元プロ野球選手の入来智さんは2023年2月に交通事故で亡くなりました。
入来智さんのプロフィールや経歴、成績と年俸の推移、家族や兄弟、結婚歴と嫁や子供について、死亡事故後の現在や死因・事故原因をまとめました。
この記事の目次
入来智は破天荒な元プロ野球選手
入来智
生年月日:1967年6月3日
没年月日:2023年2月10日
出身:宮崎県都城市
身長:178cm
体重:80kg
所属:元近鉄、読売ジャイアンツやヤクルトスワローズなど
ポジション:ピッチャー
投打:右投右打
入来智さんは、元プロ野球選手です。ポジションはピッチャーで、近鉄バファローズ・広島カープ・読売ジャイアンツ・ヤクルトスワローズなどで活躍しました。
真っ向勝負で内閣への強気のピッチングが持ち味の〝ケンカ投法〟が特徴で、先発・中継ぎ・抑えと求められる役割に対応してきました。引退後は、野球から離れて仕事を転々としていましたが、2023年2月10日に交通事故で亡くなりました。
入来智の経歴
出典:asahi.com
入来智さんは1967年6月3日に宮崎県都城市で生まれました。小学校4年生から野球を始め、少年野球チーム「五十市タイガース」に所属しました。高校は鹿児島実業高校に進学しましたが、1985年の夏の鹿児島大会の準決勝で敗退し、甲子園出場はなりませんでした。
卒業後は三菱自動車水島に入社します。
社会人野球4年目の1989年度のドラフト会議で近鉄バファローズから6位指名を受け、プロ入りが決まります。この時のドラフトでは野茂英雄が近鉄1位指名でしたので、野茂英雄氏と同期、また石井浩郎氏も近鉄の同期になります。
近鉄バファローズに入団後は1年目から一軍で登板しました。最速140キロ台後半の速球と内角を攻める強気のピッチングが持ち味の「ケンカ投法」が特徴で、先発・中継ぎ・抑えのどこでも対応する便利屋として活躍していました。
プロ入り7年目の1996年6月にトレードで広島カープに移籍しますが、シーズンオフには再びトレードで近鉄に戻りました。
1998年シーズンオフには交換トレードで巨人に移籍し、弟の入来祐作とチームメイトになりました。1999年シーズンは活躍したものの、2000年には一軍登板はなく、オフに戦力外通告を受け、ヤクルトスワローズに移籍しました。
ヤクルトに移籍直後は、「僕は巨人に復讐する為にやってきました! だから他の4球団の投手の方は、僕に巨人攻略法を聞きに来てください」と宣言するなど、アンチ巨人の姿勢を鮮明にしていました。
2001年シーズンは自己最多の10勝を挙げ、オールスターゲームにも出場し、ヤクルトの日本一にも貢献しましたが、2002年シーズンは離婚問題や足首の故障などで1勝止まりとなり、戦力外通告を受けました。
2003年には韓国の斗山ベアーズでプレー、2004年は台湾のLa Newベアーズでプレーしましたが、シーズン途中で解雇され、現役を引退しています。
入来智の成績
入来智さんの成績推移を見ていきましょう。ここでの成績はNPBに限定して紹介していきます。
年度 | チーム | 登板数 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 防御率 |
1990 | 近鉄 | 7 | 0 | 0 | 0 | 10.57 |
1991 | 10 | 4 | 0 | 0 | 2.44 | |
1992 | 15 | 4 | 3 | 1 | 6.75 | |
1993 | 26 | 5 | 5 | 0 | 3.35 | |
1994 | 44 | 4 | 6 | 1 | 4.21 | |
1995 | 23 | 0 | 3 | 0 | 5.33 | |
1996 | 広島 | 6 | 0 | 3 | 0 | 5.29 |
1997 | 近鉄 | 26 | 1 | 0 | 0 | 2.70 |
1998 | 25 | 4 | 3 | 0 | 5.48 | |
1999 | 巨人 | 22 | 2 | 1 | 0 | 4.15 |
2000 | - | - | - | - | - | |
2001 | ヤクルト | 24 | 10 | 3 | 0 | 2.85 |
2002 | 6 | 1 | 3 | 0 | 6.66 | |
通算 | 214 | 35 | 30 | 2 | 4.25 |
入来智さんのキャリアハイは2001年ですね。10勝3敗、防御率2.85という成績は立派です。2001年6月には月間MVPにも輝いています。
入来智の年俸推移
入来智さんの年俸推移はこちらです。
・1990年:480万円
・1991年:480万円
・1992年:1200万円
・1993年:1400万円
・1994年:1950万円
・1995年:2450万円
・1996年:2100万円
・1997年:1670万円
・1998年:1720万円
・1999年:2020万円
・2000年:2400万円
・2001年:1200万円
・2002年:3800万円
韓国プロ野球や台湾プロ野球での年俸は不明ですが、NPBで稼いだ総年俸は2億2870万円となります。入来智さんの年俸推移をみると、3年目からほぼ年俸2000万円前後となっています。
この年俸推移を見る限り、「可もなく不可もない便利屋」という印象がありますが、それでもNPBで13年間活躍し、37歳で現役引退したことを考えると、かなり息が長い選手だったことがわかります。
入来智の家族
入来智さんは5人家族で育ちました。
・母親
・長男:入来智
・次男:入来祐作(1972年生まれ)
・三男:入来博之(1973年生まれ)
父親は元自衛官で2023年で88歳になるそうです。2023年1月には入来智さんは父親の米寿のお祝いをしていました。
――お父さんは。
「親父は今年88。今は87歳ですね。3月で88になります。この間兄貴と米寿のお祝いをしたばっかりでした。やっぱり残念です」
引用:入来祐作氏が亡き兄を思い涙「破天荒な人ですよ…本当に」 智さんと交わした1月31日の最後の言葉(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
写真で見ると、88歳になると思えないほど元気なお父さんのようです。
お母さまはすでに亡くなっていて、弟の入来祐作さんが2023年1月31日に母親の命日でお墓参りをしたとインスタグラムで報告していました。
また、弟2人はどちらも野球をやっていました。次男の祐作さん、三男の博之さん2人ともPL学園に進学(野球留学)していて、祐作さんはプロ野球選手に、博之さんは夜会人野球のTDKに進んでいます。
三人の兄弟が全員野球を仕事にしていたなんて、入来三兄弟は野球の才能があったんですね。
弟は元プロ野球選手の入来祐作
入来智さんの弟はプロ野球選手の入来祐作さんです。入来祐作さんは入来智さんの5歳年下で、兄の影響で小学2年生の時から野球を始めました。中学卒業後は全国の野球強豪校からたくさんのスカウトが来ましたが、大阪のPL学園に進学し、大学は亜細亜大学・本田技研に行き野球を続けました。
1996年度のドラフト会議では読売ジャイアンツから1位指名(逆指名)を受けて、巨人に入団します。1999年~2000年シーズンは兄の智さんと巨人でチームメイトになり、チーム史上初現役兄弟選手として注目を集めました。
その後、巨人→日本ハム→メッツ傘下→ブルージェイズ傘下→横浜と渡り歩き、2008年のシーズンオフに現役を引退しています。
現役引退後はチームサポーターとして横浜ベイスターズと契約し、2010年から2014年まではチームの用具係を務め、奄美大島の秋季キャンプでは川でウナギを捕獲して、「ネーチャー入来」と注目を集めました。
2015年シーズンからはソフトバンクホークスの三軍投手コーチ、2020年シーズンはソフトバンクの野球振興部でのコーチ、2021年シーズンからはオリックス・バファローズの投手コーチを務めています。
兄の智さんとは違い、弟の祐作さんは現役引退後もずっと野球関連の仕事をしています。正直、現役時代の成績は兄の入来智さんとほぼ同じようなものでした。しかし、祐作さんは兄が現役引退後に仕事に苦労しているのを反面教師にして、「野球以外の仕事へ行ったら、自分の人生は無くなる」と考えて、戦力外通告を受けた直後から、球団に仕事の斡旋を打診していました。
また、打撃投手をしていてイップスになった時も「とにかく謙虚であろう」と考えて、仕事に臨んだそうです。だからこそ、現在も投手コーチを務めることができているのでしょう。
入来智の結婚歴①:嫁は満子さん
出典:daily.co.jp
入来智さんは、1991年・プロ2年目の24歳の時に満子さんという一般女性と結婚しています。1993年には長女が生まれました。
最初の結婚した嫁とは約10年連れ添いますが、2002年3月に離婚が成立しています。
離婚で金銭トラブル!
この最初の嫁との離婚で、入来智さんは金銭的にかなり追い込まれています。慰謝料と養育費で9000万円を渡さなければならなかったと報じられました。
入来さんは2001年、元妻との離婚にあたり、慰謝料2000万円、財産分与2000万円、子供の養育費などと合わせて約9000万円を支払う約束になっていたという。
引用:「入来兄弟」兄の智氏が交通事故で死去 本誌が報じていた「9000万円トラブルで年俸差し押さえ」波乱の人生(SmartFLASH) – Yahoo!ニュース
9000万円の支払いのうち、慰謝料2000万円、財産分与2000万円ということは、養育費は5000万円ということになります。日刊ゲンダイの報道によると、養育費は月30万円とのことです。
403 :代打名無し:02/12/10 12:50 ID:hYsSYbU7
日刊ゲンダイで「天国と地獄の内幕 入来智」という連載が始まった。
それによると、どうも慰謝料は2250万、養育費月30万らしいな。
養育費30万円だと、1年で360万円。1年360万円を14年間払い続けると、5000万円に到達します。
娘さんは1993年生まれですから、離婚の時は8歳。これを考えると、養育費は娘さんが大学卒業の22歳まで払い続けるという約束だった可能性が高いですね。
いくら入来智さんがプロ野球選手と言っても、年俸は2000万円前後でしたから、9000万円をすぐに用意できるはずがありません。そのため、入来智さんの母親が土地を売却して慰謝料に宛てました。
また、2001年シーズンは入来智さんが10勝をしてキャリアハイ時です。養育費の減額を求めようとしましたが、2001年シーズンの活躍で年俸が上がったため、元嫁は養育費のアップを求めてきました。
このことで話がこじれて、裁判所から入来智さんの年俸差し押さえの通告が出されてしまいました。
入来智の離婚原因は元アイドルとの同棲?
入来智さんは2002年3月に離婚が成立しました。慰謝料が2000万円(2250万円?)、財産分与が2000万円、養育費が約5000万円(月30万円)を元嫁に支払うことが入来智さんに課せられました。
この慰謝料と養育費。はっきり言って破格です。慰謝料は一般的には500万円未満です。また、養育費も入来さんの年収を考えると、高めの設定であると言えます。しかも、報道から推測すると、元嫁は一括支払いを求めています。一括支払いの場合は、減額されることも多いですが、一括支払いでも30万円。これはかなりの額だと思います。
なぜ、入来智さんが離婚でお金をこんなに支払わなければいけないのか?考えられる理由はただ1つ。入来智さんにだけ離婚の原因があり、元嫁には一切非がなかった。しかも、入来智さんはどうしても離婚したかったからということだと思います。
離婚の原因は入来さん側にあり、しかもどうしても離婚したいとなれば、法外な値段でも元嫁が納得して離婚してくれるだけのお金を支払わなければいけません。
では、入来智さんはなぜ離婚したかったのか?それは元アイドルと不倫をしていたからの可能性が高いです。
2001年8月のフライデーで、入来智さんと坂上麻耶さんの不倫が報じられました。
本誌が、22歳の元アイドルと同棲する入来氏の記事を掲載したのは、まさにその真っ只中だった(2001年8月10日号)。
引用:戦力外から日本一に…元ヤクルト・入来智さん交通事故死 野球人生もプライベートも波瀾万丈の55年(FRIDAY) – Yahoo!ニュース
この時、入来智さんは34歳。元アイドルの坂上麻耶さんは22歳ですから、12歳差の不倫です。この報道の約半年後に入来さんは離婚が成立しました。
しかし、離婚成立後も裁判所からヤクルトからの年俸は差し押さえられていて、最低生活保障額の月21万円しか残らなくなります。そのため、神宮球場が本拠地のヤクルトに所属していながら、さいたま市にある家賃8万円の2DKで坂上麻耶さんと同棲して、球場には電車通勤していました。
その後の報道で、入来智さんは坂上麻耶さんと結婚するのでは?と言われていましたが、結局2人は結婚することなく破局しています。
入来智の結婚歴②:嫁は聡子さん
入来智さんは2004年に現役を引退し、2006年に聡子さんという女性と再婚しています。聡子さんは入来智さんの1歳年下で、高校時代の交際相手でした。
入来智さんと聡子さんは、入来さんが高校卒業後に別れましたが、現役引退後に再会し、2006年に再婚しています。
入来智さんと嫁の聡子さんの再会は偶然のことでした。入来さんは現役引退後に故郷の宮崎県都城市に戻りましたが、コンビニでアルバイトしたり、酒造メーカーでの非正規雇用で働いて、日銭を稼ぐような生活を送っていました。
そんな生活をしていた時、入来さんは聡子さんが経営する美容室の前を通りかかって再会し、交際に発展して再婚することになっています。
聡子さんは2015年の「壮絶人生ドキュメント プロ野球選手の妻たち」にも出演していて、献身的に入来智さんの支える姿が印象的でした。
ただ、もしかしたら、現在はすでに離婚しているのかもしれません。なぜなら、入来智さんの葬儀の喪主は父親の喜門さんだったからです。一般的に喪主は妻が務めるものだと思います。また、葬儀の写真を見ても、遺影は父親、位牌は弟の祐作さんが持っています。
奥様は何らかの理由で葬儀に出席できなかっただけかもしれませんが、すでに離婚している可能性も考えられると思います。
入来智の子供は4人?
入来智さんの子供は4人いると思われます。前妻との間に娘さんが1人、再婚した聡子さんとの間に子供は3人います。
2006年に高校時代の同級生だった女性と結婚。3人の子供に恵まれ、介護士として充実した日々を送っていたという。
引用:戦力外から日本一に…元ヤクルト・入来智さん交通事故死 野球人生もプライベートも波瀾万丈の55年(FRIDAY) – Yahoo!ニュース
前妻との間のお子さんはすでに30歳、再婚後の子供はまだ成人はしていないと思われます。
入来智の破天荒エピソード①:鉄パイプ事件
入来智さんは破天荒なタイプとして知られていました。弟の祐作さんも入来智さんの葬儀で次のように語っています。
本当に人騒がせな…兄貴以上の破天荒な人はいない。
入来智さんはルーキーイヤーの1990年オフの秋季キャンプで、鉄パイプ殴打事件を起こしました。
1985年に近鉄に入団した桧山泰浩さんが間違ってコーヒーを入来さんのユニフォームにこぼしてしまいました。桧山さんは謝罪したのですが、そこから口論になり、入来さんはプレハブの倉庫から鉄パイプを持ってきて、桧山さんに殴りかかったのです。
桧山さんは身の危険を感じて、先に入来さんの顔を殴り、そこからまた乱闘状態になり、周囲の人に止められて、ようやく収まったとのことです。
コーヒーをこぼされて鉄パイプ殴打というのは、本当にカッとなりやすい性格だったのでしょう。
入来智の破天荒エピソード②:免許の筆記試験に落ちまくる
出典:hochi.news
入来智さんの破天荒エピソードの2つ目は、自動車免許の筆記試験に落ち続けたことです。現役時代の入来さんは電車通勤をしていましたが、それは免許を取れなかったからとのことです。
当時の入来さんは筆記試験に落ち続けて運転免許を取得できず、球場に自転車や電車で通勤していたからだ。真っ向勝負の〝ケンカ投法〟を支えた一本気な性格から、「引っ掛け問題に引っ掛かってしまう」と本人は嘆いていたという。
引用:追悼・入来智さん 〝破天荒伝説〟運転免許試験に落ち続け…自転車や電車で球場へ「引っ掛け問題に引っ掛かってしまう」 ヤクルトなどで活躍した元投手 – zakzak:夕刊フジ公式サイト
また、次のようなエピソードもありました。
・サインとは違うボールを投げてくる
天然さんだったのか?それとも勉強は一切できないタイプだったのか?気になるところではあります。
ただ、事故を起こしたときは自分で車を運転していましたので、その後は筆記試験に合格することができたようですね。
入来智の破天荒エピソード③:かかし亭から転職10回
入来智さんの破天荒エピソードの3つ目は転職10回です。
かかし亭は嫁の兄の店
入来智さんは2006年に聡子さんと再婚します。その後、聡子さんの兄(入来産の義理の兄)が経営する弁当・仕出し店の「かかし亭」で働くことになりました。
最初は真面目に働いていて、2店舗目を出す時にはそのお店を任せてもらえるようになったのですが、働きだしてから2年後には店を飛び出して退職することになりました。
仕事を辞めた理由はプライドだったようです。
入来氏は「自分の中で野球やってたプライドも多少あるんですよ、やっぱり。心の調整ができなかったです」と当時を心境を口にし、聡子さんも「俺様を何だと思ってるのよ、みたいな。俺は入来やぞ、みたいな感じのところがすごく出ていた」と夫の姿勢を振り返った。
その後は、無職になりました。
無職で嫁の店に入り浸る
無職になった入来智さんは、嫁の聡子さんの美容室に入り浸るようになります。聡子さんの仕事の手伝いをするわけではなく、ただ入り浸っていたそうです。
あまりにも入来智さんが働かないため、嫁の聡子さんは「このままじゃいけない」と思い、美容室を辞めて、2人で頑張る道を選んだとのことです。
嫁の聡子さん、めちゃくちゃ懐が広い良い嫁ですね。
転職を繰り返す
しかし、そんな聡子さんの思いを無視して、入来智さんは定職に就くことはありませんでした。一度は2人の間に離婚の話が出ましたが、2015年時点では離婚はしていません。
大きな起爆剤を与えられても入来氏はなかなか定職につけないまま。せっかく見つけた住宅メーカーの営業職も一時は精を出していたものの1年で退職してしまった。
転職回数は10回にもなりました。ただ、亡くなる前は介護士として働いていたことがわかっています。介護士の仕事にはやりがいを感じていたようです。
今度の介護の仕事はね、“親父の面倒見るときに役に立つよな”って言いながらやっていたので、心強かったんですけどね
引用:入来祐作氏が亡き兄を思い涙「破天荒な人ですよ…本当に」 智さんと交わした1月31日の最後の言葉(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
入来智の現在:事故で死去
入来智さんは2023年2月10日21時50分ごろに、宮崎県都城市を軽自動車で運転中に普通乗用車と衝突事故を起こして、亡くなりました。
55歳という若さでした。
弟の入来祐作さんには2月11日の午前1時前くらいに、智さんが事故を起こしたという一報が入ったそうです。
お通夜は2月12日、告別式が2月13日に都城市内で行われました。親族や友人約50人が参列し、野茂英雄氏からは弔電、清原和博氏からは供花が届くなど、野球関係者らも入来智さんの死を悼んでいました。
入来智の死因
入来智さんの死因は、重症頭部外傷です。入来智さんは軽自動車、相手は普通乗用車で出合い頭に衝突し、入来智さんが乗っていた軽自動車は前方が大破し、畑に転落しています。
その後、意識を失った状態で病院に搬送されましたが、23時45分に死亡が確認されました。
ヤクルトの発表によると、死因は交通事故による重症頭部外傷。
引用:入来智さん 死因は重症頭部外傷 ヤクルトが発表 12日に通夜、13日に告別式(スポニチアネックス) – Yahoo!ニュース
軽自動車の前方が大破しているとのことですので、最初の衝突でかなりの衝撃があったのでしょうし、畑に転落した時にも頭を強く打ったのかもしれませんね。
入来智の事故原因
入来智さんが事故に遭った交差点は畑沿いの道で、見晴らしは非常に良い交差点です。ただ、信号はありません。また、事故の時間は夜の9時50分ごろですから、現場は暗かったと思われます。
そのような状況で、出会い頭に衝突事故が起こりました。事故の原因は相手側の一時停止無視だったのかもしれません。ただ、事故原因は正式には報じられていませんので、あくまでも推測です。
入来氏は幅9メートルの道路を西進し、33歳男性が運転する普通乗用車は南進していたという。ともにスピード制限40キロの片道一車線で、普通乗用車の通行していた道路には一時停止の標識もあった。
引用:元ヤクルト、巨人投手 入来智さん交通事故死 現場状況を説明 見通しの良い交差点で衝突 一時停止の標識も-ファン落胆「ショック」(デイリースポーツ) – Yahoo!ニュース
ただ、入来さんも相当なスピードを出していた可能性があります。ニュースでは次のように報じられていました。
・入来氏の軽自動車は前方が大破
入来さんの車は大きく破損していたようです。いくら見晴らしが良くても、信号がない暗い夜道の交差点はやはり危険ですね。
入来智のまとめ
入来智さんのプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、家族や兄弟、結婚歴や嫁・子供の情報、かかし亭などの転職歴、死亡した現在や死因、事故原因などをまとめました。
入来智さんのご冥福をお祈りします。