元西武ライオンズの中軸打者で北京オリンピックでの落球エラーで知られるG.G.佐藤さんの現在が話題です。
この記事ではG.G.佐藤さんの現役時代の成績と年俸推移、北京オリンピックでの落球とエラーの詳細、結婚した嫁や子供、引退後の会社経営や活動などについてまとめました。
この記事の目次
G.G.佐藤のプロフィール
G.G.佐藤のプロフィール
本名 :佐藤隆彦
生年月日:1978年8月9日
出身地 :千葉県市川市
身長 :184cm
血液型 :AB型
G.G.佐藤(じー・じー・さとう)さんは、西武ライオンズや千葉ロッテマリーンズで活躍した元プロ野球選手です。強打の外野手として活躍し、2007年から2009年シーズンまで西武ライオンズの主軸を担いました。
アメリカ・マイナリーグ1Aを経て24歳でプロ入りし28歳でレギュラーを掴んだ遅咲きの選手で、2008年に開催された北京オリンピックに野球日本代表チームの1人として出場した時の落球を含む痛恨の3エラーで大バッシングを浴びるも、その翌2009年シーズンには逆境を跳ね返してキャリアハイの成績を上げるなど、ドラマティックな野球人生を送った事で知られています。
G.G.佐藤の経歴
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G.G.佐藤さんは、千葉県市川市行徳の市川リトルリーグで本格的に野球を始めています。リトルリーグ時代の2年上の先輩には、横浜、ヤクルト、巨人で捕手として活躍した相川亮二さんがいました。
中学進学後は、野村克也さんの夫人・野村沙知代さん(いずれも故人)がオーナーの神奈川県のシニアチーム「港東ムース」に所属し、全国優勝も果たしています。なお、「G.G.佐藤」のネーミングの由来は、この港東ムース時代に野村沙知代さんから「シャキッとしなさい。ジジイじゃないんだから」と叱られた事だったそうです。
「G.G.佐藤」の名付け親でもある。「中学1年の練習初日に“しゃきっとしろ!ジジイじゃないんだから”と怒鳴られたのがきっかけ」と明かす。
中学卒業後は、神奈川県の桐蔭学園高等学校へと進学していますが、これも野村沙知代さんに「桐蔭学園に行きなさい」と言われたのがきっかけだったそうです。G.G.佐藤さんは高校2年生時に選抜に出場していますが1回戦で敗れています。
高校卒業後は法政大学へと進学し野球を続けますが、当時、野球部には西武、横浜で活躍した後藤武敏さん、オリックスや西武で活躍した阿部真宏さん、広島で活躍した廣瀬純さんらがおり、レギュラーは奪えませんでした。
プロ入り後は長距離砲として活躍したG.G.佐藤さんですが、高校・大学時代にはまだその才能は開花しておらず、高校通算本塁打は3本、大学時代はわずか1本のみでした。
G.G.佐藤さんは大学卒業後も野球の夢を諦めず、MLBフィリーズの入団テストを受けて合格。単身アメリカへと渡り、フィリーズ傘下の1Aに入団し米マイナーリーグで2001年から2002年までプレーしています。この時代に強肩を活かすために捕手へコンバートされています。(学生時代は内野手だった)
帰国後、2002年の西武ライオンズの入団テストに合格し2003年のドラフトで7位指名を受けて入団しています。
西武ライオンズ入団後は、1年目の2004年シーズンから45試合に出場し、打率2割9分8厘3本塁打とルーキーとしては十分な活躍を見せました。しかし、2005年と2006年シーズンは成績を落とし、1軍定着はできませんでした。
G.G.佐藤さんがレギュラーを勝ち取ったのは28歳で迎えた2007年シーズンでした。この年は開幕戦と2戦目で連続ホームランを放つなどシーズン序盤から打ちまくり、レフトのポジションを獲得。最終的に136試合に出場し、打率2割8分、25本塁打、69打点の抜群の成績を残しています。
2008年シーズンは105試合、打率3割2厘、21本塁打、62打点。続く2009年シーズンも136試合、打率2割9分1厘、25本塁打、83打点と、主軸打者として活躍しました。
しかし2010年シーズンは調子を落とし、9月には肘と肩の手術を受けるなど苦しみ、2011年シーズンは1度も1軍に昇格できないまま、オフに戦力外通告を受けました。
G.G.佐藤は西武を戦力外後イタリアリーグを経て地元千葉ロッテで引退
G.G.佐藤さんは、2011年オフに西武ライオンズを戦力外になった後も現役を続行し、2012年はイタリアリーグ・フォルティチュード・ボローニャ1953に入団しプレーしています。
イタリアでは42試合に出場し、打率3割1分9厘、3本塁打、22打点の成績を残しましたが、遠征に帯同しなかった事を理由に8月に解雇されています。
同年9月に帰国し、富山県のロキテクノベースボールクラブに選手権コーチとして入団していますが、この時はプロ野球に戻りたいというよりは、野球との縁を残したいとの気持ちだったそうです。
しかし、2013年シーズンから千葉ロッテの監督に就任することが決まった西武時代の恩師である伊東勤さんに声をかけられ、その好意に報いたいという思いや、地元の千葉県でプレーしたいとの思いから再びプロ野球に挑戦する事を決断してテストを経て千葉ロッテに入団し2013年シーズンは30試合に出場し満塁弾など2本塁打を放ち存在感を示しました。
翌2014年シーズンは1軍出場はなく、オフに戦力外通告を受け現役を引退しています。
G.G.佐藤の年度別成績と年俸推移
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以下が、G.G.佐藤さんのプロ野球での年度別成績と年俸の推移です。(2012年はイタリアリーグプレー時の参考成績で通算には加算していません)
年度 | 所属 | 試合 | 打数 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 打率 | OPS | 年俸 |
2004 | 西武 | 45 | 57 | 17 | 3 | 8 | 0 | .298 | .840 | 700万円 |
2005 | 西武 | 37 | 56 | 12 | 2 | 3 | 0 | .214 | .629 | 900万円 |
2006 | 西武 | 45 | 133 | 33 | 4 | 17 | 2 | .248 | .659 | 850万円 |
2007 | 西武 | 136 | 486 | 136 | 25 | 69 | 7 | .280 | .861 | 1300万円 |
2008 | 西武 | 105 | 388 | 117 | 21 | 62 | 1 | .302 | .914 | 3700万円 |
2009 | 西武 | 136 | 502 | 146 | 25 | 83 | 1 | .291 | .865 | 6700万円 |
2010 | 西武 | 53 | 162 | 33 | 6 | 19 | 1 | .204 | .596 | 1億500万円 |
2011 | 西武 | 0 | – | – | – | – | – | – | – | 6300万円 |
2012 | イタリア | (42) | – | – | (3) | (22) | – | (.319) | .847 | (月給20万円) |
2013 | ロッテ | 30 | 51 | 13 | 2 | 9 | 0 | .255 | .767 | 1000万円 |
2014 | ロッテ | 0 | – | – | – | – | – | – | – | 1300万円 |
通算 | – | 587 | 1835 | 507 | 88 | 270 | 12 | .276 | .825 | 3億3250万円 |
明るい性格でファンの人気も高かったG.G.佐藤さんですが、シーズンオフの契約更改でよく揉めていた事でも知られています。
西武ライオンズに入団して1年目のオフでは、最初の交渉でサインをせずに保留しました。日本のプロ野球史上で入団1年目で保留をした選手はG.G.佐藤さんが初めてでした。
また、プロ入り4年目の2007年、G.G.佐藤さんは打率2割8分、25本塁打でレギュラーを獲得しましたが、その年の契約更改で球団が提示した年俸の上昇幅に納得がいかず、6度保留し一時は年俸調停を申し立てる騒動になりました。
その翌2008年シーズンもG.G.佐藤さんは好成績を残したものの、またもや契約交渉で球団と揉め2年連続で12球団全選手の中で最後の契約更改となっています。こうした経緯から、G.G.佐藤さんは一部の野球ファンから「銭ゲバ」扱いされてしまいましたが、これは、金に汚いというよりは、大学卒業後に2年間契約社会であるアメリカの1Aでプレーした経験から、選手側の権利をしっかり主張した方が良いという考えからだったようです。
G.G.佐藤は北京オリンピックでの落球含む3つの痛恨エラーでも話題
G.G.佐藤さんは、西武ライオンズでレギュラーを獲得した翌年の2008年は開幕直後から打ちまくり、5月の月間MVPを獲得し、オールスターゲームにファン投票1位で出場するなど目覚ましい活躍を見せました。
この活躍や、海外でプレーした経験、いざという時には捕手もできる事などが総合的に評価され、G.G.佐藤さんはこの年の8月から開催された北京オリンピックの日本代表メンバーに選出されました。
ところが、G.G.佐藤さんは、金メダルを期待された北京オリンピックで平凡なフライの落球を含む3度のエラーを記録し、これが原因となって日本代表は準決勝と3位決定戦に敗戦し、メダル獲得を逃しました。G.G.佐藤さんはこのエラーによって、「戦犯」だと大バッシングを受ける事になりました。現在もG.G.佐藤さんといえば、この北京オリンピックでの落球とエラーが必ず話題になります。
G.G.佐藤のエラーと落球事件の内容
G.G.佐藤さんは、北京オリンピックで、2008年8月22日の午前10時30分から行われた宿敵韓国との準決勝に7番レフトで先発出場しました。
1度目のエラーは日本が2点リードで迎えた4回裏で、韓国チームが放ったレフト前ヒットを、G.G.佐藤さんがトンネルした事で進塁を許し、この走者が生還して日本は失点しました。なお、このエラーで日本代表が逆転を許したと一部のメディアで書かれていますが、この時点では2-1でまだ日本がリードしていました。
G.G.佐藤さんの北京オリンピックでの2度目のエラーは、当時巨人でプレーしていた李承燁の本塁打などで2-4と逆転を許した8回の裏の事でした。状況は2アウト1塁で、左中間のフライをG.G.佐藤さんがグラブに当てながら落球。これによって1塁ランナーがホームへ帰るタイムリーエラーとなり、日本代表にとっては痛すぎる追加失点となり、最終的に2-6で敗戦しています。
3度目のエラーは、8月23日の午前10時30分から行われたアメリカとの銅メダルをかけた3位決定戦での出来事でした。この試合、G.G.佐藤さんは韓国戦での痛恨のエラーを引きずり、精神的に普通ではない状態でしたが、星野仙一監督は名誉挽回のチャンスを与えようとあえてレフトのスタメンで起用しました。
しかし、その起用は裏目に出てしまい、3点リードで迎えた3回裏にG.G.佐藤さんは平凡なフライを落球し、このエラーを皮切りに日本は四球、本塁打を許して3失点し同点に追い付かれてしまいました。
最終的に、日本代表はこの試合も4-8で落とし、まさかのメダル無しという結果に終わりました。多くの野球ファンは金メダルを期待していたため、この結果に批判が殺到し、落球2度を含む3エラーをしたG.G.佐藤さんは戦犯として誹謗中傷を受け、一部スポーツ紙は「G.G.佐藤、A級戦犯」、「エラーのE.E.佐藤」などと書き立てました。
G.G.佐藤さんは、この落球などのエラーで憔悴し、嫁の真由子さんにメールで「死にたい」と送るほどでした。
しかし、G.G.佐藤さんはその翌シーズンの2009年には、事あるごとに北京オリンピックでのエラーが蒸し返される逆境を跳ね返し打率2割9分1厘、25本塁打、83打点とキャリアハイの成績を残してみせました。
故・野村克也が死の1週間前にG.G.佐藤にかけた言葉が話題
G.G.佐藤さんは、現在はこの北京オリンピックでのエラーについてよく語られていますが、2021年にメディア取材に応じた際に、前年に亡くなった野村克也さんにこの北京五輪でのエラーについてかけられた言葉に救われた事を明かしました。
G.G.佐藤さんは、亡くなる1週間前の野村克也さんに面会した際、「エラーをしたけど、お前は名前を残した」、「お前は名前を残した事を活かして、野球界に貢献していきなさい」と語りかけられたそうです。
この言葉が感動的だとネットでも話題になっています。
「あの北京のメンバーで、いまだに名前を覚えられているのは星野とお前だけだ。エラーはしたが、名を残したお前の勝ちだ。その経験を生かして、これから生きていきなさい」
— タロージロー (@shu_110) July 18, 2021
2008年北京オリンピックで3失策
戦犯と呼ばれたG.G佐藤に言った
故野村克也監督の一言
G.G.佐藤の結婚した嫁は元日本航空キャビンアテンダントの真由子さん
G.G.佐藤さんは2008年1月に4歳年上の一般女性、真由子さんと結婚されています。
今年1月中旬、一般女性と結婚。06年オフに出会ってから約1年での“スピード婚”だった。06年までのプロ3年間でわずか9本塁打だった男が、昨季は4番にも座るなど25本塁打を放ってブレーク。最大のモチベーションが彼女(当時)の存在だったことは言うまでもない。結婚時期はちょうど契約交渉がもつれていた時期と重なるが、夫人の存在が心の支えにもなっていた。
G.G.佐藤さんと嫁の真由子さんは、2006年のシーズンオフに共通の知り合いの結婚パーティで初めて出会い、その後約1年の交際を経て結婚されています。G.G.佐藤さんの嫁の真由子さんは当時、日本航空のキャビンアテンダントをされていたそうです。
当時、真由子さんは野球に全く興味がなかったそうなのですが、一目惚れしたG.G.佐藤さんが電話やメールなどで猛アピールしてデートにこぎつけ、最初のデートでいきなりプロポーズし、共通の知人の家で2度目に会った時には、真由子さんの答えを待たずして結婚指輪を渡したそうです。
指輪を渡すとき、G.G.佐藤さんは「今年の僕の目標はホームラン15本。もし達成したら結婚してください」と改めてプロポーズ。
これに真由子さんは「その倍の30本ホームランを打ったら結婚してあげる」と答えました。2006年シーズンはわずか4本塁打だったG.G.佐藤さんでしたが、この言葉に発奮したのか2007年シーズンは開幕戦から2試合連続ホームランを放ってロケットスタートを切ると、そのままレギュラーに定着し、シーズン25本塁打を放ってみせました。
30本塁打には届きませんでしたが、見事な結果を残したことでG.G.佐藤さんの真剣な気持ちは届いたのか、真由子さんはプロポーズを受け入れたという事です。
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真由子さんとの結婚をきっかけにして瞬く間に一流選手の仲間入りを果たしたG.G.佐藤さんは2008年シーズンも開幕から好調を続け、北京オリンピック代表にも選ばれました。しかし、前述のようにこの北京オリンピックでG.G.佐藤さんはトンネルと落球でエラーを3連発し、「戦犯」だと大バッシングを受けました。
試合後、嫁の真由子さんの元に届いたG.G.佐藤さんのメールにはただ一言「死にたい」とだけ記されていました。北京に同行していた真由子さんはすぐに日本チームの宿舎に駆けつけますが、普段の姿からは想像もできないほど落ち込んだG.G.佐藤さんの姿を見て言葉を掛ける事すらできなかったそうです。
真由子さんは日本に帰国後も、この事について自分からは話す事を避け、いつもと同じように接し、せめて夫が元の状態に戻れるように努められたのだそうです。
G.G.佐藤の子供は長女と長男の2人
G.G.佐藤さんと嫁の真由子さんの間には子供が2人います。
1人目の子供は2009年のシーズン開幕直後、4月27日に誕生した長女で、2021年の誕生日で12歳になります。
2年後の2011年に、真由子さんは2人目の子供を妊娠しますが、4ヶ月検診を受けた時に医師に「赤ちゃんの心臓が動いてないんです」と告げられ流産で亡くしています。
それから3年後の2014年に3人目の子供が生まれています。G.G.佐藤さんの3人目の子供は男の子で名前は隆之介くんだそうです。現在は7歳か8歳で小学生のはずです。
G.G.佐藤の43歳の誕生日には子供達が手作りの金メダルで祝福
2021年の東京オリンピックでは、野球日本代表が37年ぶりとなる金メダルを獲得。北京五輪での雪辱を晴らしましたが、その快挙から数日後の8月9日、G.G.佐藤さんは43歳の誕生日を迎え、子供たちからケーキと手作りの金メダルをプレゼントされた事を自身のSNSで明かされています。
また、子供たちはG.G.佐藤さんが伝説のエラーをやらかした北京オリンピックを基にした漫画も描いてプレゼント。子供たちが描いた漫画では、G.G.佐藤さんはエラーをしたと思いきや実はキャッチしており、さらには最終回にサヨナラホームランを打って試合を決めるという大逆転のハッピーエンドへと改変されていました。
うちの子が描いてくれた異世界漫画。続きはインスタで!→ https://t.co/FQ7dpds8hp#北京五輪 #異世界 #漫画 #侍ジャパン #面白かったらインスタもフォローしてね pic.twitter.com/UfexVcBYdB
— GG佐藤 (@ggsato_travers) August 9, 2021
G.G.佐藤さんのユーモア満載の漫画に、ネット上でも「G.G.佐藤の息子、とんでもない漫画を描いてしまう」というタイトルでスレッドが立つなど大きな話題になっていました。
G.G.佐藤の現在① 父親の会社トラバースの副社長として活躍
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G.G.佐藤さんは2014年を最後に現役を引退した後は、父親が経営する測量会社「株式会社トラバース」に入社し、2021年4月から副社長に就任して現在も務められています。
この「株式会社トラバース」でG.G.佐藤さんは、引退したプロ野球選手のセカンドキャリアの支援事業もやりたいと話されています。2017年12月のインタビューの時点で既に8人の元プロ野球選手が同社で働かれているという事です。
佐藤 今後は、プロ野球選手のセカンドキャリア支援を積極的にやりたいと思っています。いま、同じ会社に8人の元プロ野球選手が働いていて、これからも採用することになっています。みんなで、「いつか大きいことをやりたい」という夢を描きながら、地道に仕事をしています。
G.G.佐藤の現在② テレビでも幅広く活躍中
G.G.佐藤さんは引退後は、テレビを中心に積極的にメディアに出演されています。
野球解説やタレントとしてのバラエティ番組出演の他、2017年のNHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」に山伏役でゲスト出演し俳優デビューも果たしています。
また、現在G.G.佐藤さんが副社長を務める株式会社トラバースの公式YouTubeチャンネル「トラバースTV」の動画にも積極的に出演しており、特にプロ野球関連の動画は人気を集めています。
まとめ
今回は、西武ライオンズで強打の外野手として活躍した元プロ野球選手・G.G.佐藤さんについてまとめてみました。
G.G.佐藤さんは2007年から2009年にかけて西武ライオンズの中軸打者として3割近い打率と20本以上の本塁打の安定した成績を残し活躍し、年俸の1億円に到達しました。
2008年の北京オリンピックにも日本代表として出場しましたが、2度の落球を含む3度のエラーをして日本代表チーム敗退のきっかけを作ってしまいました。この事は現在もネット上でよく話題にされています。
G.G.佐藤さんは2008年1月に4歳年上の元CAの一般女性の真由子さんと結婚しています。嫁の真由子さんとの間には長女と長男の2人の子供も誕生しています。
現在、G.G.佐藤さんは父親の経営する測量会社「株式会社トラバース」の副社長を務められています。また、テレビを中心にメディアにも積極的に出演されており、YouTubeチャンネル「トラバースTV」も話題です。