日米で活躍した元プロ野球選手で千葉ロッテの監督も務めた井口資仁さんですが、不倫で奥さんとの離婚が発覚しています。
ここでは井口資仁さんのハーフ説や元嫁・子供など家族情報、そして浮気相手との再婚についてまとめています。
この記事の目次
井口資仁のプロフィール
名前:井口資仁(いぐちただひと)
本名:井口忠仁
出身地:東京都田無市(現:西東京市)
生年月日:1974年12月4日
身長:178cm
出身高校:国学院大学久我山高等学校
最終学歴:青山学院大学
所属球団
- ・福岡ダイエーホークス (1997〜2004)
- ・シカゴ・ホワイトソックス (2005〜2007)
- ・フィラデルフィア・フィリーズ (2007)
- ・サンディエゴ・パドレス (2008)
- ・フィラデルフィア・フィリーズ (2008)
- ・千葉ロッテマリーンズ (2009〜2017)
井口資仁さんは日本、アメリカで活躍した元野球選手で、2018年シーズンからは千葉ロッテマリーンズの監督を務めていました。元メジャーリーガーでプロ野球の一軍監督となったのは彼が初。
大学卒業後に複数球団の争奪戦を経て、福岡ダイエーホークスに入団した1997年に井口資仁さんのプロ野球人生が始まりました。福岡時代にはゴールデングラブ賞3回や盗塁王2回、2003年には5試合連続の猛打賞を受賞(史上2人目)などチームの主力として活躍。
2005年からは活躍の場をアメリカに移します。移籍1年目のホワイトソックスではリーグ優勝とワールドシリーズ出場・優勝に貢献する大活躍、その後はフィリーズ、パドレスなどに移籍。2009年にはメジャー球団から契約延長の話がありながらもそれらを固辞し、日本球界(ロッテ)に復帰を果たしました。
井口さんは、2017年に引退するまでに日米通算2254安打、295本塁打などの大記録を達成しています。
井口資仁はハーフ?沖縄出身?その真相
井口資仁さんハーフ説??
濃い顔の井口さんにはかねてからハーフなの?という疑問の声が聞かれます。
福岡時代
若い頃は今よりもう少しシュッとしていてイケメン!沖縄県方面の生まれか?と思ってしまう方もいるそう。
角度によってはかなりハーフ顏!
ルーキー時代の1場面より。
ハーフ説や沖縄出身者では?という声がある井口資仁さんですが、とくにそういった情報はなく、日本人で東京生まれというのが公式発表です。
ご両親の情報をみても「父親は軟式野球のコーチをやっていた」「母親はバレーボールをしていた」といったように、スポーツに親しんだ家庭であったことは間違いなさそうですが、ルーツ的な言及をされているものは確認できませんでした。
また井口資仁さんの自著によると、幼少時から運動が抜群に秀でていたそう。
冒頭で「運動に関して僕は友達の誰よりも優れていたと思う。体力とか運動能力のテスト結果が、東京都内で3位より下になった記憶はない。同年代の子供の中で自分より野球が上手い子供は見あたらなかった」と天才野球少年ぶりを厭味なくカミングアウト。
濃い顔と優れた運動神経を持ち、実際にプロ野球選手となりメジャーリーガにまでなった井口さんには、そんな説が付いて回るのもなんだか納得ですね。
井口資仁の元嫁と子供など家族情報
井口資仁の元嫁情報まとめ!沖縄出身の姉さん女房?
井口資仁さんは、1997年オフに明日美さんという一般の方と結婚しています。
一般女性ということで画像などの詳細情報を確認できませんでしたが、奥さんは山咲トオルさんと高校時代の同級生ということが判明!
以下、山咲トオルさんのブログより。
井口さんを応援して下さるファンの方なら、勿論ご存知でしょうが…彼は、私から見て、不思議な位に、人様に対)し『恩情義理深く』仕事に関して『野球に熱き愛情深い』人間です。
奥様が、同郷のクラスメイトなんですが、これまた奥様←普段は「アンタ」と言い合う仲(爆)(~~ゞ
私と同じ感性…と、言うか、分かりやすく言えば、スーパー(割り引き好き)仲間なのよ(笑)
気取らず、おごらず、高ぶらず…
山咲トオルさんは、
・1969年生まれ(井口さんは1974年生まれ)
・東京生まれで7歳の時に沖縄へ
つまり、普通に考えると奥さんも井口さんより年上で沖縄出身と言えそうです。
(沖縄出身という情報は、以下からも。)
井口資仁内野手(30)は試合がなく、完全休養日。家族と過ごし、英気を養った。 今後に向け、中西部・シカゴ独特の暑さ対策もバッチリ。「嫁さんが沖縄出身なので、 ゴーヤー料理を作ってくれます。(米国の)スーパーでも売ってますから」。
井口さんのルーツは沖縄説(?)が言われますが、奥さんは沖縄の方ようです!
またネットでは井口資仁さんの奥さんは元キャバクラ嬢という噂もあるようですね。
38 :名無しさん@恐縮です:2018/12/12(水) 18:59:09.49 ID:vTPll7eT0.net
井口の前妻って、井口が大学生の頃から付き合ってた年上のキャバクラ嬢だろ
ダイエーは井口獲得のために、当時付き合ってた彼女(前妻)にプレゼント攻撃して
井口を説得してもらって逆指名に成功したとか何とか、いろんな噂があった
井口資仁の子供は娘が一人:井口琳王(りお)ちゃん(画像あり)
井口琳王(いぐちりお)
2000年生まれ
英語が話せる
娘さんも濃い顔立ちですね!
井口資仁さんの娘・琳王ちゃんは、引退試合の2017年9月24日の始球式に登場しています。
ロッテ井口資仁内野手(42)の長女・琳王(りお)さんが始球式に登場した。
引退試合に臨む父の背番号6のユニホームを着用。ワンバウンドにはなったが、大きくそれることなく捕手のミットまで届けた。大役を終えると「緊張しました。でも、友達とずっと練習をしてきたので、その成果は出たと思います。父の引退試合での初めての始球式。とてもいい思い出になりました。うれしかったです」とコメントした。
井口さんは娘さんの生まれ年のワインを50本集めたエピソードを持っていたり、一緒に旅行に行ったりホノルルの大会にでたりと、愛娘であり仲良し親子のよう!
井口は東京都心にある自宅のワインセラーに、約450本を所有する球界屈指のワイン党。大切な逸品は知人から日米通算2000安打達成時(13年7月)にプレゼントされたロマネコンティ(1995年産、推定85万円)。「特に娘(琳王ちゃん)の生まれた2000年産を収集して50本になった」と強いこだわりがある。
プライベートも充実している。今オフは、ハワイ(同12月10-16日)、熱海(同19、20日)、パラオ(同22-27日)、シカゴ(1月23-26日)に家族旅行。ハイライトは2年連続出場となったJALホノルルマラソン(ハワイ)だ。自身は13年にフルマラソンを完走、今回(14年)は琳王ちゃんと初めて10キロウオーク部門に出場して、親子の絆を強めた。
「まさか一緒にエントリーする日が来るとは思っていなかったので、娘の成長を感じました。野球が分かる年齢になったし、父親としてもっと活躍する姿をみせないといけないと思いました」
井口資仁さんはメジャーリーグ時代から家族との時間を大切にし、いろんなところに行っていたそうです。仲良しそうなご家族…と思われていましたが…。
井口資仁が元嫁と離婚していた!離婚原因は不倫交際
後述しますが、2018年12月、井口資仁さんが3年前に奥さんと離婚をしていたことが発覚しました。
2018年のシーズンから千葉ロッテマリーンズを率いる井口資仁監督(44)が、3年前に糟糠の妻・A子さんと離婚し、今年10月、18歳下で「元ミス沖縄」のB子さんと極秘入籍していたことがわかった。
井口資仁が2017年に現役引退!2018年からはロッテ監督に
井口資仁さんは、2017年シーズン限りで現役を引退しました。
すでに2017年6月に引退を表明していましたが、その際に行われた会見では引退理由や決断時期についてふれています。
引退を決意した時期は
「昨年の契約のときに1年だけがんばらせてほしいと伝えていた。1試合でも多く見に来ていただきたいという思いだった。残念ながらチームは厳しい状況だが、これを起爆剤にして残りのシーズンをがんばっていきたい」
昨年決断した理由は
「自分自身の引き際はどこだろうと2、3年考えていた。昨年の時点で区切りの気持ちになった」
2017年9月24日に引退試合
対日本ハム戦にて劣勢に立たされていたロッテですが、迎えた9回裏に同点本塁打を放った井口さん。そして12回延長を制し、4−3にて逆転勝利を飾りました。
始球式には娘さんが登場し、試合では大活躍した井口さん。名実ともに主役級の役割をこなしています。
惜しむ声もありましたが、「最高の野球人生だった」と引退試合後のスピーチにて語りました。
入団当初の目標であった2000本安打、そしてメジャー挑戦、40歳まで現役。他の選手では経験できないことを、たくさん経験させていただき、本当に自分の宝になりました。そして、21年間、多くの皆様に応援していただき、そして今日引退試合、このセレモニー、本当に最高の野球人生だったと思います。
さて2017年シーズンの序盤にすでに引退を表明していた井口さんの”その後”は、以前から噂されていた通り、”ロッテ監督就任”でした。
監督でも6番!
2009年に日本復帰してからずっとロッテでつけていた馴染みある6番で、監督業に挑みました。
監督就任会見より。
メジャー経験を持つ初の日本人監督が誕生した。「こんなにすぐにマリーンズのユニホームを着られるということで球団に感謝しております」と感慨深げ。
05年から4年間のメジャー生活で2度のワールドシリーズ制覇を経験した。「すべてメジャーがいいわけではない。日本のいいところもありますので、自分の経験を含めて両方のいいところを自分の色として出していけたらいいと思います」と優勝請負人は力強く宣言した。
就任発表前のものですが、自身の”(ロッテ)監督”としての方向性に触れることがありました。
「ベンチに座る機会が多くなって、“自分が監督だったら”と想定して試合を見ています。“このサインなら相手は、どう動くんだろう”、“なぜ、ここで、このサインなのかなあ”などと考えるようになりました。試合展開を読みながら、自分の代打出場へ生かし、配球も見ています」
「足を使える野球はしたいですね。僕自身がそこで成功したし、足には不調がありません。チームとして足を使い掻き回したいですよね。このZOZOマリンは、ホームランが出にくい球場です。ホームランよりも、二塁打、三塁打。メンバー的には、小技のできる選手が多いので足を使えるチームです。もっと、そこを意識すれば強くなるんじゃないか、と考えたりします。走塁は、いわゆるグリーンライトで選手に任せたい。選手の走塁への意欲も増しますよ。このチームの監督をやるならば、そういう野球をしてみたいですね」
「泥臭く勝ちたいですね。カンカン打つチームに采配は関係ないんです。スクイズでもセーフティスクイズのサインは、監督の逃げだと僕は考えています。失敗すれば選手のミスというサインは、ベンチの読みではなんでもない。近年、スクイズをやるチームが減っていることは確かですが、僕が監督になった場合は、『このボールで』というサインで勝負したいですね」
井口資仁の現在①不倫で元嫁と離婚…そして2018年10月に浮気相手「元ミス沖縄」と再婚
井口資仁の浮気相手・「元ミス沖縄」のB子さん
先述のように井口資仁さんは2015年に奥さんと離婚しており、2018年10月に18歳下で「元ミス沖縄」のB子さんと極秘入籍していたといいます。
A子さんと井口が離婚したのは2015年。離婚原因はB子さんとの不倫交際だった。井口は離婚の事実を現在に至るまで公表していないが、2017年9月24日、ZOZOマリンスタジアムに3万人のファンが詰め掛けた引退試合でも、離婚の事実が公にならぬよう、前妻であるA子さんを呼び、家族席に座らせ、家族のように振る舞わせるという“偽装工作”を謀っていた。
2017年の引退試合ではすでに離婚していた元奥さんを家族席に座らせて偽装工作を謀っていたという事実もあるようで、ネットでは批判が殺到していました。
ロ入り前から交際していた妻と入籍して約20年。突然の報道に衝撃の声が後を絶たない。「プロ入り前からその甘いマスクと爽やかな雰囲気で女性人気が高かった井口さんだけに、この報道に『そんな人だとは』『クズだったんだ』とショックを受ける人も多いですね。
井口資仁の現在②ロッテの監督を退任
出典:https://www.nikkansports.com/
最終戦セレモニーで退任を発表
2018年から千葉ロッテマリーンズの監督を務めていた井口資仁さんですが、2022年シーズンの最終戦セレモニーで監督を退任することを電撃発表しました。
井口資仁さんが監督に就任してから、ロッテは2018年に5位、2019年には4位と2年連続でBクラスという結果に終わっていました。2020年、2021年は2位となりAクラス入りを果たしましたが、2022年には5位と再びBクラスに。
井口資仁さんは最終戦セレモニーで、「3年ぶりにBクラスになってしまったことは私の責任」だとして、次の指揮官にバトンを渡すと語りました。
ソフトバンク戦に勝利後、セレモニー内で突如、7秒間沈黙した。顔を少しゆがめ、言った。
「残念ではありますが、ここをもってシーズンを終了してしまったこと、3年ぶりにBクラスになってしまったこと、これは本当に私の責任だと思っています。2025マリーンズプロジェクトに向けて、突き進んで参りましたが、道半ばではありますが、私は今シーズンで退任させていただき、次の指揮官にバトンを移していきたいと思います」
監督退任は最終戦の試合前に決まったとのことで、球団は「井口監督より辞任の申し出があり、受理しました」と発表しています。
井口資仁さんはその後、球団公式YouTubeでファンへの感謝の言葉を述べるとともに、「22歳からずっとユニホームを着っぱなしなので、ちょっとゆっくりしたいと思います」と今後について話していました。