昭和の銀幕スターである上原謙さんは、結婚歴と子供や孫など私生活も話題です。
今回は上原謙さんの身長、家系図や実家、若い頃の経歴、元嫁の小桜葉子さんと大林雅美さん、息子の加山雄三さんと娘の仁美凌さん、晩年や死因を紹介します。
この記事の目次
- 上原謙は「日本一の美男子」と呼ばれた高身長スターで加山雄三の父親
- 上原謙のプロフィール
- 上原謙は高身長だった
- 上原謙の華麗なる家系図 【先祖は平家・子供も孫も芸能人】
- 上原謙の若い頃の経歴① 子供の頃から美貌が目立っていた
- 上原謙の若い頃の経歴② 2枚目俳優としてブレイク
- 上原謙の若い頃の経歴③ 松竹を退所しフリー俳優へ
- 上原謙の1回目の結婚① 1人目の嫁は女優・小桜葉子
- 上原謙の1回目の結婚② 嫁・小桜葉子との結婚は周囲から反対されていた
- 上原謙の1回目の結婚③ 嫁・小桜葉子の家系図も華やかだった
- 上原謙の2回目の結婚① 2人目の嫁は元ホステス・大林雅美
- 上原謙の2回目の結婚② 加山雄三が再婚に猛反対
- 上原謙の2回目の結婚③ 子供が2人誕生している
- 上原謙の2回目の結婚④ 離婚理由は上原謙の仕事が減ったから?
- 上原謙の子供① 息子は加山雄三
- 上原謙の子供② 娘は仁美凌
- 上原謙は孫の代も俳優ばかりで華やか
- 上原謙の晩年
- 上原謙の死因は急性心不全
- まとめ
上原謙は「日本一の美男子」と呼ばれた高身長スターで加山雄三の父親
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二枚目俳優として一世を風靡した上原謙
上原謙さんは、1930年代中盤から1950年代後半にかけて活躍した二枚目スターです。
日本人離れした端正な顔立ちとスラリとした体型で、視聴者の心を釘付けにする美しさを持っていました。
また、子供や孫も俳優の道に進んでおり、芸能一家で知られています。
上原謙のプロフィール
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上原 謙(うえはら けん)
本名: 池端 清亮
生年月日: 1909年11月7日
出身地: 東京府東京市牛込区(現在の新宿区)
没年月日: 1991年11月23日
超が付くほど一流の俳優だった上原謙さんですが、1991年に死去してから30年以上の年月が経過しているので、ご存知ない方もいるかもしれませんね。
まずは、上原謙さんのプロフィールを振り返ってみましょう。
上原謙さんは1935年に松竹から俳優デビューし、絶世の美男子として人気を博しました。今なら「イケメン俳優」と言われているかもしれませんね。
銀幕スターとして多くの作品に出演した後、松竹を退所。その後は戦後初のフリー俳優になり、新たな俳優の形を示して活躍しました。
1991年に享年82歳で死去しましたが、その風貌と輝かしい経歴はもちろん、波瀾万丈な人生を送ったことでも知られています。
上原謙は高身長だった
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上原謙さんが二枚目スターとして君臨し続けていたのは、女性からの絶大な支持によるところが大きく、172cmという高身長だったことも挙げられます。
172cmなんて普通だと思われるかもしれませんが、第二次世界大戦が終了した1945年頃の日本人成人男性の平均身長は165cm、なお現在の平均身長は172cmです。
つまり、上原謙さんは当時の平均身長よりも7cm高く、70年前にすでに現在の平均身長と同じ身長があったということになります。
ハンサムかつ高身長という、抜群のルックスだったということですね。
上原謙の華麗なる家系図 【先祖は平家・子供も孫も芸能人】
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上原謙さんは、息子が加山雄三さんで娘は仁美凌さん、孫も芸能人という華やかな家系図で知られていますが、先祖に遡っても名のある一族であることが判明しています。
先祖は平家の一族
上原謙さんの本名は「池端清亮」さんといって、池端家の先祖を脈々と辿ると平家の一族のようです。
壇ノ浦の戦いで源氏に敗れたものの、生き残った平家の一族が鹿児島に逃れ、土着したのが池端家で、800年に及び存続してきました。
このため、池端家の男性は「平清盛」から一文字をもらい、名前に「清」の字が付けられているといいます。
江戸時代には薩摩藩島津家の士族として、徳川家第13代将軍・徳川家定の正妻である篤姫の世話役を務める大役を請け負ったことから見ても、一流の武家だったことは間違いないでしょう。
世が世なら本家当主だった?
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上原謙さんの父親・池端清武さんは軍人でしたが、本家の伯父は鹿児島市で池端家の当主を務めていました。
当主をしている伯父に息子がいなかったため、上原謙さんが跡継ぎとして候補になり、養子縁組の話が持ち上がったそうです。
養子縁組の話を取り付けるために、伯父の1人娘の旦那であり、鹿児島市の市長を務める上野篤さんが上京しました。
上原謙さんの父親との話し合いの結果、上原謙さんが養子になることが確定します。
しかし、上野篤さんが帰路に着くために乗った特急列車が、山陽本線で脱線事故を起こし、上野篤さんは死去してしまいました。
これにより、上原謙さんが鹿児島に移住して本家の家長となる計画が立ち消えとなったそうです。
もし事故が起きていなかったら、上原謙さんは全く別の人生を送っていたことになりますね。
上原謙の若い頃の経歴① 子供の頃から美貌が目立っていた
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学生時代の上原謙
ここからは、上原謙さんの若い頃を振り返ってみたいと思います。
芸能界にデビューする前の様子や、芸能界に入ったきっかけを紹介します。
学友がオーディションに応募していた
上原謙さんは子供の頃から美少年ぶりが近所で有名で、ボーイスカウトの音楽隊で指揮をしていた時は、あまりのルックスの良さにその場にいた者を釘付けにしたそうです。
成長した上原謙さんは立教大学に入学すると、オーケストラ部に所属し、トランペットを担当しました。
大学でもイケメンぶりは有名で、1933年に友人が無断で上原謙さんの写真を松竹蒲田の新人発掘オーディションに送ったそうです。
オーディションに見事合格した上原謙さんは、大学卒業後に松竹に入社が決まり、1935年に映画「若旦那・春爛漫」で俳優デビューを果たしています。
上原謙の若い頃の経歴② 2枚目俳優としてブレイク
爽やかな風貌と演技で人気を博す
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2本目の出演作品「彼と彼女と少年達」で主役を演じた上原謙さんは、共演した桑野通子さんと「アイアイ・コンビ」とファンから呼ばれ、一躍ブレイクしました。
その次の作品である「恋愛豪華版」ではこれまでにない若者像を演じ上げ、二枚目俳優としてのポジションを確立したのです。
スターにのし上がった上原謙さんでしたが、1936年に徴兵されて軍役することになりました。当時の日本の制度では、軍役は国民の義務で拒否はできませんでした。
台中で軍隊生活に入った上原謙さんの元には、日本全国から大量にファンレターが届き、山をなしてしまったそう。
これを整理するために、事務方の担当者は忙殺されたというエピソードが有名です。
その後、上原謙さんは原因不明の発熱を起こしたことで、予定の任期よりも早く除隊することになり、芸能界に復帰しています。
上原謙の若い頃の経歴③ 松竹を退所しフリー俳優へ
高額納税者ランキングトップを飾る
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軍から戻った上原謙さんは、次々に映画やメロドラマに出演し、多忙な日々を送り、高額納税者ランキングのトップを飾るほどその人気はとどまることを知りませんでした。
しかし、同じような爽やかな青年役ばかりが回ってくることに悩むようになります。
役者としての幅も狭まってしまうことに加え、ドラマチックにするためのご都合主義の展開や、女性を中心に据えた設定にウンザリしてしまったんです。
こうして、大学卒業と同時に入社した松竹を退社して、日本映画界初となるフリーの俳優に転身しました。
1951年に「めし」、1953年に「煙突の見える場所」、1956年「山の河」などの映画史に残る名作に出演し、日本映画の黄金期を作り上げました。
上原謙の1回目の結婚① 1人目の嫁は女優・小桜葉子
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最初に結婚した女優の小桜葉子
上原謙さんを語る上で欠かせないのが、女性関係の煌びやかさです。
若い頃は恋多き男性、年齢を重ねてからは38歳年下の女性との再婚と離婚が話題になり、連日テレビで大きく取り上げられるなど、プライベートでも注目を集めました。
そんな上原謙さんの最初の嫁は、元女優の小桜葉子さんです。
小桜葉子のプロフィール
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小桜 葉子(こざくら ようこ)
本名: 池端具子(いけはたともこ)
生年月日: 1918年3月4日
没年月日: 1970年5月12日
出身地: 東京都千代田区霞ヶ関
活動期間: 1925年~1936年
小桜葉子さんは、1925年に小笠原プロダクションに入り、子役として芸能界デビュー。翌年、松竹蒲田に移籍しています。
デビュー後は主演をはるなど、子役として成功していましたが、成長するにつれて少しずつ人気は落ちていきました。
ちょうどその頃、上原謙さんが松竹に入り、2人は出会います。
そして1936年10月、18歳の若さで上原謙さんと結婚すると芸能界を引退。翌年、息子の加山雄三さんを出産した後しばらくは専業主婦をしていたようです。
結婚後から太り始めた上原謙さんのために、体操と食事療法を学び、独自の「小桜式プッシュ体操」を考案すると、以降は美容界で活動することになります。
加山雄三さんが芸能界デビューした後は、小桜式美容体操の講師としてテレビに出演することもありました。
晩年、小桜葉子さんは子宮がんを患います。がんが見つかった時には既に手遅れの状態だったそうで、1970年5月12日に死去しました。享年52歳でした。
葬儀の喪主は上原謙さんが務めましたが、悲しみのどん底で人前に立てる状態ではなく、加山雄三さんが代わりに挨拶を行ったことがニュースでも大々的に取り上げられました。
上原謙の1回目の結婚② 嫁・小桜葉子との結婚は周囲から反対されていた
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結婚式を挙げた小桜葉子と上原謙の写真
上原謙さんは、小桜葉子さんとの結婚について所属先の芸能事務所からかなり反対されていたようです。
また、小桜葉子さんも芸能界の師匠にあたる大物女優・栗島すみ子さんに結婚を猛烈に反対されていたことが判明しています。
お互いに大事な存在から反対されたものの、それを押し切る形で2人は結婚に踏み切りました。
結果的に、上原謙さんの方は結婚したことによる俳優としてのダメージは少なく済んだようです。
しかし小桜葉子さんは、栗島すみ子さんの家に結婚の挨拶に行っても門前払いで、それ以降、小桜葉子さんと栗島すみ子さんの間は険悪になり、最後まで和解することはありませんでした。
この件について、上原謙さんは自身の著書『がんばってます』で、「手塩にかけて育てた愛弟子をかっさらわれるような思いだったんだろう」と語っています。
上原謙さんも後年、後身を育てる経験しているので、当時の栗島すみ子さんの気持ちに共感できたようですね。
上原謙の1回目の結婚③ 嫁・小桜葉子の家系図も華やかだった
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小桜葉子さんの旧姓は「岩倉具子」と言います。お気づきの方もいると思いますが、家系図を遡ると曾祖父は岩倉具視さんです。
岩倉具視さんと言えば、江戸時代から明治にかけて辣腕を振るい「維新十傑」と呼ばれている人物であり、死去した際には日本初の国葬が取り行われました。
また、昭和44年に作られた500円札の紙幣には岩倉具視さんの肖像画が採用されています。
父方の叔母の周子さんは東伏見宮依仁親王妃にあたり、弟の岩倉具憲さんはホテル「パシフィックパーク茅ヶ崎」の社長を務めるなど、華やかな親族ばかり。
妹も小桜昌子として活躍した松竹の女優で、小桜昌子さんの息子は音楽プロデューサーの北嶋修さん、北嶋修さんの娘は元タレントの北嶋舞さんです。
上原謙の2回目の結婚① 2人目の嫁は元ホステス・大林雅美
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再婚相手の大林雅美(右)
最初の嫁である小桜葉子さんと死に別れた上原謙さんは、5年後の1975年、38歳年下の大林雅美さんと再婚し、「老いらくの恋」、「資産狙い」などと注目を集めました。
2人の間には子供も誕生しますが、1991年6月に離婚を発表しています。一体なぜ離婚してしまったのでしょうか。
2人の馴れ初めから、離婚に至る経緯について紹介します。
大林雅美は元ホステス
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大林雅美さんは、銀座のクラブでホステスをしていた女性です。
高校を中退後、クラブ歌手になったものの、歌手だけでは生活できずにホステスをしていたところ、上原謙さんが友人に連れられてクラブに来店。接客を担当したのが大林雅美さんでした。
38歳も年下だった大林雅美さんは、上原謙さんが往年の二枚目スターであることを知らず、気さくに「オッチャン」と呼んで接したそうです。
長年スターとして君臨していた上原謙さんは、どこに行ってもペコペコされるのが当たり前だったため、気軽に話しかけられたのはとても新鮮でした。
「オッチャン」と呼ばれて腹立たしい気持ちになるどころか、大林雅美さんを一度で気に入ってしまったのだとか。
その後2人は急接近して交際に発展し、1975年に結婚を発表。上原謙さんは66歳、大林雅美さんは28歳という年の差婚で、世間を大いに騒がせました。
上原謙の2回目の結婚② 加山雄三が再婚に猛反対
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息子の加山雄三
上原謙さんと大林雅美さんとの結婚にあたり、猛反対したのが息子の加山雄三さんとその嫁のめぐみさんでした。
取材記者からコメントを求められても、加山雄三さんは一切コメントせず、無言の反対を貫きました。
反対した理由は、大林雅美さんが元ホステスという点だったそうです。
すでにご説明した通り、鹿児島の名家である池端家と、母方の岩倉具視の子孫という高貴な血筋という自負が加山雄三さんには当然あったでしょう。
そのため、素姓のハッキリしない女性が後妻に入ることに抵抗があったのかもしれません。
上原謙の2回目の結婚③ 子供が2人誕生している
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結婚した翌年の1976年11月28日、上原謙さんと大林雅美さんとの間の第1子となる長女が誕生しました。
この時点で上原謙さんの年齢は67歳、大林雅美さんは29歳でした。
そして1980年には、第2子となる次女・仁美凌さんも誕生。上原謙さんが71歳の時です。
当時の週刊誌で「男はいくつまで子供をつくれるのか?」と特集が組まれるほど、上原謙さんの子供の誕生の知らせは世間の注目を集めました。
この頃の上原謙さんは、子供に恵まれて一番幸せな時期だったと言われています。
上原謙の2回目の結婚④ 離婚理由は上原謙の仕事が減ったから?
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上原謙さんと大林雅美さんが離婚したのは1991年です。
子供が誕生した後の上原謙さんは、次第に仕事のオファーが減少していきました。
一方、大林雅美さんは上原謙さんからの出資を受けて赤坂にスナックを開店し、経営に乗り出しています。
年月を経るごとに生活費は大林雅美さんが出すようになり、夫婦の関係に変化が起きていたそうです。
自宅にいる時間が長くなった上原謙さんと、生活費を稼ぐためにバリバリと店を切り盛りする大林雅美さんは、喧嘩が多くなっていきました。
近所に住む人の証言によると、大林雅美さんの金切り声が響き渡り、明らかに不仲な様子だったそう。
1990年の夏のある日、散歩中の上原謙さんが倒れて病院で療養することになります。
幸い重病ではなかったためすぐに退院できましたが、上原謙さんは大林雅美さんと子供2人がいる自宅には帰らず、加山雄三さんの自宅に身を寄せたことで完全に別居状態に。
そして離婚の手続きが完了した1991年、2人は離婚しました。
上原謙の子供① 息子は加山雄三
加山雄三のプロフィール
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加山雄三(かやま ゆうぞう)
本名: 池端直亮
生年月日: 1937年4月11日
出身地: 神奈川県茅ヶ崎市
血液型: A型
出身地: 175cm
幼少期は病弱だった
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加山雄三さんは、上原謙さんと小桜葉子さんとの間の第1子として東京都内で誕生しましたが、虚弱体質でした。
上原謙さんは子煩悩だったので、加山雄三さんのために、自然が多く体に優しい場所に引越しを検討し、神奈川県茅ヶ崎市に一家で移住しています。
自宅は、海と茅ヶ崎駅の中間に所在し、常にお手伝いさんが2人常駐していたそうです。
歌手として俳優として才能を発揮
成長した加山雄三さんは、慶応義塾大学を卒業後に東宝に入社し、1960年に映画「男対男」で俳優デビューを果たしました。
1961年には「夜の太陽」で歌手デビュー、大ヒットを飛ばし、その年のNHK紅白歌合戦に出場したことを皮切りに、これまで17回出場しています。
歌だけではなく、音楽家としてウクレレ奏者やギタリスト、ピアニストとしても活動。「若大将」のニックネームで愛されてきました。
こういった日本の音楽界への貢献が称えられ、2014年に旭日小綬章を受賞しました。
いつまでも若々しいルックスで年齢不詳な加山雄三さんでしたが、2020年8月29日、水を飲んだ際に誤嚥による嘔吐で病院に運び込まれ、小脳出血が発覚。
苦しいリハビリを乗り越えて、2021年3月25日にテレビ復帰を果たし、2021年4月11日には自身初のデジタルシングルをリリースするなど、まだまだ精力的に活動されています。
上原謙の子供② 娘は仁美凌
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次女の仁美凌
上原謙さんと大林雅美さんとの間に誕生した子供は2人で、どちらも娘です。
長女は一般人のようで詳細なプロフィールは非公開ですが、次女は女優の仁美凌さんです。
2度の離婚、2013年には逮捕など、波瀾万丈な人生を送っていることで知られています。
仁美凌のプロフィール
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仁美 凌(ひとみ りょう)
本名: 藤原芽英子
生年月日: 1980年11月3日
出身地: 東京都港区
血液型: AB型
仁美凌さんは、上原謙さんと大林雅美さんの次女で、本名は「芽英子」さんといいます。
物心ついた時にはすでに父親は大御所で、仁美凌さんは私立の東洋英和幼稚園に入るなど、お嬢様として育ちました。
しかし、中学生の時に上原謙さんが死去すると生活は一変し、生活費を削減するために学校を中退、公立の学校に転校したという辛い経験をしています。
2007年頃からは芸能活動を開始し、「解決!ナイナイアンサー」、「有吉反省会」、「私の何がイケないの?」など主にバラエティ番組で活躍していました。
1回目の結婚相手は若山騎一郎
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2012年5月に結婚した仁美凌と若山騎一郎
仁美凌さんは、2回結婚して2回離婚した経歴を持っています。
最初に結婚したのは、父親は若山富三郎さんで、伯父は勝新太郎さんという華やかな家系に生まれた2世俳優の若山騎一郎さんでした。
2012年5月15日に結婚、離婚を発表したのが同年10月15日という超スピード離婚が話題に。
仁美凌さんは後に「ノンストップ!」に出演して、この時の離婚原因はDVだったと明かしました。
仁美凌さんによると、仕事が原因で口喧嘩になり、若山騎一郎さんが蹴りを入れてきたそうで、この日を境に頻繁に暴力を振るわれることになり、身の危険を感じる日々だったといいます。
思いつめた仁美凌さんは、身を守るためにとっさにハサミを手に取り、投げつけたところ、若山騎一郎さんの脚に突き刺さってしまったそうです。
この件をきっかけに、2人は離婚に至ったといいます。
2回目の結婚相手も若山騎一郎
いざ離婚してみると、仁美凌さんはスッキリするどころか寂しさが募り、それは若山騎一郎さんも同様だったようで、2人はよりを戻して2013年5月に再婚しています。
しかし、約10か月後の2014年3月に再び離婚を発表。
同じ相手と再婚したのにまたもやスピード離婚となり、ワイドショーや週刊誌の格好のネタとなり、世間から注目を集めました。
離婚の原因は「性格が合わない」と仁美凌さんが悟り、見切りをつけたと言われています。
覚せい剤で逮捕されていた
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2013年11月28日、若山騎一郎さんの自宅に家宅捜査が入り、覚醒剤とガラス製の吸引器が押収されて逮捕されました。
若山騎一郎さんだけでなく、当時まだ婚姻中だった仁美凌さんも翌日に逮捕されています。
2人とも覚醒剤を1年ほど前から使用していたことを認め、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決が下りました。
2014年3月に離婚に至ったのは、この逮捕も影響していると見られています。
上原謙は孫の代も俳優ばかりで華やか
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ここからは、上原謙さんの孫について紹介します。
絶世の二枚目スターの血を引く孫のうち、俳優をしているのは加山徹さん、梓真悠子さん、池端えみさんの3人です。
加山徹
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加山徹さんは、加山雄三さんの第2子の次男として1975年8月8日に誕生しました。母親は、元女優の松本めぐみさんです。
1995年、日本テレビのドラマ「終わらない夏」で俳優デビュー。
この時は、二世俳優であることを知られたくないという思いがあり、芸名を「山下徹」として本名を隠して活動していました。
20代、30代と俳優経験を積む中で、次第に加山雄三さんへの見方が変わり、素直に父親をリスペクトできるようになったことで、2018年に芸名を「加山徹」に変えて再出発しています。
梓真悠子
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梓真悠子さんは、加山雄三さんの第3子の長女として1976年7月26日に誕生しました。根からのお嬢様で、幼稚舎から大学まで慶応義塾に通った経歴の持ち主です。
大学生だった頃にスカウトされて、21歳の時にNHK大河ドラマ「毛利元就」で華々しく女優デビューします。
大学を卒業後、一般人男性と結婚して子供にも恵まれましたが、2011年に離婚しています。
女優業の他に、料理家としての顔も持っています。
池端えみ
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池端えみさんは、加山雄三さんの第4子の次女として1978年3月28日に誕生しました。
2000年頃から芸能界に入り、2006年まで「池端絵美子」名義でしたが、2006年からは本名である「池端えみ」に改名しています。
2011年に結婚して、現在はニューヨークに住んでいるため、日本では芸能活動を2009年以降行っていませんが、海外では女優として活動を続けているようです。
上原謙の晩年
大御所とは思えないジャンルにも出演
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上原謙さんは、年齢を重ね大御所と呼ばれるようになると、これまでは出演したことのないジャンルにも挑戦しています。
晩年の上原謙さんは、男性用カツラのCMに出演し、自らカツラをカミングアウトしたり、お笑いバラエティ番組にも積極的に出演。
コメディアンが披露したギャグを「私もやりたい」と志願した際は、スタッフから「大スターの上原さんにそんなことをさせられない」と困らせてしまったそうです。
元々ダジャレが大好きだったそうで、地方公演では自ら望んでコントを披露していました。
晩年になり、絶世の美男子という足かせが外れたことで、上原謙さんが興味があったジャンルに挑戦できるようになったのかもしれませんね。
上原謙の死因は急性心不全
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上原謙の墓地
前述のように、上原謙さんは1991年6月に離婚が成立する前から自宅を出て、息子である加山雄三さん宅で余生を過ごしていました。
同年8月にはニューヨークへ親子旅行もしていましたが、その頃から少しずつ足腰が弱り始めていたそうです。
家の中を自由に歩き回るのは難しい状態だったと思われ、さらにお風呂に1人で入ることは周囲から心配されていましたが、上原謙さんは「大丈夫だ。心配ない」と介助を拒否していました。
しかし家族の不安は的中してしまい、1991年11月23日、上原謙さんはお風呂場でぐったりしているところを家政婦に発見されます。
救急車で運ばれたものの、上原謙さんが息を吹き返すことはなく、死亡が確認されました。死因は、急性心不全でした。
突然の訃報は瞬く間に日本中を駆け巡り、葬儀で喪主を務めた加山雄三さんは「この1年半は心労が続き、静かな老後を送らせたかった」と涙ながらに語り、お茶の間の涙を誘いました。
まとめ
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上原謙さんは、端正な顔立ちとスラリとしたルックスで、昭和を代表する二枚目スターとして活躍しました。
生前は2回の結婚歴があります。最初の嫁は女優の小桜葉子さんで、誕生した子供が加山雄三さん、孫には加山徹さん、梓真悠子さん、池端えみさんと有名人ばかり。
2人目の嫁は、38歳年下で元ホステスの大林雅美さん。2人の娘に恵まれて、次女は元タレントの仁美凌さん。仁美凌さんは元旦那の若山騎一郎さんと覚せい剤で逮捕されています。
小桜葉子さんと病気で死別してから、落ち込んでいた上原謙さんは大林雅美さんとクラブで出会い、結婚に至りますが、晩年に俳優の仕事が激減すると喧嘩が絶えなくなり離婚しました。
加山雄三さんの自宅に身を寄せていた1991年11月23日、お風呂の中でぐったりしているのを発見され、急性心不全で死去しています。
上原謙さんが死去してから30年以上経過しているため、リアルタイムで作品を観たことがある方は少ないかもしれません。
しかし、その美しい風貌や波瀾万丈な人生は令和の現在も語り継がれています。興味が湧いた方はぜひ過去の出演作品をチェックしてみてはいかがでしょうか。