清原和博さんの元カノとして知られる作家で僧侶の生島マリカさんですが、壮絶すぎる半生が話題です。
今回は生島マリカさんの若い頃の経歴と家族(父親と母親)、伊藤管長や山口組との関係、旦那との結婚や子供の有無、現在を紹介します。
この記事の目次
生島マリカとは
生島マリカ(いくしま まりか)
生年:1971年
出身地:兵庫県神戸市
生島マリカさんとは、2015年に発売した自伝『不死身の花: 夜の街を生き抜いた元ストリート・チルドレンの私』で注目を集めた作家であり、僧侶です。
『不死身の花』が注目を集めたのは、元プロ野球選手の清原和博さんとの交際について語られていたことが大きかったものの、生島マリカさん本人の半生もまた壮絶だと話題に。
この記事では、生島マリカさんのこれまでの経歴や結婚情報の他、歴代彼氏について紹介します。
生島マリカの若い頃の経歴と家族① 父親は在日コリアンで家庭はメチャクチャだった
生島マリカさんの父親は1928年生まれで、朝鮮半島から船を漕いで日本に渡ってきた在日コリアンと言われています。
父親は人並外れたバイタリティの持ち主で、生島マリカさんが生まれた頃には、大阪の繁華街で宝石店を営むなど成功収めていたようです。
そのため、生島マリカさんはお手伝いさんに育てられるなど、かなり裕福な少女時代を過ごしていました。
しかし、父親は女性関係が派手で、9人の異母兄弟がいるというメチャクチャな家庭だったそう。
また、繁華街の宝石店経営者ということで闇社会との関係も深く、山口組幹部の山本健一さんとは親友の仲だったと言われています。
生島マリカの若い頃の経歴と家族② 母親は中学1年の時に病死
生島マリカさんの母親は、中国やインド、ロシアの血を引いており、エキゾチックな顔立ちの美女で、数か国語を操るマルチリンガルだったそうです。
ただし、才媛ではあっても良き母親ではなかったらしく、生島マリカさんは毎晩のように「死ねばいいのに」と祈っていたほど、折り合いは悪かったんだとか。
そんな母親も、生島マリカさんが中学1年の時に胃がんで急死してしまいます。
ただ、それまで母親に苦しめられていた生島マリカさんは、悲しみよりも喜びの方が大きかったといいます。
生島マリカの若い頃の経歴と家族③ 父親の再婚後、ストリートチルドレンに
母親の死後、生島マリカさんの父親は、すぐに若い女性と再婚したそうです。
この継母と生島マリカさんとの相性は悪かったため、家を追い出される形でストリートチルドレン化してしまいました。
家を追い出された後は、大阪の繁華街を拠点に近隣のディスコに出入りをし、知り合った大人の家に泊めてもらっていた他、ビルや工事現場で野宿をしたこともありました。
当然ながら、変態にイタズラされそうになったり、ヤクザに声をかけられてシャブ漬けにされそうになるなど、恐怖を味わったこともたびたびあったそうです。
そんな生活に疲れ果てた生島マリカさんは、14歳の頃に高級クラブ「アクティブ」にスカウトされたことをきっかけに、ホステスデビューしています。
生島マリカと伊藤管長の関係とは?
かつては伊藤義文の愛人だった
生島マリカさんは、巨額の脱税事件を起こした僧侶・伊藤義文管長の愛人だった時代があります。
伊藤管長は、川崎にあるソープランドのボーイ上りという生粋の闇社会の住人だった一方で、1982年頃に奈良県内の廃寺を買収して柿本寺を設立しています。
その後、柿本寺の管長に就任しますが、大阪の繁華街のキタとミナミでソープランドなどを経営するなど、僧侶とは思えないような裏稼業も続けていました。
1982年から1986年にかけて累計で85億円も売上げていたものの、赤字申告や無申告を繰り返し、25億円もの所得を誤魔化していたとか。
そんな伊藤管長と生島マリカさんが知り合ったきっかけは、生島マリカさんが人間関係のトラブルで「アクティブ」に出勤できなくなっていたことでした。
わたしは14歳ではあったけれど、街で噂の女でしたので、ホステスから虐められたりして店に行きたくなくなってしまったのです。とはいえ、契約金を受け取っているわけです。分別のついた大人なら出勤するのでしょうが、わたしは虐めが怖くて嫌になっていました。そうすると店側は出勤しないなら契約違反で金を返せとなります。
引用:「飛田か千日通りに送ったらどうや」借金300万円のストリートチルドレン少女(14)が目にした“ヤクザな世界”のリアル
そのため、「アクティブ」からもらった契約金を肩代わりしてくれる店に移籍したところ、店の金主だった伊藤管長に気に入られて愛人となったようです。
伊藤義文管長のせいで鑑別所に入ったことも
14歳の若さで伊藤管長の愛人となった生島マリカさんですが、その3か月後には、脱税容疑で伊藤管長を摘発しようと動いていた警察に捕まり、鑑別所送りになっています。
生島マリカさんが鑑別所送りになった理由は、未成年淫行で伊藤管長の別件逮捕を狙っていた警察に事情聴取をされた際、愛人であることを頑なに認めなかったせいでした。
そのため、警察から見せしめに不純異性交遊で逮捕されてしまったといいます。
その後、自宅マンションの家宅捜査で伊藤管長名義のカードの明細書が発見され、未成年淫行で伊藤管長を逮捕できる物的証拠を固められたためか、鑑別所からすぐに釈放されたようです。
父親がこれまでのことを反省し、仕送りを送ってくれるように
伊藤管長の逮捕騒動は、僧侶が14歳少女を愛人にしていたというインパクトの強さもあり、ワードショーで大々的に扱われました。
そのため、生島マリカさんの実家にまでマスコミの取材が殺到し、父親と継母は実家を売却してマンションに引っ越すという事態にまで発展したといいます。
ただ、生島マリカさんへのこれまでの態度を反省してくれたようで、その後は父親から仕送りを受けながら、大阪・心斎橋にあるマンションで1人暮らしをするようになりました。
14歳にして大変な騒動に巻き込まれた生島マリカさんでしたが、以降はモデルや秘書の仕事をしたり、ホステスやクラブを経営したりなど、夜の商売をメインに働いていたそうです。
生島マリカの歴代彼氏① 20代で清原和博と交際
生島マリカさんは前述の通り、元プロ野球選手の清原和博さんと交際していた過去があります。
生島マリカさんが勤めていた大阪・北新地の高級クラブに、清原和博さんがお客としてやって来たことが2人の馴れ初めで、その後、口説かれて交際することになったそうです。
交際していたのは22歳から1年半程度で、生島マリカさんによると、素の清原和博さんは素朴な好青年で、良い思い出ばかりが残っているといいます。
私は今でも彼のいいことばかりを思い出すんです。清原さんが関西に来るときは、私が一人で住んでいたマンションにも寄るじゃないですか。私が肉じゃがを作って用意していたら、彼はよそで食事をして、お腹いっぱいなのに無理にでも全部さらって食べるんですよ。私は「もう残しー!」って言ってるのに、「おいしい、おいしい。お前がせっかく作ってくれたんだから、ありがとう、ありがとう」って言いながら食べてくれるんです。
生島マリカの歴代彼氏② 山口組系の大物ヤクザに求愛されたことも
北新地の高級クラブにホステスとして勤めていた頃、生島マリカさんは大物ヤクザから求愛されたこともあります。
生島マリカさんに求愛して来た大物ヤクザは、山口組の5代目組長であった渡辺芳則さんで、山口組最盛期のトップでありながら、プライベートでは剽軽で気の良い人物だったそう。
ある時、『お金やるわ』と言われてドキドキしながらお財布を渡すと、チャリンと5円玉を入れられたことがありました。20代の私は何のことかサッパリ解せずに、思わず『ケチやなあ』とぼやくのですが、そんな不躾な発言にも『ははは』と悪戯っ子のように笑うお茶目な方でした。
生島マリカさんを口説いてきた大物ヤクザには、山口組の若頭補佐であった桑田兼吉さんもいました。
桑田兼吉さんは、後藤芳則さんとは打って変わって、金目の贈り物でホステスの機嫌を取るタイプで、紙袋に入った2000万円の現金をプレゼントされたこともあったとか。
生島マリカが結婚した元旦那の1人は大物ヤクザの息子だった 【結婚歴4回】
生島マリカさんは、4度の結婚・離婚歴があることをカミングアウトしています。
歴代の夫の中には、「伝説の経済ヤクザ」と言われた生島久次さんの息子・Aさんもいました。
生島久次さんは、山口組系菅谷組の若頭補佐まで務めた人物であり、金融業や会社整理関連で財を成したと言われています。
そんな生島久次さんは1996年に暗殺されていて、生島マリカさんがAさんと結婚をした1997年頃には既に故人でした。
父親より莫大な遺産を受け継いだAさんは、とにかく浪費癖のある人物だったようで、違法賭博に熱中したあまり、一晩で3000万円を失ったこともありました。
また、海外にある高級ブランド店の常連でもあったそうで、店を訪れると貸し切りになるくらいの勢いで買い物をしていたとか。
その他、年に1度行くかどうかの別邸を5000万円かけて改築するなど、常道を逸した金遣いの荒さだったといいます。
そのAさんと結局は離婚した生島マリカさんは、その後も資産500億円のセレブと同居していたことがあり、お金持ちにモテるタイプの女性だと言えます。
生島マリカが出家した理由
生島マリカさんは2012年に出家しています。
出家を決意したのは、30代後半頃、知り合いの女性に騙されて20代の男性に性的暴行を受けたことが原因でした。
知人女性に抗議したところ、「まだまだアンタも若い子の欲望の対象になるってことよ」と笑い飛ばされ、人間不信に陥った生島マリカさんは精神科に通うほどどん底だったそうです。
そんな中、インタ-ネットで見つけたお寺に救いを求めることになりました。
ちなみに、出家するまでに3年近い期間を要したらしく、その間は高野山へ足を運んだり僧侶たちと面談を行ったりしていたといいます。
生島マリカの病気の噂と真相
実の母親を胃がんで早くに亡くしている生島マリカさんですが、自身も若くしてがんに悩まされています。
38歳の頃、自身2度目のがん(子宮がん)が発覚しました。
ちなみに前述の性的暴行事件後、病院で診断を受けたところ、がんが判明したそうです。
子宮がんの発覚は、生島マリカさんにとってもショックな出来事であり、自伝『不死身の花』を執筆しようと考えるきっかけとなりました。
生島マリカには子供が1人いる
4度の結婚・離婚歴がある生島マリカさんには、子供は息子が1人います。
ただ、複雑な家庭育ちだった影響か、母子仲はかなり悪かったようで、2015年4月頃に長男は家出してしまったそうです。
その後の2016年2月、仕事を見つけて無事に暮らしているとの連絡があったそうで、母親同様にバイタリティ溢れる息子なのでしょうね。
そんな長男は、2016年2月時点で19歳とのことで、2022年現在は25~26歳のはずです。もしかしたら結婚して、家庭を持っている可能性もあります。
生島マリカの現在
生島マリカさんは現在、自伝『不死身の花』が好評だったためか、続編の『修羅の花』を2021年9月に発売しています。
『修羅の花』には、ホステスの仕事を通して知り合ったヤクザ界隈のネタも多く、前作とは作風がまた違いますが、読者の反応は上々のようです。
生島マリカさん著「修羅の花」一気に完読。修羅の世界を逞しく生き抜いてきた彼女の半生。その生き方こそが任侠道。仁義を重んじ権力になびかず筋を通し軸がブレない。どんなにはじけても筋の通らないハメの外し方はしない。まさに修羅の世界に堂々と咲き誇る一輪の花。 pic.twitter.com/CjMD32STQb
— Korochan (@kororokyun) October 10, 2021
生島マリカさん著書の「修羅の花」を拝読する。
— 現役介護士 宇多川ちひろ (@utagawachihiro) October 1, 2021
綴られる言葉一つ一つから様々な色を感じる。色であり、彩であり、いろ。
登場する人達の様々に変化する人間模様はきらびやかな世界とは対照的に艶やかでもあり儚い。こんな美しい言葉達は見た事がない。美しい言葉と同じくらい人間とは複雑で魅力的だ。 pic.twitter.com/RqJMlnR1Mu
生島マリカのまとめ
生島マリカさんについて、複雑な家庭に生まれ育ち14歳でホステスデビューした経緯、山口組ヤクザや清原和博さんとの交際歴、4度の結婚歴と僧侶になった理由などをまとめてみました。
生島マリカさんの心の傷が、僧侶の修行により少しでも薄らぐことを願いたいですね。