2022年7月に亡くなられた島田陽子さんは国際派女優として知られていましたが、不倫・借金・AV出演などスキャンダルで話題を集めてきた方でもあります。
今回は島田陽子さんの若い頃、内田裕也さんとの不倫、旦那の米山仁さんとの馴れ初めと結婚や離婚理由、子供の有無、亡くなられた現在までをご紹介します。
この記事の目次
島田陽子は国際派女優
島田陽子
生年月日:1953年5月17日
出身:熊本県熊本市
身長:171cm
所属:ミライピクチャーズジャパン業務提携
血液型:O型
活動:女優
島田陽子さんは国際派女優として知られていた方です。
日本で映画やドラマに出演していただけでなく、アメリカのドラマにも出演し、ゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞しました。
女優としての実績が素晴らしい一方で、不倫や金銭トラブルなどのスキャンダル、さらにヘアヌード・AVデビューなどで世間を騒がせることもありました。
島田陽子の経歴
島田陽子さんは熊本県熊本市で生まれ、3歳からクラシックバレエを始めます。8歳の時に東京に引っ越し、中学1年生の時に劇団若草に入りました。
女優としてのデビューは17歳の時、1970年の「おさな妻」です。
翌年には「続・氷点」で主人公の辻口陽子役を演じ、最終回の視聴率は42.7%とドラマはヒットして、人気女優の仲間入りを果たしました。
その後もドラマや映画に次々に出演し、人気女優としての座を不動のものにした島田陽子さん。
1980年には、アメリカのテレビドラマ「将軍 SHŌGUN」でヒロイン・まり子役を演じてゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞、国際派女優と呼ばれるようになります。
1980年代~90年代も次々にドラマ・映画に出演していましたが、1992年には39歳でヘアヌード写真集「Kir Royal(キール・ロワイヤル)」を出版し、大ヒット。
また、2011年にはMUTEKIからAVデビューし、世間に衝撃を与えました。
島田陽子の若い頃のきれいすぎる画像
若い頃の島田陽子さんは本当にきれいで、透明感のある美しさが魅力の人気女優でした。
この写真は、ほぼすっぴんに近い状態だと思います。いくら若い頃でも、すっぴんでこの美しさは本物ですよね。
出典:zakzak.co.jp
こちらも本当にきれいです。
出典:jiji.com
メイクをしっかりした島田陽子さんは、妖艶で素敵です。
こちらは「将軍 SHŌGUN」に出演している時の島田陽子さんです。和装がとてもよく似合っています。
下の画像の島田陽子さんは、息をのむほどの美しさです。
出典:cinema.ne.jp
島田陽子さんは若い頃、清純派女優として人気があり、正義感あふれる良家の子女役などが多かったのですが、このルックスを見ると、清純派女優として人気が出るのも納得です。
また、男性ファンもさぞや多かったんだろうなぁと思ってしまいます。
この画像の島田陽子さんは、オードリーヘップバーンにも似ていますよね。
出典:ameblo.jp
島田陽子さんは若い頃、清純派の役柄もできて、妖艶な演技もできる女優さんだったのです。
島田陽子の若い頃の不倫騒動:内田裕也との馴れ初めから破局まで
島田陽子さんは若い頃、内田裕也さんと不倫関係にありました。
島田陽子さんと内田裕也さんの不倫について、馴れ初めから破局までを見ていきましょう。
不倫の馴れ初め
出典:ameblo.jp
島田陽子さんと内田裕也さんが出会ったのは、1988年に公開された「花園の迷宮」という映画です。
この「花園の迷宮」では、主演の島田陽子さんにはヌードシーンがありましたが、ヌードになることを島田陽子さんは悩んでいました。
そんな時、内田裕也さんは島田陽子さんに次のような手紙を渡したのです。
『今、大変悩んでいらっしゃると思います。自分の意見を一言言わせてください。裸になることで、島田さんの品位は1ミリたりとも傷つきません。それは別問題だと思います』
引用:島田陽子が語る素顔の内田裕也 1枚のメモから始まった交際4年間の全真相(2/5)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
島田陽子さんは内田裕也さんからのこの手紙を読んで覚悟が決まり、ヌード撮影に臨んだそうです。
これをきっかけに食事をするようになり、不倫関係に発展していったとのことです。
悩んでいる時にこんな手紙を渡されたら、内田裕也さんに気持ちが傾くのはよくわかります。
泥沼不倫に発展
出典:jprime.jp
映画の共演をきっかけに不倫関係になった島田陽子さんと内田裕也さんは、1988年にハワイでバカンスを楽しんでいるところをフライデーに撮られて、2人の関係が発覚します。
内田裕也さんは樹木希林さんとの離婚を希望しましたが、樹木希林さんは離婚を承諾せず、内田さんが強引に離婚届を提出。
しかし、樹木希林さんが離婚無効の訴訟を起こして、離婚は取り消されています。
ただ、島田さんは結婚する気はなかったと語っています。
ーーお二人に結婚の話はあったんでしょうか。
「いえ、私はそういうつもりはありませんでした。あの頃の私はどちらかというと、仕事が優先でした」
引用:島田陽子が語る素顔の内田裕也 1枚のメモから始まった交際4年間の全真相(3/5)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
また、内田裕也さんは島田陽子さんにDVをしていて、包丁を持って追いかけまわしたこともあったとの報道がありましたが、DVについては島田さんが否定しています。
知事選が原因で破局
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1988年に2人の不倫が明るみに出ましたが、その後も不倫関係は続き、1990年にも2人の密会現場が写真週刊誌に撮られています。
そんな2人が破局を迎えたのは1991年頃のことです。島田陽子さんと内田裕也さんはディズニーランドで1日遊び、その後カフェで話をしていました。
その時、内田裕也さんは東京都知事選に出馬するつもりだと島田さんに伝えます。
私がある日、裕也さんと一日中、ディズニーランドで過ごし、近くのカフェで話をしていたら、裕也さんが『都知事選に出るつもりだ』と打ち明けた。まだ、立候補する前のことです。私はそれには反対意見でした。そのことがきっかけで私と裕也さんは別の道を歩みましょうということになりました。
引用:島田陽子が語る素顔の内田裕也 1枚のメモから始まった交際4年間の全真相(5/5)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
一部報道では、島田陽子さんは内田裕也さんの選挙活動資金の一部を出していて、内田裕也さんの都知事選落選後に破局したと言われていましたが、実際は選挙前に破局していたようです。
2人が出会ったのは映画撮影時(おそらく1987年頃?)で、破局したのが1991年頃ですから、不倫関係は4年間も続いたということになります。
島田陽子は金銭トラブル続きだった
島田陽子さんは金銭トラブルが多い女優でした。
内田裕也に貢ぐ
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島田陽子さんは、内田裕也さんにかなりの額を貢いでいたと言われています。
内田裕也さんはロックスターとして有名でしたが、あまりお金は持っていませんでした。それなのに、お金を豪快に使うタイプだったようです。
内田は当時から、稼ぎがないくせに後輩のロックンローラーのみならず、業界関係者に常に羽振りのいいところを見せたがっていた。その金は島田が貢いでいた。
島田陽子さんは当時を振り返って、次のように語りました。
「貢ぐなんていう言葉は私の辞書にはありません。お金というのは、ある人があるときにない人を助ける。それが普通の流れだと思っています。男女も関係ありません。私は1度だけ、裕也さんに協力させていただいたことがあります。ロックンロールコンサートの資金を半分協力致しました。それは、貸したのではありません」
引用:島田陽子が語る素顔の内田裕也 1枚のメモから始まった交際4年間の全真相(4/5)〈週刊朝日〉 | AERA dot. (アエラドット)
島田陽子さんの考え方、とてもカッコいいですね。
しかし、内田裕也さんに貢ぎすぎたためか、島田陽子さんには、内田さんと破局した後に多額の借金が残ってしまったのです。
その他にも金銭トラブルあり
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島田陽子さんは内田裕也さんに貢いだことで、多額の借金が残りました。そのことで、金銭トラブルが噂されるようになったのです。
・税金を支払えない
・愛車の修理代金未払い
・引っ越し代金の未払い
金銭トラブル・借金を返済するために、島田陽子さんはヘアヌード写真集を出版したり、銀座のクラブのママをしたりしています。
団鬼六に100万円借金
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島田陽子さんは、SM作家の団鬼六さんから100万円を借金したことがありました。
しかし借金の返済は滞り、団鬼六さんから債権を引き継いだ不動産会社社長から、訴訟を起こされたことがあったのです。
この100万円は、島田陽子さんの事務所独立に関係するお金だったようです。
ある人物に「独立した方が儲かる」と言われて、所属事務所からの独立を決めた島田陽子さんですが、裏に暴力団関係者がいたために、独立問題はとん挫します。
100万円は独立が成功した際に支払われる予定だったお金だったようで、独立前に受け取ってしまったので、独立できなかったら返済するしかありません。それを返済しなかったようです。
この時の島田陽子さんは借金まみれで、一流女優なのに100万円すら返せない状態だったのですね。
島田陽子の結婚と離婚:旦那・米山仁との馴れ初めや子供
島田陽子さんは、内田裕也さんとの泥沼不倫後に結婚しています。
ここからは、島田陽子さんの結婚や旦那について見ていきましょう。
米山仁との馴れ初め
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島田陽子さんと結婚した米山仁さんは、テレビの制作会社で照明ディレクターだった3歳年下の一般人男性です。
2人は以前から女優とスタッフの関係でしたが、1993年にTBS系のドラマ「丘の上の向日葵」で再会し、親密な関係となっていきます。そして、恋愛関係になりました。
美人女優と照明スタッフが恋愛関係になるなんて、珍しいですね。島田陽子さんにとって、米山仁さんはとても魅力的な男性に見えたのでしょう。
1996年に結婚
島田陽子さんと米山仁さんは1996年5月17日に入籍しています。しかし、結婚までの道のりは簡単ではありませんでした。
1993年のドラマ撮影がきっかけで恋愛関係になった2人ですが、実はこの時、米山さんは既婚者で妻子がいたんです。つまり、島田陽子さんと米山さんは不倫関係だったということですね。
島田陽子さんは既婚男性に惹かれるタイプなのかもしれません。
米山仁さんは前妻と1994年に離婚して、島田陽子さんと2年間同棲後の1996年に結婚しました。
島田さんの結婚が略奪愛だったと判明した時は、世間からバッシングを浴びています。
ただ、米山仁さんはとても優しい男性で、島田陽子さんの母親との同居も快諾してくれたそうです。
夫は不器用な人で世渡り下手で、会社でも意見を言えないようなところがある。でも少年みたいに心は純。そんな彼に何度もこれまで心をあらわれました
このようなタイプの男性は、島田陽子さんにとっては新鮮だったのかもしれません。
子供はいない
1996年に結婚した島田陽子さんと米山仁さんですが、2人にの間に子供はいません。
夫には当時、妻と2人の子供がいたが翌94年に離婚。島田の43歳の誕生日にあたる96年5月17日に夫婦となった。2人の間に子供はいなかった。
引用:島田陽子、離婚していた「すれ違いで意思通じず、でも感謝」昨年7月、23年間連れ添った夫と(1/2ページ) – サンスポ
島田さんが子供を望んでいたかどうかは不明ですが、結婚した時は43歳でしたので、年齢的に子供を望んでもできなかったのかもしれません。
2019年に離婚
出典:dragons.jp
略奪愛から結婚した島田陽子さんと米山仁さんですが、2019年に離婚したことが明らかになりました。離婚理由はすれ違いとのことです。
「実は昨年7月末に離婚しました。彼は何でも受け入れ支えてくれる人でしたが、私が海外の仕事で半年とか家を留守にすることもあった。すれ違いが続いて、お互いの意思が通じなくなり話し合った結果です」
引用:島田陽子、離婚していた「すれ違いで意思通じず、でも感謝」昨年7月、23年間連れ添った夫と(1/2ページ) – サンスポ
いわゆる熟年離婚ですね。愛犬のチワワは、米山さんが連れて行ったとのことです。
島田陽子の晩年① 金銭トラブルは相変わらず
島田陽子さんは晩年も金銭トラブルを抱えていたようです。
ファンの男性から4800万円
出典:jisin.jp
晩年における1つ目の金銭トラブルは、2021年11月に「文春オンライン」で報じられたファンの男性から借りた4800万円です。
島田陽子さんのファンだった会社社長は、1998年末に友人を通して島田陽子さんと知り合います。
その後、食事や旅行代金を負担する以外に、島田陽子さんのマネジメント会社に3000万円を貸し(連帯保証人は島田陽子)、さらに個人事務所に1800万円を貸しています。
しかし、島田さんは返済期日を守らなかったり、月々の返済額を守らなかったりしていて、返済が滞るようになりました。借金から約20年後でも、残債務は3537万円もあったようです。
ファンだった社長は、情けをかけて債務を306万円に減らして、月々2万円の返済で12年後には返済が終わるように提案したといいます。
それでも島田さんはなんだかんだ言って返済せず、それでも自分はタワーマンションに住み、高級外車を乗り回す生活をしていたとのことです。
映画出資で1000万円
出典:https://news.nifty.com/
2つ目の金銭トラブルは会社社長とのもので、2022年1月に明らかになっています。
30代の会社社長は、2019年に島田陽子さんとパーティーで知り合いました。
そのパーティーで、「三船敏郎の生誕100周年記念映画をハリウッドで作る計画がある」と言って、会社社長に1000万円を出資してもらえないかとお願いした島田陽子さん。
社長は知り合いの会社社長を紹介し、その男性が1000万円の出資をしたそうです。
ですが、映画製作はなかなか進まず、「コロナだから遅れている」とのらりくらりの回答ばかり。
1000万円を振り込んだ口座を開示してもらうと、映画製作は全く進んでいないのに、残高は70万円にまで減っていたとのことです。
しかも、島田陽子さんがコンビニのATMから引き出し限度額いっぱいの30万円を何回にもわたって引き出していたことが分かったのです。
映画がコロナのせいで進まないというわけではなく、最初から出資金だけもらうつもりだったとしか思えません。
これは、詐欺の可能性も指摘されていました。
島田陽子の晩年② 宇宙葬を予約
島田陽子さんは生前、宇宙葬を予約していました。宇宙葬というのはなじみはありませんが、宇宙に遺骨を打ち上げる「宇宙散骨」のようなものです。
島田さんは「銀河ステージ」という企業の宇宙葬を予約していて、銀河ステージのホームページにも大きく取り上げられていました。
宇宙葬は最低でも50万円程度はかかります。それを予約する余裕があるなら、金銭トラブルを解決した方が良かったのでは?なんて思ってしまいます。
島田陽子の現在…大腸がんによる多臓器不全のため死去
出典:https://origin.daily.co.jp/
島田陽子さんが2022年7月25日に大腸がんによる多臓器不全のため東京都内の病院で死去したことが明らかになりました。69歳でした。
関係者によると、島田陽子さんは3年程大腸がんで闘病生活を送っていたとのことで、入退院を繰り返していたといいます。女優業を続けていくため、人工肛門の造設や抗がん剤による治療は行っていなかったそうです。
米山仁さんとは離婚し、両親もすでに亡くなっている島田陽子さんの家族は妹2人だけとなっていましたが、この妹たちとも疎遠になっていたため、妹たちは遺体の引き取りを拒否したとの情報も出ていました。
借金を背負っていた島田陽子さんは生前妹たちに無心することもあったようで、さらには費用の面でバックアップするといっていた母親の介護も借金の返済でままならなくなり、姉妹間には埋まらない溝が生じていたようです。
宇宙葬を予約していたという島田陽子さんですが、遺族がいない中での十数人による密葬で見送られ寂しい最期となりました。
親しい友人たちも弔うことのできない混乱の中、なんとか葬儀は行われたという。遺族が姿を見せない中で、その中心となったのは、島田さんが設立した映画製作会社のスタッフだった。窓口となった男性が葬儀の様子をこう話す。
「密葬は私も含めて十数人で行いました。病院の方にも女優さんだからと配慮してもらって、ドレスを持ってきてご遺体に着させたんです。ただ、妹さんお2人とは連絡が取れず、葬儀に出席もされていないのは事実です。身元引受人は、生前の島田さんが一筆書いてお願いしていた方となりました。長年、彼女の面倒を見ていた方です。遺骨はいま、島田さんの自宅に祭壇を設けて安置してあります」
晩年も女優としての活動に意欲を見せていたという島田陽子さん。2021年12月8日に都内で行われた映画「犬神家の一族」のトークイベントが最後の公の場となりました。また、亡くなる直前に撮影を終えたという主演映画「Evergarden(エヴァーガーデン)」(2022年公開予定)が遺作となっています。
「この数年間はとても苦しかったと思います。妹と疎遠になり母を失い、『これで本当にひとりきりになってしまった』としみじみ言っていたことを思い出します。実は彼女には、ニューヨークのブロードウエーで『将軍 SHOGUN』に主演したリチャード・チェンバレンと二人芝居をするという企画もあったんです。さぞ無念だったでしょう」
島田陽子のまとめ
島田陽子さんのプロフィールや経歴、若い頃のきれいな画像、内田裕也さんとの不倫や金銭トラブル、旦那の米山仁さんとの馴れ初めや結婚・離婚、子供の有無、亡くなられた現在までをまとめました。
不倫や金銭トラブルなどで世間を騒がせてきた島田陽子さん。突然の訃報は多くの人を驚かせましたが、遺族に遺体の引き取りを拒否されるなど寂しい最期となったようです。島田陽子さんのご冥福を心よりをお祈りします。