東京オリンピックでも活躍した東北楽天イーグルス所属の強打者・浅村栄斗さんが話題です。
この記事では浅村栄斗さんの経歴や高校時代のエピソード、気になる性格や応援曲、父や母、兄弟などの家族、結婚した嫁の淡輪ゆきさんや2人の子供などについてまとめました。
この記事の目次
浅村栄斗のプロフィール
浅村栄斗のプロフィール
生年月日:1990年11月12日
出身地 :大阪府大阪市東淀川区
身長 :182cm
血液型 :O型
浅村栄斗(あさむら・ひでと)さんは、東北楽天イーグルスに所属するプロ野球選手です。
パ・リーグを代表する強打者の1人で、2013年と2018年に打点王、2020年にホームラン王を獲得しています。2018年にFA宣言した時には4球団による争奪戦となりました。(西武から楽天に移籍)2020年には通算200本塁打の金字塔も打ち立てています。
浅村栄斗さんは、2021年に開催された2020東京オリンピックの野球種目日本代表チームの主力としても活躍し、金メダル獲得に貢献して楽天ファンやプロ野球ファン以外の人々からも注目を集めています。
今回はこの浅村栄斗さんについてまとめていきます。
浅村栄斗の経歴① 小・中学校時代
浅村栄斗さんの経歴を見ていきます。
浅村栄斗さんは、大阪府大阪市東淀川区に3人兄弟の末っ子として生まれました。地元の公立校「大阪市立井高野小学校」の4年生の時に兄の影響でソフトボールをはじめたそうで、本格的に野球を始めたのは中学進学後だったそうです。
中学校は地元の公立校「大阪市立井高野中学校」へと進学し、硬式少年野球チーム「都島ボーイズ」に入って本格的に野球を始めています。
中学時代は主にショートとセカンド、3番打者として活躍しましたが、当時は攻守バランスの取れた好選手だったものの、周囲と比べて特に目立っていたというわけではなかったのだそうです。
浅村栄斗の経歴② 高校時代は強豪「大阪桐蔭」で活躍
浅村栄斗さんは、7歳年上の次兄も過去に所属していた全国でも屈指の野球強豪校「大阪桐蔭高校」へと進学しています。
浅村栄斗さんの高校時代は、1年生の秋から、内野手の駒不足という事情もあってベンチ入りを果たしましたが、まだまだ実力不足との判断を下され、近畿大会からはベンチから外され、その年の第79回選抜高等学校野球大会にも出場できませんでした。
しかし、翌年の2年生の夏頃から打撃が急成長してセカンドのレギュラーを奪取、大阪地区大会で7割以上の打率を残してそのポテンシャルの片鱗を見せています。この年は残念ながら決勝で敗れて甲子園出場は果たせませんでした。
そして、その翌年の3年の夏の甲子園大会では、浅村栄斗さんは1番ショートで全6試合に出場し、29打数16安打(打率.552)2本塁打の大活躍を見せ、1991年の優勝以来17年ぶりとなる大阪桐蔭高校の全国制覇に大きく貢献しました。
浅村栄斗さんは自身の高校時代について、「真面目な球児じゃなかった」と語っていて、当時を知る大阪桐蔭の西谷浩一監督も高校時代の浅村栄斗さんについて、禁止だった携帯電話を持ち込んだり、夜に寮を抜け出したりする「問題児」だったと語っています。
浅村栄斗さんは高校時代は「1、2年生の頃はいらんことばっかりして練習させてもらった記憶があまりない。(ペナルティで)草むしりばかりさせられていた」と話してました。
しかし、高校2年生の冬、大阪桐蔭高校のOBで当時は千葉ロッテの主力として活躍していた西岡剛さんが練習を見に訪れ、浅村栄斗さんに「プロはそんなに甘いところではない」とのメッセージを送ったのがきっかけとなって人が変わったように真面目に野球に取り組むようになり、3年夏の大会での大活躍につながったのだそうです。
浅村栄斗の経歴③ プロ入り後はパリーグを代表する強打者に
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3年夏の甲子園大会の大活躍で、一気にプロのスカウトからの評価を上げた浅村栄斗さんは、その年のドラフト会議で西武ライオンズからドラフト3位指名を受けてプロ入りを果たしています。
西武ライオンズでは2年目から1軍の試合に出場し30試合出場で2本塁打の活躍を見せ、翌2011年のシーズンには早くもレギュラーを獲得して137試合に出場し、打率.268、9本塁打を記録。
その後もレギュラーの座を守り続け、2013年には27本塁打を放ち、110打点を挙げての打点王に輝き、チームを代表する強打者へと成長しています。
2016年から2018年にかけては西武ライオンズの主力として全試合に出場し、2018年には32本塁打127打点(打点王)という圧倒的な成績を残しました。
2018年オフにFA宣言し、西武の他、ソフトバンク、楽天、オリックスの4球団による争奪戦の末、東北楽天イーグルスへと移籍しています。
楽天移籍後も活躍を続け、2019年には33本塁打、2020年には32本塁打(ホームラン王獲得)という記録を残しています。
浅村栄斗の性格
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浅村栄斗さんは、その性格についても話題にされる事が多いです。
本人は自身の性格について、マイペース、めんどくさがり、わがまま、人見知りと自己分析されていました。
みずからの性格を「マイペースで、めんどくさがりで、わがままで、人見知り」と表現する。
また、浅村栄斗さんの高校時代の恩師である大阪桐蔭高校の西谷浩一監督は、その性格について「超真面目人間のお兄ちゃんと真逆の性格」と評しています。
「超まじめ人間だったお兄ちゃんとは真逆の性格。プロに行きたい、甲子園で勝ちたいと頭では思っていても、なかなか行動が伴ってこなかった」。大阪桐蔭の西谷浩一監督はこう述懐する。
また、西谷浩一監督は、その他にも浅村栄斗さんの性格について、「よく言えば奔放でのびのびタイプ」とも評しています。
当時は同監督も、その自由奔放な性格によってなかなか才能を伸ばせない浅村栄斗さんを心配して、その教育に苦心されていたようでした。
性格は、よくいえば奔放で、のびのびタイプ。下級生の頃はなかなか野球に集中しきれず、せっかくの才能を生かせずにいた。
ある時、哲弘さんと顔を合わせた西谷監督は思わず「どうして兄弟でここまで性格が違うんですか」と尋ねたという。すると哲弘さんは「私にもわかりません……」と苦笑いを浮かべた。
ただ、こうした自由奔放な性格でのびのびと野球に打ち込んでいた事が、現在の浅村栄斗さんの時に野生的とも言われるような、天才的な野球センスにつながっているようなイメージもあります。
浅村栄斗の応援曲(応援歌)
浅村栄斗さんの東北楽天イーグルスでの応援曲(応援歌)です。
浅村栄斗さんの楽天での応援曲の歌詞は以下の通りです。
(前奏)スタンドへ叩き込め 浅村
燃え上がれ ここで燃え上がれ
浅村打て 浅村打て 叩き込め
浅村栄斗の西武ライオンズ時代の応援曲
浅村栄斗さんの西武ライオンズ時代の応援曲です。
西武ライオンズ時代の浅村栄斗さんの応援曲の歌詞は以下の通りです。
たたき込め 浅村 浅村 それ!バットでGo!Go! さあレフトスタンドに たたき込め
浅村栄斗の家族① 父の哲弘さんは元高校球児
浅村栄斗さんの家族についても見ていきます。
浅村栄斗さんの父親は哲弘さんという方で、元高校球児だったという事です。どこの高校で野球をされていたのかや、ポジションや大会での実績など高校時代の活躍については不明です。
ただ、浅村栄斗さんを含む3兄弟全員が野球に打ち込まれていたという事なので、かなり野球好きのお父さんなのではないかと思います。
また、浅村栄斗さんが大阪桐蔭に進学したのは、この父の哲弘さんが、大阪桐蔭監督の西谷浩一さんに頼み込んだ事がきっかけだったそうです。大阪桐蔭高校時代に浅村栄斗さんがその才能を開花させた事を考えれば、現在の浅村栄斗さんの活躍はこの父なくしては無かったかもしれません。
浅村栄斗の家族② 母の明美さんはソフトボール経験者
浅村栄斗さんの母親は明美さんという方で、若い頃はソフトボールをされていたそうです。
母親の明美さんは子供時代の浅村栄斗さんについて、メディアの取材に下のように語られていました。
「お兄ちゃんたちの野球を見て、最初の頃は楽しいと思っていたはずなんです。でも、中学、高校になるにつれて、朝起きるのは早いし、土日も遊べない。本気でやるとなると『しんどい』と思ったんでしょうね。自分から『(チームに入って)野球をやりたい』と言ってきたことはなかったです」
また、浅村栄斗さんは2人の兄とは歳の離れた末っ子だった事から、母親の明美さんは「孫のような感覚で子育てした」とも話されていた事がありました。母親の明美さんにとって子供時代の浅村栄斗さんは可愛くて仕方がない存在だったようです。
こうしたところも、浅村栄斗さんの自由奔放な性格につながったのかもしれません。
浅村栄斗の家族③ 3人兄弟の末っ子で次兄の展弘さんは大阪桐蔭OB
浅村栄斗さんは3人兄弟の末っ子である事はすでに触れましたが、1番上の兄は8歳年上、2番目の兄は7歳年上だという事です。
兄2人も野球をされていたそうなのですが、1番上の兄は中学生で本格的な野球は引退されたそうです。野球に打ち込まれていたのが2番目の兄の展弘さんで、大阪桐蔭高校に進学されています。
大阪桐蔭高校の西谷浩一監督は、この兄の展弘さんを、これまで見てきた選手の中でも何番目かに好きな選手と絶賛されています。
それほど真面目で努力家な選手だったそうで、残念ながら桐蔭ではレギュラーを取れずプロ入りも叶わなかったそうなのですが、この兄の存在があったからこそ、西谷浩一監督は浅村栄斗さんに目をかけ、大阪桐蔭野球部に入部させる事を決められたそうです。
この兄の展弘さんは大阪桐蔭を卒業後は奈良産業大学へと進学して野球を続け、リーグ戦で首位打者とベストナインを獲得されています。
そんな浅村と大阪桐蔭が縁を持つきっかけになったのは兄・展弘さんの存在があった。
「浅村のお兄ちゃんは、中村(剛也・埼玉西武)、岩田(稔・阪神)と同級生でした。努力して一般で入ってきた選手でした。残念ながらベンチ入りはできませんでしたが、とても努力家で、チームのために尽力してくれました。その努力が奈良産業大で花開き、首位打者とベストナインを獲得したんです」
浅村栄斗の結婚相手はフリーアナウンサーでタレントの淡輪ゆき
2019年11月18日に、浅村栄斗さんはフリーアナウンサーでタレントの淡輪ゆきさんと結婚する事を発表しています。
楽天・浅村栄斗内野手(29)とフリーアナウンサーの淡輪(たんのわ)ゆき(27)が18日、結婚することを発表した。
その後、同年12月21日に正式に入籍し、結婚式を挙げられています。
この時は、嫁の淡輪ゆきさんが自身のインスタグラムに浅村栄斗さんとの結婚に関する投稿を25連投以上された事でも話題になりました。
浅村栄斗の嫁・淡輪ゆきのプロフィール
生年月日:1992年10月10日
出身地 :東京都
身長 :168cm
血液型 :O型
浅村栄斗さんの結婚した嫁の淡輪ゆきさんは、ホリプロ所属のフリーアナウンサー、タレントとして活躍されている方で、過去には「王様のブランチ」のリポーターなどを務めて人気を集めていました。
結婚後の現在も芸能活動はされていて、主にスポーツリポーターとして活躍されています。
浅村栄斗と嫁の淡輪ゆきとの馴れ初めは?
浅村栄斗さんと嫁の淡輪ゆきさんの馴れ初めにも興味が集まっています。
結婚発表時の報道では2人の馴れ初めは2017年4月の番組共演だったということで、2年の交際期間を経ての結婚という事です。
17年4月にテレビ番組で共演したことがきっかけで交際に発展。約2年間の交際を経てゴールインすることになった。
2人の馴れ初めという2017年4月の番組は特定できませんでしたが、その当時、淡輪ゆきさんはテレビ埼玉の野球中継「ライオンズナイター」のベンチリポートも担当されていた事があるので、その時に知り合ったのではとの見方が有力です。
ちなみに、2人が交際に発展したきっかけは、お互いにラグビーファンだった事だそうです。
2人ともラグビーファンだったことなど共通点も多く交際に発展。結婚を前提に愛を育んできた。
浅村栄斗と嫁の淡輪ゆきの子供
浅村栄斗さんと嫁の淡輪ゆきさんの結婚発表時には「妊娠はしていない」とも報じられていて、2人はいわゆるデキ婚ではありませんでした。
2人の間には2021年8月の時点でもまだ子供はいないようです。
出典:https://www.sponichi.co.jp/
ちなみに、浅村栄斗さんと淡輪ゆきさんは猫を飼われていて子供のように可愛がられています。東京オリンピックで浅村栄斗さんが日本代表として金メダルを獲得しましたが、淡輪ゆきさんのインスタグラムでは、浅村栄斗さんが愛猫を膝に乗せて、金メダルをかけている画像が投稿され話題になりました。
まとめ
今回は、東京オリンピックでも活躍した東北楽天の主力選手・浅村栄斗さんについてまとめてみました。
浅村栄斗さんは小学校時代にソフトボールをはじめ、中学進学後に硬式少年野球チームに入り、その後、強豪「大阪桐蔭高校」に進学して甲子園で活躍し、西武ライオンズからのドラフト指名を受けてプロ入りした経歴を持ちます。
浅村栄斗さんは高校時代は1年〜2年目まではあまり真面目な球児ではなかったという事ですが、高校3年目に奮起して野球に取り組むようになりその才能が完全に開花し、プロ入りへとつながりました。
そんな浅村栄斗さんの性格は自由奔放でのびのびとした性格だという事で、現在の野生的かつ天才的な打撃力はそうした性格が関係しているとの声も少なからずあるようです。
浅村栄斗さんの家族は元高校球児の父とソフトボール経験者の母、兄2人も野球経験者という典型的な野球一家でした。
2019年にはフリーアナウンサーでタレントの淡輪ゆきさんと結婚されていますが、子供はまだいません。
今後も浅村栄斗さんの活躍に注目していきたいと思います。