冬木薫さんはプロレスラーの冬木弘道さんの元妻で破壊王・橋本真也さんの元婚約者として知られている方です。
この記事では冬木薫さんのプロフィール、元旦那の冬木弘道さんとの結婚と子供、橋本真也さんとの不倫と婚約、結婚詐欺での中村薫での逮捕と現在についてまとめました。
この記事の目次
冬木薫のプロフィール
冬木薫のプロフィール
本名 :中村薫(冬木弘道との死別後に1度再婚している)
生年月日:1963年6月30日
出身地 :京都府京都市左京区修学院離宮
冬木薫(ふゆき・かおる)さんは、2003年3月に亡くなった元人気プロレスラーの冬木弘道さんの嫁で、2005年に亡くなった人気プロレスラー、破壊王こと橋本真也さんの元婚約者として、プロレスファンの間で知られている女性です。
冬木薫さんは、旦那さんの冬木弘道さんの死去後の2003年6月から、冬木弘道さんが主催したプロレス団体「WEW(冬木軍プロモーションを名乗った)」の社長を引き継ぎ、1年間限定で務めました。
しかし、冬木薫さんはそれからわずか2年後の2005年に当時のプロレス界きっての人気レスラーであった破壊王・橋本真也さんと不倫の関係に陥り、それが原因となって橋本真也さんは妻のかずみさんと離婚。
その直後に冬木薫さんと橋本真也さんは同棲関係になって結婚を約束しています。ところが、さらにその婚約から数ヶ月後に、今度は橋本真也さんが急死。冬木薫さんは橋本真也さんの死去後にもすぐに橋本真也さんの追悼本を発表(しかも橋本真也さんからの恥ずかしい愛のメールを暴露)しており、その節操のなさが物議を醸しました。
そして、橋本真也さんの死から約10年後の2016年に冬木薫さんが50代の一般の男性に対する結婚詐欺で逮捕されていた事が報じられました。これにより、冬木薫さんのプロレス史に残る悪女のイメージがさらに強いものとなり、往年のプロレスファンの間でかなり話題になったのでした。
今回はそんな冬木薫さんについてまとめていきます。
冬木薫の結婚相手はプロレスラーの冬木弘道で子供は娘が2人
冬木薫さんは1989年11月に、当時全日本プロレスの人気レスラーだった冬木弘道さんと結婚しています。なお、冬木薫さんには冬木弘道さんとの結婚前にも1人旦那がおり、この旦那は自死により亡くなっているようです。
冬木薫さんと旦那さんの冬木弘道さんの結婚までのエピソードなどはあまり知られていませんが、2人の間には2人の子供が誕生しています。
冬木薫さんと冬木弘道さんの子供は2人とも娘さんで、冬木弘道さんのニックネーム「理不尽大王」からとって、子供2人の名前の頭文字にはそれぞれ「理」が使われています。
冬木薫さんと冬木弘道さんの子供2人の正確な年齢は不明ですが、冬木弘道さんが亡くなった2003年の時点でまだ幼かった事が報じられているため、2022年の時点でも20代半ばから30代の可能性が高いようです。
後述しますが、冬木薫さんはこの子供の出産費用や学費、病院費などをだし(いずれも嘘だった事が後に発覚)にして結婚詐欺を働いています。
冬木薫の旦那・冬木弘道のプロフィールと経歴
冬木薫の旦那・冬木弘道のプロフィール
生年月日:1960年5月11日
没年月日:2003年3月19日(享年42歳)
出生地 :東京都江東区
出身地 :神奈川県横浜市
身長 :180cm
冬木薫さんの旦那さんの冬木弘道さんは、横浜商科大学高等学校を卒業後の1979年5月6日に国際プロレスに入門し、1981年の国際プロレスの崩壊に伴って全日本プロレスへと移籍し、天龍源一郎さんの付き人を務めました。
1984年11月に初の海外遠征で渡米し、テキサス州サンアントニオで、川田利明さんと「ジャパーニーズ・フォース」を組み、ショーン・マイケルズとポール・ダイヤモンドの「アメリカン・フォース」との抗争を展開しました。
1985年12月に帰国後は「サムソン冬木」のリングネームで活躍し、アニマル浜口さんや寺西勇さんとも対決しています。
1987年3月の2度目の海外遠征を経て、帰国後に天龍源一郎さん率いる「天龍同盟」に加入し、川田利明さんとのタッグチーム「フットルース」を結成しました。
1989年、全日本プロレスの若手レスラーによるリーグ戦である第1回あすなろ杯争奪リーグ戦では準優勝に輝き、この頃に冬木薫さんと結婚されています。
1990年、冬木弘道さんは天龍源一郎さんらと全日本プロレスを離脱してSWSの旗揚げに参加し、1992年に天龍源一郎さんが立ち上げたWARに加わりました。
1994年頃からは天龍源一郎さんらWAR正規軍と敵対する反体制派のヒールレスラーとなり、邪道さん外道さんとのトリオ「冬木軍」を結成しています。この頃に冬木弘道さんは「理不尽大王」を自称するようになり、リング上でコントを展開するなどコミカルなヒール役に舵を切りファンの心を掴みました。
1996年10月、冬木弘道さんは邪道さん、外道さんと共にWARを離脱して「冬木軍プロモーション」を設立。その後はFMWに参戦して活躍を続け、2001年に全日本プロレス主催の「世界最強タッグ決定リーグ戦」に天龍源一郎さんとのタッグで出場しました。
2002年2月にFMWが経営破綻すると、3月に自身が主宰して「WEW」を設立しています。しかし同年4月、冬木弘道さんは大腸がんを患っている事を明かした上で引退を表明しました。
冬木弘道さんの引退表明を受けて、プロレスリング・ノアが動き、急遽会場を押さえてディファ有明での冬木弘道さん、三沢光晴さん、小川良成さん組VS田上明さん、井上雅央さん、菊地毅さん組の引退試合が催され、これを最後に22年間の現役生活を終えています。
冬木弘道さんはこの引退試合後に入院し緊急手術を受け、退院後の2002年5月5日にWEWの旗揚げ戦をプロデューサーとして川崎球場で行っています。
しかし、この時すでに冬木弘道さんのがんは肝臓にも転移しており、2003年3月19日に入院先の横浜市民病院で42歳という若さで亡くなりました。死因は「がん性腹膜炎」と発表されています。
冬木薫は旦那・冬木弘道の死去後に追悼本「マミー、そばにいて」を発表
出典:https://m.media-amazon.com/
冬木薫さんは旦那さんの冬木弘道さんの死去から1年半後の2004年10月に「マミー、そばにいて」のタイトルで追悼本を発表されています。
冬木弘道さんのプロレスラー時代の結婚生活を振り返るような内容ではなく、冬木弘道さんが病床に倒れた後の妻の立場からの闘病記録がメインの内容です。
冬木弘道さんが闘病中にも浮気相手の存在があった事なども赤裸々に綴られています。
冬木薫は旦那・冬木弘道の死去後に橋本真也と不倫の関係になり結婚を約束
冬木薫さんは旦那さんの冬木弘道さんが死去した後、「冬木軍プロモーション」の社長を1年間代行しましたが、この時に相談していた相手が、当時ZERO-ONEを立ち上げて縦横無尽の活躍をしていた人気レスラーの橋本真也さんでした。
そして、この相談をきっかけにして冬木薫さんと橋本真也さんの距離が縮まり不倫の関係となります。(橋本真也さんは結婚しており3人の子供がいた)
橋本真也さんの妻のかずみさんは、これまでに何度も橋本真也さんの浮気を許してきたものの、プロレスラーの妻の立場から交流もあった冬木かずみさんとの不倫関係だけはどうしても許せずについに離婚となります。
橋本真也さんは離婚成立の前から冬木薫さんの横浜市内の自宅にて同棲を開始しており、離婚成立すぐ後の2005年6月には婚約しています。
しかし、この婚約の1ヶ月後に橋本真也さん「脳幹出血」により40歳の若さで急死しています。
冬木薫の婚約者となった橋本真也のプロフィールと経歴
橋本真也のプロフィール
生年月日:1965年7月3日
没年月日:2005年7月11日(享年40歳)
出身地 :岐阜県土岐市
公称身長:183cm(実寸180cm)
血液型 :AB型
冬木薫さんと結婚を約束していた橋本真也さんは、中京商業高校(現在の中京高校)の1984年4月に新日本プロレスに入団。
海外武者修行を経て、橋本真也さんは蝶野正洋さん、武藤敬司さんと共に「闘魂三銃士」として大々的に売り出され、その破天荒かつ攻撃的なファイトスタイルから「破壊王」のニックネームで当時のプロレスファンからの絶大な人気を獲得しました。
1993年9月には、第14代IWGPヘビー級王者を獲得し、藤波辰爾さんに敗れて1度は王座陥落となったものの、1994年5月に藤波辰爾さんへのリベンジを果たして再び同王座に返り咲きました。
その後、橋本真也さんは、1995年5月に武藤敬司さんに敗れるまで9度の防衛に成功しました。これは当時の連続防衛記録であり、この活躍からこの年の「プロレス大賞MVP」に選ばれています。
以降も、橋本真也さんはこのIWGPヘビー級王座に返り咲き、通算20度の防衛を果たして「ミスターIWGP」とも称されました。
1997年から2000年にかけては、柔道家としてプロレスに参戦した小川直也さんとの抗争を繰り広げましたが5戦して4敗という惨敗を喫し、三沢光晴さんから「あれじゃプロレスが弱いと思われる」との苦言が出るなどして評価を一時的に落とします。
この影響もあり、橋本真也さんは1度は引退を表明しますが、熱烈なファンからの応援を受けて引退を撤回し、復帰戦後に新日本内に別組織「新日本プロレスリングZERO」の設立を目指しますが、これが内部からの反発を受けて新日本プロレスを解雇されます。
新日本プロレス解雇直後の2000年11月、橋本真也さんは新団体「ZERO-ONE」を旗揚げし、以降、プロレスリング・ノア、INOKI BOM-BA-YEへの参戦、宿敵の小川直也さんと和解してタッグチーム「OH砲」を結成するなどして、プロレス界全体を大いに盛り上げ、プロレス人気復活に向けての牽引役として期待を集めました。
その後も、2003年の全日本プロレスとの全面抗争での三冠ヘビー級王座奪取。長州力さん率いる長州軍との抗争、2004年のハッスル参戦など団体の垣根を越えての活躍を続けました。
ところが、2004年後半に入った頃から、前述のように冬木薫さんとの不倫の関係に陥り、冬木薫さんをZERO-ONEの取締役に据えようとするなどの公私混同や、社長業を疎かにして冬木薫さんに会いに地方興行から東京にトンボ帰りしてしまうなどの問題行動が目立つようになります。
これが原因となって、団体内部の確執が表面化し、2014年11月に橋本真也さんはERO-ONEの崩壊を宣言。
以降、橋本真也さんはフリーとなって、長年抱えていた肩の治療を行う事を決断し、1人リハビリをして復帰を目指す事になりました。
そして、2005年3月には長年自身の活躍を支えた妻のかずみさんと離婚。同年6月の冬木薫さんとの婚約などがあり、2005年7月11日に橋本真也さんは、冬木薫さんと同棲していた横浜市の住宅で倒れ、搬送先の病院で40歳の生涯を閉じました。
冬木薫さんと関係を結んでいた最中の腹上死との噂も囁かれましたがこれはデマで、体調不良を訴えた後に倒れ、亡くなったようです。橋本真也さんの死因は「脳幹出血」と発表されています。
冬木薫は橋本真也の葬儀も取り仕切った
冬木薫さんは、婚約者の立場から橋本真也さんの最期を看取り、その後の葬儀も一切を取り仕切っています。
この冬木薫さんが取り仕切った橋本真也さんの葬儀では、ZERO-ONE勢との確執などが遠因となって様々な問題が勃発し、ファンや関係者の間で物議を醸しました。
冬木薫さんの取り仕切った橋本真也さんの葬儀は、2005年7月16日に神奈川県横浜市の久保山葬儀場で行われました。
葬儀はファンにも告知され、全国から橋本真也さんを追悼するために大勢のファンが集まりましたが、葬儀場の規模が小さく場所も不便であったため道路は大渋滞を起こし、ファンの多くが葬儀場に入る事もできずに追い返されたそうです。
さらには、献花台も用意されていなかっため、持参した花を供える事すら叶わなかったのだそうです。
また、冬木薫さんとZERO-ONE勢、元妻のかずみさんや橋本真也さんの家族との確執などからゴタゴタが起こり、冬木薫さんと揉めている人間は橋本真也さんの棺に触る事も近づく事もできなかったと言われています。
さらに、元妻の橋本かずみさんは焼香の時の席すら用意されておらず、追い返されてしまったとの逸話も伝わっています。
こうしたあまりにも酷い葬儀の内容も冬木薫さんへの批判につながりました。
冬木薫の橋本真也からの愛のメールを暴露した「橋本真也の遺言」も話題に
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冬木薫さんは橋本真也さんが亡くなった翌年の2006年7月に、追悼本として「橋本真也の遺言」を発表されています。
この本は、始まりから終わりまで、冬木薫さんの視点からの橋本真也さんにいかに愛されていたのかをアピールする内容となっています。
橋本真也さんから連日のように送られた恥ずかしい愛のメールの文面が携帯の画面ごと30ページにわたって掲載されており、冬木薫さんが橋本真也さんからの猛烈なアプローチを受けたため、それに押し切られるような形で不倫の関係になってしまった事を言い訳するような内容とも受け取れます。
ただ、橋本真也さんの元妻である橋本かずみさんが、2011年に発表した「火宅 プロレスラー・橋本真也の愛と性」を読むと、橋本真也さんにはこれまでに冬木薫さん意外にも何人も浮気相手がおり、その誰にも同じような情熱的な愛のメッセージを送っていた事がわかります。
こうした点からして、冬木薫さんは橋本真也さんの歯の浮くような愛のメッセージを真に受けて、ずるずると不倫の関係に陥ってしまったと見る方がしっくりきます。
冬木薫が結婚詐欺で逮捕された中村薫と同一人物だと報じられ話題に
橋本真也さんの死去から約10年後の2016年2月25日に、中村薫という52歳の女が、神奈川県在住の50代男性から約160万円を騙し取ったとする結婚詐欺の容疑で神奈川県警に逮捕されました。
「日刊大衆」は、この中村薫が、橋本真也さんの元婚約者である冬木薫さんその人である事を報じ、往年のプロレスファンを騒がせました。
記事によれば、中村薫こと冬木薫さんは、2014年5月に被害者の男性と横浜市内の居酒屋で知り合い、何度か店で顔を合わせるうちに親密な関係に発展(ただし、肉体関係は1度もなかった)し、その年のお盆休みには、被害者男性が冬木薫さんを静岡県の実家に連れて行き「将来結婚したい人」と母親と妹に紹介しています。
それから、冬木薫さんは度々被害者男性の実家を訪れて、妹さんに対して「Sさん(被害者男性)はすごくいい人だから、下の娘が大学を卒業したら結婚したい」と自分から話していたのだそうです。
ところが、2015年1月、冬木薫さんは被害者男性の妹に「前の男は暴力が酷くて、それがトラウマになっているのに、被害者男性に無理矢理関係を迫られた」と訴える内容のメールを送ってきたそうです。
このメールにより、被害者男性の妹さんは、結婚を約束していながら、冬木薫さんと兄との間にはこれまでに1度も肉体関係が無い事を知り、冬木薫さんに不信感を抱くようになったそうです。
そして、2015年4月に被害者男性が体調を崩して約3ヶ月間入院する事になった時、冬木薫さんは1度も見舞いに訪れず、妹さんが何度電話をかけてもつながらなかったのだそうです。
しばらくして、冬木薫さんの妹を名乗る人物から「姉は、ICU(集中治療室)で治療している娘の看病につきっきりで出られない」との内容のメールが届いたそうです。
しかし、共通の知人が冬木薫さんの職場に確認したところ、冬木薫さんはいつもと変わらない様子で出勤していた事が判明します。
実は、これまでに被害者男性は冬木薫さんに800万円近いお金を貸していました。これは、冬木薫さんに、家賃や冬木薫さんの娘(冬木弘道さんとの子供)の出産費用や学費、父親の葬儀代などの名目で冬木薫さんから無心されて、それを信じた被害者男性が渡したものでした。
その後、警察の調べにより、冬木薫さんの嘘が次々と発覚しました。娘の出産も学費の事実もなく、葬儀代を要求した父親に至っては亡くなってすらいませんでした。
こうした事実から冬木薫さんは詐欺の容疑で逮捕される事になりましたが、弁護士を通じて金を返す意思を示したため、起訴の可能性を含む処分保留で保釈されています。その後、冬木薫さんが起訴されたとの情報は出ておらず、このまま不起訴処分となった可能性が高いようです。
冬木薫の現在…誰も連絡が取れず所在不明
冬木薫さんは、2022年6月30日の誕生日で59歳になっているはずですが、現在どこで何をされているのかは情報がなく不明となっています。
往年のプロレス専門雑誌「紙のプロレス」の編集者で、生前の橋本真也さんを最後に取材した男としても知られる松澤チョロさんの、2021年10月のインタビュー記事の中で、現在は冬木薫さんとは誰も連絡が取れずに所在不明になっている事が明かされています。
松澤 俺は会ったことはないんだけど、ミステリアスな美魔女感はあったよね。冬木薫さんはあちこちで悪く言われてて、実際に捕まってるから仕方ないところもあるし。
――冬木薫さんとはもう誰も連絡は取れないみたいですね。冬木薫さんの破壊王本の担当編集者でさえも。
まとめ
今回は、プロレスラーの冬木弘道さんの元妻で、破壊王・橋本真也さんの元婚約者として知られる冬木薫さんについてまとめてみました。
冬木薫さんのプロフィールは、1963年6月30日生まれで京都府京都市の出身である事がわかっています。
旦那さんの冬木弘道さんとの結婚は1989年で、その後2人の子供が産まれています。しかし、冬木弘道さんは2003年に42歳という若さで死去。冬木薫さんは未亡人となります。
旦那さんの死去の後相談に乗ってくれたという橋本真也さんと不倫関係になり、これが原因となって橋本真也さんは2005年3月に長年連れ添った妻のかずみさんと離婚。同年6月には橋本真也さんと冬木薫さんは婚約しています。ところが、それからわずか1ヶ月後の2005年7月に橋本真也さんは脳幹出血で倒れて40歳の若さで亡くなりました。
そして、橋本真也さんの死去から約10年後の2016年、中村薫という女が結婚詐欺の容疑で逮捕されましたが、この中村薫が冬木薫さんその人である事が週刊誌で報じられました。
冬木薫さんはその後不起訴となったようですが、その後の行方はわからず、現在はプロレス関係者、メディア関係者の誰も連絡が取れない状態だという事です。