東京都国立市の少年を中心にバイク好きで構成された不良バイクチーム・ブラックエンペラーは、その後半グレ集団・関東連合に姿を変えていきました。
この記事では、ブラックエンペラーの歴代総長や芸能人、関東連合との関係について詳しくまとめました。
この記事の目次
ブラックエンペラーとは?関東圏最大の伝説の暴走族
ブラックエンペラーの歴史は古かった
関東圏最大の伝説の暴走族「ブラックエンペラー」
ブラックエンペラーは1960年代末頃から解散する1992年までにかけて、東京都国立市の不良少年らを中心に結成された、関東圏最大のバイクチーム・暴走族でした。
暴走族の最盛期と言われた1970年代から、「マッドスペシャル」「上町小次郎」などのチームを中心に連合体が結成され、「関東連合」と名乗る巨大な組織となり、1970年代末までに最大で2000人以上にメンバーが膨れ上がるなど圧倒的な勢力を誇っていました。
1976年にはブラックエンペラー新宿支部のメンバーが出演したドキュメンタリー映画『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』が公開されて一定の知名度を獲得し、その後国立市から新宿区に総本部を移してからは東京都内を始め、千葉県、神奈川県、茨城県などの関東園から遠くは静岡県、愛知県までその勢力を広げました。
特に千葉県で最大勢力を誇っていた茂原市の暴走族「赫夜姫(かぐやひめ)」との合併は大きく、オフィシャルウェブサイト上でも唯一紹介されています。
ブラックエンペラーの衰退と解散
25代目総長の時代に解散したブラックエンペラー
前述の映画に続いて1982年にはドキュメンタリー映画『俺たちの生きた時間』が一般公開されたことでブラックエンペラーは全国的な知名度を獲得し、この頃には総本部は世田谷区下北沢に移っていましたが、暴走族ブームの衰退とともに規模は縮小し、25代目総長の時代で解散して幕を下ろしました。
ここからは、ブラックエンペラーでも特に伝説期を牽引した初代から7代目までの総長についてご紹介します。
ブラックエンペラーの初代総長 泉輝雄、谷田部
ブラックエンペラーを創設した伝説の不良・泉輝雄
ブラックエンペラーの創始者は泉輝雄さんの他に谷田部さんがおり、この2人が20年近くも続く伝説を残してきた暴走族を作り上げました。
谷田部さんのその後現在については不明ですが、泉輝雄さんは2014年頃に65歳で心筋梗塞のため亡くなったと某掲示板で関係者が伝えていたようです。
26: 泉 :2014/12/08(月) 19:18:39 ID:p.BFfjcE0
皆様のあたたかい言葉ありがとうございます享年65才で心筋梗塞のためこの世を旅だしました 長い間お付き合いありがとうございました
比較的若くしての心筋梗塞ということで、泉輝雄さんはお酒とタバコの影響が強かったのかもしれません。
泉輝雄総長の現役時代の画像①
泉輝雄総長の現役時代の画像②
泉輝雄総長の現役時代の画像③
ブラックエンペラーの2代目総長 瓜田吉寿【瓜田純士の実父】
「アウトローのカリスマ」瓜田純士の父親・瓜田吉寿
ブラックエンペラーの最初の後継者として2代目を引き継いだのは代表著書 「俺たちには土曜しかない(遠藤吉寿著)」を持ち、後に「アウトローのカリスマ」と呼ばれた有名な不良・瓜田純士を息子に持つ瓜田吉寿さんでした。
瓜田純士さんは関東連合メンバーとも縁の深い人物で、顔を含む全身に彫られた刺青が特徴的です。
2代目総長・瓜田吉寿の息子・瓜田純士
父親が超有名な不良だったことから、サラブレッドの瓜田純士さんも少年時代から東京都内で有名な不良として知れ渡っており、10代の頃から10年以上も暴力団に属していました。
「アウトローのカリスマ」と呼ばれてきた瓜田純士さんですが、2018年1月からは「キング・オブ・アウトロー」と自称しており、作家として不良関係の本を現在までに7冊出版しています。
また、瓜田純士さんは俳優としての活動の他に自主制作映画やオリジナルブランドの立ち上げなど幅広く活動しており、K-1ブームが到来して以降は地下格闘技の世界にも参戦して話題になりました。
瓜田純士さんは「半端ない」のネットスラングである「パネェ」を広めた人物とも言われています。
ブラックエンペラーの3代目総長 本間優二【芸能人】
俳優として活躍した3代目総長・本間優二
本間優二さんはブラックエンペラー新宿支部長から3代目名誉総長に登り詰め、ドキュメンタリー映画『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』に出演したことで映画監督の柳町光男さんと知り合い、その端正な顔立ちから1979年の映画『十九歳の地図』の主演で俳優デビューを果たしました。
1. 1979.12.01 十九歳の地図 プロ群狼
* 日本の黒幕(1979)
2. 1980.02.23 影の軍団 服部半蔵 東映京都 … 小六
3. 1980.04.19 薔薇の標的 東映セントラルフィルム … 中尾光二
4. 1981.04.24 狂った果実 にっかつ
5. 1981.10.10 とりたての輝き 東映セントラルフィルム
6. 1983.05.28 戦場のメリークリスマス シネベンチャー・プロ=レコーデッド・ピク… … ヤジマ一等兵
7. 1985.12.14 ビーパップ・ハイスクール セントラルアーツ
* 黒いドレスの女(1987)
* キャバレー(1986)
* ブレイクタウン物語(1985)
8. 1988.05.14 死霊の罠 ジャパンホームビデオ=ディレクターズ・カ…
* 疵(1988)
9. 1989.04.08 極道の妻たち 三代目姐 東映京都 … 大宅謙吉
1980年2月の「第1回ヨコハマ映画祭」では最優秀新人賞を受賞するなど演技力が評価されていましたが、その後名脇役として活躍するも元々芸能界に興味が無かった本間優二さんは1989年に引退しています。
現役時代の本間優二の画像
俳優としての本間優二
ブラックエンペラーの4代目総長 阿部
謎に包まれているブラックエンペラーの4代目総長・阿部
他の総長に比べて情報の少ない4代目総長の阿部さんですが、2003年発売の「月刊実話ナックルズ12月号」ではインタビュー記事が掲載されていました。
4代目総長・阿部のインタビューが掲載された雑誌
ブラックエンペラーの5代目総長 イカンガー岩崎【作家】
華々しい経歴を持つ5代目総長・イカンガー岩崎
イカンガー岩崎(岩崎隆史)さんは1974年から3年間ブラックエンペラーの5代目総長を務め、その後は作家やプランナーとして世界で活躍してきた経歴を持っています。
暴走族としての活動を終えた直後の1977年からイカンガー岩崎さんはニューヨークを拠点にアメリカ国内やハワイ、グァム、そしてインドネシアなどを渡り歩いて国際的な人脈作りをし、22歳頃から日本の雑誌社に営業をかけてコーディネート業を始めました。
また、イカンガー岩崎さんはアメリカで感銘を受けたラジオ音楽番組のアイデアを日本に持ち込み、ラジオ番組『MARUI 24 CLUB(FM横浜)』の制作を手がけて、FM横浜開局と同時に放送され看板番組となりました。
作家としての活動もしており、「塀の中の懲りない少年達」「クレージーボーイズ」などの著作が人気を呼び、松竹映画で制作・公開されました。
イカンガー岩崎さんはブラックエンペラーの総長の中でも一番成功している人物でしょう。
番組『11PM』に出演していたイカンガー岩崎
ブラックエンペラーの6代目総長 蛯澤賢治【芸能プロデューサー】
芸能プロデューサーになった6代目総長・蛯澤賢治
蛯澤賢治(岡崎 礼)さんは少年時代から武道に励み強くなりたいと願っていましたが、元々徒党を組んで悪事を働く「暴走族」という連中が理解できずにいました。
しかし、あるきっかけから蛯澤賢治さんは暴走族に入ることになり、ケンカの強さはさることながら強い精神力と任侠精神を持っていたことから人望が厚く、周囲に押し上げられるようにブラックエンペラーの6代目名誉総長となりました。
蛯澤賢治さんは極真空手師範の免許を持ち、芸能プロデューサーとしても活躍していましたが、極右活動家でもありインタビュー等でも以下のような愛国心を説いていました。
今年は日露戦争百周年。
なんと記念すべき年であろうか。
又、 イラクへの派兵その他etc,,,なんだかやっと独立国として普通の第一歩 を踏み出したって感じがいたします。
任務に就かれている方々その関係者すべての人たちに感謝と敬意を表すると共に隊員各位の活躍と無事を心からお祈りしております。
私は族のリーダーとしをやり、官警各位の手を煩わせてしまいました。
が、その分小さい地域ではありますが近所町会レベルで役にたつよう自分なりに生きて来ております。
TBSで長年仕事をやっている間も進歩的文化人のミスリードに意見し、自分の主張は間違ってなかったと、今の社会の流れはやっと少しづつマトモになって来たと感じております。タバコは投げ捨てるな。ゴミはちゃんと出す。自転車は夜ライトをつけろ。スプレーで落書きするな。年寄りに席を譲れ。車内で電話するな。薬はやるな。親は大事にしろ。ちゃんとした教師の言うことを聞け。東京裁判史観に侵された歴史ではなくちゃんとした我国の歴史をきっちり勉強しろ。国、国歌を大事にしろ。神仏を尊べ。領土問題をもっと考えろ。キリが無くなるのでこのくらいにしておきますが、族上がりが民族国家の為に少しでも役に立つよう今後出来るところからやっていこうと考えております。
皆様のご協力をお願いいたします。良き時、良き日々を!
蛯澤賢治さんの写真からは偉ぶらない懐の深さと、人を大切にする優しさが感じられるようです。
6代目総長・蛯澤賢治の画像
ブラックエンペラーの7代目総長 宇梶剛士【芸能人】
ブラックエンペラー出身者で最も有名な7代目総長・宇梶剛士
宇梶剛士さんが伝説的な暴走族「ブラックエンペラー」の7代目総長だったことが分かったのは出版した告白本「不良品」で、その後番組でも度々当時のエピソードを明かしてきました。
宇梶剛士さんは元々大の野球少年でプロを目指して打ち込んでいましたが、野球強豪校の拓殖大学第一高等学校時代に先輩からの練習妨害の嫌がらせなどトラブルから暴力事件を起こしてしまい、少年鑑別所に入ったことから野球の道を断念せざるを得なくなりました。
出所後も自暴自棄になりケンカに明け暮れていた宇梶剛士さんは、叔父の仕事場で働いていたものの仕事が嫌になり、傷害事件で東京家庭裁判所から呼び出しを受けたことを理由に上京しました。
溜まった鬱憤を晴らすためにブラックエンペラーに入った宇梶剛士さんは、その圧倒的なケンカの強さからすぐに三多摩支部長となり、総長の座を奪うべく6代目総長だった蛯澤賢治さんのいる本部に単身で乗り込みました。
この時は蛯澤賢治さんになだめられて矛を収めましたが、蛯澤賢治さんが引退する際に満場一致で宇梶剛士さんが7代目名誉総長に就任しました。
北方民族アイヌの血を引く宇梶剛士さんは188cmの体躯で圧倒的な膂力を持ち、1000人の敵対勢力にひとりで立向かい、ヘッドを含む20人あまりを一瞬で蹴散らしたことで戦意喪失させ追い返したという戦国武将さながらの伝説的エピソードを持っています。
そのため、宇梶剛士さんの元にはヤクザからのスカウトが後を立たなかったようですが、バイクとケンカが好きなだけで犯罪には興味が無かった宇梶剛士さんは断り続け、その後菅原文太さんに拾われて俳優としてデビューし現在に至っています。
「過去をやり直すことはできないわけで、腹くくりはあるけど、俳優をやる上では邪魔かも」とこれまで過去はほとんど語らず、「知る人ぞ知る元不良俳優」だった。だが、「出版社の人から強烈に誘われて、後先考えないで行動するタイプなので…」と初出版。「不良品」 錦野旦、菅原文太、美輪明宏、渡辺えり子らと出会い俳優として立つまでを厳しく、熱く振り返った。「本を出して、精いっぱい生きる今が積み重なって過去になるということが実感として体に染みた」ともいう。
ブラックエンペラーの初代レディース総長 山田加奈
ブラックエンペラーのレディース初代総長の山田加奈
ブラックエンペラーにレディースが創設された初代総長がKANA(山田加奈)さんで、2019年までに毎年主催イベント「ディスコパーティー ザ・オールドファッション」を開催してきました。
マハラジャ六本木でイベントは開催されており、料金は4,000円で2ドリンク制、ブラックエンペラーとして駆け抜けた1970~1980年代の思い出の曲で盛り上がるディスコパーティーです。
2019年9月1日に開催されるKANA主宰のディスコパーティー
レディース初代総長のKANAがヤキを入れている写真
女番長のカリスマとして君臨していたKANA
ブラックエンペラー出身有名人の現在~弁護士になったメンバーも
ブラックエンペラー出身有名人① ヤンキー弁護士・金﨑浩之
ヤンキー弁護士と呼ばれる金﨑浩之
金﨑浩之さんはブラックエンペラー出身の弁護士で、現役当時1年先輩には宇梶剛士さんがいました。
金﨑浩之さんは小学校時代からケンカに明け暮れており、中学3年生の時点で偏差値38しかない低学歴でした。
当然教師からは行ける高校は無いと言われていましたが、金﨑浩之さんは3年生の夏休みから猛勉強を開始して2つの都立高校に合格し、東京都立秋留台高等学校に進学しました。
しかし高校ではさらに素行の悪さに拍車がかかった金﨑浩之さんはブラックエンペラーに入り、東京都小平地区の幹部になっていました。
せっかく猛勉強をして受かった高校も中退しましたが、金﨑浩之さんは暴走族時代以降に様々なアルバイトを経験したことで社会で生きていくには学歴が必要であることを痛感しました。
それから猛勉強を始めた金﨑浩之さんは、京都外国語大学外国語学部英米語学科に進学し、在学中にESS(英語研究部)の部長を務め、その後青山学院大学大学院に進んで国際経済学修士号を取得しました。
ケンカ好きの不良から一転して高学歴となった金﨑浩之さんは、在学中に法律関係の道に進むことを決めたことから弁護士の資格を取得し東京弁護士会に所属しました。
そして、金﨑浩之さんの妻も弁護士の金崎美代子さんで、「ヤンキー弁護士」を自称して現在まで活躍を続けてきました。
ブラックエンペラー出身有名人② 元関東連合幹部・松嶋クロス
半グレ・関東連合の幹部だった松嶋クロス
正業で成功を収めた金﨑浩之さんとは対照的に、ブラックエンペラー出身で後に半グレ集団として復活した関東連合メンバーだった松嶋クロスさんは、成人向けビデオ監督として日本映画監督協会会員に所属し、鼠先輩などの歌手を輩出した音楽プロデューサーとして活躍しました。
2018年3月時点で住吉会系暴力団組員だとされていますが、2019年までに相次いで逮捕されており、現在は刑務所で服役中となっているようです。
現役時代は関東連合を構成する永福町ブラックエンペラーのナンバー2だった松嶋クロスさんは、当時からデザインセンスが高くチームのステッカーや特攻服などのデザインを手がけました。
また、広報も担当しており敵対勢力を壊滅させた際の写真を雑誌に投稿したり、2010年の市川海老蔵さんが暴行を受けた事件では、ネガティブキャンペーンを取り仕切っていました。
ブラックエンペラーと関東連合の関係
関東連合は半グレ集団として復活した
1973年に結成され2003年に解散した関東連合
宇梶剛士さんらがブラックエンペラーの総長を務めていた時代の関東連合はいわゆるバイクやケンカが好きな集団であり、そこには明確なルールが設けられて統率されていました。
結成後、暴走族最盛期の1970年代を迎え、『マッドスペシャル』、『上町小次郎』、および『鬼面党』などのグループとともに暴走族の連合体『関東連合』を組成
しかし、一度解散して以降に2000年代に再結成された関東連合は特に凶悪なOBらによる犯罪集団であり、準暴力団である半グレの代表的な集団として警察からマークされていました。
かつては2000人を超える規模だったメンバーも、再結成後は50人ほどの特に札付きの不良の集まりだったようで、中国残留孤児2世・3世らからなる準暴力団・怒羅権とも友好関係を結ぶなど、六本木を中心に闇社会での違法ビジネスで勢力を拡大しその影響は芸能界にも及んでいました。
しかし、2012年の「六本木クラブ襲撃事件」により当時リーダー格だった見立真一さんが海外逃亡して国際指名手配をされ、石元太一さんは収監されるなど、関東連合は2014年までに空中分解する形で解散しています。
クローズの世界観やなw
— かっつん (@kty_0116) May 27, 2019
俳優の宇梶剛志さんて関東最強ブラックエンペラー総長時代に関西連合として会ったことある
俳優なるとは思わんかったけどな。
ブラックエンペラーについてまとめると…
・ブラックエンペラーは2000年代に半グレ集団・関東連合に形を変えた
日本で最も有名だった暴走族・ブラックエンペラーの歴代総長や関東連合について総まとめしてきました。
関東連合は解散して2020年現在で6年あまりが経過していますが、まだ「市川海老蔵暴行事件」で逮捕された伊藤リオンさんなど残党は残っていますので、いつか再起をする日が来るかもしれませんね。