橋田壽賀子さんと言えば、「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」など数多くの代表作で有名な脚本家です。
今回は、橋田壽賀子さんの美人と話題の若い頃、熱海の自宅、旦那や子供についての情報、現在や死去と死因について情報をまとめました。
この記事の目次
橋田壽賀子のプロフィールと経歴
橋田寿賀子、現役脚本家として活躍
橋田壽賀子(はしだ すがこ)
本 名:岩崎壽賀子(いわさき すがこ) ※旧姓・橋田
誕生日:1925年5月10日
出生地:韓国・ソウル
出身地:大阪府堺市西区
橋田壽賀子さんは、脚本家・劇作家・タレントとして活躍しています。1949年に松竹に入社して、脚本部に配属され、1964年に「袋を渡せば」で、テレビドラマの脚本家デビューを果たしました。同年に発表された「愛と死をみつめて」の脚本が一躍話題となり有名になりました。
橋田壽賀子さんの主な代表作には、「おしん」や「渡る世間は鬼ばかり」などがあります。この作品は、泉ピン子さんが主演を務めたかなりの大ヒットドラマで有名です。
橋田壽賀子さんは2019年現在で94歳ですが、現役で執筆活動をされています。
橋田壽賀子、出生地は現在の韓国・ソウル
生まれはソウル!
橋田壽賀子さんの出身地は大阪府堺市西区ですが、生まれたのは京城(現在のソウル)になります。
1925年(大正14年)生まれで日本が統治していた時代ということになり、「外地生まれの日本人」になります。帰国するまでの9年間、朝鮮で生活をしていたそうです。
その後、日本で教育を受けた方がいいとの理由で、9歳の頃に母親と帰国。大阪で暮らし始めましたが父親はお土産屋を経営していたので、単身赴任のまま京城府に残りました。
帰国後の橋田さんは、朝鮮から戻って来たという理由で小学校でいじめに遭っていたそうです。
大阪府立堺高等女學校(現:大阪府立泉陽高等学校)卒業後は日本女子大学文学部国文科に進学しを卒業。その後、早稲田大学第二文岳演劇専修に入学し、学生劇団に所属し役者を務めていました。
その頃から脚本塾に通い演劇の創作を始め、早稲田大学在学中に松竹の脚本部の採用試験を受け見事合格。1949年に大学を中退し、松竹初の女性社員となりました。
橋田寿賀子の若い頃が美人と話題に
若い頃が「美人!」と話題に!
橋田壽賀子さんの若い頃が「美人」「綺麗」と話題になっています。
2018年12月13日に放送した「直撃!シンソウ坂上」に出演した際に、橋田さんの自宅にあるゲストハウスの地下には自身の年表や写真パネルが並べられ、そこに上記の写真もありました。
早稲田大学・演劇部時代に撮影されたという写真に、坂上さんが「モテたんじゃないですか?」と尋ねたところ、橋田さんは「モテない。本当に口説かれたことない。戦争中、相手は全員死んじゃって、帰ってきた人はみんな若い人と結婚して、トラックいっぱいに男1人という時代だから、もう諦めてた…」と振り返りました。
橋田壽賀子さんの若い頃きれいすぎて目覚めた
— yuka (@iwkmyk817) April 27, 2019
橋田壽賀子、若い頃割と綺麗だね。#サワコの部屋
— キキキキキティ1万ボルト (@mikimiki_ges02) October 11, 2013
橋田寿賀子の熱海の自宅が豪邸~お手伝いさんが6人もいた
自宅は熱海の豪邸!
橋田壽賀子さんの自宅は、別荘地として有名な「熱海自然郷」で暮らしているそうです。現在も愛犬で柴犬のさくらちゃんと暮らしているそうで、仕事の際には東京〜熱海を往復して活動をされています。
お手伝いさんも6人もいるそうで、さらには地上3階建ての一戸建てだそうです。熱海で一戸建てを買うとすると、都心よりは遥かに安いですが6SLDKで約2,980万円(税込み)だそうです。
橋田さんの自宅は地下もあり、建設費用は億単位になるのではないでしょうか。
今夜7時は『おじゃMAP!!』🌈
— カンテレ (@kantele) November 15, 2017
92歳の今も執筆活動を続ける橋田壽賀子さん👵の自宅におじゃまし、香取さん&ザキヤマさんが元気と若さの秘密を探る👀
橋田さんの㊙️トレーニング💪⁉️
初SNSで自撮り📱に挑戦⁉️
香取さんの愛情手料理🍳に橋田さんの評価は…❓#カンテレ pic.twitter.com/G85EbKhBdF
橋田壽賀子の結婚した旦那・岩崎嘉一と子供について
橋田壽賀子、旦那はTBSプロデューサー・岩崎嘉一
岩崎嘉一(いわさき よしかず)
橋田壽賀子さんは、1966年5月10日に41歳で結婚されています。旦那は当時TBSでプロデューサーをしていた岩崎嘉一さんでした。
橋田さんが結婚したきっかけは、その当時40歳を過ぎていて脚本家としてちゃんと一人で食べていけるか生活面で不安があったそうで、岩崎さんと結婚すれば月給をもらえるからという考えで結婚したそうです。
岩崎さんは1989年9月に亡くなられているので、「死別」という形の別れとなっています。
岩崎さんは現在、静岡県にある実家のお墓で岩崎さんの母親と一緒に眠られているとのことで、橋田さんによれば「夫はマザコンだったので喜んでいるはず」と語られていました。
橋田壽賀子、旦那の無精子症が原因で子供が出来なかった?
子供には恵まれなかった…
橋田壽賀子さんが結婚した時、旦那の岩崎嘉一さんは37歳、橋田さんは41歳という晩婚だった為に、子供には恵まれなかったと言われています。
しかし、このような投稿がありました。
アイデアは理想的。が、実際プライドで生きている日本男性諸氏には無精子の現実は受け入れがたいからゴネるだけかも。昔、橋田壽賀子が旦那無精子症で子供授からなかったけど敢えて原因追求しなかったらしいし。@nynutsさんのツイート: https://t.co/ZIHLEv8GYr
— かにかま (@Ilovekanikama) August 19, 2014
橋田壽賀子さんが40代と「高齢」だったこともありますが、もしかすると旦那の「無精子症」も諦めたきっかけとなったのかもしれませんね。
橋田壽賀子の現在① 安楽死宣言撤回や“渡鬼”の内情暴露で話題に
橋田寿賀子、89歳から終活を開始
89歳の頃から「終活」を始めた!
橋田壽賀子さんが自身の死について考え始めたのは、88歳ころからだそうで、それまでは自分が死ぬ事など一切考えずに、一生懸命仕事をしていたそうです。
しかし、段々と自分の体がしぼんでいくのが分ったそうで、それを見て「死」というものを実感したと言います。それから、89歳のときに終活を始められたそうです。
女優・泉ピン子さんから、「ママはもう十分に歳をとっているんだよ」と言われたそうで、89歳の時に終活を開始。物を片付け始めることから橋田さんの終活が始まり、1年ほど経過すると、何十年も溜まっていた物たちがなくなり、家の中がすっきりしたそうです。
「本はほとんど熱海市の図書館に寄贈しましたし、資料として取っておいた新聞の切り抜きなどは全部捨てました。私は、ものを捨てられない性分で、山のようにあったメガネは、発展途上国にメガネを贈る団体に寄付しました。発展途上国ではメガネは貴重品で、とても重宝されると聞いたものですから。
橋田さんには子供もいないので遺産相続者がいません。そのため、全財産を使い切って死にたいと語っています。
また、橋田さんの元気と若さの秘訣は大型客船「飛鳥Ⅱ」の世界一周クルーズだそうです。これまでに世界3周しており、南極には2度訪れているそうです。ちなみに、飛鳥IIの一人あたりの旅費は、102日間で330万円~2625万円と言われています。
橋田寿賀子、「安楽死宣言」を撤回
ここ数年は安楽死したいとテレビでも語っていた橋田寿賀子さんですが、2018年3月のインタビューでは「安楽死はあきらめました」と撤回したことで話題となりました。
現実問題として、日本で安楽死は難しそうだから、今は専門の在宅医にお願いして、安楽死に近い尊厳死をさせていただきたいと思っています。熱海にもそういう方がいらっしゃるんです。その方に「ご飯が食べられなくなったら、すり身にして食べさせたりさせないでください。もちろん胃ろうなんてやめてください」とお願いしたい。「ご飯を食べないで、老衰で死ぬ」のが一番いいなと思っているんですけど。安楽死はもうあきらめました。
本当は諦めていないとも語る橋田さんですが、安楽死について発言すると、うるさく言われることが多いそうです。
橋田寿賀子、“渡鬼”えなりかずきと泉ピン子の共演NGを暴露
2019年10月、橋田寿賀子さんの発言が波紋を広げています。
脚本家の橋田寿賀子氏が、国民的人気ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(TBS系)で親子を演じる泉ピン子とえなりかずきの共演NGを暴露した。
「橋田さんは「(ピン子と)一緒に出るとえなり君は発疹が出たり、おかしくなるんですって」「そういう申し出をすること自体、私は頭にくる」と明かしていましたね。橋田さんはピン子さんと仲良しですし、脚本が書きにくいということで、えなり君にはお怒りだったようです」(女性週刊誌記者)
事実、2人の共演シーンは2015年に放送された特番が最後となり、2019年9月に放送された特番でも一緒のシーンはありませんでした。
一緒に旅行するほど仲がいい橋田さんと泉さんですが、えなりさんを悪者にした発言にネット上では「わざわざ言う必要ある?」との意見もあがっています。
橋田寿賀子酷いな。
— NaO◢⁴⁶ (@NaO_N46_Manatsu) October 2, 2019
言っちゃダメだろそんなこと。
えなりくんがそうなってしまうまで放置してたのはお前らだろうが。 https://t.co/3IQSE9W1vi
えなり君の件、一番ゾッとするのが橋田寿賀子なんだよな、我慢の限界だと長い付き合いの脚本家先生様に訴えたら週刊誌にネタとして売られたんだぞ
— tateyamaさん@운치 (@xiaoli_tateyama) October 3, 2019
橋田壽賀子の現在② 急性リンパ腫で死去
橋田壽賀子さんは、2021年4月4日に死去しています。
2021年2月下旬から、急性リンパ腫の治療のため東京都内の病院に入院。3月には、自宅のある静岡県熱海市内の病院に移り、治療を続けてきました。そして4月3日、自宅に戻り、4日午前、息を引き取ったということです。
橋田壽賀子さんの遺志により、通夜・告別式、「お別れの会」などは行われないということです。
橋田寿賀子についてまとめると…
・橋田寿賀子は41歳の時に当時TBSでプロデューサーをしていた岩崎嘉一と結婚、2人の間に子供はいない
・橋田寿賀子は89歳で終活をスタートさせ、一時は「安楽死宣言」で波紋を広げたが、その後は撤回している
・橋田寿賀子はえなりかずきが泉ピン子との共演を共演を拒否していると暴露した
・橋田寿賀子は2021年4月に急性リンパ腫で亡くなった。
橋田壽賀子さんは「死んだらお葬式も偲ぶ会もお墓参りもしてほしくない。とにかく生きている間にお金を使って遊び尽くし、ひっそり死にたい」そうです。
2019年に入り2回も入院しているそうで、体調を心配する声もあがっていました。2021年4月4日に亡くなりましたが、ご冥福もお祈りいたします。