く衰えていません。
芸能界にも多くファンを持つ吉永小百合さんは、特にタモリさんから熱烈な好意を寄せられており、しきりにアプローチされ続けてきました。
タモリさんにとっては吉永小百合さんは「女神」であり、タモリさんが司会を務めていた長寿番組『笑っていいとも!(フジテレビ系)』の『グランドフィナーレ 感謝の超特大号』には熱烈なオファーをついに受けてくれてタモリさんの長年の夢を叶えてあげました。
昭和を代表する大女優・吉永小百合さんについて生い立ちから詳しく総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
吉永小百合の若い頃の経歴
吉永小百合の生い立ち&経歴
吉永小百合の実家は名家だった
吉永小百合さんの父親・吉永芳之さんは出版社「シネ・ロマンス社」を経営する社長でしたが必ずしも裕福では無かったようです。
吉永芳之さんは鹿児島出身で東大法学部を卒業してる超インテリで、九州耐火煉瓦と外務省の嘱託を経て出版社「シネ・ロマンス社」を立ち上げました。
吉永芳之さんは飯島正さん、双葉十三郎さんらと映画のファン雑誌「シネ・ロマンス」を創刊しましたが振るわず事業に失敗して撤退したようです。
これにより、吉永小百合さんの実家は一時期米粒ひとつもない貧困の日々を送ったこともあったようで、小学校時代には借金取りが取立てにやってきたこともあったということです。
一方、吉永小百合さんの母親・和枝さんは山の手にある名家の生まれてであり、短歌結社誌「潮音」に所属していた歌人でした。
- 父親の事業失敗により困窮していた家庭を支えようと、吉永小百合さんは新聞配達をすることを提案しましたが親に止められてしまったそうです。
しかし、吉永小百合さんはその後ラジオ出演をするようになったことで手当が貰え、家計の支えになっていったようです。
吉永小百合は姉と妹がいた
吉永小百合さんには年齢は不明ながら姉と妹がおり三姉妹の真ん中で、小学校は渋谷区立西原小学校でした。
吉永小百合さんは小学校時代に病弱だったそうで、何度も肺炎にかかり年間1ヶ月は欠席することがあったようです。
しかし、性格はおてんばだったようで、吉永小百合さんはサボっている男子を追いかけて注意するなど男子顔負けな少女だったようです。
吉永小百合さんは小学校時代から成績優秀で、渋谷区立代々木中学校に上がってからは演劇部に所属して演技をすることに目覚めたようです。
吉永小百合さんは高校は都立駒場高校から私立精華学園高校に転校していますが、馬術部に所属しており卒業後は早稲田大学第ニ文学部史学科に進学しました。
吉永小百合さんの大学の卒論テーマは「アイスキュロスの「縛られたプロメテウス」におけるアテネの民主制について」という非常に文学的なものでした。
吉永小百合、女優としてデビュー
吉永小百合は12歳からボイストレーニングに通っていた
吉永小百合さんは12、13歳頃から「ひばり児童合唱団」に通いボイストレーニングの個人レッスンを受けていたそうです。
吉永小百合さんは団員では無かったようですが、「ひばり児童合唱団」の創設者である皆川和子さんの紹介により松竹映画でデビューの道が開けました。
吉永小百合さんは小学校6年生の1957年にラジオ東京で放送していたラジオドラマ『赤胴鈴之助』で声優デビューを果たし、同年10月にテレビドラマ『赤胴鈴之助(TBS系)』でテレビ女優デビューを果たしました。
1959年には松竹映画『朝を呼ぶ口笛』で吉永小百合さんは映画女優デビューを果たし、順風満帆な芸能人生がスタートしました。
吉永小百合さんは1999年4月13日に放送された『スタジオパークからこんにちは』で、映画の撮影で俳優の三木のり平さんとのキスシーンが自身のファーストキスになったことを明かしています。
吉永小百合さんはその完璧な美少女ぶりから瞬く間にブレークし、ちょうど日活映画が石原裕次郎さんや小林旭さんのような男性スターの売り出しが落ち着き、スター女優の発掘に力を入れ始めた頃に吉永小百合さんが登場しました。
1962年には映画『キューポラのある街』で吉永小百合さんは当時では最年少での「ブルーリボン主演女優賞」を受賞し、代表作となる映画『伊豆の踊子』や『若い人』『青い山脈』など立て続けに主演作に出演を続け、1960年代だけでも70本を超える映画に出演し昭和を代表する大スターとなっていきました。
歌手としても成功した吉永小百合
吉永小百合さんは同時期にデビューレコード『寒い朝』で20万枚のスマッシュヒットを飛ばすと、橋幸夫さんとのデュエットソング『いつでも夢を』で「第4回日本レコード大賞」を受賞し、30万枚の大ヒットとなりました。
吉永小百合さんは相当多忙の日々を極めていて高校を中退することになりますが、その後父親譲りの頭脳明晰さからか高卒程度の学力が認められて早稲田大学第二文学部に入学し、次席の成績で卒業しています。
当時、男性映画スターによるアクション作品が飽きられ始めていた中で、吉永小百合さんの登場は日本映画界にとっても新しい旋風を巻き起こすことになり、特に浜田光夫さんと共演した純愛青春映画は新たな映画ファンの獲得と息の長い支持を得ることにつながりました。
吉永小百合さんの代表作でベストセラー小説を映画化した『愛と死をみつめて』や『キューボラのある街』などは特に根深いファンを獲得することになります。
吉永小百合さんのブロマイド写真は飛ぶように売れてすぐに完売してしまう勢いであり、1964年、1968年、1969年においては年間売上実績が女性タレント部門で1位になりました。
吉永小百合さんは当時日活映画の看板を背負う松原智恵子さんと和泉雅子さんとともに「日活三人娘」と呼ばれました。
そうした熱狂的なファンを獲得する一方で、吉永小百合さんは脅迫を受けたり、狂信的なファンにより襲撃される被害にも遭っています。
吉永小百合脅迫事件とは?
吉永小百合さんの自宅に熱狂的ファンが侵入
1963年5月から8月にかけて、国民的アイドルとなった吉永小百合さんの自宅に「草加次郎」を名乗る6通の脅迫状が届きました。
その脅迫状の送り主である「草加次郎」は前年までに連続爆破事件の犯人もでもあり、1963年7月15日に東京都台東区の上野公園でおでん屋台を営んでいた店主に打ち込まれた弾丸と同じ材質の弾丸が脅迫状と一緒に封入されていました。
脅迫状の内容は100万円を要求するものであり、4通目までの脅迫状には吉永小百合さんの父親が上野駅前にある喫茶店に来るように書かれていましたが、結局犯人は現れませんでした。
7通目の脅迫状には9月9日、9月10日に「草加次郎」が指定する急行列車から指示する場所でサインとともに100万円を投下するように書かれてありましたが、いずれの日にも犯人からのサインはありませんでした。
吉永小百合さんはこの世間を震撼させた「草加次郎」の事件では事なきを得ましたが、この事件の同年に熱烈なファンに自宅に侵入されてナイフを突きつけられる被害に遭っています。
さらに、1975年には新宿コマ劇場で『FNS歌謡祭』の生放送本番直前に、司会を務める吉永小百合さんのもとに男がナイフを持って襲撃して腹部を刺しましたが、幸い着物の帯が厚かったためナイフを通さずに事なきを得ました。
吉永小百合の衰えない美しさの秘訣は”水泳”?
吉永小百合は何処にでも水着を持っていく
吉永小百合さんは水泳がとても好きであり、どこに行くにも水着は持って行ってプールがあれば泳ぐそうです。
吉永小百合さんは昭和の代表的な清純派女優ですが、その清楚なイメージとは裏腹にとても活発な女性として知られています。
吉永小百合さんは水泳が大好きで毎日数キロは泳いでいるそうで、撮影でロケ先に行っても水着を持参して行くためプールなど泳げる環境があれば泳いでいるそうです。
吉永小百合さんが70歳を超えてもなお背筋が伸びて若々しいプロポーションを保っているのも確実に長年の水泳の効果なのでしょう。
また、吉永小百合さんは美肌でも話題になりますが、元々人気女優ほど撮影が多いため化粧のし直しや撮影用ライトを浴びているため肌の劣化が早いと言われています。
それでも吉永小百合さんが美肌をキープし続けている理由は洗顔だと語っており、普通に洗うのではなく心を落ち着けてゆっくりと丁寧に時間をかけて洗っているそうです。
そうした美への細心の心配りが吉永小百合さんが美魔女を超えるような美しさを保ち続けている秘訣なのでしょう。
吉永小百合が結婚した旦那・岡田太郎と子供について
吉永小百合の旦那は元共同テレビ社長の岡田太郎
吉永小百合を少女から女に変えた岡田太郎
吉永小百合さんは国民的アイドルとして絶大な人気を誇っていましたが、子役から活躍していたためどこか清純な少女の印象から抜け出せずにいました。
1973年に吉永小百合さんは当時フジテレビのディレクターを務めていた岡田太郎さんと出会い、電撃結婚をしたことで世間に大きな衝撃を与えました。
特に「サユリスト」と呼ばれる吉永小百合さんの熱烈なファンにとっては地獄のような瞬間だったことでしょう。
当時吉永小百合さんは28歳で、岡田太郎さんは43歳でバツイチだったこともあり、15歳の年の差婚は戦後では珍しかったようです。
吉永小百合さんと岡田太郎さんは当時結婚を大反対されていましたが、その後夫婦関係は良好であったものの、吉永小百合さんは実母との確執から子供を作らないことを決めていたため子供はいないようです。
岡田太郎さんはその後共同テレビの社長に出世し、会長や相談役を経て引退しています。
吉永小百合さんは旦那の岡田太郎さんの影響で将棋にハマり、将棋棋士の大内延介さんと交流があった他、1976年の「将棋会館」建設に多額の寄付をしています。
吉永小百合の夫は岡田太郎なのだけど岡田違いの岡田裕介と不倫疑惑が報じられたことありましたなァ。男どもが死に絶えるまで吉永小百合さんには長生きして頂き「女優だから女だから」を著して頂きたい。
— 猫BANBAN (@horse_sheep) 2018年3月6日
吉永小百合の結婚にタモリも大ショックだった
先述しましたがタモリさんは芸能界を代表する「サユリスト」ですが、吉永小百合さんの結婚について後年に対談した折に「私が結婚したから吉永小百合さんも焦って結婚した」と冗談を飛ばしています。
一方で吉永小百合さんは若い頃はタモリさんについて「好きではなかった」と語っているものの、タモリさんの熱烈なオファーを受けて『笑っていいとも!』のグランドフィナーレで出演しました。
近年、俳優としても活躍している笑福亭鶴瓶さんが吉永小百合さんと共演して気軽に交流していることについて、タモリさんは本当に怒っているそうです。
吉永小百合の弟が鶴瓶なのが許せないと言ったタモリさんの理由がわかる。。。絶対に嫌だwww
— しんも〜 (@simoyuki) May 8, 2011
吉永小百合の旦那・岡田太郎が死去
出典:https://start.jword.jp/
吉永小百合さんは2023年9月に出演した『徹子の部屋』で、旦那の岡田太郎さんが毎日朝ごはんを作ってくれていることなど結婚生活について明かしていました。
岡田太郎さんはスクランブルエッグやコーヒーなど洋風の朝食を用意してくれることが多かったようで、吉永小百合さんは「とてもありがたいです」と感謝の言葉を口にしていました。
しかし、その後2023年12月に岡田太郎さんは胆のうがんと診断されたようです。
化学療法の治療を受けていた岡田太郎さんですが、2024年9月、都内の病院で亡くなったことが吉永小百合さんから発表されました。
吉永小百合さんは地方での仕事を終え病院に駆けつけ、約50年連れ添った最愛の夫を看取ることが出来たといいます。
岡田太郎さんは享年94歳ということで、吉永小百合さんも「大往生だと思います。」とのコメントを寄せていました。
吉永小百合の昔の若い頃のかわいい画像特集
吉永小百合の昔の若い頃のかわいい画像①
吉永小百合さんの昔の若い頃の容姿は広瀬すずさんと似ていると言われることがあるようです。
吉永小百合の昔の若い頃のかわいい画像②
タモリさんが「女神」だと崇め続けてきたのが分かるほど吉永小百合さんの若い頃の容姿はかわいいですね。
吉永小百合の昔の若い頃のかわいい画像③
吉永小百合さんの20代くらいの若い頃の画像だと思いますが、完璧な美肌をしていたようです。
吉永小百合の昔の若い頃のかわいい画像④
吉永小百合さんの若い頃は世の中の多くの男性を狂わせてしまったようですね。
吉永小百合の昔の若い頃のかわいい画像⑤
吉永小百合さんの昔の画像からは本当に清純派女優だったのだと感じさせてくれます。
吉永小百合の昔の若い頃のかわいい画像⑥
吉永小百合さんの昔の容姿は広瀬アリスさんや土屋太鳳さんにも似ているかもしれませんね。
吉永小百合の昔の若い頃のかわいい画像⑦
吉永小百合さんの20代後半か30代前半くらいの若い頃だと思いますが、40代の可能性もあるかもしれません。
吉永小百合の昔の若い頃のかわいい画像⑧
吉永小百合さんはもはや年齢不詳と言ってもいいかもしれませんね。
15歳の吉永小百合
— ジンジャー (@Gingersalt27) January 2, 2023
広瀬すずみたい
かわいい pic.twitter.com/8UTAJswpib
吉永小百合の私生活エピソードから分かる性格
吉永小百合の私生活エピソードから性格を探る
ネット上で分かる吉永小百合さんの私生活エピソードから性格の傾向を探ってみましたのでご紹介しましょう。
吉永小百合の好物は素朴
吉永小百合さんは好物におにぎりを挙げており、素朴でシンプルな性格をしているのかもしれません。
吉永小百合の健康法は筋金入り
吉永小百合さんは毎日20粒のブルーベリーを摂取しており、腹筋100回と就寝前のストレッチは毎日欠かさないようです。また、40歳の頃から水泳をずっと続けており、週に最低3キロは泳いでいるようです。さらに疲れた時ほどあえてジョギングをしているようで、そうしないと逆に疲れるそうです。
吉永小百合はおっちょこちょいな性格?
吉永小百合さんは過去に生ガキをあけようとしてナイフで自分の手を切ったことや、大根おろしで指をおろしてしまった事が何度もあるそうです。
吉永小百合は落ち着きのない性格?
吉永小百合さんは常に動いていないと落ち着かない性格のようで、ボーっとすることが苦手なようです。
吉永小百合は大のラグビーファン
吉永小百合さんは母校の早稲田大学でラグビー部の試合を応援し、合宿所に陣中見舞に行っていたそうです。毎年牛1頭分の肉を差し入れしており、「吉永牛」と呼ばれていたようです。
吉永小百合は仕切り役な性格?
吉永小百合さんはプライベートでは幹事役を務めるのが好きなようで仕切りたい性格なのかもしれません。
吉永小百合は用意周到な性格?
吉永小百合さんは仕事で使う衣装は自分で購入するようで、撮影前には人間ドックに入ったり歯医者で歯を綺麗にしたりするようです。
吉永小百合さんの私生活エピソードから分かる性格を一言で表すなら「しっかり者」ということでしょうか。
吉永小百合さんは10代から息つく暇もないほど超多忙な生活を送り、気を張っていたことからそうした性格になっていったのかもしれませんね。
だからさ、そんな年上敬わないニノが、吉永小百合さんの事いい人いい人って言うから、
— さくや@腐女子年中無休 (@mikamiaoi) 2018年1月2日
本当に吉永小百合さんていい人なんだ!って思う(笑)
https://twitter.com/soe_taro_1/status/1645348729954897921
吉永小百合について総まとめすると・・・
1950年代後半から女優としてブレークし、「サユリスト」と呼ばれる熱狂的ファンに支持されてきた昭和の大スター・吉永小百合さんについて総まとめしてきました。
吉永小百合さんが結婚した岡田太郎さんとの間に子供がいないのは勿体無いと思う人も多かったと思いますが、それが大スターの宿命でもあったのでしょう。
2025年に80歳を迎える吉永小百合さんですが、現在も映画界の第一線で活躍を続けています。2017年に亡くなった野際陽子さんのように恐らく生涯現役で女優を続けていくのでしょう。