1999年に起きた当時23歳だった木村弥生さんを殺害後死姦し、11ヶ月目の娘も殺害した凶悪殺人「光市母子殺害事件」ですが、死刑が確定した犯人の福田孝行(現・大月孝行)は現在も再審請求中です。
この記事では、事件の詳細と福田孝行の生い立ちや家族、現在の様子について詳しくまとめました。
この記事の目次
「光市母子殺害事件」とは…犯人の福田孝行と被害者の弥生さんは同じ社宅に住んでいた
福田孝行と被害者の弥生さんは同じ社宅に住んでいた
弥生さんを父親と性の対象にしていた
「光市母子殺害事件」は1999年4月14日、山口県光市内にある新日本製鐵光製鐵所の社宅アパートで起こりました。
福田孝行は当時18歳1ヶ月の未成年で、父親と被害者夫である本村洋さんは同じ職場で同じ社宅アパートであり、被害者の弥生さんについてかねてから父親と性の対象として話題にしていました。
そのため福田孝行の弥生さんに対する欲情は募り、ついに強姦目的で14日に本村さん宅に侵入しました。
福田孝行、水道管点検を口実に弥生さん宅を訪問
短絡的に弥生さんを殺害した鬼畜
福田孝行は高校卒業と同時に水道配管設備会社に就職しましたが、入社10日目にして”水道管の戸別点検”を口実に自身が住む団地内の各家庭を訪問。
7棟4階に住む本村さん宅に無断で上がり込み、居間で当時11ヶ月の長女・夕夏ちゃんを抱いてテレビを見ていた弥生さんに後ろから抱きつきました。
しかし弥生さんが必死に抵抗したため、福田孝行はおとなしくさせるために殺害しようと考え、首を絞めて殺害しました。
殺害直後に弥生さんを裸にして死姦、11ヶ月の夕夏ちゃんを殺害
鬼畜にも福田孝行は絶命した直後の弥生さんを裸にして死姦し、横で泣き叫んでいた夕夏ちゃんを床に叩きつけた上で首を絞めて殺害しました。
福田孝行は事件の発覚を遅らせるために、弥生さんの遺体を押し入れに隠し、夕夏ちゃんの遺体は天袋に入れて隠しました。
仕事から帰宅した夫の本村洋さんが弥生さんと夕夏ちゃんの遺体を発見しましたが、弥生さんは全裸の状態で押し入れに入れられていたため、明らかに性的暴行を受けたことが分かったとメディアの取材で語っています。
福田孝行、「ゲーム感覚でやった」と衝撃の供述
強姦強盗殺人後に平然と遊んでいた福田孝行
福田孝行は弥生さんと夕夏ちゃんの遺体を遺棄すると、居間に置いてあった財布を盗んで逃走しました。
その後、福田孝行は何事も無かったかのようにゲームセンターや友達の家で遊んでおり、後に犯行について「ゲーム感覚でやった」と供述して世間を騒然とさせました。
また、福田孝行は「犬がかわいい犬を見つけた。やっちゃった。何が悪い?」というようなことも発言していたようです。
「光市母子殺害事件」犯人・福田孝行の家族と生い立ち
福田孝行、現在は養子縁組で“大月”姓になっていた
大月孝行(おおつき たかゆき)
(旧姓・福田)
犯行当時年齢: 18歳1ヶ月
生年月日:1981年3月16日
犯行日付: 1999年(平成11年)4月14日
罪状: 強姦致死罪・殺人罪・窃盗罪
養子縁組: 大月純子
福田孝行の本名ですが、拘置所で支援者の大月順子と養子縁組をしたため”大月孝行”と変わりました。
この養子縁組は死刑制度反対の団体にはよくあることで、死刑囚との面会は近親者のみに限られるため、面会するための手段として用いられています。
強姦殺人は決して珍しい犯罪ではありませんが、生後11ヶ月の夕夏ちゃんをも殺害し、倫理観の欠片もない態度を取り続けた福田孝行は、ネット上では”サイコパス”と呼ばれることもあります。
しかし、福田孝行の精神が歪み切ってしまったのは家庭環境のせいであり、このことから後天的な異常者である”ソシオパス”に属するでしょう。
福田孝行の父親はとんでもない”クズ”だった
この薄暗い人相は”クズ”だった父親が作り上げた
福田孝行の父親と亡き母親はお見合いで知り合いましたが、結婚前に父親が母親を強姦して福田孝行を妊娠し、産婦人科に入院しました。
結婚後も父親は母親のへの暴力を日常的に奮っており、福田孝行が止めに入ると父親は容赦なく殴りつけて失神させていました。
父親は給料のほとんどを酒とギャンブルにつぎ込み、お金がなくなると母方の実家に借金をし、母親と福田孝行は毎日父親のDVに耐えながら生活してました。
福田孝行の母親は父親のDVに耐えられず自殺
DVに耐え切れなくなった母親が首吊り自殺
母親は毎日のように父親から殴られ続け、やがて精神疾患を抱えるようになり、福田孝行が中学校1年生の時に自宅のガレージで首吊り自殺をしました。
父親は福田孝行に母親を地面に下ろすように命じ、失禁して汚れていたことから体を拭かせるなど、精神的な虐待も常軌を逸していました。
事件後、福田孝行の精神鑑定が行われましたが、当時18歳ながら精神年齢は母親が自殺した12歳の時点で止まっており、いかに母親の死が福田孝行の精神に多大なダメージを与えていたかが浮き彫りとなりました。
福田孝行は両親と父方の祖母、そして弟2人の6人家族でしたが、事件当時の福田孝行の母親は父親の再婚相手の義母であり、一番下の弟は義母が生んだ息子ということになります。
福田孝行の父親がフィリピン人と再婚
福田孝行の義母はフィリピン人だった
福田孝行の母親が自殺した直後に、父親はフィリピン人女性と再婚しましたが、おそらく通いつめていたフィリピンパブなどで知り合ったものと思われます。
そして、父親とフィリピン人の義母の間に息子が生まれ、福田孝行の弟がひとり増えましたが、この頃父親のDVから逃れるように家出を繰り返しており、家庭への執着は無かったようです。
この父親は非常に無責任な人間で、福田孝行が事件を起こした時に父親としての責任を問われても「自分には関係ない。たまたま息子が犯罪を犯しただけで、他の周囲の大人にも責任がある」と言い逃れをしていました。
なお、祖母は福田孝行が事件を起こしたことでショックを受け、まもなく亡くなりました。
福田孝行を擁護するわけでは無いにしても、この父親の元で育ったのであれば、事件は起こるべくして起きたと言ってもいいかもしれません。
「光市母子殺害事件」犯人・福田孝行の裁判~2012年に死刑が確定
「光市母子殺害事件」が世間の関心を引きつけたのは、福田孝行の異常で残虐な犯行もさることながら、裁判での奇想天外でキテレツな証言をしたことも影響しています。
裁判を完全に舐めきっていた福田孝行の言葉は、世間にやり切れない思いと深い怒りを与えましたが、ここからはその裁判での様子をご紹介していきます。
福田孝行、主任弁護士は死刑制度反対の安田好弘
福田孝行は一辺たりとも反省の色を見せなかった
世間を震撼させた福田孝行の犯行は、いくら少年だと言っても死刑は免れないと思われていたため、主任弁護士には死刑制度反対を訴え続けてきた弁護士、安田好弘さんが務めました。
世間の感情が許さない凶悪犯であること、福田孝行から聞き取りした証言があまりにも常軌を逸したものだったため、それを元に弁護をした安田好弘さんは世間から猛バッシングを浴びました。
福田孝行は裁判において始終まったく反省の色を見せなかったため、最高裁判所の判決では「福田孝行は罪の罪深さと向き合って内省を深めていると認めるのは困難」として、最終的には死刑判決が確定しました。
福田孝行、反省の色なくフザけた証言を繰り返す
福田孝行は自ら死刑を選択したようなもの
福田孝行が心から反省の色を示し、法廷の場で真面目に証言していれば無期懲役になっていた可能性は高いかもしれません。
しかし、広島高等裁判所での差し戻し審では、福田孝行の弁護士・安田好弘さんは実母がいなかったことを引き合いに「母恋しさ、寂しさからくる抱き付き行為が発展した傷害致死事件。凶悪性は強くない」として、死刑は妥当ではないと主張していました。
しかし、その時の福田孝行から聞き取ったという証言の数々は、世間を心底呆れさせ、怒りを駆り立てるものでした。
・強姦目的ではなく、優しくしてもらいたいという甘えの気持ちで抱きついた
・(乳児を殺そうとしたのではなく)泣き止ますために首に蝶々結びしただけ
・乳児を押し入れに入れたのは(漫画の登場人物である)ドラえもんに助けてもらおうと思ったから
・死後に姦淫をしたのは小説『魔界転生』に復活の儀式と書いてあったから。
福田孝行は警察への供述の際に、「ドラえもん」のくだりは話していたものの当然バカにされたため、法廷でもバカにされることを嫌い、第一審まではこれらの”バカげた”証言はしていませんでした。
この常軌を逸した証言の他にも、福田孝行は獄中から知人に宛てた手紙があり、その内容もまた福田孝行の異常性を如実に表しているものでした。
福田孝行、少年法に守られ無期懲役になると思っていた
福田孝行は無期懲役になると思っていた
第一審の判決が出た後に、福田孝行は拘置所内から友人に宛てた手紙を出しており、その内容があまりに被害者の弥生さんと夕夏ちゃんや、遺族の本村洋さんを馬鹿にしたものだったため、検察庁は「反省していない証拠」として広島高等裁判所に提出しました。
- ・終始笑うは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君
- ・無期はほぼキマリ、7年そこそこに地上に芽を出す
- ・犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっちゃった」・・・これは罪でしょうか
- ・2番目のぎせい者が出るかも。
福田孝行は少年法に守られているという思いと、弁護士・安田好弘さんから無期懲役にして早く
に出所できるようにすると約束されていたのか、7年ほどで出所するつもりでいたようです。
しかし、当然ながらふざけた精神性をしている福田孝行には一辺の情状酌量の余地はなく、最高裁判所では死刑判決が確定しました。
福田孝行、平成3例目の少年犯罪死刑判決が確定
福田孝行は死刑判決に青ざめた
弁護士・安田好弘さんは死刑確定の判決に訂正の申し立てをしましたが棄却され、2012年3月14日付けで福田孝行の死刑が正式に確定しました。
犯行当時少年だった被告に対して死刑判決が言い渡されたのは、平成においては1992年の「市川一家4人殺人事件」、1994年の「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」に次いで3例目でした。
このことから、2000年代に入ってからはまだ少年の死刑判決が出るような事件は起きていないということになり、1990年代の異常性が浮き彫りになるようです。
福田孝行弁護団にも世間から懲戒請求
当時弁護士の橋下徹も怒りの声を挙げていた
橋下徹さんが大阪市長に就任する前の弁護士時代に出演した『たかじんのそこまで言って委員会(読売テレビ)』において、視聴者に対して「(福田孝行の)弁護団が許せないなら、弁護士会に対して懲戒請求をかけてもらいたい」と発言しました。
この橋下徹さんの声に賛同した視聴者からは多くの懲戒請求書が弁護士会に集まり、その数は7,558通にもおよびました。
しかし、これに対して福田孝行の弁護士団は、2007年9月に決起人となった橋下徹さんに対して損害賠償を求める訴えを起こしました。
第一審では橋下徹さんの行為は不法行為だと認定され損害賠償が命じられましたが、その後最高裁判所では行為に違法性は無かったと判決が下り、弁護団の訴えは棄却されました。
福田孝行の実名が公表された理由
実名報道は増田美智子のミスリードだった?
2012年に福田孝行に死刑判決が確定したことで、すでに成人していることや社会復帰の見込みがゼロになったため、マスコミによっては実名報道をするようになりました。
しかし、これに先立って実名報道がされたのは2009年10月発売のルポルタージュ本『F君を殺して何になる― 光市母子殺害事件の陥穽 ― 』で、著者の増田美智子さんは福田孝行に直接了解を得て実名を公表したと主張しました。
しかし、福田孝行の弁護団は「本人から聞いていない」と反論し、増田美智子さんに対して福田孝行のプライバシー権や肖像権を侵害したとして、出版差し止めおよび約1,300万円の損害賠償を求める裁判を起こしました。
地方裁判所での判決は、弁護士団の主張の一部を認めて増田美智子さんに対し66万円の損害賠償を命じましたが、報道の自由、出版の権利を尊重し差し止めについては棄却しました。
被害者遺族・本村洋さん、死刑判決確定に「喜びは無い」
不条理と戦い続けた被害者遺族の本村洋さん
本村洋さんは最愛の妻・弥生さんとの間に娘の夕夏ちゃんが生まれ、幸せの絶頂期に福田孝行という鬼畜に運悪く目をつけられ絶望のどん底に叩き落とされました。
裁判に臨んだ本村洋さんは、「日本において犯罪被害者の権利が何一つ守られていない」という現実に直面し、自身と同じく妻を殺害された経験を持つ元日本弁護士連合会副会長の岡村勲さんとともに「犯罪被害者の会(現・全国犯罪被害者の会)」を設立しました。
本村洋さんは同会の幹事として理不尽な犯罪に巻き込まれた遺族を支援し、国を動かして犯罪被害者等基本法の成立に尽力しました。
なお、事件から13年あまりが経過して福田孝行の死刑が確定した時も、本村洋さんは「喜びは無い」と語っています。
「死刑判決が下されたことに大変満足していますが、喜びの感情は一切ありません」
「事件が起きた時点で全員敗者」と、犯罪には一人として勝者はいないことを訴えていましたが、先進国の中でも歪んでいると言われる日本の司法に一石を投じた本村洋さんの功績は非常に大きいでしょう。
「光市母子殺害事件」犯人・福田孝行と被害者遺族・本村洋さんの現在
福田孝行、広島拘置所で筋トレに励んでいた
福田孝行が死んだところで本村洋さんの無念は晴れない
福田孝行は2018年時点で広島拘置所に収監されていましたが、2012年に伝えられた様子では、獄中では筋力トレーニングに励んでおり、事件当時とは別人のように体格が良くなっているようです。
また、福田孝行は元々クリスチャンだったため、時間があれば聖書を読んでいるようですが、何のための聖書なのか疑問が残るところです。
なお、福田孝行が筋トレをしているのは、まだ再審請求中であり死刑を免れる可能性に賭けているのかもしれません。
「五年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと二度目のぎせい者が出るかも」 大月(福田)孝行
— 殺人鬼発言集 (@murder_bot) July 21, 2019
しかし、2017年12月には同じく少年時に起こした「市川一家4人殺人事件」の死刑囚が死刑執行されており、福田孝行の死刑もそう遠くないとも見られています。
死刑囚は死刑執行日を当日の朝に知らされるため、朝が来るのが恐怖で不眠症になる囚人が多いと言われていますが、現在再審請求中とはいえ棄却される可能性が高いため、福田孝行は毎日死刑宣告の朝が来るのを怯えながら生きていることでしょう。
被害者遺族・本村洋さんは再婚していた
本村洋さんは強く前を向いて生きている
本村洋さんの長い戦いをそばで支えてきたのは、同じ会社の同僚で再婚した7歳年上の妻でした。
「本当に長い裁判でした。本村さんは妻と娘を思いながら、つらく苦しい日々と闘ってきました。ぶつけようのない怒り、そして寂しさのなかで、彼の気持ちを理解し、ずっと支えてきたパートナーの存在は実に大きなものだったことでしょう。再婚され、共に生きていく人を見つけられたことを祝福したいと思います」
殺害された弥生さんと夕夏ちゃんの命日には、再婚した妻とともにふたりの墓前を訪れ、手を合わせるという本村さん。会見の終了間際にこう語った。
本村洋さんは福田孝行の死刑判決が確定する2年頃前から、光市から少し離れたところに新居を構えて同居生活をスタートさせたようです。
そんな本村さんは、2年ほど前に再婚して、光市から少し離れたところに新居を構えて新たな生活をスタートさせているという。
「奥さんは7才年上の同じ会社の同僚だそうです。趣味のテニスを通じて仲良くなったそうですよ」(本村さんの知人)
この事故と犯人に死刑判決(福田孝行死刑囚・少年A元被告)が下ったこの平成最悪レベルの重大事件を一緒にするのは如何なものかと思うが,山口県光市の母子暴行殺害事件の被害者である本村洋さんの長年の葛藤を思い出さずにはいられない.この心痛さが身に染みるような会見から… #モーニングショー
— 【公式】ササキタイキ (@taikisasaki) April 24, 2019
「光市母子殺害事件」犯人・福田孝行について総まとめすると…
・福田孝行の父親はとんでもないクズで、実母は父親のDVを苦に自殺した
・福田孝行の父親は母親が亡くなった直後にフィリピン人と再婚、弟が生まれている
・福田孝行は裁判中も反省の色は一切なく、2012年に少年犯罪では平成3例目となる死刑判決が確定した
・被害者遺族の本村洋さんは現在、7歳年上の同僚と再婚した
平成の事件の中でも鬼畜の所業を見せ世間を震撼させた、福田孝行の「光市母子殺害事件」について総まとめしてきました。
平成の時代に起きた「光市母子殺害事件」も、時代が令和へと移ったことで平成を引きずらないためにも福田孝行の死刑執行は比較的早く行われるかもしれません。
しかし、福田孝行は死刑執行の際にも被害者への謝罪の気持ちがうかぶことはないでしょう。