「法の華三法行」の教祖で、「最高ですかー!」の掛け声で知られる福永法源が話題です。
この記事では福永法源の身長、足の裏を見て不安を煽る悪質な勧誘、結婚や嫁、息子や娘などの子供ら家族、法の華三法行の詐欺事件や解散の経緯、福永法源の現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
福永法源(法の華三法行の教祖)のプロフィール
福永法源のプロフィール
本名 :福永輝義
生年月日:1945年4月5日
出生地 :山口県山口市
出身地 :山口県宇部市
身長 :190cm〜192cm(諸説あり)
血液型 :A型
別名義 :国司院常照
福永法源(ふくなが・ほうげん)は、1980年から2003年まで活動していた新興宗教団体「法の華三法行(ほうのはなさんぽうぎょう)」の教祖で、信者に対する巨額詐欺事件で逮捕され実刑判決を受け世間を騒がせた人物です。
福永法源は、「天の声(天声)が聞こえた」などとかたって「法の華三法行」を設立し、自らを「天声を聞く唯一の者」だとして、「億万長者養成所」なるセミナーを開いて信者を増やし、1987年に宗教法人の認証を受けました。
福永法源は、病気に悩む人などをターゲットにして、足の裏を見て病気の状態を当てるという「足裏診断」を行い、「あなたはこのままでは癌になる」などと脅して不安を煽ったうえで、病気を治すためだとして、参加費用225万円のセミナーに参加させたり、300万円以上の高額な掛け軸を売りつけたりし、申告があっただけでも約2万2000人から総額約950億円を詐取しています。
1996年、こうした被害を受けた290人が総額で約12億8000万円の損害賠償を求める裁判を起こし、1999年12月には警察による法の華三法行の施設の強制捜査も行われました。
こうした法の華三法行の悪行が表沙汰になると、メディアは連日この宗教団体の活動を報じ、ワイドショーでは、福永法源が「皆さん最高ですか!」と大勢の信者らに大声で呼びかけ、熱狂状態の信者達が声を合わせて「最高で〜す!」と応えるという異様な映像が繰り返し流されました。
この「最高ですか!」、「最高で〜す!」の掛け声は現在ではネット上で面白ネタとして人気が高く、福永法源や法の華三法行についてもよく話題にされています。
ここではそんな福永法源について改めてまとめていきます。
福永法源の経歴① 生い立ち
過去に公式サイトなどで公開されていた情報によると、福永法源は1945年4月5日に山口県で生まれています。生まれる前に父親を戦争で失った事(1944年冬にフィリピンに向かう輸送船に乗船中に撃沈されて戦死)による生活苦と、自身の吃音症などで苦しんだそうです。
1945年4月、山口県に生まれる。
父親を戦争で失う幼少期より、生活苦、そして自身の吃音などによる苦しみを筆舌に尽くせぬほど味わう。
また詐欺事件での逮捕当時の産経新聞などの報道によれば、福永法源は10代だった1960年頃から、母親(井本房子。後に法の華責任役員に就任)と共に「自然の泉」、「生長の家」などの新宗教に入信していたという事です。特に、福永法源は「法の華三法行」を設立する際にモデルにしたのがこの頃に入信していた「自然の泉」だったとも言われています。
その後、福永法源は山口県立宇部工業高校(最新の偏差値「50」)の夜間部に通い、柔道部に所属。高校時代は昼間は山口県立医科大の解剖学教室でアルバイトをし、解剖の手伝い、死体磨きなどをの仕事をしていたようです。
福永法源の経歴② 法政大学卒業後に起業するもうまく行かず自死を考える
福永法源は高校を卒業後、アルバイト先の山口県立医科大の教授に推薦されて、法政大学短期大学部の電気通信科へと進学し母親と共に上京しています。大学に通う傍ら、福永法源は東芝の小向工場技術開発室を経て、「東芝アンペックス株式会社(東芝と米アンペックスの合弁会社)」に勤務。
1969年3月の法政大学短期学部を卒業と同時期の24歳の頃に、福永法源は東芝アンペックス株式会社を退職し、電気関連会社「東和技研工業株式会社」を立ち上げています。(Wikipediaでは1975年に同社を設立書かれているが、これは会社謄本上の設立年)
福永法源本人によれば、当時、福永法源は青年実業家として話題になり、「奇跡の会社誕生」などと謳われたという事です。(本人が言っているだけなので事実かどうかは不明)
24歳で弱電メーカーを起こす。当時、「奇跡の会社誕生」とうたわれ、青年実業家として話題を集める。
やがて手形詐欺に遭い倒産。社員、財産、その持てるもの全てを失う。
しかし、この「東和技研工業株式会社」は、1979年の暮れに倒産しています。福永法源本人によると、手形詐欺に遭ったのが倒産の原因だったという事です。
福永法源の経歴③ 天声を聞き宗教団体「法の華三法行」を設立
会社が倒産し財産を全て失った福永法源は一時は自死も考えた(実際に当時の自宅アパートのガス栓を開いた)という事ですが、倒産の1ヶ月後の年が明けた1980年1月に突如として天の声(法の華三法行的に言うと「天声」)を聞き、その声に従い「法の華三法行」を立ち上げたという事です。(あくまでも福永法源本人がそう言っているだけで本当かどうかは不明)
やがて手形詐欺に遭い倒産。社員、財産、その持てるもの全てを失う。
絶望の淵をさまよい、自殺の二文字さえ頭をよぎった35歳の時、一筋の光とともに突如として声なき声が全身を貫く。
この瞬間より、声なき声に導かれるがままに、人間が真に幸福へと導かれるための「自然の法則」を普及・実践する。
なお、詐欺事件で逮捕された後の裁判で、検察側は福永法源の母親の井本房子が、「輝ちゃん(福永法源の本名は輝義)に特別な声がきこえるという事で(という設定で)活動しよう」と持ちかけて、「法の華三法行」は設立されたと主張しました。
これを福永法源は否定していますが、検察は証拠を掴んだ上でこの主張をしています。
福永法源は1980年3月21日に初めて「天声開説講演会」のタイトルでセミナーを開催しています。この時の参加者は9名でした。
1984年6月30日、福永法源は自身初の著作「億万長者になる法」を現代書林から出版しています。
そして、1986年頃から洗脳による信者獲得を目的とした法の華4泊5日修行(人間法源生き様修行)を開始して多数の信者を獲得。
福永法源の経歴④ あらゆる手段を駆使し「法の華三法行」を巨大宗教へと拡大
1987年3月26日には、「法の華三法行」は、静岡県の宗教法人資格を取得しています。
1989年、福永法源はアメリカのパシフィック・ウエスタン大学(ハワイにあった非認定の大学で後に法的措置により閉鎖)で「学士資格」を取得(同大学は金銭で学位を販売していたため、福永法源も学士資格を購入したと思われる)。
この頃から福永法源は教団経営を球速に拡大させ、1990年9月13日に教団傘下の出版社「アースエイド(高知県の会社アースエイドとは別物)」を設立し、1991年9月17日には、教団の外郭団体「ゼロの力学」を設立しています。この頃にはアースエイドからの著作の出版(「病苦を超える天行力」など)の他に、テレビ出演なども行うなどのメディア戦略も展開しました。
1993年4月5日には、東京都渋谷に「ゼロの力学本庁・アースエイド松濤会館」を建設し、同年に「法の華三法行」の信者数が10万人を突破した事を公表しています。(10万人はあくまでも教団側の公称数)
1995年頃からは海外進出ももくろみ、同年2月にアメリカ・ニューヨーク州に「アースエイド・インターナショナル財団」の設立を試みています。(資金は出したが設立までには至らず)
1995年4月5日には、ハワイのホノルル大学から地球環境哲学博士号の学位を購入し取得。
1995年9月27日には、当時のローマ法王のヨハネ=パウロ二世との会見も実現させ、同年10月には、マホトマガンジー平和賞受賞し、マザーテレサやサイババとも会見。1996年にはクリントン大統領(当時)ともガンジー平和賞受賞を名目に会うなどしています。
福永法源はこうした世界の宗教家や著名人との会談の様子を写真撮影し、法の華三法行の機関誌に掲載するなどして信者獲得に利用しました。
福永法源の経歴⑤ 元信者による損害賠償訴訟が相次ぎ逮捕へ
しかしこの頃から、法の華三法行の被害に遭った人々らが、「法の華被害連絡会」を設置。「東京法の華被害対策弁護団」も結成され、法の華三法行と福永法源を法的に訴える動きが強まりました。
1997年から2000年にかけて、元信者による損害賠償訴訟が次々と起こされ、2000年5月8日に、福永法源と法の華三法行の幹部らが詐欺容疑で警視庁と静岡県警によって逮捕されました。
この摘発を受けて、法の華三法行は2003年4月23日に解散しています。
福永法源の身長は190cm〜192cm
福永法源の身長は「190cm〜192cm」です。
福永出所から1年余を経た15年4月5日のことである。
自ら古稀を迎えるこの日、彼は団体主催の「復活祭」に現れた。ロマンスグレーの髪はすっかり白く、声はしわがれていたが、190cmと立派な体躯と眼光の鋭さが醸し出す威圧感は相変わらずだ。
かなりの高身長ですが、日本人離れしたこの体躯が福永法源のカリスマ性につながっていたとも言われています。
福永法源の身長については「190cm」としているメディアが多いのですが、お笑い芸人の玉袋筋太郎さんの連載記事では福永法源の身長は「192cm」としています。
そして仰天は巨額詐欺事件で世を騒がせた法の華三法行の代表・福永法源さんとの仰天エピソード。足の裏を診断していた福永さんの身長は192センチで、187センチの岸部さんを上回ります。
福永法源は足の裏を診断して不安を煽り法の華三法行の信者を増やしていた
上でも触れましたが、福永法源は足の裏を見て、病気や体の状態などを診断してみせる「足裏診断」を行なってセミナーに訪れた人を不安にさせ、信者獲得につなげていました。
福永法源は、「天の気は頭から入って足から抜ける」などの独自理論を説き、足の裏を見ればその人の全てがわかるなどと言い切っていました。
福永法源は信者に対する講演で、「想いがそのままその人の足の裏なんです。足の裏の爪たって、親指がどちらかに曲がっていて、そして!踵の汚れてるやつは、びんぼーにん…(貧乏人)。貧乏人っていうのは、まぁ、イコール病人でもあるわけで、貧乏人と病人はっ!後8年半したら、消される事になる…。なぜか、もう人生失格者という事なってる」などと熱弁していました。
ちょっと何を言っているのかよくわかりませんが、こうした言い回しに不安を抱いた一部の人々が、その不安から逃れるために福永法源と法の華三法行に多額の金銭を注ぎ込みました。そうした被害の総額は1000億円規模とも言われています。
福永法源の家族① 3度結婚しており最後の嫁は真理子さん
福永法源の家族についても見ていきます。
福永法源は生涯で3度結婚しており、1度目の嫁は内縁の関係でこの嫁との間に子供が1人生まれています。
その後、1983年9月に法の華三法行の信者女性と2度目の結婚(法律上は1度目の結婚)をし、この嫁との間にも子供を1人作っていますが、1988年7月に離婚しています。
この離婚直後の1988年10月、福永法源は以前から愛人として囲っていた真理子さんという女性と3度目の結婚(法律上は2度目の結婚)をしています。この真理子さんとの間には2人の子供が生まれています。
ちなみに、福永法源の3人目の嫁の真理子さんは派手好きでワガママな女性だったようで、芸能人になるという野望を抱き、福永法源からもらった莫大な活動資金(1ヶ月の小遣い600万円)を駆使して1998年10月に野辺優香の芸名でヒーリングシンガーとしてデビューし3枚のCDを出しています。
さらに、福永法源には嫁以外にも愛人を20人も囲っており、その愛人達にはそれぞれ1000万円もの手当を渡していたという事です。
福永法源の家族② 子供は息子が1人と娘が3人
福永法源は3度の結婚をしており、3人の嫁との間に合計で子供が4人います。
福永法源と1人目の嫁(内縁関係)の子供は娘が1人で、福永法源は1981年3月にこの娘を認知し、1983年にはこの娘とその母親である内縁の嫁の2人を、自身の母親の井本房子と養子縁組させています。(つまり自分の義理の妹とした)
2人目の嫁との子供も娘が1人、3人目の嫁の真理子さんとの間には息子と娘が1人ずつです。
元信者からのタレコミ情報によれば、福永法源と3人目の嫁・真理子さんの子供2人は毎日300万円の札束を持ち歩いて豪遊していたそうです。新宿の百貨店で1回で300万円の買い物をしていたのだとか。
そんな福永法源の息子や娘達ですが、現在の年齢(おそらく30代〜40代)や名前、顔画像、今何をしているのかなどは情報がなく不明です。
福永法源の「最高ですか!」と信者の「最高で〜す!」について
福永法源と法の華三法行の詐欺事件が問題化した際、福永法源が大勢の信者を前にして「みなさん最高ですか!」などと大声で呼びかけ、信者達がそれに「最高でーす!」と応える様子がメディアで連日報道され話題になりました。
福永法源と信者の「最高ですか」、「最高でーす」の音声の動画がYouTubeに上がっているので紹介しておきます。
この福永法源の「最高ですか」の掛け声に「最高です」と続けさせるのは、信者や入信希望者に過酷な研修を行わせて心身を疲労させた状態にした上で、単純なコールを繰り返させることで興奮状態にしてマインドコントロールするのが目的だったとされています。
ちなみにこの研修ですが、参加費用225万円で4泊5日の日程で行われる「人間法源生き様修行」と呼ばれる合宿修行で、その内容は1日2時間ほどしか眠らせず、入浴もさせず、ほとんど食事もとらない状態で40時間ぶっ通しで修行をさせるものでした。
福永法源と法の華三法行幹部らは、こうした過酷な修行を行わせる事で信者や入信希望者を精神的にも肉体的にも追い込んで正常な思考能力を失わせた上で、「最高ですかー!」の掛け声に「最高でーす!」のコールを繰り返し行わせる事によって多くの人々を洗脳し、大金を奪い取る事に成功したのでした。
また、福永法源は天の声が聞こえるなどと言って、それを「天声」と名付けて、高額な研修会の最終日などにそれを信者に伝える事などでありがたがられていました。福永法源はこの天声を信者に伝える際にもまず、「最高ですかー!」と叫び、それに続けて天声の内容を発表する方法をとっていました。日頃のマインドコントロールによって、「最高ですか」と聞くと反射的にテンションが上がってしまう法の華三法行の信者の性質を利用した手法だったと見られています。
なお、この天声の内容は実際には福永法源が聞いた天からの声ではなく、「天声会議」という会議の場で幹部達が考案していた事が報道により判明しています。
福永法源の「最高ですかー!」はMAD音源の素材としてネットで人気
福永法源の代名詞のようになっている「最高ですかー!」は現在もネット上で人気があり、MAD音源の素材としても利用されています。YouTubeやニコニコ動画でも一時期、「最高ですか!」を使ったMAD動画がブームのようになっていました。
福永法源の巨額詐欺事件での逮捕と有罪判決
福永法源は、2000年5月8日に警視庁と静岡県警の合同捜査本部によって、詐欺罪の容疑で逮捕されました。
福永法源と法の華三法行の起こした巨額詐欺事件の内容と、逮捕と裁判での有罪判決についても見ていきます。
福永法源と法の華三法行の悪質な信者獲得方法
福永法源と法の華三法行は、病気などの悩みを持つ人をターゲットにし、まず病院の前で福永法源の著作を配りました。
この著作には「法の華三法行の研修に参加する事で病気が治った」などの信者の体験談などが書かれていて、苦しい病気に悩む人の中には藁にもすがる思いで福永法源のセミナーに参加する人がいました。
福永法源はこうしてセミナーに訪れた人々の足の裏を診断して、「あなたこのままだと癌になるよ!」、「汚い足の裏ですね」などと第一声で脅すような事を言って不安をさらに煽り立て、そこから救われるために必要だと偽って、参加費用225万円を支払わせて4泊5日の研修(人間法源生き様修行)への参加を促したり、300万円以上という法外な値段の掛け軸を売りつけたりしました。
被害者の中には、2000万円の「天行力仏舎利塔」や、1000万円の額入りの教祖の手形色紙を購入した者もいました。
修行参加者や元信者らによる損害賠償を求める民事訴訟が全国各地で相次ぐ
こうした悪質な集金活動に対して、1996年頃から全国各地で損害賠償を求める修行参加者や元信者、その家族らによる民事訴訟の提起が相次ぐようになります。
1996年に修行参加者ら290人が、総額約12億8000万円を求める損害賠償を静岡地裁に提起したのをはじめとし、1997年には東京の被害者32人が総額1億6000万円を、名古屋の被害者4人が総額約1520万円の損害賠償を、甲府の被害者3人が、総額約1020万円の損害賠償をそれぞれの地域の地方裁判所に訴えました。
1998年には、名古屋の被害者1人が、総額約610万円の損害賠償を、東京の被害者10人が、総額約4600万円の損害賠償を、岡山の被害者1人が、総額約800万円の損害賠償をそれぞれの地域の地方裁判所に訴えました。
1999年には、名古屋の被害者1人が、総額約150万円の損害賠償を、東京の8人の被害者が、総額2億8000万円の損害賠償をそれぞれの地方裁判所に訴えました。
2000年に入ってからも元修行者と遺族ら計16人が、法の華三法行と福永法源、幹部2人を相手どり総額6170万円の損害賠償を求める民事裁判を静岡地裁で起こしています。
法の華三法行に対する警察の強制捜査と被害者による刑事告訴
1999年11月19日、栃木県警が信者らを摘発したのを皮切りに、同年12月1日に警視庁と静岡県警の合同捜査により、法の華三法行の施設への詐欺容疑での強制捜査が実施されました。
東京渋谷区の教団施設への家宅捜索では、約4億円の現金が見つかりました。
1999年12月7日には、関東1都2県の主婦ら5名が、福永法源と幹部ら13名を詐欺容疑で刑事告訴し警視庁がこれを受理した事で、法の華三法行の事件は刑事事件となります。
2000年1月、福永法源は法の華三法行の代表を辞任し全国行脚の旅に出ています。しかし、同年1月31日には「法の華足裏診断復活記者会見」を開き、強制捜査の後控えていた足の裏の診断を再び行うようになりました。
福永法源と幹部11人が詐欺罪で逮捕
そして2000年5月8日、東京都渋谷区の教団関連施設にて、福永法源と教団幹部11人が、警視庁と静岡県警の合同捜査本部によって詐欺罪の容疑でついに逮捕されました。
この逮捕の最大の根拠となったのは、福永法源のみが聞こえているとの設定だった「天声」が、実際には幹部達による会議で決められていた証拠が見つかり、組織ぐるみの詐欺行為が裏付けられた事でした。
この逮捕された幹部11名の中には、福永法源の母親の井本房子も含まれていました。
福永法源には裁判で懲役12年の有罪判決
巨額詐欺事件で逮捕された福永法源は、2000年5月28日に詐欺罪で起訴されて刑事裁判を受けました。
刑事裁判では、2005年7月に東京地裁で懲役12年の実刑判決が下されました。福永法源は判決を不服として控訴しましたが、東京高裁も2006年12月に第一審判決の懲役12年を支持し控訴を棄却。福永法源はこれも不服として上告しましたが、最高裁判所も2008年8月に上告棄却を決定し、懲役12年の判決が確定しました。
福永法源らの詐欺事件での逮捕により法の華三法行も解散へ
福永法源らが詐欺事件で逮捕され刑事裁判でも有罪判決を受けましたが、1996年から2000年にかけて相次いで起こされた民事訴訟でも敗訴しました。
被害者側の弁護団は損害賠償請求額を確保すべく動きましたが、法の華三法行が請求額を支払えるか疑わしい状況が明らかになり、東京地裁に法の華三法行の破産申し立てを行なっています。
それと同時に預貯金や不動産などの保全処分をして法の華に資産の売却を行わせないように動きましたが、その結果、法の華三法行が債務超過になる事が判明。2001年3月29日に、東京地裁は法の華三法行に対して破産宣告を行いました。
破産宣告は、宗教法人法43条2項3号で宗教法人の解散事由となっている事から、法の華三法行は解散に至りました。
しかし、この解散後も法の華三法行の残党が「よろこび家族の和」、「天華の救済」などの団体で宗教活動を続けています。これらの団体は実質的に法の華三法行と同一の団体とみなされていました。
福永法源の現在① 刑期を終え出所後に復活祭が行われ宗教活動を再開
福永法源の現在についても見ていきます。
福永法源は、巨額詐欺事件で懲役12年の有罪判決を受けましたが、模範囚を装っていた事や未決勾留期間が刑期に算入された事で、刑の確定から約6年後の2014年3月に刑期を終えて出所しています。
出所後、福永法源は1年ほどの休養期間を経ただけですぐに宗教活動を再開し、2015年4月5日、キリスト復活祭に合わせる形で福永法源復活祭が大々的に催されました。
福永法源は、数百人の信者らの前に姿を現しお馴染みの「最高ですかー!」、「最高でーす!」の掛け声を何度も繰り返した後、「いまでも絶対に罪は認めません。天は『弾圧は絶対に許さない』と。どこまでも筋を通せば勝ちですよ!」などと言い放ち、全く反省していない様子でした。
福永法源は、この復活祭後、団体名を「第3救済慈喜徳会」と名称を変えて活動を続けていましたが、2018年以降は表に姿を見せていません。ただこの「第3救済慈喜徳会」は現在も活動を続けており、福永法源の法話の動画などが信者向けに公開されています。
福永法源の現在② 2016年映画「塀の中の神様」に本人役として出演
出典:https://img.cinematoday.jp/
福永法源は出所から2年後の2016年に公開された映画「塀の中の神様」に本人役として出演しています。
映画「塀の中の神様」は、社会派作品を手がける高橋伴明監督が、福永法源の半生を描いた作品です。
福永法源本人が出演しているのはドキュメンタリーパートで、若い頃の福永法源は俳優の松田優さんが演じています。
福永法源の現在③ 2019年に死去したという情報も
福永法源は現在も存命であれば2022年の誕生日で77歳になるはずです。
ただ、インターネットの匿名掲示板などで、福永法源が2019年に74歳で死去したとの情報が流れています。
情報源は本部の信者だという事ですが、証拠は示されておらず真偽は不明です。
まとめ
今回は、宗教団体「法の華三法行」の教祖で、「最高ですかー!」の叫びで知られる福永法源についてまとめてみました。
福永法源は身長190cm超の体躯を持つ大男で、足の裏を見て病気などを言い当てる「足裏診断」などを駆使して病気などに悩む人々に不安感を抱かせて信者を獲得し、「法の華三法行」を巨大宗教団体に成長させました。
家族については、一緒に法の華三法行を立ち上げた母親の井本房子の他、3度の結婚(1度目の嫁は内縁関係)による3人の嫁、合計4人の子供(息子1人と娘3人)などの存在が知られています。
法の華三法行は、悪質な方法で信者を獲得し、法外な値段の物品を信者に売りつけたり、参加費用225万円もの研修に参加させたりして、推定で1000億円を献金させたとされています。
法の華三法行の被害者による民事訴訟が相次いだ事を受けて、巨額詐欺事件として警察が動き、福永法源も2000年5月に詐欺罪の容疑で逮捕起訴されました。
2008年8月に、懲役12年の判決が確定し服役しましたが、未決勾留期間の算入などにより2014年3月に刑期を終えて出所。出所後すぐに宗教活動を再開した福永法源は、「第3救済慈喜徳会」と名称を変えて活動を続けました。
現在もこの「第3救済慈喜徳会」は活動を続けており、福永法源の法話の音源も信者向けに公開されていますが、福永法源本人は2018年頃から表舞台に姿を見せていません。
ネットでは2019年に福永法源は死亡していて現在は既にこの世にいないとの情報も出回っていますが、真偽は不明です。