元千葉ロッテマリーンズのサブローさんですが、巨人に電撃トレードされた過去や楽天所属の現在が話題です。
今回はサブローの経歴、なぜ巨人にトレードされたのか、成績や年俸推移、結婚した嫁の中嶋ミチヨさんや子供、現在を紹介します。
この記事の目次
サブローはロッテのつなぐ4番
サブロー
本名:大村三郎
生年月日:1976年6月1日
出身:岡山県岡山市北区
身長:181cm
所属:元千葉ロッテマリーンズ
ポジション:外野手
投打:右投右打
活動:元プロ野球選手
サブローさんは、千葉ロッテマリーンズに所属していた元プロ野球選手です。
巧みなバットコントロールと得点圏打率の高さが特徴の選手で、つなぎの4番・つなぐ4番と呼ばれていて、2000年代後半からはロッテの顔であり、中心的な選手として活躍していました。
サブローの経歴
出典:daily.co.jp
プロ入り前
サブロー選手は1976年に岡山市で生まれました。岡山リトルシニアのチームに所属し、中学校卒業後は大阪のPL学園に進学します。
PL学園では3年生の時に甲子園に出場し、1番センターでベスト4進出に貢献しました。
当時のPL学園には、2学年上に今岡誠、1学年上に松井稼頭央、1学年下に福留孝介、2学年下に前川勝彦がいるなど、高校時代はかなりハイレベルの中で野球をしていたようです。
そして、3年生の時の1994年のドラフト会議では、千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けてプロ入りが決まっています。
プロ入り後
千葉ロッテマリーンズから1位指名を受けたサブロー(大村三郎)は、1994年シーズンに200本安打を達成したイチロー選手にちなんで登録名は「サブロー」にしました。
また、「サブロー」からの語呂合わせで、背番号は「36」に決まりました。
ルーキーイヤーは6月に1軍に昇格しますが、あまり出場機会には恵まれず、1軍・2軍を行ったり来たりする生活でした。
プロ入り5年目の1999年になると1軍に定着し、100試合以上に出場します。
その後はレギュラーとして活躍し、2005年には「つなぐ4番」としてリーグ優勝・日本一に貢献しています。
2008年にはFA権を獲得し、海外移籍も含めてFA権を行使するかと見られていましたが、結局はロッテに残留しています。
2010年には選手会長に就任し、チームの主軸として2度目の日本一に貢献しています。
巨人への電撃トレード
2011年シーズンは5月に右手薬指を打撲します。サブロー選手自身は軽傷をアピールしますが、登録を抹消されてしまいました。
そして、6月29日に工藤隆人+金銭との交換トレードで巨人への移籍が発表されました。
翌日には巨人で支配下登録され、入団会見を行い、登録名は「大村三郎」であることを発表しています。
7月1日に1軍に合流し、試合に代打で出場。ホームランを打つという劇的な巨人デビューを飾っています。
しかし、巨人でレギュラーを掴むのは簡単なことではなく、2011年シーズンは代打での出場がほとんどでした。
そして、2011年オフにサブロー選手はFA権を行使して、千葉ロッテマリーンズに復帰し、登録名を「サブロー」に戻しています。
サブローさんが巨人に在籍していたのは、たったの154日でした。
ロッテに出戻りして以降
2012年からまた千葉ロッテマリーンズに戻ったサブロー選手は、1軍でプレーしますが、打撃不振やケガの影響もあり、巨人移籍前のような成績を残せず、主に代打での出場となりました。
2016年は2軍での生活が続き、1軍でプレーができなかったこともあり、8月31日には現役引退を発表しています。
9月25日にマリンスタジアムで引退試合を行い、4番指名打者で先発出場しています。最終打席ではツーベースヒットを放ち、9回には外野の守備にもつきました。
そして、その後の引退セレモニーには、巨人時代のチームメイトだった坂本選手や内海選手、阿部選手なども駆けつけ、ロッテファンに惜しまれながら。現役を引退しています。
サブローはなぜ巨人にトレードされた?
サブロー選手はつなぐ4番として、ロッテの中心選手として活躍していましたが、2011年6月29日にトレードで巨人に移籍しました。
なぜ、サブロー選手はトレードに出されたのでしょうか?
サブローは生え抜き最古参の人気選手
サブロー選手は、ロッテの生え抜き最古参の人気選手でした。
トレード時には35歳とベテランの域に達していましたが、高卒でロッテに入団して以降、ロッテ一筋でプレーしてきました。
2度の日本一にも貢献していますし、2008年にはFA権を獲得したもののロッテに残留を決め、ロッテ愛を見せました。2010年には選手会長にも就任しています。
サブロー選手はロッテの生え抜きのベテラン中心選手であり、ファンからの人気も高い選手だったんです。
釣り合わない謎のトレード
サブロー選手のトレードは2011年6月29日に発表されました。
トレードの相手は巨人の工藤隆人外野手です。サブロー選手と工藤隆人選手+金銭でトレードが合意しました。
トレードの理由は、「打撃不振に悩む巨人と俊足外野手が欲しいロッテの思惑が一致した」という報道がありました。
ただ、いくら金銭がついていても、このサブロー選手のトレードは釣り合いが取れません。
スポーツ誌のNumberは、このサブロー選手のトレードを次のように表現しています。
ロッテの大ヒット商品である「ビックリマン」でいえば、“ヘッドシール”と“お守りシール+ウエハース5枚”との交換ぐらいのものであり、プロ野球チップスカードにしたって、こんな取引きは小学生だって成立しないことはわかる。
引用:ロッテのスター、サブロー移籍の何故?ファンの怒りと嘆きの声を聞け! – プロ野球 – Number Web – ナンバー
たとえどんなに「俊足の外野手」が欲しかったとしても、チームの顔であり、2度の日本一の功労者であり、人気も高いサブロー選手をトレードに出すのは、明らかに不自然なのです。
理由①:サブローは高額年俸だった
なぜ、サブロー選手が釣り合わないのに、トレードに出されてしまったのか?その理由の1つは高額年俸がネックだったのでは?と言われています。
サブロー選手の2011年の年俸は1億3000万円です。チームの中心選手であれば、決して高い値段ではありません。
でも、当時サブロー選手は35歳。そろそろ「引退」の2文字が見えてくる年齢であり、今後は成績の低下が予想される年齢です。
そしてロッテは当時、慢性的な赤字経営で、日本一になった2010年ですら20億円の赤字だったとされています。
サブロー選手はチームの顔であり、功労者ですので、一般的には成績が思わしくなくても、年俸を大幅カットするのははばかられる存在です。
それなら、いっそのこと思い切ってトレードに出してしまえ!ということだったのかもしれません。
理由②:フロントとの確執&派閥争い
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
サブロー選手がなぜ巨人にトレードになったのか?これは、サブロー選手とロッテフロントの確執や派閥争いがあったからという理由が最有力視されています。
当時、ロッテはサブロー派と井口派に分かれていて、ロッテのフロント(球団代表と運営本部長)は、井口派でした。
西村監督が就任した09年のオフ以降、ロッテの選手派閥は「2派」に分かれている。ひとつが「生え抜き組」を牽引するサブローを中心とした一派。もうひとつが「外様」をまとめる井口のグループである。
「サブローが一言言えば球団は何でも動く。そんな逸話があるくらい球団内で発言力。影響力がズバ抜けていた。小林宏(阪神)ら多くの若手選手から慕われ、一時はサブロー一派が10人以上に膨れ上がったこともあった(チーム関係者)
そのため、サブロー選手はロッテのフロントから邪魔者扱いされて、巨人にトレードに出されてしまったのではないか?と見られているのです。
2011年のシーズンオフには、サブロー選手をトレードに出したロッテの球団代表と運営本部長が退団しています。
そのため、サブロー選手はFAをして、巨人からロッテに戻ることができたのです。
ただ、井口資仁さんはロッテ入団時に「監督手形」をもらっているので、フロントが変わろうとも勢力が衰えることはありません。
また、サブロー先選手と井口選手は別に仲が悪かったわけではないようです。
ただ単に、当時のロッテのフロントがサブロー選手のことを嫌っていたのかもしれません。
サブローの成績推移
サブローさんの成績をルーキーシーズンから見ていきましょう。
シーズン | チーム | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | 安打数 | OPS |
1995年 | ロッテ | 28 | .188 | 0 | 2 | 9 | .563 |
1996年 | 9 | 1.000 | 0 | 0 | 1 | 2.000 | |
1997年 | 33 | .179 | 0 | 1 | 5 | .483 | |
1998年 | 2 | .000 | 0 | 0 | 0 | .000 | |
1999年 | 108 | .231 | 0 | 8 | 30 | .606 | |
2000年 | 95 | .270 | 5 | 23 | 71 | .739 | |
2001年 | 108 | .229 | 1 | 25 | 55 | .596 | |
2002年 | 131 | .286 | 9 | 43 | 126 | .778 | |
2003年 | 80 | .273 | 10 | 46 | 78 | .803 | |
2004年 | 89 | .256 | 5 | 33 | 66 | .730 | |
2005年 | 107 | .313 | 14 | 50 | 110 | .901 | |
2006年 | 115 | .218 | 9 | 38 | 65 | .654 | |
2007年 | 133 | .269 | 7 | 68 | 127 | .721 | |
2008年 | 105 | .289 | 6 | 56 | 100 | .775 | |
2009年 | 119 | .314 | 22 | 68 | 134 | .911 | |
2010年 | 125 | .261 | 19 | 71 | 118 | .774 | |
2011年 | ロッテ&巨人 | 67 | .254 | 3 | 18 | 44 | .672 |
2012年 | ロッテ | 137 | .239 | 7 | 52 | 114 | .688 |
2013年 | 73 | .245 | 5 | 24 | 45 | .710 | |
2014年 | 81 | .248 | 4 | 25 | 54 | .692 | |
2015年 | 36 | .217 | 1 | 4 | 10 | .612 | |
2016年 | 1 | .250 | 0 | 0 | 1 | .750 | |
通算22年 | 1782 | .265 | 127 | 655 | 1363 | .746 |
キャリアハイは2009年ですすね。打率.314、ホームラン22本、OPS.911は素晴らしい成績です。
個人タイトルはありませんが、次のような表彰を受けています。
・日本シリーズ優秀選手賞:1回(2005年)
・月間MVP:1回(2007年6月)
個人タイトルがなく地味なタイプの選手でしたが、ロッテのチームには欠かせない選手でした。
サブローの年俸推移
出典:column.sp.baseball.findfriends.jp
サブローさんの年俸の推移を見ていきます。
・1996年:840万円
・1997年:840万円
・1998年:840万円
・1999年:810万円
・2000年:1500万円
・2001年:2900万円
・2002年:2750万円
・2003年:5200万円
・2004年:4700万円
・2005年:4200万円
・2006年:8500万円
・2007年:7000万円
・2008年:7000万円
・2009年:1億円
・2010年:1億3000万円
・2011年:1億3000万円
・2012年:1億3000万円
・2013年:1億3000万円
・2014年:1億3000万円
・2015年:1億3000万円
・2016年:6500万円
合計年俸は14億2180万円です。ロッテ入団時の契約金は8000万円ですから、それを追加すると、15億180万円となります。
サブローが2000年に結婚した嫁は中嶋ミチヨ
出典:ameblo.jp
サブローさんは2000年8月に結婚しています。
お相手の女性は、元アイドルでタレントとして活動していた中嶋ミチヨさんです。
交際歴1年でのゴールインです。
中嶋ミチヨは元アイドル&タレント
中嶋ミチヨ
生年月日:1973年1月2日
出身:埼玉県志木市
身長:157cm
所属:ハーベストムーン
血液型:A型
活動:タレント
中嶋ミチヨさんは乙女塾3期生のアイドルです。
永作博美さんなどがいたribbonのメンバーになる予定でしたが、その前の1991年にデビューしています。その後、シングルを12枚リリースし、アイドル活動していました。
ココリコの「いきなり黄金伝説」内の企画である「1ヶ月1万円生活」の最初の挑戦者でもあります。1回目の挑戦では惜しくも伝説達成ならず。2回目で達成しています。
サブローと嫁・中嶋ミチヨの馴れ初め
出典:ameblo.jp
サブローさんと中嶋ミチヨさんは、1999年夏にちゃんこ屋さんで出会っています。
新宿の「ちゃんこ大翔」というちゃんこ屋さんは、タレントやスポーツ選手が集まっていて、中嶋ミチヨさんはそこのオーナーにサブローさんを紹介されたようです。
もともと、中嶋ミチヨさんはそのちゃんこ屋さんの常連で、お店には中嶋さんのサインが飾ってありました。
それをたまたまサブローさんが見つけ、中嶋ミチヨさんのファンだったサブローさんがお店のオーナーに中嶋ミチヨさんを紹介してくれるように頼んでいたそうです。
オーナーの提案で2人はドライブに行くことになり、サブローさんはいきなりプロポーズに近いことを中嶋ミチヨさんに伝えています。
真っ暗な海を目の前にベンチに座ってると
「俺の支えになってくれませんか?」
….って(え~~~さっき会ったばかりですけど~~~)と思い
笑ってごまかしてました。
でも何か楽しくて奇妙で、ここで断ったらまた車に乗せてくれないかも….
とか思ったりして、おもわず「しょうがないな~支えてあげるよっ」
って答えてしまったんです
そして、1年の交際を経て、2人は結婚しています。
2011年の春季キャンプ中には、サブローさんの不倫報道があり離婚か?と噂されていましたが、離婚はせずに現在も結婚生活を続けています。
サブローはこの女性と「体だけの関係」で終わらせたかったのだろう。肉体関係を持った後に一切の連絡を絶ち、いわば「捨てた」形だ。
この一件があってか、一時は離婚危機かとも噂されていたサブロー。しかし現在も変わらず夫婦生活を送っている。
サブローの子供は3人
サブローさんには3人の子供がいます。女の子が1人、男の子が2人です。
・勝星くん(2006年4月21日)
・魁星くん(2009年3月15日)
長女の誕生日を見ると、サブローさんと中嶋ミチヨさんはできちゃった結婚だったことがわかります。
サブローさんの引退セレモニーの時には、長男と次男の2人がサブローさんに花束を渡していました。
娘は「世界一大好きなパパ」と手紙にしたため。
息子達は「ぼく達は、プロ野球選手になる」と
手紙に決意表明しました。
息子さん2人はプロ野球選手になるのが夢なんですね。
サブローの現在
出典:daily.co.jp
サブローさんは2016年に引退してから、千葉ロッテマリーンズののスペシャルアシスタントを務めていました。
そして、2020年からは東北楽天ゴールデンイーグルスのファームディレクターに就任しています。
引退した時、サブローさんは「夢はこの千葉ロッテマリーンズを日本一の球団にすることです」と語っています。しかし、同じパリーグの楽天の所属になったんです。
これはやはりロッテの井口監督が関係しているのかもしれません。
ロッテの井口監督は長期政権を築きそうですし、井口監督がロッテにいる限り、自分がロッテの首脳陣に入ることはないと考えて、楽天に行ったのでしょうか?
2022年には井口監督とサブローさんには確執があり、サブロー一派がクーデターを企てているのでは?とも週刊誌で報じられています。
「楽天のフロントに入っているサブロー・ファームディレクター(45)が中心の一派です。楽天2軍の今江敏晃コーチ(38)、岡田幸文コーチ(37)や野球評論家の里崎智也氏(45)が結託。今も球団に残る福浦和也打撃コーチ(46)を通じて球団オーナー一族に接触を繰り返しているようです」(スポーツ紙デスク)
この報道については、名前が挙がった里崎智也さんは完全に否定しました。
ただ、ロッテ一筋で巨人にトレードされた後にロッテに戻るほどのロッテ愛があったサブローさんが、楽天に行ったというのは、やっぱり何かしらの確執があるのかなと思ってしまいます。
サブローのまとめ
サブローさんのプロフィールや経歴、なぜ巨人にトレードされたのかという理由、成績や年俸の推移、結婚した嫁の中嶋ミチヨさんとの馴れ初めや子供、現在の活動をまとめました。
サブローさんほどロッテ愛が強い選手はいないと思います。
それなのに、楽天のファームディレクターになったのは、一体どのような理由があったのか気になりますね。