野球界きっての頭脳派ピッチャーとして知られる元ロッテのエース・小宮山悟さんですが、早稲田一筋エピソードも話題です。
今回は小宮山悟さんの経歴、成績や年俸、引退試合、早稲田エピソード、結婚した嫁や息子、現在を紹介します。
この記事の目次
小宮山悟のプロフィール
出典:twitter.com
小宮山悟
生年月日:1965年9月15日
出身:千葉県柏市
身長:183cm
所属:早稲田大学
活動:元プロ野球選手、野球指導者
小宮山悟は、千葉ロッテマリーンズやメジャーで活躍した元プロ野球選手です。
風よけのサングラスとひげがトレードマークでした。
小宮山悟は球速はさほど速くなく、ストレートでも140km/h以下で、本格派のピッチャーというよりも、技巧派のピッチャーでした。
以下のような多彩な球種を投げ分け、さらに制球力も持ち合わせている選手です。
・スライダー
・カーブ
・スプリッター
・チェンジアップ
・カットボール
・シンカー
・シュート
・シェイク(魔球)
小宮山悟曰く、ナックル以外は投げようと思えばすぐに投げることができたと話しています。
また、先ほど触れたように制球力が異常に高く、「投げる精密機械」「ミスターコントロール」と呼ばれるほどでした。
超頭脳派ピッチャーになった理由
小宮山悟は、頭脳派ピッチャーでした。身体能力だけで野球をするのではなく、考えに考え抜いて、プロの世界で生き抜いていったのです。
小宮山悟がなぜ頭脳派ピッチャーになったのか、本人が引退後のインタビューで答えています。
アスリートとしての能力でいえば、自分よりはるかに上のレベルの打者と対戦しなければなりませんでした。だから、相手の弱点を見つけて、徹底的に突いていくしかありません。頭を使って駆け引きをしていけば、互角に勝負できるんじゃないかと思って、そっちに走ったわけです。
小宮山悟によれば、プロ野球選手の中ではそれほど身体能力が高いわけではなかったため、プロの世界で生き抜いていくために、身体能力で劣る部分を頭脳で補ったというわけですね。
この頭脳で補うという選択肢を持たない、もしくは選択しない人が、プロの高い壁に阻まれていくのかもしれません。
小宮山悟の経歴
小宮山悟の経歴を見ていきましょう。
学生時代
出典:hochi.news
小宮山悟は千葉県柏市出身です。柏市立柏第四中学校から芝浦工業大学柏高校へ進学しました。
小学校から野球を始めていましたが、高校までは目だった成績を残すことはできず、高校卒業時にはドラフトにかかるどころか、大学からの野球推薦もないような状態でした。
高校時代に六大学野球に憧れ、高校の先生から早稲田大学に向いていると言われたことから、2年間浪人して早稲田大学進学を目指し、合格後は野球部に入部します。
その後、メキメキと頭角を現し、1年生のころからベンチ入り、2年生ではエースになり、4年生では早稲田大学野球部の主将となりました。
ロッテ時代
1989年にロッテオリオンズにドラフト1位で入団した小宮山悟は、ルーキーから大活躍します。
ルーキーの1990年シーズンからチーム最多先発登板・最多投球回数を達成し、ルーキーから日米野球にも出場しました。
その後も、先発ローテーションを守りながら、安定した成績を残していきます。
1999年まで先発投手として活躍しましたが、1999年オフにはFA権を行使することを球団に伝え、10年間在籍したロッテを退団することになりました。
横浜時代
同一リーグに移籍しないことを条件に自由契約となった小宮山悟は、横浜ベイスターズに移籍します。
横浜ベイスターズには、2000年・2001年の2年間在籍し、先発投手として活躍します。
そして、FA権を行使し、メジャーに移籍することになりますが、ロッテから横浜に移籍する際には、すでにメジャーリーグへの移籍を視野に入れていたとされています。
メジャー時代
小宮山悟は2001年12月にメジャーへの移籍を発表します。
移籍先は、ロッテ時代の監督であるボビー・バレンタインが監督を務めるニューヨーク・メッツです。
メジャー初登板では9球で三者凡退に抑え、「和製マダックス」とアメリカのマスコミに報じられますが、その後は成績は残せず、2002年シーズンは勝ち星をあげられませんでした。
2003年にはアメリカのどの球団からも声がかからず、契約しないまま時は過ぎ、FA補償の関係で日本の球団からも声がかからず、所属球団がない状態になりました。
メジャーのことを振り返って、小宮山悟は「観光気分でアメリカに行ってしまった」と反省しているようです。
ロッテ復帰後
出典:iza.ne.jp
2004年には、ボビー・バレンタインがロッテの監督に復帰したことを機に、小宮山悟も日本球界に復帰し、ロッテに所属しました。
しかし、ロッテ復帰後は以前のような成績を残すことができず、2009年に引退します。
小宮山悟の引退と共に、ボビー・バレンタインもロッテの監督を退任していますので、小宮山悟の現役生活は、ボビー・バレンタインと共にあったといっても良いかもしれません。
現役引退後
現役引退後は、2010年から野球解説者として活躍しています。
また、2014年からは日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)理事(非常勤)も務め、野球だけでなく、幅広い活躍をしています。
さらに、2019年からは早稲田大学の野球部監督を務めています。
小宮山悟は最年長セーブ記録を達成して引退している
小宮山悟は、メジャーから日本球界に復帰し、ロッテに在籍しましたが、あまりパッとした成績を残すことができませんでした。
2009年は1勝をあげたものの、防御率は10点台となり、5月には早くも二軍落ち、そのまま一軍に上がることなく9月に現役引退を表明しています。
引退試合となった10月6日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、5₋2でロッテが勝っている状態で、9回表2アウトから登板し、代打セギノールをライトフライに打ち取って試合終了。
たった1球でセーブがつき、中日ドラゴンズの山本昌の記録を塗り替える最年長セーブ(44歳21日)を記録して引退となりました。
小雨が降る中での引退セレモニーでは、スピーチや胴上げが行われ、バレンタイン監督の退任式も行われました。
小宮山悟の成績や年俸
小宮山悟の成績
小宮山悟の成績を見ていきましょう。NPB時代からメジャー移籍、さらに引退までをまとめました。
勝 | 負 | ホールド | セーブ | 防御率 | |
1990年 | 6 | 10 | - | 2 | 3.27 |
1991年 | 10 | 16 | - | 0 | 3.95 |
1992年 | 8 | 15 | - | 0 | 3.96 |
1993年 | 12 | 14 | - | 0 | 3.44 |
1994年 | 3 | 9 | - | 0 | 4.24 |
1995年 | 11 | 4 | - | 0 | 2.60 |
1996年 | 8 | 13 | - | 0 | 4.54 |
1997年 | 11 | 9 | - | 0 | 2.49 |
1998年 | 11 | 12 | - | 0 | 3.57 |
1999年 | 7 | 10 | - | 0 | 4.07 |
2000年 | 8 | 11 | - | 0 | 3.96 |
2001年 | 12 | 9 | - | 0 | 3.03 |
2002年 | 0 | 3 | 0 | 0 | 5.61 |
2003年 | - | - | - | - | - |
2004年 | 3 | 4 | 0 | 0 | 5.22 |
2005年 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.79 |
2006年 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4.63 |
2007年 | 3 | 1 | 3 | 0 | 3.99 |
2008年 | 3 | 2 | 2 | 0 | 5.72 |
2009年 | 1 | 0 | 1 | 1 | 9.88 |
NPBでの通算成績はこちらです。
・通算成績:117勝141敗4セーブ、7ホールド
・通算防御率:3.71
・通算投球回数:2293回0/3
・通算奪三振:1533奪三振
次に、MLBでの通算成績をまとめました。
・通算成績:0勝3敗
・通算防御率:5.61
・通算投球回数:43回1/3
・通算奪三振:33奪三振
個人タイトルは、1997年に最優秀防御率を獲得しています。
小宮山悟の年俸
出典:twitter.com
次に、小宮山悟の年俸の推移を紹介していきます。
・1991年(26歳):1800万円
・1992年(27歳):3600万円
・1993年(28歳):4400万円
・1994年(29歳):8000万円
・1995年(30歳):7400万円
・1996年(31歳):1億2000万円
・1997年(32歳):1億1000万円
・1998年(33歳):1億1000万円
・1999年(34歳):1億1000万円
・2000年(35歳):1億1000万円
・2001年(36歳):1億1000万円
・2002年(37歳):50万ドル(約5000万円)
・2003年(38歳):なし
・2004年(39歳):4000万円
・2005年(40歳):3500万円
・2006年(41歳):3500万円
・2007年(42歳):3200万円
・2008年(43歳):4200万円
・2009年(44歳):3800万円
生涯獲得年賞金は12億240万円。ドラフト1位で入団した時の契約金は、6300万円ですので、これを合わせると、12億6540万円になります。
さらに出来高がついていた年もありますので、小宮山悟はプロ野球選手として13億円以上を稼いだことになります。
小宮山悟が経験した「悪夢の18連敗」が話題に
ロッテの顔とも言える小宮山悟ですが、小宮山悟を語る上で欠かせないことと言えば、悪夢の18連敗ではないでしょうか?
1990年代後半のロッテは暗黒期でしたが、1998年シーズンは小宮山悟に加え、ジョニー黒木、さらに福浦や初芝、小坂などの野手も名を連ね、優勝候補にも挙げられるほどの戦力でした。
開幕当初、ロッテは好調で6月12日の時点では2位につけていました。しかし、ここから悪夢が始まります。
6月13日は小宮山悟の先発でしたが、小宮山はオリックス打線につかまりKOされます。そして、ここから引き分けを挟んでまさかの18連敗!
途中、エースのジョニー黒木が好投するも、9回2アウトから同点、そして延長12回に逆転満塁ホームランを浴びるなどの悲劇があり、まさに暗黒ロッテを象徴する18連敗でした。
連敗を止めたのは7月9日。小宮山悟が先発の試合で、ようやく連敗が止まったんです。
20年以上経った今でも、ロッテだけでなく、プロ野球界に語り継がれるロッテの18連敗は、小宮山悟で始まり、小宮山悟で終わったんです。
小宮山悟の早稲田一筋エピソード
小宮山悟は、早稲田一筋の野球人です。
早稲田大学野球部出身のプロ野球選手はとても多いですが、一般入試で早稲田大学に入学したという人はほぼいないでしょう。
小宮山悟は2浪したものの、早稲田大学に一般入試で入学しています。天下の早稲田大学に、一般入試で合格できる頭脳があるのはさすがの一言です。
そして、現役中の2006年には早稲田大学大学院スポーツ科学研究科に入学しています。プロ野球選手と大学院生という2足の草鞋を履いたということです。
2008年には修士課程をきっちり修了しています。
さらに、2019年からは早稲田大学野球部の監督に就任しました。
引退した時にロッテからはコーチ職を用意されていましたが、それを固辞し、それ以降はユニフォームを着ることはありませんでした。
小宮山悟はずっと早稲田と共に野球人生を歩んでいると言っても良いでしょう。
小宮山悟が結婚した嫁とは?息子はいる?
小宮山悟が結婚した嫁や息子の情報を見ていきましょう。
家族構成
小宮山悟の家族構成は、嫁と子供3人です。
結婚した嫁は一般人のようで、ほとんど表に出てくることはありません。
小宮山悟の引退試合では、子供3人が父親の小宮山悟に花束を渡そうとしましたが、小宮山悟は子供たちに、一緒に勇退するボビー・バレンタインに渡すよう促したエピソードがあります。
息子も球児で早稲田
小宮山悟は早稲田一筋ですが、息子も同じように早稲田一筋のようです。
息子は小宮山将という名前で、2013年には早稲田実業で春の選抜甲子園に出場しています。
今はほとんどツイートしていませんが、TwitterやFacebookのアカウントもあるようです。
引退したのでツイート出来るようになりました!!
— 小宮山 将 (@komi14shake) November 3, 2017
それによると、大学も早稲田大学のようですので、親子2代で早稲田一筋なのだと思います。
小宮山悟の現在
小宮山悟さんは現在、早稲田大学の野球部の監督をしています。
現役時代はすらっとしていましたが、引退した今はかなりふっくらと貫禄がついていますね。
まとめ
小宮山悟のプロフィールや経歴、成績や年俸の推移、引退試合、早稲田一筋エピソード、結婚した嫁や息子、現在をまとめましたが、いかがでしたか?
・小宮山悟は早稲田一筋!
・ボビー・バレンタインと共に歩んだ選手
・息子も早稲田実業で甲子園に出場した
小宮山悟は今後、プロ野球界に戻ってくるのか、それとも早稲田一筋を貫くのか注目していきたいですね。